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「どっちがどっち まぎらわしい生きものたち」梁井貴史・著 金子貴富・イラスト さくら舎もうね、何処を開いても面白い。試しに、適当に開いてみました。◯「ダンゴムシとワラジムシ」(84p)うーむ、困った。面白くないのではなくて、全部面白い。出来たら全文書き写したい。ゴメン、この調子でレビューするとものすごく長くなりそう。でも、私が「好きで」「後学のために」記録しているので、全部読まなくていいですからね。では、面白かったところの一部をメモ。⚫︎ダンゴムシもワラジムシも名前はムシになっていますが、虫(昆虫)ではなく甲殻類に属し、エビやカニの仲間です。⚫︎男女を問わず幼児に1番人気がある「虫」がダンゴムシです。「丸くなる」というのが、幼児にとってはチャームポイントとなるのでしょう。つまもうとしたら、くるっと丸くなるお菓子を発売したら、子どもに爆発的に売れるかも知れません。⚫︎ダンゴハムシには「交替性反応」といって、障害物にぶつかって最初に右に曲がった場合は、次にぶつかると左に曲がり、次は右に、次は左に‥‥という具合に、左右交互に進路をとる性質があります。もし障害物にぶつかるたびに同じ方向に曲がっていたら、ぐるっと一周回ってもとの場所に戻ってきてしまいますが、この性質により、敵に遭遇して逃げるときなど、より遠くに逃げることができます。⚫︎ワラジムシも足は7対ですが、ダンゴムシに比べて平べったい体をしています。ヨーロッパ原産の外来種です(はるばるヨーロッパからやってきて、日本で「草鞋を脱いだ」次第です)。こちらも石や床の下など湿ったところに住んでいて、ひの当たらない便所のあたりにうろちょろしているのが散見されるので、別名「便所虫」などありがたくないニックネームで呼ばれることもあります。両者ですが、ワラジムシはダンゴムシと違って、驚いても丸くならないので直ぐ区別できます。◯ムササビとモモンガ(12p)⚫︎ムササビもモモンガも漢字では「鼯」(←鼠編に吾!)と書くことから、昔は両者を区別していなかったことがわかります。区別するようになったのは、明治時代になってからです。⚫︎ムササビもモモンガも「飛ぶ」のではなく「滑空」します。哺乳類で飛ぶ(翼をバタバタさせる)ことのできるのはコウモリだけです。⚫︎彼らは決して地上には降りません。「ちょっと喉が渇いたので、地上に降りて岩の間から滲み出る湧水をごっくん」なんてことはありません。水分は食料に含まれる水分や夜露で補います。まさに完全な樹上生活です。人間の社会では「しっかりと足をつけて」などと諌めたりしますが、彼らは子どもを何と言って戒めているのでしょうか。◯アフリカゾウとアジアゾウ(15p)⚫︎ゾウの中でも、アフリカゾウは現存する陸上動物の中でも最大で、オスには体重8tに達するものもいます。その大きな体を維持するために食べている量は1日に150キロくらいで、食事時間は10時間以上です。そしてウンチの量は一日に75キロ。じつにダイナミックです。⚫︎1日に10時間も草を噛んでいたら、歯も摩滅してしまうのでは?と心配になりますが、好都合なことに臼歯(奥歯)は摩滅すると、6回も生え変わります。一本の臼歯の重さは約3kg。⚫︎アジアゾウはアフリカゾウに比べると体も耳も牙も一回り小さく、メスの牙は外から見えません。サーカスで芸をするゾウは、アジアゾウと思ってまず間違いありません。⚫︎象という字は典型的な「象」(しょう)形文字で、まさに象(かたど)られたものです。ゾウと呼ぶのは漢語の「象」の呉音が「ゾウ(ザウ)」に由来します。寿命は60-70年です。◯ミーアキャットとプレーリードッグ(29p)⚫︎ミーアキャットはアフリカ南部の平原や砂漠に住んでいます。日光浴が大好きで、朝は並んで日光浴をする姿が見受けられます。「キャット」と名付けられていますがネコの仲間ではありません(マングースの仲間)。岩場などに10-15頭の群れで暮らし、昆虫や小鳥を食べる肉食動物です。⚫︎プレーリードッグは北アメリカの草原に住んでいます。「ドッグ」と名付けられていますが、犬の仲間ではありません(リスの仲間)。犬に似た鳴き声をするのでこの名になりました。◯ニホンリスとタイワンリス(30p)⚫︎ニホンリス、タイワンリスともに体は濃褐色なのですが、腹部を見るとニホンリスは純白なのですぐに見分けられます。また、餌を食べている時の尾っぽを見ると、ニホンリスは太い尾を背中に乗せていますが、タイワンリスは尾はだらりと垂らしたままです。⚫︎野外(特に市街地)で見かけるのは、間違いなくタイワンリスです。ニホンリスは四国・九州の亜高山地帯に住んでいて滅多に人前に姿を見せることはありません。一方タイワンリスは観光地や住宅に住んでおり、人間の与える餌に寄ってきます。与えられた餌を両手で挟んでモグモグタイム。⚫︎「リス」の名は「栗(を食べる)鼠」という「栗鼠(りっそ)」が転嫁したものです。←台湾でたくさんタイワンリスを見た。台湾のみかとおもいきや、日本もミャンマーやマレー半島にも生息域を広げて害獣対象にもなっている、とのこと。そういえば韓国でも南部の住宅地で見たことを思い出した。◯カブトエビとカブトガニ(54p)⚫︎両者共にエビやカニの仲間ではなく、古代三葉虫から進化した仲間。カブトエビは3億年、カブトガニは2億年、姿や形を変えずに生きてきたため「生きた化石」と呼ばれる。では、3億年変えていないゴキブリは生きた化石なのでしょうか?残念ながらそうは呼びません。「生きた化石」という呼称は数の少ないものに限られています。←岡山県笠岡湾のカブトガニはいっとき絶滅したと言われていた。もしかしたら地球上で、1番生命力が強いのは、人類ではなくゴキブリなのかもしれない。◯イカの墨とタコの墨ってどうちがうの?(58p)⚫︎イカの墨は粘り気があるので、直ぐに固まってしまいます。敵が近づくとイカはポッポッといくつもの墨を吐きます。敵にしてみれば、一匹のイカを追っていたはずなのに、突然目の前に現れた複数の黒い物体(イカ)に面食らい、頭がパニック。手当たり次第に黒い物体に襲いかかっては「ん?これではない」「ん?これでもない」と歯軋りする敵を尻目に、イカはまんまと逃げおおせます。まさに「分身の術」と言ったところです。⚫︎一方、タコの墨は粘り気が少なく、さらさらして海中で勢いよく広がります。急にあたりが真っ暗闇になり、敵にとっては突然停電が起きたような状態で、何が何だかわからなく戸惑ってる間にタコはドロンします。⚫︎イカ墨のスパゲッティはありますが、タコ墨のスパゲッティはありません。⚫︎タコやイカの墨を墨汁代わりに字を書くことはできますが、真っ黒な字を書くことはできません。どうなるかというと、茶褐色になります。タコやイカの墨はメラニン色素であり、メラニン色素はタンパク質なので、時間が経つと腐敗します。そのため長持ちしません。⚫︎「いかさま」という言葉がありますが、これはイカで書いた証文が数年経つと消えてしまうことから「イカ墨」が訛ったものです。◯フグとハリセンボン(79p)←フグの雑学には、ミステリで使えそうなネタが山ほどある。⚫︎フグ。ふくれるので「ふく」、それがいつしか「フグ」と呼ばれるように。漢字で「河豚」と書くのは、体が豚のように肥大するからとも、釣り上げられたとき、「キー、キー」と豚のような声で鳴くからとも言われています。⚫︎フグの毒の成分はテトロドトキシンといい、神経を麻痺させます。毒は主に卵巣や肝臓、皮膚に含まれていますが、この毒は煮ても焼いても分解されません。毒に当たると、早ければ30分、遅いと3時間もしてから症状が現れ始めます。食べた途端に症状が現れるわけではありません。やがて痺れや麻痺、言語障害から呼吸困難に陥り、最悪の場合は死にます。⚫︎しかし、フグは生まれながらに毒を持っているわけではありません。稚魚の間は無毒です。フグは海底の土を小さな口で吹き飛ばしながら餌を食べますが、この時海底に住んでいる毒を持つ細菌も一緒に食べてしまいます。その毒がフグの体内に蓄積されるのです。したがって、稚魚の時から人工飼料で養殖されたフグには、毒はありません。⚫︎なお、フグ調理師免許は都道府県それぞれの免許であり、全国共通ではありません。そのため免許を取得した都道府県でしか認められないので他県では新たに免許を取り直ししなければなりません。⚫︎ハリセンボン。実際のトゲは370本ほどで、名前で言われる半分もありません。毒はありません。⚫︎なお、ハリセンボンという名前のカニもいます。ちなみに、指切りの際の常套句「嘘ついたら、ハリセンボン飲ーます」は、この魚やカニを頭から丸呑みさせるという意味ではありません。◯みそ汁のアサリの中の小さなカニ(83p)←こんなに書き写していたら、著作権者から苦情が来そうですが、その時は対処しますので、権利者はお知らせください。もうホントに全部書き写したいほど面白いんです!⚫︎アサリのみそ汁を食べている際に、時折貝の中に小さなカニが入っていることがあります。カニの子どもと思ってしまいますが、じつはこれは小さな大人のカニで、カクレガニ科に属するピンノというものです。それもメスです。⚫︎ピンノのメスは、生まれるとすぐに二枚貝の中に入ります。そのあとは一生そとに出ることはありません。貝の中にいることで、敵には見つからないし、貝が吸い込んだプランクトンを横取りできるので、食べるのにも困りません。自分で働く必要もなく、毎日「食べては寝て」の怠惰な生活を満喫(?)しています。怠惰な生活(寄生生活)のため、色素や体表面の石灰質までもが退化してしまい、体は白く甲羅もやわらかくなっています。⚫︎オスはどうしているのかというと、オスの体はメスの1/3ほどの大きさしかなく、開いた貝のわずかなすきまから自由に出入りできます。それでオスは繁殖期になるとその小さな体をフル活用して、手当たり次第に貝を訪問し、引きこもっているメスに出会うと「オー、ベイビー!ずいぶん探したゼェ〜い」と繁殖に励みます。メスは貝の中で卵を産み、卵からかえった幼生は「バイなら」と言い残して(これも既に死語でした)、貝の出水管から外に出ていき、メスはほかの貝に入水管から無断侵入してそのまま居座ってしまいます。⚫︎アサリの中に入っているのはオオシロピンノ、ハマグリの中に入っているのはマルピンノです。シジミの中にもシジミピンノがいることがありますが、きわめて珍しいことです。◯カモメとウミネコ(110p)⚫︎カモメの嘴は全面黄色で、ウミネコは先端に赤と黒の模様があります。尾羽はカモメは全面真っ白ですが、ウミネコの尾羽には黒くて太い帯があります。⚫︎カモメ(鴎)の若鶏には褐色のマダラがあり、これを「籠の目」の模様に見立て「カモメ」と名付けられたとも、あるいは小さい「カモ」のようであることから、ツバメ、スズメと同じ小鳥をあらわす接尾語「メ」を加えて「カモメ」と名付けられたともいわれています。⚫︎ウミネコ(海猫)は「ニャオー、ニャオー」とネコソックリな声で鳴きます。ウミネコは世界中で唯一日本とその周辺地域だけに繁殖している鳥です。⚫︎ユリカモメ(百合鴎)は日本には冬鳥として飛来します。ユリカモメは別名「ミヤコドリ(都鳥)」と呼ばれ、東京都の鳥(都鳥)となっています。しかし、ミヤコドリという別種の鳥がいて、混乱してしまいます。つまり、東京都の鳥(都鳥)は「ミヤコドリ」なのですが、ミヤコドリではなく「ミヤコドリと呼ばれている鳥」というややこしさです。◯以下、まぎらわしい名前の生きもの◯カジカ(130p)⚫︎魚のカジカ(鰍)は、全長12センチほどのハゼに似た魚です。鰍は鱗がないので体表は滑らかです。水の綺麗な砂利ぞこの川にすみ、主にトビケラやカワゲラなどの水中昆虫を食べます。身の閉まった味。北陸地方の伝統的な川魚料理の主役、ゴリがそれです。ちなみに「ゴリ押し」という言葉は、ゴリを取るために川底に網を当てて強引に進む様子から生まれました。カジカというのは、その味が「鹿の肉」のように美味しい=「河の鹿肉」ということに由来します。漢字では「鰍」と書きますが、これは造字で、早春に産卵したあと餌を十分にとって、秋には丸々と太り、秋が旬となることからです。⚫︎カエルの方は一般に「カジカガエル(河鹿蛙)」と表記されます。渓流に住んでおり、体長は5センチほどです。体は緑色を帯びた褐色で暗褐色の斑紋があり、石の上では保護色になっています。日中は川岸の石の下などに潜んでいます。5-7月の繁殖期にオスが岩の上などで「ヒュル、ルルルル‥‥」という美しい声で鳴きます。それが鹿の鳴き声に似てる、河に住む鹿ということから「河鹿」と名付けられました。万葉集にはガエルを詠った歌が十数種類あるとのことですが、その全てがカジカガエルのことを詠っています。▲遂に字数が5500字ほどになった。キリがないし、一種迷惑なので、この辺りで切る。もし、全部読んだ方はご苦労様でした。▲本書はトリビアな情報満載だし、一度読んだらなかなか忘れない書き方なので、初めてのデートや子どもを連れての動物園・水族館などで事前に読んでおけば「パパ!なんでも知ってるんだね!」と目をキラキラさせて尊敬されること必至です。▲Kazuさんの紹介。ありがとうございます♪
2022年02月26日
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「知りたい会いたい特徴がよくわかるコケ図鑑」藤井久子 家の光協会こんな世界が広がっていたなんて!遂に10倍のルーペを買った。試しに、いつもびっしり苔が生えているなぁと思っていた樹の表面に近づき覗いてみると、今まで見ていた濃緑色の模様がなくなり、一面、花畑のような「朔(さく)」が生えていた。これだと、彼女の名前も知ることができる。たぶん68pにある「ヒナノハイゴケ」だろう。「低地の樹幹で最も普通に見られ、都市部の街路樹にも普通。雌雄同株で胞子散布は主に冬に行う。朔が成熟して帽と蓋が取れると、ルージュを引いたようなくっきりとした赤色の朔の口と朔歯が現れることから「クチベニゴケ」の別名がある」とのこと。またメモとして「胞子は朔の口からモコモコと盛り上がるように出る。その様子は抹茶ソフトクリームのようで面白い」とある。あと1-2週間しか期間がない。見てみたい。続け様に家の苔たちを見てみる。そうすると、全部同じように見えていた緑の苔が、全部違う表情を持っていたことがわかる。それと同時に、苔の観察は「かなり恥ずかしい」ということもわかった。宝石鑑定の要領なのでルーペから目を離したら絶対見えない。ルーペは小さいから傍目には「不審人物」のようにしか見えない。それでも苔観察は、半径数メートル有ればこと足りる。黙って観察せざるを得ないし、コロナ禍では格好の「世界が広がる趣味」ではある。さぁやるぞー、と言ったところで、本の貸借期間が過ぎる。あと2週間借りれない。気に入った図鑑は嵩張るけど買うことに決めた。検索と要覧では、電子よりも紙の方が圧倒的に便利だということもわかった。苔たち、また会いにくるからね。
2022年02月19日
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「このマンガがすごい!2022 決定今年のベスト10」宝島社今回、ネットカフェで集中して読書した。上位に入ったオトコ編4位、オンナ編1位、2位をチェックした。私は加藤周一の指摘を守って、文学は流行を追わないことにしている。人生は短く人生で読める本の数は限られているからである。よって、本屋大賞を流行世界の窓としている。ただし、マンガはもう少し間口を広げている。小説よりも速く読めるからである。「このマンガがすごい」賞は、マンガの直木賞というべき、玄人読みが選ぶマンガの大衆賞と、私は位置付けている。直木賞と同じように、此処に選ばれているからといって、私がその年のマンガ作品ベストだと思っているわけではない。証拠に「進撃の巨人」最終巻などはオトコ編16位になっている。私は昨年出たマンガの中でベスト5に入る作だと思っていた。「きのう何食べた?」「ゴールデンカムイ」はノミネートから外れた。どうやらこの賞は、新しい方向性を打ち出したマンガに敏感に反応するようだ。『チ。-地球の運動について-』については、今回一通り読んだのだけど、まとめる時間がなかった。かなりの力作ではあるが、またの機会にレビューしたい。「ルックバック」「怪獣8号」「女の園の星」は既に評している。もっとも、マンガの良いところは「多様性」にあるわけだから、私の意見も「多様性」のひとつに過ぎない。それぞれの1位の作者には、スペシャルインタビュー記事が載っている。それは滅多にない作者の生の声なので、貴重だろう。「ルックバック」(昨年12月にレビューした)の藤本タツキは、主人公2人のうち、藤野の方は自分がモデルだと認めていた。アシスタント時代の龍幸伸(「ダンダダン」)の絵もあるそうだ。「海が走るエンドロール」のたらちねジョンは、編集者主導のテーマ決定だった。以下参考までに、今年のオトコ、オンナ上位10人までをメモする。オトコ編★ 第1位 ★ 『ルックバック』 藤本タツキ(集英社) ★ 第2位 ★ 『チ。-地球の運動について-』 魚豊(小学館) ★ 第3位 ★ 『怪獣8号』 松本直也(集英社) ★ 第4位 ★『ダンダダン』龍幸伸(集英社) ★ 第5位 ★『東京ヒゴロ』松本大洋(小学館) ★ 第6位 ★『葬送のフリーレン』山田鐘人(作)アベツカサ(画)(小学館) ★ 第7位 ★『【推しの子】』赤坂アカ×横槍メンゴ(集英社) ★ 第8位 ★『トリリオンゲーム』稲垣理一郎(作)池上遼一(画)(小学館)★ 第9位 ★『ペリリュー 楽園のゲルニカ』武田一義(著)平塚柾緒(太平洋戦争研究会)(協)(白泉社) ★ 第10位 ★『ダーウィン事変』うめざわしゅん(講談社) (オンナ編)★ 第1位 ★ 『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) ★ 第2位 ★ 『作りたい女と食べたい女』 ゆざきさかおみ(KADOKAWA) ★ 第3位 ★ 『大奥』 よしながふみ(白泉社) ★ 第4位 ★『うるわしの宵の月』やまもり三香(講談社) ★ 第5位 ★『女の園の星』和山やま(祥伝社) ★ 第6位 ★『ブランクスペース』熊倉献(ヒーローズ) ★ 第7位 ★『かげきしょうじょ!!』斉木久美子(白泉社) ★ 第8位 ★『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリ(秋田書店) ★ 第9位 ★『ブランチライン』池辺葵(祥伝社) ★ 第10位 ★『ミステリと言う勿れ』田村由美(小学館)
2022年02月18日
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「学問のすゝめ」福沢諭吉 佐藤きむ訳 角川ビギナーズチコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。チコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。
2022年02月03日
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「文豪ナビ 藤沢周平」新潮文庫・編時代劇作家は、文豪ナビシリーズには「司馬遼太郎」「池波正太郎」「山本周五郎」と、この「藤沢周平」ぐらいしか編まれていない。とりわけ、藤沢周平は他でも、文庫本の読本になる率が高いと思う。それほど、語っても語っても語り尽くせない世界があるのである。正月、本屋の店頭に文庫オリジナル本を見つけたので、無条件で買った。もはや藤沢周平で未読の作品は数冊しかない。なんらかの発見があるだろうと期待しての買い物である。半分以上は作品紹介である。「市井の哀歓」「海坂藩」「武士の矜持」「捕物帖」「義に生きる」と5つに分けて短くまとめている。他には作品から抽出した名言集。ちょっと藤沢周平読み始めました、という人のための入門編である。もう何度転載されたかわからない、井上ひさし筆の「海坂藩・蝉しぐれ地図」も出てきた。ここまで何度も出てくるのならば、この地図を改変して、藤沢周平全ての海坂藩作品地図を完成させてほしい。権利の問題もあるかもしれないけど、もうそろそろ出来るでしょ。評伝の名手・後藤正治の「評伝」が載っていたが、正直枚数も読み込みも不足していた。ただし、藤沢周平没後に発見された「未刊行初期短編」の作品評から筆を起こしているのは、今までの読本にない視点だった。「木地師宗吉」を作品の完成度のみで評価しているが、私はもっと別の視点も書いて欲しかった。珍しいのは、批評家や作家の藤沢周平論ではなく、俳優からのコメントが何人分も載っていること。特に「たそがれ清兵衛」で壮絶な死闘を演じた田中泯のそれは面白かった。真田広之も田中泯も、お互い殺すつもりで撃っているので、2人とも毎日「怖かった」そうだ。1週間かけた、あの死闘だったらしい。次の「隠し剣鬼の爪」でも永瀬正敏の身体に防御用クッションをしっかり巻いて師匠役の田中泯は遠慮なく胴を撃つ。永瀬正敏はうずくまりなかなか起き上がれなくなったらしい。こんな映画は少なくなった。最も面白かったのは、藤沢周平の愛娘・遠藤展子さんのコラム「父にとっての家族」。数年前に発掘された「藤沢周平 遺された手帳」を全面展開して、「あの時の父親の気持ち」を初めて推察している。また、「獄医立花登手控え」シリーズのおちえは、明確に高校生の展子さんがモデルだったらしい。道理で、最初の頃のおきゃんな様子がリアルだった。かなり取材したらしい。娘に、ともだちの様子をしつこく聞いていて、「お父さん、娘のことをよく聞いてくれる」と思っていたら、不良仲間の友達が、そっくりの描写で出てきた、という。叔母さんの松江は、二番目の奥さんのエピソード(母に何か言われて黙って二階に消えるところなど)が使われている。「普通が1番」という口癖の藤沢周平の良好な家族の姿が浮かび上がる。藤沢周平の既に移転した後の住居跡を探して、冬の大泉学園町を歩いたこともある。もはや、何もかもが懐かしい。
2022年01月20日
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「池澤夏樹の旅地図」池澤夏樹 世界文化社スタンダールが自分で選んで刻ませた墓碑銘が「アッリゴ・ベール、ミラノ人。生きた、書いた、愛した」であったことは広く知られている。(略)ぼくならば「生きた、書いた、愛した」の他にどうしても「読んだ、旅した」が加わる。(245p)そういう池澤夏樹だから、本書を紐解いた。結局私の人生も、大学4年間のほかは岡山を離れたことはないけど、魂は池澤夏樹に近い。ギリシャにしろ、沖縄にしろ、フランスにしろ、行ってみないとわからないことは多い。でも基本として移住者にはなれない。池澤夏樹は徹底しているから5年ほどは住んでみるけど、やがて気がついたら他に移っている。そうやって池澤夏樹は旅人として生きてきた。それが、一冊の中に縦横に語られている。自分の本領は自分語りではなく、旅で得たことを語り広げることだと、池澤夏樹は若い時に規定した。だから材料を集める必要がある。山の頂点にある作品をモノにするためには、その基底部の広い土地を自分のものにしなくてはならない。それは物凄く理解できる。池澤夏樹に5年間の旅が必要だとしたら、凡人たる私には時々の旅含めて20-30年間の「世界」の見聞が必要だということだろう。豊富な写真と自らの旅体験を解説したインタビューとエッセイ、他者の批評、好きな旅本、旅映画、旅音楽の短評、著作ガイドを載せる。また、自分語りはしないが、唯一の例外として幸せだった6歳までの帯広体験を新聞連載としてまとめた文章も載せている。以下は、インタビューの一部を抜粋して、以上に書いたこともう少し具体化する。⚫︎僕の場合は、最初から飛行機の旅。シベリア鉄道ではないんです。安くてもホテルに泊まる旅でしたから、前にも言ったように、旅を目的にしない。旅先で見たものが大切なんであって、旅はその手段でしかないんです。(略)行かなければ見えないものはあるし、それを見なければ仕事にならない‥‥だから行くんです。(略)取材の旅でも、必ず見つかるものを取ってくることを取材とは言わないんです。もう少し越えていかないとわからない。駄目かもしれない範囲が普通のジャーナリストや作家の取材よりももう少し広くて、ダメでもともともある程度見込んでおかないと、予定したものしか見ないで帰ってくることになる。(75p)⚫︎「池澤さんは還暦の前に新たなステージに移られた。そのエネルギーは、やはり作家としての挑戦として受け止めていいのでしょうか」‥‥全然違います。この商売は仕込みに時間がかかるんです。ここまでくるのに、どうやったって50年はかかるんです。天才は別ですよ。ぼくはたたき上げですから(笑)。何かの素質はあったと思いますが、ぼく程度の素質だけでは何もできない。人にとって意味あることを言うためには、土台を作らなければならない。それには時間がかかるんです。ピラミッドの斜面の角度が変えられないとしたら、高くするには底の幅を広げないといけない。ですから、まだ三合目。(78p)⚫︎「『パレオマニア』の取材の旅はどうだったんでしょうか」‥‥時間と労力が大変でした。一回の取材で2ヶ月分書くわけです。一回の取材は2週間かかります。年の四分の1は旅の空という暮らしが実質3年から4年かかりました。新聞連載と重なったときは、休載していました。(略)(知識は)走りながら勉強するの。みんな一夜漬け。ロンドンに行って博物館を見る。これを何度もしました。基本的には毎回ロンドン発の旅の形をとっています。まさか韓国に行くのにロンドン発にはしなかったけど。大英博物館を見て回って、気に入ったものを見つけて、それをデジタルカメラで撮影する。博物館の中は三脚さえ使わなければ、撮影は自由で、ストロボも大丈夫なんです。だから、ちょっと気になったものは全部撮る。物を撮ったらその説明プレートも撮る。そうしないと、後で何が何かわからなくなるから。それをその日のうちにコンピュータに取り込んで、タイトルをつけながらぼくなりのカタログをつくるわけです。その中から気に入ったものを一点選び、それが、どこでできたかを調べる。大英博物館のブックショップが非常に役立ちました。あれだけ本が揃っていますから。トランクいっぱいの資料を買って帰る。という旅の繰り返しでした。(略)僕の旅は、移動の体験が三分の一、遺跡を見るのが三分の一、後は考えること。印象より一歩踏み込んだ、今まで誰もやってこなかった旅だったと思います。実際には、行く先々の大半は観光地で、旅としては楽なんですが、その割に普通の人が見過ごしているところまで踏み込んで見ていけば、意味のある旅になる。(90p)←『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』は買って読むことに決めた。パレオマニアとは、古代狂の意。
2022年01月16日
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「古代の食を再現する みえてきた食事と生活習慣病」三舟隆之編 吉川弘文館横文字である。よって研究者向けである。よって興味ある部分のみ「つまみ食い」する。しかも、古代とは言いながらほとんどの言及は、木簡文字等の文字資料のある奈良時代以降になっている。ただし研究態度は、考古学や民俗学との融合や調理実験検証の成果などを交流していて好感が持てる。私はずっと不満だったのだが、平安時代にしろ弥生時代にしろ、現代の博物館にある「古代の食事」展示のなんとみすぼらしいことか。殆どは材料をそのまま置き、或いは煮て焼いているだけ。とても美味しそうには見えない。【内容紹介】古代日本人は食べ物をどう加工し、調理していたか。「正倉院文書」から土器、木簡までを総動員し古代食を再現。古代日本人の食生活や、病気との関係を明らかにする。オンライン開催の2020年9月のシンポジウム討論も収録。では、この本で「美味しそうな調理」が出たかというと、出ていないと言わざるを得なかった。唯一の主張は、「単なる材料を並べただけの再現は、もうやめにしたい」という意思表示だけであった。そこだけは評価したい。反対に言えば、ここまでが現代研究の到達点なのである。西欧古代料理の到達点となんとかけ離れていることか(←おそらく、文字の歴史が1600年ほどの日本と3000年以上ある西欧との違い)。以下内容は、弥生時代まで遡れる可能性のある知見と関連する知見のみをメモする。⚫︎ 甑(蒸し器)を使った古代の炊飯方法 西念 幸江/著「奈良時代はうるち米を蒸していた」というのを調理実験すると、蒸しただけでは食べれるご飯はできなかった。今までの定説の再考が必要。⚫︎ 古代の食事と生活習慣病 シンポジウム総合討論 奈良時代「正倉院文書」の貧乏な写経生も多くは、ご飯等を相当食べていた(現代一般男性の最大が3800kcalとすると、写経生は5600kcalもあった。更には塩分も現代は7.5gが推奨されているが、87gも提供されている)。彼らは「糖尿病」になっていた。それでみると、「日本霊異記」にある皮膚病や視覚障害の原因もそれが疑われる。また、写経生の病欠の記録には足病、腹病、皮膚病、赤痢がほとんど。これも糖尿病の合併症の可能性が高い←琵琶法師が多く輩出したのは、こういう背景があったからなのか。これが米しか支給のなかった都市の貧乏人の病なのか、お米が新しい栄養源となった日本全体の国民病なのかは、未だ検討が必要。←田舎では、米だけを食べるはずがなくて、きっと「都会病」と位置付けて良いと私は思う。⚫︎ 『延喜式』にみえる古代の漬物の復元 土山 寛子/ほか著・根や灰汁の処理を行わず、重石や落とし蓋を使わないと直ぐにカビが発生した。重石で空気が遮断され、漬け汁も出ると1か月は保存できる。塩は約4%ほど。また、塩水で洗うと良い。10%以上の濃度の梅干しでは数年保存はできるが、野菜はどうしていたのか。⚫︎ 古代の堅魚製品の復元 堅魚煎汁を中心として 三舟 隆之/著 中村 絢子/著煮鰹に塩漬けして干したもの、或いは海水で煮て天日干ししたものが「堅魚」。削って酒に浸して旨味を出すのに使われていた可能性はある。⚫︎ 古代における猪肉の加工と保存法 高橋 由夏莉/ほか著煮佛後に塩漬けして5日天日干すと保存が効く。←「図書館の魔女」には「塩漬けした獣肉で出汁を取った雑穀スープ」が出てくるが、そのような使い方は弥生時代からあっても全然おかしくはない。⚫︎古代における「豉」の復元現在の納豆というよりか、寺納豆。グルタミン酸もあり、免疫力も増すことから薬として使われてきた。
2022年01月13日
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「中国の歴史(4)三国志の世界」金文京 講談社学術文庫「中国の歴史」シリーズ4巻目、「三国志演義」を歴史学の側面から検証する本。その方面に関心のある方には、面白いはず。私は「第9章 邪馬台国をめぐる国際関係」のみについて記す。日本や朝鮮半島の考古学からのみ深掘りしてきた私ではあるが、この時代の中国の文献史学の信頼性は無視出来ない。批判的検証を経てどのように弥生時代末期を描いたか?1番大きな検証は以下。「卑弥呼は景初2年に洛陽に来たのか?3年に来たのか?」魏志東夷伝には景初2年(238年)、使者・難升米が6月に朝鮮半島の帯方郡に来て、天使に朝貢したいと申し出たので洛陽に向かわせ、12月に貢ぎ物生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈を献じたとある。コレは考古学界では景初3年の間違いであるというのが定説である。大きな理由は、景初2年6月は魏と戦闘中で帯方郡公孫氏が8月に滅びる直前であり、そんな余裕はなかったというのが大きい。しかし、金文京氏は景初2年であると主張する。読んでみると、非常に説得力がある。たかが1年の違いではない。この一年で、皇帝の代替わりがあった。よって、たかが東夷の小国に、生口10人というみすぼらしい贈り物に対して「鏡100枚」等という破格の待遇を授けた意味合いが、まるきり変わるのである。金文京氏は文献を読んで、景初2年でも無理がないと判断する。そうすると、倭国に対して期待したのは、呉に対する魏の「牽制」だったことがハッキリするのである。つまり、呉国が海を渡って公孫氏を援助させないようにする、呉と倭国との朝貢関係を結ばせない、とさせたのである。それは景初2年でなくては意味がなかった。三国時代は、諸葛亮孔明が期待するように、三国が併立して平和をもたらすものではなかった。どうしたらいち早くTOPになるか、魏としては何としても朝鮮半島を自分のものにして呉国からの挟撃を潰さなくてはならなかった。そのためには、蛮国たる邪馬台国への過剰な接待など当たり前のことだったのである。魏にとり、卑弥呼が凄いから、倭国が凄いから、「親魏倭王」になったわけでは無かった。見方を変えると、まるきり違う世界が見えてくる。つくづく「文字の力」は大きい。炎天下、大汗をかいて山を登り、土を掘り返してやっと掴んだ仮説も、机上の考察ですんなり覆る。以下、完全私の覚えです。完全無視を。とりあえず、勉強になった。・後漢光武帝中元2年(57)正月、「倭の奴国、貢を奉じて朝賀す」・安帝永初元年(107)10月、「倭国王帥升等、生口160人を献じて請見を願う」←因みに、松木武彦氏は帥升を吉備国王と見ている。・155年曹操生まれる。(ー220)・161年劉備生まれる。(ー223)・165年高句麗新大王即位。・167年「この頃卑弥呼即位」と文京氏は書く。ちょっと根拠が不明。誕生としても少し早すぎる。・179高句麗の故国川王即位。・182孫権生まれる。(ー252)・197高句麗山上王即位。王の兄反乱、遼東の公孫度が援助するも失敗。・201扶南大王立つ。・207遼東太守の公孫康が袁氏を斬る。袁氏滅亡。 劉備、諸葛亮を得る。・208 赤壁の戦い・216曹操魏王となる。・220曹操死亡。曹丕皇帝に。・221劉備皇帝に即位。・223孫権黄武の年号をたてる。・227諸葛亮出師表 高句麗の山上王死去、東川王即位。・228遼東の公孫康死去、公孫淵即位。 孫権皇帝に。建業に遷都。 大月王が親魏大月氏王に封ぜられる。・232孫権、遼東に周賀らを派遣。 魏の田豫、遼東を討つも成果なく撤退。 遼東の公孫淵、呉に使節を派遣。 田豫、成山で呉の使節の周賀を斬る、曹植死去。・233孫権は使節を送って公孫淵を燕王に封ず。 12月公孫淵は呉の使者を斬る。魏は公孫淵を楽浪公に封ず。呉の使節の従者、高句麗に至る。 陳寿生まれる。(ー297)・234魏の明帝が親征、呉軍は撤退。 諸葛亮死去。 高句麗王が呉に使節を送り臣従、呉も使節を送る。・236高句麗王が呉の使者を斬り首を魏に送る。・景初元年(237)魏、公孫淵を討つも失敗。公孫淵は燕王を自称、明帝、海船を建造させる。・景初2年(238)1月、司馬懿が遼東を征伐。他将軍が海路、楽浪、帯方郡を攻める。公孫淵は呉に援助を求める。 6月、倭の卑弥呼の使節、難升米ら帯方郡に至る。 8月、遼東の公孫氏滅亡。 12月、明帝重病。この頃、難升米ら洛陽に到着。魏は卑弥呼を親魏倭王とし、鏡などを下賜する。・景初3年(239)1月、明帝死去。曹芳(少帝)が即位。 2月曹爽が実験を握り、司馬懿を太傅に祭り上げ政権から遠ざける。 4月呉国遼東援助部隊が到着、既に時期を逸す。・元始元年(240)3月、帯方郡太守が健中校尉を倭に送る。・241、孫権は四路に分けて魏を攻撃するが、失敗。・243、12月倭の卑弥呼の使節、伊声耆ら洛陽に到着。・246、2月魏の母丘倹、高句麗を攻め、丸都を陥落。高句麗王を粛慎の境界まで追い詰める。・247 王きんが帯方太守となり、張政を倭に送る。 倭に内紛が起こり、卑弥呼は帯方郡に訴える。・248 高句麗東川王死去、中川王即位。・249、この頃卑弥呼死去。壱与が女王になる。 司馬懿がクーデター、曹爽一派を誅殺。 壱与の使節が入貢。・251 司馬懿死去、司馬師が跡を継ぐ。・263 蜀が滅ぶ。・265司馬炎が魏帝を退位、晋武帝として皇帝になる。・266 11月倭の使節が晋に貢物を献ずる。
2022年01月03日
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「図書 2022年1月号」今回から表紙が杉本博司さんになった。見たらわかるように(?)シェイクスピアである。これって、写真なのか?細密画なのか?どうも写真のように見えない。ところが、「表紙解題」で杉本博司さんは、終始写真の話をしている。「私はこの写真を操る技術者として、真を写すとは如何なることかを探求してきた」らしい。とすれば、これは写真の加工品なのか?次回でもう少し詳しい解説を待ちたい。因みに、一般的なシェイクスピア写真よりも遥かに生き生きしている。連載「うすねこやなぎいろ4」で柳広司さんは沖縄問題について語る。2022年は「沖縄本土復帰50年」になる、ということもある。現在満を持して沖縄復帰の「歴史」を小説化しているということもある。それは置いといても、柳広司さんは、この間の沖縄に対する扱いについて終始怒っていた。それは私の怒りともシンクロしている。出来たら全部書き写したいくらいだけど、大迷惑になるので自粛する。是非本屋からくすねて来て読んで欲しい。「北杜夫と躁うつ病とZ旗」高橋徹(精神科医師)という短文を読んで、小学生の頃「さびしい王様」というのんびりした物語を読んだ後に、中学生の時に「楡家の人びと」という暗い話を読んで、「この人、同じ人なんだろうか?」とビックリしたことを思い出した。Z旗とは、躁病時に、長編にかかる時に自分を励ますためにかかげたものらしい。今回遺族から引き取った大量の遺品の中にあったらしい。昔の「さびしい王様」シリーズは、ゆったりとした文字で、かわいい絵がたくさんあった美品の本だったのであるが(続きを自分の小遣いで買ったのでよく覚えている)、検索したら完全絶版でどこにも置いてなかった。「漢字の動物園ln広辞苑4」(円満宇二郎)では、一月、おめでたい動物たちが、選ばれた。曰く、鷹、鶴、亀、鳳凰、麒麟。初夢には鷹は出てこなかったけど、こんな妄想をした。亀の項で発見。亀といえば、甲骨文字。広辞苑によると「亀甲・獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字」らしい。日本は一般的には鹿の骨を焼いて占卜する。でも本来は亀だったのだ。「荘子」には、死んでから3000年(←現代から5500年前!)もの間、大切に祀られ続けている亀が象徴的に言及される話があるらしい。古代でも亀の化石を発見していたことがあったのかもしれない、と円満さんは推測しています。古代からいるからこそ、未来が見えるという考え方は、現代にも通じる。浦島太郎に亀が登場するのは偶然ではなかった。「海のトリトン」にも何百歳という亀が登場するが、最近ナイジェリアで推定年齢344歳の亀が亡くなったらしい。もっとも眉唾モノですが。科学的には亀の平均寿命は100歳ほどらしい。‥‥遠い昔、幼児の頃に既にお爺さんだった亀に、壮年になってまた出会うという「語り(物語)」があった。亀は未来を言い当てていた。それがいろいろ伝わって占卜まで行き、その時メモされた文字が最古の甲骨文字にたどり着いた可能性は十二分にあるだろう。誰か小説にしないかな。
2022年01月02日
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「地球の歩き方 旅の図鑑シリーズ 世界の祝祭」地球の歩き方編集室編人類はハレの日である「祝祭」を、常に年間の節目として生きてきた。此処には約200ほどの全世界の「観光化」された祝祭が、その場所と2022年の開催予定日とを記し、写真と解説によって紹介している。本の性格から、学術的な視点の鋭さはないと想像されるけれども、「あゝこんなのがあるんだ」という発見はある。コロナ禍のもと「歩き方」が生き残るための「旅の図鑑シリーズ」の傑作のひとつだろう。写真・文章の著名は一切無い。これまでの膨大なデータを編集・加工して最新情報を付け加えたものだろう。と推察する。一応行き方は、書いているけれども、かなりアバウトだし、そもそも今年本当にその日に祭が開催される保証はない。それなりに調査して行く必要はあるだろう。日本の祭はこの本では省略されている。欧米はキリスト教、中東圏はイスラム教、東南アジアは仏教と結びついた祭りが多いけれども、その中に見事に冬至、春分、夏至、秋分の季節の移り変わりと、収穫祭の名残が溶け込んでいる。私はやはり、東南アジアの祭りに興味がゆく。バリ島の「ニュピ」(2022年3月13-14日)は、ヒンドゥー暦や古代ジャワ暦による「新年」の祭りである。見事に「悪霊」たちが登場ずる。4月のミャオ族のバレンタインデー「姉妹飯飯」は素敵だし、台湾の有名な旧暦3月23日(4月)の「大甲媽祖巡礼」は一回観てみたい。東南アジアでは4月は多くの場所で二十四節気の清明節のお祭りをする。墓を掃除して、お供えをする。実は、私の村では親戚でもなく村でも無い単位で、氏神様の木の下で毎年当番を決めて掃除とお供えをしている。こういうのを知ると、世界は繋がっていることを感じる。(中国では清明は三連休、台湾、シンガポール、マレーシアでは祝日、沖縄でも年中行事になっている)世界では、宗教と離れて、「英雄」が神になって祭られることがある。フランス・オルレアンではジャンヌ・ダルク祭りがあり、媽祖巡礼もそのひとつだし、キング牧師記念日はアメリカの数少ない祝日になっている。今は名前のない多くの祭りも、もとは英雄たちの行いを忘れないように伝えられてきたのだと私は思う。新年を迎える時季に、世界では民俗的な祭が同様に行われることも興味深い。バリ島の「ニュピ」もそのひとつなのかもしれないが、ルーマニアの「クマ踊り祭り」(12月30日)、アルプス版のナマハゲと言われる「クランプスの行進」(12月5日)、緑の三精霊が新年に福を呼び込むスイスの「シルベスタークロイゼ祭り」(12月31日)、クリスマスも、もとは新年祭だったのだろうと思う。今年もホントにお世話になりました。良いお年をお迎えください。
2021年12月31日
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「幻獣の話」池内紀 講談社学術文庫しっかりとした辞典を選ぶとしたら、「幻獣辞典」(ボルヘス)が河出文庫で出ている。原典に挑むとすれば、「東方見聞録」「山海経」などが手に入りやすい。この薄い文庫本は、それらに向かうための先導役としては打ってつけかもしれない。黄金の国チパングを広めたマルコ・ポーロは、「私はホントに見たんだ」と主張して、ホラ吹きの異名を取った。しかし、今になってみると「樽のような蛇がのし歩いた」「スマトラに棲む一角獣」「犬の顔を持った人間」の正体は、その描写が詳細なだけに容易に推察がつく、ということを実はこの本で初めて知った(答え合わせは本書の一章目を見て)。※コレ、ゼッタイクイズ番組のネタになる。大航海時代が終わって、架空の生き物が「博物誌」から消えるのは18世紀後半らしい。反対に言えば、それまでには、立派な学者が大真面目に架空の生物を論じていたということだ。日本の日光東照宮には霊獣が、種類にして150余、総数約800体、一つの建物を埋め尽くすように刻まれているという。そうか、そういう処だったんだ!突然行きたくなった。鳳凰、龍、麒麟の他に龍馬、猩猩(しょうじょう)、獏、やがて鳴蛇(めいだ)、蜃、息とかかなりマイナーな幻獣のオンパレードである。それらの主な原典は「山海経」。もとは中国古代の地理書ではあるが、やがて百科全書になったという。紀元前3世紀の戦国時代に成立、その後何度も手を加えられた。小野不由美「十二国記シリーズ」のもとになっているのは御承知通り。だから、学者が語らなくなっても語り手はなくならない。幻獣の話は古代の専売特許ではない。現代こそ、うごのたけのこ、の如くウヨウヨと蔓延っている。池内紀さんはロボットもその一つだという。人間はなぜ幻獣を産み出すのだろうか?明確な答えの出ない、この問いを、池内紀さんは絶えず発している。私は、さまざまな答えを用意しながらイメージを宇宙にまで広げている。
2021年12月28日
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「蓑虫放浪」望月昭秀・文 田附勝・写真 国書刊行会蓑虫山人‥‥ 。絵の技術にはムラがあり、立派な人物でもなければ有名でもない。定職にも就かず、各地で人の好意に甘え、勝手に遺跡を発掘し、変な格好をして変な行動をして、ー死に方に立派もなにもないものだがー風呂上がりにのぼせて死んでしまったような人物だ。(28p)何故、こんな人物のために、こんな立派な書物を作ったのか?図版と写真が非常に豊富。雑誌「Discover Japan」連載をまとめた。要は好奇心の塊なのである。旅が好きで、たまたま出会った縄文遺物が好きで、勝手に発掘する中で、明治20年、亀ヶ岡遺跡の最初の紹介者にもなる。あの国宝級の遮光土器(宇宙人の姿をしたヤツ)が出た遺跡である(おそらく蓑虫山人が発掘者)。そういうわけで、縄文時代のフリーペーパーを10数年前から作ってきた望月昭秀さんにしてみれば、他人のようには見えないのだろう。私も、とても親近感が湧いた。幕末、岐阜県の豪農の家に生まれ、家を飛び出し、放浪の人生を送る。池大雅や渡辺崋山、鉄斎などの南画を見様見真似で描いていて、絵日記を残している。俳諧も好きだった。若き日は勤王の志士の真似事?もしている。大ボラ吹きなので眉唾モノなのだけど、西郷隆盛と月照の心中を助けたのは自分だと言っているらしい。でも絶対ウソとも言い切れない。ともかく、現代ユーチューバー顔負けの「やってみよう」精神に溢れている。また、南画の絵はお世辞にも美術品とは言い難いが、味があり、現代流行りのマンガエッセイのように感じる。読んでいくうちに誰でも蓑虫山人を好きになってゆく。不思議な本だ。後書きを読むと、意外にも写真家・田附勝さんの方から企画を持ち出したのだという。放浪して、地方の素封家と仲良くなって、観光地をプロデュースして、博物館を作る夢を生涯持つ。対象者の懐に飛び込むことを常とする写真家の田附さんとしては、なんとなく通じるところがあるのかもしれない。有名ではないけど、無名じゃない。あゝこんな風に人生を送れたら、どんなに良いだろ。
2021年12月28日
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「5アンペア生活をやってみた」斉藤健一郎 岩波ジュニア新書電気契約を60アンペアから最低の5アンペアに切り替えた独身新聞記者の体験記。予想通りキッカケは東日本大震災。被災時は福島県郡山支局員だった。おそらく自分なりにエネルギー問題を考えようという意味で著者は始めたのだろう。それは分かる。でも‥‥著者は5アンペア生活を始める理由をこのように書く。「(原発再稼働)反対の声を上げることは大切なことだろう。でも、〈反対を叫ぶだけで解決策を示さず〉電気をどんどんばんばん消費する生活をこれまで通り続けて良いのだろうか」「(電気の大量消費の)生活を、ぼくたちが享受しているうちは、首相に「君たちが望むから再稼働するんだよ」と言われても〈仕方ないんじゃないか〉」(72p 〈〉を付けたのは私)これには、私は大いなる違和感を覚えた。特に〈〉内の言葉です。もちろん著者は他人に5アンペア生活を強要していません。でも、それでも、この発想自体はダメです。『グレタ ひとりぼっちの挑戦』というドキュメンタリー映画を観ました。彼女は15歳ということもあって、活動を始めて一年もすると、欧州エネルギー会議に招待されるほどになっています。しかし、そこで会議での議長の発言を聴いた彼女はヘッドフォンを外し、もう聞きたくないとジェスチャーするのです。そこでは、ちょっとした水道水の節約提案を得々と話す政治家がいました。議長が5アンペア生活について話しても同じ反応をするでしょう。でも、彼女がそうしたのは、発言者が議長だったからです。彼女はその2年後、国連で結果を出さない政治家を罵倒しました。罵倒する権利が、彼女にはあるからです。18歳の少女でもわかる話です。政治家と市民を同列に論じてはいけません。「解決策を示す責任」を負っているのは、政治家です。同時に、マイ箸運動をやっているから、エネルギー問題に「私は責任を果たした」と考えるのは正解なのでしょうか。環境問題に1番責任を負うのは、政策であり、政治家なのだから、その政治家をチェックする、そのために何ができるか、少しでも近づくことをするのが、市民の責任だと私は思います。著者は東日本大震災での貴重な経験をもとに、完全に原発再稼働反対の意見を持っていた。そういう意見を持っているならば、「(私たちが電気の大量消費をしているしていない関係なく)私たちは原発を望みません」とハッキリ首相に向けて書いた上で、この本を書かなくてはならなかった。ジャーナリストとして彼が出来ることは、マスコミを通じてエネルギー節約生活体験を広げることだと思ったのかもしれません。それは間違っていない。しかし、それと同時に、『(今のところの再稼働政府を許すことになる)間違った認識』を広めてはいけません。ごめんなさい。かなりグダグダと書いてしまいました。どうしても看過できなかった。こういう形で、現状肯定してしまう若者が、あまりにも多いので‥‥。閑話休題。著者の体験は、私にとっても、とても身近なことで、だからこの本を紐解いたのです。私はこの12年間、一切「自前での」クーラーと、暖房機による冷暖房を使っていません。自家用車も同様です。それは12年前に父親の家を相続した時に、一挙に狭苦しく暑苦しい部屋から、風通しよく、密閉した環境に移れて、試してみたら「出来た」からです。それだけであり、エコを考えたからでも、モテたいと思ったからでもありません。実際には、周りから「危ないからやめろ」とか「変わってるね」と言われるのがオチで、正直著者のように良い方に注目されたことは一度もありません。私も褒められたいからしているのではなく、昔はできたんだから当たり前と思っていました。近年はだんだん「チャレンジ」に変わってきています。地球温暖化を肌で感じていて、今年こそもうダメだ、と思うのですが、今年はなんとかやり過ごせました(扇風機は使うようになりました)。著者が言うように、30度を超えると扇風機無しではとてもやってはいけません。10年前までは、それでも10時過ぎて朝までは30度を切っていたのですが、近年は午前3時ごろまで落ちないようになってきました。著者は今でも5アンペア生活を続けていられているのでしょうか。以下参考にできること。と参考数値。・シャワー浴びて、扇風機に当たると、一挙に身体を冷やす・布団にゴザを敷いて寝ると快適・湯たんぽよりも、豆炭あんかの方が、24時間燃え続けるし、高くない(本体3000円、豆炭240個1200円)。参考までに一般的な家庭での使用量を紹介すると、電気の場合、月の標準使用量は290キロワット時(東京電力)です。ガスは32立法メートル(東京ガス)。水道・下水道は1人世帯で8立法メートル、3人世帯で21立法メートル(東京都水道局)です。(14p)扇風機 「強」でも0.6アンペア 省エネのエース洗濯機 脱水の時に最高4アンペア冷蔵庫 0.8から2アンペアノートパソコン 立ち上げ1 あとは0.6アンペア液晶テレビ 2.6アンペア熱くなる家電は一様に5アンペア以上に。家電の墓場へ。著者は2年後に、2キロワット時(190円)の使用量へ。太陽光発電さえ始めているからね。因みに、私の月使用量は71キロワット(11月)。斉藤さんの始める前のクーラー使わない10月は、以前は90キロワットで、5アンペア始めて最初の月は40キロワットになったそうだ。以前のクーラー使う7月は133キロワット。まぁ、私の使い方はかなりビミョーな使い方ですね。本書は12月1週のmomchapさんのレビューを読んで知った。
2021年12月22日
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「PUBLIC HACK 私的に自由にまちを使う」笹尾和宏 学芸出版社「ビッグイシュー418号」を読んで紐解く。路上ライブやストリートダンスや大道芸などがどんどん規制されていて、私たちは決められたところでしかそういうことは出来ないと思い込んでいないか?公共空間は、工夫さえすれば、実は「私的に自由に使う」ことができる空間である。水辺でランチ、チェアを持ってビール缶を飲む、川が見える場所でBAR、くにたち0円ショップ、アーバンスペースディスコ、ストリートダンス、外朝ごはん、公園で寝袋野宿、芝生の上で映写機とスクリーン使って映画会、河川敷でカラオケ、路上ライブ‥‥これらは全部届け無しで利用可能です。やって良いこと、悪いこと、をどのように見極めていくか。法律は道路法、道路交通法、都市公園法、河川法などがあります。自治体ごとに違うので、確認する必要があります。詳しくは読んでもらうとして、法律をどう読み解くかが大切です。「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに置いてはならない」→裏を返せば、通行の邪魔にならないスペースであれば、テーブルを置くことは禁止されていないこと。「場所を移動せずに露店や屋台を設置する場合をはじめ、道路の交通に支障が出る行為には許可が必要」→ビッグイシューのような手売りや、車両を用いた販売形態など、ただちに移動可能な用意で露店すれば許可は不要。(都市公園法)「占有行為には許可が必要」→私的な個人使用、グループ使用とみなせる内容(規模・時間)の行為(=自由使用)であれば許可不要。ただ、やはりというか、「通報される」と、警察は法律度外視して止めにかかってくるそうです。そうならないための対処法も書いています。法律は時代と共に変わります。公園でのボール遊び禁止、渋谷区でのハロウィン期間中の路上飲み禁止は、昔はありませんでした。自分で自分の首を絞めない。自分で禁止を作らない、ことが大切ですね。また、著者は公共空間の使い方のノウハウだけを述べているわけではなく、使うことはどういう意味を持つのか、きちんと提案している。また、自治体の先進的な取り組みも紹介している。やってみる、そのことが大切。路上ライブも、本来ダメだけど通報されたら禁止するというところも有れば、単に見つけるだけならば声かけて終わるところもある。法律が何を求めるているか、を踏まえての対応なので素晴らしいと思う。花見じゃなくても、気を向いた時に仲間を誘って「水辺ダイナー」なんて、気軽にできたら良いなぁと思う。
2021年12月21日
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「中流の復興」小田実 NHK出版2007年7月30日、小田実が亡くなった。その前日は、参議院選挙で第一次安倍内閣が歴史的大敗を喫した日だった。他所は知らず、私の周りの巷では「小田実さんは、この結果を聴いて笑顔で旅立ったに違いない」と噂した。実際この1か月後に安倍首相は突然辞任し、改憲策動はしばらくは大きく後退するのである。2021年、安倍院政が始まった。来年の参院選は、安倍元首相にとっては15年ぶりのリベンジの改憲を問う選挙になる。という時点で、小田実の最期の声を聴きたくなった。既に後書きを書くとき(2007年4月)には癌は進んでいて自らの死を覚悟していた。「生きている限り、お元気で」と結んでいる。この遺言とも言える書物で、小田実は「小さな人間」として発言し、「小さな人間」の為に終始話をしている。ハッと気がついたことが多い。「被害者であるのにもかかわらず加害者になる」のではなくて「被害者であるからこそ加害者になる」。(21p)←実際に戦争をするのは私たち小さな人間です。アメリカ兵は加害者として生まれてきたわけではなかった。その前に戦争に駆り出された被害者だった。だからこそ、被害者=加害者になる。私たちは軍隊とは違う論理、原理で、違う次元に立ってモノを考える必要がある。台湾海峡に危機があるから基地や兵器が必要なのではない。論理を変える。「こうしたことの基本にあるのは、日米安全保障条約という軍事条約です。(略)日米関係は、軍事条約を中心にした内容で、日米平和友好条約というものは現在も存在しないんですね。それなら、日米平和友好条約をつくって、その上で防衛の問題があるんだったらそこで討議しようじゃないか、と考えていけばいい」(23p)←「(日米関係は)既に友好条約を結んでいるのと同じようなものだから必要ない」と反論が来るかもしれませんが、私は全然違うと思います。日本国憲法に「軍」を書き込めば、大きく憲法の論理が変わるように、日米に「平和友好」を書き込めば、その日から日米地位協定の見直しは必須になり、何十年も作られる見込みさえ立たない辺野古基地建設は直ぐに見直されるだろう。だからこそ、自民党は決してこんなことは言い出さない。むしろ真の軍事条約にしようと改憲を狙っている。平和友好条約を言い出す政府を作ることが大切です。「虫の視点」「大きな構想」「市民立法」「平和経済」「小国・日本」「日本文化は女々しい」など、小田実独自の表現で、最後の数年間の市民運動を総括している。その思想の全体像の紹介は勿論出来ない。私は、死亡の3ヶ月前にも関わらず、最後の最後までフィリピンの残酷な人権侵害に対して「後書き」のほとんどを使って精力的に、まさに命を削って裁判のスポークスマンになろうとしている小田実を見ただろう。市民運動とは、正にこの人がやってきたことを云うのだと思う。
2021年12月20日
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「ザ・ビッグイシュー 第420号」(2021年12月1日発行)表紙は若かりし日のクィーンの写真。スペシャルインタビューは、72歳になったドラムのロジャー・テイラー。フレディとの関係も、「ボヘミアン・ラプソディ」のことも、全て前向きに語っているのが印象的。特集は「戦争を克服する」。科学者池内了さんが、対談をこなし、特別寄稿をしている。特に人文科学を代表して藤原辰史さん(食の思想史)との対談が面白かった。・私たちはまだ、過去の戦争で経験した、スペルタクル的に遂行される旧態依然とした総力戦に引き摺られている‥‥(藤原辰史)←電磁波攻撃(サイバー攻撃)によって、その国のコンピュータや電気製品が無力化すれば何が起きるか?尖閣問題のためにミサイル基地や100億もする戦闘機を買うことの馬鹿らしさ。また、遺伝子組み換えをして環境を破壊することも可能になる。この時に必要なのは、軍事力ではなくて、外交力だろう。←そのために「芸術で街をいっぱいにして、ピカソで国を守ろう」と言う池内了さんの主張が、現実的な選択肢になる。その他では、・とうとうドイツ新政権で最賃が1500円以上(12ユーロ)になることが合意されたというニュース(2015年には8.5ユーロだったのに!)。日本といろいろ比較されることが多いドイツで、こういうことになっていることは大きい。もっとも、実現はこれから。860万人に影響するこの改定を現実化しなくてはならない。日本は1000円までが、まだまだ遠い。岡山に至っては、やっと861円だ。・濱口竜介監督の「偶然と想像」の記事。「偶然をとらえることで、かけがえのない時間を記録することができる」。俳優の偶然の演技に注目。「あまりにもシステマティックになると、人に関心を払わなくても物事が進んでゆく傾向にありますが、人がおざなりにされて仕舞う状態の中では人はあまり幸せではないと思うんです」
2021年12月17日
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「カレンの台所」滝沢カレン サンクチュアリ出版 9月に本書が大賞を獲り、直前までドッキリを疑っていた滝沢カレンがホントに獲ったのだと確信して号泣したという記事を読んで、予約した。3か月かかった。レシピ本大賞をとるだけあって、とっても新鮮な刺激をくれる本だった。 レシピ本の定型を外し、文、イラスト、完成写真で構成され、文は「撮影現場でそのまま書き、言葉が沸き上がっているさま」がそのまま本になったらしい。分量表示は一切無い。その面白さは、ひとつの料理をピックアップして此処に紹介すれば忽ち理解されるのだけど、いかんせん、レビューが長くなりすぎる。 不思議なことに、「ほぼほぼ」失敗なく作れそうだという文章になっている。そもそも、自分がつくる毎日の料理は一切分量を計らないわけだから、ホントに料理が好きな滝沢カレンがいつもの感じで作ってゆけば、美味しいものが出来て当たり前なのだろう。 コロナ禍で、手軽で時短料理が求められてきたトレンドが変化したらしい。「いつもはしないけど、ちょっと料理してみようかしら。でもハードルは低い方がいい」。という初心者が、おそらくターゲット。 「一体いつまでたったら仲良くなれるんだかというほど、毎回泣かせにかかる玉ねぎのみじん切り」、(中華丼の具は)「まぁこんくらいで口に運びたいなと「個人差♪個人差♪」とつぶやきながら切っていただいたらいいと思います」と、とってもイメージ湧く描き方。少し手間はかかるし、(100g 100円以上の肉は買わないという信条を持つ)私にはハードルの高い肉がしょっちゅう出てくるけど(←この基準は書いてみてちょっと異常だと気がついた)、「サバの味噌煮」「中華丼」「しゅうまい」「肉じゃが」「ドレスオムライス」など、作ってみたい。いつも今日は作るぞーと一日中思っていたのに、直前5分でやはりテレビが始まるから野菜炒めでいいや、と心変わりしてきた日々にサヨナラ‥‥できるかな。
2021年12月14日
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「きのう何食べた? シロさんの簡単レシピ2」講談社・編 映画観ました。テレビの延長を見てもなぁ、と思っていたのだけど、なかなかでした。大画面で2人のやり取りを見ていると、言葉にしていない想いがどんどん伝わってきて、日本を代表するLGBT映画になったと思う。というわけで、公式ガイド&レシピを見た。 単なるレシピ本かと思っていたら違いました。半分は、西島秀俊×内野聖陽×よしながふみ、のスペシャル鼎談(ていだん)を中心にした映画ガイドだったんです。それは、それで嬉しかった。 映画館も圧倒的におばさん比率が高かったけど、本書の中身も圧倒的にイケメン写真の掲載率が高い(あ、そもそも登場人物の8割はイケメンだった)。本作品は男性誌に掲載されているのに、ホントに読まれている層は違うのだな、と認識した。でもこれが逆転しないと、世の中変わらない気がする。 鼎談でピックアップしたいのは、映画中料理で最も印象に残った料理は、2人とも声を揃えて キャラメルりんごのトースト! とさけんだところ。映画では2人とも素のリアクションをしているそうです。「うわっ、これおいしい!」(西島秀俊)「これまでいろいろなものを食べてきましたが、人生のベスト10に入りそうな勢いです!」(内野聖陽) ‥‥ということで、此処に掲載している様々なレシピはMyレシピに取り込んでおくことにして、キャラメルりんごのトーストのみ、此処に書き写します(←親切でしょ)因みに、表紙は高級魚が手に入って作ったアクアパッツァ。 材料 りんご‥‥4個 砂糖‥‥150g トースト‥‥2枚 バター‥‥適量 バニラアイス‥‥適宜 シナモンパウダー‥‥適宜 りんごは皮をむかずに芯を取って、薄いくし形に切っておく。大きい鍋に砂糖を入れ、中火でキャラメル色になるまで焦がす。水は不要。 かなり焦げ茶色に焦げてくるまで辛抱してからりんごを入れて、木べらで返しながらりんごの水分で炒め煮する。 りんごを入れる際、キャラメルがはねるので気をつけて。 弱火にし、時々蓋をあけてりんごを返しながらじっくり火を入れて、くったりと全体がキャラメル色に煮詰まったら火を止める。 タッパーか瓶に入れて冷蔵庫で保存。 食べる時には、トーストにバターを塗って、レンジで温めて直したりんごのキャラメル煮をのっける。 お好みでバニラアイスをのせて、シナモンパウダーをふる。 (シロさんのワンポイントアドバイス) 保存性は落ちるが、りんご4個に対して砂糖は100gぐらいまで減らせる。砂糖は濃い茶色になるまで焦がした方が、キャラメルの風味がよく出ておいしい。
2021年12月14日
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「バカ売れPOPが面白いほど書ける本」中山マコト 中経出版 別にPOPを作るために読み始めたわけではない。毎月作っているミニコミ新聞の、毎月作成時間の半分をかける割り付けの、その1/3から1/2の時間を占める「見出し」のために、もっと効率的に効果があり、時間短縮になるヒントがないかと、紐解いたのである。 だから、スーパーで売らんがための細かい技術はサラッと流す。 結局ここで言っているPOPの真髄は、この本の表紙にあるのだろう。 この長たらしい題名をそのまま載せるのではなく、中心に大文字、2色強調、太文字フォントで「バカ売れPOP」と書いている。「バカ売れ」文句は中山マコトの創作専売特許のようだ。 何の目的のために どういう文句で 何を強調して 何処に持ってゆくか 「パッと見て」「オッと思わせ」「ピンときて買う」 そのためには10の法則があるという(使えそうなのは⚫︎印しています)。 ・書き写す ⚫︎ストーリーで落とす「40ヵ国のハチミツ食べ歩きました」 ⚫︎トレンドキーワードで落とす「号外!特売セール実施!」「有名人の名前」 ⚫︎数字で落とす「おつりの額」「記号♨︎」 ⚫︎生の声を使う「顔と名前」 ・蘊蓄で落とす ⚫︎商品に自ら語らせる「吹き出し」 ・用途から発想する ・ネガティブな言葉を使いこなす ⚫︎見慣れない文章で落とす「パソコン文字風 コンニチハ。オイシクナリマシタ」
2021年12月08日
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「図書 2021年12月号」 さて、何時も私に謎解きをくれていた司修さんの表紙は今回が最後。最後までさっぱり予想がつかない「物語」を内包していた。ちなみに今回の表紙解説の題は「「四月バカ」という証明カード」でした。 最後といえば、毎回私にインスピレーションをくれた畑中章宏さんの「らしさ」についての考察は今回で最終になった。最終回は「日本らしさ」。オリンピック解説者の言葉に始まり、志賀重昂、柳田國男、坂口安吾、ブルーノ・タウト、宮本常一の言葉を紹介しながら、民俗は「日本らしさ」に抗しながらも、呪縛されていっていることを明らかにする。それはここ数年のオリンピックにおけるテレビ番組の「日本万歳」論調に、私たちが日々感じていることでもある。民俗学は、それらのことを一定整理して答えに導くことが仕事のはずだけど、「日本らしさ」だけは、あまりにも荷が重すぎるのか(そもそも私自身が40年間答えを求め続けている気がする)、論が散漫になっていた。 「人物から見た世界歴史(2)」では、冨谷至さんが「韓非子」を取り上げて、現代の質問者らしき人がどうしたら理想的な政治ができるか、問うていた。主には法治主義を主張する韓非子。4ページにわたり彼の哲学のやさしい解説になっているのですが、1番解説して欲しいことをたった4行で済ませていたのはいただけない。即ち、 ‥‥ただ、かかる過程で(韓非子の説に)欠落していったもの、それは個別の人間の固有の独立性、後の時代にいう「人権」であった。 円満宇二郎さんの「漢字の動物園(3)」は、冬の鳥。鳥の漢字は難しいモノが多い。白鳥。難しい漢字の別名は検索しても出てこなかった。鴨はわかる。なんとアヒルは真鴨を家畜化したものらしい。「家鴨」と書くのである。さて、難しい漢字の筆頭は「鷦鷯」。冬の季語として有名らしい。読める人は手を挙げて!いや、私も知りません。別名「ショウリョウ(漢字が登録されていない)」。成句に「ショウリョウ林に巣くうも一枝に過ぎず」がある。「鷦鷯が林の中に巣をかけても必要なのは一枝だけである」転じて「人は皆、その定まった分に応じて満足する心がなければいけない」となる。「荘子」より。それだけ小さな鳥なのだそうだ。因みに、鷦鷯は「ミソサザイ」と読む。 長くなりました。自分の覚えのために書いているので、飛ばし読み全然OKです。
2021年12月05日
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「世界ピクト図鑑」児山啓一 ビー・エヌ・エヌ出版 著者もまさかオリンピック開会式でピクトグラムがあそこまで注目されるとは予想していなかったろうが(21.8.15発行)、時期に合った出版です。 あるようでなかった図鑑。著者の最大の趣味は、街歩きや空港待ち時間でのピクト採取らしい。よって、同行の妻や仕事仲間からは「つまんないやつ」という評価らしい。でもお陰で、ざっと数えること1200~300の世界のピクトが一堂に会することになりました。いやあ趣味です。男の趣味です。いつか、マツコの番組に出てほしい(いや、もしかしてもう出てる?)。私も旅の時にはマンホール写真を撮るのを常にしていたのだけど、外国はその愉しみがないんですよね。ピクト集めを趣味にしようと決心しました。 序章ではピクトの歴史を概説。起源はヒエログリフ=象形文字、楔形文字、中国の甲骨文字と言われるけど、ピクト形象は一挙に近代から始まる。1920年オーストラリアの社会学者オットー・ノイラートが発案したアイソタイプ(ISOTYPE)と言われています。その後、国際基準は主にISOとUICの流れに分かれます。しかし残念ながら厳密な国際基準はできていない。反対に言えば、お国柄で少しずつ違いがあります。形が同じでも色が違う。構図が同じでも、絵が違うなどなど。だからこそ面白い。 例えばお国柄。礼拝堂のピクトがあるのは、やはり空港に多い。ジャカルタ、チューリッヒ、香港、ロンドン。イスリム用だけではなくて、ローマにはカトリック用もある。 例えばゴミ箱。分類用ゴミ箱は、多くは紙、プラスチック、金属に分かれ、色は派手さがあって色々。 例えば横断歩道や歩行者道路。これはお国柄が最も表れている。誰を渡らせるか(学童か大人か)、どういう格好か帽子や髪の形等々で様々。しかも、当初紳士と女の子が歩いていた歩行者専用道路は、やがて宇宙人みたいな抽象化に向かったりする。歴史もあるのです。 お国柄でいうと、表紙の右上端にあるピクトはわかるだろうか?サンフランシスコです。当初私は、サーフィン可能地域かと思っていました。なんとコレは「津波避難」のピクトなのです。 私の最も行く韓国のピクトで私も覚えがあったのは、地下鉄の優先席。妊婦、障害者、赤ちゃんを抱いた女性がよくわかるようにいつも特等席を用意していた。誤って座って、物凄く怒られたことがある。通訳案内のピクトがあることを初めて知りました。売店や靴磨きもボランティアでやっているのだそう。今度尋ねてみよう。
2021年11月25日
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「コケはなぜに美しい」大石善隆 NHK出版新書 私はこのコケの本を手に入れるまでに約10年以上の月日をかけている。ずっと苔のことが気になっていた。常に私たちの身の回りに居るのに、どの種ひとつも、名前さえ知らない苔たち。古代からどのように生きてきて、今どのように生きているのか、それさえも知らない。それなのに時々ハッとするような美しさを見せる。 図鑑を手に入れて、その名前ぐらいは知らなくてはならない。でも、それはかなり難しいのではないか?と思ってきた。一度展示会場で見たけど、何処がどう違ってこの種になったのか、さっぱりわからなかった。机上の学習では心許ない。かと言って重たい図鑑を持って外を歩き回るほどの時間は持てない。と思いながら10年が過ぎた。 一念発起。やっとキッカケとなる本を手に入れた。入門編の記述が豊富で、入門図鑑になりそうな本書が、電子書籍で安く手に入ったのである。 序章は苔の歴史。後は、都市、庭園、農村、里山、高山に分けての美しい写真を交えながらの代表的な苔の解説。これだとスマホ片手に、都市、庭園、農村までは直ぐに確認出来そう。 苔愛好者には悩みがあるそうだ。 苔観察は、普通の道で立ち止まり、こそこそ塀や街樹を見たり、しゃがんだりする。明らかに不審者である。それを避けるための動作が更に不審者ぽくなる。 更には、半日のコケ観察会で数メートルしか移動しなかったことは「あるある」だそうだ。 こういうマイナーな苔の立ち位置は、長年の遺跡愛好者の私には既視感ある立ち位置で、好感を持った。やはりお付き合いしたい。 ホモ・サピエンスの歴史は20万年しかないが、苔の歴史は藻類が進化して誕生したと言われる。4億5千万年前である。約2250倍もの差がある。この可憐な小さな生命が、そんなにも大先輩で、そんなにも長い間の風雪に耐えているかと思うと、光り輝いて見える。 苔に、諸星大二郎「生物都市」のような集団意識があったならば、地球の数億年の歴史はどう見えるんだろうか。 実は、本書を手に入れて約4ヶ月。何度か市中観察を敢行したのであるが、確信を持ってお名前が判明した苔はいない。なぜならば、まだルーペなどないので、細かい観察が出来ないことと、いくつかの苔は胞子を見ないことには見分けがつかないからである。 苔は、大型植物の「雑草」と競争したら負けは決まっている。それではどうするか。重要な戦略は、雑草が芽吹く前に芽吹くのである。立春(2月初め)が、苔の勢力拡大の時期らしい。その時に、私はさまざまな苔の名前を知ることになるだろう。 そうは言っても、名前判明の目星は付いている。 街の中で、コンクリートの隙間にモコモコと生えているのはホソウリゴケ。その他コンクリートにはハマキゴケ、ヘラハネジレゴケがいる。白い苔はギンゴケだろう。荒れ地にぽつんぽつんと生えてゆくのはヒョウタンゴケ。かもしれない。 街路樹に生えるのは、ヒナノハイゴケ、コゴメゴケ、コモチイトゴケなどがいる。 庭の中の代表選手は、ウマスギゴケである。春から初夏に雄株と雌株の胞子体の違いが顕著になるので、楽しみ。それを侵食してゆく背の低いコケはハイゴケだろう。暗がりにいるのはオオスギゴケの可能性が高い。農村にもいる、晩冬から芽吹くのはコバンチョウゴケかもしれない。 早く君の名を聞いて、本格的なお付き合いをしたいと思っている。
2021年11月24日
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「美しき小さな雑草の花図鑑」大作晃一・写真 多田多恵子・文 山と渓谷社 「雑草という名前の植物はない」と言ったのは、先先代の天皇だが、雑草専門の図鑑というのは、ましてや総てカラー写真の図鑑は、寡聞にして私は見たことがなかった。もちろん「野の花図鑑」ならば、ネジバナも露草もスミレも、タンポポも踊子草も必ず載っている。しかしながら、日々目にして、それでも何十年も名前も正体も知らずに、我が庭に堂々と蔓延(はびこ)っている黄色や紫色の「ちょっと見には綺麗な」花は、今まで2冊ほど野の花図鑑を持っていたのだが、遂には分からなかった。大きな図鑑を紐解けばわかったのかもしれないが、その頃は写真を撮って調べに行くほどの気力もツールもなかったのである。 実は、2年半前に「山と渓谷社」がキャンペーンでprime reading に本書を下ろしてくれていた(今は外れている)。私は勇躍して直ぐにダウンロードしたのである(日常図鑑は電子書籍が圧倒的に便利)。そしたら、想定以上に綺麗な図鑑だった。バックを真っ暗にすることで、花の形や色が、くっきり写っている。ただダウンロードしてわかったのは、花の種類が150種弱しか扱っていないのである。もちろんカタバミ、大イヌフグリ、屁糞葛、葛、等々有名な草花もたくさん入っている。良いところは園芸種や山野草を掲載してなく街中で目にする「雑草」に特化してセレクトしていることなのだが、ちょっと気持ちが削がれて、これをもって散歩に行く時間がなくなり、そのままになっていた。 今年、我が家の庭は大きく荒れた(今年だけではないか‥‥)。少し以上に大きくなった雑草を抜くのが遅くなった。そしたら、つくわつくわひっつき虫が。私は勘違いしていたのだ。 「おや、この花は萩の花ではないか。いつのまに種がきたのだろう。萩の花は万葉集で最も扱われている花で、小さいけれど風情があるなあ‥‥」大間違いだった。私は初めて「雑草の花図鑑」を紐解いた。実もちゃんと載っている。間違いようがない。 「荒れ地盗人萩(あれちぬすびとはぎ)」でした。何が万葉集か!!外来種ではないか!しかも、このひっつき虫、一つの実は5連ぐらい連なっていて、くっつくと一つ一つが分かれ、しかも普通の虫よりもさらにひつこく、普通にはたいたぐらいでは少しも落ちない。しかも、本格に雑草切り(大きくなると、ちょっと抜けなくなる)をしたら、全身に無数にくっつくのである。「荒れ地盗人萩‥‥」絶対に名前を忘れないぞ! また、可憐に小さな黄色い花も同時に咲いている。よくみると筒状の黄色い花がブーケのように集まっている。ところが、花の季節が終わると、茶色く花火ように実が成り出した。この茶色い花びらの閃光の一つ一つがひっつき虫である。花は無数になっていたので、これとも格闘しなければならない。 「小栴檀草(こせんだんぐさ)」である。熱帯アメリカからやってきた。お前の名前、覚えたぞ! あといくつかの憎らしい雑草の名前もわかってきた。 それから、初夏にいつも庭の片隅で、ひっそりと紫の六弁の花を咲かせ、ひっそりといなくなる花の名前もやっと判明した。「庭石菖(にわせきしょう)」という。君の名前も忘れないようにしよう。
2021年11月23日
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「東大式時間術」布施川天馬 扶桑社ブックス フォローしているレビュアーの「夏に出たばかりなのに、Kindleで1/3の499円になっていた」との情報についポチッとやってしまった私です。ええ、期間限定安売りに弱い私です(^ ^;)。 実は、Kindleでマンガとか短編小説とか雑誌とかは読んできたけど、学術書(?)は初めて。良いアプリではないか。マーカーした部分は、長文でも全部一覧で読めるし、コピーさえできる。滅多に、欲しい本が安くならないのが玉に瑕ではあるが、これからはちょっと注目してゆこう。 本書自体は、他の人も指摘しているのだけど、他の時間管理術と比較してあまり目新しい事は書いていない。それでも、自分に参考になる所が無いはずはないのであって、マークしたところを一覧として置いておけば時々見返して自戒できる。 著者のプロフィールは「1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれ、幼少期から貧しい生活を余儀なくされる。大学進学を考えたときに金銭的な事情や地理的な事情から、無理なく進学可能な大学が東京大学のみに絞られたため、東大進学を志すようになる。高校三年生まで吹奏楽部の活動や生徒会長としての活動をこなすが、自主学習の習慣をほぼつけないままに受験生となってしまう。金銭的余裕がなかったため、オリジナルの「お金も時間も節約する勉強法」を編み出し、一浪の末、東大合格を果たす。」というものだそうだ(コピーしました)。 なかなか今時の若者の真面目なレビューは読めないでいたけど、彼はマンガ「約束のネバーランド」「進撃の巨人」を「こういう風に読めば役に立つ」と勧めている。曰く「クリティカルシンキングの見本」「日本では扱いにくい民族差別問題を考えることができる」のだそう。「人狼ゲーム」も「思考による情報整理と、人を納得させるための論理構成力や話術などが鍛えられるゲーム」と評価している。ゲームは知らないけど、マンガは実に正当な読み方をしていて、日本の未来は明るいのかな、と少し思えたのである。
2021年11月18日
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「諸星大二郎の世界」コロナブックス 平凡社 漫画家のムック本に興味を持ったので、大好きな諸星大二郎を紐解いた。2016年発行。極めてオーソドックスな構成。大きな特徴は真ん中にひっそりと挟まれていた。 前半は、諸星作品を「古代」「民俗」「東洋」「南方」「西洋」「日常」に分けて、有名作品の原画を配し、そこに有名評者の短評を載せている。特に松木武彦(古代)と畑中章宏(民俗)の2人の評は、私がファンということもあって学ぶこと多かった。終わりは、山岸涼子対談、略年譜、主要作品解説、全335作品初出誌&単行本データと普通の構成ではある。 そして、真ん中に諸星大二郎が育った町、東京都本木町の再訪記が載っている。特別なことは書かれていない。普通の下町であり、今はほとんど面影もない。通っていた小学校は卒業直後に火事で木造校舎が焼けたそうだ。だから「ぼくとフリオと校庭で」はあんなに郷愁に満ちていたのか?「95の質問」で東京で1番好きな所と書いた「(お化け煙突が見える)荒川土手」も歩いたようだ。それを含めて、60年代の帝国書院地図が載っていた。まだ田んぼが多く、紡績工場跡もある。一度この地図を基に、西新井駅経由、大師前で降りて、大師の山門の仁王像を眺め、興野神社に寄り(作者家宅跡は分からないだろうから諦めて)本木小学校は寄り、最後に荒川土手に出てみたい。諸星大二郎に決定的な影響を与えた景色かどうかは、行ってみないとわからない。 もう一つ圧巻だったのは、仕事部屋の本棚を、写真だけでなく、活字の資料として、1000冊近く、すべて一覧にしてくれていたことである。畑中章宏さんが取材しているのだが、「まるで学者の書斎か研究室を見るようである。考古・民俗・歴史・宗教・美術・日本・東洋、西洋まで広範囲にわたるこの書棚の主は、本の配列を十分に記憶し、必要な本を、すぐに取り出すことができるだろう」と述べる。ざーと眺めただけでもくらくらした。一冊たりとも、簡単に手に入れたり、簡単に読み通せる本は置いていなかった。
2021年11月16日
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「ザ・ビッグイシュー vol.418」2021年11月1日号 表紙は「スタートレック」ではない。40年ぶりに再結成した「アバ」である。それは置いとて‥‥。 特集「公共 遊 間」のリード文は以下。 木漏れ日が心地よい日、公園や広場に腰を下ろし、ぼーっとしたい気分になりませんか。 「用がないなら、外に出よう」と誘うのは、笹尾和宏さん(水辺のまち再生プロジェクト)。笹尾さんは「私的に自由にまちを使う」PUBLIC HACK(パブリックハック)を呼びかけます。そぞろ歩き、外朝ごはん、公園でディナー……。公共空間の「独り占め」はダメですが「勝手に使うことは何も悪くない。まずやってみることが大事、一度やってみれば、適切な形にチューニングできる」と話します。 ステイ・アウトサイドの達人たち。くにたち0円ショップ(鶴見済さん・はらだゆきこさん)、東京ピクニッククラブ(太田浩史さん・伊藤香織さん)、日本チェアリング協会(伊藤雄一さん)にも取材。野宿を楽しむ、かとうちあきさん、広場「グランドプラザ」について山下裕子さんから、それぞれエッセイが届きました。 外気や自然を感じながら、あなた自身の自由を楽しみませんか。 特に笹尾和宏さんの「PUBLIC HACK」のお勧めは面白かった。実践はかなり微妙だけど、経験して行く中で、例えば岡山市の柳川の歩道の空きスペースで「ディナー」を開くことは可能かもしれないと、思うようになった。本を紐解いてみたい。 くにたち0円ショップもかなり魅力的だ。ツイッターをフォローしてみた。 対テロ戦争に参戦した元海兵隊員に取材した大矢英代さんの記事を読んだ。 「死者93万人、総額8兆ドル(約900兆円)」という20年間で、対テロ戦争で犠牲になった人の数と税金を、他に使っていたらどんなことができたろう?この問題意識は、元海兵隊員の想いであり、大矢英代さんの想いであり、私たちの想いでもある。 相変わらず、わかりやすい文章を書いていた。
2021年11月13日
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「文藝別冊 萩尾望都」河出書房新社 内容が特別なのを最近知って、思い切って買ってしまった。買って良かった。思う存分色ボールペンを引けた。ムック本では異例だと思うが、2010年発行、2016年で15刷を数えている。 特別とは何か。 一万字ロングインタビュー、てばてつや、安彦良和、青池保子、羽海野チカ、永井豪、里中満智子、山岸涼子、小松左京、恩田睦、三浦しをんなどの、心のこもった漫画家生活40周年記念のマンガ手紙や寄稿、そして幻の短編作品3つと、デビュー作、デビュー前の未完成初期作品2つももちろん凄い。凄いが‥‥ それよりも決めてとなったのは、両親と姉と妹の家族インタビューがあったことである。ご存知のように、萩尾望都作品は、親からの抑圧を作品として昇華することで結晶化されてきた。「残酷な神が支配する」なんて、「メッシュ」なんて読むと、特にお父さん(現在は故人)はどんなに酷い親なのか、と想像していた。いや実際には漫画家として(我々としては)大成功しているのに80年ごろまで「仕事を辞めろ」とずっと言われ続けていたわけだから、事実としてかなり酷い親なのではある。 それで、両親のインタビューを読むとちょっと空気が違う。望都の名前からして二つも三つも意味がある。おいおい、私の親は私の名前由来でこんなに語れないぞ。そして父親は家庭では「もとこ」母親は「もーちゃん」と呼んでいるから調子が狂う。普通は母親が子供の頃の思い出を詳細に語るのは普通だ。ところが、古い九州男児の父親が異様に望都の子供の頃のエピソードを語る。曰く「(ボロ長屋に住んでいた頃、床に穴が開いていたので)その穴からカエルが時々顔を出すのです。もとこは、それを飽きもせず長い間、じっと眺めていました。もっとも、もとこはそれをカエルではなく、亀だと思っていたようですがね」等々、娘のことをよく観察している。もちろん、娘の才能を理解しきれない、等々いろいろ問題はあるのだけど、愛情いっぱいに育てたことは確かだろうと感じたのである。 結局、傑作の出来不出来は環境のせいではなくて、その人の才能(努力)なのだろう。両親や姉妹の証言を読んでも、幼年から萩尾望都の絵の才能は抜きん出ていたんだな、と改めて思った。 萩尾望都の仕事部屋や本棚、盟友・城章子マネージャーのインタビューなど、他にも貴重な記録が多くあった。
2021年11月11日
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「移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議」高野秀行 講談社文庫 高野秀行さんの本を読んだのはこれで10冊目。高野ファンを公言して3年。早くあと10冊(著書の約2/3)は読みたい。それでだいたいその人の全貌がわかると私は思っている。本書は高野秀行の「視野と方向性」がわかる好著だった。 東日本大震災の直前、高野さんは日本に207万人もいるという在日外国人の「ふつうの姿」を知ろうと、食事風景の取材を始める。それまでの約20数年間、高野さんはアジアや各地の辺鄙な場所に行っては冒険と地域の人々と交流をしてきた。普通の姿を知るならば、食べているところが1番である、と私も旅をして覚えがある。その時に人は他所行きの服を脱ぐのである。ただし、高野さんには他人には無い能力がある。それまでに培ってきた人の懐に飛び込む会話術と語学力、そしてアジア新聞役員だったときの情報収集力である。 雑誌の連載ということもあって、本来なら深掘りするべき発言や行動もサラッと流してはいるが、重要な一言も食べながら聴けたようだ。 高野さんと一緒に、私も様々な外国の「ふつうの姿」に出会ってゆく。 以下、気に入ったところ。気になったところ。 (ぐだぐだと長くなっています。想いがあっち行ったりこっち行ったりして、上手くまとまらなかった) ⚫︎イランは黒いベールで覆われている。そのベールをパッと剥がすと、色鮮やかで繊細で人間味あふれた世界が広がっているのである。 ⚫︎南三陸町ではフィリピン人が最も多く15人いた。9人が家を流され、1人が行方不明。悲しいこともいっぱいあったのに久しぶりのフィリピン料理パーティーに集った女性たちの明るいこと。コミュニティが機能している。 「美しいものは何もかも流された。」「残ったのは私だけ。1番美しいものが残った」 ⚫︎題名の「移民」とは「日本に移り住んだ外国人」という意味で使っているが、この言葉をネガティブに捉える人もいる。アジアでは反発は少なく、ヨーロッパ人には拒否する人もいる。最大の政治問題だから敏感になっているのだろう。 ⚫︎以前、他の本のレビューで「中国人は冷めたご飯を嫌うからオニギリがないのだ」と書いたら「でも弁当はあるのではないか」と質問された。此処で解決した。中国人が冷めた弁当を嫌いというのは徹底されていた。学校の教室には「保温器」が置いていたのである。(←中国・韓国のコンビニにも弁当はあるが、必ずレンチンするのだろう。そういえば台湾の駅弁は決して11時前には売り出さないし、時には列車の中で販売していた。インドの弁当も午前10時ごろ嫁さんが作って、それを職場まで運ぶ職業があり、それがテーマの映画もあった)←冷めても美味しい弁当というコンセプトは、もしかしたら世界で日本のみなのかもしれない。 ⚫︎ムスリムが最も日本人と共存しにくいのは、一日5回の礼拝でも、ベールの義務でもなくて、食べ物の禁忌(例えば豚‥‥調味料に入ってもダメ)だろう。(←先日、イオンのエレベーター横の陰で午後5時過ぎ、ベールを被った女性が敷物を敷いて北西を向いて礼拝をしていた。凄いと思った)魚の方が規制が少ないので、ムスリムは寿司好きが多いらしい。 ⚫︎ 「日本人は神様いないでしょ?だから壁にぶつかったときにダメになっちゃう。自殺しちゃう。僕たちは神様いるから、壁にぶつかってもなんとかなるって思えるんだよ」あるムスリムはそう言った。←在日外国人の敬虔な信者は無宗教の日本人をそう評価しているのかもしれない。事実は、そうとは言えないとのだけど、ちょっと見には説得力ある。 ⚫︎ロシア聖教の生活を初めて知る。古式かしこきキリスト教という感じ。 ⚫︎「ボルシチは作るのに三、四時間かかる」「で、作ったら毎日食べるのに、日本人は次の日に別のものを食べたがる。三日目くらいが1番美味しいのに」←外国人は日本食が簡単だと複数外国が言う。曰く魚を焼くだけ、納豆や豆腐刺身はそのまま、しかし、毎日品を変えてつくるとは思っていない。これは見事な文化の違いである。←高野さんは更に、「日本人は外国の食べ物を日本式に作り変える」と指摘する。日本式ローストビーフ、日本式カレー‥‥。「本質を変える暇があったら目先を変えたい」。正に!これこそ、加藤周一のいう雑種文化が正に現代も生き生きと根づいている証だろう。 ⚫︎「ロシア人というだけで仕事がない」「日本語の一級検定を持っていても、ミニストップでもユニクロでもネイルサロンでも雇ってくれない」←今は少し事情が変わっているかもしれない。 ⚫︎「ニュース見ても分かると思うけど、朝鮮族は普段はおとなしくしていても、カッとなると激しいんですよ」←この辺りは、私は思い当たるところがたくさんあるけど、日本人は、特に嫌韓の人たちは理解しようとしない。 ⚫︎ 「キューリもトマトも味がしない。『なんだ、こりゃ?』って思いましたね。私は実家では近くの畑から取り立ての野菜を食べてましたから、なおさらです」(朝鮮族の男の言葉)←最近学んだが、朝鮮族系中国人のいたところは満州であり、そこは地球の中で土地が肥沃な地域である。野菜の味が変わって当然かもしれない。 ⚫︎高野さんは2012年の単行本後書きで、「外国人差別は激減した」と書いたが、2015年の文庫版後書きで「間違いだった」「今は自賛史観、手前味噌史観が大流行りだ」と嘆く。←その間に何が起きたかというと、別に世の中が変わったわけでなくて、オリンピックが決まったからだろうと、私は推測する。「日本人は成熟したなんで書いたが、全然まだだった」と高野さんは書く。←この意見に対しても、Amazonレビュアーの中には社会学者の論文の不備を突くかのようなことを指摘して、高野秀明は偏っている、と攻撃していた。高野秀明は単なる旅ライターに過ぎない。自分の体験してきたことに、感想を書いているのに過ぎないのに、何を息巻いているのかと、私は思った。しかも、高野さんの意見は目先のことに惑わされない。本質をついていることが、多いとさえ、私は思うのである。
2021年11月08日
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「図書2021年11月号」 面白かった記事は以下。 ⚫︎柳広司「うすねこやなぎいろ 3」 いろいろ世の中を批判して(愚痴って)いるのだが、その過程で柳さんはデジタル化時にテレビ買い替えを止めたことが判明。しかもネットニュースも見ない。もうまるで京極夏彦「オジいサン」そのままなのだが、ネットで調べると現在54歳ということが判明した。まぁこんな人もいますよね。 ⚫︎栗田隆子「ゆるみゆく身体を抱えて 2」 「図書」に連載をもつような方は、まかり間違っても生活保護を申請するような方では無いと勝手に思っていたが、ここにそんな方がいた(実際には障害者年金をとった)。コロナがそれを加速したことは間違いない。 ⚫︎土井隆義「意図せざる出会いの豊かさ」 映画と原作の「あのこは貴族」を読んだ社会学者の考察が面白かった。学者も認めている。現代は、このような「ハプニング」が無い限りは、「違う階層」が出会わないようになっているのである。いつのまにか、ホントにいつのまにか‥‥。
2021年11月03日
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「ザ・ビッグイシュー vol.417」2021年10月15日号 特集は「土と微生物と」でした。 (ホームページより) 「水の惑星」地球は、「土の惑星」でもあります。土があるからこそ地球は命を育む星になりました。地球上の12種類の土を探し求め研究してきた藤井一至さん(森林総合研究所)は、食卓の食べ物の95%が土に由来すると言います。たとえば「朝食は“チェルノーゼム”で育てた小麦パンに、北欧の“ポドゾル”でとれたブルーベリー・ジャム。お昼はアジア熱帯雨林と“強風化赤黄色土”が育む香辛料(ウコン)を使ったカレーライスと“黒ぼく土”でとれた野菜サラダ……」というように。 一方、土の中には植物の生育を助け、医療薬ともなる無数の微生物が棲んでいます。土壌微生物研究者の染谷孝さん(佐賀大学名誉教授)は、「蛍光顕微鏡で観察できるようになって、土壌1g 中に100億個もの細菌の存在が判明。しかし、その99%は未知」だと言います。 枝元なほみさんからは“土と微生物”についてのエッセイと料理が届きました。 さて、地球には「たった」12種類の土しかないのか?というのが衝撃的。しかも、土の色は茶色や黒が常識ではなかった!! ノルウェーならば白、アフリカ中部ならば赤、インドネシアは黄色と答えるのだそうだ。 しかも、しかも三大肥沃土壌は世界の(日本ではない)一部に過ぎないという。 まだまだ世界は謎に満ちている! しかも、細菌の世界まで踏み込むとさらに謎に満ちている。 ちょっと読んでみたくなった。 「土 地球最後のナゾ」藤井一至 光文社新書 「土壌微生物の世界」染谷孝 築地書館 浜矩子さんが岸田内閣の経済政策をバッタバッタと切っている。曰く「アホダノミクス」! 池内了さんが「うまいものは別腹」というのは、科学的根拠がある、ということを説得力持って説いている。つまり「脳の命令」であり、一定身体は耐えられるそうだ。身体に悪いのは当たり前なので、それがフリーパスポートにはならないけれど。 やっぱ、ビッグイシューは面白い。
2021年10月30日
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「深夜の散歩」福永武彦 中村真一郎 丸谷才一 創元推理文庫 最近創元推理文庫で復刊してくれたそうだが、私は昭和53年版の講談社「決定版 深夜の散歩」の感想を書く。よって文庫版にはあるという福永・中村対談は読めてはいない。 たいへん面白かった。 紐解いたのは、本来、純文学畑の福永武彦・中村真一郎・(丸谷才一)が、大衆文学のミステリを縦横に語っているからである。もっとも、福永・中村は「モスラ」(61)の脚本も担当していたのだから、エンタメに興味がなかったわけではない。たまたまエンタメを書かなかっただけに過ぎない。主には「エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(「ミステリ・マガジン」の前身)」1958-1963年連載から編集。 福永武彦は探偵小説を紐解くことを「深夜の散歩」と称する。 ‥‥ヴァレリー・ラルボーというフランスの作家は、読書を「罰せられざる悪徳」と呼んだが、探偵小説の場合には、そんなにたかをくくってはいられない。いい気になって歩き廻っていると、そのうち夜が白々と明けてくる。罰はたちまち下って、あくる日一日中眠くてふらふらする。上役には叱られる。恋人には笑われる。と分かっていても、真犯人を掴まえるまでは、散歩の途中でやめられないというのが、因果なところだ。‥‥ 都筑道夫君は、読書の限界時間は午前三時と言い、もしそれで終わらなかったら、平然と「終わりを先に見てしまい、安心して寝ます」と答えた。飛ばしたところは、翌日、改めて読むそうだ。 心配性の椎名麟三君は、必ず最後の部分を読む。そして安心して読み始める。それを精神分析すれば、(1)犯人がわからないで、実存主義的不安に苛まれるのが怖い(2)著者は犯人が誰かわかっているのに、読者の方は皆目わからない、というのは著者から馬鹿にされているのも同然、負けず嫌いの椎名君はだから終わりから読む。←気持ちは物凄くよく分かるが、それを言っちゃおしめーよ、的な所ではある。 赤鉛筆片手に、トリックから、動機から、いちいちマークして読み進むのは中島河太郎先生らしい。 福永武彦自身はどう読むか。随時、仕事の合間に休んで読む。仕方ない。つまり我々と同じということらしい。 という冒頭から面白い。 ところが、残念なことに私はホームズとルパンを各一冊しか読んだことがない、人も驚く海外ミステリ初心者。福永武彦は、クリスティー「ゼロ時間へ」ブランド「緑は危険」クリスティー「死が最後にやってくる」‥‥と、まるで人をして読んできたような気にさせる軽妙な紹介に満ちている。もちろんラストは明かさない。他にもロンドン警視庁について一席ぶったかとおもいきや、なんとチャンドラーのマーロウ探偵を悪し様に言い、パリ警視庁のダックス警視、メグレ警部までに及ぶ。こうやって読んでいくと、ハリウッド俳優みたいに、詳しくないのに知ったような気になる。 実は「獄医立花登シリーズ」のタネ本を探す意図もあったのだが、当時の海外ミステリを縦横に語りながら、獄医どころかほとんど医者は出ていないのを確かめた結果になってしまった。藤沢周平の獄医シリーズは、もしかして完全オリジナルなのか? 未だ「ミステリ」というよりも「探偵小説」と言った方が通りが良かった時代の、「探偵小説は文学じゃないのか、どうなのか」というような問題意識が評者の中に時々芽生えていた時代の、もう深夜の隠れた趣味のような、教養の塊の3人の評論集だった。
2021年10月26日
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「嵐を呼ぶ少女と呼ばれて」菱山南帆子 はるか書房 菱山南帆子さんの半生記(と言ってもたった27年間)です。 1989年東京都八王子市に生まれる。中学1年の時から、イラク戦争反対などの市民運動を開始。現在、福祉施設職員として働きながら「許すな!憲法改悪市民連絡会」「戦争をさせない・9条こわすな!総がかり行動実行委員会」のメンバーとして活動。 彼女の半生を読むことで、21世紀から徐々に始まった日本の市民運動の内実を見た気がする。 高校生まで(←「から」ではない)の、正に嵐を呼ぶ「怒涛の市民運動人生」が先ず語られる。 ・小学5年のとき、学級崩壊児童を叱る担任の差別発言を「批判して」、学級の女子半分で「100日間戦争」を起こす。 ・ただ1人「君が代」を拒否する。 ・小学六年生、夏休みの自由研究は東村山のハンセン病隔離施設「多摩全生園」だった。 ・自由な校風の和光中学を親の反対を押し切って選ぶ。学園長は丸木正臣。 ・03年冬、中学一年、13歳の時、日比谷野外音楽堂「イラク戦争反対」集会に参加して感動、3月、学園前で2回戦争反対の手作りのビラをまく。 ・連日アメリカ大使館前に大人と共に座り込む。 ・有事法制反対三万人集会で発言した。 ・13枚目のビラで「子どもを政治から遠ざけないで!という訴えは、同時に『子どもは政治から遠ざからないで!』と言い換えてもいいと思います」と書いた。 ・04年初めて沖縄へ。以降何度か通い詰める。東京の新千円札が沖縄では機械に通らない、等々の「発見」。←私が30代で気がついた事を彼女は14歳で気がついている! ・06年、高校生反戦行動ネットワーク結成。←この頃、高校生が元気だ、ということを聞いたような気がする。彼女だけでなく、高知などさまざまな息吹を聞いた。 高校の終わりから大学生の終わりにかけて、精神的に疲弊して閉じこもる(足踏み時代)。反対に言えば、そこで初めて「小市民」生活、地に足をつけた生活を経験した。でも彼女がそれで終わるはずがない。、 ・2011年、大学3年の春、3.11が起きる。 ・5.3憲法集会で復帰。「許すな!憲法改悪市民連絡会」(代表・高田健)に参加。 ・秘密保護法の反対運動を経て、2014年9月に「1000人委員会」と「9条壊すな!実行委員会」が合同して集団的自衛権容認反対の「総がかり行動」に発展する。 ・SNSの活用、ショートコール、街宣の宣伝、街宣での歌つくり、お花見街宣、ブックカバー宣伝「憲法集会へ行こうよ、パレード」、国会包囲行動に向けての自主CM、街宣お芝居、山手線一周街頭宣伝、さまざまな工夫を、凝らしている。←これらの知恵を是非どこかにまとめて共有してほしい。 ・2015年、8.30 10万人集会、安保法強行採決という画期が現れる。←10万人集会はSEALDsが主催したと勘違いしている人がいるが「総がかり行動実行委員会」が主催したのである。主催者側の貴重な記録。 この頃の彼女の活動は、高校生の時の一人で突っ走るものと全く違っていて、「市民の運動を組織する」ことを体現していた。SEALDsのように、いっときの花として終わるものではなかった。それは高田健らの代表たちの指導もあったが、菱山さんたち若者が運動を引っ張っていた局面も確実にあったと思う。加藤周一が望んだ「老人と若者が手を結ぶ運動」がここで実現している。しかし未だ東京の一部の実現でしかない。 彼女は安保法の戦いの局面で「国会に突入しろよ!」という輩を止める立場に立った。2019年の米国選挙のトランプ陣営のホワイトハウス突入に見るように、それは何も生まれないのは明らかなのであるが、こういう声は必ず起こる。「急がば回れ」彼女たちはまだ26歳だったのだけど、大人でよかった。怪我人を出さない戦い。それを実現したのは、彼女たちの大人の戦いに依るところが大きい。 「これは政治風土との闘いだ」 風土は一年や二年で変わるものではない。けれども、人為的なものであるから、急速に変わることもあり得る。 政治風土の特徴とは、政治に対するタブー視、個人としての主体的な意見を持とうとしないこと。そして怒り下手、表現下手。 「私たちの街頭宣伝活動はこのような政治風土とがっぷり四つに組み合う格闘技です」←鋭い指摘だと思う。 本書は4年以上前の本だ。この時から既にスローガンになっているが、彼女たちの活動は「野党共闘」を実現させた。これからも、ニ歩前身一歩後退は起きるかもしれないが、着実に彼女たちの運動は前進しているという印象を受けた。
2021年10月24日
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「明治大正京都追憶」松田道雄 岩波書店同時代ライブラリー 本書を紐解いたのは、あるサイトで、私が斎藤美奈子「挑発する少女小説」レビューで「女の子には、男の子よりも「未来」がある気がする」と書いたら、某氏からコメントを貰ったから。 「(松田道雄に関して私への)お薦めは「明治大正 京都追憶」そうそう思い浮かべたのが「私は女性にしか期待しない」でした、、、」 コレでてっきり本書に「私は女性にしか‥‥」の言葉があると思ったのに、いくら読んでも出てこない。あとでもう一度考え直したら、「私は女性にしか‥‥」は、松田道雄のほかの著書の「題名」でした。うーむ、勘違い‥‥‥‥という経緯で読み始めたのですが、確かにお勧めされるだけあって「私好み」の本でした。ありがとうございました♪ 1908年(明治41年)、生後六ヶ月で京都に移り住んだ松田道雄は幼年、少年時代を京都に生活した。著者の「京都」「(明治大正)世相篇」である。そういう意味では、先に読んでいた「一〇〇年前の女の子」のテイさん(明治42年生まれ)と似通っている。ところが私は、テイさんほどは感銘を受けなかった。 「あとがき」に書いているように、松田道雄さんは自らの記憶だけで本書を書いているわけではない。京都は昔から日本有数の都だけあって、新聞や書物が多く残り、また子供時代の友だちから多くの証言をとって自らの記憶を調査・補強して執筆していた。それが悪いということではなく、むしろ学術的価値の高い「記録」になっているのではあるが、テイさんのように、日本人の「心性」にまで落とし込んだ「証言」とまではいかないのである。あくまでも明治大正の世相史という気がする。一方で「一〇〇年前の女の子」はヘタをすると、弥生時代まで想像できるような言葉に満ちていた。 京都だけあって、現代の明治建築遺跡巡りの本や、大人の明治大正世相の証言は数多くあるが、子供目線からの証言は、初めて知った。奇しくも、2年前秋の京都旅で、私は松田道雄の母校・蛸薬師町の明倫小学校旧正門跡を眺めている。しかも、その元になった明倫舎は、つい最近読んだ心学の石田梅岩の弟子・手島堵庵(1718-1786)が開いた心学講舎である。何かの縁か‥‥。それはともかく、コレはおそらく非常に貴重な本だと思うのであるが、ヘタをすると絶版になりかけている。 ただ、都会の自分史の調査はどのようにしたら良いのか、ここに素晴らしい手本がある気がした。高度成長期直前・直後に生きた私の幼年時代のちょっとした町の記録と私の人生は、このように調べたら書けるのかもしれない。 また、京都に住んだことのある人にとっては、興味深く、懐かしいだろう記述が非常にたくさんあった。 以下、面白かった所をメモ。 ・茨城の祖父母が京都見物で驚いたのは、京都女の立ちション姿。「花売りおばさんが、急に路上で塀に背を向け、膝を曲げずに上半身を深く屈した」。小水だけを集めるのに、町にたごを配置したためだろうと松田は推測するが、直に見たという記述はない。大正・昭和の頃には廃れていたのかも知れない。 ・仲小路の細い路地に住んでいた頃、様々な売り子などの声が聞こえたという。雲水の「オーオー」「やっこ、はらいまひょ」、または「いさぎ(ハゼ科の魚)、か、ひうおー(鮎の稚魚)」「はったいのこ、いらんかいなあ」「きんぎょう、きんぎょう」「やーきー、丹波ぐりー」修理屋も、たくさん通ったらしい。瀬戸物の割れたのを継ぎ合わせる商売、こうもり傘、下駄や雪駄の修理、すいかけ屋さんはふいごを鳴らして炭を真っ赤におこす。これは幼い松田も見ていた。←全て今は廃れた職業。 ・浴場では石鹸以外にも糠袋を使っていた。日本髪の人は、固練りの白粉をしっかり首筋から胸にかけて擦り込んでまた湯船につかった。お灸の後に丸い和紙を貼って湯船に入る人も。男湯には刺青の人も多くいた。←刺青の銭湯での姿は、私もほんの20年前まではよく見た。立派な人、途中までの人、色々だった。 ・明治45年ころ、同年代3歳の友だちが疫痢で一晩で死んだ。何の病気か?松田道雄宅は小児科医だったので、食品管理は厳密になった。買い食いは厳禁だったという。 ・河鹿(かじか)は売っていた。河鹿を飼うのが流行っていた。生きたハエを餌にするので、祖父は近所の子供からハエ十匹を一銭で買っていた。鳴き声を競わせることもしていて、大正に衰えていた声比べを復活させる動きもあったらしい。その頃には既に京都に売る店は二軒か三軒しかなかったらしい。←鈴虫と同じ趣味の世界。けれども、川の水が清くなくなって廃れたのだろう。 ・大正2年、烏丸通に面して、蛸薬師と錦小路の中間に、松田小児科診察所を開業。 ・新開地の仲小路と、洛中では、子どもの遊びが違っていた。歴史ある歌があり、昔からの歌が使われた。「鬼になって苦しんで、だいこの汁などねぶりゃんせ」「京の京の大仏っあん、れんこ、れんこ、誰のとなりに誰がいる」‥‥。 ・小学校の休み時間の遊び方も、その時代の特色がある。←そういう意味では、我々の時代のドッジボールや相撲、追いかけっこなどもやがては歴史になってゆくのだろうか。他にも色々遊びを発明したような気がするのだけど、今は思い出せない。 ・小学生生徒対象の小さな店や屋台があった。たばこ屋の中には文房具と玩具(小さくて安いヤツ、バイ、メンコ、ドン、行軍将軍、日光写真、花火、ピストル、紙煙硝、ビー玉、南京玉、紙風船等々)。子どもは親しみを込めて「おおたけはん」と呼んでいた。屋台店は入れ替わり立ち替わり現れる。虫屋、杉てっぽう屋、夏には水中花を売る店、金魚釣りの店、竹とんぼ屋、カツオムシ屋(鰹節にわく一センチほどの黒い甲虫の背中に軍艦の絵を貼り付けると、軍艦が自動的に動いているように見える。虫ごと軍艦一隻が一銭だった)←昭和30年から40年の初め、我々の小学校の近所になかた屋という名の文房具屋があった。帰り道には「あかざわ屋」という玩具売り店があり、ここにはいつもお婆ちゃんがいて10円や20円の商売をしていた。毎日の小遣いを握り一生懸命考えて買っていたのが懐かしい。時々路上屋台が来てクッキーを上手く削れたら商品がもらえるという商売等々色々来ていた。 ・大正6年、松田道雄の活動写真を見た記録(母親の家計簿)がある。「拳骨」や帝国館で「鉄の爪」等のパール・ホワイト嬢が主人公の話。男女平等で、松田道雄の思想はこういう所からも育ったようだ。←岡山の活動写真は1919年ごろから始まっている。岡山は少し遅れたということか。 ・加茂川でゴリ釣りを覚える。ゴリとは河川に棲むハゼの様な魚。護岸用の隙間の石から釣る。あっという間に百匹近く獲ったらしい。他にもエビ、どじょうなどがとれた。←羨ましい。私は食用になるような魚を取ったことがない。唯一はアメリカザリガニだろうか。 ・京都の商家には私設の望楼が多い。火事の行方を確かめて、商品を速く土蔵に入れるためだが、大文字を見る場所、凧をあげる場所、火事の見物をする場所でもあった。 ・松田道雄の母親は2年間だけ詳細な家計簿(婦人の友社発行)をつけた。その内訳はとても興味深い(220p) ・大正8年(1918年)11月、京都に「流感」が流行った(←スペイン風邪とは何故か記入していない)。父親は小児科医なので、子どもへの感染防止に骨をおったし、仕事も忙しかった。この時、下京だけで毎日4、50人が死んだ。学校は休校。予防には烏天狗の嘴の様な形をしたマスクをかけた。おまじないも流行った。白豆三粒、小豆三粒、南天の葉三枚を入れた欝金(ウコン)の袋を腰に下げる、というものらしい。父親は薬を使う。去痰剤にセネガ根の浸剤を使っていた。←スペイン風邪の重要な証言だろう。
2021年10月22日
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「地図帳の深読み 100年の変遷」今尾恵介 帝国書院 地図の専門出版が世に問う「深読みシリーズ」で、地図の歴史的な読み比べが出た。今年8月に発行された時から紐解くのを愉しみにしていたが、感想は「少し残念」というものだった。 100年前の地図というと、全て旧字体でしかも印刷技術は発達していないから文字が潰れているものも多い。それなのに、前作と同じレイアウトを使い、1ページの1/6ぐらいしか使わない地図が多用されていた。これだと、目の悪い私なんかそれだけで見る気が半減した。地図にある豊富な情報が読み取れないのだ。昔の地図は今回の倍ぐらいは総て拡大するべきだったと思う。 それでも、面白かったところ。 ・関東大震災直前とその後区画整理された後の東京・新大橋辺りの地図の比較(25p)。 ・台湾台中辺りの昭和9年の地図。サトウキビを収穫するため鉄道が発達している(55p)。←旅した時にこの辺りが栄えていた理由がわかった。 ・台湾に今も残る日本式地名の意味(高雄、松山、板橋等々)。台湾の親日の現れというだけではない。その前の地名は、当時の宗主国清朝が与えた。その現地読みの漢字化が屈辱的だった。高雄の前は「打狗(ターカオ)」。←そういうことは、日本人はきっちり知っておかないといけない。だから、一方で韓国の地名は戦後直ぐに元に戻ったのであるし、韓国民にとっては日本人に三十数年間強制された地名(ソウル市内だけでも青葉町、大和町、並木町、弥生町等々多数)は屈辱だったに違いない。(57p、106p) ・沖縄・嘉手納基地の大正8年の地図を初めて見た。銃剣とブルドーザーで接収された土地は野原や畑だけではなかった。数千人の生活を保つ大きな町が2つもあった。(68p) ※ ここで、本書の記述を少し超えてSNSで知り合った方からのリクエストに応えたい。165p、167pの二つの岡山県南地図は本書では珍しく大きな縮尺で、細かい所まで確認できる。地域の産業の変遷が、地図から読み取れる例として使われているのではある。質問されたことに答えるとともにもう少し詳しく解説したい。 先ず令和3年の地図に特産品として「弁当」が載っている。「弁当の特産品って何?」某さんの指摘では何のことかわからなかったが、弁当と言えばどうせ駅弁のことだろう、だとすると祭り寿司かなと想定して紐解くと、何と弁当産地は大きな町のない田舎、むしろ山の中ではないか!笠岡在住の詳しい友人に質問したが、初めて聞いたという。「昔は下駄の産地だったらしいです(←これは私も初耳)」とのこと。全然違いますね。もしかしたら教科書の誤植である可能性があります。 県南の児島地区は干拓地なので、塩害の関係で塩に強い産業が発達した。それが、昭和9年の地図に綿花、綿糸、染料、花ござ、真田紐、除虫菊が記入されている理由になっている。最近の干拓地ではなく、戦国から江戸時代にかけての非常に大掛かりなもので、500年の歴史がある。 それどころではない。実は、岡山県の人口の大半を占める県南地の平野部分のほとんど(現在の岡山市・倉敷市の大部分)は、岡山県にある三本の三大一級河川の土砂でできたものなのである。古く弥生時代前期に遡れば、この平野部分は全部海だった。「吉備の穴海」とも言い、遠浅の海が続いていた。この500年こそは人口干拓だったが、3000年かけての長い干拓地だった、とも言える。だからこそ、2000年前に吉備国が栄えた。1000年以上かけて岡山平野という大きな穀倉地帯が現れたのである。源平合戦の時は、遠浅の海を巡って様々な悲劇が繰り広げられた(←すみません、省略します)。 閑話休題。 塩害に強い綿花から綿糸や染料へ産業が広がり、現在は学生服(シェア7割)、ジーンズ(厚手織物の技術の継承)に移りました。 一方の流れとして、児島の由加神社お土産の真田紐から厚手織りの小倉織、足袋、ジーンズに変遷して行く。ここには書いてないが、厚手織物として帆布の生産も高い。それを使ったトートバッグは多くの商品が出回っている。ジーンズは児島だけでなく、離れた井原も生産地だ。 また、倉敷から大原孫三郎が出現してクラボウを世界的な企業にしている。だから、大原美術館もできた。 真田紐から麦わら帽子が発達して、現在もシェアは高い。祖母が長いこと、麦わら帽子の原料の組紐みたいな材料つくりを内職でやっていた(50年前)。除虫菊生産も塩害の関係だろう。近くの玉島に古くて大きな線香の工場があるのを知っている。つい最近まで存在していたけど、最近行っていないなぁ。 塩害の関係で、イグサの生産量は高かった。その関係で現在も備前畳表は生産量質共に高い。 ‥‥こう書くと、改めて3000年にわたる土地を活かした産業への、庶民の「工夫」が、我々の生活を作っているのだな、と感じた。
2021年10月20日
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「ザ・ビッグイシュー Vol.416」2021年10月1日号 久しぶりのビッグ・イシュー。販売者が何かの事情で長期お休みしていて間が空いた。遂に「緊急3ヶ月通信販売」を利用した。 表紙はダニエル・クレイグ。もちろん、2回の公開延期を経て10月1日に公開された「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を受けてのインタビューが載っている。 恥ずかしながら「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の意味が「今は死ぬ時ではない」ということだったことを、この記事を見て初めて知った。ところが、記事の総ては、ダニエル・クレイグのボンド退き際の話に終始している。まぁそうなるはな。今回の007は間違いなくダニエル版ボンドの終わりだった。「今は死ぬ時ではない」とは、「時が来れば死ぬのは当たり前だ」ということと同義語なのである。ダニエル版ボンドも、完全に仕切り直しをして始まった。次回のボンドも、おそらくそうなるだろう。改めてダニエルは今までのボンドの「お約束」を壊した。でもよく考えたら、金髪のボンドも、マティーニの飲み方を「こだわらない」と宣言するのも、前作の女性が冒頭にまた現れるのも、その女性がボンドの子供を産むのも(!)、そうだ。 女性プロデューサーと女性脚本家を迎えて、ボンドは明らかに「変わった」。それを是非映画館という特別の場所で「体験」しておくべきだと、私は思う。 特集は「貧困緊急事態」。 久しぶりに稲葉剛さんや雨宮処凛さんの言葉を聞いた。ビッグ・イシューでぐらいしか彼らの声が届かないという、この日本の現実を変える必要がある。 試しに「家賃が払えない」でツイッター検索したら、今にも自殺しそうな人の呟きが出てきた。リプライしたら、何か悪い影響与えそうで、怖くて何もできない。コレが今の現実なのか。
2021年10月15日
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「古事記の神々」三浦佑之 角川文庫 三浦佑之さんは以前紹介した「日本の神様図鑑(大塚和彦)」のようななんちゃって古事記研究者ではなく、私の信頼するガチの専門家である。神話時代と弥生時代を一緒に記述する学者が多い中で、三浦さんはキチンと分けている。 本書は三浦さんのガチの研究書である。古事記は日本の最古の歴史書であり、弥生時代研究にも、やはり重要参考書であることは間違いない。 三浦さんは天武天皇が勅選して作らせたという記述がある古事記の「序」は9世紀の偽造だと主張する。さらには明治政府は、国家を安定させ永続させるためには、「法」とともに、国家の精神的な支柱になる幻想が必要だと考えた。それが「記紀神話」として一括宣伝した理由だった、とする。それによって、古事記は国家の歴史書であると、誰もが疑問に思わずここまできてしまった。 古事記の神話部分には四割もの出雲神話があるが、日本書紀ではそれは見事に抜け落ちている。「国譲りの場面は存在しながら、いわゆる出雲神話と称される出雲の神々の神話や系譜を、日本書紀はほとんど載せていない(38p)」それは何故か。 信濃や出雲などの「滅びゆくもの」に寄り添った「語り」の歴史書が古事記であるからだ。 少し難しいけど、出雲神話を語ることで何をしようとしたのかは想像するしかないけど、興味深い本だった。電子書籍限定価格でかなり安く購入。「付古事記神名辞典」なので、旅の途中で調べ物をするときにも便利だろうと思える。
2021年10月10日
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「図書2021年10月号」 今回は面白い記事が多かった。面白い順に述べる。 ・「気温0.5度の差が歴史を変えるー気候復元でみえてきた」川幡穂高(古気候学) 海水温の正確な復元から、過去27000年間の正確な気温・水温が復元できるようになったという。すると、驚いたことに、大寒冷期が、社会の大枠が転換する節目に対応することが見出された、という。土器の発明、三内丸山遺跡の誕生と衰退、弥生人の渡来、倭国大乱、武家の台頭、幕末の準備。この文章では、縄文文化の説明が多く、弥生末期の説明がなかった。非常に興味深い。関連書類を探したい。 ・「人間らしさ」畑中章宏(民俗学) 「人間らしさ」という言葉は、「人間らしさ」が失われようとするときに、あるいは損なわれるような事態に陥ったときに口にされる。 ここでは、ハンナ・アーレント「人間の条件」と日本における鬼の研究書「鬼と日本人」「鬼の研究」とマンガ「鬼滅の刃」について考察されていた。キリスト教世界において「人間らしさ」を担保するのは「神」であるが、日本において「神」はいなくて「先祖」や「世間」がそれにあたる。だとしたら日本人は「神」に許されるのではなく「鬼らしさ」に陥らない民俗的な社会を生きてきたのかもしれない。 ・「山桜の花のかげで」長谷川櫂(俳人) ずっと文学的視点から社会に物申してきた長谷川さんの連載もコレで終わり。最後は自分の死をかなり意識して終えた(既に一度癌が転移している)。でも、芭蕉は最晩年に掴んだ「かるみ」への失望、さらには最後の弟子への失望のなかで「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」となったのかもしれない、と書いている。失望の中で、死を迎える。死を前にしてそういうことを書けること自体が、一つの高みに立つということだと思う。 ・「親父の枕元」原田宗典(作家) 原田マハの兄貴のエッセイである。大学で上京する時、新幹線のホームで親父からもらった餞別の小箱と手紙には、コンドームと励ましと戒めの言葉が書かれていたという。ホームというからには岡山駅に違いない。あの時代、父親がホームまで見送りに来る?しかも、この父親は原田マハ小学生の時に大原美術館で絵の見方を教えた人だ。凄いと思う。原田宗典の文章を初めて読んだ。必要な時期(死後5年)に、必要なことを書く人だと思った。 ・「岩波講座世界歴史刊行記念、人物から見た世界歴史(1)ヴァルター・ベンヤミン」小川幸司(世界史教育) ・「漢字の動物園in広辞苑(1)」円満宇二郎
2021年10月02日
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「イーハートーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験」ますむらひろし ちくま新書 ますむらひろしの宮沢賢治論ならば面白い。 ますむら・ひろし。1952年山形県米沢市生まれ。20歳の時に宮沢賢治を読み感激し、水俣問題に怒り、描き出したマンガ処女作が『霧にむせぶ夜』だった。「日本中の猫の代表たちの会議が、ますむらの田舎の米沢の河原で開かれ、人間たちを絶滅させる相談をする」というものだった。それ以降、ますむらさんは「常に猫を主人公」に、イーハトーブならぬ「米沢市」をもじって「ヨネザアド」という国の、東京の住処である愛宕駅をもじって「アタゴオル」という地域を舞台に精力的に漫画を描き始めます。‥‥あの命名が、そんなにも単純で、しかも宮沢賢治経由だとは知りませんでした! ますむらひろしさんの賢治読みは、研究者レベルです。一時期研究者の間で定説になっていた「賢治は猫嫌いである」に対して、説得力ある反論を試みています。これを読んで未だ「賢治猫嫌い説」を説く研究者が居たら、むしろその人の論文を読んでみたい気がする。 本書には無数の賢治作品からの引用が入っていますが、どの作品からとか、どのページからとか殆ど書いていません。うっかりすると、まるで賢治が何処かで書いているかのような「引用」が書かれていますが、それがますむらひろしさんの「想像」だったりしてもいます。ここまで賢治を血肉にしている人を初めて見ました。 本書の2/3は「銀河鉄道の夜」論です。何しろますむらひろしさんは、83年と85年に、本書執筆時点で2回猫版「銀河鉄道の夜」を描いています。現在では定説になっている「三角標は星々である」ということを「独力で」発見していて、その経緯を書いています。「銀河鉄道ー」は、ざまざまな謎がありますが、漫画にする以上は一定のイメージを持たなくてはなりません。この漫画自体が、優れた研究書なのだということが、よく分かりました。銀河鉄道世界の空には星はなくて、桔梗色の空が広がっています。それはどんな色なのか、色に敏感な賢治には当然イメージはあったでしょう。でも、漫画版は単色で描かざるをえませんでした。あれから25年、ますむらひろしさんは、現在満を持してカラー豪華版全4巻の「銀河鉄道の夜」を描いています。完成すれば600ページ、今までの約3倍の量です。 それに取り組む前に、私は83年85年版を手に入れないといけないなあと思うようになりました。今年9月は賢治88回忌です。澄み切った夜空を眺めがら賢治に想いを馳せてみるのもいいかもしれない。 2021年9月20日賢治忌前日に記入
2021年09月22日
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「数え方でみがく日本語」飯田朝子 ちくまプリマー新書 数え方は雑学ではない、と著者は言います。その証拠に著者は数え方専門で教授にまでなりました。 「今年度の卒業生は250名/250人です」どちらも正しい言い方だけど、意味は違う。さて、どう違うのでしょうか? 名簿で把握しているのか、どうかの違いです。 というように、数え方は「私たちのものの捉え方の体系」だということらしい。 人や名のように数えるときに使う名詞を助数詞と言います。主なのはおよそ500種類。ところが、外国語には日本のように豊富な数え方を持たない国が多い。英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語などですね。その代わり、これらの国には名詞に冠詞があり、複数形があり、ジェンダー(男性、女性、中性)があります。つまりそれらの国では、しゃべるときにいつもそのことを意識しているということです。裏を返せば、日本語では名詞そのものに含まれる情報量が少ないということか。 それらがない中国と日本では、では考え方が同じかというと違う。中国ではラクダは一頭二頭ではなく、一峰と数えるそう。なるほどなあ、と私は納得する。文化交流で一頭のみやってくるか、日常的に峰で数える生活をしているかの違いなんですね。 数え方を使い分ける着眼点が違う国を比較すると面白い。ミャンマーで話されているビルマ語も日本語と同じような助数詞があります。そこでは、ニワトリの卵も家も家具も同じ「loun」を使う。 ネパール中央で話されているネワール語では、(1)人間・動物を数える「maha」、(2)植物を数える「ma」、(3)その他の無生物を数える数え方群があるらしい。それで行くと「細菌」は(1)になるらしい。 英語にも数え方がある。本来抽象的で形がないものや、はっきりした輪郭がない物体や物質は、数えられない不可算名詞になっています。それでも数えなくちゃいけない。「三つの証拠」ならばthree pieces of evidenceとなります。英語では生き物が群れをなしていると、その群れを集合名詞で表現するちょっと粋な技法がある。「一群のライオン」→a pride of lions。なんとなくわかる。ではカラスは?コレはa murder of crows(ひと殺人のカラス達)となるらしい。物騒です。やはり英語圏は大陸で、かつキリスト教圏だからだろうか。 著者は「ものの捉え方の体系」だということを、きちんと教育すべきだと訴えます。ところが、実際には「数え方」は算数の問題で突然出てくる。著者は小学校一年生の「たろうくんは、ぶんぼうぐやさんで、ノート五さつとえんぴつ六ほんかいました。あわせていくつかいましたか?」で躓いたらしい。どうして「さつ」と「ほん」を買ったのに「さつほん」などではなく「つ」になるのか?しかも、答案に「十一つ」と書くと「答えは十一だけでいいです。つ、はいりません」と書かれているそうです。「いくつ?と聞いてきたからつで答えたのに、こたえが十一になった途端に答え方も変わるなんてあんまりだ」うーむ、飯田さんとっても優秀です。 最後の方は、日本語の数え方の総点検になっていました。全部書ききれないけど、勉強のために出来るだけメモします。 ・生き物の数え方には基本の3種類がある。 (1)鳥類を数える「羽」 (2)人間よりも大きな生き物を数える「頭」 (3)人間よりも小さな生き物を数える「匹」 よってセントバーナードは一頭、チワワは一匹。 では、オニは1人?一匹?それは「どんなオニか」で変わります。絵本では人間に友好的になると突然数え方が匹から人になるそうです。最近のマンガを確かめたくなります。←コレ、日本以外の国はどうなんだろう‥‥。 ・ロボット犬AIBOは?「台」でも「匹」でもなく「体」で数えます。人間や生き物の形をしているものは「体」になる。よって、雪だるまや埴輪、銅像や仏像も「体」になる。 ・電車は元は「輌」で数えていたので「両」になる。大型客船は「隻」、小さい船は「艘」。空を飛ぶ乗り物は「機」、ラジコン飛行機は人が乗れないので機械と同じ「台」。←ならばドローンは「台」だな。でもやがて「体」になるのかな‥‥。 ・「台」で数えるものは「それだけで機能する」特徴があり、パソコン、携帯、テレビに冷蔵庫、自販機など。一方、本体がなければ機能しないもの、マウスやイヤホンは「個」「セット」。 ・建物には「軒」「戸」「棟」の数え方がある。 では、「赤い屋根の家が二軒並んでいる」とは言えるが、ほかの数え方はない。「二万戸が停電した」とは言えるが軒はない。「住宅が倒壊」「新築住宅が完成」の時には「棟」を使う。また、「基」は地面に据えて1人の力では動かせないもの。信号機、エレベーター、ベンチ、お墓、古墳、ダム、発電所など。←日本にある古墳はおよそ三万基です。 ・(これは飯田さんの研究の成果ですが)「縦の長さと横の長さの比が1対3以上のものは本で数える。他は個、鉛筆、ストローは本、印鑑は個。 ・本でポンの数え方の時。「一筋の煙突から一本の煙が立ち上がった」とは言わない。何故なら、本は途中途切れないもの。筋は定まった形を持たず、細長く切れ切れに続くものを数えるから。「電車一本乗り遅れた」のは「運行本数」を数えているから。練習メニュー十本は?時間軸に沿って行われる内容をひと続きに見立てる。では柔道の「一本」は?「心技体を一本化することで、技が決まるから」と大学の選手は異口同音に答えたそうです。 ・腕試し問題で、私が間違えたヤツ。 (1)「歓迎パーティーには、およそ30()の会員が参加しました」 (2)「大きなヒグマの剥製は1()」 (3)「人間を助けてくれる鉄腕アトムは1()と数えます」 (4)「財布の中を見ると500円玉が2()入っていた」 (5)「部屋がとても暑かったので、背中を汗が1()流れた」 ‥‥うぅ難しい。 というわけで、正解はこの1番下に載せますが、詳しい解説は本を紐解いてください。 あらゆるクイズ番組に参加する人は、一度(回ではない)は、この本を紐解いた方がいい。 【答】1 人、2 体、3 人、4 枚、5 筋
2021年09月17日
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「挑発する少女小説」斎藤美奈子 河出新書 世界中でヒットし、今も読み継がれている、10代の少女が主人公のリアリズム小説9作品の解説。日本でも60年代のジュニア小説、80年代のコバルト文庫、2000年代のケータイ小説など多くが生まれたが、この9作品のように長生きはしていない。何故か。 ひとつは、時代や文化の隔たりを超えて、少女に訴えかける普遍性を持っていたこと。 ひとつは、海外ものだったために古さがバレなかったし、異国のお話はオシャレに感じたりさえしたから。 特徴は四つ。 (1)主人公はみな「おてんば」な少女。ジェンダー規範を大なり小なり逸脱。良妻賢母教育のツールとして作られたのに、読者の支持を得て大人社会の陰謀を「出し抜いていた」。 (2)主人公の多くは「みなしご」。19世紀の時代を反映しているからだとも言えるが、親を失った子供は自力で人生を切り開かざるを得ない。そこからドラマが生まれる。 (3)友情が恋愛を凌駕する世界。しばしば物語には「女の子らしい女の子」か登場。主人公の個性を引き立てる役にもなるが、主人公は男の子よりも友情を優先する。 (4)少女期からの「卒業」が仕込まれている。「おてんば」は成長とともに失われてゆく。 別言すると、どれほどハメを外しても将来は約束されているから読者は安心して読めたのか。 或いは一見「保守的」に見える結末も裏には意外な事情が隠されているのか。 或いは、読者には「誤読する権利」があるので、多様な読み方ができるテキストでもあったから、とも言えるかも。 以上が本文に入る前の斎藤美奈子女史の「はじめに」の概要である。コレで「小公女」「若草物語」「ハイジ」「赤毛のアン」「あしながおじさん」「秘密の花園」「大草原の小さな家シリーズ」「ふたりのロッテ」「長くつ下のピッピ」の重要な部分はもうわかった。もう読まなくてもいいんじゃないか。私もそう思いました。 でも、本文を読んだらとっても面白くて置くこと能わざるを経験します。そりゃそうでしょ。原作やアニメで、あんなにも親しんできた物語を女史が案内するんですよ!なんか町山智浩さんの映画評につながるところが、女史の文学評にはある気がする。文体が読みやすいわりには構成がしっかりしていて、新しい視点がある。そして、反権力という点で一本芯が通っている!そういう意味では丸谷才一や吉田健一とは違う。 ‥‥それはともかく、やはり1番面白かったのは、(4)の部分です。特に、女史が想像したり紹介したりする「その後の物語」には共感しきりです。 何度も言いますが、私は一貫して「頑張る女の子」推しです。決して「男の子」ではない。 何故なんだろう。 女の子には、男の子よりも「未来」がある気がするから。 元男の子だった私の叶えなかった夢を叶えてくれそうな気がするから。 元男の子の勝手な思い込みなのかな。 でも、こんなこと、市井のいち老人が言っても女の子は誰ひとりとして「責任」なんか感じたりしないでしょ。 でも男の子は、そんなこと聞くと何故か一定数「責任」を感じるんです。そこんところが、違いかな。
2021年09月16日
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「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」著者:椎名 誠 本の雑誌社 よく考えたら、初めての椎名誠だった。 なぜ、紐解いたかというと、昔の雑誌を俎上に上げているという噂を聞いたから。「本の雑誌社」2冊目の単行本(1981発行)らしく、もはやこの文章群自体が考古学遺物扱いの貴重な「時代の証言」なのではないか?と当たりをつけたからである。 読んでみると一部予想は当たり、一部当たらなかった。当たらなかったのは、表題作の小説(本を読んでいないと、禁断症状が出てしまうほどの活字中毒である本の雑誌発行人、めぐろ・こおじを罠にはめて、味噌蔵に閉じ込めてしまう話)である。発行当時はかなり話題になり、お陰で売れたらしいが、素人の書き殴りにすぎない。椎名誠初めての小説だったらしいので、宜(むべ)なるかなとは思う。 そのあとは、当時(読まれない)全集を訪問販売で売っていた「ほるぷ出版」を罵倒する文章(1979)や「サンリオ出版「恐怖の報酬」のウンコ的本づくりに文句をつける!」(1978)など、いかにも考古学遺物らしい文章が続く。今書いたら即炎上モノの文章が多い。因みに、今さっき「ほるぷ出版」は倒産したのだろうかと思ってWikipediaで調べたら、まぁここでは言い表せない複雑な40年を経ていた。ある意味日本の出版史を体現するかのような展開だった(^^;)。 また、婦人雑誌も俎上に上げる。ある本屋を覗くと、その四雑誌はみーんな赤色の表紙に金ピカ文字がついていたそう。当時の代表的な女優が勢揃いしている。「主婦の友」(松坂慶子)「婦人倶楽部」(十朱幸代)「婦人生活」(栗原小巻)「主婦と生活」(吉永小百合)‥‥いずれも1979年1月号で、すべて家計簿など七大付録が恐ろしいほど似通っているという。現代日本民俗史に堂々と記録しておくべき文章だと思う。 まだ生き残っている雑誌や、名前すら何十年間も思い出さなかった雑誌が、数十冊阻止にあげられていた。とても面白かった。
2021年09月08日
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「維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ」三谷博 NHK出版 本書を紐解いたのは「図書8月号」の三谷博さんの寄稿文を読んだためだ。そこでは、「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析していた。 これは実は、「弥生時代の倭国大乱が大戦争を経ずして話し合いで統一された」という私の問題意識と同一のものであり、俄然興味を持った。著者はたくさんの著書を物にしているが、1番関係性があると思われる本書を採った。ところがいざ読み始めると、想像以上に緻密で総合的、そして独創的な維新史論だった。此処で展開するのは、荷が重いかもしれない。勉強のため、出来るだけ(私流に)まとめようと思う。 本書の概要は「まえがき」で以下のようにまとめられている。 1858(安政5)年、アメリカとの修好通商条約の締結と将軍の養嗣子選定の問題が複合して近世未曾有の政変が勃発し、それを機に近世の政治体制が大崩壊を始めた。その時、認識されていた政治課題を集約する象徴は「公議」「公論」、および「王政」であった。幕末10年の政治動乱は、この2点を軸に展開したのである。それが、2つの王政復古案に集約され、徳川支配を全面否定する方が勝利したときには、次の課題が発見されていた。集権化と脱身分化である。(略)新政府は成立の3年半後には廃藩や身分解放令によって、その枠組みを作った。きわめて急進的な施策である。(5p) ←一般的に、維新は「黒船の衝撃で始まった」と言われているが、三谷さんは「安政5年の政変」を最も重視しています。それからの10年で「御一新」を迎えたのが前半。その後の10年もかなりの激動だったという。明治の歴史は薩長の歴史観でまとめられていて、我々は維新の志士が歴史を作ったのだと思っている。そこから抜け出せないでいたのが問題だった。とても刺激になりました。 以下前半の各論。 ⚫︎近世日本の国家は「双頭・連邦」国家と要約できるように、分権的かつ階層的に組織されていた。この国家は、隣国の清朝や朝鮮のような、科挙と朱子学を核とする一元的な組織と比べると解体が容易であった。それは近世の間に生じた各種の不整合、「権」と「禄」の不整合、さらに実際の制度や慣習とズレた規範的秩序像の登場によって、可能性が強まった。19世紀の日本には現存秩序を正面から否定し、破壊しようとする教義はほとんど存在しなかった。大塩平八郎は稀有の例外である。しかし、権力の規制なしに流布したこの天皇中心の新たな秩序像は「日本」を大名国家を超える至高の秩序と見做し、2つの中心のうち一方だけ禁裏を無条件の中心として想定した。近世国家が容易に解体し、しかも直ちに統合に向かった背景には、このような条件があったのではないかと考えられる。(69p) ←つまり、江戸時代最初から天皇もいる「双頭・連邦」国家は知識人の中では知識としては知られていたが、それを重要問題として明らかにしたのは本居宣長以降、それを尊皇思想としてまとめた藤田東湖以降だというのである。ハッと気がついたのは、「双頭・連邦」国家は「現代日本」も同じということだ。もちろん、憲法の制約もあるし、天皇自身に「その気」がないのは知っている。しかし、何かのキッカケで日本が再び「大きな犠牲者無く」一人の人物による一極集中国家になる潜在的な性格があることは頭の隅に置いておきたい。 ⚫︎幕末日本の外交環境はかなり恵まれたものであった。近隣に同盟国を見出せないという弱みはあったが、他地域で侵略をためらわなかった西洋諸国は、日本ではもっぱら市場の確保にのみ関心を注いでいた。(略)他地域でしばしば見られたような、内乱が列強の間の勢力競争と結合し、収束不能となって、国内諸勢力の共倒れとなる事態は、回避されたのである。(125p) ←この時期、もし英仏が香港のように日本に戦争を仕掛けていたら、ひとたまりもなかったろう。また、英仏の代理戦争を強制させられていたら、と思うとゾッとする。もちろん、勝や西郷などの「警戒心」はあったが、それ以上に運命的な「運」もあった気がする。 ⚫︎一旦始まった敵対関係は、暴力行使という薪をくべられて、さらに激しく燃え上がっていった。一橋党の処分が第一段、王政復古の運動家の逮捕が第二段、公家の処分が第三段、最終的断獄が第四段。ここまでは幕府側の一方的暴力行使だったが、それは桜田門外ノ変という反撃に行きつき、その後はテロリズムの模倣が拡がっていった。暴力は被害者当事者とその近親者の間に根深い怨念を植え付ける。かつての競争相手は不倶戴天の敵と変わり、報復と破壊への願望は日増しに募って、相手方が破滅するまで止むことがない。途中で相手が宥和の姿勢を見せても、それはむしろ弱さと解釈されて、報復衝動はより高まる。暴力は一旦応酬が始まると著しく停止困難となるのである。優勢な方は「暴力を止めるための暴力」と意味付けるが、それが功を奏するとは限らない。秩序回復の努力自体が逆に紛争を拡大し、その中で、政治的妥協は絶望的になってゆくのである。(160p) ←これらの「暴力の連鎖」は、今現在、アフガン国で展開されている。人間てヤツは‥‥。 ⚫︎文久三年(1863)八月十八日のの政変後、急進攘夷派がいなくなった京都では秩序再建の試みが始まった。(略)幕府は自らの権力独占を守るに急で有志大名を排除し、横浜鎖港という実現困難な政策を使って天皇を味方に取り込んだ。短期的には大成功であったが、これは長持ちする策ではなかった。名賢侯を追い出し、更には西洋の軍事圧力を呼び寄せる。(205p) ←現代日本政府を見ているよう。近視眼的で、結局大局を誤る。 ⚫︎慶応3年夏の四侯会議の挫折から鳥羽伏見の戦いの勃発までの中央政局は、武力行使の可能性を明示した上での多数派工作を主軸に展開した。(略)しかし、慶喜はクーデターに憤激した幕臣を抑えきれず、開戦の道を開いた結果、政治的成功を手放した。慶応3年後半の政治家たちは、戦争の可能性を絶えず意識しながら、その都度、戦争の回避を選択し、もっぱら政治ゲームで勝つ工夫を凝らした。最後は開戦に行き着くことになったが、この政治的知恵比べは無駄にはならなかった。慶喜は抵抗を避け、彼の擁護に全力を傾けていた土・尾・越は新政府に留まってその有力な構成員になった。クーデターで掲げられた「公議」の理念はよりさらに発展させられ、逆に武力反抗する大名は東北の一隅に留まった。維新における政治的死者の少なさは、抜本的な改革を多数派工作を通じて行おうとした、この年の努力に負うところが少なくなかったのではないだろうか。(304p) ←三谷さんは、慶喜の京都での「戦争回避の努力」は無駄ではなかったと「総括」する。右か左か、を選択する時に、現代日本のように「北朝鮮への武力介入」「台湾有事への対応」「核兵器を持つべき」という発想をする閣僚が、いかに未来に於いて「危ない人たち」なのかを、私は改めて知る。明治維新が、なぜ世界史的に平和裡に終わったかを、私はもっと知りたいと思う。 ここで、時間切れになった。 私の問題意識とかなりかぶるところがある以上、購入することにした。残りの部分は「電子書籍」版に書くことにしよう。
2021年09月08日
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「図書2021年9月号」 吉田篤弘さんの「王子さまのいない星(下)」。8月号の(上)は謎の提示編でした。私は「アンチ星の王子さま」になるのだろうか?と予想していたのですが、普通の吉田篤弘版星の王子さま論でした。まぁそれでも、学びはありました。久しぶりに読んでみようかな。 大変おもしろかったのは、落語家・柳家三三さんの「無駄と遠廻りと、行きあたりばったりと」。私は書評だけでなく、映画評や凡ゆる文章も、遠廻りに他の話題から入る癖があって、三三(さんざ)さんが「マクラがどんどん脱線して何の話をしていたのか分からなくなってしまう現象」にはとても共感します。今回の三三さんのは巻頭寄稿なので、流石に綺麗にまとめています。 とっても共感したといえば、柳広司さんの「時差式」。編集者の「時事ネタでお願いします」という要請に、「6月末時点で時事ネタは(略)東京だけで大騒ぎしている五輪開催の行方でも、ワクチン接種段取りの不手際でも、お店でのアルコール提供は何時までといったことでもなく「重要土地利用規制法成立」の一事につきる」というチョイスの仕方です。「えっ?重要土地利‥‥何それ?」と思った貴方、それこそが現代日本を象徴している現象です。柳さんは「ひどいザル法」「戦前の治安維持法そっくり」と言っています。柳さん同様、私もこんな酷い法案、流石に今国会では通らないだろうと思っていたらしらっーと通ってしまいました。柳さんは字数の関係か書いていないけど、この法律明らかに憲法違反なんですよ。憲法第三十一条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」ところがこの法律、肝心の「法律の定める手続き」が一切書かれていない。全部政府に丸投げ、閣議決定でいくらでも細かいことは決められる。例えば辺野古基地を指定軍事施設にすれば「沖縄辺野古基地に反対する人々を逮捕できる」んです。例えば、貴方のすぐ側にも「軍事施設」はあるはずです。その周り10数メートルでは、総ての「不穏な動き」は監視されても文句は言えなくなります。土地を持っていたら、接収・利用されても文句は言えなくなります。知ってました?知らないでしょ。でも「私たちは知らされていなかったんです」というのは、先の大戦でも数多くの庶民が言っていたことなんですよ。「ザル法の弊害は時差式で現れる」。来年施行までに法律廃止が唯一の方法です。
2021年09月03日
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「本の道しるべ NHK趣味どきっ!2020年10-11月号」 気になる人の本棚を拝見できると聞いて取り寄せた。本棚には、その人の精神世界が写し込まれていると思う。よって特に平松洋子さんの本棚を見たかった。 残念ながら、写真家の方に思い入れがないのか、殆どの本の書影が鮮明ではない。ものすごい量の本に囲まれて過ごしているというのはよくわかった。私はもっと本は少なくて、もっぱら料理ばかり作ったり食べたりしているのかと思いきや「今は、1日のほとんどが読む時間と書く時間」とのこと。雑然とした本の並べ方に親近感を持つ。「小学校に上がる前、夕飯の買い物に行くときにはいつも片方の手をお母さんと手をつなぎ、もう一方の手に読みかけの絵本を持っていた」そう。同じ倉敷市出身。あの西阿知の町にそんな少女がいたのか。薄い綺麗な缶を付箋紙入れ、手作りのペーパーウエイトを使ってるそう。同じもんじゃないけど真似してみよう。 もう一人ビックリしたのは、岩波「図書」で美術史の連載をしていた橋本麻里さんの本棚。なんと夫と合わせて五万冊収蔵の、もはや図書館と言っていい「家」を建てている。全部読む必要はない、背表紙を見るだけで意味がある、という主張(←同意する)のもと、まさしく本に囲まれて過ごしている。そんな芸当のできない庶民の我々には、行きつけの大型書店や図書館を決めて「棚の景色」を覚えて、「知識のマップをつくり、世界への入り口にする」ことをお勧めしてくれています。やってみよ。 渡辺麻里奈さんの本棚が最もうちの本棚に近かったかな。その他の本棚は、矢部太郎、祖父江慎、穂村弘、飛田和緒、坂本美雨でした。その他、テーマのある本屋さんの楽しみ方、読者会の楽しみ方などが特集されています。
2021年08月31日
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「毒出しごはん」青江誠一郎 河出書房新社 今年の目標は「腸活を頑張る」だった。長期的な目的は、「出来るだけ健康寿命を伸ばす」ことにある。その根本的な理由は我が家系の若死に資質にあったのだが、つい最近不幸な形で証明されてしまった。なんとか、あと10年(できたら20年)は健康寿命でいたい。(←そのように先日かかりつけの医者に言ったら「このままならば大丈夫ですよ」と言ってくれた^_^/ ) 半年の総括としては、数値の悪化は認められず。取り敢えず達成している。具体的には(毎日体重計に乗っているが)平均体重は1キロ落とした。 昨年4月発行なので、最新医学に基づいた提案があるかと思いきや、基本的には大きな発見はなかった。基本的には、私の学習成果がここでも証明されたことで良しとしよう。本書は字も大きく、図も多く、かなり入門的な腸活本。 趣旨は「3つの食物繊維が毒を排出、免疫力を高める」ということ。 3つと言い切っているところが新鮮。 不溶性食物繊維(大腸の出口で便を早く出す)、水溶性食物繊維(大腸入口で善玉菌のエサ)のほかに、レジスタントスターチ(善玉菌のエサ)を入れているところが1番の特徴かもしれない。さまざまな食物繊維を摂ることが大切。 毒素の増加は、糖質・脂質の取りすぎにより悪玉菌の餌になって更に増えてゆく悪循環が原因。食物繊維を十分に取ると同時に糖質・脂質を取りすぎないことを意識すること。 最近は、食物繊維ではないけど、同じ働きをするレジスタントスターチやオリゴ糖が注目されている。よって食物繊維の名前自体を「ルミナコイド」にかえようとしているらしい。 白いごはん一膳(160グラム)をもち麦(10割)ごはんに変えると、水溶性0→6.8、不溶性1→2.9も増える。3割混ぜにしていたけど、全炊きも考えてみようかな。 茹でた豆は、いんげん豆(乾)よりも食物繊維は1.5倍へ。大豆は納豆にすると2割減。 たくさんのカラーレシピがあるので、写真で保存しておきたい。
2021年08月27日
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「自分で天気を予報できる本」武田康男 中経文庫 私は1時間だけ、人よりも未来を予測できる。 全ての未来ではない。空の未来である。 我ながら自分のこの能力を誇っている。 周りは誰一人としてその能力を持てるのに持とうとしない。仕事上絶対必要なのに! 「何か雨が降りそうな雲行きよね」 というのはまだ良い方。 「今日は雨が降らないかしら」 と、ただ心配するだけ。 「なんだか明るくなったから雨は降らないわよ」 残念でした。反対方向から急速に雨曇がやってきていて、30分過ぎには雨が降り出すのだ。 私は彼らを、心の中だけで、「無学の人」、「義務教育卒業者」として位置付けている。そして私は「高校生」である。私の上には「研究者」、そして一年後もほぼ正確に未来予測できる「知識人」が存在するだろう。 そうです、私は単に、必要な時に「雨雲レーダー」を見るようにしているだけなのである。私たちのように、比較的広い市の海沿いに住んでいる者にとって、テレビの天気予報ほど当たらないものはない。それなのに一般庶民は、未だに雨が降るかどうかは運任せと思っている。私は天気を唯一未来透視ができる分野だと思っている。市の北の辺りで雨は降るかもしれないが、海沿いでは海風のお陰で大抵は雨雲は逸れるのである。それが雨雲レーダーを見ているとよくわかる。しかし、雨雲レーダーが98%当たるのは1時間以内のみ。コンピュータは天気予報官のようなプライドはないから、30分ごとに見事にコロコロと予測を変えてくる。よって私の予測は1時間しか適用できない。しかし、この未来予測のおかげで、私は滅多に雨具の用意で失敗したことがない。 遠い昔、稲作が一千年も続いた弥生時代晩期の頃、一つのクニには、必ず「ソラミ」という専門職がいたと、私は(かってに)想像している。 ソラミに、低気圧や高気圧等の科学的知識はないけど、一千年蓄積された経験があるだろう。山に囲まれたクニだけの予測ならばかなり正確になるだろう。彼はどの山にどの雲が出て、どの風が吹いても即座に予測を立てることができるだろう。おそらく、その知識は「研究者」ぐらいの水準になっていたのではないか。 当然 「澄んだ朝焼けは晴れ」 「朝の虹は雨、夕方の虹は晴れ」 ぐらいは簡単に予測できる。 10分ぐらいでムクムク上がる入道雲は、龍神の登場と思っていたかもしれないが、立髪が流れるように雲が飛んでいけば 「今回は龍神さまは顔をお見せになっただけ」 などと言ったかもしれない。直ぐに流れる入道雲は雨を降らさない。 本書では予測という言い方はされていない。予報なのだ。 あらゆる空の現象は、風の向き、湿度、温度、季節、時、色、等々の総合の中で判断される予報なのである。 おそらく、ここに書かれていたり、写真で説明されているあらゆる「現象」はソラミの常識のようなものだっただろう。 この本は天気予報の入門書みたいなものである。大きな特徴は、具体的な写真が豊富で、見比べて今直ぐの予測が立てやすいことだろう。けれども、「ソラミ」ぐらいになれば、半年後の予測もしなければならない。むしろそちらが重要だ。この本にはそういう情報は一切なかった。
2021年08月25日
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「図書2021年8月号」 16篇の文章の中で、以下2点が(おそらくかなりマニアックな読み方だと思いますが)私的にツボでした。 (1)「新しい日本、万歳!」(三谷博) (2)王子さまのいない星(吉田篤弘) (1)について 三谷さんは歴史学者です。 「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析しています。いや、抵抗はあった(佐賀の乱、西南戦争)が、外国と比べるとあまりにも死者が少ない。何故、全国の旧武士が彼らと同じ行動に出なかったか。 ひとつは、武士の生活基盤が全て藩に依存していて、百姓になれない武士は自分の知識が活かせる職業は首都東京にしか求めることが出来なかった。それにしても、何故こんなにも従順だったのか?それは個別に研究してゆくしかないという。 もう一つの問題意識は「グローバルな比較」である。江戸時代の日本は連邦国家だった。しかし、260もの構成国(藩)がある国は世界になかった。それがゼロになった。極端から極端へ。日本は対外危機を意識していたものの、本格的な戦争をしなかった。薩長は、プロイセンよりも武力的に劣っていた。西洋は対外戦争を経て中央集権国家に移っていった。薩長は、武力よりも、小国家群との間での交渉、説得による多数派工作(人材引き抜き、課題共有)による日本統一を目指したのである。他の藩の幹部も立憲政治の導入は、「新規まき直しの機会」と映った。 また、政府は徴兵軍や旧武士の募兵を通じて辛うじて反乱を鎮圧した。 実は維新直後の十数年はかなり不安定で「綱渡り」だった。 これらのことは、実は、「弥生時代の倭国大乱が話し合いで収束した」とみる私の問題意識と合致している。俄然三谷博さんの本を読みたくなった。 (2)について まだ前編なのでなんとも言えないが、これはもしかして「星の王子さま」に対する「アンチ小説」なのかもしれない。シリーズ「「物語」の「舞台袖」」の第5篇。今回は何故か小説形式。 友人との待ち合わせ場所を聴くために古本屋に入った私は、店主から「道順と引き換えに、何か一冊、本を買っていただけませんか」と言われる。例えばと出されたのが「星の王子さま」。 「お読みになったことはありますか?」 「読んだことはありません」 店主は「読んだことはない」けど、「この本のことは知っている」と喝破する。 「知っていることを教えてください。たとえば主人公はだれでしょう?」 私はいろいろ考える。また、質問される。 「あなたは有名な言葉は知っている。『かんじんなことは目に見えない』それは誰が言った言葉ですか」 だんだんいろんなことが不安になる。 俄然その本を読んでみたくなる。「その本を売ってください。ですからどうぞ道順を教えてください」 そこで「後編」に「つづく」。 そう言えば、改めて聞かれると、私も答えられなかった。 そう言えば、王子さまの星が舞台だったと勘違いしていた。これはなんと地球が舞台だったはずだ。(←それでいいよね!)ほんとに王子さまは主人公なのか?違う気がする。あゝ全てがわかんなくなる。 でも、後編はもっと大きなどんでん返しがある気がする。決して「星の王子さま」を読み返してはいけない。あやふやな記憶をもとに、私は「謎解き」を始める。果たして、何故主人公は違う気がするのか?何故「かんじんなことは目に見えない」が王子さまが言った言葉でないと思えるのか?店主の質問の裏に何か隠されているのか?ドキドキする。店主は「その本」を売って道順を教えるのか? そういえば、 王子さまは何故地球に来たんだっけ? 全然覚えていない。 なんか悲しいことがあった気がする。でもどうやって地球まで来たの? いや、皆さん教えないでくださいね。来月まで考えます。
2021年08月21日
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10年ほど前に韓国映像資料院を探して韓国版の本書を手に入れていたんだけど、どう探しても出てこない。また、その時の日記も見つからない。あれは幻だったのか?というわけで、日本語版を図書館から借りた時とは思惑の違った書評となりました。 「韓国映画100選」韓国映像資料院編 桑畑優香訳 韓国映画人が、2013年までの作品で後世に残しておくべき韓国映画100を選んだ。その邦訳版である(邦訳版はその後つくられた5作品を加えている)。ラインナップと写真を見るだけでも楽しい。 この日本語訳を読むと、100選の多くが韓国映像資料院ホームページで公開されていると書いているが、韓国語オンリーのホームページに登録しないと見れない。よって諦めた。90年代後半、2000年代以降の作品は(日本公開されてヒットしたので)7割ほど観ているが、それ以前は観たくても手に入らない。今回初めて、もしバッタモノDVDでも手に入れたら内容を確認できる可能性を得た。 バッタモノで今までなんとか観れた作品は二つ。 「下女」1960年、「ホワイトバッヂ」1992年である。 「下女」では、貧困階層を前提にしながらも、妊娠させてしまった下女の狂気に次第と一般家庭が翻弄されて堕ちていくという非常に怖い作品になっていた。 「ホワイトバッヂ」では、1970ベトナム戦争の加害責任を重層的に描き、それを1980光州事件の直前の情勢中で回想させることでさらに物語が重層的になった。 「下女」でアン・ソンギが端役で出ていて、「バッヂ」では主役。80-90年代の重要作品にはことごとくアン・ソンギが主役級で出ていた。彼は韓国映画の俳優でいえば神様みたいな存在かもしれない。 「貧困」、「アメリカ」が韓国名作映画でポイントになっている。戦前映画になれば「日本」がそうなるのかもしれないが、名画100選の中には日本はあまりない。その意味でも、日本は自意識過剰なのではないか? 因みに、私の映画館鑑賞済みの98年以降作品は「シュリ」「ペパーミントキャンディー」「JSA」「復讐者に憐れみを」「地球を守れ!」「殺人の追憶」「浮気な家族」「オールドボーイ」「うつせみ」「グムエム 漢江の怪物」「シークレット・サンシャイン」「母なる証明」「ポエトリー アグネスの詩」「嘆きのピエタ」「怪しい彼女」「国際市場で逢いましょう」「新感染ファイナル・エクスプレス」「タクシー運転手 約束は海を越えて」「パラサイト 半地下の家族」である。全て傑作か傑作に近い作品であり、選出者の眼の確かさを証明しているだろう。
2021年08月16日
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「世界のしゃがみ方 和式/洋式トイレの謎を探る」ヨコタ村上孝之 平凡社新書 これは掘り出しモンの論考だった。 視点が素晴らしい。 誰もが知っているけど、誰も知らないことを掘り起こして、何処を広げても発見に満ちた新書になった。 私は韓国を旅した時に、ディープな旅をしたいんだけど、知り合いも居ない通りすがりの身なので、旅の「視点」を絞っていた。宮本常一を真似て高いところに登ったり、路地裏に回ったり、衣類の干し場を見たりする他に、もう一つ気をつけていた事があった。トイレはどうだったか?を目に焼き付けるのである。これは日本の旅でも同様である。何処までヨソヨソしく綺麗か?如何に汚れているか?どんな「落書き」があるか?其処に其所の民俗のディープな姿があるだろう。(韓国のトイレ事情を話すと長くなるので省略する) ところが、私は現代しか知らなかった。 ところが、私は一部のアジア諸国しか知らなかった。 私はトイレ事情に関して「無知蒙昧」であったたことを痛感した。 もう付箋紙だらけなのだけど、簡略に「新知識」をメモしておきたい。 ⚫︎ロシアの大便トイレは座らない。和式のようにしゃがむ。ただし、反対方向にしゃがむ。しかもつい最近まで扉はない。 ⚫︎関西空港の洋式便器の使い方の図に、座るが◯でしゃがむのは×の図がある。←私も見た事がある。(どうやるのかずっと疑問だったが)西洋(ロシア等)では本当にしゃがむ腰掛け式のようなトイレがある。足場がなくてもスクワット式にしゃがむようだ。基本的に壁を背にしてスクワットする。 ⚫︎最近の男性は女性から以下のように強制されているらしい。腰掛け式便器で小便をする時には、羽根飛び散って汚れたりするので、腰掛けて小用をするように言われるらしい(05「週刊プレイボーイ」)。世界的に男性は、この「危機」に陥っているらしい。それに対して「立って小便をすることに『男らしさ』を感じている層」はかなりあり、一定の抵抗がある。←私もそうだ。←そもそも立ちションという言葉はトイレでは使ってはいけない。これは外用の言葉であり、小用を足すというべきである。 ⚫︎近代日本では、女性の立ち小便は広く行われていた。京都は「犬矢来」や「立ちション禁止の鳥居マーク」があるが、これは立ち小便を「小便タン桶」に誘導する目的もあったと考察している。家主の尿代金収入があったらしい。その点で京都の立ちションは有名だった。江戸が珍しくないだけだった可能性もある。女性の立ち小便の場合、尻を向けて場合によれば足元に飛び散らないように中腰になって用を足していたようだ。昭和20年代山形で普通に見られたという記録もある。 ⚫︎1964年東京オリンピック国立競技場に女性用立ち小便陶器(TOTO作製)が据えられた。すぐに廃れた。 ⚫︎金隠しがなぜ生まれたか、此処には諸説を書いていて、結局ハッキリしていない。 ⚫︎世界的に見て、壁に向かってしゃがむのは日本だけであり、あとはトルコ式にしろユーラシア式をしろ、基本は壁を背にしてしゃがむ。何故そうなったかはハッキリしなかった。日本も、武家の屋敷では一時期扉に向かってしゃがんでいた。敵に背中を取られないためである。←この本では、壁に背をするようになった理由について解明されていない。是非とも解明して欲しい。 ⚫︎日本はもともと水洗トイレだった。厠(かわや)は川屋だった。「古事記」でも、大物主神は自らの姿を矢と化し、大便が流れる「溝」を通って美女のほとを貫く。この方式のトイレはアジアに広く分布する。 ⚫︎現代の水洗トイレは、明治20年横浜五番館クラブ・ホテルが最初。そのあと21年東京帝国ホテルにも水洗便所が設備された。しかし、1963年の統計では都市部では普及率13%、1973年で都市部で39%となっている。←ちなみに「私の家」が水洗トイレになったのは「2012年」である。我が村の下水道工事が完成したのは確か1990年代だったと思う。つまり2000年代までは半分水洗が普通だった。それを回収する(名前忘れた)◯◯車は、確かに周りを回っていたのである。今も何処か回っているかな。 ⚫︎日本トイレ協会の統計によると、腰掛け式便器とユーラシア式便器の出荷率が逆転したのが1970年代後半だったらしい。 ⚫︎トイレがプライバシーをまもる場所になっている。のは世界的である。しかし現代、学校ではトイレが個人の退避所になっていて、「ひとりランチ」などが話題に(09.7.6朝日新聞「友達いなくて便所飯?」)。←これを読んで、私が奇異に思っているのは、マクドで非常に多くの若者が、お店でマクドを食べなくて駐車場で食べている現象である。これはコロナ前からあった。たいてい1人か2人。そんなにも引きこもりたいのか!!お店でのひとりマクドはそんなに嫌か? ⚫︎トイレットペーパーを便器に流さず、箱に入れるのは韓国や中国やロシアだけではない。ギリシャやロンドンでもそういう但し書きがある。←これは水の吸引力の問題で、技術的な問題だと思っていたのだが、未だに世界的にあるのは、他に文化的な問題があるのだろうか?この本では解明されていない。 ⚫︎日本の大阪のコンビニには、反対に「おむつ流すな、注射器流すな」があるらしい(!)←覚醒剤か? ⚫︎トイレットペーパーによって尻を拭いている人口は、現在世界の三分の一に過ぎないらしい。この他うち、多くは水で肛門を洗い清めている。イランやイスタンブールでは、洗浄用ホースがとりつけられている。左手が不浄の手なので、右手にホースがある。←それでも紙で拭かないと水でパンツがびしょびしょになるでしょ?どうしているんだろ? あゝ早く外国に行きたい。早くトイレに行きたい!
2021年08月12日
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「津山事件の真実」津山事件研究所 さて、三十人が殺された「津山事件」の「現場」を見たい、その一点だけで、この本を頼りに場所を探した。この本には、当時の警察の捜査資料が約200ページ以上に渡ってそのまま載っている。第一級の一次資料である。2ページ略地図が載っていた。 津山市⚫︎⚫︎地区は、津山市に住んでいた35年前とほとんど変わらない景色を持っていた。ここだけ時間が止まっているかのようだ。中国山地の山沿いに少し大きめの川が流れ、それに沿って因美線が通っている。昔から交通の要所だったところなのである。「現場」は、その川沿いから一本山道に逸れてずっと行く。そこから更に一本左に入った山沿いの村のはずなのだが、どの道に入ってゆくか、さらにはそこからどの集落が「現場」なのか、この本の(アメリカにあったという)「津山事件報告書」の略地図を見ないことには決して確信できなかったろうと思う。スマホの検索では、決してわからない。確かに、「現場」は土地勘のある私からしても「県北の辺鄙な奥地」だった。 少し津山市に住んでいたからわかるが、冬には雪深い厳しい土地柄なのである。県南は33度の真夏日で一日中晴れだったのに、此処に来ると一挙に5度ほど温度が下がり、小雨まで降ってきた。 それでも、わりと車が往来する。いまだに住んでいる人が多い。私は「現場」は、廃墟のような野原になっているか、ポツンとしか家が立っていなくて、あとは田畑だけが広がる寂しい土地を想像していた。 ところが行く途中、かなり近くの村に行っても家屋が途切れない。平家物語の熊谷次郎直実の「慰霊の桜」の木まであった。法然の弟子であった直実は、久米南町にある法然の誕生寺を尋ねることはあったとしても、そこから何十里も離れたこんな辺鄙な道を、何故歩いていたのか。それとも、此処はそれほどに交通の要所だったのか。 また、「現場」のはずれの小さな祠は綺麗に管理されていた。歩いて10分ほどのところには、バスさえも来ていた。 それでもちょっと迷いながら「現場」の近くまできた。車を降りて歩いてゆく。「地神」や「大日如来」石碑は、この小さな村の入口を守っていた。83年前の事件ではあるが、入口にあるのは、人々がそういう事件を忘れていない証拠だろうと思われた。村はわりと小高いところにあった。意外にも、家々は当時と同じくらいに建っていた。家族全滅の家もあったので、遺族がそのまま住んでいないのは明らかではある。村は消滅していなかった。それどころか、此処に来る途中ずっと棚田が続いているのだけど、休田はあるにせよ、それを含めて田んぼは一つ一つは整備されてこの地域の生産活動はまだ活発に行われている気配がした。村は10数軒しかない。走れば10分で一回りできるほどの集落だった。それでも、83年前、この共同体は「強かに」村を残したのである。犯人が感じた「閉塞感」は、その凶暴な最強最悪の手段を持ってしても、村そのものを無理心中させることはできなかったのだ。 夏の光と雨と風が、村や山々に降り注いでいた。美しいところだった。犯人がそれを感じることができていたならば、キチンと軽い結核を療養して真面目に働き、地道に村の信頼を勝ち取っていたなら‥‥と思わずにはいられない。
2021年08月05日
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