癌9 根治手術


私の場合は卵巣は残す。

但し子宮頚部の下によくない細胞が多いとやらで、ぎりぎり下部まで切り取るという話だった。

前回の手術の話の時には書かなかったが、この病院の麻酔科の医者に関しては感心できなかった。

癌病棟というのは「匂い禁止」が鉄則。

生花の見舞い、香水をつけた人の見舞いほど患者を苦しめるものはない。

なぜかというと、抗がん剤を使用している患者は匂いに敏感になるのだ。
それでなくとも衰弱しているのに、匂いで具合が悪くなり余計に衰弱する。

この事を知らない見舞い客も多く、詰め所やら廊下にでかでかと張り紙があるのに平気な顔をして歩く者には本当に腹が立った。

私は抗がん剤は使用していないものの、アルコールアレルギーの度重なる発作のせいか、それとも別の原因か抗がん剤使用をしている人と同じくらい匂いに敏感になり、具合も悪くなっていた。

この現象は今でも続いていて、化学物質を多く使う匂いは本当に苦手。

#なので変な薬品をこっそり使っている食品でも、焼いている匂いで判るのは便利。

これをお読みくださっている皆様、どうか見舞いに行く時は匂いをさせないでくださいまし。

麻酔科医師の話に戻る。
最初の手術の前、麻酔科でも色々聞かれた。
・・・のはともかく。
問診している医師が物凄い濃さの香水をつけている。

具合が悪くなり、すぐに戻って担当医に訴えた。

信じられない常識のなさだが、これは実話。

だって病室に戻った私にもその匂いが移り、同室の人が突然嘔吐しはじめたくらいだった。

もしその医師が麻酔担当なら手術は断ると言い切り、病院長へ申し出ると強硬に言ったので、その人は私の手術からはずされたのだったが。

手術はおそらく6時間くらいかかるであろうという医者達の見解だった。
子宮の裏にべったりと癒着があり、それを剥がすのに時間がかかるだろうと。

それと術後、小用が思うようにならない可能性もあると。

可能性は低いが転移していたら、できるだけ切り取るので手術時間はもっと長くなるとも。

手術の日、母と妹が病院で待つことになった。
母も妹も何度も手術しているので、その辺りの恐怖感はなかったようだったが何せ癌手術。
開けてみないと何があるか判らない。

ぎりぎりまで一服したかったがそれもあんまりできなかった。

前回とはまるで違う太い点滴針を右手の肘の下に入れられ、ストレッチャーに乗った。
エレベーターで母と妹とはお別れ。

じゃあねえ と空いている左手を振ると泣きそうな顔をした母も妹も手を振って「頑張れ」といってくれた。

エレベーターに乗ってから看護婦に

頑張るのは医者と看護婦さんだよねえ

と言ったら「まったくもぉ」と呆れられたが「そんな元気があるなら大丈夫」と励ましてくれた。

今度の手術室は大きかった。
上にカメラが何台もあり、広々としている。

医者達の人数も多いし。

きょろきょろしていると担当医が来た。

「おっ、元気そうだな」

相変わらず術着が似合うのぉ

「はいはいっ、俺はどうせマスクするといい男なんだよ」

あのインターン先生が「よろしくお願いします」と深々とお辞儀をしたので

え゛、先生が執刀するの と驚いてみせたら

「いや、まさか」と真顔で否定された。

担当医が「ここまできてインターンからかうかなあ」と大笑い。

まだ笑いがこみあげているうちに眠ってしまった。

目が覚めた時は辺りが暗かった。

痛さで目が覚めたのだ。

痛い、痛いといい続けている私。

周りには何人も人がいるが誰が誰だか判らない。

とにかく痛い。

母の声が聞こえた。

「この子はこういう時にはそんなに痛がらないで我慢できる方なんですけど」

#確かに今ほど患者の痛さに敏感じゃなかった昔の腹膜炎手術の後の、とんでもない痛さでもそれなりに我慢してこれほど騒がなかった。


もう汗びっしょりになっているし、痛いという言葉さえちゃんと出ない。
座薬を挿してくれても精々30分くらいしか痛みは引かない。

それでも母と妹には「もう大丈夫だから帰ったら」と言い、引き取ってもらった。

あんまり痛がる姿を見せるのも気の毒だったし。

一晩中痛さに唸り、朝が来た。

汗まみれになっている寝巻きを取り替えてくれていた看護婦が、小さく叫ぶと医者を呼んできた。

背中の脊髄に刺さっているはずの痛み止めがはずれていたという。

これじゃあ痛いはずだわ。

一般病棟に移ったら麻酔科の責任者呼んでねと担当医に頼んだ。

それはともかく。

お腹空いた(;´Д`)

小用の管がささっていて点滴台に小水袋はぶら下がっているし、大きな点滴が2本上に下がっている。

でも起き上がれるようなので、喫煙所に行ってみた。

流石に身体は真っ直ぐにならないし、あちこち痛いけれど。

朝食前の時間なので仲間が集まっていた。

「あんた、夕べ帰ってきたんでしょ」
「相変わらず不死身だな」

と言われながら一服。

痛いことは痛いが気が紛れるし、やはり楽しい。

ご飯がきた。

この病院の決まりは一応歩ける患者はホールで食べるという事になっている。

ちょっと迷ったがこのまんまホールで食べる事にした。

ただご飯のお膳があちこち繋がっている管で取りにくいし、お盆は重くて切った所が痛い~。

配膳車の前でもがいていたら誰かが取ってくれた。

「あんた、ここで食べるの」

うん。歩けるもん。
でも見苦しかったら回復室へ行くよ。

「見苦しいことはないけどさ・・・」

・・・はなんなのぉ

「いやあ、3日前に切ってまだ歩けない人もいるからねえ」

タバコ吸いたい一心で歩くのさ、私は。

「それはそれで尊敬・・・はできないがすごいな」

ほめてんのかけなしてんのかはっきりしろよぉ

お粥ご飯でしたがどんぶり全部食べました。

「全部食ったよ、この女」

ダメかよぉ

あんまりバカな話をするとやはり痛い。

一服しましたが流石に食べた後は何だか鈍痛が走り出し、大人しく寝ていましたが。

へその下から局部の上まで20数針縦に切ってます。


















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