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Based on True story日本映画では珍しいこのキャンプションがつく。みなさんに明日が来ることは奇跡です。それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています。 長島千恵若年性の乳がんの危険性を訴える作品として意味があると思う。もちろん、ここに出てくる二人はごく普通の若者である。そのことに留意した演出は立派だと思う。だからこそ、冒頭の知恵さんのメッセージが生きる。けれどもこれを映画にまでする必要があったのか、という疑問は見ている間じゅう私に浮かんだ。あまり大げさに「生と死」のドラマにしてはいけない。けれども、やっぱり栄倉奈々に白血病で死んだヒロインを演じた吉永小百合のような存在感はなかった。作品としてはテレビドラマで十分だという気がする。土曜日の深夜、この映画の元になったドキュメント『余命一ヶ月の花嫁』をしていた。初めて見る。若年性のガンの何という進行の速さなのだろう。本当に恐ろしい。4月5日、まだ教会に行って、バージンロードを父親と歩き、恋人から指輪を貰い、教会の入り口で次々と記念写真を取る体力のあった、幸せ絶頂のような笑顔いっぱいの女性がその一ヵ月後には死んでしまうのである。最初の頃、ほんとうに笑いこけていた娘が、次第と苦しい顔になっていき、死相が出てきて、カメラの前でも苦しみを隠しきれなくなっていき、やがて全く反応がなくなっていく。それをきちんと、すべて見せているドキュメントである。映画化なんてする必要がなかった。これで十分である。栄倉奈々は自分の親しい人が死ぬまでを見たことがないのだろう。死んでいくということがどういうことか、彼女には全く理解で来ていなかったのだろう。仕方ないとはいえ、映画として作る以上はやっぱり役つくりをして欲しかったと切に想う。
2009年05月18日
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GWに再放送があったNHK『ハゲタカ』の録画をやっと見終えました。NHKホームページバブル崩壊後「失われた10年」と呼ばれる長いトンネルの闇に包まれていた日本に、風穴を開けにやってきた男がいた。日本経済界で、外資系のファンドマネージャーとして暴れ回る男の名は、鷲津 政彦――――。ビジネスとして、外資的な合理主義を盾に、次々と日本企業に切り込み、買収していく様は、まさに死肉を漁る“ハゲタカ”であった。一方、襲い来る“ハゲタカ”に敢然と立ち向かう男がいた。旧態依然とした日本の体制にもがきつつ、懸命に日本企業を支え続けようとするエリート・バンカー、芝野 健夫――――日本初のターンアラウンド・マネージャー(企業再生家)として、企業再生の道を模索して行く。同じ銀行の後輩・先輩でありながら、対照的な道を歩んだ二人の男。会社を患者に例えるなら、徹底的な外科手術で患部を切り捨てていく鷲津と、あくまで内科治療による再生を目指す芝野。 「日本買収」ビジネスを巡る二人の男の野望と挫折を軸に、合理化、弱肉強食が叫ばれる今、日本の会社にとって本当に必要な治療法とは何なのか?を問いかける。『資本主義の世の中だ。何をやってもいいじやないか』とうそぶく鷲津を主人公にすえたことで、彼の最後の最後での決断がこの作品でのキーになっている。『カネの世の中だ。けれども99.9%はそうでも、0.1%はそうではない。機械の中の一つのねじがその機械を決定付けることがあるように』そこにいたるまでの物語でもある。と同時に、二年前放送当時にはしっかり自覚で来ていなかった、バブル崩壊後アメリカ資本がどっと流れたことに対する反省の物語でもある。なんと6月には映画化されるらしい。今ありがちな『リメイク』ではない。純粋な「続編」だそうだ。見なくちゃいけない映画が一つ増えた。
2009年05月17日
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心配していたほどひどくなかった。なんと最後まで眠らないで興味深く見ることが出来た。そうか、この人は結局こういう人だったんだ、と判ったような気がした。作品は人なり監督 : 紀里谷和明 出演 : 江口洋介 、 大沢たかお 、 広末涼子 、 ゴリ 、 中村橋之助 、 寺島進 、 平幹二朗 、 伊武雅刀 、 奥田瑛二 、 要潤 、 玉山鉄二 、 チェ・ホンマン CG全開の擬似時代ものである。史実無視、それはいい。ただ、そのCGが単なる「こけおどし」ではなく、「主張」を持ったCGであって欲しいと思うのだが、どうもみても「凄いでしょ、凄いでしょ」という呟きしか聞こえない。「今まで誰も見たことのない映像体験」とはいうが、私には既視感があるようにしか思えなかった。面白かったのは、 紀里谷和明監督はおそらく家業を継ぐのを辞めてクリエイターの世界に入った人なのだろうと思うが、その立場から見た世界はこのように映るのだということがいろんなところで見えたということだ。五右衛門は秀吉から言われる。「お前の自由とはなんだ?」なんと五右衛門は明確に答えることが出来ない。五右衛門は信長から忍びのお墨付きを貰う。本来、忍びはそう簡単に抜けることはできないはずだ。しかし、五右衛門は簡単に抜けて、いつの間にか大泥棒としてアウトローになっている。自由になるのに本来あるべき苦労をしていないのである。 紀里谷和明は結局お坊ちゃまなのであるということが、本当によく分る。実家は、熊本県下最大のアミューズメント経営会社(パチンコ)である。自信もいまだ岩下兄弟社の大株主らしい。カネの苦労はあまりしたことがないのだろうと想う。『自由とは何か』清志郎ならは゛いとも簡単に答えただろうと思う。(どう答えたかは不自由人の私にはわからないが、簡単に答えただろうということだけは確信できる。)紀里谷和明にとっては、いまだ大きな謎なのだろうと思う。 紀里谷和明はきっと財界人と割と腹を割って話すことが多いのだろう。だから以下のような会話はなんかリアリティーがあるのだ。五右衛門が秀吉に「何故信長さまを殺したのだ?」と問い詰める。秀吉は死を覚っているから正直に答える。「腹がすいていたんだ。」「オレは百姓の出だ。いつも腹がすいていた。腹いっぱい喰いたいと思い、信長様に仕えて精一杯がんばった。そして出世したのだが、食べても食べても満足ができないのだ。とうとう天下を食べたいと思うようになった。」結局そのためには光秀と語らい、信長を殺して光秀を謀殺し、そして今度は朝鮮半島、明をも狙う。この、資本主義の貪欲なまでの利益追求の本能はリアリティーがあった。それに対抗する五右衛門の答えは、あまりにも幼稚なのではあるが。
2009年05月16日
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中学三年生のしかもビデオもない時代、エッチ好きの男の子の性の情報源は、打ち捨てられた週刊誌、その中の平凡パンチや数多くの名もない青年漫画雑誌であった。ときたま手にする月刊プレイボーイの目もくらむような裸のオンパレードに度肝を抜かれたものであった。バックミュージックからすると、70年代後半の話だと思われる。まさに私の年代とほとんどかぶるのである。もちろん、11PMは親に隠れて見た。ものすごいことがおきているはずだ、とみていたら、この映画にあるように「大人の秘密の場所」とあおり文句ばかりすごくて、実際は釣り特集だったりするのである。監督 : 羽住英一郎 原作 : 水野宗徳 出演 : 綾瀬はるか 、 青木崇高 、 仲村トオル 、 石田卓也 、 大後寿々花さて、そういう少年たちにとって今度の試合に一勝できたら美人教師が「おっぱい見せてくれる」となれば、そもそもスポーツ自体はそんなに大嫌いじゃないのだから、思いきっりがんばったかもしれない。だから、話自体は奇抜のように見えて、ものすごくリアルな話になるのは当たり前なのである。監督もよく分かっていて、当時の臨海工業地帯の風俗を非常に忠実に再現していたし(水島工業地帯とよく似た風景だったのだか、やはり違うみたい)、話の落ちどころもリアルであった。けれども、まじめに作れば作るほどおかしいという喜劇の常道もよく分かっていて、笑えた。良質の青春物語になっている。この映画を現代の教師が見たらどう思うのだろうか。モンスターペアレンツ対応、教員資格試験、評価制度、生徒と向き合う時間が極端に減ってきている先生、まじめにやればやるほど鬱等の病気になってしまう現状では、このような話はファンタジーに思えるのかもしれない。
2009年05月04日
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沖縄映画祭でグランプリを獲ったというから、どれだけ笑わせてくれるのだろうか、と期待して行ったのがいけなかったんだろうと思う。監督 : 本木克英 原作 : 万城目学 出演 : 山田孝之 、 濱田岳 、 栗山千明 、 芦名星 、 石田卓也 、 荒川良々 、 斉藤祥太 、 斉藤慶太 五月病の学生も、何でもいいから打ち込めるものを持とうね、途中止めなんかしないほうがいいと思うよ、という軽い主張を持った京都観光映画でした。荒川良々と栗山千明はさすがに安定した演技。見え見えの自己中美人の芦名星もキャスティングの妙ではまっていたと思う。濱田岳がもう少し弾けてくれたらよかったのだが、脚本あるいは原作がこうなので仕方ないのでしょうね。主役の山田孝之、相手役の石田卓也はもっと覚悟を持ってコメディに出てほしかった。「ゲロンチョリー!」という言葉だけが頭に残った映画でした。
2009年04月30日
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たまたま録画していた「必殺仕事人2009」は、時事問題を扱った作品でした。さすが脚本が森下直。彼は映画「誘拐」(1996)で犯人渡哲也がじつは大企業の被害者だったというプロットを書き、今までにない社会派映画を作りました。最近では映画「バッテリー」の脚本を手がけています。幕府は庶民のためと言って定額給付金ならぬ「お公儀振る舞い金」を払うことになっていた。一人当たり一分(5人で一両)である。渡辺小五郎(東山紀之)たちは「今本当に振舞い金が必要なのは、喰えなくて離農して、人別帳がないばかりに土手で夜鷹をしながら喰っているようなあいつらだ」という。そこで口入屋の悪人どもはお役人語らってかれら「ホームレス」らに行方不明者の人別帳を次々と与え、それで振る舞い金をピンハネして大もうけをする。そして、最後には彼らを一箇所に集めて殺すのである。彼らホームレスの知り合いだった新参仕事人の仕立て屋れん(田中聖)は中村主水(藤田まこと)や小五郎、経師屋涼次(松岡昌宏)花御殿のお菊(和久井映見)に仕事を頼むのである。後はいつもの通り。ただし、落ちがある。「振る舞い金のあとには商い税がとられるんだって。どうやらこの二つは抱き合わせだったらしいよ」と小五郎の妻とその母は噂話をするのでした。と、言うわけで私の家にもやっぱり定額給付金の案内が来ました。免許証と通帳の二つをコピーに取らないといけないし、色々書かないといけないし、面倒ですが、貰おうと思っています。もちろんその代償としての消費税には断固反対です。今本当に定額給付金が必要なのは、派遣切りにあった人たち、仕事がなくて自宅待機にあっている人たちですが、それよりも住所移動が出来ていないけれども、その住所移動をするために実家まで帰るお金がなかったり、借金を抱えていて、移動ができない人たちだろうと思います。彼らは受け取ることができません。のどから手が出るほど欲しいはずなのですが。
2009年04月28日
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映画が終わると、隣の若いカップルが「面白かったね」と言って立ち上がった。周りを見回すと、中学生、高校生たちが異常に多い。「あんなに笑いの部分が入るとは思わなかった」「ものすごく笑った。久し振りに泣いた」「喧嘩のところなんかCGを使わずに本気で殴っているわね」という会話は女の子たちの会話である。女の子がOKの喧嘩映画というのは珍しいかもしれない。監督・脚本・原作 : 品川ヒロシ 出演 : 成宮寛貴 、 水嶋ヒロ 、 本仮屋ユイカ 、 上地雄輔 、 中越典子 、 波岡一喜 、 若月徹 、 綾部祐二まだ携帯がない時代だから、80年代か90年初めのころだと思う。不良になりたくて市立の中学から公立の中学に転校したヒロシはその中学で唯一の不良四人組とツルムことになる。姉貴の恋人でとび職の秀さんはヒロシのよき理解者だ。「いまみんなが一生懸命勉強しているときにせっかく不良になったんだから、あとで絶対後悔しないように、一生懸命遊ぶんだぞ」おそらく中学の番長とかは存在しない時代なのである。硬派の不良は本物のヤクザになるか、族になって鑑別所に行くか、世間的には非常に狭い仲間としか付き合えない時代なのだろう。学校通しの喧嘩はするけれども、毎日のように喧嘩をしていると、やがては仲間になってしまう。ヒロシは割りと頭がいいから、その理由付けはする。「そろそろ仲間になろうや。赤木と黒木は薩摩でタツヤは長州みたいなものだよ。で、俺は阪本龍馬‥‥‥」みんなは何のことか分らない。「いや、赤木たちはピッコロ代魔王なんだけど、タツヤたちは孫悟空、べジータがやってきて、みんなが団結するようなものだ」というと、みんなが「おおっー!」と納得するのである。(この話題でみんなが納得するんだからこの話はやはり80年代初めなんだろうな)画面はとても痛い場面が続くのに、女の子たちは感動するというのは、イケメン俳優たちが出ているというだけでなくて、やっぱり「不良」という名の「成績悪いけれども一途で誠実な少年たち」の物語が新鮮だったのだろう。青春アイドル?映画としてはいい映画だったと思う。
2009年04月02日
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監督 : 滝田洋二郎 原作 : 矢口高雄 出演 : 須賀健太 、 塚本高史 、 香椎由宇 、 土屋太鳳 、 萩原聖人 、 渡瀬恒彦 須賀健太くん「三丁目の夕日」ではあんなにも貧乏くさい子が似合っていたのに、今回は自然の中で天真爛漫に活躍する三平が見事に似合っていた。マンガの実写映画化がはやっているが、これもまさにマンガのままであり、ほとんど違和感がない。これは天性のものなのか、それとも彼の演技力の賜物なのか、初めて彼を注目すべきだと思った。最初、意外な三平の才能の紹介があり、よき理解者鮎川によってさらなる釣りの世界を知らされ、そして秘境に入り込んで1.5mの伝説の岩魚に挑むという、全くオーソドックスな展開。けれども、意外にもキャラクターだけに依存しないで一つの物語を作っていた。滝田洋二郎は確かに職人監督である。物語の核となる香椎由宇はよく頑張っていると思う。普通の大根役者よりはよっぽどいい。彼女の感情がよく分った。けれども、ところどころ大味なところがあり、それがこの物語をすこし予定調和にしている。もちろん監督の責任もある。仕方ないのだが、巨大岩魚がCGというのは興がそがれる。やっぱり少年マガジン50周年記念映画以上ではなく、見事な自然の描写、キャラクターも完成されており、本来シリーズ化できる作品なのだが、CGを使う限りは無理だろうと思った。
2009年03月29日
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「ありふれた奇跡」の最終回を見た。最終回を予測するといって書いたこととは、ハッピィエンドを除いて面白いようにことごとく外した。それはおそらく、偶然外したのではなくて、脚本家山田太一は十分検討したうえで外したのだということをあの記事を書いてから三回の展開で私は理解した。>最終回、しかし両家族は反対のままだ。>しかし、ここで自殺未遂の中年男が橋渡しの役割を果たす。という予測をした。陣内孝則さんは確かにカナさんが自殺しようとまでしたことを2回に分けて両両親に打ち明けにいく。しかし、それは最終回ではなかった。そのことで両家は(表面上は)動揺しない。>娘は父親の女装癖を知らない。しかしそのことを偶然中年男は知ってしまう。>中年男は意図せずにそれをばらしてしまう。二人の父親の女装趣味はニアミスはあったものの、ついには二人にはばれなかった。「ずっと秘密にしていよう。誰しにも秘密の一つや二つはある」と秘密を持つことを愉しむ心境にもなったりする。>二人は出会った。二人はお互いありふれた関係なのだとやっと気がついた。けれども二人が出会ったのは、とてもありえないことがきっかけだった。これはありふれた奇跡の物語である。」というような「ありふれた説明ナレーション」はついには聞こえなかった。最終回だから、セリフでもいいからどこかで「ありふれた奇跡」という言葉が出てくるのではないか、と思っていたら、山田太一はついにはそんな脚本は書かなかった。最後の場面は結婚式でも、二人のキスシーンでもなくて、二人が生き生きと働く場面であった。これからも二人は普通に働き、生活していくのだと暗示している場面であった。二人は次第と気持ちを確かめ合い、両家は次第と二人を理解する。確かに最後に少し神様のいたずらはあったけれども、私でも思いつくような脚本は採用しなかった。現実はそんなものじゃないんだ、それでも二人が幸せになるには、何が必要なんだろう、きちんと山田太一は考え、とりあえずの一里塚として、いいハッピィエンドを用意していた。当たり前だけど、さすがだと思う。仲間由紀恵は最後にはしっかりドラマの中に溶け込んでいた。少し彼女を見直した。
2009年03月21日
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「バチスタ」は観ていない。ちょっと評判よかったものだから、一応観ておくことにした。悪くは無い。それなりに少し勉強できて、少し楽しめた。監督 : 中村義洋 原作 : 海堂尊 出演 : 竹内結子 、 阿部寛 、 堺雅人 、 羽田美智子 、 山本太郎 、 高嶋政伸 、 貫地谷しほり 、 尾美としのり 、 中林大樹 、 林泰文 、 佐野史郎 、 玉山鉄二 、 野際陽子 、 平泉成 、 國村隼 一回目では意外性のあった田口さんも白鳥さんももうキャラが確立しているので、今回は完全に狂言回しである。それでは、堺雅人が縦横に存在感を増しているというと、そうでもない。びっくりするようなサスペンスにもなっていない。あっ、だんだんといつもの辛口になって来てしまった。羽田美智子を久し振りに見た。この女性はこのように表情の無い役の方が似合っている。
2009年03月12日
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書いて見て、とっちらかった文になってしまった。無駄に長い文章でよくわからん文章ですが、せっかく書いたのだからと思いそのまま載せることにしました。すみません。テレビドラマ『ありふれた奇跡』の9話が終わった。いつも興味深く見ている。このドラマを見ていない人に説明するのはかなり難しいことなのですが、単なる二人の恋愛ドラマではなく、普通の人々がどのように生きていくことが出来るのか、を描いたドラマである。―――そう書くと、大げさになる。そもそも『普通に生きる』ということは『普通に生きていくことが出来るかどうか分からないけど、生きていこうとしている』ということなのだから。と、書いてさあ難しいことを書き出したと、しまったと思っている私がいる。だめだ、ついつい遠回り遠回りしながら書いてしまう。結論を先に書こう。この時点で最終回を推測してみたい。人は当然不完全な生き物である。人を傷つけ、人を勘違いし、人の気持ちも分からず、等々。それでも何とか付き合って生きている。時には愛し合い、結婚したりする。このドラマももしそうなれば両家族もそれで付き合いが始まる。正解は無い。ハッピィエンドなんて無い。ドラマで見ると、そういうことを客観的に思う。ドラマの効果。だらこのドラマはそういうドラマであって欲しいと思う。つまり、だからこの二人には最後には結婚までいってほしい。「とりあえず、ハッピィエンド」であってほしい。だから、わたしは、最終回の展開を予想してみた。(一番最後に書きます)この登場人物たちはどのように不完全か。主要登場人物三人は自殺未遂をする。家族を火事で失った中年男は、ワーキングプアになって這い上がるところまでいけない。パワハラで傷ついた青年は不正経理をしていたことを恋人に打ち明けることが出来なかった。中絶で子供が生めなくなった女性はどうしても自分が許せない。どれも傍から見ればどうしてそれで大の大人が自ら命を絶とうとするのだ、というような内容ばかりだし、本人たちもあとではそう思う。自ら女装癖のある女性の父親は興信所を使い青年の過去を非難する。それを見ていた妻は「冷たい言い方だ」と非難するが、娘に「あの青年とは付き合うな」というときには同じ言い方をする。おばあさんも青年のおじいさんも、人格者だけれどもやはり人を傷つけることからは避けられない。若い女性は何度も何度も「別れよう」という。青年は何度でも「好きだ」という。けれども本当のところで相手を理解できない。ここまで来たら、二人は結ばれるべきだし、結婚まで行くべきだと思う。そのためにはどのような仕掛けが必要か。たぶん二人の気持は大丈夫だろう。最終回、しかし両家族は反対のままだ。しかし、ここで自殺未遂の中年男が橋渡しの役割を果たす。娘の家族は娘の自殺未遂の事実を知らない。娘は父親の女装癖を知らない。しかしそのことを偶然中年男は知ってしまう。中年男は意図せずにそれをばらしてしまう。そのとき初めて娘の心に化学反応が起きる。ちょうど今日の新聞広告に「ドコモiあるメール大賞」の発表があり、娘が父親に「恋愛ってどうすればいいのか分らない」叫んだところ、こんなメールが届いたのがグランプリに選ばれていた。優しい娘へ恋とか愛とかいうのは後でわかるものですよ。人と人は自分自身の心の持ちようにより変わるものではないでしょうか。綺麗な花を見ても何も感じない人もいます。自分自身が先ず、綺麗と思うことではないでしょうか。おそらくこのようなことを仲間由紀恵は思い、ハッピイエンドに向かうのではないか。「二人は出会った。二人はお互いありふれた関係なのだとやっと気がついた。けれども二人が出会ったのは、とてもありえないことがきっかけだった。これはありふれた奇跡の物語である。」というようなキャンプションでこのドラマは終わるのではないか。
2009年03月08日
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「いきな」!監督・脚本 : 北川悦吏子 出演 : 北乃きい 、 岡田将生 、 溝端淳平 、 仲里依紗 、 成宮寛貴 、 白石美帆 、 大沢たかお 良くも悪くもプロデューサー岩井俊二の作品である。大きな事件も、大きなテーマもない。等身大の高校生の「恋」を初冬の北海道を舞台にさりげなく描く。一回こっきりの、普遍的な「時」を描きたかったのだろう。 こういう体験に思い入れのある人ならば、大切な映画になるのかもしれない。冒頭の「字」は、(おそらく)習字部のハル(北乃きい)が先生に「今の気持ちを書いてみろ」といわれて書いたもの。最初は「いけ」と書き、次に「いくな」と書き、最後に「いけな」と書く。この心の揺れが普遍的ではある。アドリブいっぱいの二人の演技はフレッシュでもあるが、まだまだ「はるふえいhalfway」(成長途中)である。(上は重要なネタバレではないかもしれないが、真っ白で見たいという人にとって邪魔なので隠してみました。スクロールしてみてください。冒頭の文字並びに題名の秘密が書かれています。)
2009年02月25日
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日本アカデミー賞はやっぱりというか、おくりびと旋風に度肝昨日夜、知人から突然電話がありこんな会話があった。「今アカデミー賞のテレビを見ているんだけれども、くまさんの予想は?」「今しているんだ。興味ないから知らなかった。でも、受賞するとしたら出来レースだから「おくりびと」が作品賞でしよう。もしかしたら監督賞もとるかもしれない。主演男優賞は本木雅弘で決まりだし、主演女優賞だけは広末涼子はありえなないから木村多江かも知れない。助演女優賞は樹木希林にとってもらいたいものだ」「吉永小百合はどうでしょう」「吉永小百合も十分に可能性があるよ。日本アカデミー賞はテレビの力が強いから、テレビと協賛してない作品は可能性がない。だから「闇の子供たち」とか「連合赤軍」とかノミネートされていないでしょ。」「おくりびとはよくない作品なの?」「いい作品だと思う。でも僕が一番推しているのは、「ぐるりのこと」なんだけどね。でもテレビと関係ないからむりだ」と、いうわけで、ほぼ私の予想が当たっていました。全然嬉しくないけどね。一番嬉しくなかったのは、「歩いても、歩いても」の樹木希林が受賞しなかったことだ。去年の「ゆれる」の香川照之が受賞しなかったのと合わせて、改めて金の論理で決まるこの賞に失望した。アメリカのアカデミー賞はこの限りではない。期待したい。と、いうわけでここからやっと本題に入る。(いつもすみません)でも樹木希林は受賞しなかったことなんて何処吹く風だろうと思う。ちょうど20日にサイト上に彼女のロングインタビューが載った。彼女はこんな俗世間のことはなにやらとっくの昔に達観してしまっているような気がする。とても素敵なインタビューでした。樹木希林さん、病気は「賜りもの」 乳がんで人生学ぶ詳しくは読んでもらうとして、気に入ったところだけを抜書きします。お医者さんは自分の専門分野については詳しいけど、私の心身のすべてを知っているわけではない。だから、自分の体は自分で守らないと。そのためには自分の体の悲鳴を感じるしかない。性格は人とぶつかって、すぐに分かるけれど、自分の身体は結局、自分で理解するしかない。病気のたびに自分の体を知るのは大事なことだと思うわね。嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。同じように、面白くなくても、にっこり笑っていると、だんだんうれしい感情がわいてくる。だいたい私は仏頂面なので、「なあに」なんて言っただけでも、裕也さんに「怒ってんのか」と言われちゃう(笑)。そうならないようにね。死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう。そういう意味で、がんは面白いんですよね。老いて次第と輝きを増してきた稀有な女優です。樹木希林は。人間、最後の最後まで学びだと思います。
2009年02月21日
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「背筋が凍るわな」監督 : 君塚良一 出演 : 佐藤浩市 、 志田未来 、 柳葉敏郎 、 石田ゆり子 、 佐々木蔵之助 、 佐野史郎 、 木村佳乃 (goo映画より)日本映画衛星放送幼い姉妹の殺害事件で未成年の容疑者が逮捕される。その瞬間から容疑者の家族は、マスコミや世間の目を避けるため警察の保護下に置かれ、中学生の妹・船村沙織の担当は刑事の勝浦に任される。ホテルや自宅アパート、友人のマンションを転々とするが、マスコミの執拗な追跡に行き場を無くした勝浦は、かつて担当した事件の被害者家族が営む伊豆のペンションに身を寄せる。そこへ沙織のボーイフレンドが駆けつける。沙織を襲ったのは、容赦ないネット攻撃であった。ラスト近くこんな意味の会話が沙織と勝浦の間で交わされる。「お兄さんも、お父さんも君が守るんだ」「お父さんも…?」「そうだ。守ろうとしたならば、その傷みを君も感じなくちゃいけない……。それはとても大変なことだ。でも君はできるね?」たった、15歳の少女にそんな理不尽なことを、そんな課題を、勝浦は押し付ける。普通ならば、リアルならば、そんな大変なことできるはずがない、と思うべきだ。けれども、「映画だから」少女はうなずく。普通の女優ならば、それは嘘っぱちの演技にしか見えないだろう。ところが、志田未来は違った。すべての大変なことに気がついた上で、「未来」を一人背負って彼女はうなずくのである。この映画のクライマックスであり、この映画の一番の価値である。背筋が凍った。もともと私は少女が健気にがんばる作品に弱い。でも、志田未来、やはり注目すべき女優ではある。さて、この映画の特徴であるネット攻撃であるが、記者の 佐々木蔵之助のこの台詞に尽きるだろう。「私はこの一連の騒動の取っ掛かりを作っていたと思っていた。ボールを握っていたと思っていたのに、いつの間にかボールは坂道を転げて手の届かないところにいってしまった」少し大げさな部分もあるけれども、似たようなことはネット上日々起こっている。まさに背筋が凍る。このような映画をきっかけにして、ネットの中の暴力をなくすためには何が必要なのか、もう一度みんなで考えていくべきだろうと思う。
2009年02月15日
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何を隠そう、宮崎あおいのファンである。(←別に隠していない?)べつに官九郎に対してはファンでもなんでもない(「ゼブラーマン」「GO」はよかったが「弥次さん喜多さん」「ドラッグストア・ガール」は最低だった)特に喜劇では受けたことがない。監督・脚本 : 宮藤官九郎 出演 : 宮崎あおい 、 佐藤浩市 、 木村祐一 、 田口トモロヲ 、 三宅弘城 、 ユースケ・サンタマリア でもこれはウケタ。楽しめた。あおいファンだからではない。でも、あおいちゃん(急にちゃんづけかよ!)無しにはありえない映画ではある。またしてもあおいちゃんが天才であるということが証明されてしまった。ありがちなストーリーではある。25年前にそこそこウケタパンクバンドが、中年になって再結成、だんだんとパンクとして成功を始める、というものである。それが何故、こんなにも面白いのか。劇場がこんなにもウケタのも久しぶりだ。他はいざ知らず、私もパンクってよく分らない。という、あおいちゃんと同じ目線で私もこの映画に付き合ったわけだ。あおいちゃんの一瞬、一瞬の表情がリアルで面白いし、あおいちゃんがだんだんとこのパンクバンドを好きになるのがわかるから、私もこの映画を好きになっていった。もちろん、出演者は芸達者ばかりだ。佐藤浩市 、 木村祐一 、 田口トモロヲ 、 三宅弘城、それでやはり客観的にあおいちゃんに喰われてしまっているでしょう。パンクは人が思うほど、反体制のバンドではない。「だらしなくて、臭くて、スケベな奴ら」の、それでも現状を壊したいという衝動に少しだけ共感する。あおいちゃんがものすごく可愛くて女の子らしいんだけど、性格は男そのものという役柄を上手く演じていた。でもこれだと、そのままテレビ放送できないんじゃないかな。余計な心配だけど。
2009年02月14日
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「こんなふうに抱っこしてもらっていても、全然恥ずかしゆうない。この町の唯一ええところや」監督 : 光石富士朗 出演 : 松坂慶子 、 岸部一徳 、 森田直幸 、 久野雅弘 、 大塚智哉 大阪が舞台のゆるゆる癒し系映画で、悪うはないんじゃが、イマイチ登場人物たちにのめりこめん。ゆるゆるはええんじゃけど、画面まで緩々になっちゃいけんと思うんよ。例えば、長男は中学生にも見える、大学生にも見える、という難しい役どころやけど、せめて年上の女性に最初に会った時にはどう見ても大学生に見えるように演技してほしかった。最後に生まれる子供は時間軸から行ったら間寛平の子供でしょう、どうしてあんなセリフが出てくるの?学芸会の観客の反応はいくらなんでもわざとらしい。同じ日に「少年メリケンサック」という良質の喜劇を見た直後だけに辛口評価になっているのでは?と心配しつつも、お勧め映画にはなりませんわな。
2009年02月14日
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もともと原作が荒唐無稽な作品。だから映画にするときには二つの方法しかない。ひとつの大嘘以外は徹底的にリアルに作る。あるいは、徹底的につくりもの然とした作品にして、作り物だからこそいえるメッセージ満載の作品にする。しかし、やっぱりというか、どっちつかずの単なる漫画の焼直し作品に成り下がっている。残念ながら私の予言は当たるのか。興行的にはペイできそうなので外れるのか。これだけ超豪華キャストなのに、一番目立っていたのは新人だといっていい小泉響子役の木南晴夏。モッタイナイ。モッタイナイ。監督: 堤幸彦出演: 平愛梨、豊川悦司、常盤貴子、香川照之、ユースケ・サンタマリア
2009年02月06日
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ヨーコさんが木曜ドラマの「ありふれた奇跡」を褒めていて、そのとき初めて「風のガーデン」の後継番組は山田太一脚本であると知ったのだ。「そうか、最初から見ておくんだった」と思って、なにげなく正月韓国旅行以来初めてDVDデッキの録画番組を見てみると、機械はそのまま後継番組も録画しているのに気がつく。ありふれた偶然ではある。と、いうわけで、ここ数日このドラマを見ていて、今朝第3回目を見た。(今現在テレビは5回目を録画してくれているはず)生涯二回目の最初から最後まで見る連続ドラマになるかもしれない。3人の自殺未遂の人間が出てくる。今のところ、その3人の過去を少しずつ掘り下げているところ。倉本聡だけではない、韓国のドラマが起転転々転結だとすれば、日本のドラマは起承承承承承結なんだろうか。いつからそうなっちゃたんだろうか。もちろん、面白い。陣内孝則の部屋の作りはよく出来ているなあ、と感心。今日は、加瀬亮くんの過去がついに語られる。職場でのパワハラ。それはそれで、むごいのだけど、彼は言う。「それはいいんだ‥‥‥。僕が悪いのだから。でも許せないのは、僕自身がそれに寄り添ってしまったこと。あの男に卑屈にも愛想笑いをして‥‥‥」というような意味のことをいう。そして泣き崩れる。もう、3年以上前のことなのに、話し出すと息が苦しくなる。(セリフのひとつひとつが大事なのに正確に覚え切れていません)それで彼は、首をつろうとしたところをおじいちゃんに助けられる。おじいちゃん(井川比佐志)は立派だ。的確な助言と的確な見守りをしている。加瀬亮くんはそのすべてが分るほどに大人な役をしている。加瀬亮くんは貧困の犠牲者じゃないけれど、「反貧困」の中で語られている五重の排除の最後の「自分自身からの排除」に至る道筋を通った大人である。でも彼には「偶然」という助け舟と「家族」というセーフティネットがあったということなのだろう。山田太一脚本は独特である。自然な台詞回しをわざと創ることで、ドラマとしては難しい台詞回しが続く。加瀬亮くんは上手い役者だから、それを全然不自然に感じさせないセリフにしていて、凄い。感心したのは、今回の相手役の仲間由紀恵。彼女は今悪戦苦闘していると思う。時々浮いたセリフになったり、時々自然なセリフになったり。今回の加瀬亮くんの告白に彼女は何回も「うん」という合いの手を入れるのだけど、それが全部違う感情のこもった、意味のある「うん」だった。「私は貝になりたい」よりはよっぽどいい演技だったと思う。プロデューサーは「風のガーデン」と同じく中村敏夫。覚えておきたい名前ではある。
2009年02月05日
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この一週間、ずっと風邪と戦っている。少し寒風に当たると、すぐ夕方頭が痛くなる。体がだるい。関節が痛い。マズイと思い、早めに帰る、途中で夕食をどか食いする。(いまだかって私は病気で1日食欲なくて食べなかったということが一度しかありません。あとは無理してでも、無理しなくてもいつもより多く食べることが出来ます)出来るだけ野菜をとる。予算は無視する。そして温かくして出来るだけ早めに寝る。そうすると、次の朝起きたときに霧が晴れたように身体が軽くなっている。安心して仕事に出かける。その繰り返しなのである。世の中はインフルエンザが大流行である。幸い私はかかっていないが、罹った同僚は、しばらく近づくのも毛嫌いされ、本人も凄く辛そうである。幾つかのインフルエンザはタミフルが効かないということでニュースにもなっていた。そんな情勢だから、このウィルスパニック映画は、もしかしたら大当たりするのではないかと思っていた。監督・脚本 : 瀬々敬久 出演 : 妻夫木聡 、 檀れい 、 国仲涼子 、 田中裕二 、 池脇千鶴 、 佐藤浩市 、 藤竜也 ところが、思ったほど当たってはいないようだ。公開三日後に見たのだが、500席の会場に100席ほどしか埋まっていなかった。内容もイマイチだ。大事なセリフは二つほどあるのだが、それが心に迫ってこない。セリフだけに頼っているわけではないが、セリフに頼っているのである。残念である。今日は雨に打たれたのがよくなかった。早く寝ます。
2009年01月22日
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日曜日に見た『青い鳥』の場合は、村内先生は石川啄木詩集の愛読者であった。いじめというリアルな現実の前には、啄木のほうが確かにあっているような気がする。例えば、気の変わる人に仕えてつくづくとわが世がいやになりにけるかな打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友と別れぬ(映画の中では一首も紹介されなかったが)そんな歌の中の現実が、これから向かう学校の現実の真の姿を探す手助けにもなっただろう。同じ原作者のこっちの映画の方は、結局宮沢賢治が大きくクローズアップされた。どちらの原作にも、実は啄木も賢治も出てこない。けれども、この二人が脚本に使われたのは偶然ではないだろう。岩手県出身の二人の詩人はどちらも言葉の天才で、東北の重く垂れ込める空が、どちらも登場人物の心像風景にぴったり合うのだろう。監督 : 大林宣彦 原作 : 重松清 脚本 : 市川森一 出演 : 南原清隆 、 永作博美 、 筧利夫 、 今井雅之 、 勝野雅奈恵 原作は既に読んでいる。けれども、冒頭から明るい音楽とともに始まる。ずいぶんと原作とは違うタッチで描かれる。ガンで死ぬ人たちの話であるが、泣かす映画にしてしまっては、確かにつまらない。人はその日のまえにどのようにすごし、その日をどのように迎え、その日のあとをどう生活して行くのだろう。映像と見せるためには、むしろ泣くのはほんの少しでいい。あとは淡々とした明るいタッチの方がいい。肝心の心の部分を、宮沢賢治の『永訣の朝』が代弁する。けふのうちにとほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよみぞれがふって おもては へんに あかるいのだ(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)(略)ああ あの とざされた 病室のくらい びゃうぶや かやの なかにやさしく あをじろく 燃えてゐるわたくしの けなげな いもうとよこの雪は どこを えらばうにもあんまり どこも まっしろなのだあんな おそろしい みだれた そらからこの うつくしい 雪が きたのだ(略)詩に託して、雪の岩手県の映像が流れる。その静かな白さが、私には心地よかった。原作は去年一番ないたものだった。映画は泣きはしない。けれども、死を迎えるということはこういうことなのだ、と静かな気持で納得できる映画であった。
2009年01月13日
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「反省文は5枚以上、先生みんなのOKが出るまで5回も6回も書かせたんです。でも書き直せば、書き直すたび、生徒たちの顔が見えなくなるんです」監督 : 中西健二 原作 : 重松清 出演 : 阿部寛 、 本郷奏多 、 伊藤歩 、 太賀 、 鈴木達也 ちょっと粗筋(goo映画より)いじめで自殺未遂事件が起こった東ヶ丘中学2年1組。自殺を図った野口の転校後、クラスに臨時の担任として村内が赴任してきた。極度の吃音の村内に生徒たちは苦笑するが、生徒たちに彼は「忘れるなんて、ひきょうだな」と言い放つ。そして片付けられた野口の机をクラスに戻させ、毎朝無人の机に挨拶し続けた。そんな村内に生徒たちが反発する中、事件で深く悩む生徒・園部はその姿を複雑な想いで見つめていた。小学校時代どもりだった重松清は、村内先生を自分の分身として2年1組に送り込んだのだろう。いつも饒舌な重松文体を抑える役割も持っていたのかもしれない。それと同時に想いをそれぞれのやり方でしか伝えることができない、そういうことの象徴なのだろう。本来描かなければならないところまで省略していたようには思う。けれども抑制の効いた、心にストレートに訴えるいい『いじめ映画』(というようなジャンルがあるかどうかはしらないが)だったと思う。小学生高学年から中学生にみて欲しい。中学時代の私に、いまの私は『責任』を持てるだろうか。もてると思う。あの頃は、特定の個人が個人を悪口を言ったり、いじめたりしていた。ボクは、無視も悪口もしなかった。うっとうしいと思いながらも、Y君やM君にはなぜか好かれていたし、傷つけるようなことはしなかった―と思う。けれども、本当にそうか?もう何10年もボクはその問いを問い返している。Y君、君は中学卒業から4年後、チンピラになって大阪で死んでしまったと、大学のときの同窓会で聞いた。(そのときの原因や君の状況などはついに分らずじまいだ)中学時代、ボクは本当に君を傷つけなかったのだろうか?もう思い出そうにも思い出せない遠い過去だ。ただ、君が死んだと聞いたあのときから、ボクはずーと『遣り残したこと』を考えている。映画の中、反省文を書かせ、『青い鳥』という相談ボックスを作り、『運動』として世間体をつくろうことに執心する学校の態度には反吐が出る。
2009年01月11日
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