Last Esperanzars

Last Esperanzars

後編


「悪趣味で結構。どうせあいつは成金ですし」
 俺の部屋を見回しての失礼な感想をより失礼にして同意。仲悪いんだなあやっぱ……。
 あれから俺たち2人はノイマン中心部、ロラルド商会の屋敷に呼ばれた。そして1室に通され、ジャクソン大旦那を待っている。豪勢なテーブルの前には明らかに宿舎で飲んでいる(味わかんないけど)のより品質のいい紅茶やきらびやかなお茶菓子が。甘いもの基本的に嫌いだけど結構いける。
 しかし、それより目を引くのは部屋そのもの。
 異様に豪華。詳しく言うと、全体的に金ぴか。ところどころで光が反射し少し眩しい。やたらでかい洋画や壷やガラス細工などの骨董品が所狭しと飾られている。エミーナじゃないけど、確かに成金趣味っぽい。
「全然落ち着かないな……屋敷全体こんなのかね。寝室だったら寝づらいだろうなぁ」
「やかましいですよ貴方。ちょっとは落ち着いたらどうですか? ただでさえ暑苦しい格好をしているんですから」
 険しい顔をして睨みつけてきた。なんだよ、そりゃ自分でも少し恥ずかしかったなとは思うけど、そういう言い方ないんじゃないか?
「まったく、心外極まりない。どうして貴方のようなどこの馬の骨と知れない、しかも男と一緒の席に着かねばならないのですか。あの馬鹿男のせいで……」
「――よく言うよ、おんなじどこぞの馬の骨のくせして」
「え?」
 ブツクサ不平不満を漏らしていたエミーナに唐突に投げつけた。キョトンとした顔をこちらに向けている。
「なんですかおんなじとは。この私とあなたがおんなじだなんて……」
「ん」
 眼前に右手握りこぶしを突き出した。人差し指と中指の間に親指を入れて。
「!!」
 ボッ、と昨日のようにまた赤面した。何代か前のサッカー日本代表の監督より赤い。
 その様子から、俺は自分の想像が当たっていると確信し、心の中でガッツポーズを決めた。
「こ、こ、この変態男! 性懲りもなくまた……!」
「なんでこれ知ってるの?」
 振り上げられたこぶしがピタリと止まった。「え……?」と何を言われたかわからない様子だ。
「そりゃさ、これ赤面するとおり下世話な意味だよ。でもね、それは俺の、“あっち”の世界での話なんだよね」
「あ……!」
 言わんとすることを悟ったらしく、端整の取れた顔が不覚に歪む。
「カタカナ語くらいは通じるみたいだけど、こういうポーズは通じないよ。事実、親衛隊のみんなにやってみたけど1人も通じなかったもん」
 そう、昨日試しに1人ずつ回って拳を突き出してみたのだ。結果は、全部スカ。あのグレタすらキョトンとした顔をし、「何の真似ですか、ケンカを売っているのですか私に?」と青筋を立てられたのであわてて謝罪した。まぁ意味知ってたらぶん殴られてただろうけど。
 とにかく、この世界にこのポーズは存在しないのは確実。にもかかわらずエミーナがそれを知っていたということは……。
「おたく……『文明の漂流』で来たクチでしょ?」
「……!」
 それがもっとも簡単な答えだった。
 俺と同じ世界に属する、否、属していた人間。だったら知っていても不思議じゃない。一応『文明の漂流』で来た人間に教わったという可能性もあるが、それはちょっと考えづらい。
「ぶ……ぶ……無礼者! よくもそんな知ったような口を……!」
「ビンゴ、かな?」
 見るも明らかに慌てふためくその様から、確信は確実に取って代わった。その一言がまたエミーナを激昂させる。
 しかし、少々調子に乗りすぎた。
「――こ、この野郎、誰に向かって口聞いてると思ってんだ!」
「え――?」
 犬歯をむき出しにして激怒した。いやちょっと待て、口調変わってるぞ!?
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって! このエミーナ様が貴様と一緒だと!? どの口が言いやがるオラァ!!」
「ぐ、ぐぇ……!」
 胸倉をぐわしと掴まれ、床に叩き伏せられる。山伏よりよっぽど苦しい……。
「っざけやがって! 今までは渋々隊にいるのを認めてたが、もう許さねぇ! 騎士としても男としても一生使い物にならない体にしてやるよっ!!」
 仰向けになった俺に馬乗りになってきているので、見上げるほうとしてはなかなかいい光景だし、腰に当たるヒップの柔らかい感触が気持ちいいのだが、顔が悪鬼なため邪な感情とかは全然出ません。
 いやいやいや、それどころじゃないだろ! 男として使い物にならなくするって、何する気だ!?
「ちょ、ちょい待ち、早まるな!」
「うるせぇ! 死ねぇ!!」
「そのくらいで止めなさい、エミーナ」
 牙が目の前まで着たそのとき、唐突に第3者の声がした。中年の男性の声だ。
「っ!!」
 弾かれたかのようにエミーナは声のしたほうへ振り返った。俺もそれに倣う。
「すまないね。うちの娘がとんだ乱暴を働いて……ほら、さっさと降りなさい」
 部屋のドアの前に立っていたのは、40代くらいの金髪をオールバックで整えたブラウン瞳の大柄な中年男だった。顎には髭が蓄えられている。
「…………」
 しかしエミーナは中年男の言葉などまったく聞かず、むしろ俺よりよっぽど強い怒りをあらわにし、殺意を持った目で睨みつけている。
「エミーナ」
 中年男の視線が厳しいものになり、エミーナも腰を上げる。あー苦しかった。
「あ、あの……娘ってことはあなたが……」
「そう。私がジャクソン・ライノスだ。ロラルド商会の大旦那にして、エミーナの父親の、ね」
 そういうとニッコリとした笑顔を向けられた。言っちゃ悪いが少し気持ち悪い。
「今日はわざわざすまないね。君がサジタリウスの操縦者かね?」
「は、はい、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフです」
 あわてて起き上がり姿勢を正す。そうしたら「はっはっ」と笑われた。
「そう固くならなくていい。たかが商人相手に畏まる必要などない。さあ、座りなさい」
 たかが商人て……大陸1の大商会なのに。とりあえず促されるままに席に座った。エミーナも不平を訴えるかのようにドスンと勢い良く座る。さて、どんな話になるんだか……。
「伝説のFMNサジタリウスの操縦者と聞いてどんな人物なのか知りたくて呼んだのだが……なかなか鋭いね、あれだけのことで見抜くとは」
「いえ、そんな……ん? 待ってください。見てたんですか?」
「ああ。『うわー、豪華というか、けばけばしいというか……』あたりからね」
「最初からじゃないですか! だったらあんなことになる前に助けてくださいよ!」
 あまりのショックに半泣き。ジャクソンはそれに対し全然意にも介さない様子。こいつはこいつで酷いな。
「はっはっは。悪かった悪かった。――それより、さっきの話だが」
「は、はい」
 声の質が変わったので姿勢を正す。
「君の言うとおりだよ。エミーナは、いや、エミーナも私も『文明の漂流』でこの世界に来た者だ。放浪者、あるいは漂流者と呼ばれている」
「やっぱり……!」
 自分の推理が当たっていたので心の中で「よっしゃあ!」と叫んだ。
「おいこらっ! 気安く話してんじゃ……」
「あそこまでバレたのだから隠すことなどできんだろう。ここは事情を話して黙っていてもらうほかあるまい」
「だが……!」
「そもそも、お前のミスが原因でこうなったのだろう? あれしきのことで赤くなるとは、久しく見ていなかったが相変わらずか」
「……ッ!!」
 耐え切れなくなったのか、椅子を倒すほどの勢いで立ち上がると駆け足で部屋を出て行った。バタン、と荒っぽく閉められたドアの音ジャクソンがため息だけが部屋に残された。

「すまんね、うちの娘が」
「いえいえ、慣れてますから……」
 少なくとも斧で追っかけられるよりマシだ。紅茶を1口飲む。
「母を早くに無くしてね、その後すぐに再婚したのが気に食わなかったんだろう。ずいぶん嫌われてしまった」
「そうなんですか……」
 あいつもそうなのか。なんか気持ち分かる気がする。
「こっちにはどれくらい前に?」
「もう9年近くになる。早いものだ」
 9年、となると1997年か。アニメによる光過敏性癲癇(てんかん)が大問題になった年だったと思う。ずいぶん昔だな。
「春の西海岸を2人で歩いていた矢先の出来事だった。突然私とエミーナの周囲を嵐が覆って……気がついたらこの世界に来ていた」
 そこらへんは俺と似ているな……。やはり同じ現象か。
「幸いロラルドのキャラバンに拾ってもらったから良かったものの……1歩間違えたらどうなっていたか分からん」
 少し辛そうな顔をしている。忌まわしい記憶なのだろう。話を逸らすか。
「あのー、あちらでは何をしてたんですか、ご職業」
「うん? ああ、今とほとんど一緒さ。アメリカで海運業を営んでいた」
「やっぱりね……」
 やっぱりの一言に眉をひそめられた。そりゃ何の前触れも無く納得されれば変に思うだろう。
「いやね、おかしいなと思ってたんですよ。あなたが通商路の確保を最優先したと聞いたとき、この時代の人間の思考とは思いづらくて」
 シルヴィアも中世国家である以上、国を維持する資金源は農地からの年貢のはず。ましてシルヴィアは軍事国家。荒っぽい国風が当然なこの国の人間に、そんな近代的な思考があるとはとても思えない。そこに娘のエミーナがこの世界の人間じゃないとの疑いを合わせれば、近代的な商業法を身につけた人間だと考えるのは必然。
 そう言うと、「ほっほう」と感心したらしく、ニヤニヤ顔をされてしまった。
「カンがいいんだな。ウチに来ないかね? 君は優秀な商人になれると思うよ」
「あ、いや、勘弁してくださいよ。自分は一応親衛隊員なんですから……」
 突然のお誘いに戸惑いながらも丁重に断ったらあからさまに残念な顔をされた。そんな顔されてもなぁ……グレタたちは喜ぶと思うけど。
「そうかぁ……残念なことだ」
「すみませんどうも。でも、自分にも拾ってもらった恩がありますし……」
「拾ってもらった恩、か……」
 と、急に感慨深い遠くを見つめる目になった。視線はどこにも合っておらず、昔を思い出しているかのようだ。
「あの、もしもし……?」
「ああ、すまない。ところで……君はアジア人かね?」
 どす、と不意に虚を突かれた。まったく予想だにしていないタイミングの一言に、俺は取り繕うことも叶わなかった。
「な、なんで……?」
 不覚にも肯定と取れるセリフに、ジャクソンは苦笑した。
「顔を、肌を見れば分かるよ。黄色人種じゃないか」
「あ……!」
 自分はとんだ馬鹿だ。さっきのエミーナとの乱闘のせいでローブがはだけて顔を丸出しにしたままだったのだ。
「今更あわてても遅いよ。バレバレだ」
「うう……あの、このことはどうかご内密に……」
「わかってるわかってる。君もいろいろワケ有りなのだろう」
 「いいよいいよ」と手で制される。間抜けだ俺は。
「仰るとおり自分は日本人です。名前は……」
「ニッポン?」
 ずい、といきなり目の前まで顔を寄せられた。
「な、なんです?」
「今日本と言ったかね? 君は日本人なのか?」
「ええ、まあ……」
「おおおおおおおっ!」
 両手をつかまれ手をブンブン振り回される。ていうか痛てぇ! 意外と腕力あるこの人!
「痛い痛い痛いっ! なんですかいったい!」
 手を何とか引き剥がした。顔を見て、ぐっと喉を詰まらせた。
 気色、いや喜色満面。なんか目がきらきら光っている。魚だったらイキがいいというのだろうが、髭のおっさんの場合は気持ち悪いだけ。
「おおおおおおおっ! いや驚いた、まさかこんなところでまた日本人に会えるとは! 私は日本が大好きでね、エミーナと一緒に日本に滞在していたこともあるし、あの日も日本のイベントへ向かおうとしていたんだ!」
 ああ、エミーナのやつそんときあれ覚えたんだ……。1997年に日本でイベントが? なんかあったっけ? いいや、今はテンションが上がりまくったこのおっさんをどうにかせねば。
「そ、そりゃどうも。自分もこんなところでアメリカ人に会えるとは思いませんでしたよ」
「そうだろそうだろ。あ、紅茶飲むかね? 注いであげよう」
 そう言うと、俺のティーカップを取りポットから紅茶を注ぐ。紅茶の香りと湯気が周囲に広がる。
「しかし、君も大変だったろう。突然別の世界に来たんだから。ヘレナ嬢に拾われたのは幸運だったね」
「ええ、まったく……でも、拾われたら拾われたで大変ですけど。おっと、ありがとうございます」
 紅茶を受け取る。一口すすって熱さで舌を焦がす。やっぱ味わかんないし。
「大変? なにがだい?」
 釈然としない顔をされたので「そりゃあ……」と天を仰ぎ見ながら言った。
「親衛隊では異物扱いですからね。毎日迫害されて辛いのなんのって……」
「ああ……」
 納得したような声を出してうんうんと頷いた。この人も身に覚えがあるのか。
「シルヴィアの国教であるカルディニス教は女性上位だから、国全体に男子を軽視する風習があるからな。それは大変だったろう」
「カルディニス教は世界宗教らしいけど、男子に嫌われたら布教なんて出来ないと思うんですがね。よく広まったもんだ。しかも一神教だってんだからキリストかイスラム教みたい。ま、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)ありて可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云(い)なり、なんてのは日本だけだってのはわかってますけど。……あれ? どうかしました?」
 顔を上げてみたらきらきら目が点になっている。劇的な変化だ。
「――なに、それ?」
「はい? ああ、本居宣長……って言っても知ってるわけないですね、日本の神観ですよ」
 知らなくて当然か。アメリカ人だし。
 と言ったら「ちょっと待ってくれ」と手で制された。納得がいかない様子。
「日本は特定の宗教色が無いのではなかったか確か?」
「ええないですよ。正月のくせに先祖祀らなかったり、チョコ会社の陰謀と知らず聖バレンタインが処刑された日を祝ったり、七夕には雨降んなきゃいけないのに織姫と彦星を会わせたいから雨降るなとカササギがいるのに意味の無いこと願ったり、ミトラ教の冬至の祭を関係ないキリスト誕生日なんて祝ったりで、宗教的なものは滅茶苦茶と言えますね」
「……すまん、1つも意味が分からなかった」
 ありゃ、困った顔してるわ。そんな難しかったかな。そういえばあいつに「あなたの常識は世間一般とは大きくずれている」なんて言われたっけ。なんだい、旗日知らなかったり藤井フミヤと藤井隆ごっちゃにしてたりヒッキーのことずっと引きこもりのことだと思っていたぐらいで。
「え~と、君はそういうのに詳しいのかね?」
「いや、詳しいってわけじゃ……ただそういう関連の本を読み漁っていたことがあるだけですよ」
「ほう?」
 また顔をずい、と寄せられた。興味津々のご様子で。
「面白そうだな。ちょっと聞かせてくれないか?」
「ええーっ?」
 朝もこんなこんな情けない声を出したような気がする。

 ――1時間後。
「それでは、知恵の実はリンゴじゃなかったのかね?」
「知恵の実がなにかなんて聖書には書かれてませんよ。パリスの審判とごっちゃになっちゃったんじゃないですか?」
「なんだいそれは?」
 ――うう、いいかげんにしてくれ……。
 さっきからずっとこうだ。何か1つ話をすればまた別の何かに派生してしまう。それを延々と繰り返し続けている。正直言って辛いです。
 ――もう勘弁してくれ……ネタ切れしてきたし……。
 神、宗教関連はほとんどやっちまって、相対性理論やアインシュタイン(アインシュタインが日本に来て転んだ顛末を話したら大爆笑された)、タイムマシンなど全然関係ないのも話した。それでもこのおっさんは飽きを知らず、むしろ時間が経てば経つほどヒートアップしてくる。疲れがたまってしかたがない。
 どうするか。なんとか話を終わらせなければ。そうだ、ヘレナから頼まれていたあれを切り出そう。
「あ、あのっ!」
「な、なにかね」
 いきなり大声を出したので少々驚いた顔をされた。
「自分が所属する親衛隊が盗賊の襲撃にあったのはご存知だと思いますが……」
「ああ知ってるよ。市内では噂になっている」
「それで今修理中なのですが、親衛隊には整備士が1人しかおらず、苦労しているんです。それで、大変失礼とは思いますが、こちらの整備士をお借りできないかと……」
「ああ、いいよ」
 一瞬時が止まった。
「……え? 今なんと?」
「だから、いいって言ってるだろ。整備士くらいただで貸してあげるよ」
「――えええええっ!?」
 仰天した。二重の理由で。
「何を驚いているんだそんな大声を出して」
「え? え? ええ? あ、あの、本当にいいんですか? 本当に貸してくれるんですか?」
「何度も言わせないでくれ。ただで貸してあげるとさっきも言った」
 うそぉ……まったく信じられなかった。
 親衛隊に貸すのはかなり問題があるのではないか、そんな鉛筆でも貸すかのように言っちゃっていいのか、そう聞きたかったが、心変わりされるとまずいので聞けなかった。
 なにはともあれ、これで整備士問題は解決。やっほぅ! ざまぁみやがれ俺を馬鹿にする親衛隊の連中共! これでもう生意気なセリフは一言も……
「それはいいからロージャ君、話を続けてくれたまえ」
「……へっ?」
 一瞬、何を言われたか分かりませんでした。
「まだまだ面白い話はあるだろう。もう少し聞かせてくれたっていいじゃないか。整備士だって腕がいいのを用意するから」
 その言葉と、ジャクソンの不敵な笑みで、俺は自分がわざわざ弱点をさらけ出したことを悟った。

 ――結局、俺が解放されたのはそれから3時間後のことだった――。

「――アアアアアアッ」
 夕焼け空の下、正確にはアに濁点がついた声で盛大に息を吐いた。本当に、疲れた……。
「下品な声を出すんじゃねぇ。公道の面前で」
 エミーナの辛辣な言葉が疲労しきった体に突き刺さる。なんだよ、苦労して整備士手配させたろうが。
「まったくあの馬鹿親父ときたら、結局娘にロクに会いもせず帰しちまった。実の娘をなんだと思ってんだ」
「……ついで」
「ああん!?」
 ぐわし、と胸倉を掴まれ、路地裏へ追い込まれる。抵抗する気力すら今の俺にはない。その前に、地獄耳だなこいつ……。
「待ってくれエミーナさん、おたく性格ずいぶん違くない?」
 ずっと疑問に思っていたことをやっとの思いで聞くと、フンと鼻で笑われた。
「あれは外面用の仮面。こっちが素だ素」
「猫かぶってたのか……」
 全然気づかなかった。すばらしいかぶり方だ。
「あんな大馬鹿エロジジイの元で育ったんだ。こんななって当然だよ」
「――エロジジイ?」
 なんかそれっぽい気もするけど、実の娘が言うセリフか?
「なんでエロジジイなんだよ」
「なんだ、聞かなかったのか? いつも人に自慢げに言う変態だってのに」
 吐き捨てるかのような言葉だ。なんだ、なんだと言うんだ。
「あいつはな、今は結婚していないが、アメリカに奥さんがいた頃から愛人を囲いまくった色情魔なんだよ。詳しい数は知らないが、関係のあった女は1万越しているんじゃないか?」
「1万!?」
 俺が出した馬鹿みたいな声に「そうさ」と嘲った笑いで応じた。
「あのイカレ頭、女となれば誰だって手を出しやがって。日本に来日していたのもマフィアの女に手を出してアメリカにいられなくなったからだ。4年前の秋のテロでそのマフィアが死んだからやっと帰れたんだ。あの馬鹿でせいで、俺様の人生は台無しだ!」
 怒りに任せガン、とそこらへんにあった木箱を蹴り上げた。なるほど、男嫌いの理由が分かった。そりゃあそんな父親ごめんだな。4年前のテロって、ああ、センタービル地下駐車場爆破テロか。同時多発かと思った。
「おまけにこの世界に来て商売始めたら、無理矢理俺様をシルヴィア王室にぶち込みやがって……自分の商売の道具にしやがったんだあいつは!」
「はあ……」
「堅っ苦しい王室で反吐が出る生活、ヘレナ様が弓の腕を見込んで拾ってくんなかったら今頃呼吸困難で死んどるわっ!」
 ガン、とまた木箱が鬱憤晴らしの犠牲になった。怒りは収まらないらしく、むしろ蹴れば蹴るほど顔が阿修羅になっていく。怒らせないように隅で縮こまるしかない。
「あのクソ野郎、人の人生無茶苦茶にしやがって! 母さん早死にさせて、自分はさっさと忘れて再婚して! その上愛人まで! 母親に手を出したって噂が広まって、学校じゃまともに友人も作れなかった! あいつが、あいつさえいなきゃ、俺様は、俺様は……」
「……なあ、怒るのはそれぐらいにしてもう帰らない? みんな待ってると思うんだけど……」
「ああっ!?」
「いえ、なんでもありません」
 もはや完全に悪魔と化した瞳に気圧されて何もいえません。またかよ……いつまでこれに付き合わなきゃいけないんだ?
 こうなったら落ち着くまで待とうと、罵声をわき目に考え事に耽ることに。
 ――あいつ、ジャクソンのやつ、なんであんな話聞きたがったんだ? 別にその類に興味がありそうには見えなかったし、覚えたってここでは何の役にも立たない無駄な知識だと思うけど……。
 話をしているときからずっとあった疑問。ジャクソン自体は宗教家でもなく、聞いている様子からはその手の知識はまるで無いことは一目瞭然だった。ならばなぜあそこまで聞きたがっていたか。いくら考えても答えが出なかった。
 1人見た目とものすごいギャップがある口調で吼えまくる少女と意にも介さず物思いに耽る少年。
 この奇妙なカップルが宿舎に戻るのは、日がスッカリ沈んだ真夜中だった。

 ここで一機は、とんでもない失敗をしていた。耽るべき疑問を違えていたのだ。
 それは2つ。1つはエミーナの『四年前のテロ』。確かに1993年にもセンタービルでテロは起きているが、それは2月26日。秋ではない。エミーナが言及したテロはやはり同時多発のことなのだ。
 そしてもう1つ。それは……

『……で、どんなやつだったんですか、サジタリウスのパイロットとやらは』
 無機質な無線機から、自分より10以上年下の男の声が聞こえる。年上に対する敬いが一切無い喋り方にはもう慣れっこだ。
 ノイマンの真夜中のなか、中心部にある豪勢な屋敷の1室。薄暗い光の中、顔の見えない男と会話中。この時代では本来あり得ないな、と何度となく持った感想を反芻する。
「そうだな……一言で言うなら、変なやつだな」
『……は?』
 この男には珍しい間の抜けた声に思わず失笑する。それを馬鹿にされたと思ったのか、男のムッとした様子が無線機から流れた。
『なんですかいったい。そんな話をしたくてわざわざ無線をかけてきたんですか?』
「いやいや、実際変なやつなんだ。あるいは、アンバランスなやつ、かな」
『……アンバランス?』
 ますますわけがわからないようだ。言葉を続ける。
「ものすごい博学なんだ。試してみたら、3時間近く雑学を喋り続けやがった」
『それは……すごいですね』
 感心しているのか呆れているのか、少し引いたのか声が遠ざかったような気がする。
「感嘆するな。でも、物知らずでもある」
『今度はなんですか……博学で物知らず?』
 そろそろ混乱してきたか。もったいぶるのは止めるとしよう。
「正確には常識知らずだ。会話していて分かったんだが、敬語か下手でな。使い方を間違えていたり、バリエーションが少なかったり」
『それは、アメリカ人だからでは?』
「なんだそりゃ。雑学語りながら奴自身の話も聞いたんだが、世間一般とずれているようでな。お前、オリンピックイヤーが何年か知っているか?」
 おそらく眉をひそめたはずだ。何を言っているんだこいつは、と。
『そんなの知ってますよ。4年に1回、4で割り切れる年号です。……まさか、知らなかったんですか?』
「ああ、オリンピックやワールドカップは興味ないから見ないそうだ。そもそもテレビ自体ロクに見ないらしい」
 無線機から今度は心底呆れ果てた声がした。まあ気持ちは分かる。
『やれやれ……とんだやつがFMNに乗ったようですね。どうなることやら……ところで、親衛隊に整備士を貸したというのは本当ですか?』
「ああ」
 臆面もなく言い切った。自信満々な様子が通じたのか、無線機からの声が変わった。
『どういうつもりです? まさか、あっちに寝返ったんですか?』
「まさか、誰がシルヴィアなんぞに。ただ、情勢が悪化しつつある今、親衛隊と言うビンのふたが無くなったら大規模な内乱が発生する。戦争始まったら貿易もクソもないだろ? こちとら商人だ、経済発展の為の投資くらいするさ」
『……なるほど』
 理解したらしく、共感の声がした。なかなか頭のいい奴だ。いつもそう思う。
『娘さんは関係ない、と?』
「……!?」
 頭が、勘が良過ぎる。たまにそう思う。
「……まさか、関係ないよ」
『そうですか。ならいいんですけど』
 これっぽっちも信用していないのは無線機を通してでも充分伝わった。いや、そもそも2人に信頼関係などない。しょせんは利益が一致している間だけの刹那的な仲だ。
『ところでゾルゲ、私たちもそいつに会ってみようと思うのですが』
「な、なにっ!?」
 ゾルゲ、と呼ばれたので反応が遅れた。うるさいな、聞こえている、と返ってきた。
「お前、そっちはどうする気だ? 犬共が騒がしいんじゃなかったのか?」
『問題ありません。私が消えたところでどうこうなる組織じゃないですから』
「しかし、そっちから来るんじゃかなり時間が……」
『レイブンを使えばすぐですよ。だから、荒野を確保してくれますか?』
 正気かと思った。今この情勢でレイブンを使うとは。一触即発のこの時にレイブンが現れたらどんな混乱が起きるか。それに、もしあれがシルヴィアに渡れば、完成されたミリタリーバランスが崩壊しかけない。そう言おうかと思った。が、
「……わかった」
 仕方がないな、と諦める。好奇心旺盛な部分があるのがこいつの悪いところだ。
『ありがとうございます。それでは、商売繁盛を祈ってますよ、ゾルゲ』
 ブツ、と一方的に切られた。礼儀を知らん男だ。
「……もしくは、礼節を気にする関係じゃないと思っている、か? ――それこそあり得ないな」
 独り言を終え、ベットに仰向けに倒れる。
「あいつ……あいつが何を企んでいても、俺がすることは変わりない」
 その時、その部屋にいたのは、日本好きの髭のおっさんでもなく、1万人以上の女に手を出した変態親父でもなかった。
「商売繁盛、か。やる気だな、あいつ」
 一介の商会をたった9年ほどで大陸随一へ伸し上げた、腕利きの商人だった。

 同日、同時刻、親衛隊宿舎内エミーナ&ライラの部屋。
「あの、クソジジイ……」
 自分のベットの中で、エミーナは忌々しそうに呻いていた。
「久しぶりに会っても相変わらず、馬鹿は死ななきゃ直んないってか……」
 幼いころからあいつのせいでろくな目にあっていない。クラスメイトの母親に手を出したり、マフィアに追っかけられたのも大変だったが、一番は日本に来日したことだった。
 正直言って、日本での生活は地獄だった。あっちではまだ外国人に対する差別意識が残っており、ずいぶんひどい目にあった。助けを求めようにも回りはみんな日本人、つまり敵。あいつは日本での仕事が忙しくて聞いてくれないし、また母親に手を出した。それが噂になってまた苛められ、そして転校を余儀なくされた。半年同じ学校にいたことがない。4年経ってアメリカに戻れることになったときどんなに嬉しかったことか。
「……それで、また日本に行こうって言い出したんだから、無神経にもほどがあるよな」
 たった数日とはいえ、日本にまた行かなくちゃいけないとは苦痛に他ならなかった。嫌だ嫌だと言っても聞かず、とっくに予約は済ませたで終わらせた。日本へ向かう途中でこの世界に来たとき、これで日本に行かなくて済んだとホッとしたものだ。
 それだというのに、まさかこの世界で日本人に会うとは。本当に忌々しい。
「…………」
 ふと、枕元を探る。紙切れに当たった感触がし、掴み取って取り出す。
 出てきたのは1枚のチケット。当時日本で開催されていた博覧会のチケットだった。
「……なんで、まだ持ってるんだろう」
 捨てるべきだと思うのだが、いまだに捨てられない。自分でも理由は分からないが、とにかく捨てられないのだ。
「あいつにも、日本にも恨みしかないのに……」
 なぜか悲しくなって、目を閉じた。
 チケットには、その博覧会のキャラクターである、緑のモジャモジャした怪物が描いてあった。



「まったく、今日はひでぇめにあった……あん? あ、も、申し訳ありません。なんでもないですのよ? ホホホホ。シルヴィア王国親衛隊隊員、エミーナ・ライノスです。次はマリーが主役だそうで。なんでも、マリーの不注意で一大事件が発生、しかも再び襲撃が……ったく、あの機械馬鹿女め。あ! いえいえ、なんでもないですのよ。次回、サジタリウス~神の遊戯~ 第7話 『好奇と狂気』をよろしくお願いしますわ。――大丈夫なのか、本当に。深夜に書いてるから正気じゃないと思うが」

to be continued……


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