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私は唯物論者である。つまり、事物の本質ないし原理は物質や物理現象であると考えている。よって京極夏彦の京極堂のセリフではないが「この世には不思議なことなど何もないのだよ」といいたい。今巷では、このような「不思議なこと」が流行っているらしい。空からオタマジャクシが降ってきた? 石川県で相次ぐ今度は住宅街に小魚 オタマジャクシ騒動の石川竜巻?鳥?いたずら?「空から魚」ミステリーで町大騒ぎ輪島でもオタマジャクシ100匹 路上に一固まりFMラジオのJ-WAVEでは、大槻教授がこの現象に付いて真相はこうではないかと言っていた。竜巻はないといっている。鳥が持って来たにしては、数が多すぎる。この現象は誰も空から降ってきたのを見ているわけではない。8日は気候としては、低気圧が発達して突風が吹く条件があった。川の表面を泳いでいたおたまじゃくしが風に運ばれて落ちる可能性はあると思う。しかし、10センチもする魚がしかも広範囲に、何日も連続して落ちるということがあるだろうか。あとの場合は人為的なものではないかという気もする。昔空から蛙が雨のように落ちてくるという映画があったが、あれはありえないことも時にはおきうるということの「たとえ」ではあった。今回の場合、ありえないことがおきるのだとしたら、それは空から降ってくるのではなくて、人が持ってきたのだ、という方がスポックではないが、「論理的帰結」というものだろう。私は大槻説を支持する。
2009年06月12日
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今朝のNHK「経済ワイドビジョンe」で、『見切り発車エコポイント』という特集をしていました。今度の政府の経済対策のうちの一つです。政府官僚が作った目的は三つあるそうです。 エコ対策。 経済対策 4兆円の経済効果があるそうです。 地デジの推進。野口悠紀雄さんがコメントしていました。『愚作です。経済効果はないと思います。これで新たに買うのならば、別として、他のを買わずにこのポイントを付いているのを買うわけですから。エコも疑問です。すべての商品がリサイクルできるわけではありません。これはあからさまな企業補助成策です。財源は結局税金ですが、一世帯あたり1万円出しているわけです。』野口さん案外よく見ています!!司会者は一応自民党が反論しそうなことを聞きます。「家電製品は経済全体に寄与する性格があると思うのですが(だから一分企業に対する補助というのは当たらないのでは)」バカらしい。素人にも分ります。一番儲けるのは誰か、明らかなのに。そうか、日立やナショナルのために一万円も出すのか。今回グァム移転のために確か2万円以上出すといっていた。まだ1万2千円貰っていないけれど、たったこれだけ貰うためにどれだけ払わなくちゃいけないんだろう。
2009年05月16日
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一昨日の入院騒ぎには後日談がある。退院のあとに病院から電話があったのだか、行き違いで繋がったのが昨日朝。病院の事務の人「昨日は朝早くてご会計が間に合わなかったので、電話でお伝えした上であとで清算していただければと思います。費用は22,300円でした」一秒絶句する。「それは一泊の費用で、私が払う分ですか。ずいぶんと高いんですね。」(1日入院の費用が74,000円ですって!?私はなんとなく、ホテルの一泊分1万くらいだろうと思っていた。なにしろその前段階、自宅の簡易検査が3千円くらいの出費で済んでいたのだ。)「なにしろ、検査が含まれて今すらね」(それはそうなのだろうけど、それならせめて1日入院を勧めたときに入院費用はこれくらいかかります、と言って欲しかった。検査入院なのだから、命にかかわることじゃなし、もしかしたら断っていたかもしれないじゃないか。そもそも、あんたたち医者というのは、入院しますかとか、手術しますかとか、執拗に本人の意思は確かめるくせに絶対カネの話はしない‥‥‥というような不満の声はおくびにも出さす)「分りました。今度のときに払います」という私でした。貧乏生活の私にとっては、こういう思いもかけない出費は本当に痛い。しかも今月は個人のノートパソコン(5万円相当)を逡巡しながら買ったばかりだ。医療費の出費というのは、いつも基本的には普通の商品とは違う。買う前に値段を知らされることはほとんどない。これは全く異常な購買活動と言っていい。これが医療費1割負担の時代だったならば、7400円で済んでいたのである。2割負担になり、3割負担になったときに、私は東京で20万集会に参加して反対はしていたのだが、それ以降のときも私は窓口で500円~3000円くらいしか払っていなくて、医療費が特別高いと思ったことはなく、今回は本当にびっくりした。しかし、それはたまたま私が健康だからからであって、ラッキーだったのだ。1日入院くらいでこんなに医療費が要るのならば、ちょっと多く治療をすればすぐに月8万くらいの医療費が要る日は来るということである。私の財政では、それは我慢できない程度ではないけれども、しかしいろんなことに犠牲を強いる事態になるということだろう。リストラをされて日々の生活費に事欠くような人ならば、だんだんと生活できないことが十分にありえるのではないだろうか。私が今回初めて知ったのは、医療費というものはお金がかかる、しかも自分の生活程度に関係なく、突然降りかかるということである。日本の場合はまだ途中でブレーキがかかる仕組みがある。しかし日本が何かとお手本としているアメリカは違う。私が思い出していたのは、昨日録画で見たNHKスペ「マネー資本主義」、堤美果「貧困大陸アメリカ」である。「貧困大陸アメリカ」では、普通の中産階級が破産宣告をした経緯をこのように話していた。「原因は医療費です。2005年の初めに急性虫垂炎で入院して手術を受けました。たった1日入院しただけなのに、郵送されてきた請求書は12000ドル(132万円)。会社の保険ではとてもカバーし切れなくて、クレジットカードで払っていくうちに、妻と出産と重なってあっという間に借金が膨れ上がったんです」アメリカの普通の市民でさえ、一回の手術ですぐに破産してしまうという現実がアメリカにはある。これで行くと、日本の皆保険は高い保険と3割負担といえどもまだ良いということになる。日本には高額医療減免制度もある。以前のように戻すことは難しいにしても、これ以上悪くならないようにがんばることはまだ可能かもしれない。少なくとも、これ以上の医療費の負担率を上げることや、保険業界の医療行為への介入は絶対防がないといけない。「マネー資本主義」では、サブプライムローンなどの不良債権をまるで福袋と同じように他の債権と混ぜて売り出す「金で金を買う」仕組みを描いていた。危険性をいう経営者も居たが、ほとんどの経営者はそんなことはお買い無しに自分の給料を無制限に引き上げていたのである。(トレーダーの家はまるで中世のお城の広さである)かつてマルクスは資本主義の本質を「わが亡き後に洪水よきたれ」と言ったが、まさにその通りの性質を見せたわけだ。アメリカのウオール街の破綻はおそらく、ウオール街だけの責任ではなく、すべてを自己責任でおカネをまわしてきたアメリカ自身の責任もあるのだろう。突然の「高額」医療に、日本の将来を少し憂いた日になった私です(^_^;)
2009年04月23日
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警察庁の交通事故発生状況(PDFファイル)によると、2008年の交通事故死者数は5,155人(前年比-589人、-10.3%)。54年ぶりに5千人台となった前年からさらに下回った。というニュースをたまたま見て数日前に書いた「自殺者11年3万人超え」という現実がいかに異常ことなのかを実感した。私が子供の頃は、「交通戦争」という言葉があった。しかし交通死亡事故者はピークのときでさえ1万7千人いなかったのである。私の子供の頃だけど、「戦争」という言葉を使って、交通事故をなくすために本当に色々とやったと思う。その数倍の「犠牲者」を出している自殺防止のために、今いったいどれほどのことが出来ているのだろうか。「自殺戦争」という言葉はどうもごろがよくなくて使えないとは思う。けれども、この10年間、日本は戦争状態にあったと思う。なんかテポドンごときにぞろぞろPAC3なる高価な買い物(いったいいくらかかるのかよく分らないのだが、とりあえずこの迎撃ミサイル一発の値段は5億らしい)がたくさん出てきたが、そんな役に立たない代物よりは、目の前の「戦争」終結のために「今そこにある危機」に対処するために、少なくとも防衛費の半分はこの「戦争」のために回すべきだろう。毎年の2200億円の福祉予算の削減なんて言語道断。セーフティネットの構築はいうまでも無い。今からマニフェストをきちんと作って欲しい。それがそのまま素晴らしい選挙対策になるはずだ。
2009年04月07日
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08年自殺3万2249人 11年連続で3万人超す(3日朝日朝刊) 警察庁は2日、08年1年間に全国で自殺した人は3万2249人だったと発表した。過去2番目に自殺者が多かった07年(3万3093人)より844人減ったものの、11年連続で3万人を超えている。 08年分は、男性が2万2831人(07年比647人減)、女性が9418人(197人減)。都道府県別では、(1)東京2941人(2)大阪2128人(3)神奈川1818人(4)北海道1726人(5)埼玉1653人(6)愛知1555人(7)千葉1342人(8)福岡1311人(9)兵庫1298人の9都道府県で千人を上回った。 警察庁は78年から自殺者数の統計をとっている。98年に初めて3万人を超え、03年にピークの3万4427人となった。今年に入ってからは2月末で5125人と昨年の同時期と比べ175人増えており、昨年秋以降の景気悪化の影響が出始めている可能性がある。 例年は6月に前年の自殺者数を公表してきたが、自殺の実態把握について社会的関心が高まっているとして集計後速やかに総数を公表することにした。動機別など詳細な分析が出るのは5月ごろになる見通し。 この表は初めて見た。本当に98年から急激に増えている。「時代の閉塞感」そういうものを確かに感じる。長い不況の中で、リストラ、医療費三割負担、消費税増税、有事法制成立、教育基本法改正、長時間残業、葬式ごっこ、希望の持てない将来、負け組み勝ち組、派遣法改正、ロストジェネレーション、「おにぎり」餓死、そして100年に一度の大不況。「今年に入ってからは2月末で5125人と昨年の同時期と比べ175人増えており、」09年が史上最高の年にならない補償は何処にも無い。何が足りないのか。ひとつは「希望」だ。自分を省みて80年代も確かに大変だった。私はそこまでしなかったけど、100時間以上の残業なんて周りにはざらにあった。けれどもみんな明るかったと思う。なんだか知らないけど、将来に希望があったから。いまはそんな残業なんてサービス残業含めておそらく誰もしていない。けれども、暗い、暗すぎる。「将来展望なんて何処にあるんだ」そんな言葉が聞こえてくる。この記事はもっと掘り下げてもらいたいと思う。確かに分析はこれからだろう。でもこの記事だけでも判ることはある。はずだ。少なくとも、この11年間で、どれだけの「累計自殺者」があったか教えて欲しい。平均が3万2.5千人として35万人強。倉敷のような少し大きめの地方都市が一つ丸々消滅する人数である。そのような数を見せ付けることで、この11年間がどういう時代だったのか、(そして何が原因で誰が悪いのか)みんなに突きつけることが出来るはずだ。(そして何が原因で誰が悪いのか)もっと言いたいけど、今はぐっと堪えよう。何が足りないのか。もう一つ言えば、「笑い」だ。The manzai(5)今日(本当に)たまたま読んだ「The MANZAI」5巻(あさのあつこ著ピュアフル文庫)に、こんな一節があった。 笑っても何もかわらない。孤独も貧困も戦争も困難も、現実の中に生々しくある。笑いでそれを消し去ることはできない。でも、腹のそこから笑うことができたのなら、人は現実から逃げないでいられるのかもしれない。戦うことが出来るのかもしれない。 負けないでいたい。 ふいに、ぼくはそう思った。込上げるように強く思った。 ぼくたちは負けてはいけないのだ。 負けてはいけない。絶望してはいけない。死んではいけない。
2009年04月03日
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abi.abiさんが紹介しているようにノーベル賞受賞者の益川先生が「9条科学者の会」4周年の記念講演をして「最終的には理性の問題です。一つのかけらを見たときに、人間としてそこから何を想像できるか」と述べている記事をふむふむと読んだ。そして、そのすぐ隣にホームレス歌人公田耕一さんの記事があって、これも興味深く読んだ。ちょいと調べると、どうやらこの人一部では話題の人らしい。一気にブレークしたのは、2月16日の朝日にこんな記事が載ったからだ。秀歌連発のホームレス歌人へ 「連絡とれませんか」 朝日歌壇に「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人が現れた。昨年末以来ほぼ毎週入選を重ねている。経歴も年齢も不明だが、投稿数に比例して“気になる存在”度は高まるばかりだ。 初投稿で初入選したのは08年12月8日掲載の〈(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ〉。冒頭は、ダリの時計の絵を連想させる。 4人の選者のうち佐佐木幸綱、永田和宏両氏が「真に迫る、知的な歌」と注目した。投稿には「住所明記」の規定があるが、「住所という存在証明を持たないホームレスという立場は実際にある。排除すべきではない」と、選者の考えが一致した。住所表記は(ホームレス)にすることになった。 入選歌は12月22日掲載の〈鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄(す)てたのか〉、1月5日は〈パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる〉ほか一首。19日、〈日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る〉。26日の〈親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす〉は3氏が選んだ。 投稿はがきの消印は「横浜」。本日付の歌壇欄に掲載の歌には、寿町や長者町の地名が詠まれている。 選外の作品からも人物の輪郭が見えてくる。〈ホームレス襲撃事件と派遣村並ぶ紙面に缶珈琲(コーヒー)零(こぼ)す〉や〈美しき星座の下眠りゆくグレコの唄(うた)を聴くは幻〉。野宿の日もあるのか。今の境涯に対する自嘲(じちょう)も見える。〈百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞〉。朝日歌壇は原則、月曜朝刊掲載。カップ麺(めん)を我慢しても歌を取る姿が浮かぶ。 歌壇係には、ホームレス歌人を思う歌や、「短歌を拠(よりどころ)に生きぬいて」などの励ましが寄せられているが、(ホームレス)では、これらの厚意を届けることができない。 公田さん、何とか連絡がとれませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき10枚の“投稿謝礼”も宙に浮いているのです。(河合真帆) 冒頭の「柔らかい時計」とは具体的にはぐうと鳴るお腹のことらしい。さて、この人例えばJANJANで朝日で存在感増すホームレス歌人というよな記事になったり、3月2日の天声人語の話題になったり、いろんなブログでも取り上げられている。私は〈日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る〉というような素直だけど、当事者でしか歌えない歌が好きである。 そして3月9日の記事では、ついに返歌がやって来たという記事が載った。ホームレス歌人さん返信「連絡とる勇気、ありません」(2009年3月9日3時0分) ホームレス歌人の記事を他人(ひと)事(ごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ 本日付の朝日歌壇欄に永田和宏・佐佐木幸綱両氏が選んで掲載された自称ホームレス・公田耕一さんの作品だ。住所がないために投稿謝礼も応援の声も届けることができない無念を託し連絡を求めた朝日新聞2月16日付朝刊(一部地域を除く)の記事を、公田さんは読んでくれていた。 この歌を記した投稿のはがきには、きちょうめんさがうかがえる丁寧な字で添え書きがあった。「皆様の御厚意本当に、ありがたく思います。が、連絡をとる勇気は、今の私には、ありません。誠に、すみません。(寿町は、東京の山谷・大阪の釜ケ崎と並ぶ、ドヤ街です。)」 公田さんは、横浜市中区寿町辺りにいることをあかしている。だが、「強引に捜すべきではない」というのが選者や他の投稿者らの意見だ。今も週1、2回のペースで投稿があり、片道ではあるが朝日歌壇との回路はつながっている。いつか“勇気”がわく日を待とう、という考えだ。 しかし気になることがある。 胸を病み医療保護受けドヤ街の柩(ひつぎ)のやうな一室に居る やはり本日付で高野公彦氏が選んだ一首から、健康を損なった様子が見える。 選外だが〈我が上は語らぬ汝の上訊(き)かぬ梅の香に充つ夜の公園〉という歌がある。詮索(せんさく)を嫌う人柄の表れだろう。だが、再び公田さんに呼びかけたい。「柩のやうな一室」をシェルターだと思って、健康を取り戻してほしい。 入選を重ね、朝日歌壇あての応援歌は増えるばかりだ。ある人は公田さんの名を探すことが月曜朝の日課になった自分を詠み、ある人は奈落の底から発信される生の歌の迫る力にうたれ、脱帽するとうたう。どの作品にも誇りを捨てず歌を携え生き抜いて、との願いがこもっている。(河合真帆) 河合真帆記者はきっと20代の入社5年目くらいの女性だと想像する。文化部なのに、朝の三時に記事を配信している。ずいぶんと迷いながら、けれども気負いながら書いているのだろう。けれどもこうやっておそらくペンネームの公田耕一さんを時の人にすることは、果たして耕一さんのためになっているのだろうか。「勇気がない」とはどういうことなのだろう。何故「自信が無い」と書かないのだろうか。私にはわかる気がする。公田耕一さんは充分に理性がある人で、「そこから何を想像できるか」よくわかっているのだろう。実際居場所だけ教えて絶対取材は受けないと約束させればいい、ということには絶対ならないことを知っている。マスコミはそんなに甘くないし、万が一それが可能だったとしても、一度マスコミとパイプをもては精神的に自分の居場所がなくなることを知っているのだろう。才能はあると思う。しかし、本人は自信がないだろう。一方では自負もある。確かに健康を損なっている可能性はあり、心配だ。けれども、新聞記事で心配するようなことでもない。周りのセーフティネットが心配すべき問題である。「勇気がない」。それはいつまでもこの状態ではいけないとも思っている証拠ではある。どうしてホーレスの人たちは、こんなにも真面目で、こんなにも優しく、こんなにも優柔不断なのだろう。そして、才能のある人がこのように実際に居る。
2009年03月10日
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家を整理していたら、三年前にPCが壊れたときになくなっていたと思っていたデータが出てきたということは既に述べた。そのCDの中にワープロ日記があった。インターネットやパソコンなどまだ遠い世界の話だと思っていたころにつけていた日記である。それなりに思うことがあったのだろう、知的生産カードの代わりにでもしていたのかもしれない、仕事の記録、人に出会った話、読書や映画の記録、多岐にわたっている。途中から文の前にキーワードを置くようになった。データ化をして、後で活用しようと思ったのかもしれない。(ついに活用はできなかった^_^;)91年から95年までにはわりとこまめにつけて、一挙に00年に飛び、そして突然終わっている。そのころからインターネットで通信やら、書評やらをし始め、そしてこのブログに変わってきたからであろう。読んでいると気恥ずかしいし、わけの分らんことを書いているなあと思う。感心する事は強いて言えば少しだけあって、時々「歴史の中の自分」を意識しているということだ。青臭くもあり、結局今思えば、正しい歴史認識とはいえないことも多い。そんな中、こんな日記があった。15年前の「今日」の日記である。94年3月6日(日)なんて賢い夜だろう少しだけ寒く私を包む 昨日は中執。そのあとはT夫妻とHと岡山の大関で飲み、カプセルに泊まった。今日は午前中旭川原で春闘決起大集会。1100名で目標以上だと発表。朝川原に行く途中Kさんと一緒になる。私学助成の集会でパネラーをするのだという。春闘についての会話。「でもあんまり人が集まりそうにないんです。」「集会というのには来ないよねえ。」「いや、例えば、自分の給料に関係することには熱心になるんですよ。でも消費税とか年金が自分の生活に結びつかない、たとえ結びついても、どうしたらいいのか知らない…」「学校じゃ何も教えてくれないものるえ」「そうそう」「(略)細川さんはあんな無茶をしていったい何を狙っているんだと思う?」「小沢一郎の本を読んだらわかるんだと思うんだけど、日本をアメリカに次ぐ大国にしたいんだと思うんです。」「そうすることで何の得があるの」「それが日本が豊かな国として生きのこる道だと信じているんでしょう。」「結局金持ちのためなのね。」「そうそう」 午後東宝で映画を観る。『ラストソング』杉田成道監督、木本雅弘主演。木本演じる「修ちゃん」の存在感が圧倒的。「まだレコードが傷つきやすい塩化ビニールだった」80年初め、昔は「日本のリバープール」といわれた場末のライブハウス、ネズミが這うような倉庫、いい音、わるい音、蒸せ反る若い人間、そこで出会った三人(あるいは二人?)の夢への実現から別れに至る物語だ。この四日後に細川首相は辞任を発表する。この「細川さんのあんな無茶なこと」がなんなのか、よく分らない。けれども細川首相が小沢の傀儡政権だという認識はあるようで、基本的に小沢の評価は、私は今に至っても変わらない。小沢は党の壊し屋である。これで民主党という党も壊れていくのかもしれない。このころの春闘決起集会は1100人で少ないという認識だったようだ。今年は500人強だった。労組の組織率の低下はこのようにも現れている。このころは3500円でカプセルによく泊まった。今は2000円でよくネットカフェに泊まる。そういえば、「ラストソング」という映画はあった。いまはDVDも置いていない。でもモックンはいい演技していたと思う。彼はずっと地道な努力家だった。この東宝という映画館も去年潰れた。
2009年03月06日
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つい衝動買いをしてしまった。週刊誌を数年ぶりに買った。表紙に惹かれたからだ。一冊210円くらいだと思っていたら、レジに差し出すと370円。時既に遅し。何故買ったかと言うと、「あしたのジョー」がそのまま復刻連載されるからだ。同誌の創刊50周年企画の一つで乾智之編集長は「『あしたのジョー』は、格差や不況で閉塞(へいそく)感が漂う現代社会の究極の癒やし。何度挫折してもまた立ち上がる主人公矢吹丈らの生きざまが心身ともに疲れきったサラリーマンにパワーを与えると考えた」と話す。出版不況の中、中高年世代に思い出深い作品を掲載することで幅広い読者層の取り込みをはかる。のだそうだ。果たしていつまで続くのか見ものではあるが、こうやって一話を見てみると、とても1968年の作品には思えない。これは現代の風景ではないのか。おそらくちばてつやが原作者高森朝雄(梶原一輝)に無断で書き足したであろう冒頭部分の数ページは象徴的だ。「東京‥‥‥」(東京タワーや都会の風景)「東洋の大都会といわれるマンモス都市東京」「その華やかな東京のかたすみに―」(ビル群から平屋のドヤ街に風景を移して行く)「ある‥‥‥ほんのかたすみに―」「吹きすさぶ木枯らしのためにできた」(木の電信柱に木枯らしが吹く)「道端のほこりっぽい吹きだまりのような」「あるいは川の流れがよどんで岸のすぼみに群れ集まる色あせた流木やごみくずのような」(いろんな物がよどんでいるどぶの風景)「そんな街があるのをみなさんはご存じだろうか―?」「この物語はそんな街の一角から始まる‥‥‥」(ここでやっと遠景の風景として矢吹ジョーが登場する。俯瞰から見るドヤ街ほこりや新聞紙が飛び、ゴミ箱が倒れ、ラーメン屋台の二輪車が昼の休憩をし、「酒」のちょうちんや「お泊り」のちょうちん『御宿一泊百円』の看板などが見える。)ここから立ち上がる矢吹ジョーに現代のサラリーマンは力をもらえるのか。それはそれとして、この日から41年たった今、日本はやっぱり華やかな都会の片隅に『一泊1000円のネットカフェ』を作り、影のように冷たい精神的な自己責任という『ドヤ街』を作っている。ところで矢吹ジョーはいったい何処から来たのか。過去はどうだったのか。全く今もって謎だ。『まれびと』としてやってきた神のように、何事かをなして去っていく。あまり神頼みはよくない。今回の週刊現代の記事で一番強烈だったのは、小池百合子の小沢批判であった。「私が小沢一郎を見限った理由」かつて小池は小沢の盟友だった。92年細川元首相率いる日本新党で初当選、そのあと小沢が党首を務める新進党に合流、97年それが分裂すると、小沢が結成した自由党に合流、00年にそれが分裂したときに小沢とたもとを分かつ。そして保守党に加わり、自公連立政権に合流、02年自民党に合流、小泉の下で環境相。つまり小池は6年間小沢と苦労をともにしたのである。その小池が何故小沢の下を去ったのか。小池はこのような言葉を残している。「小沢一郎という政治家は結局「政権交代」しか念頭にない。最初に自分自身が描く結論ありきで、それが「政権交代」一点突破。私はその小沢さんの夢を実現するための「駒」の一つでしかなかった。」「「国連中心主義」は国益を思ってのことなのか、憲法・法律論をいっているのか、突き詰められていません。小沢さんは昔から議論を吹っかけてたのしんでいるようなところがある。」「小沢さんは政策よりも政局が第一なんです。政治の場面場面はすべて政局でしか見ない。いつもそうでした。「政権交代」をしたあとのイメージが彼からは見えない。その結果国民の生活が混乱させられるのが目に見えるようです」果たして渡辺治もかつて立場は違うが小沢に対して同じようなことを書いていたと思う。小池の批判は鋭い。だからと言って、自民党に任せようという気にはならないが‥‥‥。
2009年03月03日
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先週の土曜日からずっとこのガソリンスタンドでは一リットル96円のままだ。このまま安定してくれたらいいのだが。私はガソリンは安いところを選んで入れているので、たぶん最高値のときは172円だったと思う。それと比べると、76円近くこの二ヶ月で落ちたということになる。私がだいたい一ヶ月100キロ走るので、まあこの二ヶ月で12000円近く経費節約になったことになる。つまり825億円もの無駄な経費をかけて定額給付金2兆円をばら撒かなくても、もうすでに国民にあまねく給付金はいきわたっているという考えも出来るのではないか。私はぜひ新聞社あたりが調査計算してほしいと思っているのだが、果たして此の間のガソリン安でどれくらい国民にお金が最高値と時と比べて戻ってきたのか、そして、消費者購買動向にいい傾向が見られたかどうか、数字で持って調べてほしいと思う。私の感覚でいうと、たとえ12000円経費が浮いても財布は閉まったままである。通常国会で論議するまでもない。日本政府の政治家はよっぽど暇なのだろう。結局この二ヶ月この定額給付金をどうするかということしか論議してこなかった。アメリカのように、銀行証券会社があぶないわけでもない、大企業があぶないわけでもない(だって、16社で33兆円だったけ、溜め込んでいやがるんですぜ)。だから別にやることがなかったんですね。ご苦労様です。ってなわけねえだろ !いま、政治家が一番しなくてはならないのは、緊急避難的には、誰一人でも非正規労働者を路上で死なすということがないようにすること、次には非正規労働者の雇用を安定させるに有効な法律を早急に可決すること、その次に全国民が安心して生活できるように『莫大な予算』を使うこと、だろう。消費力の増大こそが、この不況を乗り切るキーワードなはずである。ところが、無能なのか、わざとなのか知らないが、どうもなーんにもやっていないようだ。つまり彼らは、日本なんてどうなろうと構わないと思っているのである。グローバル企業である大企業さえ生き残ればそれでいいと思っているのである。‥‥‥というようなことをガソリンを入れながら考えました。
2008年12月27日
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昨日、一番安いガソリンスタンドが120円になっていた。今日は数軒それに追随していた。ついにここまで来た。感慨深い。九月の終わりには172円まで行っていたと思う。たった一ヶ月半の間に50円下がった。株価よりも落ち方が激しい。120円と言う数字は実は思い出がある。2005年12月17日の安い水準の岡山県のガソリン価格だった。何故覚えているかと言うと、九州平和と古代を訪ねる旅(1)この旅のために一番目に入れたのがこの価格だったからである。やがて数日後、福岡で117円のガソリンを入れてものすごく安い、と思った記憶があるし、九州大分から愛媛に渡ったとたんに132円になってびっくりした覚えがある。では、ガソリン価格は比較的安定していた3年前に戻ったということなのだろうか。イヤ、この120円は同じ120円でも、3年前のそれとは違うだろう。今ガソリン価格は産出量と需要と供給で決まっていくものではなくなってしまっている。ガソリン価格はこれからさらに落ちるだろう。そしてまた反発する。実態とはかけ離れて、本来海を行く魚が空の上でくるくる回っている。マネーゲームで石油価格がころころ変わり、小麦価格がころころ変わる。そんな経済を根本から「規制」する、そんな政治をする人間が本当の政治家だろうと思う。オバマはどうするのだろう。(すみません、私経済音痴なのでまるきりわかりません)日本では望むべくもない。選挙で替えようと言う所以である。
2008年11月12日
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反貧困運動への弾圧だけではなくて、表現の自由に対する挑戦でもある今回の事件について、もう少し述べてみたい。「麻生出てこい」救援会ブログに此の間の状況がまとまっているので、そこに紹介されているyoutubeの動画を手がかりに今回の事件を若干検証してみたい。渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前主催者「麻生さんところに行こう、というもんなんです。」警察「それだけだったらいいけど」※ほら「政治目的」で持って「デモ」だとはこの警察の人は判断していないじゃん警察「ただ、今日は持ってきていないだろうけど、大きい声出してガンガンやるのは」主催者「サウンドデモみたいなやつ」警察「うんそんなんだったら駄目だけど」主催者「そんなことはしないですよ」※拡声器はダメと言っていることに注意。肉声でぞろぞろついて来ている人に注意喚起するのやめろといっているわけではない。あれがダメならば、旅行の注意喚起の大声はすべてだめと言うことになる。警察「今日はでも申請出していないから、車道はだめだから」主催者「車道は歩かないですよ」警察「だから歩道だよな。それで行くなんならいいです。」※ここで明確にこの警察官はデモ申請していなくても、行っていい、と言いました。警察「(麻生邸の)外周のところから規制しているところから5-6名づつ行くには、いいです。」 ※麻生邸の規制線に近づいたならば、5-6人のまとまりになってください、と言っているわけでそこに近づくまでの約15分間の行進の仕方について注意しているわけではない、と言う点に注意。反対に言えば、そこまでは歩いていっていいですよ、とこの警察官は言ってくれたというわけである。麻生邸についたときに主催者がどのような行動を取るのかは、とうとう行なわれなかったのだから、かりに麻生さんが迷惑だといって逮捕するというようなこともありえないということである。そういうことができるのは、共謀罪が成立したあとであろう。しかし、この映像よく見ると、後ろの方にこの弾圧を指揮したはげ頭の公安がじっと見ている。怖いですね。10/26 渋谷、逮捕前に打ち合わせするデカそのはげ頭の、まさに逮捕前の打ち合わせ映像が今日youtubeにアップされました。「警告を事前にさせないとですね」とセコンドが囁く。ところがその(なんの警告かさっぱりわからんが)警告さえなしに「行っちゃうね」とあせったらしく、いきなり逮捕に向かっちゃったということがよくわかる映像です。これだけの映像があっても、これはまだ「転び逮捕」ではないとしらを切るのでしょうか。記者会見で、テレビ映像が何度も流れる。そのなかで、どこかのテレビ局がこんなことを言っている。「無届でデモ行進を行っていたグループのうちの三人が警察官に暴力をふるうなどして現行犯逮捕されました」私は思う。こんかいの事件は、テレビでのこの一言が大事だったのである。ようは反貧困とか言っている最近の流行の運動団体は違法なデモ行進をするような不穏な団体であるということを世間に印象つければそれでよかったのである。また、新聞報道の警察発表鵜呑みの「公安部によると、1人の男は同日午後3時50分ごろ、事前に警察署に届けを出さず、渋谷駅ハチ公口の広場で集会し、デモをした疑いがある。同庁は主催者の1人とみている。また、ほかの2人は、この男の逮捕を阻止しようとして警察官に抵抗し、暴れるなどした疑いがある。 」という言葉がほしかったのである。今回は新聞記者たちはまるで新人記者に戻ったかのように警察発表をそのまま書き写したのみだ。主催者の言い分を取材しなかったはずはない。非常に意図的である。さらに言えば、次の日に行われたこの記者会見にはマスコミが40人近く来たそうだが、私の検索技術がないのか、未だに一つも記事になっていない。たぶん検察は起訴しないだろう。目的はもう達しているのだから。かえって裁判になれば、真実が明るみになってまずいかもしれない。けれども一方では、刑事裁判は検察側か99.9%勝利しているという苦い数字もあるので楽観はできないのではあるが。これは古いタイプのエリート公安辺りが、仕組んだシナリオのような気がしている。要はちょっと前までの学校でのイジメのパターンである。じわじわと世論を操作してデモなどをするやからを孤立させるというわけだ。しかし、重松清の小説などを読んでいると、イジメはさらに高度に発達していることを私は知っている。いじめる主体だった側は時々一夜にして苛められる側に変わるのである。理由は些細なことでいいのだ。幾分「運」も関係してくるが、いじめる側に不利な印象操作が少しあればいいのである。彼らは、マスコミさえ動かせればそれでいいと思っている。しかし、ブログの力はこんなときに発揮するのではないか。youtubeの動画はこんなときに力を発揮するのではないか。繋がる力に期待したい。
2008年10月29日
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朝久し振りにテレビを見ていて、驚いた。(どこの局か忘れてしまった)あそーの秋葉原パフォーマンスでいかにもすべてのおたくどもが麻生を支持しているかのような印象を受ける映像を作っているなあと漫然と見ていたら、突然次の場面では「一方渋谷では、麻生首相の豪華邸宅を観にいこうとデモ行進をしていた団体が、無許可デモのために逮捕されました」と言って警察に逮捕される瞬間を映していた。最初の感想は、「あれは単なる見学ツアーだったはず。誰かのぼせがデモ形態を取ったのだろうか。車道を歩いたのだろうか。しかしそれぐらいで逮捕するのはあまりにも不当だ。警察は逮捕するために集まってきて、言いがかりで逮捕したに違いない」国家権力がいかに彼らの動きに神経を使っているかの証拠だ、と一応思いました。果たして、朝日新聞記事ではこうなっている。「麻生首相宅見に行こう」 ネットで募り無届けデモ容疑ところが、この容疑はどうやら完全に無実無根のようです。万が一シュプレヒコール挙げても、車道を組織だって行進しない限りはデモではないのに、本当にのどかに歩いて15分くらいで行ける麻生宅に行こうとしていただけのようです。案の定、雨宮処凛さんの「すごい生き方ブログ」では全面的に否定している。歩いただけで逮捕!! マガジン9条 でも告知した「リアリティツアー 62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」が今日開催されたのだが、 トンデモないことに歩いてただけで突然警官が襲いかかってきて、なんと3人が不当逮捕されてしまった。 一部報道では「デモ隊が警察を殴った」などと報道されているが、トンデモない事実誤認だ。 またしても目の前で逮捕の瞬間を目撃したが、歩いてただけで突然参加者に襲いかかり、 暴力を振るいまくって拉致したのだ。 また、「無届けデモ」などとも報じられているが、ただ歩いて麻生の家に行こうとしただけだ。 当然車道など使ってはいないし、横断幕なども「しまえ」と言われて掲げていなかった。 ただ、貧乏な人たちがぞろぞろ渋谷を歩いて麻生の家に行こうとした、というそれだけで逮捕されたのだ。 貧乏人は道を歩くことも許されないのか? 詳しいことはのちほど報告したい。 また、報道関係の方は、私のところまで連絡頂ければ対応します。 さらに詳しい状況は生きてゆく派遣社員のBlogでも紹介されています。非常に客観的かつ具体的な文章で信頼できるものだと思います。貧乏人は道を歩くことも許されないのか? 本当にこんなことを許してはいけない。まさに民主主義の根幹に直結する問題である。
2008年10月27日
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そっと贈り物 あしながおばさん、寄贈の絵本500冊(10月26日朝日朝刊)(略)贈り先は大きな図書館がない過疎地に限り、これまでに和歌山県の新宮市や北山村、三重県紀宝町などの50カ所に届けた。 名前を伏せるのには理由がある。 学生時代、電車の中でワンピースの背中のファスナーが壊れていることに気づいて困っていたら、60歳くらいの女性が直すのを手伝ってくれた。お礼をしようと名前や住所を尋ねたが、「その気持ちを私以外の人にあげてください」。あの女性と同じような生き方をしようと思い続けてきた。子どもたちがイメージしやすいようにと、本に張るシールを知人らがつくってくれた。 (略)このネット記事には載っていないが、今朝見た朝日新聞には、小説のあしながおじさんに似せた黒いシルエットの細長のおばさんの絵があった。自分の人生を工夫すれば、何かいろんな可能性があるかもしれない。そんな気にさせる記事でした。
2008年10月26日
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10月18日(土)の朝日別刷りの「be」が面白い、土曜日に書いたが、そのとき紹介した三つの記事のうち一つ「小泉改革路線の功罪をアンケート 」はすでに紹介した。「be report」は、やっと今日アスパラ倶楽部に記事が掲載されたので、そのままコピーしたいと思う。(アスパラ会員でないと記事を見ることが出来ないため)世界金融危機について、非常にわかりやすい解説であるのと同時に、財界にとっての解決策ではなく、庶民にとっての解決策をきちんと提示しているという点で画期的である。記者の山田厚史はこれから注目していきたい。(文字が太字のところは私にとっての強調点です)世界金融危機、何が起きた ■「吸い込み装置」壊れ、総決算の様相 対岸の火事かと思われていた米国のサブプライム危機が「世界恐慌の始まり」のように言われています。引き金は住宅バブル崩壊でした。証券会社や銀行が連鎖して倒れ、ついにドルの金融市場がマヒしました。繁栄を誇った金融資本主義が「市場による自己否定」にぶち当たったように見えます。世界経済の構造や価値観にまで変化が及ぶかもしれません。 「帝国循環」という言葉がある。政治力も軍事力もず抜けた国家に世界からカネが集まり、繁栄が続くという構造だ。流れ込むカネで消費が活気づき、外国から物資や製品を買いまくり、代金がまた流れ込む。米国は「黄金の循環」の結果、世界最大の借金国になった。 日銀統計によると、国家間の債権(貸金)から債務(借金)を差し引いた対外純資産で米国は302兆円の債務超過。最大の債権国・日本をはじめ、アジアや欧州から巨額な借金をして繁栄してきたことがわかる。 製造業は競争力を失い、クルマや家電製品、衣料品などを外国に頼っている。イラク派兵で政府の出費もかさみ国際収支は大赤字、借金は膨らむ一方だ。 借金は返済するのがルールだが、過大な債権は回収できないのが通例。「米国が借金を重ねて世界経済を引っ張るゆがんだ構造はいつか破綻(はたん)する」と指摘する専門家は少なくなかった。今回の事態はそれが現実のものとなる第一歩ではないか。 世界からマネーを吸い込む装置はニューヨークにある。ウォール街だ。29年の世界恐慌もこの街から始まった。米国は金融立国として繁栄を続け、グローバル化は金融自由化を世界に広めた。冷戦が終わり軍需産業からも転じた理系の人材が複雑な金融商品を開発し、マネー経済を開花させた。潤沢な資金が利益の源泉であり、世界中が低金利政策に協調し、増殖したマネーが金融資本を潤した。 米国に集まった資金がバブルをあおり、向かった先に住宅市場があった。ローンやクレジットに慣れた消費者は住宅を担保にクルマや家具を買う。住宅の値段が上がると、担保価値が膨らんで借金の枠が広がる。一役買ったのが低所得者向けのサブプライムローンだ。住宅は活発に売れ、00年ごろから価格が急上昇した。GDPの70%を占める個人消費を住宅バブルが押し上げたのだ。日本にも似たそのバブルは06年、頂点に達した。 ■汚染米と同じ 住宅価格が下落すると、米国経済は「逆回転」を始めた。売りに出る住宅が下落のスピードを加速させ、担保価値を下げ、クレジット消費にブレーキをかけた。自動車販売が激減するなど世界を牽引(けんいん)してきた米国の個人消費は冷えている。 もう一つの逆回転は金融界で起こった。金融工学を駆使した証券化でサブプライムローンが世界にばらまかれた。汚染米が和菓子や焼酎になったように、悪質なローンが優良に見える金融商品に化けていたのだ。焼酎業者が損害を受けたように、サブプライムが混ざった金融商品は投資家に打撃を与えた。破綻する銀行や証券会社が将棋倒しのように金融不安を世界に広げた。住宅ローンを買い取る住宅金融公社や保険会社にも飛び火している。世界的株安が傷口を広げ、日本でも大和生命が破綻するなど世界的連鎖が始まった。 米国政府が不良資産の買い上げに7千億ドルを用意しても市場の不安は収まらない。損失がどこまで拡大するか見当がつかないからだ。不良債権を政府が買い取れば損害は確定するが、銀行が耐えられるか。場合によっては債務超過になる。資本が小さくなれば貸しはがしが横行する。大手は日本などに増資を求め、切り抜けることができても、多くの金融機関は日本のように政府から公的資金の注入を受けることになるだろう。 ドルを扱う金融市場は凍りつき、疑心暗鬼から銀行間取引は機能不全に陥った。世界的規模で貸し渋りが始まり、中断されるプロジェクトや企業倒産が起こりそうだ。住宅バブルの崩壊とウォール街の破綻は、カネを世界から吸い込む装置が壊れてしまったことを意味する。 ■FXそっくり 日本で話題の外国為替証拠金取引(FX取引)。10万円の証拠金で1千万円の取引もでき、当たれば大もうけだが、失敗すると大損する。投資銀行が金融工学を駆使してやったことはやはり100倍、200倍にリスクを膨らませた取引だった。「こんなことは続かない」と言われた金融が「市場の自己崩壊」で強制着陸させられた。 米国に依存する経済は限界を迎え、世界は総決算を迫られている。欧州では金融破綻が始まった。中国も深刻だ。上海などで住宅バブルが崩壊し、株価が急落している。輸出に頼る国有企業も打撃を受ける。日本も中国にまで米国向けの生産設備を設けてきた。過剰設備がまた問題になるだろう。 ■日本で使おう 日本も大波をかぶるだろうが、悪いことばかりではない。これまで日本は貯金通帳の数字だけ大きくなり、そのカネを使っているのは米国人という構造だった。これでは日本の内需は湿るばかり。米国の集金装置が壊れ、日本人のカネを日本で使う時代になった。カネを国内で使って豊かになる仕組みを考えること、それが課題だ。 常識を逆転させる発想が必要だ。給料を抑え、自国通貨を安くして輸出に頼る「貧乏輸出」をやめる。上場企業は6年続け増収増益だが、国内経済はパッとせず、消費は冷え込んだままだ。ゼロ金利で企業は助かったが、預金者は大打撃を受けた。 カネを回すべき先はたくさんある。医療・介護など手厚い社会保障は雇用吸収力がある。高齢社会での安心確保という切実な需要がある。石油に変わる新エネルギーや環境に負荷のかからない循環システムなど21世紀の課題に国を挙げて取り組めば、新しい需要が創造される。 29年の世界恐慌が行き着いた先は第2次大戦だった。戦争という巨大な需要で米国は不況を克服し、世界の中心に躍り出た。歴史の繰り返しがないとは限らない。戦争による乱費か、石油文明に代わる環境・新エネルギーで新たな需要を創造するか。「世界不況」は人類を試すことになるかもしれない。(山田厚史) 〈参考情報〉 日本の対外資産負債残高及び地域別残高計数は日銀ホームページ(http://www.boj.or.jp/)で公表している。 (2008年10月18日付 朝日新聞土曜「be」から)
2008年10月21日
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朝ちらりと書いたが、朝日新聞の別刷り「be」のbetweenと言う企画で毎週アスパラ倶楽部8000人からアンケートを取って結果を公表している。今回のテーマは「小泉改革路線は「功」「罪」どちらが大きい?」と言うものでした。結果は功罪相半ばするどころか、「罪」の方が大きかったとする回答が51%で、「功」が26%のほぼ倍というものでした。そう判じる最大の理由は「格差を助長した」が圧倒的でした。(1085人)次に「非正規雇用が増えた」(185人)「政治が劇場型になった」(177人)「社会保障改革が中途半端」(158人)等々と言うものでした。一方「功」の人の根拠は「郵政改革を断行」(309人)「国の借金体質に歯止めをかけた」(162人)「リーダーシップを発揮」(161人)「自民党を変えた」(137人)というものでした。こうやって見ると、功の人たちも「まだ夢覚め已まない」人たちばかりのようです。こういうアンケートもいい。けれども、郵政改革とはなんだったのか、きちんと総括して欲しい、と切に思います。過疎地の郵便局がなくなってどれだけの地域で年金がもらえなくて困っている人たちがいるのか、郵便局の国民の巨大な貯金がマネーゲームに使われ始めていることにどれだけの人が気がついているのか、きちんと総括して欲しい。リーダーシップとは何か、もっと考えて欲しい。自民党は変わったのか、その上で判断して欲しい。それは新聞の役割です。蛇足ですが、とかいてこの記事の終わりに載っています。元首相が後継に二男を指名したことについては「すべきではなかった」「らしくない」が4分の3以上にのぼりました。
2008年10月18日
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株安円高である。去年の今頃韓国ウォンが100W=12.6円だったのに、今は7.1円。今こそ韓国だ!!と興奮してばかりはいられない。理屈ではこの金融危機は回りまわって我々の生活に直撃するということはわかっても、いかんせん、経済おんちなものだ゛からピンと来なかったのたが、先日わかりやすいたとえを聞いた。「例えばうちの所では、退職金積み立てが、すでに含み損で十数億円失っている。この株価で固定するとして、健全経営に戻そうとしたら、毎年一億以上の特別損失を中間決算で計上しなくてはならない。そうなると当然給料やいろんな所にしわ寄せが行くだろう」と耳学問で聞きました。今年のボーナス相場は厳しそうです。それはすなわち、景気の悪化に直結します。金融危機回避のために、各国ともに税金を投入するらしい。日本の過去のやり方が評価されています。けれども、本当にそうだったのか。金融危機を回避するという目的は良かっただろう。けれども、バブルの泡は結局庶民には戻ってこなかった。あのお金はどこに行ったのか。日本じゃないかもしれないが、どこかで金持ちが吸い取って行ったのではないか。内橋克人の「悪夢のサイクル」の紹介でネオリベラリズム循環のことを書きました。「つまり自由化によって、海外からの資金が集まりバブルが起こるのです。このバブル経済が、くせもので、企業だけでなく自治体も借金をしまくるわけです。経済が膨張していますから、借金をしても、すぐに返せると考え、財政規律が緩みます。そしてバブルがはじけます。そのとき、資本はいっせいに海外に逃避し、国、自治体、銀行、企業は一挙に不良債権を抱えます。そしてリストラを始めるのです。このとき、さまざまな規制緩和などの「改革」がまたなされます。そして国や自治体、その国の企業の価値が、安く評価されているときを狙って一気に海外資本がなだれ込む、この繰り返しが果てしもなく続くということなのです。」あの循環の表の通りになっているような気がします。思ったよりも早く、一国だけではなく、世界のバブルがはじけたようです。資本は今いったいどこに逃げているのだろうか。今まで散々溜め込んだお金はいったい何処にプールしているのだろうか。もういいかげん、こんな馬鹿なことを許してはいけない。世の中には、私より経済のことがよくわかってカシコイ人ばかりなのに、シカゴの変な教授たちの説(新自由主義)にしがみついてばかりいないで、そろそろこの循環をとめるべきなのではないか。経済のことはよくわかりません。誰か、その意見は違うよ、と言う方はいますか?
2008年10月11日
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大阪の個室ビデオ店の火災事故では、さすがに犯人の男は格差社会の犠牲者であるという声はあまり聞こえてこない。広義ではそうなのだろうが、生活保護を受けてギャンブルでお金を使い果たして自暴自棄になったと聞かされたら、やはり何をかいわんや、と言うことになる。けれども、可哀相なのは、15人の犠牲者と多数の負傷者である。そのなかの多くがあそこで寝起きしていたのではないか、それこそ格差社会の犠牲者が犠牲になったのではないか、と想像していたのたが、やはりそうだった。それを裏付けるリアルな実態を「親不孝日記」のじゅん2550さんがレポートしてくれている。なんで、怪我人を休ませてあげれない?! ミナミの深夜の個室ビデオ店の火災。ここで寝起きしていた人のひとり、九死に一生を得て、搬送された。両眼角膜上皮剥離。痛くて痛くてたまらない。しかし、彼は、「今から仕事にいく」と言ってきかない。なぜならば、「どうしても、自分で行って話をしなければならない、でないと、仕事を失う。」ということなのだそうだ。(詳しくはじゅんさんのブログを見てください)話の内容から、彼が正規社員である可能性は少ない。すぐに仕事がなくなる危険をはらんでいるのならば、日雇派遣の可能性が高いと思う。イヤ、日雇でなくてもこのような派遣や委託の会社は多い。しかしまともな会社ならば、緊急の休みを認めるはずだ。こんな会社は例外なのではないか。と思うような人は現代の委託派遣の実態を知らないのだろう。私の知っている配達を委託されている会社の社員などは、「骨折をしても、労災を認めるどころか配達に無理やり行かせた」「風邪をひいて朝病院に行き、医者から休めといわれて上司に電話したらすぐに出てきて配達に行けといわれた」「配送中の事故は自己責任で処理しなくてはならない。無事故無違反手当てがなくなったならば、給料がごっそりと減る。」等々と理不尽なことが山ほどある。経営者は、弱いところから金を搾り取る、ということをこの10数年間に学んだ。いや、はじめから知っていたのだが、それを指摘する労組は18%に落ち込んでいるから無いに等しい、法律すれすれ、あるいは少々法律を破っても何とかなるということを学んだのである。ひとりでは、点眼もできないはず。公園で寝てるんとちやうやろか。だいじょぶか!と、じゅんさんは心配する。
2008年10月07日
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今さっき、やっと麻生太郎の「所信表明演説」なるもの聞いた。帰ってメールを開くと「麻生内閣メールマガジン創刊準備号」なるものが来ていた。小泉のときにメルマガを取っていて、勝手に終了、かってに差出人が変わって始まることこれで三回目。まあ配信停止手続きをしてこなかった私が悪いのです。そこにはこんな文章があった。[総理の使命] 麻生太郎です。平成20年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任しました。メルマガ読者の皆さん、よろしくお願いいたします。 総理としての重責をになうこととなり、その責任の重さを改めて感じています。特に、景気への不安、国民の生活と将来への不安、そしてそれらに対して手を打てない政治への不満の危機にあることを厳しく受け止めています。 日本の元気を取り戻す、強くて明るい日本をつくることこそが、私の使命であると思っています。 緊急な上にも緊急の課題は、日本経済を立て直し、生活を少しでも豊かにすることです。すぐさま景気対策、物価高対策に着手します。日本経済は全治3年。3年で日本は脱皮せねばなりません。 私は、日本の底力を信じています。 勤勉な国民であり、優れた技術をもっています。日本経済は、幾度となく厳しい試練に果敢に応じ、その都度、強くなってきました。悲観しなければならない理由など一つもありません。 私は、逃げない政治、責任をもって実行する政治の実現に一身を賭します。そして、強くて明るい日本、私たちが国民として誇りをもてる日本をつくりあげていきます。(以下略)何か違和感がある。それは何か。「景気への不安、国民の生活と将来への不安」この原因が何からくるのか、ひとっことも書いていないと言うことである。この短い文章の中では書けなかったのか。と思い、そのあと□第170回国会における麻生内閣総理大臣所信表明演説(08/09/29) (政府インターネットテレビ) http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2166.htmlと、あったので約21分のビデオを今まで見ていたのである。やはり「不安」があるという。年金、「長寿」医療制度、雇用制度の見直し、「質」の高い教育、「事故」米、(「」は私が付けました)‥‥‥確かに今ある「不安」を羅列はしている。けれどもその不安が何故生じたのか、露の毛ほども述べていない。私も長い人生のなかで何回か「まとめ」の文章を書いたことがある。(其の他「反省書」も書いたことがある)そのとき、一番重要視されるのは、「これから何をなすか」ではない。「何故こうなったか」である。大きい声を張り上げて、野次が飛ぶのを面白そうに受け止めて、それなりにパフォーマーを考えているのだと思うのだが、原因の総括なくして方針はありえない。「わたしは、その実現のため、現場も含め、公務員諸君に粉骨砕身、働いてもらいます。国家、国民のために働くことを喜びとしてほしい。官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」まるで大会社の社長気取りであるが、あなたの経営方針は穴だらけだ。「この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、」この現代憲法を無視した「彼の正直な言葉」に最大限の怒りを持ち、必ずこの内閣を倒そうと決意を新たにした次第です。
2008年10月02日
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harepandaさんが麻生総理に公開質問状を送った。力作です。転載を希望しておられることもあり、そのままコピーします。少し長いけれども、読んで損はないと思いました。全面的に賛成はしないけれども(例えばニート認識の一部)、ところどころ私の知らない方面もあるので判断がつきかねるけれども、7―8割には共感します。以下転載。‥‥‥しようと思ったら、「範囲内(半角 8~10000 文字)の長さの文字列を入力して下さい(現在: 半角 29575 文字)」で文字制限の三倍近くにもなってしまいました。楽天ブログの弱いところです。しかも、「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」だそうです。これも楽天ブログの弱いところです。どこがそうなのかさっぱり見当がつかないので、申し訳ありませんが、アドレスだけを紹介して終わらせたいと思います。harepanda (インターネット上のペンネーム)(ホームページ)(該当文書の掲示アドレス)(十三)「アドルフに告ぐ」をお読みであれば手塚治虫がやった絵画表現上のミスを指摘してください。カトリックの方なら、気がつくかもしれません。それがヒントです手塚大ファンの私がわかりませんでした。誰か教えて!
2008年09月26日
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先の若松孝二監督の「実録・連合赤軍」の記事の中で、私はあの結果がもたらした「反左翼宣伝」が学生運動や市民運動にもたらした影響は甚大であると述べた。その一方で、同じころ、韓国では、民主化運動が高揚し、ついには独裁政権を倒した、とも述べた。簡単に比較はできないが、例えばBSE牛肉輸入規制緩和をめぐる市民運動を比べてもお隣の国とは、これほどの違いがあるのだ、ということを「薫のハムニダ日記」を見ることである程度は知ることが出来る。高速通信の環境にある方は、薫さんの紹介するこの映像(現場の警察の姿(警察による暴力)-ロウソク・デモ)を見て、そこから数珠繋ぎ方式で今回の5月から現在に至る韓国の20年ぶりといっていい、「反政府運動の高まり」を映像で見てほしい。警察に弾圧される市民運動のみの映像だと、「韓国は過激なんだなあ」で終わってしまう恐れがある。次の映像などは、韓国の市民運動が、まさに全国民的な広がりを持っていることがわかる。この映像を見て欲しい。中学生たちが自主的にこのロウソクデモに参加していて、親たちもそれを応援している。中学生と思える女子学生が、大衆の前で堂々と演説をしている。日本ではとうてい考えられない光景である。では、これを日本ではどのように報道したのか。「反対派が激しい抗議活動」「100人が警察に捕らえられた」まるで「騒乱」が起きたかのような報道である。このような報道統制の中でわれわれは生きている。赤軍派がもたらした「しらけ世代」は遠くに去った。あの衝撃を全く知らない世代が、いま「ロスジェネ」として頭をもたげようとしている。自分を「超左翼」といって何の違和感も持たない世代。「右と左の連帯」を簡単に言える世代。そのあっけらかんとした、いっぽうでは深刻な問題を抱えている彼らと連帯しながら、いつか600万人のデモを組織した60年安保の老人たちとも連帯しながら、韓国を越えたいなあ、と思う。
2008年06月17日
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秋葉原事件について、いろんな報道が飛び交っています。まだまだ軽々しく犯行に至る原因を云々する時期ではないとは思いますが、一つのキーワードが浮かび上がってきたので、亡備録として書いておきたい。事件が起きたのは、ちょうどUnder the Sunに「夏の庭」の上映会をという記事を書いた三日後でした。ここで私は、昨今は「命」があまりにも軽々と扱われすぎる事件が溢れています。孫が祖父母を殺す、母親が赤ちゃんを殺す、男が小学生の列に突っ込む、いくらでも見つけることができます。もし、そこまで追いつめられるずっと前に、本人にこの映画を見せることができたならば、何かが変わったかもしれない。そう思える映画です。この映画は酒鬼薔薇事件の起きる3年前に、事件が起きた神戸須磨を舞台に作られた作品です。この映画をもし少年Aが見ることができたならば、などとも思ってしまいます。と書いたのです。今回の事件を起こした加藤容疑者は奇しくも、少年Aと同じ年齢らしい。小さい頃から「教育熱心な」親のもとで育っているという共通項がある。加藤容疑者は、その後何が原因かは知らないが、いくつかの挫折を経験し、派遣労働者として現在に至っている。本当に加藤容疑者にこの映画を見せたかった。未来の小林多喜二さんの秋葉原殺傷事件、犯人は「日研総業」で仕事 という記事を読むと、単なる派遣労働者ではない、本当にヤクザな派遣会社であったことがわかってきました。もうすでにこの会社の名前はマスコミからはシャットアウトされています。問題はナイフ規制や、インターネットでの犯行予告のほうに切り替えられ、個人の資質の問題にシフトしようとしています。それはおかしい。問題は重層的に分析されなければならない。この記事の中のしんぶん赤旗の記事の最後のところに使い捨てにされたもと派遣社員のつぶやきがあります。「正社員で働ける道は閉ざされてきています。働こう、仕事を探そうと思っても希望がない。企業はまず、正規雇用を考えてほしい」「希望がない」。どんなに貧しくても、仕事が大変でも、希望があれば頑張れます。振り返れば、私でさえ、月80時間残業をしていた時期がありました。周りは100時間残業がざらでした。でも、あの頃はだれも職場を去らなかった。そして明るかった。希望があったからです。破滅型犯罪「誰でもよかった殺人」の背景(「広島青年ユニオン・メンバーズブログ」)まるで今回の事件について書かれたかのような記事を見つけました。実際は3月25日のJR岡山駅ホームでの突き落とし事件について書かれた日刊ゲンダイの記事の紹介なのですが、ここでもこんな指摘があります。この傾向は、今の若者たちの間で蔓延する閉塞感と無縁ではありません。『失われた10年』の雇用不安が『引きこもり』や『ニート』を大量に生み出した。希望を失った若者が破滅願望を募らせ、一気に不満を爆発させているのです」(中央大教授の藤本哲也氏=犯罪学) 若者から希望を奪い続けたのが、5年半に及んだ小泉・竹中政権のエセ改革だ。「希望がない」これがキーワードです。それならば、対処療法はおのずと出てくるでしょう。決してナイフを規制することではない。
2008年06月10日
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思えば、五月から六月に変わるこの時期は、気をつけなければいけない時期でした。二年前には共謀罪の突然国会強行採決か、という危機がありました。昨年は国民投票法が五月早々に決まってしまい、臍をかんだのでした。今年は、衆参ねじれ状況の中、悪法は出てこないだろう、と楽観視していた部分がありましたが、反対にいえば、民主党さえ「うん」といえば、なあんの障害もなくらくらく通るという環境でもあるわけです。5月21日は、、「ミサイル防衛」システムのための宇宙利用や、自衛隊の海外活動を支える通信衛星の保有を保障する宇宙基本法が成立してしまった。そしていま、子供たちから有害情報をシャットアウトするという聞こえのいい理由でネット規制法案が可決されようとしているらしい。私のようなのほほんとしているものにとっては寝耳に水です。道理で最近「学校裏サイト」の話題が突然一面トップになったりしておかしいと思っていた。以下情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)さんのネット規制、今国会成立へ~政府主導の規制には絶対反対の声を!の記事をそのまま転載させてもらいます。読売新聞が、紙版で、自民党と民主党が、28日、いわゆる有害サイトへの子供の接続を制限することができるフィルタリングサービスの導入を携帯電話会社に義務づけることを柱とするネット規制法案を今国会で成立させる方針で合意したことを伝えている。合意内容は明確ではないが、仮に自民党案の政府主導のネット規制が導入された場合、いずれ、冒頭に掲げたような規制にまで拡大されるおそれがある。自民党案への妥協を許さないように、民主党議員に働きかける必要がある。ネットの自由を欲する全ての人がこの週末に両党に政府主導の規制に反対する趣旨の声を届けよう! 同紙によると、携帯電話会社は今年1~2月にかけて子供用携帯電話へは原則としてフィルタリングサービスをつけることとしているが、今回の法案はそれを法律によって義務づけようというもの。 有害性の判断基準については、第三者機関が作成すること自体は両党とも一致しているが、その機関について、自民党は「政府が審査・登録した機関」としているのに対し、民主党は「国が関与することは、憲法が保障する『表現の自由』を侵害する恐れがある」と批判しているが、この部分について、両者間でいかなる手打ちがあったのだろうか…。 少なくとも、先進国ではスタンダードとなっている独立行政委員会によるネット行政は盛り込まれそうにない。その点でも課題を残すことになる(法案参照)。 今回の妥協案でインターネット規制に悪しき前例を残さないためにも、自民党の案には絶対に反対だという姿勢をあらゆる手段を通じて、伝えましょう! 以下は、村野瀬さんのブログからお借りしました。マスメディア・官庁・国会議員への電話・投書先のポータルページ●News for the people in Japanマス・メディア 問い合わせ用 リンク集●村野瀬玲奈の秘書課広報室に備え付けの資料■各種国会議員名簿のポータルページ■官庁への意見送付先について■新聞(全国紙、地方紙)、雑誌 読者の意見を伝える窓口(まだ整理しきれていませんが)■テレビ報道番組のご意見窓口リスト(「わんばらんす」さんからの転載)
2008年06月01日
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薔薇豪城さんが21日の日記で後期高齢者医療制度の解説と的確な批判をしています。コメントしようとしたら、長くなりそうだったのでこっちに記事を起こします。実は昨日、いろいろなことがあり将来が不安になり、ガン保険の説明に来てもらいました。後期高齢者医療制度の内容は薔薇豪城さんの記事を見てもらうとして、私がガン保険に興味を持ったのは、もし私が年金生活を始めて、ガンにかかったら、はたして一人暮らしの身で充分な看護を受けることが出来るか不安になったからです。推測年金月10万円、現在加入の医療保険一日5000円65歳以上一日3000円だとすると、到底耐えることが出来ないという結論に達しました。もちろんこれからの生活次第でさらに条件は悪くなります。良くなるという展望を持てないのが今の日本の政治。今回気がついたのですが、最近は検診で要治療になっていたので新しい保険はあきらめていたのですが、ガン保険に限ればまだ大丈夫なのです。ショックだったのは来てくれた営業マンは保険代理店なので幾つかの保険の比較を公正にして奨めめてくれたのですが、どうもアフラックが最適なのです。その時の比較。共栄火災は契約更新制度、アフラックは終身保険です。営業マンのいうには65歳以上の給付になれば終身保険のほうがお得になるそう。私の不安は年金生活でのガンに掛かった場合なのでアフラックになるわけです。非常に不本意ですが、(もちろんもっと調べたら手段はあるでしょうが時間がない)こっちにする予定です。知り合いの営業マンなので私の気持ちを正直に言いました。「こんなアメリカの保険に入らなくちゃいけないのは、アメリカとそれに追随する日本政府の政策のせいなんだよ。保険の規制緩和と保険制度の改悪が平行してすすめられたでしょ。結局日本政府は金の掛かる皆保険は潰したいし、アメリカは自国の保険会社を儲けさせたいんだ。規制緩和はアメリカの要望でなった、知ってた?映画「シッコ」て知ってる?」営業マンは全く私りませんした優秀な人なんですけど。やれやれです。相手の意図が分かっていても負けてしまう。それが「戦略」というものですね。この20年、アメリカの戦略はたいしたものです。
2008年03月22日
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今までいろいろと忘れ物(今まで最高は五万円の現金)をしていた私ですが、昨日は人生最大の忘れ物をしました。もし盗まれていたら、仕事を辞めなくてはならなかったかもしれない、という代物でした。通称「ドラえもんのバッグ」と言われている私のリュックサックを置き忘れたのです。丸一日以上たって思い出しました。いくつかの可能性を走馬灯のように、検討しました。車の中に置き忘れて、鍵をかけ忘れてしばらく留守をしていたことを含めて、(今現在車の中にないので)最悪の場面が頭をよぎりました。結局最大の可能性があった大型スーパーの所に無事あったわけですが、きちんと管理されていました。私の保険証や通帳、その他さまざまな現金もあったのですが、なんと金種明細まで書いて置いてくれていました。もちろん重要なものはそれ以外にあったのです。すべて無事でした。自分のミステイクは50m程の高さの棚に置いて言うと、ほほえみさん も書いていますが、これが日本のいいところです。私が今まで忘れもの、落し物をして戻ってこなかったのは、五千円札、一万円札等の裸のお札と、明確に私を狙って盗まれた財布だけです。(この人はのちに他の容疑で捕まり、私は初めて刑事さんとお話するという体験をすることができました。刑事さんてやっぱり二人組で動くんですね。)この性質はどうも信仰とは関係がないようです。豊かさ貧しさとも関係がないようです。「逝きし世の面影」(平凡社ライブリー 渡辺京二)を紹介したときにも書きましたが、昔の日本人はその多くが、「家の鍵などかけない開放性、卑屈になるのでもない恐れ戦くのでもない好奇心をあらわにする親和性、そしてどんな貧しそうな者でも決して物を盗まず、見返りを求めないもてなしをする礼節」があったというのです。昔ほどの輝きは薄れていますが、それでもこういう時にはまだまだそれが通用するのでしょう。これは「恥の文化」であると言っていた本を読んだことがあります。(『「名」と「恥」の文化 中国人と日本人』 (旧講談社現代新書): 森三樹三郎著: )長い共同体との生活の中で、名誉を求め、恥を恐れる、それが生きる知恵であり、生き甲斐であり、幸せであったときが、やはり私の父親の話を聞いても確かにあったようです。いいところと悪いところがあり、加藤周一は「集団的競争主義」といい、柳田国男は「事大主義」といい、批判しながらも、そこから未来の可能性を探ろうとして生涯をかけていたところがあります。話を展開する時間がありません。今日はそんなことをふと思ったという感想だけ。
2008年02月25日
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去年の夏に書きかけて、そのままにしていたメモを今日見つけた。事の顛末を見届けてから書こうと思っているうちに、見届けるのを忘れたのである。いま後半を適当にくっつけて一文を成したいと思います。倉敷で一番大きいショッピングセンターに行くと、いつも行列が出来ているうどん屋にシャッターが降りていて、二人の従業員が前に立ち、一枚の張り紙があった。どうやらこのうどん屋のチェーン店のひとつで食中毒があり、全店が一斉休業しているらしい。「原因が分るまで全店休みます」と、おそらく1日中ここに立って一日中同じ事を説明しているであろう男性は答えた。「それでは五日の営業停止が終わっても開業するわけではないんですね。」と、私は聞く。「原因がまだ分っていないので、未定です、と言うしかありません。」「分りました。」男性は少しほっとしたような顔をした。いろいろと食いついてくる客も多いのかもしれない。「頑張ってください」と言うような言葉はここではふさわしくないだろう。「まあ、気を落とさないで。またいいこともありますよ。」もおかしい。「食中毒を起こしたのは、自分たちが働いているこの店じゃないのに、突然店を閉められて、たまったもんじゃないよね。」などといっても彼は困るだけだろう。厳しい顔をして、納得したような顔をして、去っていくことにした。このうどん屋は倉敷では有名なうどん屋である。「ふーまん」と言う名前の今川焼きを食べに、あるいは甘味処として、倉敷の中学生や高校生は学校帰りによく通った。「ぶっかけうどん」が名物で、この一品に関しては、隣県の讃岐うどんよりも有名かもしれない。チェーン店は何十店にも及ぶ。私の記憶では食中毒を起こしたことはない。だから、店を閉めることの損失よりも、ブランドとしての「信頼」を取り戻すことの方が重要なのだろう。全店一斉休業と言う店の方針は正しい。このうどん屋の対応は「誠実」だろう。ただ、従業員は賃金なしの臨時休業を強いられていないだろうか、と気になった。リストラは論外としても、もしそのような対応をしていたならば、私はこの店を「信頼」しないだろう。 ここまで書いてそのままにしていた。従業員のその後の様子を「取材」しようと思っていて、忘れたのである。その後の様子をそれとなく見た感じでは、確か再開の張り紙には「衛生教育を徹底しました」とは書いていたと思う。客の足も、今現在では往時のところまで回復しているように思える。しかし私に関していえば、明らかに当時よりも、食べる回数は半分以上へって居る。要因はいろいろある。メタボ対策でこの店を対象としている(併設の映画館の半券を持っていけば、大盛りがサービスされるのでつい食べ過ぎるのである)こと、秋に小麦高騰により数十円値上げされたこと、があげられるが、ほかにも食中毒対策への不信感が100%拭いきれていないと言うこともいくらかはある。‥‥‥そのように、消費者の「目」と言うものは、いかにも「いい加減」で、「厳しい」ものなのである。揺れる生協ブランド 安全優先か低価格か ギョーザ事件と言う記事がある。いま「生協ブランド」への「信頼」がゆれている。ただ、一連の騒動の推移を冷静に見守ると、JTなどの企業と比べると、生協の対応は比較的「誠実」であったとは言えるだろう。聞くところによると、ギョーザの生協商品の回収率は95%を超えたという。一方、JTの場合は、まだ5%ほどだという。もちろん組合員組織であることの強みではあるのだが、生協内での努力も大きかったに違いない。そのように真面目に回収に取り組んでいるものだから、とくしま生協のギョーザからジクロルボスと言う農薬が検出されたが、これはどうやら生協が委託している業者の倉庫内の害虫駆除に使ったためだということが明らかになった。(それにしてもずさんな管理であるということは確かではある)また、東北では、これを機に商品の一斉点検をしたらしく、生協の缶コーヒーの豆配合率に誤りという不名誉な偽装も発覚した。偽装自体は許されないが、缶コーヒーまで点検したことや、正直に公表したことは、「誠実」ではある。‥‥‥生協は「誠実」だ。しかし、これで生協はよそより頑張っているから許してもらえる、と思ったら大間違いだろう。消費者と言うのは「いい加減」で「厳しい」のだ。「生協は100%安全安心だ」という(私から見れば)「幻想」を抱いていたり、中国製の生協商品は全て生協「直営工場」で作られている、等の「幻想」を抱いている消費者は確かにいて、その人たちから見れば今回の騒動は「裏切り」以外の何者でもないだろう。消費者の「信頼」は果たして回復するかは難しいだろう。そこで私からの生協への提案である。もちろん根本的な改革提案ではない。今は「信頼」の回復が一番の急務である。私はそうはいっても、生協はスーパーと同じではない、と思っている。どこがそうなのか。理念は置いておいて、今すべきことは商品でそれを語ることだろう。商品で原点に返ることが大事なのではないか。未だに市販より生協の方に優位性がある商品は多いと思う。だから至る所で、商品実験を始めたらどうだろう。ハムの発色剤実験、イーストフード、乳化剤を使わないパンと使っているパンの比較、本にがりを使っている豆腐と使っていない豆腐‥‥‥。話はころりと変わりますが、abi.abiさんより手作りチョコ(の画像)を貰いました。今年は危うく、義理チョコさえ無い年になっていましたが、これで免れました。ありがとうございました。
2008年02月16日
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不安倍増は去年の今頃、1月26日に施政方針演説をして最後の結びの方にこのようなことを言った。福沢諭吉は、士の気風とは、「出来難き事を好んで之を勤るの心」と述べています。困難なことをひるまずに、前向きに取り組む心、この心こそ、明治維新から近代日本をつくっていったのではないでしょうか。一方、18日には福田首相は今年の施政方針演説の最後にこのようなことを言っている。「井戸を掘るなら、水が湧(わ)くまで掘れ」 明治時代の農村指導者である、石川理紀之助の言葉です。疲弊にあえぐ東北の農村復興にその生涯を捧(ささ)げた人物です。彼はどんな時も決して諦(あきら)めることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えました。期せず、二人ともほとんど同じようなことを言っている。先の小泉首相が先人の言葉を引用したとき好評だったので、まさに何の芸もなくそれを続けているわけだが、去年、福沢諭吉の本はついに「米百表」ほどには売れることはなかった。ここで言いたいのは、だから意味のない先例を続けるところに自民党の変われない固陋体質があるということを言いたいのが一点。もう一点は、誰も気がついていないと思うが、安倍の引用した福沢の言は、まさに去年を象徴する「偽の引用」だったということをいまさらながらに証明したいということが一点。本当は去年の二月ごろに記事を起こしたかったのだが、根っからの遅筆堂ゆえ、ついネタを腐らしてしまっていた。福田の施政方針演説を阿諛することの出来る今が最後のチャンスである。今となってはふるい話ではあるが、私自身としてはスクープだと思っています。さて、福沢諭吉のあの言葉はいったいどこから引用されたのか、ついに首相官邸は明らかにしなかった。それもそのはず、福沢諭吉は決して武士の心を奨励するために言ったのでは無かったのです。あの元本を私はヒジョーに苦労して捜し求めました。この文章集のなかにあります。(今は絶版)「福沢諭吉教育論集」(岩波文庫)このなかに「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」と言う題名の慶応義塾学生に演説した筆記禄がある。(1886.2.18)そのなかで福沢は、学生たちに学問せよ、と励ますのである。今で言う学長だからね。よくある話で自分が若かった頃のことを言うわけです。「すなわち余は日本の士族の子にして、士族一般先天遺伝の教育に浴し、一種の気風を具えたるは疑いも無き事実にして、その気風とはただ出来難き事を好んで之を勤るの心、これなり」。困難なことをひるまずに、前向きに取り組む心‥‥‥単に自分の昔話を自慢するならば、福沢が福沢たる所以ではないということを元首相は全然知らなかったようです。しかも、福沢ほど、封建士族の伝統を否定することに生涯をかけたものは居ないということも知らなかったようです。この演説の結論部分はこうです。「むかしの学問は学問が目的にして、ただその難きを悦び、千辛万苦すなわち千快万楽にして余念なかりしものなれど、今の学問は目的にあらずして生計を求むるの方便なり。生計に縁なき学問は、封建士族のことなりといわざるをえず。すなわち余がごときは前年士族流のことをしたる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演するべからず。封建の制度、既に廃して、士族無経済の気風、なお学生のなかに存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向かい、余が経歴に倣わずして、よく今日の時勢に応じ、成学即身実業の人たらんことを勧告するゆえんなり」つまり、福沢はわたしのような学問のための学問をするのではなく、成学即身実業の人たらん、すなわち「実学」の学問をせよ、といっているわけです。安倍元首相の引用の仕方は福沢諭吉の思想とは完全に離れていることは明らかです。日本を代表するものの演説が、大学生のレポートにも劣るという水準であるということを、私は強く強調しておきたいし、福田首相の演説を分析する余裕は無いが、同程度の可能性は十分にあるということを指摘しておきたい。ところでこの福沢の元本を探すに当たってお世話になった人のことを記しておきたいと思う。インターネット検索ではついにこの一文の出所は分らなかった。そのときお世話になったのが、岡山県立図書館の職員の方でした。約二時間ぐらい探してくれて、ついに分らず、のちにメールが来たのです。こちらは岡山県立図書館でございます。いつも当館をご利用いただき、ありがとうございます。先日のお問い合わせについて、ご回答申し上げます。安倍総理の施政方針演説における福沢諭吉の言葉、「出来難き事を好んで之を勤るの心」の引用の出典は以下のとおりです。『福沢諭吉全集 第10巻』(岩波書店,1960)のp555の1-2行目演題は「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」です。冒頭に「左の一篇は去る十三日東京芝区三田二丁目慶應義塾邸内に於て、福沢先生が同塾学生に向て演説の筆記なり」とあります。なお、県立図書館に所蔵がないため、未確認ではありますが、岩波文庫の『福沢諭吉教育論集』にも上記論題の掲載があるようです。(こちらは倉敷市立中央図書館には所蔵があります。)どうぞご確認くださいませあのときの図書館の(男の)司書の方、本当にありがとうございました。いやあ、図書館て凄い。皆さん、図書館を活用しましょう。
2008年01月19日
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昔とっておいた画像が活きるときが来ました。20日の朝日の記事で内閣支持31%に急落、不支持48% 本社世論調査というものがありましたが、その時のグラフと、今年の2月20日に取り込んだ同じ朝日のグラフを比べてみます。 比べて見てわかったをメモしてみる。不支持率が逆転したのが、安倍内閣よりも一か月以上早い。安倍氏は最初は人気があったのだから当たり前かもしれないが、しかしこの「落ちるスピード」は注目すべきだろう。この落ち角度がどれだけ維持されるかわからないが、このまま落ちれば、来年一月ぐらいでピークに達することは充分に考えられる。それはつまり衆議院選挙が三月にあれば、その真っただ中ということである。だから三月ではなく、五月になってという一部報道はあながち嘘ではないかもしれない。自民党は、必ず何かの手段を打ってくるだろう。もはや拉致問題は使えないはずだ。気になるのは、経団連が春闘でベア容認の発言をしたことである。真の不況脱出のためには不正規労働者の賃金底上げが必要であることは明らかなので、これは歓迎するところである。けれどもそれが選挙の与党イメージ改善に使われないように、労働者側は今からしっかりと本当に必要な賃金はいくらなのかしっかりと論議する必要があるだろう。その額は一万二万のベアではないはずである。三万以上のベア要求は、生活実感からいえば十分根拠があるだろう。経団連は春から大インフレがあるだろうと見ているはずだ。そのための煙幕でもあるだろう。けれども、それで万一弱い者の賃金が置き去りにされて格差が拡大するようなことがあれば、その時は許してはおけない。あとは民主党のスキャンダルだろうけど、それも十分にあり得ることだと思ってしまう自分が悲しい。
2007年12月24日
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朝日新聞の12月8日付け別すり別冊「 be」の「 Between」という記事で 「 テーマ:悪役」で記事を書いていました。読者アンケートをもとに作った記事です。本当はそのままコピーは良くないのですが、朝日アスパラクラブ会員しか入り込めない記事なので、コピーさせてもらいます。悪役は必要か posted by (C)くま≪クリックすると大きくなります≫メディアの品性にも疑念 「おぬしも悪よのお」「いえいえ、お代官様ほどでは」でおなじみの悪役は元来、この世の闇の奥に黒い毒トカゲのように身を潜ませながら善なるものにつばを吐き、背徳や不正の糸を引く存在であるはずです。 今年の後半、希代の3悪人のようにメディアに糾弾された大相撲の朝青龍、ボクシングの亀田ファミリー、女優の沢尻エリカは「悪役」の称号にも値しない、尊大と勘違いの度が過ぎただけの人たちといえるかもしれません。 ことさらに彼らを「悪役」に仕立てあげ、しつこく責めたてるバッシング報道は、逆に視聴者や読者に不快の念を催させていたのではないかと思い、beモニターの意見を聞いてみました。 バッシング報道を肯定する意見が、やり過ぎだと否定する意見を上回りましたが、それぞれ4割前後で、ほぼ拮抗(きっこう)していました。 否定派は「悪役をつくり出した張本人はメディアそのもの。さんざん持ち上げて、ちやほやすれば、尊大になるのは当たり前」(千葉、39歳女性)、「リポーターのしつこい取材攻勢や思わせぶりな演出、過剰な表現は不愉快きわまりない」(神奈川、70歳男性)、「追及すべき巨悪に及び腰で、安易な取材対象に群がる」(北海道、42歳女性)など、多くの人がメディアの品性に容赦なく疑念をぶつけています。 肯定派は「マスメディアを利用してのしあがった者は、マスメディアによって裁かれるのが必然」(香川、44歳女性)などという暗黙の亀田ファミリー批判が目につきました。「不当に悪役に仕立て上げられたのは誰か」という質問でも、わずかな差でしたが、亀田ファミリーと答えた人が最少でした。ファミリーの傍若無人なふるまいに反感が渦巻いていたようです。 ファミリーの父親は、次男の反則謝罪会見でも逆ギレぎみで記者をにらみ返していました。あのふてぶてしさと、表舞台から退場させられたことで、かえって悪役としてのハクがつき、その称号に近づいたといえるでしょう。(担当 保科龍朗) 私が怖いのは、「マスメディアを利用してのしあがった者は、マスメディアによって裁かれるのが必然」という意見です。それに乗って、まるで自分がマスメディアの一部分であるかのように「裁く側」に簡単に乗るという現象です。マスメディアに対して無批判に乗る、ということに際限なく危ういものを感じてしまいます。本来今回の問題は、保科記者の書いているように、「悪役は元来、この世の闇の奥に黒い毒トカゲのように身を潜ませながら善なるものにつばを吐き、背徳や不正の糸を引く存在であるはずです。 今年の後半、希代の3悪人のようにメディアに糾弾された大相撲の朝青龍、ボクシングの亀田ファミリー、女優の沢尻エリカは「悪役」の称号にも値しない、尊大と勘違いの度が過ぎただけの人たちといえるかもしれません。 」というだけのものだったと、私も思います。本来は、関係者の間で、ひっそりとしかし厳しく処遇されていれば済む問題でした。ちょっとだけ普通でない人たちが突然ちやほやされ、突然次の日にはバッシングの対象になる、そういう風潮を作っているのは、マスメディアの責任です。「追及すべき巨悪に及び腰で、安易な取材対象に群がる」という北海道の女性の言う通りです。「悪い奴ほどよく眠る」。私がこの問題を繰り返し取り上げるのは、「笑顔のファシズム」はまさにこういうところからやってくるに違いないと思っているからです。
2007年12月11日
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いちおう突っ込んでおく。「徴兵制あってしかるべき」 東国原知事が持論展開2007年11月28日20時53分朝日 宮崎県の東国原英夫知事は28日、宮崎市の知事公舎であった若手建設業者らとの懇談会で「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と述べた。記者団に真意を問われた知事は発言を撤回せず、「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」と持論を展開した。 懇談会には県建設業協会青年部の地域代表ら12人が参加。若手の育成方法などが議論になり、知事が個人的意見として語ったという。 懇談会の終了後、知事は「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザードなどにつながっている気がする」と言及。「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」と語った。 飲み屋のおじさんの与太話じゃないんだから、「持論」を展開するぐらいだったら、反論を予想してそれに対する理論武装をして言って欲しいものだ。彼の言うには、何も徴兵制でなくていいわけだ。中学生の一時期全寮制にして「ある時期、規律を重んじる機関で教育する」ことが出来さえすれば良い訳だ。それ自体の問題はおいておいて、「徴兵制があってしかるべきだ」と言い切ったことの整合性はどうするのか。徴兵制がある社会と言うのは、当然憲法も変えられて、軍隊が常に仮想敵国に対して警戒をもっている国である。(韓国、台湾、イスラエル)知事はそういう国になってほしい、と言ったことと同じなのだよ。それともそういうことを分っていて、言ったのかもしれない。マスコミに自分の一言が流れるコマーシャル効果は抜群なのだから、これも保守層財界筋へのゴマスリのひとつなのかもしれない。知事がきちんと理論的な反論をしたなら追加記事を書きます。
2007年11月28日
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「病院にほかされた…」憤る男性 全盲患者公園置き去りこのニュースを聞いて、最初に思ったのは、マイケル・ムーアのドキュメント映画「シッコ」の場面。映画では、ボランティアの保護施設の前でしょっちゅう医療費が払えないで病院から「ほかされた」人が見つかるのだという。保護施設前の監視カメラで、そのような人を見つけると保護に出向く。その人たちには共通の特徴があるからである。パジャマ姿であるということ。自分がなぜここにいるのか、わからないままふらふらと歩いているということ。金の切れ目が命の切れ目、アメリカの医療政策の貧しさを告発した映画であった。男性は以前、生活保護を受けていたが、現在は障害年金で生活。約2年前からは入院費の支払いも滞っていたという。病院職員やほかの入院患者とたびたびトラブルもあったという。 堺市保健所は9月21日に救急隊からの電話で事実を知り、病院関係者から事情聴取。10月9日に経過報告書を提出した院長は「(患者には)家族がいるということだったので、退院は可能と判断した。だが、置き去りにしたということは知らなかった。とんでもないことをした」などと話したという。 確かにこのケースは、アメリカのあの映画の場合とは違う、患者本人の人間性にも問題があるようだ。または、病院の職員の判断でしたのだそうだから、日本の医療制度の大きな欠陥があるということではないだろう。けれども、日本がアメリカに近づいていっている、さきがけなのかもしれない。たしか5~6年前だっただろうか、生活保護が受けれないで、餓死した親子がニュースになったのは。あれは非常に特殊なケースである、と認識したのがいまとなっては大きな間違いであった。追記記事を書いた後、TBを貰った。コジローのあれこれ風信帖さんの記事を見てみると、私とまるで同じ書き出し、大体言いたいことも同じなのに、深め方がまるきり水準が違いました。興味もった方はぜひ一読することを進めます。
2007年11月14日
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いろいろと検索をしたが、政府税調が作った資料でこれだけのことが分るのに、どの新聞も記事にはしていないようだ。読んだら分るように、「財源がないから消費税を上げるしかない。」「国際的に見て日本の法人税は高いから、引き下げをするべきだ。その財源は消費税で」という財界の意見は根拠がなく、むしろ財源は法人税を上げるところにこそあるということが分る。日本の企業負担 仏独の7~8割 税・社会保険料(10月8日(月)「しんぶん赤旗」) ここに書いているように、 経済産業省の委託調査「公的負担と企業行動に関するアンケート調査」によると、生産拠点の海外移転を計画している企業に理由(複数回答)を聞いたところ、「労働コスト」が84・7%と最も多く、「税負担・社会保障負担」は五番目でした。“企業に負担を求めると海外に逃げる”という宣伝に根拠がないことを裏付けています。一方、海外に進出している企業に、仮に法人実効税率が30%程度まで引き下げられた場合、「国内回帰を検討するか」と聞いたところ、「検討しない」が七割にのぼりました。法人税率を引き下げても、日本には全く何のメリットもないと言うことが分る。それなのに書く新聞はこのような記事を垂れ流ししているのである。法人税減税の財源、消費税増税も有力な選択肢=井堀・政府税調委員(2日ロイター)政府税調、法人税論議スタート(2日朝日)この一点だけからも、(それ以外にも根拠は多々あるが)私は消費税の値上げには断固反対するし、企業は社会的責任を果たすべきだと考える。
2007年10月09日
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自民党バブルははじけ、地すべり的な右傾化にはストップがかかった。それと同様なことが、もしかしたらそれ以上のことが米国では起きているようだ。昨日、今日の朝日の記事で「温暖化 動く米国」という三日連続の記事がある。(こんな記事はネットで読むことが出来るようにしてもらいたいものだ。ほんのさわりを書く。)1日目は「宗教右派も危機訴え」と言う内容だ。「中絶や同性婚の禁止を求め、進化論も批判する福音派(エバンジェリカル)と呼ばれる保守的なキリスト教徒までもが、温暖化の危機を声高に訴え始めた。 福音派の信者は、全米人口の三分の一、共和党支持者の約四割を占めるといわれる。ブッシュ大統領の強力な後ろ盾となってきた。 「気候変動はリベラル派の関心ごと」とと見過ごしてきた風向きを変えたのは、米国に最大の被害をもたらした05年のハリケーン・カトリーナだった。温暖化がもたらすと予測されていた異常気象とその被害を目の当たりにして、宗教右派の考えが変わり始めた。」去年のブッシュの中間選挙での敗北はけっしてイラク戦争の失敗だけではない。イラクの失敗が明らかになっていた時点でも大統領選挙での勝利を支えた、その主原動力が地すべり的に変わって来ているのである。今現在でも地球の歴史上最大のCO2濃度が上がっていると説明したのは映画「不都合な真実」で明らかにされたことである。それでも、米国は動かなかった。しかし、米国のCO2排出量は世界全体の22.1%を占め、第一位。中国は18.1%。ロシア6.0%。日本4.8%と続く。一人当たりの排出量20トンも日本やドイツの二倍、中国の5倍、アフリカ諸国の10倍に当たるという。米国の方針転換は、温暖化で滅ぶ地球の上の人類を劇的に救うだろう。福音派の幹部のリチャード・サイジック氏は「意図的なデータで、目を曇らされてきた。我々は変わった。」と言う。戦後日本の「我々は騙されていた」に似ていなくはないが、ともかくもぎりぎりのところで間に合うかもしれない。今日の記事では、「CO2取引 法案ラッシュ」とある。今秋米国議会ではCO2削減を目指す法案が10本近く審議される予定らしい。「長期化するイラク戦争も影を落とす。中東への石油依存を減らしたいと考える空気が強まり、温暖化対策と合致した」らしい。もっとも有力な2法案には「米国基準の押し付け」条項もある。CO2は減らしても、アメリカの影響力は減らしたくないアメリカ産業の必死の方法ではある。どの企業が先に減らすかが自分の会社の利益に繋がる、だからいい所も悪いところもある。アメリカ的だ。温暖化問題はここ数年で大きなカーブを曲がろうとしている。まだまだ時間との競争だと思う。この5年の間にはっきりと右肩下がりに転化しなければとんでもないことになる。日本はとりあえずは、先にカーブを曲がって入る。しかしその後ろから「怪物」が本気を出し始めた。吹き飛ばされないようにしてもらいたい。
2007年09月21日
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