故郷のくらじろう

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松平伊忠について

松平伊忠について


 長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍のうちで唯一城主格として戦死した松平伊忠(深溝城主)には中学時代から関心があり、愛知県額田郡幸田町にある菩提寺である本光寺や深溝城址に何度となく足を運んだことがありました。最近また訪ねてみました。
 伊忠の嫡子家忠は「家忠日記」の著者であり、関ケ原の戦いの直前、西軍に攻め立てられ鳥居元忠などととも伏見城で自刃しています。

 伊忠は 鳶ケ巣山 襲撃後に敗残兵を追って、寒狭川(岩代)を渡河し有海方面で追撃戦を展開。小山田備中の隊の猛攻に遭い戦死しました。享年39歳。戦死した土地は大海黒松峠という場所だったらしいですが、現在はよくわからないようです。記念碑が新城市有海字作神に建てられています。

戦死の地看板伊忠戦死の地碑

深溝城址
深溝城址(愛知県額田郡幸田町)

本光寺墓碑
深溝松平家菩提寺・本光寺の墓(幸田町)

(右から左へ 初代忠定、2代好景、3代伊忠、4代家忠の墓)

  • 幸田町の城館

    好景碑
    松平好景碑(西尾市下永良町鎮守)

    桶狭間の戦い以降、松平VS吉良の攻防が始まった。東条城の吉良義昭軍が中島城の嫡男・伊忠を攻撃したため、好景は深溝城から援軍としてかけつけたが、吉良の武将・室城主・富永伴五郎と黄金堤南で激戦。この鎧ケ淵の戦いに続く善明堤の戦い(永禄4年4月)で富永軍の追撃を受け、ついに戦死した。享年44歳。この碑には好景討ち死に至る経過が記されている。継植松碑とある。


  • 好景公について・・・「広報にしお」から


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