きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

忘れ得ぬ恩師の指導

2006年4月27日 21:15:49
2005/11/17

忘れ得ぬ恩師の指導 1
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月21日付)

青年よ 「丈夫の心」
一生涯を勝利の歴史で飾れ

写真 正義ならば断じて勝て!――権力悪と戦い、創価の師弟が師子吼した大阪・中之島の中央公会堂

 忘れ得ぬ珠玉の指針をわが友に――若き日に池田名誉会長が記録帳に綴り残しておいたものなど、折々の恩師・戸田第2代会長の指導を紹介する。

 「私は青年に、丈夫の心を贈りたいのだ。一生涯を勝利の歴史で飾れ」

 「権威を恐れていては、民主主義が破壊される。
 それでは、犠牲になる民衆がかわいそうではないか。
 あくまでも主権在民である」

 「女性の嫉妬よりも、男性の嫉妬のほうが、もっと悪い。
 どれほどの善人が、歴史上、極悪製造業の悪党に陥れられたことか」

 「和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強情な仏法者である」

 「大闘争心が広布の大精神である。これがまた、学会の精神なのだ。
 日蓮大聖人から最大に賞賛され、大功徳を受ける資格のある人は、この大勇猛心の決意で進んだ人である」

 「幹部が自ら指揮し、幹部自らが自己を磨いていけば、会員は自然と育っていくのである」(昭和33年2月11日、最後の誕生日に)

 「訓練を受けた人間、苦労した人間しか、信用できない」

 「苦労しない人間に、いったい何ができるか。
 だから、なんでもやっておくことだよ」

 「悪党に騙されぬように、また悪党に撹乱されぬように、命懸けで監視の目を光らせていくことだ。そして、必ず追放していくことだ」

 「人間だれしも、絶望的になるときもある。
 しかし、それに耐え、乗り切ってしまえば、後になればなんでもないものだ。
 いわんや妙法を唱えている人は、長い人生の上から見れば、すべてが変毒為薬される。
 ゆえに何も心配しないで、信心強盛に生き抜け!」


忘れ得ぬ恩師の指導 2
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月23日付)

真心は必ず通じる
難が起こるのは真実の証明

写真 恩師の “戦う魂” を永遠に忘れるな! 戸田先生の青春の故郷・北海道の厚田村(現・石狩市厚田区)に広がる戸田記念墓地公園で

 「女性は一つの事を研究していけばよい。
 何かで博士になればよい。
 何かで一番になればよい」(女子部の 「華陽会」への指導)

 「強く、しかも、真心をもって説いたときに、相手は必ずわかるものである」

 「幹部がしっかりしなければだめだ」(逝去の前に)

 「悔いのない戦いとは、事前の作戦の優劣にかかってくる。
 これから将来にわたっての広宣流布の法戦も、いつもこの原理を忘れてはならない」

 「一芸に秀でた人、物事に通達した人とは、つきあっておきなさい。
 いざという大事なときに、思いがけないヒントをあたえてくれるものだ。
 一つの問題を解決するとき、だれのところへ行けばよいか、つかんでおけ」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「けさもご本尊に祈り切った。今晩もご本尊に祈るのだ。
 絶対に悪くなるはずはないと確信して、信心を続けなさい」

 「広宣流布の戦いというのは、どこまでも現実社会の格闘である。
 現実の社会に根を張れば張るほど、難は競い起こってくる。それ自体が仏法の真実の証明であり、避けることなど、断じてできない。
 どんな難が競い起ころうが、われわれは、戦う以外にないのだ」

 「僧侶として、少しも世の人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命の人間が現れたときに、その坊主等は、徒党をつくって迫害するであろう」

 「何事であれ、十年間、変わらずやり切った人間は信用できる」

 「自分の嫌な、また人の嫌がるところで、うんと働いてこそ、自分の大きな願いが叶えられるのである」


忘れ得ぬ恩師の指導 3
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月24日付)

信心の団結で進め
権力の腐敗に注意せよ

写真  「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途(みち)に」 。戸田第2代会長から若き名誉会長に贈られた御書。教学こそ勝利の宝剣!

 「折伏は、広宣流布を誓った人間の必須条件である」

 「政治の権力、宗教の権力の谷間に学会はある。
 これらが腐敗すると、両者から利用され、圧迫され、奴隷のごとく使われる恐れがある。
 重々、注意せよ!
 信心の団結で、代々の会長を守りながら前進していけ!」

 「御布施ばかりほしがる坊主は乞食坊主だ」

 「学会の幹部として戦う。
 人のため、法のため、平和のために働いている。
 これほど尊いことはないではないか。一番尊い社会的地位だ。
 それを卑下するような人間は、私の弟子ではない」

 「青年の実力とは、一人の人間として、どれだけの力があるのか、人に貢献しようという、どれだけの根性があるかだ」

 「女性は常に勇敢に働き切っていく生命力を持ちなさい。
 これがなくなると、封建制の中に閉じ込められてしまう
 若さは生命力より湧く」(女子部の「華陽会」への指導)

 「生命力が旺盛であれば、悩みだ、苦しみだ、貧乏だなどと、いろいろな愚癡をいう世界が、明るい楽しい世界に変わる」

 「 創価学会 の婦人部は、次の世代に、この偉大な仏法を伝えてゆくべき重大なる使命がある」

 「信心は、行き詰まりとの永遠の闘争である。
 魔と仏との闘争が信心だ。それが “仏法は勝負” ということである」

 「全世界にあって、いかなる指導も、成功者も、みな、悪口を言われ、叩かれてきたのだ。
 狂っていると言われ、仲間はずれにされたり、言うに言われぬ苦しみを味わいながら、それを乗り越えていった。
 その人が勝利者である」


忘れ得ぬ恩師の指導 4
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月27日付)

敵が自分を成長させる
長(リーダー)は皆と手を取り合っていけ

写真 正義ゆえに牧口先生、戸田先生がとられられた東京・豊島の地に、今、創価の宝城・東京戸田記念講堂が。頼もしき後継の青年を恩師が見守る

 「学校の優等生が、必ずしも社会の優等生ではない。
 日本の学校は、十点をすべてとらせる教育だ。
 社会では、平均点八十点よりも、一つでも九十点があった方がよい。
 一芸に秀でよ」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「折伏もしないで、折伏する信者にケチをつける坊主は、糞坊主だ」

 「どんな正しい行動も、民衆の支持がなければ成功しない」

 「素直で、明るく、頭が良くて、笑い声の美しい人が好ましい。
 笑い声は、その人の生命の状態をあらわすのだ。
 声によって、その人の性格がわかる」(女子部の「華陽会」への指導)

 「大聖人をいじめ抜いた、極悪の仏敵である平左衛門尉に対して、御書には “彼は自分にとって善智識だ” と仰せになっておられる。
 敵など、断じて恐れるな!
 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風にすぎない」

 「当社で、外交員といわず、なぜ、営業部員というのか。
 それは、外へ出れば、一人であっても、会社全体を代表しているからである。
 営業部員は個人ではない。
 会社の代表という責務に立たねばならない」(戸田先生の会社で働いていた時の指導)

 「一対一のひざ詰めの対話によって、広宣流布は成し遂げられる」

 「言うことを聞かないからとて、押さえるようなことが、長にあってはならない。
 仲間に溶け込んで、どうしようかと、手をつなぎ合っていくのがよいと思うが、どうか。
 学会は、組織は強いが、いばらせない」

 「頭は、肩の上にのっけておくだけが、能じゃないぞ。
 頭を使え、智慧を出せ!」


忘れ得ぬ恩師の指導 5
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月28日付)

わが目標の完遂を
仏にほめられる境涯に

写真 恩師と仰いだ高知城。今年は、若き名誉会長が戸田先生と高知を訪れて50年。人材の大城を!――四国の友は燃える

 「負ける喧嘩なら、はじめからするな」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「牧口先生が倒れても、先生の後、私は広宣流布に身命を捨てている。感心せずについてこなければだめだ。
 君らがついてこようと、こまいと、私はやっていく」

 「私は、学会の青年を軟弱にはしたくないのだ」

 「部隊長として支部の幹部、地区部長が、どのような生活をして、どんな活動をして頑張っているか、それがわからないで部隊長がつとまるか」

 「政治も、経済も、科学も、教育も、すべて人間の手に取り戻して、人類の幸福の糧としていくことだ。
 そこに、これからの 創価学会 が果たしていかねばならぬ使命がある。仏法の社会的行動がある」

 「幹部は、学会の興廃、双肩にありと先陣を切ってもらわなくてはならない」

 「顧みると、今年は遺憾がなかっただろうと思います。
 来年も同じく、自分たちの信仰のうえにたって、来年の目標を完遂して、たえず、凡夫にほめられるのではなくて、仏さまにほめられる境涯になろうではありませんか」(昭和31年、学会が50万世帯を達成した年末に)

 「宗教的な結びつきは、鉄のつながりである。これほど強いものはない」

 「大聖人の御生涯の戦いは、折伏という対話に徹して生命を触発し、人間の覚醒を促す 『精神の闘争』 『思想の闘争』 であられたではないか。
 牧口先生は、真実の大聖人の御精神を叫び、実践してこられた。
 民衆の中に入り、地道に座談会を重ね、一人一人の苦悩の解決に力を注がれた。
 それが学会の、誇り高き栄光の歴史なのである」


忘れ得ぬ恩師の指導 6
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月30日付)

日本に真実の楽土を
戦いは いよいよ これからだ

写真 戸田先生の平和の理念を受け継ぐ遺業を讃えて―― 「戸田記念平和学章」 の第1号がノーベル平和賞受賞者のロートブラット博士(左)に(2000年、沖縄研修道場で)

 「女性は若いうちは、皆、美しい。
 しかし、中年になって、生活に負けて、美しさを失ってしまう人が少なくない。
 男性に負けないで、共に前進していきなさい」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「勝った時に負ける原因をつくる。
 負けた時に勝つ原因をつくる」

 「逃げるから負けだというのは、日本人の思想だが、勝つために作戦として、引くことは大切だ。
 また、勝ち戦でも、引き上げどきが大切だ。
 深追いすると、勝っていても、負けることがある」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「何よりも大事なことは、大聖人の御遺命の広宣流布である。
 一日も遅らせてはならない」

 「これからは、皆さんが、世界に向かって、まことの信心の力を示す時である。
 よくよく心していきなさい。
 信心第一に励み、この日本に、真実の楽土を築いていってほしい」

 「当選したものが、民衆のために、国家のために、人類のために、いかに嵐を受けながら、奔走するかということなのだ。
 それを皆で見守っていきたい」(昭和31年の参院選支援の後で)

 「ストライキの話し合いは、まったく、へたくそだ。
 話し合いのコツは、刀を持って、抜くぞ、抜くぞという気配を見せながら、交渉することだ」( 「水滸会」 への指導)

 「学会において最前線が動いたならば、本部がピリッと感ずるようでなければならない」

 「大作、戦いは、いよいよ、これからだ!
 楽しく、また断固として、一緒に戦おうじゃないか!」

 「途中に何があろうが、最後に勝て!断じて勝て!最後に勝てば、全部、勝利なのだ」


忘れ得ぬ恩師の指導 7
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年10月31日付)

指導とは激励なり
信心の極意は 「折伏が嬉しくてたまらない」

写真 東京牧口記念庭園の 「あんずの丘」 。石川県の戸田先生の生家ゆかりの杏の花も。北陸には今、福徳と勝利の花が満開!

 「指導とは激励なり」

 「幹部は、折伏がうれしくてうれしくて、そこに生きがいを感ずるようになってほしい。
 信心の極地は、生きていること それ自体が楽しいのである。みんなも、早くそうならねばならぬ。
 折伏するのもあたりませ、そのような境地にくれば、信心の極意に達している」

 「素直な信心をしっかりして、御本尊から絶対に離れてはいけない。
 断じて退転するな!」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「私が体験した最も劣悪な政治は、太平洋戦争中の日本の政治である。
 仏法の慈悲の精神が王法に具現するならば、そのような劣悪な政治はなくなる。
 政治史において、われわれが尊敬をはらう政治は、その政治をとる人たちが、仏法を知ると知らずとにかかわらず、仏法の極意が王法に具現されたものにほかならない」

 「人間の心は恐ろしい。
 死の瞬間まで見届けなければ、その本人の心の底は見えないものだ」

 「水滸伝の中で、梁山泊の豪傑たちが寨(=とりで)に集まったのは、行くところがないからギリギリの線である。
 だから団結が強いのだ。
 外部との戦いがやむと、内に敵が出る」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「人を頼る心があれば、本当の戦いはできない。
 人を頼り、数を頼る。その心にこそ、敗北の要因があるものだ」

 「なすべき時に、なすべきことを、率先して、着々と、勇敢に、実践するのが、広布の途でなければならない」


忘れ得ぬ恩師の指導 8
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年11月2日付)

広布の役職を喜べ
目的を忘れれば堕落する

写真 戸田先生の名を冠した公園の通りが各国に誕生!バングラデシュの 「グラム・バンクラ・コミュニティスクール」 にも戸田城聖広場が。恩師の偉業を讃えて

「貴女方は、いつまでも若い情熱を持ち続けて、勉強し、情操をきわめていきなさい」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「この中の一人でも邪宗教にとらわれていったとしたら、ここにいる女子部全員を引き連れて、私は、敵陣へ乗り込み、取り戻してくる。
 助けられなくとも、共々に死んでも、私は助けに行く」(同)

 「大聖人は生涯、戦われたではないか。
 御書に 『仏教ともうすは勝負をさきとし』 と書いてあるではないか。
 だから、戦う以外にないではないか」

 「二代目は、頭がよくなくても、一代目の威信を守っていれば良い。
 三代目で偉いのが出るかどうかで決まる。
 したがって、三代目は、非常に難しいことになる。
 徳川は、三代目が良かったから続いた。また、三国志の孫権は、三代目として、内治派の英雄であったから、よく国がたもった。
 三代目の会長は、この中から出るのだ」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「幹部は、自分がありがたい職責にあることを喜んでこそ、組織の成果がある」

 「なぜ、堕落が始まり、腐敗していくのか。
 それは、広宣流布という史上の目的に生きることを忘れているからなのだ。
 この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう」

 「寿量品の自我偈には、 『方便現涅槃』 とあり、死は一つの方便であると説かれている。
 眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的から見れば、単なる方便である。
 しかし、眠らないと疲労は取れないし、はつらつたる働きもできないのである。
 そのように、人も年齢を重ねて、病気になったり、体の一部が破壊したりした場合、どうしても、死という方便において、若さを取り戻す以外にない」


忘れ得ぬ恩師の指導 9
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年11月4日付)

生命力強き人が幸福
未曾暫廃=仏は法戦を休まない

写真 東京・品川文化会館に立つ、戸田先生の 「法難頌徳(しょうとく)の碑(ひ)」 。この近くに師弟共戦の城 「時習学館」 があった。大東京は権力の魔性と戦い、勝利の旗を打ち立てる!

 「(御書講義に行く講師に)十ぺん以上、御文を読んでいけ。
 一生懸命に、いろいろなことを研究していけ。
 情熱をこめてやっていかなければ、本当の力は出てこない」

 「十人中、四番だった人が、百人でも四番目ならば、良いのだ。
 百人になったら四十番目になったのでは、ダメだよ。
 十人でも四番、百人でも四番、千人でも四番、そういう人が人物だ」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「(法華経の)寿量品に 『未曾暫廃(未だ曾て暫くも廃せず)』 との文がある。
 仏は、しばしばしも休むことなく、不幸な民衆を救っておられるということである。
 使命に生きぬく私も、頑張らなければならない」

 「恋愛の楽しみは天界だから低いのです。恋愛して、お互いの人格が向上するようでなければいけません」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「生命力が強ければ強いほど、人は幸福になりうる。
 最高唯一の宗教によってこそ、強く、かつ、清らかな生命力が湧現してくるのです」

 「同志を裏切り、組織を利用し、反逆した者は、絶対に学会の中に入れてはいけない。追放しろ」

 「折伏の行をなす者は、仏の使いとして御本仏から遣わされた者である。
 御本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、その人の日常は御本仏に感応して、偉大な生命力を湧出することができる。
 いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、体は元気に満ちる。
 その上、この折伏の行は御本仏の御本意であるから、人智をもって計ることのできない功徳を受けるのである。
 諸天は加護するし、魔および鬼神は近寄れないのである」


忘れ得ぬ恩師の指導 10
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年11月7日付)

苦も楽も御本尊と共に
ありのままの姿で信心を貫け

写真 10年間、毎朝、日曜日も欠かさず――若き名誉会長が恩師のもとで学んだ本の数々。学は光。学は希望。創価の魂は師から弟子へ脈々と。

 「牧口先生は、寒くとも、暑くとも、いつでも、折伏にお出かけになる」
 「どんな裏町までも、どんな家庭までも、折伏の陣頭に立って進んで行かれた」

 「苦しみが大きければ、大きいほど、その後にくる楽しみも大きい。
 苦しさと、真正面からぶつかって、南無妙法蓮華経と唱え切りなさい。
 苦しいときも、楽しいときも、御本尊を忘れるな」

 「学会の世帯を率いて立ち上がることは、ちょうど、激流の中に立っているような気がする。
 一つ足を踏みはずせば、すぐに流されてしまう」

 「ここが悪いと自覚したら、ただ素直に御本尊に祈り、信心していけば直る。
 信心したふりをするな。
 形にとらわれた信心をしてはならない」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「持っている福運は、感謝していきなさい。
 そうでなければ、その福運が消えてしまうからだ」(同)

 「悪政にするのは、根本は、それを知らず甘んじてゆく民衆が悪いのである」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「政治は技術である。
 社会の繁栄が、即個人の幸福と一致しないということが、昔からの政治上の技術の悩みではないか。
 ゆえに、日蓮大聖人は、政治と個人の幸福とは、一致しなければならぬと主張あそばれたのである。
 それが王仏冥合論である」

 「これからの女性は苦労して、立派になっていきなさい。
 恵まれた立場に甘んじてしまうのはいけない。
 しかし、だからといって、わざわざ余計な苦労しなくてもいい。
 自分のありのままの姿で、信心を貫いていけば、立派な人間になれるよ」(女子部の 「華陽会」 への指導)


忘れ得ぬ恩師の指導 11
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年11月8日付)

吼えてこそ師子
どんな闘争もホシをはずすな

写真  「水滸会」 が恩師から薫陶を受けた氷川(ひかわ)の地。そこに今、氷川東京青年研修道場が建つ。青年よ正義の師子たれ!

 「使命を知るとは、自分の生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。
 そうなれば人間は強い。恐れも不安もなくなる」

 「女子部は清らかに、さっぱりと美しくありなさい」(女子部の 「華陽会」 への指導)

 「一生成仏という大空に悠々と舞い上がっていくには、難という烈風に向かってに飛び立たねばならない。
 難に負けない信心こそが、永遠の幸福の城を築きゆく力なのだ。
 信心で越えられぬ難など、断じてない」

 「(水滸伝に登場する)黒旋風李逵は、喧嘩が好きだ。
 しかし、喧嘩には、ホシが大事だぞ。
 酒を飲んで喧嘩をすると、なんで喧嘩をしたか、後で考えても、わからない。すなわち、ホシがない。喧嘩にホシがなければ、なんにもならない」(男子部の 「水滸会」 への指導)

 「正義であればこそ負けるわけにはいかない。
 断じて勝たねばならない。
 だから戦うのだ。
 師子は吼えてこそ師子である」

 「周囲の人々に、信心強盛に仏道修行に励んでいるかのように印象づけながら、要領よく、組織の中を泳いでいる人間は、必ず退転する」

 「病気になった体それ自体が、病気を治す力を持っている」

 「魔に四つあり、病魔、死魔、煩悩魔、天子魔(=大六天の魔王)であります。
 信心させまいとし、疑いを起こさせるものが、来るのであります。
 このとき、 『さあ来い!魔などに負けてたまるものか!』 との大覚悟で立ち向かえば、魔は退散するのであります」


忘れ得ぬ恩師の指導 12
若き日の名誉会長の記録帳から
『聖教新聞』 2005年11月10日付)

同志の幸福を祈り抜け
これまでの枠を破るのだ

写真 世界に妙法の灯をともしていくんだ。私に代わって――北海道の厚田に立つ師弟。弟子の闘争によって、太陽の仏法は、世界190カ国・地域へ(間瀬健治さん作)

 「新しい仕事というのは、自分たちの、これまでの枠を破るところから出発するものだ」

「老いたるにせよ、若きにもせよ、生活に確信ある希望を持ち、その希望の中に生き抜いてもらわなければならない。
 いうまでもなく、その希望に生き抜く生命力は、御本仏・日蓮大聖人の御生命である人法一箇の御本尊にあることを銘記すべきであろう」

 「団結には、車軸が金剛不壊でなければならぬ。
 それは、純粋にして強い信心だ。
 幹部の自覚と使命感だ」

 「成仏の境涯といえば、いつもいつも生まれてきては、力強い生命力にあふれ、生まれてきた使命のうえに、思うがままに活動して、その所期の目的を達し、誰にも壊すことのできない福運をもってくる。
 このような生活が、何十度、何百回、何千回、何億万遍と楽しく繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか」

 「いかなる大業も、地道な努力の積み重ねを無視しては達成されない」

 「講師は、自分のようなものが説く講義を、よく聞いてくれるものと、感謝しなければならない。
 集まる人が少なくても、精魂込めて講義し、今回よりも次回、次回よりもまたその次と、必ず聴講者を増加させていってみせるとの決意で臨まねばならない」(御書講義の講師への指導)

 「指導者は、皆の命を預かっているのだ。
 ゆえに、断じて愚かであってはならぬ!」
 「人の何倍も苦労し、力をつけよ!
 そして、同志の幸福を祈り抜いていけ!」

 「御本尊に向かって、この御本尊と大聖人と自分とが区別がないと信じて、そのありがたさを、心にしみて感謝申し上げていきなさい。
 そのようにして、熱心に題目を唱えるとき、宇宙のリズムとわがリズムと調和して、宇宙の大生命が即、わが生命と連なり、意外な生命力が涌現してくるのである」



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