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9月30日(火) 旧暦8月9日 六曜は「仏滅」 植え替えをした2階のランを、下に降ろさなければいけないので、いよいよ庭を片付けないといけなくなりました。 1階の部屋のごみは軽トラに乗っけたまま、なかなかゴミ処理場に持っていけなくて、そのままの状態です。 庭からも不用品が出そうなので、この際、園芸用品も片付けてしまうことにしました。古い鉢などももう捨ててしまいましょう。 ただ作業は、せいぜい長くて1時間くらいしかできないので、日数がかかりそうです。今回はジャングル庭を一掃する予定です。 ただし、ほかの片付けも重複しながらやっていますので、やはり時間がかかります。 台所や、リサイクル店舗の片付けは、もう少しで終わりそうですが、小さな趣味の水耕栽培や、気がかりな庭をほっといてあちらを一気に、と言う気にもならず、なんだか気まぐれな我が家の片付け作業です。 気が多すぎて収集が付かない事も、確かにありです。 まして今は、食事に気を使っているので、食事一辺倒ですが、1日の中で繰り広げられる出来事は、小さな世界の我が家でもいっぱい起こるんで、実は書きたいことがありすぎて困るくらいです。 今朝はね、久しぶりに夕べ咲いた鬼面角の花2輪の鑑賞。 昨日の水やりで、今晩咲くなと思いましたので、朝早く起きて花がしぼむ前に鑑賞しました。 夜行性一夜限りの月下美人と同じです。ただ月下美人の花より少しだけ長持ちするので、早めなら鑑賞可能なんです。 <午前6時30分過ぎ おっ、まだ開いていた> <この時間で開花ぎりぎり> <午前9時30分しぼむ> 月下美人同様、毎年恒例の我が家の花です。疲れた心を(身体もね)癒してくれる私の大事な植物たちです。 さて昨日の食事ですが、前日にエノキダケナムルを2日分作りましたので、それを加えた食事です。 <食事は毎回前日のものを掲載しています> でも鮭がね、まったく美味しくないパサパサ鮭だったので、包み焼きはダイコンおろしを食べるために作った様なものです。 真ん中のキノコとキャベツの炒め物は、マヨネーズで炒めました。マヨネーズが油代わりになると初めて知ったので、やってみました。 まあ、大丈夫でしたが、年配の私にはピンとこないというか・・・・、 そしてメカブと金時豆ご飯です。 「エノキダケナムルを食べるだけの役割で作ったお昼」になってしまいました。 ・・・つまり食事としては、 。残念ながら、幸せ感が不足した昨日のお昼でした。
2025.09.30
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9月29日(月) 旧暦8月8尾地 六曜は「先負」 昨夜は3度も足がつりひどい目にあいました。 お疲れ気味の時は、必ず夜中に足がつってしまいます。痛くて唸るので、チビチビが心配していつも飛んできます。こんな時はとても頼もしい?味方です。不思議にわかるのか痛い足をなめてくれるのです。普段生意気なのにかわゆい猫です。 土曜日に、エネルギーチャージに出かけたはずが、逆に疲れてしまいました。 昨日は映画鑑賞も出かけましたからね、人あたりしてしまうのかもしれません。 なかなか手ごわい疲れです。必要以外はやっぱり外出を控える事にしました。 家の中で「さなぎ」になっておくことにしましょう。 体力が戻ったら小さな蝶々くらいにはなれるかもしれません。 ↓こんくらい↓ 10月中旬になると、仕事が入ってくるので、今のうちに体力を戻しておく必要があるのです。エノキダケ様様で、人体実験6日めです。 お家の一人カフェもね。やってみれば面白いものです。 昨日はワンプレート風に頂きました。 主役のエノキダケは、副菜で小さなカップにナムルで収まりました。塩キャベツの味加減が程よく、チキンの唐揚げは3個、金時豆のご飯、ダイコンおろし、ケミカルスープです。緑の葉っぱは水耕栽培のサラダ菜を3枚だけカットしてみました。 エノキダケナムル 材料 エノキダケ 200g(2日分) ゴマ油 少々 ※エノキダケを、ごま油で焼き色がつくくらい炒めて、 絡めタレ(ポン酢大さじ1と2分の1、砂糖小さじ2分の1、 カレー粉大さじ4分の1)で混ぜる。 簡単すぎて困ってしまうくらい美味しかったですよ。ちなみに私は家で揚げ物をしないので、チキンは生協の商品です、まあまあのお味でした。 もちろん、3食とも食事はしていて、掲載は単に1食分ですが、1日100gのエノキダケは必ず取るという食事スタイルです。にしても検索はネットですから、パソコンもありがたいものです。 今日も太陽は相変わらず。 でも朝起きて植物たちに声かけするのは、幸せ感を上げますね。毎日1個1個ペットボトルの野菜ポットが増えていくのも、楽しみの一つです。 <早く育てよ、マイベジタブルズ> 疲れて外出を控えるでなくても、ずっ~と家に居つきそうです。
2025.09.29
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9月28日(日) 旧暦8月7日 六曜は「友引」 沖縄県の4代目県知事「大田昌秀」先生と7代目県知事「翁長雄志」氏のドキュメンタリー映画「太陽(ティーダ)の運命」を改善センターで鑑賞してきました。 大田先生とは父が同窓生で、知事選の久米島での選挙事務所が、我が家の1階だった事もあり、以前の私のお店にもよく来て下さいました。「久米島の未来を語る会」などを企画した時も、快く出席してくださり、いろいろ交流の機会がありました。 当時はね。若気の至りで「アスク(久米島の明日を創る会)」などと称して、仲間といろいろな事をやっていたのですよ。 ま、「実」になったことは少なかったですが、燃えていましたよ、あの頃は。今は持てない情熱です。 大田先生と翁長氏はその情熱の幅と大きさが桁違いでした。 ともに沖縄のために生きたお二人です。その生き方はウチナンチュなら誰しもが拍手を惜しまないでしょう。 でも、沖縄の人でなくても、きっと何かが共感できる、映画です。 「太陽の運命」ほかの方にも是非見ていただきたいものです。 水耕栽培器の裏側にも、日光があたるようにしようとして、パッションを切りすぎてしまいました。 今の木漏れ日風な日当たりで、ランが日焼けを起こしているのに、もうちょい もうちょいと刈っている間に、丸ハゲになってしまい、栽培器にもろに直射光が当たってしまいました。 「わー、コレやばい」 と 思いましたが、後の祭りです。2時間弱の直射光がどんな災いを及ぼすか・・・・・・。 <刈りすぎて> <えっ、パッションこんなに切ったけ> <直射光もろ当たりで、きっと萎れる・・・・・!!> どうしましょう、失敗してしまいました・・・・・・・・・・・ 明日はどうなる野菜たちの運命・・・・・ とりあえず昨日のね・・・ご飯の事・・・ お昼はエノキカリカリでした・・・・・ 材料 エノキダケ 100g 片栗粉 大さじ5くらい ※ エノキダケに、片栗粉をまぶして、フライパンに油を少々引いて、 エノキダケを並べてカリカリになるまで焼く (私、おせんべいくらいにカリカリに焼きました) タレは醤油大さじ2、酒大さじ1 おろしショウガ少し。 (生姜がなくて、昨日の豚バラ巻きのタレで食べました。) 補足するとスープは作り置きしていたファイトケミカル野菜スープ、前日余った卵焼きのサラダ、納豆はあまり好きじゃないけど、納豆。おかゆは50g分のご飯の2分の1(50gのご飯でおかゆ2食分あり)。 簡単で美味しかったんです、こんなに簡単にできるのに美味しいエノキダケって何者?て感じですけど、明日の水耕野菜の日当たりが気になって頭から離れない・・・・・
2025.09.28
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9月27日(土) 旧暦8月6日 六曜は「先勝」 気ままに流れに乗ってと言っても、相変わらず疲れ感が抜けず、年齢を感じてしまいますねえ。 ほんとは、もう少し家の中でじっとしていたいのですが、今日は同級生の模合があり、何十回目かの1クール(1クールほぼ1年)が先月終了、今日から新しいスタート月になりますので、お出かけの予定です。 何十回目かって、多分34~35回くらい軽く超えているかも。 中学卒業から、いったんはみな離れ離れになり、島にずっといた同級生、Uターンの同級生、島に移住した同じ年の人たち(皆含めて同級生扱いです、学校が違っても同級生と言いますから)。多分天国にいく最後まで付き合う同級生たちです、何人も送りましたしね・・・。 毎月27日を自分たちの日(昭和27年生まれ)と決め、飽きもせず毎月毎月もう400回以上集まっているのです。 この仲間意識、すごいと思います。 グランドゴルフやパークゴルフに講じ、時にバーベキュー、時に旅行、時にカラオケと楽しみを共有しています。 私も今日は、みんなからエネルギーをもらうつもりで出かけます。 昨日は、エノキダケの肉巻きを作りました。 7本作りましたから 材料は エノキダケ 100g 豚バラ肉 7枚 ※ 豚バラでエノキダケを巻くだけ、 レンジで3分チンして7本作りました。 レシピではそこに「醤油大さじ2、ごま油小さじ2,酒小さじ1、 炒りゴマ小さじ2、小ネギ少々」等を混ぜてかけると書いて ありました。 それも作りましたけど、塩コショウしちゃったものですから、それらをかけなくても十分美味しかったです。残った2本はお夕飯の足しにしました。ご飯はおかゆにしてカサ増しです。 ちなみに27日の今日の体重は53キロ、1キロ戻って(減って)いました。 疲れも早く戻って欲しいのよ。 2階に持ってきたランは、植え替えがすべて終わっていましたが、パッションを刈り取った外廊下で、わずか1~2時間しか刺さない日光に、日焼けを起こしてしまいました。今日はパッションが繁茂している階段近くに、一時的に避難です。 ランと同じ場所に置いていたペペロミアもやけどです。 移動させていたのに、以前の日焼け跡が広がってしまった月下美人は、完全に葉っぱが枯れてしまいました。 <一時避難中> <やけどしちゃった> <こうなると終わりです> まったく殺人的直射光ですよ。 さあ、気まままなヤーグマイ(家ごもり)も、いつまでも出来る訳なし、今日は模合でエネルギーチャージをしてきます。 カイワレは、あらら不揃いな発芽になってしまいました。 <置き場所が気に入らなった?>
2025.09.27
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9月26日(金) 旧暦8月5日 六曜は「赤口」 東京の大学病院で、命をつなぐことができた娘と、いずれ一緒に住みたいと思い、島を出ることを考えていますが、幸いな事に娘は順調に回復中で、今は私の元主人が彼の家に引き取ってくれています。 私に少し時間ができました。 当然、未来の生活の事も考えなければいけなくて、頭の中はいろいろ試行錯誤していますが、自分が生まれ育った島を、ここにいる間に、少しでも外の方たちに伝えたいと思う気持ちもあったりしています。 それはもともと、このブログがそのニュアンスを持たせたスタートだったからですが、結構人生が脇道にそれたりした結果、私とお店、私と農園、私と近況と言う具合に、世界が狭まってきてしまいました。 沖縄・久米島の世界から何マイルも離れてしまいましたね。 自然だったり、植物の世界だったり、島の歴史だったりを、忘れてしまったのです。 近頃は、私の世界は半径500メートルよと冗談で言ったりしていましたが、ほんとにそうなってしまっています。 時間があるなら、少し巻き戻してもいいのかも・・・。体力が戻ったら考えたいことです🤔。 さて昨日の食事は、最初の日に作ってみた「エノキダケ丼」のごはん抜きにしました。簡単なので、時々手抜き用にいいかなと思いましたが、ばっちりです。焼きそばみたいに見えますね。 ご飯が極端に少なくなりました。何しろ1日の糖質は70g~130g(1食にすると23g~43g)が適当らしいので。 そもそも、ほかの食材に含まれている糖質の量が全く分からないので、ご飯を基準にしました。おにぎり1個に含まれている糖質が約40gだそうです。ならばご飯で調整するしかないので、こうなりました。つまり私は「糖質疲労」の可能性があるかなと思っていますので、こうしています。 エノキダケ3日目~~~、先がちょっとばかし長いわ・・・。 1日に1個だけ何かをすると決めて、疲れてダラケそうな自分に活を入れています。 昨日、水耕栽培の下準備をしましたので、今日は残っていた苗を数個植えつけました。パイプの反対側は、水の流れが少ないので、スポンジを長くして水を受け止められるようにしています。 他にもペットボトルに土を入れて、苗を植えてしまいました。こっちは切り取ったペットボトルの胴体部分がもったいないので。 <スポンジで巻いて> <ペットボトルの口に逆にさして> <パイプにさす> <ボトルの口だけ取った胴体部分は鉢代わりに> でも、ペットボトルの口が、あと8個足りないのですよ。まあゆっくり作ります。パイプの表側のサラダ菜たち、成長の差こそあれ今日も元気、カイワレの成長を待ってサラダに使います。 <9月26日の今日> 残る9月の1週間は「疲れ取り」をしながら気ままに流れに乗って過ごします。
2025.09.26
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9月25日(木) 旧暦8月4日 六曜は「大安」 腰痛は治らないし、疲れはひどく、食事の後は眠くて身体もダウンするので2時間ほど横になり、友人と会話するのも億劫で、着信もスルーしたりして、脳みそは絶対動きたくないと言っているのですが・・・ 正直「ここまで疲れるか」と自分でもびっくりしています。今は気力で補っています。 気力もね、なかなかのものですよ。身体のわがままを聞きながら、すきを見て脳の回路をいじって修復工作をしてますから。 まあ、こんな風に考えながら過ごしている、平和な1日です。体調が悪いと平和とは言えないかもしれませんけど、外と接しない今は、私にとってはとっても平和なんです。 でも、疲れは取りませんとね。 色々疲れの原因を調べたりして、今は「エノキダケ」をチョイスしていますが、根っこは糖質疲労かもしれません。症状が100パーセントピッタリでしたから。 今日は1週間分のエノキダケを「生協」で注文しました。 効力があるかどうかはまだ(?)ですが「溺れる者 藁をもつかむ」の心境です。 昨日は、1回で100gのエノキダケを取れるようにと、たっぷりの鍋風みそ汁を作りました。 材料 エノキダケ 100g しめじ 適当 島ドウフ 適当 サケ 2切れ ゆで卵 1個 カンダバー 適当 カンダバー:芋の葉っぱ 具だくさんの味噌仕立てです。 エノキダケさえ入れば、後は適当な具材ですが、でもキノコ類とサケとお味噌は絶妙な組み合わせと聞いたことがありましたので、あえてサケを加えて味噌仕立てにしました。 たくさん入っているように見えますが、1回で食べてしまいましたよ。それに極端な食事制限はしないことにしていますから、他にもかぼちゃの煮物とゴーヤーチャンプルーも食べました。糖質だけ少し制限します。 頃合いを見計らって、水耕栽培のパイプの裏側にも苗を増やそうと思い、今日はその準備をしました。裏側にも栽培口が付いているのですが、陽が当たらないのでやめていました。パッションを切ったので、こちらも行けるかもしれません。こういう好きな作業はモチベーションをあげるので、疲れ撃退の突破口になれると思い、無理してもやっています。 <スポンジとペットボトルが材料、切るだけが作業> 疲れ昼寝の後は、1階の片付けを30分。小間切れの作業でも一歩は前進。身体よ、気持ちについて来い。
2025.09.25
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9月24日(水) 旧暦8月3日 六曜は「仏滅」 今日はひ孫たちが静岡に帰るので、朝一で空港へ見送り。 今回は孫娘の婿の家に宿泊だったので、私はほとんどひ孫と遊ぶ時間がありませんでした。 滞在も4泊だけでしたし、その間、特に忙しい日程に重なりましたので、やむを得ませんでした。次に会う時はすっかり大きくなっているでしょう。でも、3歳のひ孫は、ちゃんとひいばあちゃんの事を覚えていてくれました。 朝、外廊下に出て一番に確認するのは、水耕栽培器の野菜たちですが、最近の成長はめざましく、どんどん大きくなってきました。 <直接太陽光が当たらない状況ながら、今日も成長しています> <パイプの裏側から見ても葉っぱが見えるほどに> やっぱり明日は、日当たりを邪魔するパッションをカットしましょう。 昨日のエノキダケハンバーグは、100gのエノキダケを6個に分配したため、1日分のエノキダケを摂取するには6個とも食べねばならず、結局、お昼・夕飯と食べても2個余ってしまいました。失敗失敗。 <残りの2個は今日のおやつ> 今日はカイワレダイコンの種まきをしながら、2~3日出来なかったランの植え替えにかかり、日常を取り戻してきました。いつもは1容器(1食分)づつ日にちをずらして撒くのですが、今回は多めの収穫が必要でしたので、3容器に一挙撒きです・ 農園に通っている頃は、無農薬・無肥料にこだわってきました。食品もできるだけ無添加と思い、ここ2年近く気を付けていました。 その結果、体重が自然に4~5キロほど落ちましたが、理想形体重が48キロとあって51キロを目指して、一度ダイエットをしました。 800gだったかしら、まあ1キロくらい目標に足りず、今は52キロがベストかなと思っています。 お家ではどんなに食べても、体重は動きませんでしたけど、外食の力って何というか「すごい」です。2週間で2キロ太りましたもの。 友達と行く外食は楽しいですし、美味しいですが、私は節約も含めて「お家カフェ」で楽しもうと思っています。諸々持病持ちの自分の身体の責任は、自分だし、それに今月の交際費が痛かった・・・。
2025.09.24
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9月23日 旧暦8月2日 六曜は「先負」 最近の疲れは、もしかしたら7月後半から崩した体調が、いまだに戻らないという事なのかもしれません。 疲れの感じ方が以前と全く異なるようになりました。 朝起きるときの第1声が「ああ、疲れた」ですから。 それでも、今日からしばらく「私事」だけですので、気持ち的には楽です。午後は1階に降りるとして、午前中は台所をやってしまおうと、気持ちも上向いてきました。 台所で朝食を作っていたら、窓側のごちゃごちゃが目に入ってしまったのです。台所は最後に手を入れる場所と決めていましたが、いろいろ雑事に追われて、段ボール箱工作をしただけでした。 収納棚のまったくない台所ですから、レンジを置く場所なども、自作で作っていましたが、かぶせた赤いタータンチェックの台カバーも、うるさい色に感じてきました。 朝食後はすべて取っ払って、工作に取りかかってしまいましたよ。こういう時に限って、疲れても身体がスッと動くのは、なんでなんでしょうね? <3段引き出しに板を渡した収納台> <収納台に箱をかぶせてレンジ台に> 本日は色塗りまでで終了。カバーを取って白ペンキを塗っただけですけど、こざっぱりはしました。今回もすべてタダで仕上げましたから、まあ良しとします。1階は変わらず不用品処理。集めて集めて袋詰め。午前午後とつなげると、やっぱり少しだけ疲れましたぁ。 <今度は隅が気になるなぁ・・・> 早く疲れを取ってしまいましょう。 「エノキダケ」せっかく見つけた疲労回復材ですから、少し続けながら体の調子を見ることにしました。エノキダケ主役の料理ってあまり見かけないので、今日からネット検索でエノキダケ料理に挑戦しています。 幸い冷蔵庫を見ると、材料がすべて揃っていましたので、さっそく今日は「エノキダケの「和風ハンバーグ」にしました。 毎日100gのエノキダケ摂取で、ほんとに私の重い疲れが取れるのかしら? <エノキダケ100g分のハンバーグ> 材料 鶏ひき肉 200g エノキダケ 100g 片栗粉 大さじ1 みそ 大さじ1 卵白 1個分 以上を混ぜてシソ葉でくるみ、焼き色が付いたら、 酒大さじ1杯をまわしかけて蓋をし弱火で少し焼く。 後は酒・醤油・みりん各大さじ1杯づつで味つけ。 私の「超疲れ」が回復したら本物です。今日からエノキダケ1日目と数え、経過を楽しみたいと思います。3日坊主ですが、身体のためなら1か月くらいは頑張らなくては・・・
2025.09.23
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9月22日(月) 旧暦8月1日 六曜は「友引」 ところで町の女性会の会長となると、いろんな委員会や、町の諸行事・県の女性会の会議や行事にひっぱりだされます。女性会の抱える行事も少なくありません。トドのつまり体力・気力勝負になります。 様々な会や行事を併せ持ちながら、「久米島ファンクラブ」と「お祭り」の使命を終えた私たちの若い会長は、さすがにホッとしたのか、お祭りのビールで酔ってしまいました。 打ち上げのカラオケ屋さんで、さんざん歌って踊って発散し、元気な姿を見せましたが、結局メンバーに送られて家路へ。 古参メンバーの役員さん達は、自分たちの中で一番若い彼女を会長に押し上げたので、責任上サポートを忘れません。色々な雑事も率先してやり、彼女に協力を惜しまないのです。 その形を変えた一つが「魔女会」とも言えます。 私は女性会に会費を払っている、ただの1個人の会員ですので、女性会の会議には出席しませんが、昔のよしみで、「魔女会」には参加しているので、女性会の活動には、ある程度協力するいう立ち位置でいます。 でも、最近は「魔女会」の動きというより、「女性会」の動きに引っ張られそうで、それにつられて外出も多くなってきました。 結局、昨日の使用会場の最終的な片付け、近しい方のお見送り、昼食はまた「片付け組」で外食と、今日まで外出・外食が続きました。 胃の中には、もうこれ以上「食べ物」は入りません。 今日でおしまい、今日で終わりと言いながら、なかなか外出が終わらず、疲れの上に疲れが重なります。 まいったぁ~、もう外出降参、外食も降参!!。 おうちの補修工作や片付けに戻して~。 9月のたった数回の外との関わりが、こんなに疲れるなんて、なんてお粗末な体力なんでしょう。 久米島祭りもやっと終わり、気持ち的には万歳という感じです。祭り会場がすぐそこという近さが、雑多な波動も運んでくるというか、疲れた身体にまで影響してくるような感じでした。 何もないただの1日のありがたさ、つくづく感じいる9月です。 そしてあの農園の頃が懐かしく感じるこの頃です。 <戻りたいなあ・・>
2025.09.22
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9月21日(日) 旧暦7月30日 六曜は「赤口」 昨夜は音に誘われて、やっぱり橋の上で「花火見物」をしてしまいました。 今夜も多分花火は見る事でしょう。 今日は、久米島ファンクラブ15周年記念の懇親会とあって、朝10時からお出かけとなりました。久米島ファンクラブとは、その名の通り、久米島を大好きな島外の人たちに、会員登録してもらっている会です。今年で16年目に入ります。 16年前婦人会(現女性会)で作り、携わってきましたが、私的には今は引退しています。 女性会の手作りのもてなしは、幕開けのカギヤデ風から始まり、さすがアッ子会長率いる女性軍団、なかなか乙なものでした。 <町長乾杯の音頭> <モズク・アーサ・刺身・パパイヤしりーしりー・ジューシー> 一応、まだ食卓に来ないサーターアンダーギーは、デザートにして、大体が自然食でした。今日はまた女性会、お祭りで盆踊りも披露するとあって、このバイタリティーには感服ものです。 私はこれでやっと、行事から解放、昨日から孫婿の家に帰省しているひ孫と遊べそうです。24日には帰る予定なので、もう日がありません。 夕方から、水耕栽培をチェック。数日のうちに大きくなりました。が、いかんせん今の場所はパッションに邪魔され陽が入らず、ひょろひょろとなりました。 <少しひょろひょろ気味> <原因は横のパッション、陽の入るのを邪魔しています> 切るべきか、切るべきだろうなと思いながら、ここを切ると完全にハゲてしまう外廊下の景観に、ちょっとばかり考え込んでしまいます。 今日もすでにお祭りは始まっています。 出るのも疲れるなぁ・・・・
2025.09.21
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9月20日(土) 旧暦7月29日 六曜は「大安」 昨日出かける用事が入り、出かけたのが少し悪かったのか、今朝腰痛のぶり返し。 今日は、夕方「孫婿とひ孫」が帰省するので、ちょっと用心することにし、今日の用事をすべてキャンセルしました。 今月、用事のための外食が多くて、食生活が大いに乱れていました。2週間で2キロ体重が増え、なぜだか極端に甘いものが食べたくなったりします。自分でお菓子を買うことは、まずない事でしたが、昨日はとうとうお菓子を買ってしまいました。 疲れやすく、歩くのに重心が取れない感じもします。 しかも、お昼を過ぎるとなぜだかすごく眠くなり、ソファで2時間ぐらい寝てしまうことが続いていました。眠くて身体が重くて疲れて立っているのが辛くなり、ソファに倒れこむのです。 食事の乱れが原因かと想い、しばらく前から注意をしているのですが、身体をコントロールする事がなかなかできなくて、昨日はとうとうお菓子を買ってしまったのです。 困った事です。せっかく飼いならしてきた身体が一挙に反発してしまった感じです。 とりあえず、昨日で最後の外食と思い、今日から外食するのをやめました。 外食でも加工されていない自然な食材を作ったものだけを食べることにしました。身体の乱れがかなり大きいと感じているからです。 今日はお昼もエノキ丼だけにしました。エノキダケは身体を整えてくれるそうなんです。 材料 玉ねぎ 半分 エノキダケ 半分 お醤油 大さじ2 酒 大さじ2 水 大さじ3 卵黄 1個 ゴマ油 少々 玉ねぎを透き通るまで炒めてからエノキダケを加えて炒め、お醤油大さじ2、酒大さじ2、水大さじ3を加えてしあげ、卵黄とごま油を適量垂らす。(玉ねぎを先に透き通るまで炒めるのがコツだそうです) 簡単なので作ってみましたが、エノキダケの効能を調べたら素晴らしくて、ビタミンB1の含有量はキノコ類ではトップクラスで、疲労回復効果に優れ、ビタミンB2、肌荒れ、口内炎の緩和に役立つナイアシンが多く含まれ、カリウム・マグネシウム・リン・鉄・亜鉛・銅はシイタケより多く含まれている、1日100gを目安に毎日食べると、便秘の解消・ダイエット効果もあり・・・と書かれていました。 わっ!! 試さない手はありません。 ちょうど食事を戻さなければと考えていましたから、エノキダケは強い味方になりそうです。 カタブイ雨の中、16時頃、久米島祭り開始の花火が上がりました。チビチビは音に驚いて隠れてしまい、会場の公園はこれから人・人・人であふれてきます。 ペットボトルの土の中で眠っていた野菜の種子も芽を出し、満杯状態。 <窮屈だよ~>
2025.09.20
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9月19日(金) 旧暦7月28日 六曜は「仏滅」 昔はね。スケール持ってノコギリ持ってカナヅチ持って、いろいろしましたけど、今は体力的に無理があり、1メートルのモノサシとハサミとペンキと紙に変わってしまいました。 ほんとに工作です。 雨漏りやひび割れの補修は別として、あまり家にお金をかけられませんので、楽しみ程度の工作補修をしているわけです。 たった70坪の家屋敷ですが、私には広すぎて手が回りません。 庭は相変わらずうっそうとし、これでも先日草木を伐採し、さっぱりさせたところなんですけど。 <ため息をつきながら通る庭> ジャングル様の庭はさておき、腰の痛みも引いたので、店舗の整理を始めました。2袋くらいの処分品を集めましたが、腰痛が心配でしたので、今日のゴミ捨ては断念しました。 明日から「久米島祭り」開催とあって、周りが騒がしくなってきました。出不精の私はここ数年、数年どころか、もしかして10年くらいまともにお祭りに行っていません。 祭りばやしの音は、とても心が騒ぎますが、人混みが苦手なのです。 花火も音が鳴ると、つい誘われて3軒先の橋上まで出てしまいますけどね。 祭り前日、静かに明日を待つ「ふれあい公園」。 明日の夜は、こんなに人がいた?と思うくらい人があふれます。
2025.09.19
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9月18日(木) 旧暦7月27日 六曜は「先負」 目が覚めると、残念ながら腰痛がひどく、左手がしびれて起きるのも億劫に、 「やばいなあ、腰痛始まりか、昨日重いものを動かしたっけ?」 確かに片付けはしたけど、そうか本の移動がまずかったかな、久しぶりにダンスも行ったし。 いつものことながら、腰痛は突然やってきます。 やむを得ず、今日は店舗の片付けを一時中止。 今日は休憩に切り替え、午前中ソファで横になり、午後腰を曲げながら(痛いので)上半身だけ動く仕事に変えました。 3時も過ぎると、腰も持ち直してきたので、台所のワゴンの「段ボール」を仕上げることにしました。 <段ボールのお化粧直し> 先日2個を仕上げていましたから、残りの2個を、あれこれ壁紙の残りを探して、工作しました。 お金を使わず、そこにあるもので仕上げるのがモットーです。婆ちゃん工作、ほんとは笑っちゃいますけどね。見えない裏側はつぎはぎだらけですから。 <ツギハギだよ> たとえ10センチの余り紙でも、もったいないですし、どうせ死ぬまでの道具ではないし、いつでも処分できるし、十分十分。 作っている間に腰痛もだいぶ落ち着きました。 ベランダで作ったグリーカーテン仕様の鉢は、カーテンになるまで長くかかるかと思いましたけど、「雲南百薬」が勝手に芽が出て成長してきました。 プランター置いたの確か先週の日曜日だったような気がしますが・・・にしても素晴らしい。 <真ん中だけは野生の小さなパッションを植えました> 結局今日は、何もできずに終わってしまいましたが、台所が一歩進んだだけでも良しとします どうせ毎日つぎはぎに近い行動していますしね。 でも、我が家のボロボロでバラバラなピースが揃って、住み心地の良い家に変身するのも、遠くないと信じてるんです♦。
2025.09.18
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9月17日(水) 旧暦7月26日 六曜「友引」 生姜がプランターの中で元気に育って、葉に触れると生姜の香りがかすかに香ってきます。もらった生姜のひとかけらをプランターに埋めたんですが、意外に育ちました。 こんなに育つなら、もう少し植えておけば良かったです。 裏庭にも2片ほど植えたのですが、日が当たらないので、全く育っていません。 <この島生姜の1片がこんなに育ちました> 2日間の商品放出セールは、無料商品の在庫減にはあまり効果はありませんでした。かってのコーヒー席は入れ替わり立ち替わりのお客様(?)でしたけど。 もちろんコーヒーは出しませんでしたよ。商品「すべて無料」の2日間だけの開店でしたから。 逆にドリンクやケーキの差し入れがあり、お刺身やお野菜の差し入れまでありました。いつもながら食運には感謝しています。 久しぶりのコーヒー席で花が咲くのは悪くはないですが、午前中に草木ごみを片付けましたので、スタートエンジンのつもりが、逆疲れしてしまいました。お客様のお相手は意外に体力がいるんです。 今日は、1日リサイクル店舗の片付け、でも午前中は、台所のワゴンの「見栄えの悪い段ボール箱」の手直しをする作業を。 10年くらい前に張り替えた壁紙の残りを、大工資材置き場で見つけてしまったのです。使えそうでしたので、さっそく遊んでみました。 <この段ボール箱、お化粧したら少し良くなるかしら?> <ん~ん、寸法が足りなくて同じ向きにはならなかった・・・> 2箱貼れましたけど、まあ、段ボールよりいっか!。 気が多くていつもあれこれ寄り道しますけど、1階はとにかくまずは「捨てる・捨てる」ですから、今のところ単純作業です。片っ端からゴミ箱に放り込みました。 店舗入口部分はだいぶ片付き、処分品は一旦中央テーブルに集めました。金曜日頃、一回目のゴミを処分場に持ち込む予定です。 <少しサッパリ> 途中お腹がすいて、頂いたパパイヤの食べごろが過ぎる前にと豚ソーキと煮込んで、パパイヤシリーシリーも作り、パパイヤ2個消費。お腹がすきすぎて大急ぎでかき込んでしまいました。 <お昼> おおざっぱで気の多いババ様の、今日の1日。わがチビチビは金魚のフンのごとついて回ります。
2025.09.17
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9月16日(火) 旧暦7月25日 六曜は「先勝」 朝、目覚めると、家中の窓を開け空気を入れ替えます。 そしてお仏壇を整えヒヌカンを整え、ベランダへ回り、小さな私の植物たちのご機嫌伺いです。 唐辛子は毎回少しづつしか実をつけないので(1本のみなので)、取りためるのに大変で、一味唐辛子を作るにもまだ先になりそう。 <今朝の収穫は11本でした> シソも好きですけど、この鉢だけでも1人で消費できません。最近やっと葉焼けを起こさなくなり、ホッとしています。陽が強すぎて、あちらへ移動こちらへ移動と引っ越しばかりでした。 <秋に向けて定位置がきまりました> もちろん、今日も1鉢だけランを植え替えし、水耕栽培器を眺めてニコニコでした。 実は9月に入ってから2キロも体重が増えてしまいました。食べ過ぎを懸念していましたが、体重だけは「行動」即「答え」になってしまいます。 これはあまりにニコニコはできませんね。しっかり食べて胃袋を落ち着かせておきます。 <家ご飯はたっぷり食べても変わらないのに?> 片付け前哨戦で、手を付けたのは裏庭です。 1階はあまりに大きいので、スタートエンジンをかけるため、裏庭で伐採して枯らしていた草木の袋詰め作業、3袋もできました。さあ、これで1階屋内スタートです。 <詰め込みすぎて重!> と言っている間に、今日はリサイクル、以前のコーヒーお客様たちが陣取ってしまい、時間中おしゃべりに花が咲き、時間を超えて話しこみ、片づけに手をかける暇がなく、続きは夜になりそうです。
2025.09.16
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9月15日(月) 旧暦7月24日 六曜は「赤口」 1日に1鉢づつ、ランの植え替えをしています。 以前は毎回咲いてくれた花たちが、近頃では一向に咲いてくれません。 2年近くもほったらかしでしたから、当たり前ですけど・・・ 私のお気に入りだった植物たちは、昨年友人たちに上げちゃいました。身軽にしておこうと思ってあげたのですが、ぎりぎりまで面倒を見ていても良かったかな、なんて今は思ったりしています。 <少しづつ植え替えして> 仕方ありません、あの時は心が急いていましたし。 新しい植物を入れる気はありませんが、今いる植物たちについては、やっぱりちゃんと手を入れておくことにしました。 やっと、リサイクル店舗の片付けに着手できそうです。 先週予定した無料商品放出セールは出来ずじまいで、今日は朝から準備をし、15~16日の両日何とか開催にこぎつけました。 <棚卸商品の処分市みたいなものです。> 結局、リサイクル店舗の片付けが、2か月も遅れてしまいました。 本来なら次のステップに進めるはずでしたが、いまだにモノがあふれる1階部分です。予定が多い9月中に片付けられそうになく、10月までずれ込みそうです。 今日から後は、予定を潜り抜けながら、一階に張り付いてでも、片付けにとっかかります。 この1階部分は、貸す予定で進めてきましたが、実はここには、後ろ側にもう一部屋あり、5年以上保管しなければならない書類と、個人的な書籍が置いてあります。この書類の移動場所を決めないと、片付けが難しく、悩みの種になっていました。そして、さらにその奥に大工資材を収めた小部屋があり、作りが複雑なんです。今それらは満杯状態で私の最大の悩みです。 <少し片づけた部分> <未整理な部分> <さらに奥の資材置き場> 過去の切れ端の板材を、結構ためこんであるので、何かを作ろうと思ったらできない事もないですが、少し歳を取り過ぎました。難儀ごとは、ほんとはもうやりたくありません。コレも一人で片付けようなんてよく思うなあ、です。 やっちゃいますけど。 しかし、1日に一鉢づつ手入れすれば、何とか持ち返しそうなランと違って、人工物が詰まったこれらの部屋には、さすがに良い手が浮かんできません。 片付けも問題ですが、どう活用すれば生かせるのか、これも大問題ですもの。 今日から毎日付き合っていれば、良い知恵が出てくるかしら?
2025.09.15
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9月14日(日) 旧暦7月23日 六曜は「大安」 昨日は、仲里方面で「イーフ夏祭り」があり、誘われましたが、夜の車の遠出は控えているので、近場からの誘いでカラオケへ。 実は、私の娘と同じ病気で奥様(エムちゃん)を亡くしたワイさんからの、お誘いもありました。 4歳先輩のワイさんはエムちゃんの事もあり、娘をとても気にかけてくれて、よく電話をくれていました。 6月以来、久しぶりのラインダンスメンバーも加わって、御馳走三昧をしてしまいました。 ダンス仲間が手作りしてきた料理に加え、ワイさんが大盛り皿の寿司を差し入れしたので、お腹が膨れるくらい食べてしまいましたよ。 カラオケ屋さんは、飲み物以外の持ち込み大歓迎、ダンスメンバーのお兄さんのお店とあって、メンバー御用達のお店になっています。 過去「歌謡コンサート」を2回ほど開催しています。 ※コンサートが残してくれたもの このダンスメンバーはとても素敵で、彼女たちは、それぞれ背負っている大きな重荷があるにも関わらず、みんな笑顔で、ダンスやカラオケを目いっぱい楽しんでいます。 大きな手術を経験してその後遺症をものとせず、 寝たきりのご主人を看病しながら、舅をかかえ、 本島との往復をし、現在もガン治療を続けながら、 離婚をしていてもたくましく生き抜いて、 死別でも人生に負けずと、 まったく偶然ですが、コアなメンバーは私を含め少なからず、人生の裏目も経験している人たちです。でもちっとも暗さを感じなくって、悲しい歌もはじけて歌っちゃうくらいです。 愚痴は笑い話に変え、そのくせ真面目に生きているメンバーなので、一緒にいて心地よいのです。 「魔女会」と共に私が大事に思うグループです。 今月はそれぞれの事情で、ダンスの練習はお休みが多く、その分昨夜は、みんな歌って食べて楽しんでグッドでした。 <ラインダンスでもこんな衣装はねえ・・・着ませんよ> 廊下では、水耕栽培の苗たちがかなり成長してきました。 <今日の苗> <9月7日頃の苗> 最も譲ってもらった研究所の苗は、立派な成長ぶりでしたから、今の我が家の苗は比べ物になりません。でも、今にきっと。 <うらやましい限りです>
2025.09.14
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9月13日(土) 旧暦7月22日 六曜は「仏滅」 コロナの後、左耳が聞こえづらくなり、困っていましたが、耳鼻科の先生は月2回しか来られません。予約を取ってずいぶん待った今日、やっと診察してもらう事ができました。離島の難点です。 自分の健康に自信がなければ、高齢になったら島外の方が良いかもしれません。 耳の結果は、意外にも聞こえない左耳より、聞こえる右耳のほうが悪いという事でした。 「??右耳大丈夫なんだけど・・・?」 とりあえずお薬もらって点鼻薬もらって様子見です。 2~3日外食が多かったので、家ではお盆に残った料理で食いつなぎ、ほとんど食事を作りませんでしたが、昨日から少しづつ台所にも立つようにしました。 <今日もいつものごとく適当料理で> ブルガリアヨーグルトのカイワレがかわいいじゃないですか?。毎度おなじみのカイワレです。1食分が次々伸びてくるので、育てるのも楽しいものです。 さて、もたもたしている間に9月も中旬 カレンダーを見ると、いろいろ予定が入っています。 自発的予定ではなく、外部からくる予定で後半がほぼ潰れています。 先月・今月は交際費が馬鹿になりませんでした。車の修理代や自宅の火災保険料の年払い、お盆行事や孫たちの帰省もあって、出費は膨大です。 「食いっぱぐれないけど、お金はたまらない」をずっと地で来てしまいましたけど、そろそろ返上しなくてはいけません。 フレーズが面白いので、いろんな時に話のネタに使ってきましたが、それがどうやらマインドに浸み込んでしまったようです。 今度は「お金がザクザク入るし、食いっぱぐれないよ」に変更です。 若い時分、毎日小銭を拾っていましたけど、あの運を育てて大きくしていけば良しです。 やっぱり歩かないとお金拾えませんから、歩いて健康、育ててザクザクなんて、「婆ちゃんライフ+α」 のキャッチフレーズができたかしら? それで「お金ザクザク入るし、食いっぱぐれない」新しい私への、昨日のプレゼントは・・・・ わぁ~お菓子でした。 遊びに来てくれた友達、食べきれないくらいのお菓子を持ち込んで、余ったやつを置いて行ったぁ! フルーツは別の友達から「贈られてきたお中元」のおすそ分けでした。 まあ、食いっぱぐれない事はいいことですけど。
2025.09.13
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9月12日(金) 旧暦7月21日 六曜は「先負」 先月末、娘が再入院となり、東京へ出かけようと思いましたが、コロナを患った私は、面会できないと聞き断念しました。 検査の結果は、特にATLの悪化ではなく、脳の中に小さな腫瘍が見つかったという事で、脳外科の診療も受けるようになったようです。 こちらは今後の経過を見ながらの対処になるのでしょう。 しかし、病気と言うのは、ほんとに油断ができません。安心を得るまではまだ遠い道のりです。 でも私の手助けはまだ先のようで、向こうのみんなにはお世話になりっぱなしです。 「今できる人が(できる事を)やればいいよ」と、元主人は言っておりましたが、私の今は、娘の言う「今はお母さんが健康でいて。家と猫をお願い。必要な時にちゃんと今後を相談しよう」の立場です。 どちらにしても、大きな病院のない島では「住む」ことは難しく、いずれ私たちは、この島を出ていかざるを得ません。 そのために農園を閉鎖し、店を貸し、少しづつその時の準備を始めましたが、その後を全く進めずにいます。「出るための準備を早くしなくては」と言う思いが先にたってしまい、あれも必要、これもしておかなければと、頭だけが走ってしまい、向こうの状況も考えず、独りよがりで地に着いていなかったのです。 私のひと月の休養は、自分の浅はかさを反省する良い機会になりました。 「婆ちゃん生活+α」で今度は何ができるか分かりませんが、無駄な計画は立てずに、いえいえ無理な計画は立てずに、自然体で時期を待ちたいと思います。 諸々神様にお預けして(最近よく神様ともご先祖様とも対話するようになりました、もちろん想像上ですよ)ゆっくりノンビリ生活の裏に隠していた不安と焦りも捨て、静かに秋を迎えようと思っています。 しばらく、散歩もウォーキングもする時間がありませんでしたので、今日から出かけるつもりです。「歩く」をスタートさせた時は日没7時5分頃でしたが、今日は6時42分になっていました。確実に秋がやってきています。 <食べ過ぎたお腹に気をつけて・・・> お昼を食べた後、ランのミズゴケを取り変えながら、ついでに古いプラスティック鉢に色を塗り、ヨボヨボのオリヅルランを植えてみた。 <ヨボヨボのオリヅルラン復活なるか>
2025.09.12
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9月11日(木) 旧暦7月20日 六曜は「友引」 昨日は雷までなってしまう突然の大雨。久米島は今カタブイが多いです。 最後の気がかりだった5人目の方のご焼香を終えることができました。 昨日、御遺骨となって戻ってきたオーさんです。空港までお迎えに行き、実家でご焼香させていただきました。その後の大雨でした。 先祖のお墓に入り、きっと安心したことでしょう。 夜は彼の友人数人と我が家で「忍ぶ会」を開き、遅くまで雑談しました。 ひと月以上も行方が分からず、生死不明だったオーさんを見つけてくれた彼女も、時間をぬって来てくれました。 77歳、自ら幕を引きましたが、あの気丈夫、悔いなく生きたと信じています。 この年齢だと、いつも死は近くにあります。大勢の友を送りましたからね。 ですけど、その都度ご霊前で言うんですよ、「向こうで会おうね、カフェしようよ」なんて。 同年代の他のみんなも、そんなことを思っているみたいです。 まあ、私たちは、私たちの人生を生きるしかありませんから、終わりが来るまで一歩一歩 歩き続けます。 昨日までの間に、お野菜がまた増えてしまい、食べるに苦労します。お盆の日から食べ続けの上に、魔女会の食事会、しばらくぶりに帰ってきた友達との会食、夕べを含め、1週間連ちゃんです。1キロも体重が増えてしまいました。困ったものです。 お盆ネガティブだった割に、お出かけ多すぎで、夕べはさすがにソファーに倒れこむように寝てしまいました。 我が家はと言うと、家のカイワレもシソも順調で、水耕栽培の苗たちも元気でうまくいきそうです。 ここ2日間で、3回目6花開花の月下美人が、また見れずにしぼみ、今日は食べられるのを待っています。 夕方は、日光消毒していた土を戻して、植え床を作る準備をしましたが、昨日の大雨で袋の中まで雨が浸み込んでしまいました。 日々静かに流れていきます。私の生活もそろそろ8月以前に戻す頃です。
2025.09.11
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9月9日(火) 旧暦7月18日 六曜は「赤口」 私は毎日小さな出来事を見つけては、幸せに変えていく事をしていますが、心の奥底には多分、不安も渦巻いています。 子供たちがそばにいない分、状況がよくわからない不安、何もできないはがゆさ、一人でいるとなぜだか苦しくなる心、時々そんな見えない思いにつぶされそうになることもあります。 ですが、もし仮に私が沈んでしまったら、家族はまた余計な心配事を抱え込む事になります。周りの友人たちは、私にどう接したら良いかわからなくなるでしょう。 私が普通でいるので、みんな声をかけてくれ、旅行や遊びや食事に誘い、腹を抱える笑い話もしてくれます。ありがたいですし、うれしいです。 娘の病気の発症がわかった時、世界が終わったような感覚に襲われました。 でも、二人の娘たちはとても強かったです。 妹は病気を受け入れ、克服することに専念しましたし、姉は看病のすべてを引き受けました。二人はたくさん経験しただろう苦しさや辛さを、一切私には話していません。 私は遠くにいて、何もできなかったのに、二人はこの1年をのり越えてくれました。ご先祖様の加護もあったかもしれませんが、彼女たちの力で回復までこぎつけてくれたのです。 移植から1年あまり、術後の娘は、体調が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しづつ回復へ向かっています。 時々ね、昔を思い出したりします。母や妹の時の事を。 何度も入院を繰り返す妹に、姉の私は、毎週島から出て(金曜日の仕事終了後、最終便に飛び乗り、月曜日の朝1便で島に戻り、仕事場に直行するという)本島への往復を繰り返していました。 母の入院の時は、最後の宣告をされ、日々弱っていく母を看なければならなかった思い、死に装束を整えようと背中に手を回すと、腰が床ずれで真っ赤でした。私も看護婦さんも、うかつにも気づかなかったのです。痛かったはずなのに訴えることもできなかった最後。 そんなきつい思いがまだ胸の奥にあって、どうしても一抹の不安を消し去ることができませんでした。 でも、今回しみじみと両親と向かい合い、私はすべての不安や苦しみを、お盆の火と共にあの世に送ろうと思ったのです。 今はあの時と時代が違うんだ、科学が奇跡を作れる時代なんだから。 負のスパイラルなんて言葉は存在しない!!、すべては終わったの カビヤンジーでね、たくさんのお金を燃やし、ついでに不安の心もすべて燃やし尽くしまた。 こんな山ほどのお金を燃やしたのは初めてで、燃えカスが部屋中に飛び散ってしまいました。 少し残っていた心のゴミを、きれいさっぱり捨て去りました。
2025.09.09
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9月8日(月) 旧暦7月17日 六曜は「大安」 「お盆に捨てた思い」 私の妹は、もう30年近くも透析をしています。 ヨーロッパ帰りの妹は、あちらで日本人の男性と知り合い、後に結婚しましたが、生活が不規則だったのかネフロ-ゼ症候群から腎臓を壊し、あっという間に透析になってしまいました。 身体と心を壊した妹は、腎移植を望み、献体移植ではいつになるかわからないから、家族から腎臓をもらいたいと言ってきました。相談とは言えず、悲痛な訴えでした。 私は両親と私と妹の4人家族でした。 私自身はすでに結婚し、娘たちも10代になっていました。 思えばこれが、すべての「負の始まり」だったかもしれません。 私と両親は、腎移植のための検査を受けることにし、彼女の入院先で検査を受けたのです。その結果、一番適合したのは私でした。 父は反対し、二人の娘の二人ともに傷をつけるのは耐えられないから、自分の腎臓を提供すると言い出しました。 私は私なりに覚悟をしていましたが、意外にもドクターは父を選んだのです。父はその時67歳。 ドクターの答えは、私と母は「ATL」と呼ばれる風土病の一種に感染しているので、提供はできないとの事だったのです。妹は感染していないという事でした。 その時初めて「ATL]と言う言葉を聞きました。 父は年齢が年齢ですので、やめることもできましたが、妹は引かず、父も最初から決めていたようで、手術はすると引かず、父の腎臓を移植することになりました。 父の腎臓は、4年間持ちましたが、妹は結局また透析に戻ってしまい、今に至っています。 私は妹夫婦の余りに強引な事の進め方に、最初いい気はしませんでしたが、父の死後、妹から「透析に戻ったけど、あの4年間は、透析から離れられて、好きなものも食べられて、とても幸せだった」と聞いた時、手術後、身体が弱った父の行為も無駄ではなかったんだと思いました。 最も妹夫婦は、その後も両親に迷惑のかけっぱなしでしたけどね。 妹は、今は自分の人生を受け入れて週3回の透析を、ゆっくり休息しに行く場所だと思っていると言ったりしています。ただ合併所をいろいろ引き起こし、あの手術この手術を繰り返し、辛い人生には違いありません。 中学校・高校はテニス少女で、美少女系で、大学を卒業した後はスペインに留学し、その後ヨーロッパを回って帰ってきました。私とは7つも年が違い、妹の将来は希望に満ちているはずでしたが、病気は妹の人生を大きく変えてしまいました。 「ATL」こそ逃れましたが、一生ついて回る透析が彼女の背負う十字架になってしまったのです。 でも病気に翻弄される人生は、妹だけに終わりませんでした。 その後、母はすぐに「成人T細胞白血病」、俗に「ATL」を発症し、病気は急速に進行、入院後3か月で旅立ってしまいました。奇しくもその日は私の誕生日で、私はその後20年間誕生日を祝うのをやめました。 「ATL」キャリアの5パーセントしか発症しないと言われる「成人T細胞白血病」当時は南に多い「風土病」と言われ、しかし死の病でした。 感染後のウイルスの潜伏期間は40年と長く、ゆえに「成人」との名称がつく所以でした。母の発症で初めてこの病の怖さを知った私は、すでに発症の射程距離内。 感染源は母乳でした。 恐ろしかったのは、二人の子を母乳で育てた私の子供たちの結果でした。 神様は時に無慈悲なことをするのです。 私は死んだ母を恨みましたよ。 どうしてこうなったのか、知っていれば母乳なんか飲ませなかった・・・。 でも、知らなかったんです、誰も。 母も私も、母乳の危険性など、当時は誰も言ってはいませんでした。 私は子供たちに「ATL」キャリアと言う重荷を背負わせてしまいました。 私に一生ついて回るのは、申し訳なさと口惜しさと無念さです。「ATL」など2度と口にしたくない言葉でした。 当時娘たちは20歳そこそこ、一緒に看病しましたから、病の一部始終を知ることになりました。彼女たちは恐らくひそかに心に刻み込んだと思います。 あれから25年余、「ATL」は私をスルーして娘を発症させたのです。
2025.09.08
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9月7日(日) 旧暦7月16日 六曜は「仏滅」 「ひとりお盆」も終了し、今日はお盆用具も片付けて、少しほっとしました。 昨日は夜のウークイ以外、1日ひまめでしたから外廊下の整理をしていました。お盆のため、1階の玄関付近を掃除しましたから、通路に置いてあった植物、特にラン類を7鉢ほど2階に移しました。 2年近く手入れしていなかったので、退化してしまいました。 ついでに水耕栽培器もチェックしたら動きそうでしたので、さっそく場所を移して使う準備をしたのです。 今日は朝から、ベビーリーフ用の小さな苗を、水の通りそうな栽培穴に差し込みながら、栽培器を試運転してみました。縦型栽培器なので水が上まで上がらないと、使えないのです。 水は何とか上がりましたが、ただ問題は、この苗たちはベビーリーフで食べようと思い、土で栽培していた苗ですので、水に適応するか心配です、環境の変化についていけないかもしれません。 ランもね、形が崩れ肥料不足で植え替えが必要です。 さぼるからだニャ 気がつけば、日差しがね、柔らかくなっていました。 日の入り方も少しづつ変化してきています。 一番暑かった東側の部屋も、夕方になると涼しい風が入ってくるようになっています。 元の私の部屋でしたが、昨年から暑さに負けて、クーラーのある反対側の部屋に引っ越しし、ここは家の修理で工作するときに使っていました。 9月はひ孫たちが帰省するため、部屋に戻ることにしていたので、この暑さの和らぎは嬉しい事です。 何しろクーラーの効く部屋は、今私が寝泊まりしている部屋しかないので、ひ孫をアセモだらけにはできません。 元の私の部屋は、改装の対象にしていて、実は畳もすべて取り払った状態です。 ほんとは畳を入れなおすかフローリングにするか、来年の暑さを考えるとクーラーの設置もしないと住むことができません。 まあ、今は資金も乏しいし、先も見えないし、工夫で乗り切るしかありません。 ベランダで苗を水に移す作業をしていたので、思いついてベランダに面した私の元の部屋に、少し外から工夫を加えることにしました。 パッションを刈り取って、グリーンカーテンの効果を実感しましたので、部屋の外側に大きいプランターを利用して網を張ってみたのです(半窓分だけですけど)。 <網をはってみた> この部屋、道向かいの2階と向かい合わせなので、お互い気を使って、あちらさんも完全目隠しです。私は結構開けたりするのですが、正直、日よけによしずが欲しいところでした(値段が高いのよ)。 「雲南百薬」を植えれば食料にもなるし、材料タダだし、目隠しできれば一石三鳥と考えたんですが・・・ 果たして実力を発揮するのは「いつになる?」が、問題でした。 今日も室温34度、暑うございました。
2025.09.07
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2025年9月6日(土) 旧暦7月15日 六曜は「先負」 旧15日 火の神御願日、 旧盆ウークイ 静かなウークイ日を迎えています。晴れ模様の天気の合間に、時々ティーダアミ(太陽は出てるけど降ったりする雨)が降ったりしていました。 昨日であいさつ回りも終え、今日は来客の予定もなかったので、1日ゆっくりできました。 ご先祖様をウークイをするのは、夜9時頃の予定です。 一緒に迎えた猫達も、かっての我が家で遊んでいます。我が家の過去の猫たち5匹、そして虫の息で捨てられて、我が家の庭で死んでしまった名無しの「名無子(ななこ)」ちゃんの6匹です。 チビチビは、そのうちの3匹と顔みしりです。ただ今日は、新しい寝場所を見つけたようで、日がな1日、内階段の踊り場で寝てましたけどね。 <おーい、そこ涼しいの?> 娘がいたころは、曲がりなりにも手作りした料理も、昨年はオードブルの注文に、今年は簡単なあり合わせに変わってしまいました。 でも許されよ、ご先祖様。お盆最後の晩餐、半分家庭料理がいいじゃないですか。一緒に頂きましょう。一応、三枚肉と昆布と豆腐は作ったし、カニステルのかんてんも、好きなジーマーミードウフもあるよ。 <お別れのお夕飯> <でもこれ、結局私のお腹にはいるの・・・> <いつもはこれで> カビヤンジー(あの世のお金を持たせるために燃やす)の準備をし、帰る支度は万端です。 時間が来るまでコーヒーを飲みながら、父にはコークハイ、母にはアイスカフェオレを入れ、会話はなくとも、なぜだか言いたいことが伝わってくる・・・ 「大丈夫、ちゃんと見守っているから。たまには妹も気遣ってな」 島に帰れない私の妹の事も頭に浮かばせて来ます。 年に2回、あの世とこの世を往来する祖霊との見えないつながり。若い頃は何にも感じなかったのに、70過ぎると不思議に感慨深いものです。 いつも御仏壇で対面、時々一方的会話はしているんですけどね。 お仏壇はパソコンの画面みたいなもので、つまりテレビ電話感覚?、テーブルを挟んでテレパシー会話なんか普通はしません。 なんにせよ、来年この家に来るまで、家族の健康を守ってください。それが切なる願いです。 ご先祖様たちはお部屋を見たり(多分)、ベランダで星を眺めたり(多分)、猫達とくつろぎながら(多分)、帰りの時間を待っています(多分)。
2025.09.06
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9月5日(金) 旧暦7月14日 労苦世や「友引」 お盆ナカビ(中の日) ナカヌヒの今日は、いくつかの集落で「エイサー」が行われます。 私はいつも近くまでミチジュネーをしてくる鳥島集落の「七御嶽エイサー」を見学しています。 太鼓の音が聞こえると、つい走り出してしまうのです。 でも今日は、親戚周りも終わり、後は明日のウークイ(送り火を焚いてお送り)待つだけですから、ご先祖様とゆっくり過ごすことにし、家でおとなしくしておくことにしました。4軒もご挨拶周りをすると、意外に疲れるものです。 さて、台所の片づけ頑張っていますから、食事も前より丁寧にと、 前にもらったゴーヤーの漬物(ちょっと失敗)、もらったモーウイは天然塩で塩もみ、人参シリシリー、もらったトウモロコシをチンしたらすごく甘く、後は雑穀ご飯に切れ端の豚肉で作ったトン汁と、ご先祖様と頂いた今日の昼食。美味しかったです。 皆さんに頂きました食材でゴザイマス。感謝を込めていつも掲載しています。 <モーウイ1本消費!> <トウモロコシは糖度抜群> まだ残った食材はお夕飯に使います。 <丁寧に処理してくれてたナンクヮ> <ウンチェーバーは最後の一束> <グワバはおやつ代わりにパクパク> ひとりお盆でも、食事が美味しいと心も満ちてきます。 そういえば昨年は一生懸命ケーキを「炊いて」いましたよ。炊飯器で。
2025.09.05
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9月4日(木) 旧暦7月13日 六曜は「先勝」 <在りし日、父 先祖に報告す> 今日は、ご先祖様お迎えの日なので、御仏壇に「ウンーケージューシー(お迎えの混ぜご飯)」を差し上げて朝が始まりました。 正式なやり方はご本家筋に譲り、我が家は分家の分家ほどの位置ですから、ざっくばらんに、自分のできる範囲でやっています。 私の両親は、昔時代で言うと進歩的で、古い慣習をよしとせず、家で仏壇事をしたことがありませんでしたから、私も実はほとんど分かりません。正直、我が家に仏壇が備わってから、見様見真似でやっている次第です。 最近はお供えものも商戦に踊らされているし、この時期のフルーツやお菓子は、とても割高です。それに近頃は料理もオードブル仕様が多くなってきました。 時代の流れで、しきたりや習慣は薄れてきているのは残念ですが、一人お盆の私も冷蔵庫にあるもので、「自分が食べるもの+α」でお供えします。 皆さん帰省家族との家族団らんで忙しいので、私は比較的ゆっくり過ごせます。 という事で、我が家の小さなお仏壇を整えた後は、台所の片付けや玄関までの通路の清掃で過ごしました。ごあいさつ回りは明日しますけどね。 もともと仏壇のない家でしたが、一人っ子の母が母方の仏事を受け継いでしまい、タンス仕様の仏壇を買って入れたのが我が家の仏壇の始まりでした。 父は末っ子でしたので、父方の仏壇は長男筋が受け継ぎ、我が家の仏壇は、父方の親族はおらず、すべて母方の中に父が入っている形になっています。 今はコンパクトに半手作りで、おもちゃのようなお仏壇になってしまいましたけど。このくらいで十分です。 母が亡くなった時、父は新しくお墓を建て、母と母のお墓の一族も新しい墓に移し、我が家のお墓も始まりました。 ただ父の親族は、皆、他界したり島外に出てしまったため、残された大きなお墓と屋敷跡は、一番近い血筋である父と私にかかってしまいました。 父亡き後も「仏壇は母方」、お墓は「我が家」と「本家」とを私と娘で守ってきましたが、子供たちの勧めで我が家の墓は「墓じまい」をし、その後、本家のお墓も正当な持ち主である従兄が「墓じまい」をしてくれました。 残された屋敷跡は、私が畑に変え、今やむなく閉鎖中の農園です。 そして屋敷から2分も歩かない場所に「五枝の松」があり、その園内にあるウフガーの泉で、私の祖先「マキシチュラ」の物語が民話の中で語られることにもなるので、「五枝の松」はどうしても思いが入ってしまうのです。 「お盆」と「お墓」と「五枝の松」が、私の中では連想ゲームになってしまいます。 毎年「お盆」と「旧16日」の草刈りは年中行事でしたが、年齢とともにできなくなり、だんだん周りに木が茂りだし、ここ10年は草刈りを人様にお願いしていました。 <ご先祖様のお墓、草刈り終了のご報告、左隣のセメント作りが我が家のお墓> <左我が家、右本家> あの頃からすでに20年以上の月日が流れ、本家の墓の周りは森になってしまいました。何もなかった周囲に木が生い茂り、小道を抜けてお墓にたどり着くといった形になっていました。 草刈りをさぼりだした結果だったのですが、私的には、割と気に入った形になっていました。おかしなものです。 ですが、月日の流れる事をつくづく感じました。ハゲ坊主の丘が森になったのですから。 <私がいなくなれば、今度は山になるのかしら・・・> お盆になれば、湧き出るように思い出すお墓ごとの数々。
2025.09.04
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9月3日(水) 旧暦7月12日 六曜は「赤口」 昨日は、気がかりだった5家のお宅の4家までのお悔やみご焼香ができて、ほっとしました。 ここ数日の我が家はなぜか来客も多く、お店のコーヒー席が自宅に移った?と思われるほどです。そのたびに野菜の差し入れもあり、冷蔵庫はいっぱいになってしまいました。 8月で抑えられていたエネルギーが一挙に回りだした感じです。 「五枝の松」は返す返すも残念でしたが、聞けばクローンで再生を図っているとか。ならばぜひ「再生100年プログラム」をやってほしいです。松は成長が早いので50年で再生するかもしれません。でも私は見ることができませんけど。 明日から沖縄はお盆に入ります。お盆中は親戚や親しくしていただいている方の所を、ご挨拶して回ります。私は少ないですから4家ほど。昨年から「ひとりお盆」で、御馳走もたくさん作りません。 ですが、ご先祖様とは毎日向き合っていますから、許して下さるでしょう。 9月に入って「婆ちゃん生活+α」がスタートしましたが、この3日間の「α」ちょっと忙しすぎでした。お盆前で仕方ありませんけど。 とりあえず、(A)やり残した過去の整理をしつつ、(B)今日やるべき家事や用事をこなし、(C)明日のために何か一つやる というカッコいい事だけ決めて、後は自由に「婆ちゃん生活」をすることにしました。 とはいえ、どれがどっちはいるかなんて明確な区別はないので、何かやっていればどちらかに入るだろうと思っているだけです。 今日は台所をさっぱりと整理したいなと思ってやり始めましたよ。 まずキッチンのコンロ台を掃除して、コンロの下敷きを「赤」から優しい「緑」に変えました。 <赤から緑へ> システムキッチンなんてかっこいい台所仕様ではなく、昔ながらの台所ですから収納もごちゃごちゃで、我が家の整理の最後の難関でもあります。 食事もするリビングは「緑」をポイントにしているので、それを台所まで引っ張ろうと考えたのです。 これから忙しくなるのに、このコンロ台で、また余計なことを考え出してしまいました。でもねぇ、台所は「食」を扱い、健康をつかさどる重要スペースですし、「ヒヌカン(火の神)」様もいらっしゃる場所ですから、本来一番最初に綺麗にすべき場所だったんです。 物が多すぎて整理整頓の苦手な私は、一番最後にしてしまいました。 3日目の今日から始める、未来の更なる「健康を手に入れる」ための掃除と整理です、いわば未来投資だと思って、苦手な台所の整理にかかります。 ※雑記 火と水の相反するものが交わる台所の「赤い敷物」は、火の勢いを強めてしまうので、ほんとは良くないのです。 陰陽5行説を念頭に置くならば、5行「木・火・土・金・水」の「火」と「水」、そして食物を育む「土」、「金」の示す一種である「刃物」が台所に揃う訳ですから、足りない「木」を補うのに「木のまな板」が良いそうです。 私は「まな板」は木製を使っているので、「木の緑色」を少し足そうと思ったんですけど・・・。 昔昔かじった風水を、今頃思い出しながら、まあこういう調整の方法もいいかなと思うこの頃です、
2025.09.03
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9月2日(火) 旧暦7月11日 六曜は「大安」 昨夜は、なかなか寝付かれず、浅い眠りの中で父と遊んだ五枝の松が出てきました。祖母が住む久間地の集落に行くと、帰りは必ず五枝の松で遊んでくれました。父の実家はすぐそばなのです。今は私が農園にし、閉鎖している状態ですけど。農園にも「おいでおいで~」なんて呼ばれてしまい、すっきりしない朝の目覚めになってしまいました。 夜になると雨が降り、昼はカラッと晴れてしまうこのお天気に、農園も草だらけの姿で。 日常に戻ると、川沿いのアカバナー(ハイビスカス)は毎日いっぱいの花を咲かせ、土のない我が家のベランダの月下美人は日焼けでしんどそうです。 <炎天下、1日花なのに次々と咲く> <月下は、あまりの暑さに重症日焼け> 月下美人は移動して休養中。照り返しの強いベランダは虫も歩きません。 そんな中、珍しく若いジョロウグモが歩いていたのです。 例年この時期になると、成長したジョロウグモは、クマゼミさえも網にかけます。蝶々やカナブンなんて当たり前。かっての農園は蜘蛛さん達のオンパレードでした。 <かっての農園オンパレード時代> <あれ?後ろ足が1本足りない?> この若いジョロウグモ、どうやらトラブルがあったようです。普通ベランダなんかにジョロウグモなんていませんから、空から落ちてきたのかもしれません。ああもちろん、鳥かなんかにくわえられてという意味ですが。 かわいそうでしたので、ジョロウグモを裏庭に放してあげたんですが、そういえばと、昔友人からもらった1枚の写真を思い出したのです。多分もう10年以上前の事ですけどね。 蜘蛛が捕まえた獲物にしては、とても珍しいものでした。 <ヘビを捕まえたジョロウグモ> ヘビの種類はわかりませんが、蜘蛛も驚いたでしょう。こんな獲物めったにかかりませんから。 私は蜘蛛も好きで、結構写真を撮りためましたが、さすがにこういう光景にはお目にかかった事がありません。 時折り、蜘蛛の糸にかかるヘビもいるようです、が、どうやったらこうなるんでしょう? ヘビが蜘蛛に食われるなんて・・・・ 弱肉強食の世界に生きるものは、ほんの少しの油断もできないようです。 幸い私は人間世界の弱者ですが、みんなに助けられて生きています。 人間に生まれた事に感謝です。
2025.09.02
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長月9月1日(月) 旧暦7月10日 六曜は「仏滅」 午前中、「お役場参り」と言いますか。 なんでも久米・那覇間の高速艇(11月就航予定)が就航すれば島民の離島割引がなくなると、新聞を発端とした噂が流れ、就航反対の声が聞かれるようになりました。 久米島町女性会が、役場に対して説明要求の嘆願書を出したところ、女性会への説明会があるとの事で、参加できる人は役場に集合という事でした。 私は女性会の会員ではありますが、ほとんど会活動に参加しない隠れ会員みたいなものです。 ですが我が会長さんには、コロナでずいぶんお世話になりましたし、「魔女会」へも連絡がありましたから、御恩返しはね、しなくてはいけません。 それに、役場にも用事がありましたから参加させてもらいました。 発端の新聞を見てないので、よく分かりませんが、「高速船が走れば、国からの補助金が出なくなるよ、よって離島割が利かなくなるか、便数を減らされるよ」と言う懸念が巷に広まったのです。 一企業がこんな危ないことを始めるのに、町は黙ってみているのか、この運航会社に対して何ら話し合いはしていないのか等々が役場への疑問でした。 補助金の問題と離島割はお金の出所が違うので、別問題ですが、これが一緒くたになって混乱が生じたのです。新聞ももう少し親切に解説してくれると、こんな誤解は生じなかったかもしれません。 役場の説明は簡潔で理解できました。 結局、まだ何も決まっていないので、「離島割」も「減便」も何も決まっていないという事なのです。今後の動向を見た方が良いですね。 にしても町女性会、よく動きます。今後は島に「女性会あり」の旗じるしが上がるかも。 ただ別所では、 1か月半ぶりに訪ねた「五枝の松」。 しかし「五枝の松」すでにこの状態。おそらく倒木になるでしょう。哀しくて情けなくて、しばし動けずにいました。「事故があってからじゃないと動かない」と揶揄する結果が出ていました。でも犠牲になるものは二度と戻らないのです。 これが、対応頑張ったという結果でした。誰も責められませんが、松くい虫を責めましょうか?せめて「倒木」の際は発表してほしい、そして町長含め関係者も立ち会ってほしいと思います。 枯れても見事なままの雄姿を見せてくれる「五枝の松」、その姿をなんと表現してよいやら!
2025.09.01
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