故郷のくらじろう

故郷のくらじろう

【古戦場&城跡】

天守台
遠州二俣城址(平成17年盛夏)

二俣城55A
遠州二俣城址(昭和55年秋)

このころはいつも愛用のNikomatFTN片手に城巡りする高校生でした(^^)
中学時代は父親から借りたオリンパスPENがフル稼働していました。

  • 遠江の城館巡り1

    ↑未整理状態で、コメント等はまだ入っていません。申しわけありません。


    浜松城址 (静岡県浜松市元城町)
    浜松城

    三方ケ原古戦場

    元亀三年(1572年)、武田信玄(52歳)は上洛に向けて西進を続けていました。当時浜松城にあった徳川家康(31歳)は織田の援軍とともに、夕刻三方ケ原(現在の浜松市内)台地で武田軍と衝突し、大敗しました。

    犀ケ崖古戦場碑
    (三方ケ原古戦場犀ケ崖の碑)
    浜松城の北方1kmにある深さ40mほどの崖です。徳川軍の夜襲のため、武田軍の中に転落するなどして多数の死者が出たという話が残っています。碑は犀ケ崖公園の西方にあります。

    夏目碑
    (夏目次郎佐衛門吉信の碑)
    死を覚悟して敵中に飛び込もうとした家康を押し止め、身代わりになって戦死した夏目吉信の碑です。

    刑部城址 (静岡県浜松市細江町)
    刑部城風景
    刑部城看板

    信玄は三方ケ原の勝利の後、引き続き徳川方の野田城(愛知県新城市)攻略に向かうはずでしたが、年末から年明けまで刑部で越年しています。遠征により信玄は持病が悪化しており、進攻が遅れたと思われます。

    堀川城址 (静岡県浜松市細江町気賀字沖通り)

    堀川城址碑
    都田川の下流に位置し、周囲は田んぼが広がっています。近くには気賀関所跡があります。
    永禄十二年(1569)三月二十七日家康軍が今川方残党が篭る堀川城を攻め、戦死者は1000人。捕らえられた者700人が斬殺されたといわれます。気賀の街外れの信号機脇に昭和11年建立の「堀川城将士最期之地」と記した碑があります。

    井伊谷城址 (静岡県浜松市引佐町井伊谷字城山)
    井伊谷城址

    野地城址 (静岡県浜松市三ケ日町都筑野地)
    野地城址碑

    神明宮(野地城西曲輪)

    佐久城址 (静岡県浜松市三ケ日町都筑)
    佐久城址碑

    佐久城土橋・虎口

    野地城からの佐久城遠望

    志津城址 (静岡県浜松市村櫛町)
    志津古城址碑

    中之郷城跡 (静岡県浜名郡新居町中之郷)別称:清源城、松田城

    中之郷城遠望
    中之郷城跡遠望(浜名湖自動車学校)
    城ノ前遺跡説明
    城ノ前遺跡説明板
    駒止め櫻碑(清源院)
    城主松田修理ゆかりの駒止め桜碑(清源院山門脇)

    横須賀城址 (静岡県掛川市大須賀町)
    横須賀城址碑
    武田方の城である高天神城攻略の前線基地として家康が天正六年~八年にかけて大須賀康高に築城させた平山城です。康高以降、徳川時代九家20代の城主が交替しています。廃藩置県で建物は破却されてしまいました。天守台・本丸・北の丸・松尾山・空堀など遺構が良く残っています。近年案内板等もよく整備されています。

    横地城址 (静岡県菊川市東横地)

    藤丸館の跡横地氏一族の墓

    高根城址 (静岡県浜松市水窪町地頭方字久頭郷)
    本曲輪搦手登り口(高根城)2・3曲輪堀切

    若子城址 (静岡県浜松市佐久間町相月字向皆外)
    若子城址遠景二重堀切(大洞若子城)

    鶴ケ城址 (静岡県浜松市佐久間町浦川字川上)
    鶴ケ城遠景鶴ケ城横堀
    鶴ケ城帯曲輪

    久野城址 (静岡県袋井市鷲巣)
    久野城
    真田山(一宮)城址 (静岡県周智郡森町宮代)
    真田山城説明板

    飯田城址 (静岡県周智郡森町飯田)
    飯田城御前郭跡

    天方城址 (静岡県周智郡森町向天方)
    天方城空堀

    犬居城址 (静岡県浜松市春野町堀之内字鐘打山)
    ニの曲輪(犬居城)枡型虎口(犬居城)馬出しと三日月堀気田川天野氏居館址と鐘打山

    岡崎の城山 (静岡県袋井市岡崎字東光寺)
    岡崎の城山遠景(南方から)
    南側から望んだ城山遠景。正面参道を登ると二の曲輪に北八雲神社が鎮座しています。

    城山空堀
    二の曲輪側(右手)と主郭側(左手)の間に南北に伸びる空堀

    木原畷古戦場 (静岡県袋井市木原)
    木原畷古戦場

    中泉御殿表門

    中泉御殿表門〔磐田市見付・西光寺〕




    於義丸誕生の家 (静岡県浜松市雄踏町)
    中村家主屋
    重要文化財・中村家主屋
    中村家内部

    中村氏は源範頼の末裔といわれ、15世紀後半から現在地にて今川氏の代官として居を構え、浜名湖の軍船を支配した。徳川家康が遠江に入ると18代正吉が今切軍船兵糧奉行や代官として仕えた。家康が関東入りした際には、正吉は武士を捨て当地に残った。以降代々浜松城主と単独で拝謁できる高い格式をもった庄屋であった。平成13~15年主屋を解体修理のうえ、貞享5年(1688)当時の姿に復元した(於義丸の誕生御殿は既に消滅)。平成16年夏から一般公開されている。



    誕生御殿跡

    於義丸誕生の御殿跡




    天正二年(1574)2月8日徳川家康の側室お万の方が於義丸(家康の第二子,のちの結城秀康)を当屋敷で出産しました。



    胞衣塚

    於義丸胞衣塚





    〔関西方面の遠征記録〕
    真田山公園入り口
    大坂城の出丸・真田丸がおかれた真田山公園 (大阪市天王寺区真田山)JR・地下鉄玉造駅下車

    真田戦死地碑

    安居神社
    真田幸村戦死の地・安居神社 (大阪市天王寺区逢阪1)

    一心寺山門
    一心寺山門 (大阪市天王寺区逢阪2)JR天王寺駅下車
    南方には茶臼山があり、大坂冬の陣では一帯が家康の陣所となりました。

    摂津池田城
    池田城跡 (大阪府池田市城山町)

    船上城跡
    明石巽櫓
    船上城跡 (兵庫県明石市船上字古城)
       船上城本丸跡と移築された櫓(明石城巽櫓)

    御着城

    御着土塁
    御着城跡 (兵庫県姫路市御国野町御着)


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