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日本では、ツリーが撤去され、門松が建てられ始めましたが、実は まだキリストの生誕祝いは終わっていません。
なぜなら、 キリストが生まれた時にその知らせを星で知ったマギ(magi)が、星をたよりにベツレヘムにやって来るまで日数があるのです
。
彼らマギ(magi)がベビー・イエスを拝み、祝いの品を渡すのは1月6日、公現祭・エピファニー(epiphany)
の日。
それ故、カトリックの国では、最低でも1月6日まではクリスマスツリー(Christmas tree)やプレセピオ(Presepio)は飾られたままとなります。
決して撤去が遅いわけではないのです ![]()
マギ(magi)については、 2013年12月「マギ(magi)の正体
で紹介しています。
リンク マギ(magi)の正体
加えて言うと、 東方教会では
、エピファニー
(epiphany)は別の意味合いを持っています。
東方では、 イエスの洗礼を記念する日がエピファニー(epiphany)
なのだそうです。
イエスの洗礼とは、大人になったイエスが(洗礼者)ヨハネよりヨルダン川で水の洗礼を受けた日。
これはエジプト起源の祝いだそうで。元はナイル川の神、オシリス神崇拝から来ているらしい。
そんな訳でクリスマスは過ぎましたが、「クリスマス歳時記 2」をつづけさせてもらいます。![]()
聖母子絵画とクリスマス歳時記 2 無原罪の御宿り日
プレセピオ(Presepio)
無原罪の御宿り日(The Immaculate Conception of the Blessed Virgin Mary)12月8日
ムリーリョの「無原罪の御宿り
フイリポリッピ(Fra Filippo Lippi)の受胎告知
ラファエロ 聖母の結婚 (Sposalizio della Vergine)
プレゼピオ(Presepio)
父の入院で予定がくるいましたが、「クリスマス歳時記」を書こうかと思ったきっかけは、たまたまその日が「無原罪の御宿り日」(12月8日)であったから。
※ プレゼピオ(Presepio)を飾るのは12月8日(無原罪の御宿り日)の日と決まっている
。
プレゼピオ(Presepio)はキリスト降誕の情景をフィギュアで現したオブジェ
です。
そもそもは、識字率の低かった欧州で、生誕の物語を演じて見せたのが始まりだったらしい。
一説には、アッシジ(Assisi)の聖フランチェスコ( San Francesco)(1182年~1226年)
が考案したとも言われている。
バチカン美術館の入口にあったもの

ザルツブルグの聖アンドラ教会にあったもの

イタリアでは等身大の人形が飾られる事もあるらしいが、家庭用はミニチュア。
パターンが幾つか決まっていて、納屋で生まれた所。マギが東方より訪ねてくる所。納屋でキリストに祝いの品を渡す所。天使が集まる所等々。
※ 2013年12月「マギ(magi)の正体」
の所でもプレゼピオ(Presepio)を紹介。
すでに冒頭で触れたが、 マギ(magi)が来訪
する翌年の1月6日、
公現祭・エピファニー(epiphany)の日までは当然ながらプレゼピオ(Presepio)は飾られている
事になる。
プラド美術館 ムリーリョの「無原罪の御宿り ベネラブレス(Venerables)」
1678年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo)(1617年~1682年)
スペインでは非常に人気のある画家です。日本ではあまり知られていないかもしれませんが・・。
マリア信仰の厚かったスペインでは、特に聖母の純潔性を描いた作品は圧倒的な人気があった と
言う。
その中でもムリーリョの「無原罪の御宿り」は代表格である。
下の拡大写真はウキペディアから借りてきました。自分の写真はボケ気味で拡大が無理だったので。

無原罪の御宿り日(The Immaculate Conception of the Blessed Virgin Mary
)12月8日
「無原罪の御宿り日」とは何か? 日本人には
無原
罪とは「原罪を持たない」と言う事
。
では、そもそも 原罪とは何か?
それは創世記、 アダム(Adam)とエヴァ(Eve)が神の意向に背いてリンゴを食べた
事に始まる人間の生まれながらに持った罪の事
である。
しかし、 人間の女性で唯一、原罪を持たずに生まれてきた者がいる。
それが神の子とされるイエス・キリストを宿したマリアの事
である。
しかも マリアはこの世に命を得た瞬間(母アンナの体内に宿った時)から無垢な者として存在したとされる
。
その記念すべき日が、無限罪の御宿り日(The Immaculate Conception of the Blessed Virgin Mary)なのである。
※ ローマ・カトリック内でもマリアの無原罪問題は長らく論争された教義であるが1854年に教皇が公認。カトリック信者の多い国では12月8日は法廷休日に認定されているそうだ。
因みにパナマでは母の日に認定されているらしい。
ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)
祭壇画に描かれた無原罪の聖母
目に留まったので撮影していたが、聖母マリアの貫禄に恐れ入ったのかな?
※ 正教会ではマリアの無原罪を認めていない。マリアに栄光が得られるのは、神の子イエス・キリストを生んで聖母となった時。
ところで、「 処女懐胎」とも言われる理由は、マリアの懐妊は、性交による所でなく、天の聖霊によって子が宿された事。
大天使ガブリエルによるマリアへの受胎告知がそれを示している。
フイリポリッピ(Fra Filippo Lippi)の受胎告知 アルテビナコテークから

受胎告知も多くの画家が描いているが、中でも優美で特に素敵な絵の一つです。
ルネッサンス期の画家で、サンドロボッティチェリの師匠であるフイリポリッピ(Fra Filippo Lippi
)(1406年~1469年)の作品。
受胎告知では共通に、マリアとマリアに告知するユリの花を持った大天使ガブリエルがいる。
彼は神の言葉を伝える天使なのである。

この絵はそれだけではない。時代の流行もあるのだろうが・・。
下の絵の左上、天上人からの金の光の帯が鳩(聖霊)を通してマリアに届く。
それによりマリアは懐妊する。

精霊による懐妊が、レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知よりも解り易い。
子供を産んでもなお、彼女は純潔であると言う事を象徴している絵である。
だが、 教義では、もっと深く清純とされた。
マリアはすでに彼女の母アンナのお腹に宿った時から原罪を持たないで生まれたクリーンな人とされている。
無原罪の聖母の絵画はスペインで特に好まれたらしい。
因みに、現実的に考えると、マリアにはヨセフと言う夫がいる。
以前読んだ興味深い本によれば
ダビテ・ソロモンの血をひく家系とされる修道士ヨセフは、当然子孫を残さなければならない。
彼には婚約者がいた。それが修道女マリアである。
しかし婚約中に懐妊してしまったので正式に二人の子とは認定されず、処女懐胎と言う流れになったらしい。
そしてヨセフは3年に1度下界に降りて結婚生活を営んだ。その時の職業が大工であったそうだ。
※ 「イエスのミステリー」死海文書で謎を解く NHK出版
原題 「Jesus The Man」 Barbara THIERING
ついでなのでマリアの結婚の絵画を紹介。
非常に珍しいタイトルであるが、何とラファエロの名品である。
ブレラ美術館 ラファエロ 聖母の結婚 (Sposalizio della Vergine) 1504年頃
サン・フランチェスコ聖堂サン・ジュゼッペ礼拝堂(ペルージャ近郊のチッタ・ディ・カステッロ)の為の祭壇画として制作。この祭壇画はラファエロが21歳の時。
この絵画では、神の子を産む、マリアの結婚相手を司祭が選んでいるらしい。
杖に花が咲いた大工ヨセフが夫として選ばれた・・と言う内容らしいが・・。
先に紹介したように、実際はダビテ・ソロモン王の血をひくヨセフありきの二人の結婚である。
ところで、この作品はラファエロの師、ピエトロ・ペルジーノの「ペテロに鍵を渡すキリスト」(システィナ礼拝堂)に構図がそっくり一緒。建物、人物の配置、遠近を使用した床の描き方まで・・。
ペルジーノの弟子をしていたのは4年程。この頃は師の影響がかなり強く出ているが、それでもラファエロらしい人物像がすでに表現されている。ブレラ美術館でも目玉の一つになっている。
因みに、師匠ペルジーノの技術を吸収したラファエロは、この祭壇画製作の後すぐ、フィレンツェに移りレオナルドやミケランジェロから刺激を受ける事になる。
クリスマスのルーツについて書く予定が、着地点が変わりました。
次回番外の形で載せるか検討中。
ところで前回ラストに出した問題の解答ですが、あの 聖母子の製作者はサルバドール・ダリ(Salvador Dalí)(1904年~1989年)でした
来年になりますが、清明神社と秦氏の関連で松尾大社を紹介予定です。
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