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「宮部みゆきの江戸怪談散歩」新人物文庫 中経出版 前半はオールカラーで三島屋シリーズ(「泣き童子」まで)の舞台解説と「幻色江戸ごよみ」などの宮部怪談短編の九編の「場所」を、地図と現代写真で「特定」、また「本所深川ふしき草紙」の七不思議の「場所」を「特定」する。一応季節感を考慮して選んでみました(^^;)。 北村薫とのロング・スペシャル対談を経て、宮部の怪談短編(「三島屋シリーズ」の最初と「だるま猫」)と宮部みゆき推薦話2つ(「指輪一つ」岡本綺堂、「怪の再生」福澤徹三)を載せる。 本書は新人物往来社『やっぱり宮部みゆきの怪談が大好き!』(2011)に、大幅修正を加えて再編集したものらしい。宮部みゆき責任編集とあるからには、三島屋の場所とかの「特定」は信頼できると思う。 1番の価値はやはり前半であり、これを手許に東京散歩を是非ともやってみたい。よって電子書籍版(大幅割引の時)で購入。いつでも持ち歩ける。 もう一つの価値は、岡本綺堂「指輪一つ」だろう。江戸時代の半七も出てこない、岡本綺堂のいわば「現代もの」なのではあるが、なんと1912年の関東大震災直後の状況をつぶさに描いている。というか、ふとした瞬間にこれは2011年を描いた小説かと思うくらい、関東から少し離れたところの「庶民」の反応が似通っている。もちろん、少し怪談めいたこともあるのだけど、こういうこともあったんじゃないか、岡本綺堂は誰からかこの話聴いたんじゃないか、ホントにあったんだとしたら怖いけど良かったねとさえ思うのである。
2021年08月10日
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「八月の降霊会」若竹七海 角川文庫 若竹七海を年間10冊は読んでみようシリーズ。一応季節を考えて選んでみました。他に事前情報はなし。読み終わって98年の書き下ろし本だと判明。どう考えてもクローズドサークルのミステリでしょ。 私は最後の最後まで、そう疑わなかった。いや、今も信じている。私は頭が悪いので、理解しきれていないだけなのだ。種明かしのないミステリなんて、東野圭吾さえ2冊も書いているし、探偵役のいないミステリなんか山ほどある。 もちろん、ホラーなんかじゃない。幽霊なんてホラ1人も出ていないし、不思議なことはあったけど、人が呪い死になんて、多分していない。いや、もちろんしていない。誓ってもいい。でも人はキチンと死んでいる。 絶対◯◯◯◯◯じゃない。絶対ホラーじゃない‥‥。
2021年08月09日
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すみません、6作品じゃなく5作品でした。残りの2作品の感想を置く。 「ゴジラVSコング」 アダム・ウィンガード監督世界観の大怪獣シリーズは、これで終わり。次回作につながる映像はなかった。良く頑張ったと思う。ゴジラはあくまでも人間になんとかなる存在ではないことは、貫き通した。 コングは守護神でもない。彼を心配している小さな人間の娘を信頼しているだけだ。 「人間の味方じゃなくなった」というメディアに対し、「あそこを襲ったのはゴジラの理由がるはず」というオタクの娘も登場して、人間世界はほぼふた通りで進行する。 芹沢蓮(息子?)くんが、ほとんど意味のない存在だったのは残念でしかない。 これまでの人者の人間関係が切れているのは、仕方ないけど残念。 結局ああいう落とし所しかなかったのかな。 ⚫︎⚫︎ゴジラの登場を隠し通したのは素晴らしい。 ほとんど、無敵だったじゃない。しかもエヴァだったし。 ゴジラの尾鰭の斧がもう少し活躍して欲しかった。もしかして残った? ⚫︎⚫︎ゴジラを無条件でに悪者にした脚本には?がつく。 STORY モンスターたちの戦いの後、特務機関モナークが巨大怪獣(タイタン)の故郷(ルーツ)の手掛かりを探る中、深海からゴジラが再び現れる。世界の危機を前にゴジラが暴れまわる原因を見いだせない人類は、キングコングを髑髏島(スカルアイランド)から連れ出し、ゴジラと対決させようとする。 キャスト アレキサンダー・スカルスガルド、ミリー・ボビー・ブラウン、レベッカ・ホール、ブライアン・タイリー・ヘンリー、小栗旬、エイサ・ゴンサレス、ジュリアン・デニソン、カイル・チャンドラー、デミアン・ビチル スタッフ 監督:アダム・ウィンガード 脚本:エリック・ピアソン、マックス・ボレンスタイン 2021年7月13日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「竜とそばかすの姫」 普通の上映なのだけど、終わった後に拍手が起きた。1人だけだけど。 ずっと細田守の子育てと連動しながら、作品を作ってきた細田守作品の今回は、高校生が主人公。けれども、すらすらと難しい連立方程式を解ける友人がいたり、インターハイに個人で出場できる男の子、スーパー高校生だけど思いやりあふれる男の子、そしてすずはうた作りにポテンシャルのある、みんな隠れた才能ある高校生が登場。 ネットの悪いところも少しは出ているけど、基本的には世界を信頼している。 世界はなくならない。 自分はホントは孤立していない。 誰かが見守っている。 ネットは少しは役に立つ。 そういうメッセージをストレートに出した佳作。 STORY 高知の田舎町で父と暮らす17歳の女子高生・すずは周囲に心を閉ざし、一人で曲を作ることだけが心のよりどころとなっていた。ある日、彼女は全世界で50億人以上が集うインターネット空間の仮想世界「U」と出会い、ベルというアバターで参加する。幼いころに母を亡くして以来、すずは歌うことができなくなっていたが、Uでは自然に歌うことができた。Uで自作の歌を披露し注目を浴びるベルの前に、ある時竜の姿をした謎の存在が現れる。 キャスト (声の出演)、中村佳穂、佐藤健、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、森川智之、津田健次郎、小山茉美、宮野真守、森山良子、清水ミチコ、坂本冬美、岩崎良美、中尾幸世 スタッフ 監督・脚本・原作:細田守 作画監督:青山浩行 CG作画監督:山下高明 CGキャラクターデザイン:Jin Kim、秋屋蜻一 CGディレクター:堀部亮、下澤洋平 美術監督:池信孝 プロダクションデザイン:上條安里、Eric Wong 音楽監督・音楽:岩崎太整 音楽:Ludvig Forssell、坂東祐大 2021年7月22日 MOVIX倉敷 ★★★★
2021年08月08日
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7月に観た作品は少し少なくて6作品。2回に分けて紹介します。 「アメイジング・グレイシス/アレサ・フランクリン」 技術的な問題だけでなくて、現代の情勢がこの作品の完成を後押ししたのだろう。観客の9割は黒人である。正に、ゴスベルは、黒人による黒人のための「キリスト布教歌」である。 最後の方に教義の歌は少し出てくるが、あとはひたすら「信じよ」「主は共にいる」「信じて良かった」という単純な絞り出すような祈りの歌である。 元々に、アフリカの単純なリズムがあり、その上にオルガンやギターのコードが流れ、その上に山の上まで届くような声量のアレサの歌が乗る。 そうやって、黒人はこの200年間の差別と少しの平穏と来世での平和を思い起こすのであろう。みんな悉く泣いているのが、特徴的で、信仰の持たない私などは蚊帳の外から眺めるばかりというタイプの映画である。 (解説) 2018年8月16日、惜しくもこの世をさってしまった「ソウルの女王」 アレサ・フランクリン(1942-2018)。 1972年1月13日、14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で 行われたライブを収録したライブ・アルバム「AMAZING GRACE」は、 300万枚以上の販売を記録し大ヒット。史上最高のゴスペル・アルバムとして今も尚輝き続けている。 その感動的な夜が遂に映像で蘇る。コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、 バーナード・パーディー(ドラム)らに加えサザン・カリフォルニア・コミュニティ聖歌隊をバックに、 アレサが自らのルーツであるゴスペルを感動的に歌い上げた今や伝説となっているこのライブは、 実はドキュメンタリー映画としても撮影されていた。撮影したのは、 映画『愛と哀しみの果て』で知られアカデミー賞を受賞しているシドニー・ポラック。 アルバム発売の翌年に公開される予定だったが、カットの始めと終わりのカチンコがなかったために 音と映像をシンクロさせることができないというトラブルに見舞われ、未完のまま頓挫することに。 しかしいま、長年の月日が経てテクノロジーの発展も後押しし、遂に映画が完成。 音楽史を塗り替えたといわれる幻のライブが、日本で初めてスクリーンに登場する! 2021年7月1日 シネマ・クレール ★★★★ 「Arc」 原作が純文学なので、ケレン味あふれるSF的な仕掛けは期待してはいなかったが、もう少し色気を出してもよかったのでは? 少なくとも85歳の頃は、今よりも100年後と思えるはず。それにしては、あまりにも風景や小道具が変わらなさすぎる。 それに、こういう仕掛けならば、社会の決定的な変革があっても良かったのではあるが、みんな少しデモがあっただけで受け入れている。メンテナンスは毎日しなくてはいけないのか、それとも一年に一回なのか、映画ではよくわからなかった。メンテナンスが必要ならば、果たして不老を受け入れるのか?我々の感覚ならば、五分五分というところではないか? 彼女が初めて135歳で、老化を止めた人というのはおかしい。もっと前に止める人はたくさんいるはずだ。SF仕掛けがないだけではなく、ストーリー的にも疑問が多く残る作品だった。ただし、人と感想を述べ合うにはピッタリの作品かもしれない。 STORY 近未来、放浪生活を送っていたリナ(芳根京子)は人生の師となるエマ(寺島しのぶ)と出会い、遺体を生前の姿のまま保存できるように施術(プラスティネーション)する「ボディワークス」という仕事に就く。一方、エマの弟で科学者の天音(岡田将生)は、この技術を発展させた不老不死の研究に打ち込んでいた。30歳になったリナは不老不死の処置を受け、人類で初めて永遠の命を得る。やがて、永遠の生が普通となった世界は人類を二分し、混乱と変化をもたらしていく。 キャスト 芳根京子、寺島しのぶ、岡田将生、清水くるみ、井之脇海、中川翼、中村ゆり、倍賞千恵子、風吹ジュン、小林薫 スタッフ 原作・エグゼクティブプロデューサー:ケン・リュウ 監督・脚本・編集:石川慶 脚本:澤井香織 音楽:世武裕子 撮影監督:ピオトル・ニエミイスキ 照明:宗賢次郎 美術:我妻弘之 録音:山本タカアキ 編集:太田義則 キャスティング:吉川威史 装飾:山川邦彦 スタイリスト:高橋さやか ヘアメイク:酒井夢月 振付:三東瑠璃 VFXスーパーバイザー:鈴木信哉 音響効果:柴崎憲治 助監督:近藤有希 製作担当:三村薫 エグゼクティブプロデューサー:川城和実 製作:河野聡、池田宏之 コエグゼクティブプロデューサー:濱田健二 プロデューサー:加倉井誠人、仲吉治人 ラインプロデューサー:古賀奏一郎 VFXプロデューサー:加賀美正和 音楽プロデューサー:杉田寿宏 上映時間 127分 2021年7月6日 MOVIX倉敷 ★★★ 「いとみち」 全国の引っ込み思案女史が観たら、きっと元気出ると思う。 津軽弁ネイティブの駒井蓮ちゃんの、まるでドキュメンタリーのような作品。 見どころ 映画化もされた「陽だまりの彼女」などで知られる作家・越谷オサムの小説を原作にした青春ドラマ。強い津軽なまりと人見知りに悩む青森の女子高生が、メイドカフェでアルバイトを始めたことをきっかけに成長していく。監督・脚本は『俳優 亀岡拓次』などの横浜聡子。津軽三味線が得意な主人公を『名前』などの駒井蓮、彼女の父を『後妻業の女』などの豊川悦司、メイドカフェの先輩を『美人が婚活してみたら』などの黒川芽以が演じるほか、横田真悠、中島歩、お笑いタレントの古坂大魔王らが共演する。 あらすじ 青森県弘前市の高校に通う16歳の相馬いと(駒井蓮)は、強烈な津軽弁と人見知りが悩みの種で、大好きなはずの津軽三味線からも遠ざかっていた。そんな状況をどうにかしたいと考えた彼女は、思い切って青森市のメイドカフェ「津軽メイド珈琲店」でアルバイトを始める。当初はまごつくものの、祖母のハツエ(西川洋子)や父の耕一(豊川悦司)、アルバイト先の仲間たちに支えられ、いとは少しずつ前を向いていく。そんな中、津軽メイド珈琲店が廃業の危機に見舞われる。 2021年7月8日 シネマ・クレール ★★★★
2021年08月07日
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「津山事件の真実」津山事件研究所 さて、三十人が殺された「津山事件」の「現場」を見たい、その一点だけで、この本を頼りに場所を探した。この本には、当時の警察の捜査資料が約200ページ以上に渡ってそのまま載っている。第一級の一次資料である。2ページ略地図が載っていた。 津山市⚫︎⚫︎地区は、津山市に住んでいた35年前とほとんど変わらない景色を持っていた。ここだけ時間が止まっているかのようだ。中国山地の山沿いに少し大きめの川が流れ、それに沿って因美線が通っている。昔から交通の要所だったところなのである。「現場」は、その川沿いから一本山道に逸れてずっと行く。そこから更に一本左に入った山沿いの村のはずなのだが、どの道に入ってゆくか、さらにはそこからどの集落が「現場」なのか、この本の(アメリカにあったという)「津山事件報告書」の略地図を見ないことには決して確信できなかったろうと思う。スマホの検索では、決してわからない。確かに、「現場」は土地勘のある私からしても「県北の辺鄙な奥地」だった。 少し津山市に住んでいたからわかるが、冬には雪深い厳しい土地柄なのである。県南は33度の真夏日で一日中晴れだったのに、此処に来ると一挙に5度ほど温度が下がり、小雨まで降ってきた。 それでも、わりと車が往来する。いまだに住んでいる人が多い。私は「現場」は、廃墟のような野原になっているか、ポツンとしか家が立っていなくて、あとは田畑だけが広がる寂しい土地を想像していた。 ところが行く途中、かなり近くの村に行っても家屋が途切れない。平家物語の熊谷次郎直実の「慰霊の桜」の木まであった。法然の弟子であった直実は、久米南町にある法然の誕生寺を尋ねることはあったとしても、そこから何十里も離れたこんな辺鄙な道を、何故歩いていたのか。それとも、此処はそれほどに交通の要所だったのか。 また、「現場」のはずれの小さな祠は綺麗に管理されていた。歩いて10分ほどのところには、バスさえも来ていた。 それでもちょっと迷いながら「現場」の近くまできた。車を降りて歩いてゆく。「地神」や「大日如来」石碑は、この小さな村の入口を守っていた。83年前の事件ではあるが、入口にあるのは、人々がそういう事件を忘れていない証拠だろうと思われた。村はわりと小高いところにあった。意外にも、家々は当時と同じくらいに建っていた。家族全滅の家もあったので、遺族がそのまま住んでいないのは明らかではある。村は消滅していなかった。それどころか、此処に来る途中ずっと棚田が続いているのだけど、休田はあるにせよ、それを含めて田んぼは一つ一つは整備されてこの地域の生産活動はまだ活発に行われている気配がした。村は10数軒しかない。走れば10分で一回りできるほどの集落だった。それでも、83年前、この共同体は「強かに」村を残したのである。犯人が感じた「閉塞感」は、その凶暴な最強最悪の手段を持ってしても、村そのものを無理心中させることはできなかったのだ。 夏の光と雨と風が、村や山々に降り注いでいた。美しいところだった。犯人がそれを感じることができていたならば、キチンと軽い結核を療養して真面目に働き、地道に村の信頼を勝ち取っていたなら‥‥と思わずにはいられない。
2021年08月05日
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「津山三十人殺し七十六年目の真実」石川清 Gakken 本の書評そのものを書きたいわけではなく、35年来の念願であった「津山三十人殺し」の現場を見に行ったその顛末を書くことが目的である。 数十年前には、新潮文庫「津山三十人殺し」(筑波昭)がこの事件の(小説ではなく)実録書としては定番だった。ところが、紐解いた方にはご存知のように、事件の住所は大まかにしか書いてなくて、詳しい地図はない。また、現在では創作他、多くの間違いが指摘されている。この文庫本を読んだ35年前、私は2年間だけ津山に住んでいた。ところが、場所が全然わからない。当時地図検索なんて便利なものはない。実は職場の仲間に、事件のあった⚫︎⚫︎地区(昔は村としてひとつの自治体だった)から通ってる人がいた。彼の家にも何回か行ったが、一度場所を聞いたことがある。「此処とは相当離れているところだ」とだけしか言いわなかった。(実際車で10数分走らなければ辿り着かないところだった)結局それ以上は聞き難くなり、それ以降長い時間が経った。 1938年(昭和13年)5月21日の未明、津山の奥の小さな村で、青年が一晩で30人を銃や斧や日本刀などで次々と殺害した事件が起きた。1人の殺害者の多さでは、近年の京アニ事件(36人)までずっと1番を譲らなかった。世界的にも、個人の大量殺害事件としてはしばらく5番目の多さだった。何故そういうことが起きたのかは、論者が多くいて私の1番の関心ではない。問題は「八つ墓村」(横溝正史)にしろ、「丑三つの村」(西村望)にしろ、「龍臥亭事件」(島田荘司)「夜啼きの森」(岩井志麻子)にしろ、あまりにも多くの小説や映画に翻訳されてリアルな事件がわからなくなっていることだろう。せっかく岡山県に住んでいるのだから、実際の「現場」を見たかった。もちろんこれは単なる興味本位ではあるが、新たな憶測を広めることが目的ではない。よって、ウィキで調べたら簡単に住所はわかるけれども詳しい住所や行き方は示さない。むしろ、興味持った方は、それなりの「努力」をして「現場」にたどり着くべきだと思う。同時に遺族の心情を思うと、どんな理由をつけようとも迷惑でしかないことは承知している(もし「関係者」からの苦情があれば即刻削除します)。 おどろおどろしい「物語」から一旦自由になって、率直に「現場」に「立ちた」かったのである。私は、弥生遺跡巡りが大好きなのであるが、弥生遺跡はたいていは単なる広場である。しかし、私は博物館のジオラマよりも遺跡現場が好きだ。現場に立てば「発見」は意外に多い。その周りの景色、空気から「当時」を様々に「想像」できる。それは「現場」に行った者だけが味わえる「特権」なのである。 石川清さんはアメリカに存在した事件報告書を手に入れて3冊の「決定版」を書いた。そこには、犯人の実像がかなり追求されていると思う。石川清さんは〈結局は絶望した犯人の壮大なる「無理心中」である〉と、分析している(「京アニ事件」とその意味でも酷似している)。そこを深めるのが私の目的ではなかった。ただ「現場」を見たいのである。 というわけで、最近になって急速に進んだ研究書と普及書を二つ図書館から借りて、私はスマホでまずは近くの大字の辺りまで車で行き、そこから小字の「現場」まで、本を頼りに歩いて行った。 その感想は、次回に。
2021年08月04日
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「感染症文学論序説」石井正己 河出書房新社 近代日本文学揺籃の時期は、同時にさまざまな「感染症」が日本を襲った時期であった。感染症の歴史を学術的に書いた本は多く出たが、「史料としての感染症文学」という立場で研究した本は、おそらくこれが嚆矢だろう。感染症の実態が、公的な統計や記録からしか見えないとしたら、それは片手落ちである。人の営みの中でどのように感染症が描かれたかを知って初めてその「真の実態」がわかるだろう。文学はその最良のテキストのはずだ。 近代において出てきた(正体の分かった)感染症は「コレラ」「結核」「腸チフス」「疱瘡」「ペスト」「赤痢」「百日咳」「スペイン風邪」「梅毒」などがある。 「スペイン風邪」文学として志賀直哉の「流行感冒」があることは、私は一度取り上げたことがある。今回、小説ではなくエッセイとして与謝野晶子「感冒の床から」「死の恐怖」があったことを初めて知った。明治の世の中に向けて、母親の立場から筆先鋭く書いている。曰く「日本人に共通した目前主義や便宜主義の性癖の致すところだと思います」。盗人を見てから縄をなうというのは、正に現代のコロナ禍においてもあらゆる政治家がその性癖をあらわにしているだろう。東京と横浜だけでも一日に400人の死者を出していた時に「人事を尽くせ」と晶子は糾弾する。これは「社会連帯の責任」なのだと。忘れてはいけない。これは明治憲法下の大正時代のエッセイなのである。 正岡子規の結核は有名であるが、ずっとあれだけ人との接触が多い中で結核の伝染は無かったのか疑問に思っていた。子規は病気を理解して、食事を一緒に取らない、弟子が来てもソーシャルデスダンスをとって接する、栄養あるものをたらふく食って抵抗力をつけるなどの対策をしていたことが分かった。子規の周りでは、結核の伝染は起きなかったらしい。 一級の医者である森鴎外と娘の百日咳との戦いと経緯は、かなり詳しく、親としての心労とそれでも起きる判断間違いなどを分析して読み応えがあった。 総じて面白い視点の文学論だった。
2021年08月03日
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「時をつむぐ旅人 萩尾望都」NHK出版 番組を見損なった。萩尾望都大ファンの番組プロデューサー(秋満吉彦)が満を持して放つ100分de名著。番組よりも論者は更に加筆したようだし、論者たちをア然とさせたらしい萩尾望都ロングインタビューも完全版で載っている。番組観なくても、こういうムックで読む方がよっぽど役に立つ。 【内容】 『トーマの心臓』をよむ――小谷真理 『半神』『イグアナの娘』をよむ――ヤマザキマリ 『バルバラ異界』をよむ――中条省平 『ポーの一族』をよむ――夢枕獏 萩尾望都インタビュー ここで新たに提示されている萩尾望都論は、それなりに新しい視点ではあるけれども、驚くようなことは書かれてはいない。かつて80年代の初めに漫画評論誌「ぱふ」に於いて橋本治が「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」で指摘した時から、萩尾望都は文学評論の水準で語られてきた。まだまだ汲めども尽きぬ視点が出てくるだろう。 ここの論者たちが繰り返し指摘している視点がある。 「異端者」としての主人公=作者が、どうやって世間と折り合いをつけてゆくか。 「ここではないどこかへ」というのは、21世紀から出てきた萩尾望都短篇のテーマではあるが、それはそのまま萩尾望都の生涯のテーマであるというのである。 それはその通りだと思う。 じゃ、それは単なる「世間」なのか? というのが私の問題意識である。 それはもっと手強い「世界」ではないのか? 言葉にできない「世界」に対する不安。 それは同時に私たちの問題意識でもある。 萩尾望都が何度も読み返されるのには、理由がある。 小説では描けないものを描いているから、萩尾望都はマンガを描いているのである。と、インタビューで萩尾望都は明確にしていた。ネームの作り方は、最初は登場人物の心理状態も全て書くらしい。そのあと絵で還元できるものは全て削って、最後にうまく絵にならない部分が、あの夢のように流れる「モノローグ」として残るらしい。曲のない歌詞が歌ではないように、絵のない言葉はマンガではない。「悲しみの天使」という映画とヘルマン・ヘッセの小説に刺激されて「トーマの心臓」が出来たようだが、一度その両方を見て、私にも「トーマ」がつくれるか試してみたい(笑)。 論者たちの討論では、「イグアナの娘」のラストシーンに出てくる小さなトカゲの正体について、議論があったそうだが、インタビューではあっさり「それはお母さんです」と明かしている。ヤマザキマリは放送された番組を観てズッコケたらしい。この場合、娘とお母さんの和解は成立していたようだ。 その他、新「ポーの一族」で「アランは復活させます」とあっさり語っていたり、とっても重要なことをさらっと言っている。 萩尾望都を読んでいくために、新たに重要な本がまた誕生した。
2021年08月02日
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柔道週間が終わった。 日本柔道に5個の金メダルをもたらし、混合団体では銀メダルを獲得した。絶対視されていた団体で金を取れなかったのは、柔道の神さまが慢心を諌めたからかもしれない。技での決着を重視する今回のルール改正は、いずれにしてもこれからのしばらくは日本に柔道黄金時代をもたらすだろうと、私は思う。 私は、この前夢を見た。 マンガ原作になりそうな内容だった。 誰か描いてくれないかな。 大野がゆきずりに不良に絡まれている少年を助けようとする。助けたつもりが刺されて仕舞い、そのまま死亡。大野は金メダリスト大野だった。少年は、公に私に、「コイツのせいで日本の宝がなくなった」と言われる。 少年は柔道部に入る。目標は初めから、大野が目指すはずだったオリンピック三連覇である。しかし、体格も、才能もない少年が選んだのは、やればやるだけ強くなる寝技オンリーの柔道だった。監督は、少年の覚悟を見抜き、寝技に特化したメニューを組む。 やがて一年後、少年は寝技だけで中学生日本一になるが、どんなに勝っても決して笑わないのが評判になる。マスコミは手のひら返しで特集するが、少年は無視するし、知人は少年の人生がなくなるのではないか?と心配するが、大野のライバルだった笹野だけは目にかける。この試練が、いつか少年を武の道に導く。それは10年後になるかもしれないが、きっとなる、と。 やがてインターハイを優勝して、全日本で勝ち進む高校生になった少年は研究されて、寝技を避ける方法、寝技に持ち込む立ち技を返される方法を作られて失速する。しかし、それをもう克服して、やがてオリンピックに出る。 驚異的なパワーとスピードの前に、少年は何度も限界に陥る。その度に生前大野の言ったことが蘇り、少年は金を取る。少年の前に人生が広がっていた。 2021年7月27日妄想
2021年08月01日
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46年前には、あの小さな家に6人家族が確かに毎日暮らしていた。ところが、今日、その6人のうち生きながらえているのは2人しかいない。実に一般的な現象であるし、一昔前ならば46年と言わずに、30年ほどでそうなっていたのが一般的だったかもしれない。 それが自分の身に降りかかってくると、やはり大きな感慨を持たざるを得ない。 具体的に書くと差し障りがあるのだが、 6人のうち、現代に遺伝子を子孫に残す仕事をしたのは、最近亡くなった1人だけであって、残った2人に我が家の遺伝子を遺す仕事はもうできない。という厳然たる事実がある。そうなると、6人家族は、結局(姪の)2人にしか還元されなかったという結果が残る。 人間の価値は、後世に遺伝子を遺すことである、という風に規定してまうことが出来たとしたら、もはや残った2人の生きている価値は無くなったと言っていいのかもしれない。 ところが、残ったこの人間は、そこまで思い詰めてはいない。 何故か? 人間は社会的動物である。 2人は遺伝子を遺すという仕事はしなかったが、約40年間、教育や流通や福祉の分野で、確実に「仕事」をこなしてきた。その仕事の価値は記録としてちゃんと残っており、回り回って、人間の遺伝子を後世に残すことになんらかの寄与を果たしたのではないか?と「この人間」は信じているようだ。何処までそれが正しいのかは、わからない。 また、それよりもっと怪しい「根拠」なのではあるが、そのうちの1人は約30年間、SNSの世界にずっと文章を書き続けている。そのほとんどは駄文なのかも知れないが、いくつかは、人間の物語ろうとするエネルギーを、少しは援けていたのではないか?と、1人は自らを慰めている可能性がある。 よって、1人は未だに自分に絶望せずに生きてる。
2021年07月30日
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「小川洋子の陶酔短篇箱」河出書房新社 7月の初め、兄貴が急逝した。4時間前にはプールにも行っていたのだが、突然心臓近くの大動脈が乖離して鼓動が止まった。意識がなくなるのに15秒とも掛からなかったろうと、医者は言った。 数日後、定年後のアルバイトの仕事先から読みかけの図書館本が届いた。それがコレである。どう考えても読書家ではなかったのに、どうして小川洋子なのか。晩年病院に縁のあった兄貴は、誰からか、岡山県で暫く病院秘書の仕事をしていた小川洋子の話を聞いたのかもしれない、とも思った。何故これを選んだのかを知ろうとして、本書を開いた。そしたら、案に反してアンソロジーだった。 1. 河童玉(川上弘美) 2. 遊動円木(葛西善蔵) 3. 外科室(泉鏡花) 4. 愛撫(梶井基次郎) 5. 牧神の春(中井英夫) 6. 逢いびき(木山捷平) 7. 雨の中で最初に濡れる(魚住陽子) 8. 鯉(井伏鱒二) 9. いりみだれた散歩(武田泰淳) ここまで読んで、ほぼ半分。 全ての短篇に、小川洋子の2頁程の、解説のようには思えないエッセイがつく。 実際は、すべて小川洋子の新作短篇なのではないか?と思わせるようなアンソロジーだった。 ここまで読んできて、 人から勧められたのか 自分で図書館で数編読んで借りたのか わからないけど この本の抗いようにない特徴がわかってくる 総ての作品に、水のようにヒタヒタと沁みこんでくる死の翳が見えるのである。まさか自らのあまりにも速い死を予想していたはずはないが、それでも通常人よりは敏感になっていたはずだ。 河童は、庭園の池の築山の奥の限りのない奥に舟を進めてゆく。まるで冥府に行くかのよう。 武田泰淳は、散歩途中に太宰治の入水した川を眺め、または自らガス中毒に遭った経験から川端康成の自殺時の心境を想像する。自らの言っている言葉がおかしくなり、意識が朦朧として倒れたそうだ。まさか、コレが兄貴の最後の読書じゃなかったろうな。 10. 雀 (色川武大) 11. 犯された兎 (平岡篤頼) 12. 流山寺 (小池真理子) 13. 五人の男 (庄野潤三) 14. 空想 (武者小路実篤) 15. 行方(日和聡子) 16. ラプンツェル未遂事件 (岸本佐知子) 何故コレを選んだのかは、とうとう分からず仕舞いだった(←当たり前だわな)。 もう全ての短篇が、彼の最後の読書のような気がする。 今でも、マクドの席でうたた寝をして、ふと起きると隣に「俺死んだのか?」と言って芒洋と座っている気がする。
2021年07月29日
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「その果てを知らず」眉村卓 講談社 SF作家眉村卓の遺作である。2019年11月3日死去、2020年10月20日発行。 何度目かの入院生活をしているSF作家映生(84歳)は、ある日、天井から剥がれ落ちようとしている透明薄膜などが見えてくる。彼はそれが幻覚であることを自覚して観察している。それ以降さまざまな幻覚がやってくる。やがて映生はエッセイのようなSF黎明期の話を書き出すが、やがておかしな方向に話が進んでゆき‥‥。 まるでエッセイか小説か、前衛的なSFか、わからないような作品。映生の過去の話は、少しSFを齧った者には直ぐにモデルがわかるようなことばかりだと思う。私のような者でも速水書房が早川書房、「月刊SF」は「SFマガジン」、「原始惑星」という同人誌は「宇宙塵」、光伸一は星新一、毛利嵐は小松左京、会津正巳が初代マガジン編集長の福島正実、林良宏は次の編集長の南山宏とピンとくる。もしかしたら、ここで初めて明かされる秘話もあったのかもしれないが、私はそこまで詳しくはない。 私の父親は大手術の後に深夜明確な幻覚を見たが、ホンモノだと言って譲らなかった。回復した後は、そんな幻覚なぞ忘れたように3年間過ごしたが、最期の時が近づいたころふと「あゝ分かったぞ、ホントのことが」などと言っていた。幻覚と現実の狭間を「自由に」往来した眉村卓さんは、人生の仕舞い方について、その一つの典型を、私に提示してくれた。 映生(眉村卓)さんは、最後の方でテイニー(瞬間移動)能力さえ身につけ、林良宏から宇宙の秘密を授けられる。実際、何処から狙って構成された小説で、どこから本気の幻覚小説だったのか、わからなかった。真面目な読者は「こんなの小説じゃない、SFでもない」と怒るかも知れないが、私はアリだと思う。そもそも、SFって、こんなモノだった。
2021年07月28日
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「女の園の星2」和山やま FEEL Comios swing みなさん が読みながら クスクスしているのが 目に見えるようで幸せになります 何処でハマるか きっと人それぞれ うどんまん有段者のくだりか 中村先生の新しい彼女(人間とは限らない)か 小林先生が 早く帰りたいけど熱中する タペストリーつくりのくだりが 私の月一回の新聞つくりと重なって 大笑いが止まらず、周りを見まわしました 緑川先生の 大スキャンダル(じゃないけど) 女子高世界を震撼させる「あの」情報が 教頭辺りから漏れないかな、と心配する私は ちょっと悪魔でせうか 女子高生も先生たちも みんな同じような面長で みんな同じような美人美男ばかりなのは 誰かの女子高生の脳内世界なのでは、とふと思った
2021年07月27日
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昨日、岡山後楽園前の福岡醤油ギャラリーで行われているチーム・ラボの「Tea Time」を観てきた。 詳しい解説は写真参照。 ワクチン2回接種証明書持参で、1000円の入場料が半額になる。まるきり事前知識なく、なんか展示している、とだけで来た。 まさか展示が一点だけとは思わなかった。 写真ではわかりにくいが、光が明滅していて、ブームという音も起滅している。「引き込み現象」というらしい。氷を入れた普通の緑茶が、それにつられて明滅する。色が変わる。 ハッキリ言ってそれだけ。入場時間は決められていて、しかも20分だけ。 デートで来るには、あまり喋れないし、一人で来るのは(私は平気だったけど)耐えられない人もいるだろう。この時は、もうひとカップルの女性組だけだった。醤油蔵の地下を利用した展示ではあるが、東京では受けたかも知れないが、果たして岡山で受けるのだろうか?
2021年07月25日
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22日、国民の祝日のもと、岡山県入を果たした国民平和大行進が水島から玉島にはたを引き継いだ。 やはり行進は大々的にできない。 水島支所で集会。副所長挨拶、県原水協挨拶、 協同病院の患者たちが作った折り鶴贈呈、 そして50個の平和風船(土に溶ける優しい材料で作られている)を放つ。風が強いので、四国まで届くかな。 郵便局前でスタンディング。81歳のおばあちゃんも炎天下のもと参加していた。 高梁川にかかる霞橋(だけ)を渡切る。 玉島に引き続き。たいへん変則的だけど、少しでも歩けたのでよかった。来年はいつもの平和行進に戻って欲しい。
2021年07月24日
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「藤子・F・不二雄のまんが技法」小学館文庫 「ドラえもんが世界をすくう」そんな日が必ず来る。しかもこの百年以内に‥‥そう信じています。 後書きにて、里中満智子さんは20年前にそう書いています。グローバル社会の現代、あり得るなあと思います。 実際ついこの前、中国で発見された新種の肉食恐竜に「のび太」の名前がつけられました。「エウブロンテス・ノビタイ」という。中国の研究者がドラえもんの大ファンだったのです。この本でも詳しく扱われている「のび太の恐竜」は、F・不二雄さんが思い入れも持って、しっかり調べに調べて、「まんが技法」を駆使して描かれたようです。少なくとも、既に古代生物研究者「世界」は「変えた」わけですね。 本書は、1988年子ども向けマンガ入門書として刊行された「藤子・F・不二雄 まんがゼミナール」(てんとう虫ブックス)を再構成して刊行された文庫本です。 ドラえもんのようなマンガを描くためのホップ・ステップまでを懇切丁寧に紹介しているので、子どもたちにも有用ではあるけど、「物語」を書いてみたいと思っている大人にも有用なアドバイスが、そこかしこにあるし、「のび太の恐竜」の始まりから終わりまできちんとその狙いや隠されているスパイスまで語っているので、この作品のファンならば楽しめること請け合いです。図らずも、マンガ入門の形を形を借りた、自らが語るドラえもんの魅力話になっていました。 私は、「ドラえもん」は掲載誌はかすっていないし、放映チャンネルは契約していなかったので、この国民的アニメの洗礼は全く受けていません。どうして「ドラえもん」が、あんなに人気があるのかわかりませんでした。だって、ドラえもんのポケットなんて、なんでもアリじゃないですか!その代わり、「オバQ」と「パーマン」は、今でもスラスラっと描けるほどの私の特技になっています。大好きなマンガです。「藤子不二雄」は、マイレジェンドとは言わないまでも、私の重要な作家の1人です。 特に興味深いのは、ドラえもんのアイテムの中には、マンガ技法「そのもの」がかなり使われていたということです。まぁF・不二雄さんはアイデアつくりにかなり苦労していたので、ストーリーにそういうとっておきの技術が反映されるのは当たり前なのでしょう。驚くのは、ここで紹介されている解説を読んで初めてわかるので、読んでいる時はマンガ技法を使ったな、とは思わせない所です。 ・時間を止める「タンマウォッチ」は、「俯瞰描写」の作例になっている。 ・「必ず実現する予定メモ帳」はシナリオ作りの基本。 ・「シナリオライター」で、目にみえるようにシナリオを実際に作って見せたりしている。 ・地図を貼り替えれば引越しができる「引越し地図」は、環境設定つくりで使える。 ・プロの漫画家を目指しているジャイ子は、のび太を観察してマンガを描こうとする。何度ボツになっても諦めない。「みんなもその意気を学ぼう」とF・不二雄さんは言います。 私的には、ともかくなかなか進まない時には「扉絵」を描けば、登場人物、構想、強調すべき点が整理できる、とアドバイスしているのがとっても参考になりました。小説的に言えば、「次号より連載開始を告げる作者の言葉」だろうか。創作する者にとって、一つのヒントになります。
2021年07月23日
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「サンタクロースのせいにしよう」若竹七海 集英社文庫 気がついてみれば、昨年は若竹七海の葉村晶シリーズと御子柴くんシリーズを一挙に9冊読破していた。もしかしたら、あと少し頑張れば若竹七海をマイファンリスト(著作物の8割以上を読む)に入れることができるんじゃないか?という目論見で比較的初期の本作を紐解いた。結果、リスト入りを目指すことになりました。 葉村晶みたいな個性的な探偵が出てくるわけでも、御子柴くんみたいな情け無い刑事が出てくるわけでもない、主には銀子お嬢さんの家に居候を始めた柊子さんの、ご近所で起こる日常の謎を解くコージーミステリ。探偵役は柊子さんの場合もあれば、友人の夏見さん、銀子さんの腹違いの兄・竜郎さんの場合もある。読んで社会情勢に詳しくなるわけでも、人生の教訓を得るわけでも、涙を絞る癒しの場面があるわけでもないが、やはり相性が良いのか、ともかく楽しく次々と読んでいられる。姪っ子のお喋りに付き合っている、というような感じ。読んでいると、時代を感じる日常品が次々と出てくるのも良し(ハンディカメラとか)。 あと2年ぐらいしたら、「最近はちょっと若竹七海に凝っててね」というようなことも言えるかもしれない。 初出誌「小説すばる」 あなただけを見つめる 92年8月号 サンタクロースのせいにしよう 93年1月号 死を言うなかれ 93年4月号 犬の足跡 93年7月号 虚構通信 93年10月号 空飛ぶマコト 94年1月号 子どものケンカ 94年4月号 主な登場人物 岡村柊子 彦坂夏見 松江銀子 曽我竜郎
2021年07月22日
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「国境のない生き方」ヤマザキマリ 小学館新書 ヤマザキマリ初めての自伝。文章は上手い。上手いのはマンガだけではなかった。音楽家のシングルマザーに育てられ、北海道の自然で成長し、イタリアで青春を過ごし、シングルマザーとして日本に帰る。10足のワラジを履いて、そのうちの一つで大当たり。でも日本に満足しない。 特異な体験がある。特異な視点がある。それを支える教養がある。卓越した文章力がある。一冊の自伝で終わらず次々と本を書いているのは当たり前だろう。 もう山ほど引用したいんだけど、適当なところで切り上げる。 ⚫︎(人間以外の生き物に出会うと)向こうから「あ、人間が来た」って目で見られたくない。一応、人間の袋はかぶっているけど「私はあなたたちと同じなんですよ」って、生き物と生き物として付き合える仲でいたい(21p) ⚫︎「ジャングル大帝」も「ニルスのふしぎな旅」と同じで、人間を素晴らしいものとして描いていない。(略)別に人間嫌いではありませんが、ディズニーみたいな人間礼賛、キリスト教的倫理観バンザイみたいな作品はどうも肌が合わないというか、惹かれない。(23p)古代ローマ時代においては、キリスト教もまだカルト新興宗教のひとつ。 ⚫︎(母親は)「他人の目なんて気にしなくていい」というのは、子供たちにはずっと言っていました。「他人の目に映る自分は、自分ではないのだから」(35p)。 ⚫︎(14歳のひとりヨーロッパ旅行は)私を根本から変えた。何より自分で考え、自分で判断することを覚えた私は、言われるまま、何も考えず何かを受け入れることができなくなっていました。(67p) ⚫︎イタリアの「ガレリア・ウプパ」というギャラリーで、討論の仕方を学んだ。「私はそうは思わない」と言うことは、別に相手を否定することじゃない。納得したい、相手のこともきちんと理解したい。対話というものはそこから始まるものでしょう。(83p)須賀敦子さんのイタリア・ミラノのコルシア書店に集う人たち(60年代)を読むと80年代の私たちと似ている。 ⚫︎同棲相手の破綻生活、屋台お店の倒産、借金、そして妊娠。もう死のうと思った。そして出産。そこでカーンと、ゴングが鳴った。マンガ「mini」に「彼女のBOSSANOVA」を描き、努力賞の10万円を貰って日本に戻った。(143p) ⚫︎背景で語る、絵全体で物語る。つげ義春さんがそうで、水木しげるさんがそう。だから、「プリニウス」はそれを目指した。1人じゃ無理だから、とり・みきさんを誘った。キャラクターを描くよりも、彼を通して古代ローマの闇の部分、人間の不条理を描いてみたいと思った。(168p) ⚫︎私にとって「失敗」は、ダメージ・ポイントじゃないんですね。失敗が増えれば増えるほど自分の辞書のボキャブラリーが増えるわけですから、「やっちまった」「しまった」と思って、またやり直しっていうのは、死ぬまでやっていいと思うんです。(略)そうやって失敗を繰り返しているうちに、やがて分厚くなったかさぶたがはがれる時が来る。「ああ、自分はカッコつけていたな」とか、薄皮が一枚一枚剥がれるみたいに余分なものがとれていった時に「ああ、失敗は、どれもいい経験だったな」と思える時がきっとくる。(174p) ⚫︎私はいずれ沖縄について、彼らについて描くことになるでしょう。(232p)
2021年07月21日
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「あの人に会いに」穂村弘対談集 毎日新聞出版 まえがき「よくわからないけど、あきらかにすごい人」に会いに行く より (対談の仕事が舞い込むようになって)「私は怖ろしいことに気がついた。もしかして、奇跡のような作品を作ったあの人にもあの人にもあの人にも、会おうと思えば会えてしまうのか。信じられない。でも、と思う」(その時に言いたいことは唯ひとつ、ありがとうございました、ということだけなのだ、でも、それだと対談にならないので)「溢れそうな思いを胸の奥に秘めて、なるべく平静を装って、その人に創作の秘密を尋ねることにしよう」←!!おゝそうだよね。私もその気持ちよくわかります。 よって、この場合の対談相手は多くない。 谷川俊太郎、宇野亜喜良、横尾忠則、荒木経惟、萩尾望都、佐藤雅彦、高野文子、甲本ヒロト、吉田戦車。対談期間は2013年年末から2015年。歌人の穂村弘さんは、読んだことないけど、ほぼ同年代の人でした。だから、彼のレジェンドの中に、萩尾望都と高野文子が居るのは決して偶然ではない。よって、私にとってのレジェンドの2人と、対談中味がとっても面白かった谷川俊太郎とのやり取りについてメモする。 (谷川俊太郎) ⚫︎(下からくるインスピレーションを受け取るには)植物が土の中に根をはりめぐらせ、養分を吸い上げるイメージです。 ⚫︎穂村弘 言葉の可能性を考え続け試し続けできた谷川さんという存在自体が言語ブラックホールのようになっていて、私の能力ではこの人を驚かせたり怒らせる言葉を見つけられない、すべて吸い込まれてしまう。 (萩尾望都) ⚫︎「24年組と言われる人たちも恋愛ものを描きましたけど、そのなかで「私は何を考えているか」ということを描いて、その延長線上で独特の世界観を持つ作品が生まれたということではないかと思います。」 ⚫︎「11人にいる」でまだ描いていないエピソードをネタバレしていた!!‥‥まだ性が未分化のフロルにお兄さんが行方不明になったせいで、お母さんがフロルに「男になれ」と迫って揉める話。でも恋人のタダと結婚したいので悩む。タダは大反対。フロルは「ぼくは男になるけど、タダが男の愛人になればいい」と提案して、ますます大反対するという‥‥。←おお!!なんという「現代的なテーマ」。発表するべきだ! ⚫︎(何故「トーマの心臓」のオスカーのような男がいないのか、と問われて)女の人はスカートの襞の数だけ細々と考えている。男がそのことをわからないのは仕方ない。オスカーは、半分スカートを履いているようなものだから、そんなボーイフレンドを見つけるのはちょっと難しいかもしれない(笑)。 ⚫︎(中編や長編のストーリー構成は、連載開始時から全体像が見えていたかと聞かれて)2作品「スターレッド」と「バルバラ異界」以外は全部見えていた。「バルバラ」は前後編、或いは4回の連載で描く予定だった。←やはり「ポーの一族」でアランが火事に巻き込まれていなくなるのは、最初から決まっていたのだ! (高野文子) 1957年生まれ。79年に漫画家デビュー。インタビュー時は「ドミトリーともきんす」発表直前。 ⚫︎16歳の時に萩尾望都のマンガを見て「天の声」だと思った。「こっちに来なさいよ」。 ⚫︎(「暗黙のルールと違うものが描かれていて攻撃されていたと感じていた」と穂村弘に言われて)「攻撃していたんですよ。マンガは攻撃しなきゃだめだと思ってやっていたんです」「やっぱりね、マンガは戦だと思っていたところがあるんですよ。でももう攻撃はやめたんです。「ドミトリーともきんす」はとっても平和なんですよ。」←何をおっしゃるか!十分攻撃的ですよ! ⚫︎←穂村弘からさまざまな質問をするけど、いつも想定外の言葉が出てくる。逆に穂村弘に長いことインタビューを始めるし‥‥。初めて美人顔を見ることができたし、想定通り想定外のインタビューでした!
2021年07月20日
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今月の映画評「糸」 歌は世に連れ、世は歌に連れ。 一世を風靡した歌でなくても、ふとした拍子に思い出す歌が、その人の人生を癒し、励まし、前を向かせることがあります。 平成時代が始まった時に生まれた蓮(菅田将暉)は、13歳の時に虐待で家出していた葵(小松菜奈)を助けるために北海道の町を出ようとしますが、1日で警察に捕まってしまいます。その時に葵の手を離したことが、ずっと蓮の後悔になり、青年になって再会した時にはぎこちない別れをするのです。そのあと、2人の運命は別々に進み、リーマンショックや東日本大地震などを挟みながら展開していきます。 「なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない/いつ めぐり逢うのかを私たちは いつも知らない」中島みゆき「糸」の歌詞がラストを予感させます。大切なのは物語中でこの歌と、もう一つ中島みゆき「ファイト」が2回繰り返されるのです。歌は、時と場所を得て繰り返し繰り返し歌われることで、初めて価値を持ちます。 特に、葵が2回目の「糸」を想いもかけない場所で聴きながら、泣きながらカツ丼を掻っ込む場面は最高です。また、重要なセリフと行動も、この作品中、時と場面を変えて3-4回繰り返されます。そうやって想いは繋がってゆく。 時にはサイコパス、時には熱血教師を演じて来た菅田将暉が、今回は涙もろくて誠実な青年を違和感なく演じました。小松菜奈の成長著しい演技も見ものです。(2020年瀬々敬久監督作品、レンタル可能)
2021年07月18日
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「REKIHAKU いまこそ、東アジア交流史」国立歴史民俗博物館編 国立歴史民俗博物館のお堅い研究雑誌「歴博」が、リニューアルされていた。これは今年2月に出された第2号。全面カラー、ムック体裁レイアウト、漫画や連載記事もある。けれども内容は紛うことなき歴博研究員たちの中間報告。 日本は韓国とは違い、国立博物館が質と量共に日本の博物館レベルの頂点にいる。それは地方の文化行政の質と財政がまばらで不足している、ということを示していて、豊富な展示と研究を両方兼ね備えるためには国の財政に頼らざるを得ないという事情があるのだろう。 そういうわけで、民族学博物館ならば大阪、美術と考古資料ならば東京、「歴史」と「民俗」ならば千葉県佐倉市にまで出向かなくては、日本最高峰の博物館に出会えないという、ある種不幸な環境下に私たちはいるのである。 特に歴博はその性格から、歴史民俗関係では、考古学含めて、日本最高峰の研究員が揃っている。残念ながら、上野国立博物館の考古資料は日本最高峰だけど、美術品として置かれていて研究はなおざりだ。ホントの考古学研究は歴博から始まっている。炭素14年代測定法も、ここから始まった。だからこういう雑誌は、日本最高峰の研究にいち早く出会える可能性がある雑誌というわけだ。 そういうわけで、最新研究の「窓」となっているこの雑誌をAmazonで買えるようになったのは、とても嬉しい。 ‥‥前置きはここまで。 博物館フェチなので、つい話が長くなる。 特集は「東アジア交流史」です。 「名もなき人々の小さな日朝関係史」という文章では、松田睦彦歴博准教授が近代の一時期、韓国南部に日本の漁村が大勢出漁していて、尚且つ長期入居していたことを明らかにしています。愛媛県魚島の漁村と巨済市一運面旧助羅里(クジェシ・イルウンミョン・クジョラリ)との関係です。国とはまた色の違う半世紀にわたる交流を紹介しています。南部には日本人村がたくさんあったということは聞いていて、一度探したことはあったのですが見つけきれなかった。今回住所がわかったので、機会があれば行ってみたい。 荒木和憲准教授による、中世の日本が自らの領土をどのように認識していたのか、という考察もとても面白かった。 今回より、博物館デジタルアーカイブ紹介の連載記事が始まった。私には関係ないけど、任天堂Switchのソフトにアーカイブ映画を貼り付けることができるらしい。その他、ほかの使い方は出来ないんだろうか。 それから、「くらしの植物園歳時記」では、見頃の花をいつも紹介してくれるのかな?ご存知かもしれないが、ここには「歴史的な」植物が豊富に揃っています。夏には、江戸時代に流行った「かわり朝顔」がたくさん展示されるはずだ。あゝも一度行きたいなぁ。佐倉は遠い。
2021年07月17日
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「闊歩する漱石」丸谷才一 講談社文庫 本書を紐解いた理由は2つ。ひとつは丸谷才一を批判するためである。後で詳しく書く。もうひとつは、たまたま電子書籍バーゲンがあって、諸処の条件をクリアして200円台まで値段が落ちたからである。スマホの学術書利用の練習としてピッタリと思ったのだ。 丸谷才一は、嫌いになりたい作家として長年筆頭候補に上がっていた。加藤周一の後継者の位置付けにある池澤夏樹が、文学評論の手本として丸谷才一と吉田健一を挙げていた(cf.日本文学全集)のが、どうしても納得いかなくてきちんと一冊本を読んでおきたかったのである。 私は「嫌い」と一言で済ませたくない。私はいわゆる陰口が大っ嫌いだ。子ども時代からこの方、思わず陰口を叩いたことは数えるぐらいしかないはずだ。必ず目の前にいないと人の悪口は言うまいと決めていたから、結局陰口の輪から離れることになり、それが結果的に私がイジメ現場を見なかった原因のひとつになっていると思う。それはともかく、作家や有名人の場合は、批評されるのを前提として人前に出ているのでその限りではない。むしろ、彼らは批評されてナンボなのだ。私は陰口ストレスを批評に転換して人生を渡って来たと言っていいかもしれない。よって、私は批評に情熱を注ぎすぎたのかもしれない。昔ガールフレンドは私のことを「結局、評論家なのよね」と「批評」したことがある‥‥。それはともかく(^_^;)、有名人を「嫌いだ」という場合、根拠をキチンと示すというのを最低ルールとして来た。低評価作品のレビューを長々と書くのは、そういうわけである。 文章が横道に逸れまくりですよね。 実は、コレが丸谷才一の文章の最大特徴なのである。 内容(「BOOK」データベース)は、このように本書を紹介している。長々と読んできて、実は書いていたことはこの約140字で見事に要約できていた。こんな本も珍しい。 夏目漱石の『坊っちゃん』は、あだ名づくしで書かれた反・近代小説。『三四郎』は都市小説のさきがけ。『吾輩は猫である』は価値の逆転、浪費と型やぶりによる言葉のカーニバル。初期三作をモダニズム文学としてとらえ、鑑賞し、分析し、絶賛する。東西の古典を縦横無尽に引いて斬新明快に語る、画期的漱石論。 丸谷才一は「おそらく初物の説になると思う」とこれから開陳する漱石論に自信を漲(みなぎ)らせている。確かに私は初めて読んだ気がする(初出は1999年から2000年)。20年経って漱石研究の分野で、丸谷説が現在どういう位置付けにあるのか、私は知らないし、興味はない。私の関心は、丸谷才一はどういう文学評論を書いたのか、ということだけだからである。 そうすると、「坊っちゃん」に対して、最初の頃こそ、坊っちゃんの物語で名前が与えられているのは「清」だけで、あとはみんな「あだ名」であるとか分析している。興味ないので簡単に書くと、結果的にイギリス文学で生まれつつあったモダニズム文学を、漱石はいち早く日本で展開していたのだと評価しているのである。その「根拠」として書き始めた「坊っちゃんと山嵐が赤シャツと野だいこをやっつけるくだり」が古代叙事詩のパロディ(擬英雄詩)であることに触れ、そこから延々日本と外国の擬英雄詩の伝統を100頁に渡って展開するのである。その古今東西の教養の広さと深さは、おそらく当時の知識人随一のものだったろうと思う。 赤シャツとのケンカで、「あだ名尽くし」が飛び出ます。そこから丸谷才一の連想は古今東西に飛ぶ。聖書は勿論、古事記、イリアス、枕草子、万葉集、平家物語、閑吟集、国姓爺合戦、義経千本桜、ハムレット、失われた時を求めて、ユリシーズ‥‥やがて言葉の列挙は「供ぎもの」だという考察に移ってゆくのです。自然主義文学が日本で起ころうとしていた時に、それに逆行する反19世紀文学を書いたと、丸谷才一さんは強調するのですが、そこに至る頃には読者は何がなんやらケムにまかれているという寸法です。 ひとつひとつの考察は、意表を突いてとっても面白いのですよ。面白いんだけど、たくさんの蘊蓄を語って結局何も聞かされていないという感想を持ってしまうんですね。丸谷才一の書きたいのは、漱石の反19世紀論(世界の構造)ではなくて、実は「そこから派生した枝葉」(世界の細部)なのだ。そう思う私は、意地悪なのか?ただ、そんなのを延々金を払って時間を取って聞かされる身になって欲しい。 丸谷才一の世界は、金と時間がある身だけが愉しむことのできる、高等遊民の世界であるという感想を、私は持つのである。そういうわけで、そんなに酷くはないが、やはり「私は丸谷才一が嫌いだ」という感想を持たざるを得ない。
2021年07月16日
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「三体3死神永生(上)」劉慈欣 早川書房 表紙は一つの星の崩壊場面である。これが地球ではない保証は何処にもない。 上巻を読み終わった。ホントにSFなのか?上げて下げて、上げて下げて、もう一度上げて。普通これで物語を終わらすでしょ?未だ半分なの? このシリーズ全体に言えることなんですが、ケレン味たっぷりなんですよ。SF理論部分はついていけない程に専門的なんですが、ストーリーは作者か若い時から浴びて来た〈最近の〉小説や映画が基になっているに違いない。 例えば、本書の1/3を占める第一部は、ほとんど韓流恋愛ドラマです。 「三体危機」が世界的に知れ渡った頃、独身の一介の研究者が末期癌で死にそうになっている。そんな時に友人がやってきて「あのときのお前の一言で俺は億万長者になれたんだ」と言ってポンと300万元くれる。男はそのお金で自分の癌を治せないと確認すると、学生時代の片思いの女性のために、北斗七星のそばの5.5等級の恒星をプレゼントすることを思いつく。三体危機の下、国連が資金集めのためにそんな詐欺紛いのことまでやっていたのである。その女性は匿名のプレゼントに小躍りして喜ぶ。お互い天文学徒だったので、プレゼントの価値はよくわかるのである。一方、優秀なその女性は、三体世界に人間の「脳」を送り込むという「階梯計画」の担当者だった。男は安楽死法のもと、死のうとしていた。正にその時、男の前に片想いの彼女が現れる。「安楽死法は、階梯計画の候補者を見つけるために作られたのよ」。おゝこの気持ちのすれ違い!!彼女は、男のことが何故か気になり候補者から外してもらうように画策するが、すればするほど男の候補的確%は上がってゆく。女性に、男がプレゼントの渡し主と知らされたのは、男の「脳」を乗せたロケットが三体艦隊に向けて発射された後だった‥‥ ベタベタの恋愛ドラマじゃないか。 ところが、これが壮大なSF展開の伏線かもしれないのである(多分そうだろう‥‥)。 女はあくまでも美しく描かれて、男はあくまでもカッコよく描かれる。大衆や政府は情勢次第で敵になったり、味方になったり目まぐるしい。 ちょっとあざといぐらいの大衆文学である。あと一巻、どう決着つけるんだろ。 ‥‥ところが、直ぐにも読みたいところなのに、手元に下巻がない。数日前までは予約ゼロだったのに、今日見たら私含めて予約が3人。まるで本作のように先が見えない。次のレビューは1.5ヶ月後ぐらいになるかな。 不気味なのは、序文にあたる「『時の外の過去』序文より抜粋」という文章である。かつて作者が引用したことのある『銀河英雄伝説』の真の主人公は、ラインハルトでもヤンでもなく実は「後世の歴史家」であるというのは、ファンの中に一定支持のある定説である。その段でいくと、突然出てきたこの『時の外の過去』という書物(?)は、自ら「過去に起きたことではなく、今現在起きていることでも、未来に起きることでもない」と説明している。勿論、その言い方自体が伏線なのは間違いないが、私が言いたいのはそのことではなく、この未曾有のベストセラー小説の全体構造を示しているとも思えるからである。そのことの言及は、次巻に譲りたいと思う。
2021年07月14日
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6月に観た映画、最後の4作品。1dayパスでで観た。 「漁港の肉子ちゃん」 イオンシネマ1デイパスポート2作目。 子供の視点で、強かに生きる大人たちと子供たちの世界を均等に描く。アニメだから、肉子ちゃんも、二宮も、ゆりこちゃんも、サッさんも、実のお母さんも、単純化されているけど、実は本質を捉えているという、なかなか凝った作品。これがなぜ明石家さんまのプロデュースなのか、そこはよくわからないけど、あっという間に時間が経った。 釜の石という漁港にしているし、ラストが冬の後の春なので、かなり身構えていたけど、普通に終わってよかった。 普通が1番だと思う。 【ストーリー】 企画・プロデュースに明石家さんま、西加奈子の原作「漁港の肉子ちゃん」(幻冬舎文庫 刊)をアニメーション映画化。食いしん坊で能天気な肉子ちゃんは、情に厚くて惚れっぽいから、すぐ男にだまされる。一方、クールでしっかり者、11歳のキクコは、そんな母・肉子ちゃんが最近ちょっと恥ずかしい。そんな共通点なし、漁港の船に住む母娘の秘密が明らかになるとき、2人に、最高の奇跡が訪れる……。 【公開日】 2021年6月11日 【上映時間】 97分 【配給】 アスミック・エース 【監督】 渡辺歩 【出演】 大竹しのぶ/Cocomi/花江夏樹/下野紘/吉岡里帆/マツコ・デラックス/中村育二/山西惇/八十田勇一/石井いづみ/本村玲奈/植野瑚子/原口紗綾 2021年6月22日 イオンシネマ岡山 ★★★★ 「モータル・コンバット」 イオン1DAYパスポート3作目。 ストーリーはあってなきが如くだから突っ込みたくないが、ハンゾウの血統をなによりも大切にしているはずなのに、龍のマークは何故に勇者に血統に関係なく与えられるのか?この仕組み誰か説明してくれないだろうか? 魔族と人間界を借りた、異種格闘技戦であのには間違いないのだが、基本は武術である。だとしたら、るろうに剣心の武術が如何に速いものだったのかを、証明する作品にもなった。 【ストーリー】 激しすぎるバトルと相手にトドメを刺すシリーズ定番描写である「フェイダリティ」の残虐さを理由に日本では現在未発売となっているゲームシリーズ「モータルコンバット」を映画化。胸にドラゴンの形をしたアザを持つ総合格闘技の選手のコール・ヤングは自らの生い立ちを知らぬままお金のために戦う日々を送っていたが、ある日、魔界の皇帝シャン・ツンがコールを倒すために放った最強の刺客であるサブ・ゼロに命を狙われる。コールは家族の安全が脅かされることを恐れ、特殊部隊少佐ジャックスに言われるがまま同じく特殊部隊所属のソニア・ブレイドという女性戦士と合流し、地球の守護者であるライデンの寺院を訪れる。そこで太古より繰り広げられてきた世界の命運を懸けた格闘トーナメント「モータル・コンバット」の存在と、自らが魔界の敵たちと戦うために選ばれた戦士であることを知る。コールは新たな仲間たちとともに、自らの秘められた力を解放し、家族、そして世界を救うことが出来るのか……。 【公開日】 2021年6月18日 【英題】 Mortal Kombat 【映倫情報】 R15+ 【上映時間】 110分 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 【監督】 サイモン・マッコイド 【出演】 ルイス・タン/真田広之/浅野忠信/ジョー・タスリム 2021年6月22日 イオンシネマ岡山 ★★★ 「ファブル 殺さない殺し屋」 イオンシネマ1デイパスポート4作目。 岡田准一のあくしは、相変わらずキレキレなのだが、どう考えても、日本であれだけの頭数のピストル持った殺し屋(チンピラ)集めるのは山口組でも無理でしょ。でも、そんなこと詰める映画ではないのかもしれない。 思ったよりも、平手友梨奈が良かった。次から次へと表情を変えてゆく。決してうまくはないけど、確かに存在感あり。 憑依型女優として羽ばたいて欲しい。 木村文乃も前よりも良かった。アシストだけじゃないのね。 【ストーリー】 南勝久による同名原作コミックを岡田准一主で映画化した『ザ・ファブル』の続編。どんな相手も6秒以内に殺す「ファブル」(岡田准一)は、裏社会で誰もが「伝説の殺し屋」と恐れる存在だった。ある日、ボスから「一年間、誰も殺すな。「普通」に暮らせ」と命じられ、素性を隠して佐藤アキラという偽名を使い、相棒ヨウコ(木村文乃)と兄妹を装い「初めて一般人として」普通に暮らしている。アキラの初めてのバイト先であるデザイン会社では、社長(佐藤二朗)と社員のミサキ(山本美月)が、今日もアキラの描く子供のような絵に爆笑中。しかし一見平和なこの街では、表向きは子供を守るNPO代表、裏では緻密な計画で若者を殺す危険な男・宇津帆(堤真一)が暗躍。凄腕の殺し屋・鈴木(安藤政信)と共に、かつて弟を殺した因縁の敵・ファブルへの復讐に燃え綿密な計画を立てていた。同じ頃アキラは、宇津帆の元で暮らす、過去の事件でファブルが救えなかった車椅子の少女・ヒナコ(平手友梨奈)と再会する。しかしこれが後に想像もつかぬ大騒動へと急発進する……。 【公開日】 2021年6月18日 【上映時間】 131分 【配給】 松竹 【監督】 江口カン 【出演】 岡田准一/木村文乃/堤真一/平手友梨奈/安藤政信/山本美月/佐藤二朗/井之脇海/安田顕/佐藤浩市/宮川大輔/橋本マナミ/黒瀬純(パンクブーブー)/好井まさお(井下好井) 2021年6月22日 イオンシネマ岡山 ★★★★ 「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」 イオンシネマ1デイパスポート5作目。 No.1は観ていない。けれども、その始まりの1日目を10分ほど見せて、一挙に500日以上経った現在地の母親、息子娘、赤ちゃんの逃避行の場面に移る。だいたいのことはわかった。 突然の大音にビクッビクッとする。新しいホラー映画だなという認識。庶民目線なので、当然エイリアンたちの性質、目的などはわからない。 手話のできる家族なので、彼らは生き残れたのか? 最後は、子供たちの自立を仄めかして終わる。 【ストーリー】 音に反応し人間を襲う「何か」によって荒廃した世界で、生き残った1組の家族・アボット家。夫・リーを亡くし、家は燃えてしまい、母・エヴリン(エミリー・ブラント)は、産まれたばかりの赤ん坊と2人の子供たちを連れて新たな避難場所を探しに出発する。ノイズが溢れる外の世界で、敵か味方か分からない他の生存者たちに遭遇する一家。そして、彼らを待ち受ける更なる脅威とは何か......。 【公開日】 2021年6月18日 【英題】 A Quiet Place Part2 【上映時間】 97分 【配給】 東和ピクチャーズ 【監督】 ジョン・クラシンスキー 【出演】 エミリー・ブラント/ミリセント・シモンズ/ノア・ジュプ/キリアン・マーフィ/ジャイモン・フンスー ほか
2021年07月12日
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6月に観た映画3段目。 「アオラレ」 最初の五分で、社会的テーマは出尽くしている。単なる煽り運転の批判映画ではなくて、格差社会のストレスがあらゆる処に噴き出て、犯罪やその他酷いことが増えていると、ニュースでたくさんの事例が出る。 そして、この「お話」もその事例の一つなのだ。相当酷いとは思うが。 もっと煽り煽られてのシーンが続くかと思いきや、サイコ野郎の復讐の仕方がかなりえげつない。スマホが相手に渡ったら、もう何をされてもわかんないということですな。彼の場合は、時間がなかったから、既に自分の命はどうでもいいと思っているから、こういう暴力形態になったが、万が一彼に時間があれば、もっと陰惨なことになっていたろう。 ラッセル・クロウは役づくりで太っているのでは無い、と思わせる存在感だった。だって最近主演がないし、あんな風になってもおかしくはない、という絶妙なキャスティング! 彼は見事な役づくりをしていた。名前は与えられていない。説明はないが彼の行動と持っている薬とかで推理すると、以下のような男だろう。 小さな頃は順調だった(もしかしたら、IT産業?)。秀才で顔も良く、ラガーマンで、大学時代は有名だった。しかし、持ち前の性格の悪さと「社会のせいで」会社を首になり、妻からも離婚される。妻子は郊外に家を持つ男と結婚する。男はその時からぶくぶく太り出す。悪いことに病気が見つかる。末期癌だった。最早妻子の家族を道連れにしようと決意する。それは呆気なく終わった。そのあと、どうしようかと迷っている時に、後ろからカーフォンで鳴らされる‥‥。 終始、緊張しっぱなしで、予想以上に面白かった。 (STORY) 寝坊した美容師のレイチェル(カレン・ピストリアス)は、息子のカイル(ガブリエル・ベイトマン)を学校へ送りながら職場に向かう途中、大渋滞に巻き込まれてしまう。いら立つ彼女は、信号が青になっても発進しない前の車にクラクションを鳴らして追い越すと、ドライバーの男(ラッセル・クロウ)は後をつけてきて謝罪を要求する。彼女がそれを拒否し、息子を学校に送り届けガソリンスタンドに寄ると、先ほどの男に尾行されていることに気付く。やがて、レイチェルは男の狂信的な行動に追い詰められていく。 (キャスト) ラッセル・クロウ、カレン・ピストリアス、ガブリエル・ベイトマン、ジミ・シンプソン、オースティン・マッケンジー (スタッフ) 監督:デリック・ボルテ 脚本:カール・エルスワース 製作:リサ・エルジー、マーク・ギル、アンドリュー・ガン 撮影監督:ブレンダン・ガルヴィン プロダクションデザイン:フレディ・ワフ 編集:マイク・マカスカー、スティーヴ・ミルコヴィッチ、ティモシー・ミルコヴィッチ 衣装デザイン:デニス・ウィンゲイト 音楽:デヴィッド・バックリー キャスティング:メアリー・ヴァーニュー、レイリン・サボ 上映時間 90分 2021年6月15日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「戦場のメリークリスマス」 観たと思っていたが、勘違い?ほとんど何も覚えていなかった。 今見てもよくわからない。 英国から観た日本、日本から観た英国を、戦争という異常事態の中で戯画的に描いたのか? ハラとローレンスが最後のお辞儀をする場面は、斜め上から映している。未だない角度である。 いくら日本軍でも、あんなハラキリばかりはやっていないだろう。あんなにみんな英語喋らないだろう。46年時点で、ヨモイ大尉はすぐに戦犯として処刑されている。そんなことないだろう。 ローレンスの回想とセリアズの回想の意味が今ひとつわからない。誰にも人生には赦してもらいたい過去があるということか。ヨモイのそれは2.26に参加できなかったことであろうが、それとどうリンクするのかわからない。 そもそも、セリアズはどういう仕組みで俘虜収容所に入ってきたのか、仕組みがわからない。 4kで、服の目地一つ一つが見えた。一方で、花屋敷の花がひとつも鮮明でないのは、日本人撮影者じゃなかったから?よく考えたら、女優が1人も出ない作品は珍しい。ヨモイは最初からセリアズにラブラブだけど、セリアズの頬のキスは弟にするようなキスだろう。 事故前のタケシの顔が素晴らしい。 ひとり過去になんの後悔もない、案外知的な男として登場した。 (解説) 後世に多大な影響を残し、人々に鮮烈な印象を与え続けた鬼才・大島渚監督。今回の上映は、2023年に大島監督の作品が国立機関に収蔵されることから、最後の大規模ロードショーとして企画された。『戦場のメリークリスマス』(1983)は、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、内田裕也など、本業が俳優ではない顔ぶれをメインキャストに迎えて描く、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした異色の戦争映画。本作で初めて映画音楽を手掛けた坂本による「Merry Christmas Mr. Lawrence」は、映画を観ていない人も知る名曲として、広く愛され続けている。4Kのデジタル修復版。 (ストーリー) 1942年、ジャワ。山岳地帯の谷間レバクセンバタに日本軍の浮虜収容所がある。まだ夜が明けきらない薄闇の中日本軍軍曹ハラは、将校宿舎に起居する英国軍中佐ロレンスを叩き起こし、閲兵場に引き連れて行く。広場にはオランダ兵デ・ヨンと朝鮮人軍属カネモトが転がされていた。カネモトはデ・ヨンの独房に忍び込み彼を犯したのだ。ハラは独断で処置することを決め、万一の時の証人として流暢に日本語を操るロレンスを立ち合わせたのだった。そこへ、収容所長ヨノイ大尉が現れ、瞬時にして状況を察した彼はハラに後刻の報告を命じて、軍律会議出席のためバビヤダへ向かった。バビヤダ市内の第16軍拘禁所にある法廷では、英国陸軍少佐ジャック・セリアズの軍律会議が開廷された。ヨノイは魔に魅入られたかのように異様な眼差しでセリアズを凝視する。セリアズはレバクセンバタ浮虜収容所へ送られてきた。ヨノイはハラに、セリアズをすぐに医務室へ運ぶよう命令する。そこへ浮虜長ヒックスリが連れてこられた。ヨノイは彼に、浮虜の内、兵器、銃砲の専門家の名簿をよこせと命ずるがヒックスリは、敵に有利となる情報を提供するわけにいかないと拒否する。ある日、ヨノイの稽古場にハラが現れ、気合の鋭さに浮虜が怯えているため、ロレンスが面会を申し入れていると告げる。そんなロレンスに、ヨノイは唐突に、自分は二・二六事件の3ヵ月前満州に左遷されたため決起に参加できず、死に遅れたのだと語った。そして、その場でカネモトの処刑をいい渡した。処刑場にはヒックスリ以下浮虜側の上級将校も強制的に立ち会わされ、ハラがカネモトの首を切り落とした瞬間、デ・ヨンが舌を噛みきった。「礼を尽くせ」とヨノイは命ずるが浮虜たちは無視する。激昂したヨノイは、収容所の全員に48時間の謹慎と断食の〈行〉を命じる。無線機を持ちこんでいたという理由でロレンスとセリアズは独房入りとなった。壁越しに話をする2人。ロレンスは、たった2度しか会わなかった女性の思い出の中へ。セリアズは、耳許に内向的だった弟の歌声を聞く。衛兵の長靴足音が聞こえ、2人は司令室に連行された。そこには酒で上気し「ろーれんすさん。ふあーぜる・くり~すます」と笑いかけるハラがいた。ハラは2人に収容所に帰ってよいといい渡す。ヨノイの命令で、浮虜全員が閲兵場に整列させられたが、病棟の浮虜たちがいない。病人たちをかばうヒックスリに、激怒したヨノイは再び「兵器の専門家は何人いるか」と問う。「おりません」とヒックスリ。ヨノイは「斬る」と軍刀を抜いた。そのとき、浮虜の群からセリアズが優雅に歩み出、両手でヨノイの腕をつかむと、彼の頬に唇を当てた。後ろに崩れ落ちるヨノイ。ヨノイは更迭され、新任のゴンドウ大尉が着任した。閲兵場の中央に深い穴が堀られ、セリアズが首だけ出して生き埋めにさせられる。ある夜、月光の中からヨノイが現れ、無残な形相となったセリアズの金髪を一房切り落とし、どこへともなく立ち去った。時は流れ、1946年、戦犯を拘置している刑務所にロレンスがやってくる。処刑を翌日に控えたハラに面会にきたのだ。ロレンスは、ヨノイから日本の神社に捧げてくれとセリアズの遺髪を託されたことを告げる。クリスマスの日の思い出を語り合う二人。やがてロレンスは出口へ向かう。その瞬間、収容所で何度も聞かされたあの蛮声でハラが「ローレンス」と怒鳴る。そして、振り向いたロレンスの眼前に「めりい・くりすます。みすたあろーれんす」と告げるハラの笑顔があった。 出演 デヴィッド・ボウイ セリアズ 坂本龍一 ヨノイ 北野武 ハラ トム・コンティ ロレンス ジャック・トンプソン ヒックスリ 内田裕也 拘禁所長 三上寛 イトウ憲兵中尉 ジョニー大倉 カネモト 室田日出男 ゴンドウ大尉 戸浦六宏 軍律会議通訳 金田龍之介 フジムラ中佐 監督 大島渚、脚本 大島渚 ポール・マイヤーズバーグ、原作 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト、製作 ジェレミー・トーマス、撮影 成島東一郎、美術 戸田重昌、音楽 坂本龍一 2021年6月20日 シネマ・クレール ★★★★ 「キャラクター」 イオンシネマ1デイパスポート一作目。 予想と違った。 誰もが予想するやり方の裏をかいたのかもしれないが、だとすると真相を隠すやり方は、どうなの? マンガはキャラクターを作れば、売れるのか?長崎尚志はそういう作り方をしたのか?私は彼に言いたい。 これ、続きを作らないとみんなモヤモヤするタイプでしょ? 絶対おかしい! 【ストーリー】 もしも売れない漫画家が殺人犯の顔を見てしまったら?その顔をキャラクター化して漫画を描いて売れてしまったとしたら?登場人物(キャラクター)それぞれが幾重にも交錯する物語を描いたダークエンターテインメント。漫画家として売れることを夢見る主人公・山城圭吾(菅田将暉)。高い画力があるにも関わらず、お人好しすぎる性格ゆえにリアルな悪役キャラクターを描くことができず、万年アシスタント生活を送っていた。ある日、師匠の依頼で「誰が見ても幸せそうな家」のスケッチに出かける山城。住宅街の中に不思議な魅力を感じる一軒家を見つけ、ふとしたことから中に足を踏み入れてしまう。そこで彼が目にしたのは、見るも無残な姿になり果てた4人家族……そして、彼らの前に佇む一人の男。事件の第一発見者となった山城は、警察の取り調べに対して「犯人の顔は見ていない」と嘘をつく。それどころか、自分だけが知っている犯人をキャラクターにサスペンス漫画「34(さんじゅうし)」を描き始める。山城に欠けていた本物の【悪】を描いた漫画は異例の大ヒット。山城は売れっ子漫画家の道を歩むのだった。そんな中、漫画「34」で描かれた物語を模した事件が次々と発生。そして、山城の前に、再びあの男が姿を現す。「両角って言います。先生が描いたものも、リアルに再現しておきましたから。」交わってしまった2人。山城を待ち受ける結末とは……。 【公開日】 2021年6月11日 【映倫情報】 PG12 【上映時間】 125分 【配給】 東宝 【監督】 永井聡 【出演】 菅田将暉/Fukase(SEKAI NO OWARI)/高畑充希/中村獅童/小栗旬 2021年6月22日 イオンシネマ岡山 ★★★
2021年07月11日
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6月に観た映画2段目。 「いのちの停車場」 最初は、救急医療手術でこんなに丁寧に看護士に指示する医者はいないだろ、それにこんな年寄りが田中泯をお父さんにしちゃダメだろ、等々違和感ありありだったけど、やはり吉永小百合でなければ在宅医師は務まらないし、最後はまさかの「夢千代日記」になった。終わり方は、あのままだとこの親子はいいとして、周りは不幸になる、ダメだろ、とも思うのだけど、吉永小百合ならば許そうとかになる。だから、決して褒められた作品ではなく、決して映画史に残すべき作品ではないのだけど、たくさん泣かせてもらった。年寄り中心に観客も入っている。たいした映画だと思う。 【ストーリー】 現代医療制度・尊厳死・安楽死に向き合う社会派ヒューマン医療ドラマを描く、南杏子の小説「いのちの停車場」の映画化。救命救急医として、長年大学病院で患者と向き合ってきた咲和子は、とある事情から石川県にある父の住む実家へと戻り、在宅医療を通して患者と向き合う「まほろば診療所」に勤めることになる。「まほろば診療所」の院長・仙川をはじめ、長年診療所を支えてきた看護師の麻世、また自分を追いかけて診療所へやってきた元大学病院職員の青年・野呂たちと在宅医療という、これまで自分が行ってきた医療とは、違ったかたちでいのちと向き合う。はじめはその違いに戸惑いを感じる咲和子だったが、まほろばスタッフに支えられて徐々に在宅医療だからこそできる患者やその家族、そして命との向き合い方を見つめていくようになる……。 【公開日】 2021年5月21日 【上映時間】 119分 【配給】 東映 【監督】 成島 【出演】 吉永小百合/松坂桃李/広瀬すず/田中泯/西田敏行/石田ゆり子/伊勢谷友介/小池栄子/泉谷しげる/南野陽子/みなみらんぼう/柳葉敏郎 2021年6月10日 岡山イオン・シネマ ★★★★ 「るろうに剣心 最終章 The Beginning」 ビギニングは、もう前作の補論みたいなもの。 肝のアクションは少なめ。それよりも、最後に、作品のテーマを立ち上げる構成。 しかし、がっかり。 正義のためにはテロは正当化されるのか? という問いを雪代巴は出した。 それに対して、 剣心は、 愛する人はどんなことになっても殺さない。 しかし、今まで殺したことの意味がなくなるので、維新がなるまではテロは続ける。 それ以降は止める。 というわけのわからない答えを出した。 雪代のとうたのはそんなこっちゃないでしょ? アクションは、冒頭の歯て刃を噛んで10数人殺しまくる奴と、 維新のスーパースター沖田総司との戦い。の2点。。 うーむ。 【ストーリー】 佐藤健の主演アクション映画『るろうに剣心』シリーズの最終章。監督を大友啓史が務める。『るろうに剣心 最終章 The Beginning』では、これまで語られることのなかった<十字傷>の謎に迫る。動乱の幕末期と明治維新後の新時代の2つの時代を通して描く。 【公開日】 2021年6月4日 【上映時間】 137分 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 【監督】 大友啓史 【出演】 佐藤健/伊勢谷友介/中原丈雄/北村一輝/有村架純/江口洋介/高橋一生/村上虹郎/安藤政信 ほか 2021年6月10日 岡山イオン・シネマ ★★★ 「クルエラ」 イオンワンデイ・パスポートで結局4作観た。9時に3時間早く映画館が閉められなければ、やはり5作は観れたのに!! 冒頭から縦横無尽のカメラワーク、そしてピッタリのミュージック、素晴らしいデザインの数々、もう邦画と格が違う。そして、テーマソングからみちびきだされる、ダークヒロインの誕生の瞬間。 大変面白かった。 【ストーリー】 『美女と野獣』『アラジン』のディズニーが、『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンを主演に迎え、名作アニメーション『101匹わんちゃん』のヴィラン(悪役)「クルエラ」の誕生秘話を実写映画化。パンクムーブメント吹き荒れる70年代のロンドンに、デザイナーを目指す一人の少女・エステラが降り立つ。「アートを作りたい」と野望に燃えながら、一秒たりとも無駄にはできない彼女は裁縫やデザイン画の制作に必死に励み、デザイナーへの階段を駆け上がろうと過酷な日々を乗り越えながらも切磋琢磨しながら働き続ける。その姿は「ヴィラン」とは程遠い、夢と希望に溢れる若者。私たちと何ら変わりない日々を送る彼女は、このままデザイナーへの道を歩んでいくと思われたが、カリスマ的なファッションデザイナーのバロネスとの出会いがエステラの運命を大きく変えいく。そして彼女はまるで同一人物とは思えない、狂気に満ち溢れたクルエラの姿へと染まっていく。夢と希望にときめくごく普通の少女は、なぜ邪悪なヴィランへと変わり果てたのか……。 【公開日】 2021年5月27日 【上映時間】 140分 【配給】 ウォルト・ディズニー・ジャパン 【監督】 クレイグ・ギレスピー 【出演】 エマ・ストーン/エマ・トンプソン/マーク・ストロング 2021年6月10日 岡山イオン・シネマ ★★★★
2021年07月10日
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6月に観た作品はなんと12作品。4回に分けて、紹介します。 「HOKUSAI」 「絵で世界を変えるんだ」 「誰にも指図されずに絵を描ける日が来ないかなぁ」 北斎の若い時から、 蔦屋への弾圧、歌麿の手鎖50日、柳亭種彦の切腹という事件を縦糸に、北斎の絵師としての成長を横糸に描く、野心あふれる北斎像である。 お栄の女優見たことないなと思ったら、企画・脚本まで書いた河原れんだった。殆ど彼女の作品と言っていいのかもしれない。まだ若いのに、ものすごい野心的で、一生懸命2時間にいろんな要素を、これぞ映画だ、映画でしか出来ないんだ、という気持ちで作ろうとしている。 しかし、写楽の登場があまりにも突発的でもっと広がるのかと思いきや、次の章では広がらず、佐吉が滝沢馬琴だというのは知っている人はわかるかもしれないが、普通の人には伝わらない。せめて寛永何年とかの表示があって、幕府の以降の背景もわかればいいのだけど、蔦屋の弾圧も、柳亭種彦の弾圧も、背景が分からず、結果的に4章の話が上手く繋がらない。 テーマはハッキリしているのだが、それがすんなり入ってこない。まるで舞踏のように田中泯が演技をするし、それは見応えあるのだけど、作品全体から言う若干浮いている。 つまり、作品としては、少し空回りした野心作であった。 写楽と麻雪に新人を使って、ちゃんと存在感出していた。彼らは舞台俳優か? STORY 町人文化全盛の江戸。後の葛飾北斎である貧乏絵師の勝川春朗(柳楽優弥)は、不作法な素行で師匠に破門されたが、喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出した版元の蔦屋重三郎(阿部寛)に才能を認められる。北斎は次々と革新的な絵を手掛け、江戸の人気絵師となるが、幕府の反感を買ってしまう。 キャスト 柳楽優弥(葛飾北斎(青年期)) 田中泯(葛飾北斎(老年期)) 玉木宏(喜多川歌麿) 瀧本美織(コト) 津田寛治(永井五右衛門) 青木崇高(高井鴻山) 辻本祐樹(瑣吉/滝沢馬琴) 浦上晟周(東洲斎写楽) 芋生悠(麻雪) 河原れん(お栄) 城桧吏(葛飾北斎(少年期)) 永山瑛太(柳亭種彦) 阿部寛(蔦屋重三郎) スタッフ 監督:橋本一 企画・脚本:河原れん 音楽:安川午朗 エグゼクティブプロデューサー:細野義朗 プロデューサー:中山賢一 共同プロデューサー:吉原大佑 「アメリカン・ユートピア」 コレは某映画ランキングでは、「茜に焼かれる」「ファーザー」を抑えてトップの位置にいることから観ることにした。 もっと物語がある(ミュージカル)のかと思いきや、殆どコンサート。 音楽映画には疎い私は、途中意識が飛んだ。 ドラマは緊張感が続くのになあ。 結局、 銃は無くそうね 家にかえろうよ そんなことは言っていたと思う。 アメリカの逆にムキになったユートピアを、まだ希望はある、と励ます作品なのかな。よくわからんかった。 マイク・リーから見たデヴィッド・バーンのショウなのだけど、実にまんべんに判るように編集されていて(←上と言っていることが違う)素晴らしいと思う。 STORY 元トーキング・ヘッズのメンバーで、現在はソロ活動をするデヴィッド・バーンが手掛けたアルバムを基にしたブロードウェイの舞台が評判を呼ぶ。これを受けてデヴィッドは映画監督のスパイク・リーに映像化の話を持ち掛け、本作が完成する。冒頭では、プラスティックの脳を手にしたデヴィッドが登場。人間の脳の進化や、現代社会が抱えるさまざまな問題について語り始める。 キャスト デヴィッド・バーン、ジャクリーン・アセヴェド、グスタヴォ・ディ・ダルヴァ、ダニエル・フリードマン、クリス・ジャルモ、ティム・ケイパー、テンダイ・クンバ、カール・マンスフィールド、マウロ・レフォスコ、ステファン・サンフアン、アンジー・スワン、ボビー・ウーテン・3世 スタッフ 監督・製作:スパイク・リー 製作:デヴィッド・バーン 字幕監修:ピーター・バラカン 2021年6月8日 MOVIX倉敷 ★★★ 「しあわせのマスカット」 イオンワンデイパスポート一作目。 赤磐の桃映画のこともあるし、全く期待しないで観たら、まぁ悪くない作品だった。 ロケ地は全編岡山市と船穂、それと少しサービスなのか美観地区。無理ない移動距離で作られていた。最初、イオンやら源吉兆庵が嫌というほど出てくるのは、まぁ仕方ない。無理ない使い方なので、まぁいいでしょう。 最後は「しあわせのマスカット」か「太郎さんのマスカット」お菓子が完成するかと思いきや、それは作品上からもこんな新人に作らせるのは無理と思わせてちゃんと終わる。じゃあ何を描いた作品かというと、マスカット農家の大変さではなくて、新入社員は初志貫徹して頑張れ!という励まし映画でした。 おそらく、唯一真備の大水害を大きく脚本の中に取り入れた唯一の映画になるだろうから、そういう意味でも貴重です。主演は元気なだけが取り柄の福本莉子。まぁいいんじゃない? 演出・脚本は、もう少し考えて欲しい。65点。 【ストーリー】 フルーツ王国と呼ばれる岡山県を舞台に、ぶどうの女王“マスカット・オブ・アレキサンドリア”を使った果物和菓子に出会って魅了された高校生が、いつかは自分が創作した和菓子を作ることを目標に、その和菓子会社に入社していろんな失敗を重ねながら、会社、農家、そして2018年7月に起きた西日本豪雨による未曾有の大水害を体験しながらも、自分の夢を叶えようと奮闘するさまを描く。北海道から修学旅行で岡山に来ていた相馬春奈(福本莉子)は、入院中の祖母のために、ぶどうの高級品と言われる“マスカット・オブ・アレキサンドリア”をお土産にしようとしたが財布を落としてしまう。あまりの値段の高さに諦めに境地だったが、そんな時に見つけたのが、アレキサンドリアをそのまま和菓子にした「陸乃宝珠」だった。手元に残っていたお金でそれを買った春奈は、祖母が食べて喜んでくれたことに感動し、「お菓子は人を幸せにする!」と、その和菓子を発売していた岡山の老舗和菓子メーカーに就職をした。笑顔で元気な春奈だったが、研修中は何をやらせても失敗ばかりで、困った人事部は、昨年の新入社員が半年足らずで辞めてしまったという、偏屈で名高い、ぶどう農家・秋吉伸介(竹中直人)のところに配属させたのだった。拒否されながらもなんとか紳介にくらいつく春奈。なかなか心が通いあえなくても負けずに頑張るその姿に、次第に紳介との距離を縮めていく。そんな時、岡山県に未だかつて経験したことのないという、大雨、大洪水が襲った……。 【公開日】 2021年5月14日 【上映時間】 93分 【配給】 BS-TBS 【監督】 吉田秋生 【出演】 福本莉子/中河内雅貴/本仮屋ユイカ/土居裕子/長谷川初範/竹中直人 2021年6月10日 岡山イオン・シネマ ★★★
2021年07月09日
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「かがみの孤城(下)」辻村深月 ポプラ文庫 13歳は、1日で「おとなになる」ことがある。それは奇跡なんかじゃない。ちゃんと理由のあることだ。もちろん私は物凄く焦(じれ)ったかった。下巻でキチンと伏線回収はされるのだけど、半分くらいの伏線は私は気が付いていた。上巻でみんなどうして気がつかないのか、これも中学生だから未熟なんだろうか、等々思っていた。でも「気付きたくない」という気持ちが(どこにも書いてないけど)みんなの中にあったとしたなら、分かる気もする(リオンだけは自覚的に避けていた)。ずっと温めていた幾つかの仮説と、あの危機の場面と、その直前の東条美織との会話で、こころの中で一挙に点と点が繋がったのである。 あの日が分水嶺だった。いつの間にかそこまで辿り着いていた、というわけだ。その日から、水は反対方向に流れ出す。 中学生には良い読書体験かもしれない。 この半世紀で、小学生の名札に名前や住所を書くことはなくなり、幼稚園児の集団登校はなくなり、車の送り迎えは当たり前になり、不登校は当たり前、イジメをどうやり過ごすのかは全ての子供が身につける技能になり、ランドセルはカラフルになって男と女の区別はなくなり、教師はPTA対策だけで深夜残業、精神疾患になり‥‥というような噂が私のもとに届く。みんなそれが当たり前という。それの何処が当たり前なんだろうか。私は理解しきれない。不登校の子どもも、だからではないけれども、理解しきれない。 この半世紀で、ムラ社会たる昔ながらの共同体は壊され、日本で数人の被害体験は瞬く間に拡大共有されて、すべての日本人の共通課題になる社会が到来しているのかもしれない。もちろん、アンタには分からんよ。そういう声も聞こえる。アンタは、その数人になったときの痛みを経験するはずもないからな。そうなんだろうな。だから時々こういう小説でメンテナンスをしている。
2021年07月07日
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「かがみの孤城(上)」辻村深月 ポプラ文庫 私は滅多に小説家の幅は広げない。流行は追わない。そうでなくても、人生は短いのに‥‥。けど、本屋大賞を獲った作品は読むことにしている。直木賞ではなく本屋大賞を、私は流行小説の「鏡=窓」としている。 重松清以外に「イジメテーマ?」の本を久しぶりに読んだ。私は、イジメとか不登校とかよく分からない。そういう体験をした「リアルな友だち」が居なかったのが大きいと思っている。ホントにいなかったのか?アンタに見えていなかっただけなんじゃないか?うーん、中学生3年間で同学年で2人だけ「落ちこぼれイジメ」は、あったと思う。何故かその2人には慕われていた。その2人が大人になってからの運命を考えると、「いったい僕に何ができたのだろう」と無力感を覚えるけど、此処で語る話ではない。 上巻の主人公・こころの心理は詳細に描かれているので、不登校になった経緯はよく分かる。あと6人の事情や、「かがみの孤城」そのものの「謎」は、まだ材料不足だ。半年も経っているのに、まだわからないのか。その辺りが、こころの未熟なところなんだろうか。それとも、私が中学生の時はこれぐらい未熟だったのかな。今のところは、こころには共感できない。 さて、これから下巻を紐解く。
2021年07月07日
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「図書2021年7月号」 今回読んだのは以下の諸編。 (1)蛇の末娘‥‥梨木香歩 (2)〈対談〉歴史学を「ひらく」‥‥吉村武彦・成田龍一 (3)猫とオリンピック‥‥柳広司 (4)魯迅の不安(下)‥‥三宝政美 (5)来し方行く末‥‥時枝正 (6)墓を買う‥‥長谷川櫂 (7)こぼればなし (2)は岩波書店「シリーズ古代史をひらく」完結記念対談です(1回目配本「前方後円墳」に関しては既に長い感想文を書いた)。文献学と考古学との関係など、興味深いテーマも語っていますが、対談増補版が岩波書店ウェブマガジン「たねをまく」に7月上旬より公開されるらしい。 (3)ホントはこちらこそ、全文ウェブマガジンで公開してほしい。そしたら、私は凡ゆる媒体で宣伝するのに!!3ページの短い文章。柳さんのオリンピック批判です。曰く「安倍晋三の嘘を前提に決定」「復興五輪が国策になったことで復興が著しく妨げられた」「何だかみんな〈目がイッチャッテル〉感じだ」「主催者すらもはや説明不可能」「どうやら五輪開催と書いてコクタイゴジ、或いはホンドケッセンと読ませるつもりらしい」「ローマ帝国末期と同じ発想、そもそもローマ帝国はその後ほどなくして滅亡している」「王様は裸だ」‥‥何処を切り取ってもキレキレの文章。是非読んで欲しい。 (4)魯迅が医学から文学へ鞍替えした契機となった「藤野先生」で描写された「試験問題漏洩事件」の真の経過と魯迅の意図を書いている。私は知らなかったので面白かった。 あとは省略。
2021年07月07日
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「進撃の巨人」全34巻 諫山創 講談社コミックス 28-33巻を読み返し、最終巻を読み終わった。傑作。 このマンガを読んだからと言って、貴方が賢くなるわけではない。この残酷な「貴方の世界」の仕組みが分かるわけではない。この残酷な「貴方の世界」の過去や未来が分かるわけではない。 例えば、32巻でマーレのマガト元帥は、マーレの正義を語ったことをエルディア人に率直に謝っている。 「同じ民族という理由で過去の罪を着せられることは間違っている」 マーレ人は、巨人能力で過去に大殺戮を行ったエルディア人をずっと恐れて「悪魔の民族」と呼んでいた。一方で、その力を利用し支配し侵略の道具としようとしていたのである。 作者は、今までお互い戦ってきたマーレ側とエルディア側とが共闘を組む直前に、お互い言いたいことを言い合う場面を作った。 エルミンは、死地に赴こうとする元帥に言う。 「手も汚さず、正しくあろうとするのは断りたい(←私も手を汚す)」。 「この物語において」の「落とし所」はこうだったのかもしれない。けれども、それが世界の(例えば日本とか韓国とかの)民族対立の「落とし所」になるかと言うと全然ならない。 例えば、パラディ島の壁内世界の話は、「ひきこもり問題」「イジメ問題」「ブラック企業問題」を反映していると思ってはいけない。 例えば、マーレ攻略を目指して、調査兵団側と反マーレ義勇兵の分裂は、日本戦中の皇道派と統制派を想起させる。「地鳴らし」という巨人最後の手段は核兵器等の究極兵器を想起させる。また、それが「抑止力」という考えにも繋がっている。「悪魔のエルディア人教育」は、かつてのいや、これからの洗脳教育をも想起させる。 ‥‥でも、それをいくら分析しても、現代の問題の分析には役立たないだろう。 それでも、いやそれだからこそ、「進撃の巨人全34巻」は、物語で完結していて普遍性を持っているということもできるだろう。現代世界を寓話で鋭く批判すれば、その射程は数十年間しか保てない。「ガリヴァー旅行記」のように、現代社会から離れれば離れるほどに、その射程は遠くまで延びるだろう。このマンガは、平成時代後期の代表的な漫画として確固とした地位を築くだろう。 最後の16頁は、「天と地の戦い」の後の「人類」のおそらく100年間の歴史を駆け足で見せた。アルミンの予想通り、戦いを終わらせた彼らはいっときの平和をもたらしたが、戦争がなくなるわけではない。最後の場面が、自然と少年だったのは、作者の立ち位置がわかった。「良きかな」と思う。
2021年07月07日
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「萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で」萩尾望都 小学館 作品集は約40年ぶりの再読。多分この本を一番何度も何度も読んだと思う。日本舞台が多いし、明るいボーイミーツガール作品が多いというのもあるかもしれないが、読んで飽きなかった。大泉の下宿で、たくさんの漫画家の卵が入れ替わり立ち替わり出入りしていた頃の作品で、女子の姦しさ、若手漫画家が夫々に影響し合い時々現れる異質なマンガの線、ハッとする表現、台詞回しを歌に変えればまるでミュージカル‥‥、その当時でも、とても10年前の作品とは思えなかった。最近の少女マンガをざっと眺めてみて、テンポだけを注目しても、もはやこんなマンガは皆無に近い。 (1)「ごめんあそばせ」(72年1月作成、週刊少女コミック3月12号、50p) (2)「毛糸玉にじゃれないで」(71年12月作成、週刊72年1月2号、24p) (3)「3月ウサギが集団で」(72年1月作成、週刊72年4月16号、40p) (4)「もうひとつの恋」(71年8月作成、週刊71年9月39号、40p) (5)「妖精の子もり」(72年3月作成、別冊72年5月号、15p) (6)「10月の少女たち」(71年8月作成、COM71年10月、23p) (7)「みつくにの娘」(71年11月作成、別冊72年1月15p) ※週刊、別冊ともに小学館少女コミックの事。 作成、掲載順とも全て順不同ではあるが、コレはコメディから始めてしっとり終わらせる、編集上の都合以外の意図は無いだろう。 大泉下宿時代は、70年11月から始まり、72年12月に終わったので、ちょうどその真ん中の時期に描かれたことになる。 (1)は、「小鬼みたいな女の子エマを中心にした、キーロックスというグループサウンズのお話」だが、キーロックスは高校3年時に福岡で参加していた漫画同人誌の名称だし、同じ内容の作品が68年「別冊マーガレット」金賞を獲っている。しかし編集部にイチャモンつけられて掲載をやめた。これは、そのリライトで間違いない。隅の「落書き」に、「ここはあしべつ北国の町のササヤナナエターンのおうちで、しこしこおしごとしてんの‥‥ナナエタン、カゼヒイタッテ‥‥」又はローマ字で「野も山も木々も屋根も全てが白い。芦別の一月‥‥あゝ‥‥ここはサンタクロースの国です。今こそ見つけました」と書いているのを発見した(←昔は作品中に作者の呟きを残すことが流行っていた)。71年1月、萩尾は北海道のささやななえ宅を訪れている。そこでこの作品の仕上げをしたということだ。3年前の原稿そのままではなく、描き直しをしたのだ。そういえば、スクリーントーンは少しは貼ってるが、異常に手描きの背景が多い。トーンをあまり持っていってなかったのだ。それがこの作品の味と密度にもなっている。ささやななえはその2ヶ月後、大泉の萩尾宅を訪れ半年間居候をする。 (2)この頃、萩尾望都は拾ってきた猫を飼い始めた。その経験をそのまま描いている。しかも一コマだけ、キャベツ畑が続く、当時の大泉の「風景」が描かれている。中学受験生の心情を、かなりリアルに描いた。 (3)可愛いのんの(鈴木乃々)の恋愛をクラス全体で盛り上げる、美月中学(三月中学)の生徒(3月ウサギ)の話。7人ぐらいちゃんとキャラ立ちしている。コメディ部分と、陽を翳したり悩みが流れてゆく詩情描写のバランスが良い。「半分は事実をもとにつくっている。ざまぁみろ」という「落書き」もある。自転車の教室持ち込みや、ラブレター放送事件などは、ホントにあったのかな? (4)男女の双子もの。またもや一種の「取り替え」が起こる。 (5)こちらは、義兄妹になる前の「ボーイミーツガール」。全てのコマがチカチカ輝いている。この頃描いた「ポーの一族」の先駆け短編「マリーベルの銀の髪」を彷彿させるコマが凡ゆる処にある。 (6)「妖精」とこの作品を、私は何度読み込んだことだろう。印象的なコマのオンパレード。SFやファンタジー作品以外ならば、1番好きかもしれない。「トゥラ」と「真知子」と「フラィシー」の10代から20代初めの女性目線の3話オムニバス(←たった23pの中に!)。手塚治虫「COM」の女性マンガ特集号に載った。「女の子って‥‥おとななのか子どもなのか、てんでわかんないや」というロビーの呟きは、全ての男の子の悩みだと思う。 (7)ラストの娘の姿は、男にとっては「永遠」なのかもしれないが、女性にとってもそうなのだろうか。 いろんな所に、今読んでいる本が落書きされたりセリフで使われたりしている。曰く「10月はたそがれの国(ブラッドベリ)」「犬になりたくなかった犬(ファーレイ・モウワット)」「ウは宇宙船のウ(ブラッドベリ)」またはアシモフ‥‥。萩尾望都の読書傾向がよく分かる。それらに混じって71年12月、「キは吸血鬼のキ」と書いている。「ポーの一族」のアイデア帳がどんどん溜まっていった時期なのだろう。
2021年07月06日
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「萩尾望都作品集4 セーラ・ヒルの聖夜」萩尾望都 小学館 主な短編5篇のうち、4篇は萩尾望都が竹宮恵子と大泉で一緒に暮らした2年間の前半8-10月で描いた作品。本書と次の第5集が、第一期萩尾望都のモスト・リア充だった時の作品群である。 (1)「ケネスおじさんとふたご」(69年8月作成、小学館「少女コミック」別冊9月号、31p) (2)「秋の旅」(71年8月作成、別冊10月号、23p) (3)「白き森白き少年の笛」(71年9月作成、週刊11月45号、31p) (4)「11月のギムナジウム」(71年9月作成、別冊11月号、44p) (5)「セーラ・ヒルの聖夜」(71年10月作成、週刊冬の12月増刊号、79p) 全部季節に合わせた作品を描いているが、アメリカ西部コメディ、ドイツの実の父親、幽霊もの、少年寄宿舎マンガ、聖歌隊と、全部ジャンルが違う。でも全てリリカルな詩情が溢れている。 双子が出てくるのは、(1)(4)(5)だ。思えば、萩尾望都は双子が好きみたいで、他の作品にも頻出する。それが、やがて「半神」という名作双子モノに結実するのかもしれない。 「11月のギムナジウム」は、1974年の名作「トーマの心臓」のパイロット版のような作品だ。この短編集では1番物語の密度が高い。当時既に「トーマ」は構想ができていたので、そのパラレルワールドをつくったのだろう。キス場面があるからと言って少年愛モノではないことは読めば分かる(そもそもゲームのようなキスであった)。後に萩尾望都は言っているが、「少女同士のギムナジウムを考えると大きな行動を起こせないけど、少年だとしっくりくる」萩尾望都が現代にギムナジウムを描けば、迷うことなく少女を主人公にしていたかもしれない。 この時期から、萩尾望都のコマの構図がかなり凝ってくる。「白き森白き少年の笛」の流れるようなコマ割りは萩尾望都の独壇場だ。「ギムナジウム」でオスカーか気絶したフリをしたコマの色っぽさは、下から見るアングルによっている。コレと同じ構図は「小鳥の巣」でも使われた。下から見上げる構図、上から見下ろす構図、まるで映画のような構図は、おそらく萩尾望都から周りへ伝染したのではないか。また、コマが流れて水のように見える絵柄は萩尾望都から始まった。この叙情性は少年漫画では出せなかったのである。
2021年07月06日
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「ケーキ ケーキ ケーキ」萩尾望都 小学館 暫く70年代初めの萩尾望都を追う。初の長編作品である。1970年、講談社「なかよし」の編集部が、萩尾望都が両親の反対を押し切って上京できるように別冊2号分、原作つき(一の木アヤ)の仕事を用意した。260頁、26万円だった。萩尾望都上京直前の作品である。 他の短編とは全く趣きが違う。コマ割りはハッキリして、線は太い。コマは1.5倍ほど大きくなった。物語も、憧れの菓子職人目指してパリに行って成功する単純なものだ。けれども、今から考えれば「庖丁人味平」などが席巻する暫く前の、料理漫画の先駆け作品だった。 萩尾望都は、パリのことなど全く知らないので、友達が見かねてアシ先の自分の「先生」を紹介。パリの菓子店の様子を語らせてくれた。萩尾望都憧れの人、手塚治虫である。1970年の春は、手塚治虫が社長になっている虫プロ商事、そして「COM」が危機的状況に陥っていた時期だった。そんな最中にアシスタントが「有望な漫画家志望が困っている」というだけで、ちょっと前にパリに行って帰ってきただけで、時間を作ったということだ。手塚治虫は事業者としては失格だったけど、ただただマンガが好きで、マンガを好きな人を好きなんだったんだと思う。 作品は、原作と読者対象者を気にしたせいか、萩尾望都本来の抒情性はない。そうは言っても、リアルさは追求された。何度も編集部と対立したらしいので、何処か萩尾望都の置かれている状況は生きている。 お姉さんのように文学的才能も音楽的才能もなくて、お菓子にしか興味がない主人公の境遇は、両親にとっては山師のようなマンガにしか興味がない娘を、条件つけて上京させたのと似ている。 パリの菓子店親方は、「女の子は職人にむかない」という。「女は長い髪をしている、スカートをはいている、化粧もする、香水もつける、男より体力もない、おまけに結婚という逃げ場もある」という。偏見ではない。「長い髪なぞ不衛生だ、化粧の匂いは菓子にうつる、かまどでやけどする、メレンゲをつくるには体力がいる」説得力があるのだ。現代でも、「コレは区別か、差別か」に通じる問題である。当然、主人公は次の日髪をばっさり切って、ズボンをはいて、荷物を持って住み込で頑張ってゆく。この辺り、一の木の発想だろうか?萩尾望都の発想だろうか?ともかくジェンダー平等漫画の先駆けかもしれない。 これは1970年の「なかよし」別冊9-10月号に載った。一般大卒男子の半年分の資金を得て、11月、萩尾望都は竹宮恵子と一緒に大泉のボロい二階建ての借家に引っ越すのである。
2021年07月06日
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「塔のある家」萩尾望都作品集2 小学館 最近、70年代始めの萩尾望都についていろいろ学んだので、改めて読み返してみた。おそろしい。20歳ほどの女性が、ほんの数十ページの中に「世界」を描き、その終わりを恐れ、その愉しみを謳歌していた。 この短編集、全て素晴らしい。短評を載せる(本書には原稿完成時の記録しかない。他の資料から初出時の記録も載せる)。 ⚫︎「モードリン」(1969年5月作成、週刊少女コミック71年7月18日号以下「週少」40p) 講談社「なかよし」の没原稿。心理ミステリである。大好きなウィルおじさんの殺人を目撃したモードリンが、「秘密」を知ったことで大人になった気分になるが、ある日その事がわかったウィルはモードリンを殺そうとし‥‥。この時代、少女マンガでこんな見事なミステリ‥‥。 ⚫︎「かたっぽのふるぐつ」(70年12月作成、「なかよし別冊」71年4月、31p) 誰も評価していないが、ほぼ完璧な公害批判マンガ。名作だ。それを、小学生5年の教室の出来事として描き切っている。 スモック警報がでるような町で、仲良しのシロウとユウは、社会科で「公害」を討論した。その夜、シロウは工場に勤めている父親に聞くと最新機械を入れたから身体に害はないと説明された。それをしっかりモノのヨーコに聞くと、「実際には公害はあるじゃない。まだいい機械はできていないのよ。でも町の発展のためには仕方ない」という。これを「原発」に換えても、そのまま現代に発表できる。いや、現代誰も、少女マンガでこんな「原発マンガ」なんか描いていない!萩尾望都が2011年7月発売のマンガで、いち早く福島原発事故を描いた(「なのぬはな」)のは、決して偶然ではない。 (70年当時は「公害」は未来の見えない大問題だった。私の地域の水島も同じ問題を抱えていた。いっとき幼いわたしは、やがてはわたしの町まで公害の煙がやってきて住めなくなるんじゃないか、と兄にようやく伝えて泣き始めた事がある。) ユウは夢をみた。 「第三次世界大戦さ 石油コンビナート対人間の の」「石油コンビナート怪獣がごうごうとやってくる」‥‥彼は逃げ遅れる。様子を伺うと、アイツは町の真ん中に腰を据えて世界を終わらしてゆく。‥‥「ロケットでわずかな人々が月へ逃げた」「月から見ると地球はよごれて真っ赤だった。充血した目みたいにさ」‥‥ この夢の話をした数日後、ユウは公害のために亡くなるのである。ユウの姿は、やがてポーの一族の「小鳥の巣」で、エドガーたちがやってくる前に亡くなったロビン少年にソックリだ。 またはその構造は、もうまるで、その後の萩尾望都のSFの原型でもある(cf.スター・レッド、銀の三角)。これを大泉に越した直後に描いている。福岡の大牟田の炭鉱町の空気を敏感に感じ取り、それを昇華して公害問題も勉強して、こういう小学生問題に作り替え、新しい環境で一気に仕上げたのだろう。‥‥けれども、「なかよし」読者には受けなかった。現代も評価されていない。他にも名作は山ほどあるので仕方ないのだけど‥‥。 ⚫︎「ジェニファの恋のお相手は」(71年1月作成、「なかよし」4月号、30p) 60歳おばあちゃんと17歳堅物少女との「とりかへばや物語」。えっ、この内容がたった30p? ⚫︎「塔のある家」(71年2月作成、週少3月、30p) 大泉時代に本格的に作った作品で、週刊少女コミックに載った短編。ヨーロッパを舞台にした、幼い頃は塔の3人の妖精が見えた女性の、半生。 ⚫︎「花嫁をひろった男」(71年3月作成、週少増刊4月号、31p) コメディタッチのサスペンス。明るいし、天然な女の子も出てくるけど、人は3人殺されている。コイン入れて体重測るのと同時に「今日の運勢」まで出てくる機械、この時代あったのかな?「たいへんラッキーなひろいものをします」と出てくるけど、この花嫁、3人も婿を殺している可能性がある、というところから始まる物語。上手いなあ。 ⚫︎「かわいそうなママ」(71年3月作成、週少別冊5月号、30p) 萩尾望都版「恐るべき子供たち」。知る人ぞ知る傑作。これを母の日特集の別冊で掲載する小学館も、恐るべし。 ⚫︎「小夜の縫うゆかた」(71年6月作成、週少増刊8月号、15p) この短編集でキチンと覚えていたのは実はコレだけだった。人も殺されないし、恋も実らないし、外国じゃなくて純粋日本だし、でも今でも読んであゝ日本の情緒だなぁと感心する。それでも、小学一年生の浴衣を小袖のように被って提灯下げて持って行ってしまった女の子のエピソードのコマや、ラストページの時間が溶け出したような描写は、まさしく萩尾望都なのである。 この短編集だけでも、このバラエティ!!大泉時代、最初の半年間の作品。 最初、萩尾望都のファンだった竹宮恵子が、やがて同部屋の物静かなこの同年代の作家を恐れ、妬んでいくのもわかるし、小学館の編集者が毎回出てくる作品の、引き出しの多さ、完成度の高さに、「一切注文をつけない、全て無条件に掲載する」という方針を立てたのもわかる気がする。
2021年06月28日
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「台北プライベートアイ」紀蔚然 舩山むつみ訳 文藝春秋 kuma0504は、2017年1月3日(火) 台湾旅行最終日の6日目の午前中、当てのない散歩に出かけた。台北駅前から東へ青島東路を歩く。日本統治時代の古そうな家屋を眺めながら、やがて中正区の斎東街を過ぎて昔も今も高級住宅地だったところを過ぎる。文化里の公民館には掲示板があり、「寒冬送暖(お茶会)」や「農民暦・月暦」の無料配布の案内チラシなどが貼られていた。金山南路と仁愛路の交差点を過ぎて、kuma0504は永康街に入った。庶民の台所たる賑やかなところを通り過ぎると、和平路にぶち当たり大安森林公園に入った。公園には時々リスがいるのだが、今日は出会わなかった。南の出口からお粥街に入り永和豆漿店で遅い朝食を食べて、地下鉄大安駅から台北駅に帰った。 台北の地理に詳しい人が読んだのならば、kuma0504がどのように歩いたのか、手にとるようにわかるだろう。特にあらゆる道路は名前がついているので、どの道とどの道との交差点かを言えば、誰もがその場所を特定できる。台北は台湾という国の首都ではあるが、その中心部の中心地は、このように朝の散歩で一回りできるほどの広さなのである。本書には目次の後に台北市地図がある。それを見ると、終了地点とした大安駅から、もし30分ほど更に東へ足を延ばしたならば、kuma0504は本書の主人公呉誠の散歩コース、臥龍街周辺にたどり着いただろう。そうしたら、それまでは碁盤の目のように道路が交差していたのに、突然迷路のような昔ながらの町の中に入ったに違いない。本書は臥龍街を舞台にして、突然迷路のようなサスペンスが始まる探偵小説である。 呉誠(ウー・チェン)は、プライベートアイ(私立探偵)ではあるが、一方では台北という新しくて古い街を縦横に歩き回るプライベートアイズ(秘密の目)を持った男であり、その目を通して魅力的な街を散歩した気分になる本でもある。元刑事とか、華々しい迷宮事件を解決したとかの過去があるわけではなく、まぁ離婚したて大学教師辞職したてで、精神病疾患を治すために趣味で探偵業看板を掲げたばっかしの「素人」ではある。でも素人は侮れない、というのも古今東西の真理ではあるだろう。これも立派なハードボイルド探偵小説に入れてもいいんじゃないか。 台北は、DNA捜査を当たり前にやっているし、日本ばりに監視カメラ社会になっている一方で、文明によって飼い慣らされることを拒否する都市だ。紙銭に火をつけ飛び越えて猪脚麺線(豚足入り煮込み素麺)を食べれば厄落としが出来ると皆んな信じていて、呉誠がある事件に巻き込まれて容疑者になって、なんとか釈放された時には二つの家族が別々にそれを用意していた。事件は起きて解決するのだけど、kuma0504が楽しんだのは、台北プライベート日記だった。←おゝとうとう「事件」の内容は一言も紹介しなかった!
2021年06月27日
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「萩尾望都と竹宮恵子 大泉サロンの少女マンガ革命」中川右介 幻冬舎新書 本書を絶版にして欲しい。理由は2つ。 (1)本書は昨年3月に発行された。著者は、ずっと秘密にされていた萩尾望都「一度きりの大泉の話」の経緯は当然知らない。そのせいもあり、本書には幾つもの重大な誤認がある。もはや訂正では済まないし、済ませるわけにはいかない。 (2)2人の名前を書名に冠し、「大泉サロンの少女マンガ革命」と副題につけているが、その副題は本書に書かれている内容とかなり違う。私は、大いに異議がある。 以下、詳しく述べる。 先ずは(1)について。 貶す前に、良い所について。 まるで百科事典のように、時系列と人物・作品の整理が完璧。良い資料になる。 (a)それを別の言葉にすると、本の資料だけに頼っているということだ。増田法恵に少しインタビューを試みたようだが、ほとんど何も聞けていない(彼女は少し嘘もついているかもしれない。そもそも、こんな不十分な取材で大泉サロンをテーマに本を一冊書こうとする方がオカシイ)。萩尾望都からは断られたのかもしれないが、竹宮恵子からも取っていない。大切な所は竹宮からの一方的な大泉サロン告白書「少年の名はジルベール」から採っていて、「大泉サロンとは何だったのか」に、全然答えていない。 (b)「はじめに」で著者は、「大泉サロンが目指したのは『少女マンガの革命』だった」と断定しているが、それは竹宮と増田の意識であって(←「ジルベール」を基に書くからそうなる)他のメンバーの「自覚」ではない。なのに「その『少女マンガ革命』の先頭に立ち、中心に陣取り、頂点に達したのが、萩尾望都と竹宮恵子である」と、萩尾望都が大泉サロンを主導したかの如く書いている。こういう「風の噂」が、萩尾望都をして「一度きり」を書かせた要因になったのだろう。「ジルベール」にも責任はあるが、中川のこの本は一定影響力を持つ(「手塚治虫とトキワ荘」を上梓してる)し、断定しているので、責任はこちらの方が重いと思う。本書の存在そのものが、要らない害を振りまいている。 (c)大泉サロンを解体し、萩尾が下井草へ行き、そこで「事件」があって体調を崩して、埼玉に行ったのは73年の初夏のはずだ。本書では74年春になっている。その萩尾望都の「重大な1年間」についての著者の「調査」は、限界はあったかもしれないが、はなはだ不十分である。 (2)について。 (a)「少女マンガ革命」とは何だったのか? それは「24年組」が開いたのだと断定する。24年組とは、1949年前後に生まれて少女マンガの変革を担った人たちのことである。著者も認めているが、自分たちで名乗ってもいないし、グループとして活動したわけでもない。評論家、ジャーナリストがそう呼んでいるだけだ。だからこそ著者は、大泉サロンは実態があるグループだとし、メンバーは固定できるから、それを中心にして本を書こうとしたのだろう。ところが、サロンは革命を目指したわけではない。メンバーの2人竹宮と萩尾がたまたま、変革に大きく力を果たしただけである。 (b)「革命とは何だったのか」。 著者は本の2/3を過ぎてやっと大泉サロンについて書き始め、最後の335pでやっと説明する。詳細は省略する。要はマンガの題材、テーマが広がり、表現技法も変化したということだ。その主体を著者はナント、竹宮や萩尾の他には、大島弓子、池田理代子、山岸涼子に求めている。全然大泉サロンじゃないじゃん!!!大きな変革は確かにあったと私も思う。しかし、本書では、それが起きた理由や主体者の詳しい解説は竹宮や萩尾以外はほとんど行われていない。 「大泉サロンの少女マンガ革命」というのは、大嘘の看板である。 以上が、本書を速やかに絶版にするべきだ、という私の主張の根拠である。トキワ荘について書をものした著者が、大泉サロンを第二のトキワ荘にしたいと勝手に目論んだのだろう。サブカル評論家の見栄の書である。
2021年06月23日
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「萩尾望都対談集2000年代編 愛するあなた・恋するわたし」萩尾望都 河出書房新社 河出書房新社は70年代、80年代、90年代と対談集を出しているのだけど、70年代の手塚や石ノ森等レジェンドとの対談は、内容が予想つき、その間は興味ある対談相手が居なかったので省略。本書は奇跡とも言える相手に恵まれた。 【目次】 ◆第1章 吾妻ひでお 「SF妄想世界の旅」 (2007) ◆第2章 よしながふみ 「やおいと純愛」 (2006) ◆第3章 恩田 陸 「萩尾作品は私の原点」 (2006) ◆第4章 庵野秀明+佐藤嗣麻子 「エヴァンゲリオンのその後」 (2000) ◆第5章 大和和紀 「少女マンガの黄金時代」 (2004) ◆第6章 清水玲子 「マンガ的美少年」 (2004) ◆第7章 ヤマザキマリ 「始まりは萩尾マンガだった」 (2014語りおろし) 特に、吾妻、よしなが、庵野、ヤマザキはとても興味深い対談になった。 以下私的メモ。 ⚫︎吾妻ひでおと萩尾が、ほぼ同年代、同時期レビューというのは新たな発見。仲が良い。さすがに吾妻もまだまだ元気で、対談後書きとして「バルバラ異聞」を描いている。この時は萩尾「バルバラ異界」がSF大賞を獲った直後で対談がメジロ押し。特に此処ではSF談義に花が咲いた。好きなSF映画は「ブレードランナー」だよと、萩尾は他の対談相手にも言っている。 ⚫︎「(萩尾望都は)一コマで3時間は妄想できる」と吾妻が驚いている。萩尾は、基本は結末決めて長編に取り組むタイプであると言ってはいるが、妄想が暴走すると、とんでもない処に行く。「バルバラ」はそのタイプで、成功したようだ(「スター・レッド」もこの対談集でそうだと告白しているので、しょっちゅうあるようだ。今度の「ポーの一族」続編もその可能性はある)。「バルバラ」は、まだ未読なので是非読みたい。 ⚫︎よしながふみの「きのう何食べた?」を、「一度きりの」で萩尾はかなり褒めていたが、この時は未だその連載は始まっていない。それでも初期の「愛すべき娘たち」から注目していたようだ。 ⚫︎「トーマの心臓」について「私、自分でも、いまは絶対に描けないと思いますね。いまは、『愛のために14で死ぬ』なんて考えただけで却下、です」との言葉は重要。少年愛への強烈な拒否反応がある。それでもよしながのBLは認めている。よしながは、「本当は同志的な話を(BLで)描きたかった」という。「女の子は、男の子との恋愛でも、本当は、男の子と同志的な関係になったうえで性的な関係になれたらいいと考えているけれど、男の子は女の子を基本的に性的な対象としか見ていないので成り立たない。だからボーイズ・ラブでは男性同士に変換しているんだと思います」。そう言えば、「何食べた?」も、そういう関係かも。 ⚫︎庵野秀明登場。。「お前ひとりじゃ対談に出られないのかよ!」というくらい、隣に2人共通の知人である佐藤嗣麻子(映画監督)が付いているのが異様です。新劇場版が始まる(まだ構想にない?)遥か前で、テレビ版の劇場版が終わって3年ぐらいした後の対談。萩尾はテレビ放映後にエヴァにハマっていて、オタクの庵野は当然萩尾のファン、であるのにも関わらず、2人の会話が噛み合わないことったらない(笑)。おゝ庵野って、凄い。 ⚫︎「ラストに5通りの方法がある」という萩尾に対して、庵野は「凄い」と感心して「紆余曲折の果てに再びようやく辿り着けた」と旧劇場版について言っている。 ⚫︎佐藤 庵野さんは、自分は大人だと思いますか。 庵野 子供じゃないですかね。(←その通り) 佐藤 私は、自分の親のことも大人だと思っていないんです。 萩尾 私は、親が大人でないことがすごく不満なんです。 庵野 僕は不満じゃないです。 ‥‥エヴァの内容から言っても、「不満だ」と続くのかと思いきや、丸切り順調な家庭関係を強調する庵野。うぅ佐藤の混乱が目に見えるようだ(笑)。 ⚫︎萩尾の長期連載「王妃マルゴ」が佳境に入りかけた頃のヤマザキマリ対談。歴史の話が主になっている。天然痘もペストも出てくるらしい。そういう視点から読んでみようかしら。(デュマ「王妃マルゴ」からイザベル・アジャーニ主演「王妃マルゴ」へ、そして萩尾望都「王妃マルゴ」へ) ⚫︎ヤマザキがとり・みきと合作している「プリニウス」の第3話で、ハチの死体をクローズアップした1コマに対して、とり・みきはまる2日かけてハチを描いたらしい。ルネサンス時代のブリューゲルは超サブカルで、そこから連想してこの話になった。対談集にはちゃんとその漫画のカットが載っていて、それを見ると「これがまる2日かけて描いたヤツか!」超細密で感動した。こういう絵こそが漫画の醍醐味である、と私は思う。決して芸術作品ではない。作品としては縮刷されて出回る。それでも、博物家プリニウスの漫画に「あって欲しい」絵なのである。漫画家は、現代の浮世絵師であると、改めて思う。 ⚫︎萩尾望都は、この時点では高圧的な父親と何事も禁止する母親との関係を、客観的に整理して語れるようになっている。正にこの30年間の彼女の作品は、両親からいかに離れてゆくか、が大きなテーマだったようだ。
2021年06月22日
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「ひきこもり図書館」頭木弘樹編 毎日新聞出版 13年間のひきこもり経験のある著者の選ぶ「部屋から出られない人のための」アンソロジー。私はひきこもるタイプではないけど、今までにない視点で物語を読むことができて、とっても満足です。 引き篭もり止めたら、こんな楽しいことがあるよ、というような物語は12のうちひとつもありません。引き篭もるとこんな新しい発見があるよ、という話がほとんどです。ひきこもり部外者には、ひきこもりたちの声にならない声の代弁を聴いた気になります。朔太郎やカフカや星新一やポーや萩尾望都が、代弁をやってくれている。 私としては、岡山在住の日本民話の会会長立石憲利さんが採取した「鬼退治に行かない桃太郎」がお気に入り。完全岡山弁で、みんな意味わからんところもあるじゃろうけど、とっても身近じゃった。 萩尾望都の「スローダウン」(1985.1発表)。一度読んだはずなのに、ひきこもり漫画として紹介されると、おゝそういう見方もあるのか!と発見。その見方から見ても物凄く秀逸な作品なんだとビックリしました。五感全ての感覚を遮断した部屋で暫く過ごさせる実験。それをやると、「現実感覚」が変化していく、と頭木さんは言います。そういう時にふっと現れた「人の手」が特別なものになるという。頭木さんは、「どうしてあの感覚がわかるのか」「天才恐るべし」と書いています。「一度きりの大泉の話」を読んだ今、なんとなくわかる気がするのです。 「小説を読んで、心に残るフレーズがひとつでもあれば、それはもう読む価値はあった」と頭木さんはいいます。大きく肯首します。アンソロジーというものは、それを手助けする格好の方法だろう、と思います。頭木さんが多くのアンソロジーを編んでいるのはそういうことなのでしょう。 本書は、ひきこもりの方も読めるように、本と電子版同時発行だそうです。
2021年06月20日
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「DEATH NOTE 短編集」小畑健 大葉つぐみ 集英社コミックス この前書いた「DEATH NOTE」レビューにおいて私は「デスノートは究極の殺人兵器」になり得ると書いた。知らなかったが地球っこさんから現代編が短編で描かれていると教えてもらって紐解いた。果たして「究極」になり得たか? 読了後、原作者の大葉つぐみは、もうこれ以上の続編を作る意思は無いと思った。根拠は末尾に述べる。 「究極の殺人兵器」になる根拠は、二代目「L」(ニア)がもし、デスノート所有者の場所や名前を特定できなければ、絶対捕まえることは出来ないと考えたからである。初動さえ間違えず、慎重に行動さえすれば完璧に違いない、と思った。ところが、2008年に発表された「cキラ編」では、表面的にはその行動を起こしていた(c=チープ)キラに対してニアは、ある方法によって「排除する」ことに成功する。私は、コレは「たまたま」だと理解しているが、もはや「マンガ的には」同じようなタイプの所有者は存在出来ないだろう。 「aキラ編」は2019年の設定である。ほぼ現代だ。もはや、以前のようにネットを使った連絡や発表や工作は全て筒抜けになることを前提として作られている。もはや、デスノートの実在は国家間では「公然の秘密」になっている。本来ならば、戸籍上の名前は「超重要情報」なので、新・個人情報保護法により厳重管理する法律が作られるべきだ。漫画を見る限りでは、作った形跡はない。政治家は年寄りばかりなので「自分にとっては作っても手遅れ」、死なば諸共作る気はないのだろう。aキラは、ニアも認めるある方法によりデスノートを「使った」。ニアは初めて敗北を認める。しかし今更云うのもなんだけど、デスノートは核兵器のような「究極兵器」ではない。勿論その存在インパクトは核兵器よりも更に大きいけど(名前さえわかれば相手国元首をテロし放題)、ひとつ大きな違いがある。夜神月がリュークの気まぐれで死んだように、デスノートの最後の管轄は人間にはないのである。結局、最後の最後で「人の死」は運命に委ねられている。 今回は物語の規模を国家規模まで大きくしてしまった。それはデスノートの性格から当然の帰結ではあるのだが、だからこそこの結末にしたことで私は「詰んだ」と思った。もはやデスノートを使って、王将戦の如く棋譜を詰めて行っても「意味ない」と作者が宣言したようなものである。結局「人の死」は「運命」なのだ。 以上が、新たな「DEATH NOTE」は生まれない、と私が推測する所以である。
2021年06月19日
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今月の映画評「朝が来る」 河瀬直美監督の特別養子縁組をテーマにした作品です。 タワーマンションに住む夫婦と朝斗という6歳の男の子のいる家族に「息子を返して欲しいんです。できなければ、お金をください」と電話がかかります。片倉ひかりと名乗るその若い女性に会った夫婦は、養子のことは秘密でもなんでもないと告げ、夫婦の知っている母親のひかりとは全く違う風貌の女性に向けて「あなたは誰ですか?」と聞くのです。 河瀬監督は、常に「役積み」を役者に課します。役になりきるために、撮影する前からずっと作品と同じ環境で生活してもらうのです。栗原夫妻(永作博美と井浦新)と朝斗の歯磨き風景が自然なのも、養子縁組仲介施設「ベビーバトン」での少女たちが、まるでホントの妊婦のようだったのもそういうわけです。 一方、本作は母親を名乗る女性はいったい何者なのかというミステリ仕立てになっていました。演技は自然なのに、ドラマチックでした。 物語は、栗原夫妻が不妊治療から養子縁組に至る経緯をじっくりと描き、そのあと中学生で幼い妊娠をしてしまった片倉ひかり(蒔田彩珠)の出産、家出、東京での暮らしを丁寧に描きます。最後の数分間で物語は急展開するのですが、あくまでもリアルな養子縁組の問題点を描いたものになっていました。 昨年はコロナ禍のもとにやっと見始めた映画で、まだまだ観客は少なかったのですが、是非いろんな人に見てもらいたい。エンドロールも最後まで「聴き」逃せません。(2020年作品レンタル可能) 今回より字数が削減されて2/3になった。そのことで、作品の本質が書けなかった。 ホントは 「育てられる親のために子供が犠牲になっちゃダメなんです。」という信念の、ベビーバトン代表浅見(浅田美代子)の立ち位置がとてもいい。 ベビーバトンの場所がえる広島のある島(似島)の子宮のような海に囲まれた風景がとてもいい。 浅見の「親が子供を見つけるための制度じゃなくて、子供が親を見つけるための制度だと思ってやっています。」という言葉が重い。 だからこそ、 小学校に上がる前に必ず告げる 共働きはダメ という厳しい原則がある。 まほ(葉月ひとみ)の誕生パーティーで泣いた女の子 「こういうケーキ、都市伝説かと思っていた」「スカウトの人に初めて可愛いね、て言われて嬉しくて風俗入っちゃった」 という女の子の存在も貴重だ。 「なかったことにしないで!」 というひかりの隠れた本音が最後に生きる。 ラスト・エンドロールのサプライズ「会いたかった」が、この後の推移をきちんと想像させてくれます。 という事も入れたかった。 まだまだ600字に慣れていない。精進します。
2021年06月18日
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「自閉症の僕が跳びはねる理由」東田直樹 角川文庫 「自閉症」という言葉をそのまま捉えると、「自ら心を閉ざす病気」というように聞こえる。私も大まかはそんな理解だった。しかし、一つの映画をキッカケに本書を読んで認識は大きく変わった。 いまイギリス発のドキュメンタリー映画が、全国で順次公開されている。「僕が跳びはねる理由」(ジェリー・ロスウェル監督作品)。世界5人の「自閉症者」を取材して、東田直樹原作の内容を映像で「証明」した作品である。 ずいぶん前から東田直樹さんのエッセイはビッグイシューで読んでいた。それなのに、それは普通の若者の文章で、彼はどれだけ重度の「自閉症者」なのかを私は認識していなかった。 「大きな声はなぜ出るのですか」 「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか」 「どうして目を見て話さないのですか」 「声をかけられても無視するのはなぜですか」 「跳びはねるのはなぜですか」 「どうして耳をふさぐのですか」 この数倍ある疑問のひとつひとつに、13歳の東田さんは「理路整然」と、自閉症者として答えている。そのこと自体が、私の見ていた自閉症者の実態が、その心の中では全く違っていたことの証明だった。私は間違っていた。 映画は、先ずは自閉症者が見る世界を映像として見せる。79pで東田さんは言っている。 「みんなは物を見るとき、まず全体を見て、部分を見ているように思います。しかし僕たちは、最初に部分が目にとびこんできます。その後、徐々に全体がわかるのです」 だとしたら、私たちの認識とは全然別のものになるだろう。そして世界は、なんと美しく見えるのだろう。部分が美しすぎて、それが気になって、隣の人の言葉なんか聞こえなくなるのも当然だ。 「(僕が同じことを尋ねるのは)みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。けれども、僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら、記憶をたどっているのです」 これは衝撃的だ。映画では、随分前のことがほんの一瞬前のように感じることを映像として見せていた。ベッドで飛び跳ねている場面に、海で嬉しくて全く同じように飛び跳ねているフラッシュバックがつくのです。脳がそうなっているとはいえ、私たちの見る世界とはやはり違う。 じゃあ知的思考はできないのか?できるということは、この本が明確に証明している。文字盤、やがてはPCのキーボードで、彼は思考も会話もできるようになったのである。東田さんだけが特別なのではない。映画では、アメリカの男女の幼友達が、かなり高度な会話をしていた。 自閉症についてどう思いますか? この質問に対して東田さんは以下のように答えている。少し長いが書き写す。教えなければ、誰がこの文章を13歳の男の子が書いたと思うだろうか?いや、そんなことが凄いのではない。私は、もしかしたら世界的に重要な哲学的発見を読んだのかもしれない。自閉症説明を超えて人類の本質を示唆しているのではいか。 「僕は、自閉症とはきっと、文明の支配を受けずに、自然のままに生まれてきた人たちなのだと思うのです。 これは僕の勝手な作り話ですが、人類は多くの命を殺し、地球を自分勝手に破壊してきました。人類自身がそのことに危機を感じ、自閉症の人たちを作りだしたのではないでしょうか。 僕たちは、人が持っている外見上のものは全て持っているのにもかかわらず、みんなとは何もかも違います。まるで、太古の昔からタイムスリップしてきたような人間なのです。 僕たちが存在するおかげで、世の中の人たちが、この地球にとっての大切な何かを思い出してくれたら、僕たちは何となく嬉しいのです。」
2021年06月17日
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「目でみることば」おかべたかし・文、山出高士・写真 東京書籍 ホントは面白い「謂れ」のある言葉を、写真をつけて「見る」ことによって、さらなる発見をもたらすシリーズ第一弾。おかべたかし・文、山出高士・写真。 興味深かったのは全40言葉のうち22。順番に並べる(言葉の意味解説は出来るだけ避けました)。 ・「阿漕(あこぎ)」 漕ぎ方のことではない。まさか地名だったとは! ・「急がば回れ」 和歌「もののふの矢橋の船は速けれど 急がば回れ瀬田の長橋」より。場所は琵琶湖です。 ・「ベーゴマ」 貝独楽のこと。バイ貝にそういえばよく似ている。 ・「うだつが上がらない」 左官修行した身としては、唯一ハッキリ分かった言葉。でも綺麗な写真見れて良かった。 ・「瓜二つ」 決して2つの瓜が似ているから、ではない。とは初めて知った。 ・「金字塔」 ピラミッドのことだそう。ということは、つい最近の言葉だよね。 ・「剣ヶ峰」 剣山のことじゃない。 ・「差し金」 (陰から人を操ること)元は文楽人形を操るための鉄の棒、或いは歌舞伎における蝶や小鳥の竿。 ・「試金石」 (人や物の価値を推し測る基準)えー!この真っ黒な粘板石のことだったの? ・「鎬を削る」 しのぎとは、刀の側面の1番高くなっている稜線の部分。先の面のことではない。コレを削る戦いって、どんな勝負? ・「勝負服」 服の色。競馬は馬によって決まり、競艇は枠順で決まる。 ・「図星」 弓の的の中心にある黒い丸の事。でも、「図星を射る」とは言わない。言うのは「正鵠を射る」。何故だ? ・「高飛車」 将棋で高圧的な態度でプレッシャーを与える戦法らしいが、勝率は良くないらしい。現実でもそうだよね。 ・「蓼食う虫も好き好き」 築地で鮎のツマとして800円で売っていたらしい。見ると、純粋葉っぱの方だった。ずっと赤い花のことだと思ってたいた。 ・「薹(とう)がたつ」 蕗の薹が立つことではない。花茎や花軸のこと。伸びると、野菜が硬くなり食用に適さなくなるから。そういえば蕗の薹が伸びるとそうなる。ブロッコリーもそうかな。 ・「灯台下暗し」 海にある灯台ではありません。知らなかった! ・「とどのつまり」 北海の海馬(とど)ではありません。オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドの、詰まり、です。改めて、ボラは語源の宝庫。「いなせ」は日本橋の粋な若者が髪を「鯔背銀杏(いなせいちょう)」に結ったことに由来するそう。 ・「拍車を掛ける」 (物事の進行を早める事)乗馬靴のカカト。コレを脇腹に当てて馬を早く走らせる。可哀想。 ・「贔屓」 中国の亀に似た伝説の生き物で、重い物を背負うの大好き。(特定の人や物を可愛がる)そうか!アイツ亀じゃなかったんだ。 ・「洞ヶ峠」 京都八幡市と大阪枚方市の間の洞ヶ峠(ほらがとうげ)で、筒井順慶が秀吉・光秀の形勢を見守っていたことから出た言葉らしいが、実際にはそういう話はなかったらしい。同じ山崎の合戦系列ならば、天王山の方が現実味あり。 ・「もぬけの殻」 モノノ怪の殻ではない。もぬけとは、蝉や蛇の抜け殻のこと。 ・「埒があかない」 馬場の柵のこと。不埒は柵がないこと。なるほど! ‥‥全部書いていたら埒があかないので、此処まで。
2021年06月15日
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「禁忌習俗事典」柳田国男 河出文庫 面白かった事例をメモするとキリがないので、我が郷土に関する部分だけを記録する。いつか、話のタネになるかもしれない。 〈忌を守る法〉 ・「金忌(カナイミ)」阿哲。春分に近い戊(つちのえ)の日を地神の祭日とし、農耕は休み、鋤鎌などの金物を一切使用せず。 ・備中真鍋島では、忌小屋に女が入ることを山上がりと謂う。村は浜にあり、小屋はいずれも高い所に設けるからである。 〈忌の害〉 「産負け(サンマケ)」備前和気。 産の火に負けること。赤子祝い以前の家の者が漁の仲間に入ると、産負けして怪我をしたり、漁が当たらなかったりして人から忌まれる。故にこの祝いを早くすませて、世間を広くするという。 〈土地の忌〉 ‥‥今までは産血の忌が多かったが、ここではバラエティ様々。ホラー小説アイデアの宝庫(^^;)。 「袖もぎさん(ソデモギサン)」 薬師の辻堂のある処で、そこで倒れたら草履を捨てるか、または片袖をちぎって帰らぬと死ぬともいう(佐用)。 「縄目の筋(ナワメノスジ)」 岡山県では主にこの筋にあたる土地に家普請をすることを忌むが、或いはここで転ぶと病気になると言って、近寄らぬ様にしている処もある(佐用)。 この筋にあたる山々や尾根通りに、所々目立って大きな松があり、天狗が夜中に松から松へ飛び回る。これを天狗の羽音という。(備中吉備郡)。 普請するには何よりも先にこの筋にかかっておらぬか否かを確かめる(岡山歴史地理)。 「ナメラ筋」 縄目の筋を備前東部では魔筋、昔魔の通った跡という(邑久) 或いはナマムメスジまたは、ナメラスジといい、作州でもナマメスジ(久米)もしくは魔物筋という(苫田)。家作がこの筋にかかっていると病人が絶えぬといい、新たに建築する者は十分に警戒するのみでなく、単に通り合わせただけでも気分が悪くなることがあるといい、また化け物の出る処だと思っている者さえある。和気郡のそこの魔筋では、火の玉が通るともいう(岡山文化資料)。 「池鏡(イケカガミ)」 家の影が水に映る地形をいう。従ってまた川鏡も忌まれる。「神の正面・仏のまじり」という諺もこの地方にはあるという。仏のまじりとは墓場の後のことである(美作苫田)。 「物の忌」 ‥‥これもまた、バラエティ豊か。 「片目黒(カタメグロ)」 猫の一方の目のまわりは毛が白く、一方の目のあたりに色毛のあるものを飼うことを忌んだ(岡山方言)。 「忌まる行為」‥‥葬礼に関する忌が多い。つまり、葬礼には様々な作法があり、反対に平日ではその作法を絶対行わない様にした。そうやって、人びとは死の忌から注意深く逃れようとしてきたのである。 「一杓子飯(ヒトサジメシ)」 サジは飯杓子のこと。ヒトサジで盛った飯を食えば様々な悪いこと(継子にかかる‥‥つまり家族の何人か死ぬ等々)に遭うということ。此処で岡山の例は無いが、私はこれを一生涯守っている。ヒトサジメシは、お葬式だけにするもので、普段は必ず2回以上で盛らなくてはならない。と教わった。コレはいまだご飯を盛るという行為が無くならない限りは、日本全国で行われている言い伝えだろうと確信する。だよね?みんなしてるよね? 「一本箸」「一本花」 これも、お葬式の作法なので、平日は現代でも忌むのが普通。ただし、花を一本だけ立てるのは霊をこれに憑らしめる方式であって、古くは必ずしも葬礼の日だけに限らなかったのである。 岡山県に関する忌だけでも、ここまでで本書の約半分にあたる。書き出せばキリがないので此処で終わりにする。本書に選ばれた忌は多いが、それでもおそらく全国の忌行為の一部だろうと思える(箸の忌行為は多いが、此処には殆ど載っていない)。そのほとんどは、今は失われている。多くが、道具が無くなったり生産行為をしなくなったり又は科学的知識によって不要になったからである。反対に、新たな忌行為が出現している気がする。 「ラインにすぐ返事しないと悪いことが起きる」 「‥‥の家は祟られている」 「‥‥の道を一人で歩いてはいけない」 「‥‥をするとハゲる」 と、一部地域では言われている気がする。 100年前にはなかった忌は、ホントに、もっともっとたくさんあるだろう。 この100年で、 人の生活は大きく変わった。 人の気持ちは少しも変わらない。 だから、この本は3月に発行されて、決して安くはないのに10日で忽ち重版出来した。私もつい買ってしまった。
2021年06月14日
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「鬼平犯科帳」令和3年6月9日サンテレビ観賞 先日たまたま観たら、「密偵たちの宴」だった。 主要登場人物総出、それぞれの役割が全部出た、作品のテーマ自体が1番出た屈指の傑作、そして相模の彦十が江戸家猫八、大滝の五郎蔵が綿引勝彦というもう2度と観れない至福の1時間。 「急ぎ働」をきちんとお縄にして、なおかつ業つく金貸に密偵たちがあっと言わせ(どうやって金蔵の鍵を手に入れたのか、スッカリ忘れていた)、最後は鬼平が総てを掻っ攫ってゆくラスト。密偵たちのみんなの一人一人の「お頭は恐ろしい」と言う表情が、もう2度と観れないのかと思うと、ホントに愛おしい一編だった。 因みに 鬼平犯科帳DVDコレクション 36号 (おみよは見た、密偵たちの宴) [分冊百科] (DVD付) という商品があって、Amazonで販売されている。 蛇足だけれども、ラストはこうだ。 平蔵(中村吉右衛門)はそのまま帰るかと思いきや、「あ、そういえば、五郎蔵、鍵は元のところに返しておけよ」と言って部屋を出る。その間は、やはり映像のものです。確か、相模の彦十(江戸家猫八)を目を丸くし、大滝の五郎蔵(綿引勝彦)はむっつり黙り込み、小房の粂八(蟹江敬三)は口をぽかんと空け、伊三次(三浦浩一)は向こうを向いて黙り込み、おまさ(梶芽衣子)は「たから言わんこっちやない」という表情。そのあと宴は、「潰れるまで飲もう」とやけ酒になる。そのあと、1人江戸の夜の道を帰る平蔵がふと振り返って、お茶目に舌を出したところで終わりです。
2021年06月13日
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5月後半の3作品です。 「ファーザー」 登場人物は数人しか出ないし、舞台も限定されている。おそらく低予算で作られた作品ではあるが、テーマは高齢者の認知症である。極めて現代的テーマであるからこそ、想いもかけずアカデミー賞主演男優賞を獲ったのだろう。 時計を盗ったと主張する。 いつも今何時かわからなくなる。 突然、時が経った気がする。 目の前の人が誰だかわからなくなる。 現実と過去と夢と幻影がごちゃごちゃになる。 というような病状が自分に出ていることがわかって不安でならなくなる。 突然大声を出す。 自分の尊厳のために嘘で誤魔化す。 赤ちゃん帰りをする。 アンソニーは、80歳とは思えない達者な声量と顔の表情で、人それぞれで全く違うけれども、それでも認知症特有の病状を演じた。 観客はどこから現実で、何処からアンソニーの幻想なのかと翻弄されるけれども、実はほとんどが現実だったのではないか?ただ、後で思い出しているので、若干人の「入れ違い」があったのと、時があまりにも速く過ぎ去ったのかもしれない。ローラはホントに居たのか等々推理しても仕方がない。 ひとつ残念だったのは、明らかにアンソニーの主観でなく、娘アンしかわからない場面(例えば建物を出てタクシーに乗る場面)が幾つかあったこと。観客は状況を掴むには助かったが、作品としては、完成度に欠けた。 (解説) 世界中で上演された舞台を映画化したヒューマンドラマ。年老いた父親が認知症を患い、次第に自分自身や家族のことも分からなくなり、記憶や時間が混乱していく。原作を手掛けたフロリアン・ゼレールが監督と脚本を担当し、『羊たちの沈黙』などのアンソニー・ホプキンスが父親、『女王陛下のお気に入り』などのオリヴィア・コールマンが娘を演じ、『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』などのマーク・ゲイティスや、『ビバリウム』などのイモージェン・プーツらが共演する。 (ストーリー) ロンドンで独りで暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、少しずつ記憶が曖昧になってきていたが、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が頼んだ介護人を断る。そんな折、アンが新しい恋人とパリで暮らすと言い出して彼はぼう然とする。だがさらに、アンと結婚して10年になるという見知らぬ男がアンソニーの自宅に突然現れたことで、彼の混乱は深まる。 製作総指揮 エロイーズ・スパドーネ アレッサンドロ・マウチェリ ローレン・ダーク オリー・マッデン ダニエル・バトセク ティム・ハスラム ヒューゴ・グランバー ポール・グラインディ 音楽 ルドヴィコ・エイナウディ (キャスト) アンソニー・ホプキンス 役名:アンソニー オリヴィア・コールマン 役名:アン マーク・ゲイティス 役名:男 ルーファス・シーウェル 役名:ポール イモージェン・プーツ 役名:ローラ オリヴィア・ウィリアムズ 役名:女(オリビア) 2021年5月27日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「茜色に焼かれる」 石井裕也監督の「川の底からこんにちは」系の作品。 いったい何処でブチ切れるんだろう。と思いながら見ていた。息子どころか、良子も無意識のうちに貧乏ゆすりをしている。 勝負服着て、まぁどこまでホンキでブチ切れたかわかんないんだけど、尾野真知子が「どうか、これを映画館で観てください」と言った内容の作品だった。聞いた時には、遂に泣き落としか!と思ったのではあるが、これをお茶の間で観たらキツいよ、これは映画館で観るべき映画だよ。 (解説) この世界には、誰のためにあるのかわからないルールと、悪い冗談みたいなことばかりがあふれている。そんな、まさに弱者ほど生きにくいこの時代に翻弄されている、一組の母子がいた。哀しみと怒りを心に秘めながらも、わが子への溢れんばかりの愛を抱えて気丈に振る舞う母。その母を気遣って日々の屈辱を耐え過ごす中学生の息子。もがきながらも懸命に生きようとする勇気と美しさに、きっと誰もが心を揺さぶられ、涙する。いよいよ社会のゆがみが浮き彫りになっている現代日本。そこで生きていくことは決して楽じゃない。でも、生きるに値する未来は必ずやってくる。茜色の希望をたなびかせて、厳しくも澄みきった人間賛歌がここに誕生した! 傷つきながらも、自身の信念の中でたくましく生きる母親・田中良子を尾野真千子が驚くべき存在感で体現。良子の息子・純平を演じるのは次世代の注目株・和田庵。その純平が憧れを抱く良子の同僚・ケイには出演作が相次ぐ片山友希。そして、交通事故で命を落とす夫・陽一にオダギリジョー、良子とケイを見守る風俗店の店長にベテラン、永瀬正敏が脇を固める。あえて今の世相に正面から対峙することで、人間の内面に鋭く向き合ったのは、今や日本映画界を牽引する石井裕也監督。観るものに時に衝撃を、時に温もりを与え、これまでのどの作品よりも自由にして、同時にどこまでも優しい世界を作り上げた。 ストーリー 1組の母と息子がいる。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母子。母の名前は田中良子。彼女は昔演劇に傾倒しており、お芝居が上手だ。中学生の息子・純平をひとりで育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。経営していたカフェはコロナ禍で破綻。花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。数年振りに会った同級生にはふられた。社会的弱者―それがなんだというのだ。そう、この全てが良子の人生を熱くしていくのだからー。はたして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは? 石井裕也(監督・脚本・編集) 1983年生まれ、埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作『剥き出しにっぽん』(05)でPFFアワードグランプリを受賞。24歳でアジア・フィルム・アワード第1回エドワード・ヤン記念アジア新人監督大賞を受賞。商業映画デビューとなった『川の底からこんにちは』(10)がベルリン国際映画祭に正式招待され、モントリオール・ファンタジア映画祭で最優秀作品賞、ブルーリボン監督賞を史上最年少で受賞した。2013年の『舟を編む』では第37回日本アカデミー賞にて、最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞、また米アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に史上最年少で選出される。『ぼくたちの家族』(14)、『バンクーバーの朝日』(14)などで高い評価を獲得し、第67回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品された『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(17)では多くの映画賞で作品賞や監督賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベストテンでは、日本映画ベスト・テン第1位を獲得するなど国内の映画賞を席捲した。近年も『町田くんの世界』(19)、『生きちゃった』(20)などコンスタントに作品を発表し続け、公開待機作に、初めて韓国の映画スタッフとチームを組んで制作された映画『アジアの天使』(21)がある。 コメント ※順不同、敬称略 仲野太賀(俳優) 誰しもが歯を食いしばり、生きてる。 誰かを傷つけない為に、演じてる。 母ちゃんから受け取った誇りは、きっとあの少年を勇敢にする。 親子の帰り道、純真な愛の告白に涙が溢れました。 池松壮亮(俳優) 人類の終末感に相応しい美しい夕焼けと、生き延びてきた自己の物語。 どんなに世界に傷つけられても田中良子は生きている。 その魂の咆哮に、涙が止まらなかった。 身一つで請け負う女性のその圧倒的な姿は、夕焼けよりも美しい。 前田敦子(女優) 石井監督やっぱりすごいです。尾野さん、はじめとするみなさんの熱演、 本当に全てが素晴らしすぎて、魂が震える感覚を知れた気がします。 「愛」の底力って計り知れない。 古舘寛治(俳優) このクソのような世の中で 真面目に誠実に日本の映画を撮ろうとしたらこうなった。 そんな映画だ。 松尾貴史(タレント) 今の社会にこびりつく理不尽な決まり事に踏みつけられる母と子の、 ひたすらにしなやかでひたむきな姿に、ただ心を締めつけられる。 我が事として、今見るべき物語。 角田光代(作家) 静かな笑みという鎧でなんとか自身を保っていた ひとりの母親が、鎧を脱ぎ捨て、丸腰で闘う姿に、 唖然とし、落涙し、そして強く励まされた。 加藤千恵(歌人・小説家) 激しい作品だ。 良子の苦しみが、純平の切実さが、ケイの絶望が、 そしてどうしたって溢れでてしまうあらゆる愛が、願いが、 見ているわたしたちに一つずつ突き刺さる。 はあちゅう(ブロガー・作家) どこかで大きなどんでん返しや、救いがあってほしいと願いながら見続けた。 私たちは「努力すれば報われる」とか「神様はきっと見ている」と 心のどこかで信じているけれど、本当にそうだろうか? 誰にも救ってもらえない人生は、どう生きるのが正解だろうか。そんなことを考えた。 室井佑月(作家) 人は哀しい。どうしてこんなに哀しいんだろう。 映画を観て、あたしは泣いた。 映画に、自分やまわりの人々を投影したからだ。 それでも、人でありたいと願う多くの仲間に、 この映画を勧める。観て良かった。 齋藤薫(美容ジャーナリスト/エッセイスト) 完全なる不幸の中に散りばめられた、 一瞬の幸せの一つ一つに心が震える。 しかもその単純ではないコントラスト表現の見事さと、 尾野真千子の喜怒哀楽の素晴らしさにも目を見張った。 伊藤詩織(映像ジャーナリスト) 「なんで怒らないの」何度もどこかで聞いた言葉だ。 人に起きたことなら怒れるのに、なんでだろう。 自分の怒りと素直に向き合えた時、人は解放されるのかもしれない。 鮫島浩(ジャーナリスト) 公営団地に暮らす母子家庭、母の失恋そして包丁の追憶。 息子の境遇が我が身に重なり、感情移入してしまった。 格差が格差を生む理不尽な社会に差し込む茜色の未来が美しい。 上野千鶴子(社会学者) 日本のシングルマザーが経験するありとあらゆる苦難がこれでもかと。 それをコロナ禍がさらに直撃した。 でも、誇りは捨てない。この怒りは誰に届くだろうか? 湯浅誠(社会活動家・東京大学特任教授) 追いつめられ、壊れかけつつも、踏みとどまっているーー その際(エッジ)を生き抜くすべての人々が 等身大の〈自分〉を見出せる映画だ。 三浦瑠麗(国際政治学者/山猫総合研究所代表) 不条理を一身に浴びながら、それでも生きていく主人公が眩しい。 溜めすぎた怒りを、悲しみを、叫びを受け止めながら、終いに癒しに導かれる。 すごい映画でした。 水谷修(夜回り先生) 「生きる」とは、幸せを求めることと考えている人たちにこそ、見て欲しい。 墜ちても落ちても抗い生きる。つらい苦しみの中にこそ在る生きる意味。 こころに刺さります。 武田砂鉄(ライター) 息苦しい社会なのに、息の苦しさは隠蔽される。 この作品は、その隠蔽を剥がして剥がして剥がして明らかにする。 荒々しい息が聞こえてくる。たじろぐ。情けないほどにたじろく。 尾野真千子 拝啓 皆様いかがお過ごしですか。 私は、この度、どうにもやりにくいこの世の中で、 映画の登場人物達が戦うように 私ももがき、あがき、力の限り戦ってみました。 どうぞごらんください。 和田庵 初めて台本を読んだ時、役の重要さにプレッシャーと気合い、そして感謝という色んな感情が同時に溢れたのを覚えています。主演の尾野さんは、とてもやさしく面白い人で、殆どの時間を一緒にいて、本当の親子のように接していたのでクランクアップの時はとても寂しかったです。石井監督は普段はとても気さくで話しやすいお兄さんという感じですが、いざ撮影が始まると怖いくらい集中して別人のようになります。そして監督の良い映画を作りたいという強い想いが現場全体に伝わり、僕も拙いながら「このチームの一員として良い作品を作りたい」と意欲が湧きました。 今回、この素晴らしい作品に役者として参加出来たことを僕は誇りに思います。母と子を取り巻く矛盾や理不尽さの中でコントロール出来ない感情に振り回されながら、それでも幸せになりたいと願う親子を描いた作品です。純平を演じて僕自身も精神的に成長出来たと思います。その親子の姿は皆さんにとって、きっと忘れられない作品になると信じています。 片山友希 完成した映画を観ている最中、これで良くなかったら私はやめた方がいいんだろう。縁がなかったんだろう。 とふと、思いました。が、そんな事どうでも良くなりました! 映画ってかっこいい!映画を作ってる人達ってかっこいい!まだまだ私の熱は冷めません! ここには書ききれない毎日がありました。 時間が経って、今になって監督は私を信じてくれたんだと気づき涙が出ました。 永瀬正敏 石井裕也監督の世界に触れさせていただきたい、、、 その想いだけでした。 素晴らしい体験、感謝しています。 オダギリジョー 一生懸命に生きることって、何よりも大事だと思う。 そして時には、闘うことも必要だ。 自分の為にも。大切な人の為にも。 石井裕也監督 とても生きづらさを感じています。率直に言ってとても苦しいです。悩んでいるし、迷っています。明らかに世界全体がボロボロになっているのに、そうではないフリをしていることに疲れ果てています。コロナ禍の2020年夏、しばらく映画はいいやと思っていた矢先、突然どうしても撮りたい映画を思いついてしまいました。 今、僕がどうしても見たいのは母親についての物語です。人が存在することの最大にして直接の根拠である「母」が、とてつもなくギラギラ輝いている姿を見たいと思いました。我が子への溢れんばかりの愛を抱えて、圧倒的に力強く笑う母の姿。それは今ここに自分が存在していることを肯定し、勇気づけてくれるのではないかと思いました。 多くの人が虚しさと苦しさを抱えている今、きれいごとの愛は何の癒しにもならないと思います。この映画の主人公も、僕たちと同じように傷ついています。そして、理不尽なまでにあらゆるものを奪われていきます。大切な人を失い、お金はもちろん、果ては尊厳までもが奪われていきます。それでもこの主人公が最後の最後まで絶対に手放さないものを描きたいと思いました。それはきっと、この時代の希望と呼べるものだと思います。 これまでは恥ずかしくて避けてきましたが、今回は堂々と愛と希望をテーマにして映画を作りました。と、まあこうやってつらつら書きましたが、尾野真千子さんがその身体と存在の全てを賭して見事に「愛と希望」を体現しています。尾野さんの迫力とエネルギーに心地よく圧倒される映画になっていると思います。尾野さんの芝居に対する真摯な姿勢には心から敬服していますし、共に映画を作れて、とても幸せに思っております。 2021年5月27日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「地獄の花園」 もう、鉄板のマンガ通りのヤンキー作品の展開を、サクッと見せてくれる。あっという間に時間が経っていた。 永野芽郁ちゃんが、ずっと普通のOLでいて欲しかった。 次々とラスボスが出てきて、最後はあゝこういう究極の戦いになるんだ。これって、どの漫画を押さえてるんだろ? でも、オチはこれしかないよね。 終わり方も潔すぎ。 でも、大笑いできなかった。もっと大笑いしたい。女優たちがものすごく楽しんでる。 【ストーリー】 永野芽郁主演、バカリズムによるオリジナル脚本で描かれる、喧嘩上等空前絶後のOLバトルロワイヤル。普通のOL生活を送る直子(永野芽郁)の職場では、裏で社内の派閥争いをかけOL達は日々喧嘩に明け暮れている。ある日、一人のカリスマヤンキーOLが中途採用されたことをきっかけに、全国のOL達から直子の会社は狙われることに。テッペンをかけた争いから直子は平穏無事なOLライフを全うすることができるのか……。 【公開日】 2021年5月21日 【上映時間】 102分 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 【監督】 関和亮 【脚本】バカリズム 【出演】 永野芽郁/広瀬アリス/菜々緒/川栄李奈/大島美幸/松尾諭/丸山智己/勝村政信/遠藤憲一/小池栄子 2021年5月31日 イオンシネマ ★★★★
2021年06月12日
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5月に観た作品は7作でした。2回に分けて紹介します。 「るろうに剣心 ザ・ファイナル」 そもそも、お姉さんを殺されたぐらいで国そのものに復讐しようとする厨二病の弟の気持ちが誰も共感できない時点で、脚本が成立しない。 でも、映画はそれをみさせる作品ではなく、ひたすら、ガンでも拳でもなく、「剣アクション」を映画界に成立させるための作品だった。 ともかく、最初ら最後まで怒涛アクションでした。 いったいどうやって撮ったのか?それを見極める為には、メイキングを観る必要かあるのだろう。 STORY 人斬り抜刀斎の異名で知られた緋村剣心(佐藤健)は、日本転覆を企てた志々雄真実と死闘を繰り広げた後、神谷道場でのどかに生活していた。あるとき、東京の中心部を何者かが連続して攻撃し、剣心と仲間たちにも危険が及ぶ。その事件は、剣心の過去と頬に刻まれた十字傷の謎に関わっていた。 キャスト 佐藤健、武井咲、新田真剣佑、青木崇高、蒼井優、伊勢谷友介、土屋太鳳、三浦涼介、音尾琢真、鶴見辰吾、中原丈雄、北村一輝、有村架純、江口洋介 スタッフ 原作 和月伸宏 監督・脚本:大友啓史 音楽 佐藤直紀 主題歌 ONE OK ROCK 2021年5月13日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「ジェントルメン」 「巨額な利権」目指して!よーいドンのバトルが始まるかと思いきや、時制も人物も行ったり来たりの、組んでほぐれつ騙し合いでした。 そういうのが大好きならば、お見事となるのですが、魅力的な人物が1人もいないということもあって、あゝそうなのね、タイプの映画。 STORY イギリス・ロンドンの暗黒街。一代で大麻王国を築き上げたマリファナ王のミッキー(マシュー・マコノヒー)が、総額500億円に相当するといわれる大麻ビジネスの全てを売却し引退するという情報が駆け巡る。そのうわさを耳にした強欲なユダヤ人大富豪、ゴシップ紙の編集長、私立探偵、チャイニーズマフィア、ロシアンマフィア、下町の不良たちが、巨額の利権をめぐって動き出す。 キャスト マシュー・マコノヒー、チャーリー・ハナム、ヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ドッカリー、ジェレミー・ストロング、エディ・マーサン、トム・ウー、バグジー・マローン、リン・ルネー、コリン・ファレル、ヒュー・グラント スタッフ 監督・脚本・原案・製作:ガイ・リッチー 原案・製作:アイヴァン・アトキンソン 原案:マーン・デイヴィース 製作:ビル・ブロック 製作総指揮:ボブ・オシャー、マシュー・アンダーソン、アンドリュー・ゴロヴ、アラン・ワンズ、ロバート・シモンズ、アダム・フォーゲルソン 共同製作:マックス・キーン 撮影監督:アラン・スチュワート 美術デザイン:ジェマ・ジャクソン 衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン 編集:ジェームズ・ハーバート、ポール・マクリス メイク・ヘアデザイン:クリスティン・ブルンデル 音楽作曲:クリストファー・ベンステッド 2021年5月18日 MOVIX倉敷 ★★★ 「JUNK HEAD」 前半寝落ちした。地下に落ちていったことだけを覚えている。 意味不明な未来語と独特の音楽が心地よい子守唄になるんだよね。 それはそれとして、後半はしっかり見た。 どう見てもアンドロイドなのに人類になっているのが、そもそもわからないのだけど、人びとの生まれ方が「生命の樹」によるものだという世界観が、7年経ってもまだ小出しで、ホントにちゃんと世界を確立して作っているのか疑問に思う。 ファンタジーの評価は、以下に世界を確立しているかにあるので、よってまだ判断できない。 2021年5月25日 シネマ・クレール ★★★ 「僕が跳びはねる理由」 自閉症児(という言い方は絶対正確ではないが)の内面世界を一生懸命、映像化しようとしたドキュメンタリー。 予想を遥かに超える映像体験だった。 私たちをヒト科では理解できなかった新しい世界に連れて行ってくれる。 世界5組の自閉症者の状況と家族の「説明」と、それに合わせた映像と音を我々に提供する事で、彼らは決して低知能ではないし、呪われた子供でもないし、むしろ素晴らしい個展を開いたインドの子のように新しい可能性を秘めた子供である事を証明する。それに合わせて、東田直樹さんの著書からの引用を日本の10歳くらいの自閉症者が「世界を見てゆく」体裁になっている。 「普通の人」は普通全体から部分を見てゆく。彼らは部分から見始めるという。彼らの目は、ほとんどズームレンズだ。世界は異様に美しく不思議で、そして音は突然鳴り響き、そして不思議だ。 彼らの記憶は「まるで予測つかない?スライドショーだ」とイギリスの親は言う。2歳や3歳の記憶が!10代後半になっても昨日のようによみがえる。他の子供も、ベッドの上で、突然海で反応した同じ踊り?を踊っていた。こんな風に脳が働くのだとしたら、世界認知はかなり大変だと思う。実際、東田さんは普通の人たちの会話はあまりにもスピーディでついて行けないという。だから、東田さんの文章はあまりにも論理的で「普通」なのき、実際には言葉は上手く発せられないし、普通の会話も難しいという。けれども、会話はとても重要らしい。まるで普通会話のようにタイピングで会話をするアメリカの自閉症者の2人の若者も登場する。 映像は、あくまでも監督が解釈した彼らの世界だろうと思う。親は更に彼らを知っている。だから、確信を持って彼らの尊厳を守ろうとしている。 自閉症者の世界はまだまだわからない。でも、見ると世界が広がる。 「僕らはきっと文明の支配の外に生まれた。 多くの命を殺し、地球を壊した人類に 大切な何かを思い出してもらうために生まれたんだ by東田直樹」 INTRODUCTION 自閉症者の内面を語った内容が大反響を呼び、世界30か国以上で出版された大ベストセラーを映画化! 『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)は会話のできない自閉症という障害を抱える作家・東田直樹がわずか13歳の時に執筆したエッセイ。他者との会話が成立しづらいため、今まで理解されにくかった自閉症者の内面の感情や思考、記憶を分かりやすい言葉で伝えた内容が大きな注目と感動を呼び、その後30か国以上で出版され現在117万部を超える世界的ベストセラー作品に。 サンダンス映画祭で観客賞受賞など、海外映画祭で絶賛! このベストラー作品をもとに映画化された『僕が跳びはねる理由』は世界最大のインディペンデント映画祭としても有名なサンダンス映画祭(第36回/2020年1月開催)ワールド・シネマ・ドキュメンタリーコンペティション部門において観客賞を受賞、更に同じく2020年10月に開催された第39回バンクーバー国際映画祭の長編インターナショナルドキュメンタリー部門観客賞とインパクト大賞のダブル受賞など、高い評価を受けた。2005年、わずか13歳の少年が紡いだ言葉が海を越え、今もなお世界中の自閉症者やその親たちに希望を与え続けている。 自閉症者が見つめ、感じ、生きる世界を通じて、「普通」とは何か、そして「会話」の大切さを描く、感動のドキュメンタリー! この映画は自閉症者の内面がその行動にどのような影響を与えるか、また彼らにとって自閉症という障害が意味するもの、そして彼らの世界が「普通」と言われる人たちとどのように異なって映っているのかを、世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を追い明らかにしていく、誰も観たことのない驚きと発見に満ち溢れている。そして、「普通とは?」「個性とは何か」という普遍的な疑問、「会話(=コミュニケーション)の大切さ」「多様性の重視」など…他者と分断されている今を生きる誰もが共感しうる、感動のドキュメンタリー映画である。 原作 東田直樹 監督 ジェリー・ロスウェル 2021年5月23日 シネマ・クレール ★★★★★
2021年06月11日
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「一度きりの大泉の話」萩尾望都 河出書房新社 「ひとつ屋根の下に作家が2人もいるなんて聞いたこともないよ。とんでもない話だ」(「少年の名はジルベール」より)1970年10月、萩尾望都、竹宮恵子の2人が一緒の借家に住む予定を、共通の編集者の山本氏に告げた時に、彼は上のように警告したという。 「あなたね、個性ある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」1973年5月、大泉で傷ついて埼玉に引っ越した時に、萩尾望都は木原敏江にそう言われたという。(本書167p) ‥‥結局はそういうことだったのだ。 その2.5年間。萩尾望都と竹宮恵子が共通の知人・増山法恵を通じて出逢い、増山家隣の二階建てのボロ屋に一緒に住みながら新しい少女マンガを描き始めた。その家はのちに大泉サロンと言われ、前途有望な若手漫画家が集ったことで知られている。その2.5年間(大泉サロンは2年間)、2人の才能は急速に開花した。萩尾望都は「トーマの心臓」の300pの習作を既に書いていたし、「ポーの一族」のシリーズ連載を始めていた。竹宮恵子は「少女マンガに革命を起こす」戦略の下「風と木の詩」連載を勝ち取るために、頭の固い編集局と闘っていた(連載開始は1976年)。次々と新しい少女マンガ雑誌が創刊され、健康な学園ものやスポーツもの、可哀想な少女だけが描かれる時代ではなくなっていた。2人の作家が目指す作品は、その編集者の思惑の遥か前にあった。そこでは、頭のいい竹宮が、天才肌の萩尾を、憧れ畏れ妬む要因も産まれていただろう。 「少年の名はジルベール」には、竹宮の嫉妬心理は詳細に告白されているが、実際に何があったのかは曖昧にされた。本書で、その具体的な経緯が初めて明らかになった。事実経過は2人とも同じことを書いている(そのあと派生した噂の真相については別)ので、2人が決別した契機は本書に書いている通りだと思われる。 決別は大泉解散の後、竹宮が萩尾の「ポーの一族」の「小鳥の巣」の第一回連載を見て、竹宮が公然の秘密にしていた「風と木の詩」の設定をパクったと非難したことがキッカケである。数日後竹宮は萩尾宅を訪れ「あの日言ったことはなかったことにして欲しい」と言った上で「距離を置いて欲しい」という意味の手紙を置いて帰るのである。全く意味がわからず、その後萩尾は心因性ショックの貧血で倒れ視覚障害を起こし入院する。 盗作かどうかは、普通のマンガファンならば簡単に「違う」と言えると思う。明らかに全く違う作品だからだ。ただあの頃の萩尾作品は、大泉の環境がなかったら(特に増田法恵の影響がなければ)生まれなかった事も確かである。それにしても「小鳥の巣」が、そんな悪条件で生まれたとは思いもしなかった。私は既存「ポーの一族」シリーズの中で最高傑作だと思っている(詳しくは「ポーの一族復刻版(3)」のマイレビューを読んで欲しい)。「盗作とは認めさせない」という緊張感がかえって良かったのか? そのあと、萩尾はこの出来事を永久凍土に埋めて封印した。竹宮と増山には極力出会わない様にしたばかりか、竹宮の作品は一切目に触れない様にした。竹宮を恨み、自分が暴走することが怖かったのである。今回一旦解凍したのは、「ジルベール」の為にあまりにも周りが姦(かしま)しくなったからである。 少女同士ではよくある、気持ちの行き違いによるケンカだった気がする。問題は、2人は少女マンガ界を代表する漫画家だったということだ。竹宮はそのあと、スランプから脱し自分のスタイルを確立し念願の「風と木の詩」も勝ち取り、次々と代表作品を発表した。自己肯定感薄い萩尾は一時期漫画家を辞めるかどうかを逡巡し、画風を変えて漫画家として生きることを決心する。私は、基本的には竹宮恵子の拙い嫉妬が原因であり、彼女が悪かったのだと思っているが、萩尾望都が後になって分析しているように、人間関係には理屈の通らない「排他的独占領域」というものは確かにあり、その地雷を踏んだ萩尾が、二度と踏まない様に3人の関係を修復させる意思を持たない決心をしたというのも充分に理解できるところ。トラウマは何年経っても治らない。 だから、私は萩尾望都には「そのままでいい」と言いたい。もう決して大泉時代を語って欲しいとは言わない。いや、語ってほしくない。このまま無事に「ポーの一族」完成を目指して欲しい。改めて言っておきたい。萩尾望都、貴女は天才です。 けれども、2人の著作で70年代初めの新しい少女マンガ揺籃期の内実が分かったことは、大きな収穫だったと思う。 本書は資料的な価値も高い。 傷心のまま英国語学留学していた時に、全て1人で描いた「ハワードさんの新聞広告」は、いろんな意味で貴重な作品だったことがわかった。原作付きの作品だったが、何処から見ても萩尾望都作品になっている。特に「知ってるでしょ ただの子どもはみんな飛ぶんだ」と言いながら消えてゆくジルの姿は、その数年後の「ポーの一族」エドガーの先駆形である。 今回、10数ページも、「トーマの心臓」と「ポーの一族」の未発表のクロッキー帳画が出ているのも貴重である。 2021年6月7日読了
2021年06月10日
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「少年の名はジルベール」竹宮恵子 小学館文庫(電子版) 本書を読む理由はひとつだけ。萩尾望都が今年4月『一度きりの大泉の話』を刊行したからだ。70年の始め、少女マンガが急速に変化した時代。伝説の「大泉サロン」で何があったのか?竹宮恵子と萩尾望都の言い分が大きく違うという噂が、現在駆け巡っている。そのことを確かめたかった。 今、萩尾望都の本は手元にあるが、1頁も開いてはいない。五年前に竹宮恵子が本書を書いたのだから、おそらくそれが今回の「事件」のキッカケなのだから、こちらから先に読まなくてはならないと思ったから。ただ70年代の萩尾望都作品は、おそらく(全集で)全部読んでいるけど、竹宮恵子作品は1割も読んでいなかった。私は基本、萩尾望都ファンである。それでも私は感情に囚われず、書いている事によって「事件」を判するだろう。その判断自体は次回になる。今回は、それ以外に発見したことをつらつらと書きたい。 本書の電子版限定参考作品集を見て改めてビックリした。竹宮恵子と萩尾望都の絵柄は、72年ごろまでは双子のように似ている。特に目や鼻の描き方はそっくりだ。萩尾望都が始めたと認識しているコマ枠を外して時の流れを描く手法も、竹宮恵子は『ファラオの墓』(74)で早々と使っていた。竹宮恵子も書いているが、「マンガ(技術)はオープンソース」なのである。萩尾望都の画には、それでも誰も追随出来ない個性があった。竹宮恵子には何があったか?しっかり読んでいないので言い難いが、本書で語られている所で類推すると物語の構成力と、(盟友増山法恵の影響もあるだろうが)プロデュース力にあるだろう。尊敬する漫画家が石ノ森章太郎というのも宜なるかな(反対に、萩尾望都の尊敬する漫画家は手塚治虫だった)。 そして、私は実は今回初めて知ったのが「大泉サロン」である。大泉のボロ屋に実質住んでいたのは竹宮恵子と萩尾望都の2人だけで、その意味ではトキワ荘とは全然違うのであるが、一階が若手の少女漫画家の溜まり場になっていたのである。坂田靖子、花郁悠紀子、ささやななえ、山田ミネコ、たらさわみち、城章子、伊東愛子、佐藤史生、高橋亮子、山岸涼子、もりたじゅん、などキラ星の如く名前が挙がっている。ささやの様に半年居候する者もいれば、手伝ってくれる漫画家卵、あるいはダベリに来る者。正にサロンである。なるほど、此処を膨らませば映画にも出来る。たった2年間だったが客観的に大泉サロンの少女マンガ世界へ与えた影響は大きかっただろう。 竹宮恵子と増山法恵は明確に「マンガで革命を起こす」という目標のために動いていた。この本には異常なほどに萩尾望都の台詞がない。いつもニコニコ笑っている、とある。70年代始め、少女マンガに何が起きていたのか。私は73年から83年にかけて、リアルタイムでそれらマンガ群を読んでいたが、本書には70年から76年ぐらいのことが、かなり詳しく語られている。その時々の会話を、テープに記録していたかの如く再現している。その記憶力は、驚嘆に値するだろう。幾つかのすり合わせは必要だろうけど、間違いなく、時代の証言だろうと思える。彼女は末尾にあの時代を一言で現している。やはり頭がいい。「駆け足で通り抜けた季節の熱い風であり、咲き誇る花であり、光る刃だ」 ひとつ、竹宮恵子のために特筆しなければならないことがある。現代は良い意味でも悪い意味でも、BL(ボーイズラブ)マンガの最盛期だろう。その少年愛マンガの嚆矢となった「風と木の詩」は、76年に連載開始ではあるが、その冒頭50pのラフ原稿は71年に完成していたのである。かなりの産みの苦しみを経て、少女マンガにおける少年愛マンガが出来上がったのだ。私の興味はともかくとして、その功績は計り知れないだろう。 2021年6月4日読了
2021年06月08日
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「遠い唇」北村薫 角川文庫 最早、研究書か蘊蓄小説しか描かなくなってしまったのかと思っていた北村薫が、原点に戻って「日常の謎」小説(短編集)に挑んだ。 謎を解くことで浮かび上がる、人の気持ち。それこそが醍醐味で、北村薫の優しさも相まって、読後感はすこぶる良い。 よかったのは次の数編。 「遠い唇」 女性の回りくどい意思表示は、わからないことが多い(←私だけ?)。でも、この小編の暗号がわかる人は少ないだろう。大学サークルの女性の先輩の連絡葉書にあった意味不明のアルファベット。先輩は「何でもないわ。‥‥いたずら書き」というだけ。 2年越しに解かれた謎は、ああ言った後の「硬く結ばれた唇」と共に永遠に記憶に残る。 「しりとり」 今度は、早世した夫が妻に残した俳句もどき。 数年前のメモが、作者の分身の如き「わたし」によって解かれる。どうしても解かれるべき謎ではないけど、解かれた時の風景が美しい。 「続・二銭銅貨」 言うまでもなく(と言う言い方が出来るのは、北村薫ファンぐらいなもの)江戸川乱歩の出世作「二銭銅貨」を俎上に上げて、かの作品の「隠れた真相」を乱歩自身が突き止めようとした小編である。時は太平洋戦争末期、乱歩は20年前に「二銭銅貨」の「案」を話してくれた人のお宅を訪れ、ずっと気にかかっていた疑問をぶつける。 ‥‥とは言え、当然コレは北村薫の創作だ。基本あの小説「だけ」から、これだけの「真相」を創作できるのだから、やはり北村薫は凄い。 「ゴースト」 北村薫は編集者を主要人物にすることが多い。「八月の六日間」も「太宰治の辞書」も、この短編集の「しりとり」でも、この「ゴースト」でも編集者が出てくる。北村薫の活動範囲は書庫か図書館か、それとも各出版社の編集者(何故か女性)との語らいなのだろうか?それは兎も角、女性の細やかな心理は描かれている。 ‥‥と思っていたら、後書きで主人公は「八月の六日間」の朝美だと「謎解き」がありました。 「ビスケット」 「日常の謎解き」ではない。殺人事件が起きてしまう。しかも、「冬のオペラ」の巫弓彦と姫宮あゆみコンビが20年ぶりに再会する。それもそのはず、テレビ番組用の特別原作として書かれたという「謎解き」がありました。
2021年06月07日
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