故郷のくらじろう

故郷のくらじろう

豊橋市・田原市の城館

  • 東三河の城館巡り5

    ↑ここは吉田城址を除く豊橋市・田原市内だけの城址・寺社・墓です。
    まだ未整理中ですが、とりあえずアルバムにいくつかの城跡や関連史跡の画像を入れ込んであります。(現在休止中です)

    吉田城址 (愛知県豊橋市今橋町)

    鉄櫓

    吉田城はもとは今橋城といい、牧野古白が永正二年(1505)に築き、今川氏・松平氏・戸田氏さらに武田氏もからんで争奪戦が繰り広げられました。現在の金柑丸付近が当初の本丸であるといわれています。

    鉄櫓
    鉄櫓3

    吉田城鉄櫓北御多門址から望む鉄櫓

    吉田城鉄櫓下石垣千貫櫓下二重石垣

    千貫櫓から辰巳櫓石垣を望む

    千貫櫓址から南御多門址石垣を望む

    辰巳櫓下内堀

    南御多門址南下石垣と辰巳櫓址方面に向かって広がる内堀


    辰巳櫓下腰巻石垣

    辰巳櫓址下の腰巻石垣


    入道櫓・金柑丸間空堀

    入道櫓址東下から南側に広がる空堀(左側は金柑丸址)


    三ノ丸土塁

    三の丸土塁


    徳川家康の関東移封にともなって、天正十八年(1590)酒井氏に代わって池田輝政が入城。15万2千石を領し、大規模な近世城郭として整備拡張しました。本丸を囲むように二の丸、三の丸を配する半輪郭式の縄張で、本丸北には腰曲輪を配し高い石垣を築き豊川を背水の陣にしています。石垣は主に本丸だけで土塁が中心でした。9つの櫓を配置していましたが、財政的な問題もあって天守閣のない未完成の城でした。宝永、嘉永、安政年間にたびたび起きた大地震で建物や石垣も崩壊し再建されなかったものも多かったようです。

    鬼門除け
    入道櫓跡下に見られる石垣

    現在は建物としては昭和29年に復興した鉄櫓があるのみですが、この櫓の下西側のみごとな野面積みの石垣は輝政時代のものであると言われています。

    吉田城碑鉄櫓石垣
    千貫櫓跡に建つ城址碑

    大手門
    大手門跡

    現在、城址周辺は公園や美術館になっていて市民の憩いの場になっています。

    腰掛け松
    徳川家康腰掛松跡碑

    牧野一族の塚
    対岸にある牧野一族の塚碑

    古白墓石
    龍拈寺墓地内にある牧野古白墓

    大崎城址(愛知県豊橋市大崎町)    2004/02

    船渡緑地から臨む大崎城址

    山本勘助出生伝承の地(愛知県豊橋市賀茂町)    2003/09・2006/08

    2006-08-21 23:45:562006-08-21 23:45:25

    本願寺

    勘介碑



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