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中村氏は源範頼の末裔といわれ、15世紀後半から現在地にて今川氏の代官として居を構え、浜名湖の軍船を支配した。徳川家康が遠江に入ると18代正吉が今切軍船兵糧奉行や代官として仕えた。家康が関東入りした際には、正吉は武士を捨て当地に残った。以降代々浜松城主と単独で拝謁できる高い格式をもった庄屋であった。平成13~15年主屋を解体修理のうえ、貞享5年(1688)当時の姿に復元した(於義丸の誕生御殿は既に消滅)。平成16年夏から一般公開されている。

於義丸誕生の御殿跡
天正二年(1574)2月8日徳川家康の側室お万の方が於義丸(家康の第二子,のちの結城秀康)を当屋敷で出産しました。

於義丸胞衣塚










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