このページは私が子宮筋腫、左卵巣嚢腫の手術を受けたときの記録です。
かなり長いですがお許しください。
手術名:腹式単純子宮全摘および左付属器摘出手術
| 2004/7/20(火) 【術前検診日】 |
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| 朝9:00までに病院へ 血液検査、尿検査、肺機能検査、レントゲン、心電図など 病院内を回って婦人科外来に戻り、看護婦さんから入院に関する説明を聞く。 私は2回目の入院なので前回と変わったところだけ説明を受けた。 担当の先生から輸血の説明があり、自己血を採るかどうかを決める。 ほとんど輸血は必要ないらしいが、万一のため自己血を採っておくことにした。 フェレーシス室(採血室)に行って説明を聞いて帰る。 |
| 2004/7/28(水) 【自己血採取日】 |
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| 15:00までに病院へ 婦人科外来で血圧を測ってからフェレーシス室へ。 献血は何度かしたことがあったけど、いつも200mlしかとってなかったので、400ml採るのはとても不安。 隣で採血していた人は体重が40kg以下なので一度に200mlしか採れないらしい。800mlいるので4回にわけて採るそうだ。 子宮体ガンの手術を私より1週間あとに受けるらしい。 採血の時間は20分くらい。その間、テレビを見たり、看護婦さんと話をしたりしていた。 終わるとジュースとおせんべいをもらう。 婦人科外来の看護婦さんが車椅子で迎えに来てくれて、外来で30分ほど横になって帰宅した。 その日はなんともなかったけど、なぜか翌日の午前中ずっとふらふら状態になる。 |
| 2004/8/6(金) 【入院初日】 |
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| 今日は原爆の日で朝から電車に乗ったり、車で出るのは大変だと思ったから、昨日から犬を連れて実家に帰っていた。 実家も平和公園から近くだし、私も被爆2世なので毎年この日は特別な思いがある。 しかも今日から入院だと思うと落ち着かない。 病院も原爆病棟があり、今日は来訪者が多そう。 10時に病院へ着いて入院受付をした。 病棟にあがり、談話室で担当の看護婦さんから説明を受ける。 前回入院したときにも少しだけお世話になった看護婦さんで、覚えていてくれた。 まだベッドがあいていないらしく、談話室で採血したり、血圧測ったりした。 手術時に必要なものが用意してあるか確認する。 手術用腹帯2本、お産パット、使い捨てパンツ。 腹帯は父が手術したときに使ったもの、お産パットは妹がお産のときに買ってた残り物があったが、使い捨てパンツはなかったので売店へ買いに行く。 麻酔科の受診に行く。 手術時の麻酔について説明を受ける。 使う麻酔は硬膜外麻酔と脊椎麻酔。 副作用についての説明を受け、同意書にサインする。 麻酔科から戻るとベッドがあいたので、病室へ案内される。 3人部屋の窓側。 隣の人は60代くらいの内科の患者さんで、その隣の人は40代後半で私と同じ卵巣嚢腫で子宮と卵巣の全摘手術を受けた人だった。 荷物を片付けたところで、 看護婦さんから「今日、明日はもう検査も何もないから、外泊してもいいですよ」と言われた。気合いれて病院にきたのになんとなく拍子抜け。 日曜日の11時に戻ってくるように外泊許可を出す。 ちょうど1週間前から父も同じ病院に入院していたので、見舞って帰ろうと思い、父の病室に行くと、同じく外泊許可をもらっていた。 妹も整形外科に通院にきていたので、みんな揃って実家に帰った。 すっかり時間があいてしまったので、妹の子供たちを連れてハリーポッターを見に行った。卵巣と子宮の腫れで膀胱が圧迫されてトイレが近い状態が続いていたので、見ている間に2回もトイレに行ってしまった。周りの人に迷惑かけたかも。 |
| 2004/8/8(日) 【手術前日】 |
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| 11:00に病院へ 午後から剃毛があり、入浴する。 しばらくお風呂には入れない。 隣のベッドのおばちゃんは外泊でいなかった。 もう一人の人は私の卒業した小学校の事務員をしている人で、彼女の実家も私の住んでいる家と近かったため、色々話が合ってずっとおしゃべりをしていた。 2週間前に私と同じ手術をしたらしいけど、まだかなり痛そうだし、薬の副作用で肝臓が悪くなっているらしい。ちょっと不安。 夕食は普通どおり。 21:00頃に浣腸のため処置室に呼ばれる。 これが一番嫌だった。 5分我慢してといわれても、とても我慢できず即トイレへ。 急激なお腹の痛みで気分悪くなった。 21:30に消灯。普段、0時過ぎて寝ている私はとても寝付けない。 眠れずにいたら、看護婦さんが眠剤を持ってきてくれた。 薬を飲んでどれくらいたったかわからないけど、いつの間にか寝ていた。 |
| 2004/8/9(月) 【手術当日】 |
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| 朝6:00に浣腸のため呼ばれる。 あ~とうとう今日は手術なんだとドキドキしてくる。 手術は13:00からの予定。 担当の先生が回診に来て、「今日はいよいよ手術ですね。普通に切っていいですか?」と聞かれた。 「普通じゃない切り方って?」と聞き返すと、「普通は縦切りだけど、横に切る方法もありますよ」という答え。 普通でいいやと思ったので縦に切ってもらったけど、あとで考えたら横に切ったほうが傷が目立たなかったかも・・・とも思ったが、実際のところはよくわからない。 11:00頃から点滴2本。 それが終わると手術着に着替えて、血栓防止のストッキングを吐く。 12:30頃に基礎麻酔の注射を打つ。 「肩とお尻のどちらがいい?」と聞かれたので肩を選ぶ。 結構痛かった。 この注射を打つともう動かないほうがいいそうで、ベッドで横になっておく。 ストレッチャーに乗って手術室へ運ばれる。 母が付き添いにきてくれたが、手術中は病室で待っていた。 テレビでよく見るように、手術室の前で待っていて、手術中のランプをずっと見ているなんてことはなかった。 ストレッチャーから手術台に移され、硬膜外麻酔のチューブを入れる。 これが相当痛い。それなのに私の背骨は間隔が狭いから入りにくかったらしく、2度くらいやり直された。 「はいらんの~、やり直しじゃ」という麻酔科の先生の声がとてつもなく恐ろしかった。 年配の看護婦さんにしっかり抱きついて支えてもらっていた。 手の甲から点滴をされ、マスクをされるとだんだん意識が遠くなった。 気がつくと手術室で器具を片付ける音がしていた。 「終わりましたよ。」と声をかけられたが、次の瞬間 「耳とお腹が痛い」と叫んでいた。 麻酔科の先生の「何で耳が痛いんかの~。こんな人は今までおらんかったが」と言ってる声が聞こえた。 でも本当に耳が痛いんだからなんとかしてと思っていた。 手術時間は2時間半、予定より1時間長かったようだ。 病室へ戻ると二人部屋になっていた。 3人部屋だと看護婦が動きにくいので、真ん中にいたおばちゃんが隣の部屋に変わっていた。 膀胱留置カテーテルが入れられ、足にはエコノミー症候群みたいにならないように定期的に動かす器具がつけられている。 耳の痛みはしばらくするとおさまったが、お腹の痛みがひどい。 チューブを入れてるから痛くないはずなんだけど、切り裂かれた痛みがある。 あんなに痛い思いをしてチューブを入れたのに、なぜきかないの? あまりに痛いので下剤の痛み止めをいれてもらう。 痛いのと同時に吐き気をもよおし、何度か吐いた。 背中のチューブが原因らしい。 何時間たったかわからないけど、 それでもまだ痛みが変わらない。 これ以上は続けてできないからといわれ、最後に痛み止めの注射を打ってもらう。 これでやっと痛みがおさまりいつの間にか眠っていた。 夜中じゅう点滴(5本)あり、看護婦さんが1時間おきに巡回にきてくれる。 途中で暑くなり、電気毛布をはずしてもらった。 |
| 2004/8/10(火) 【手術後1日目】 |
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| 目が覚めると痛みはやわらいでいた。 昨日の痛みは何だったのかと思うくらいなんともない。 朝食が運ばれてきたけど、一人では起き上がることもできず、看護婦さんがくるのを待つ。 メニューは重湯とヨーグルト。 ベッドを少し起こしてもらい、重湯だけ食べた。 今日の点滴は6本。朝夕3本ずつ。 じっとしていると癒着しやすいので、寝たままで体をしっかり動かしてと言われたが、足についている器具が邪魔でとても動きにくい。 先生が傷の状態を見に来て、ガーゼ交換をしてもらう。 傷はまだ見ていない。 1日中寝たままで、背中が痛い。 同じ病棟の4階に入院している父が暇なので、何度も様子を見に来る。 婦人科に男の人がパジャマでうろうろしていると、不審者に思われそうなので、看護婦さんに伝えておいた。 |
| 2004/8/11(水) 【手術後2日目】 |
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| 朝早くにガスが出た。 ガスが出ればカテーテルと足の器具をはずしてもらえる。 採血と検尿がある。 カテーテルの途中を止めて、尿を採るのだが、 止めたまましばらくほっとかれたので、トイレに行きたい感覚がある。 あまりに気持ち悪いのでナースコールしてきてもらった。 今日は部長回診の日。 部長先生が一人ずつ回って声をかけていく。 昼前にやっとカテーテルと足の器具をはずしてもらった。 トイレに行こうと立ったら、ふらふらしていた。 トイレにたどりついたところで吐き気がして、洗面所で吐いてしまった。 水分をしっかり取るようにと言われたので、ペットボトルの水を買いに売店まで行った。 売店で病棟の看護婦さんと出会い、 「歩けるようになってすぐにこんなところまできたの?」とびっくりされた。 帰りにしんどくなったので、ちょっと無謀だったと反省。 少し膀胱炎のようになっていて、トイレが近い。 15分おきにトイレに行っているので、とても辛い。 新しい入院患者さんがきて、3人部屋になった。 彼女は切迫早産のため安静にしておかないといけないらしい。 話はできるので、また色々話していたら、年はずいぶん下だけど、 私と同じ大学の卒業生だった。 今日も点滴は6本。 |
| 2004/8/12(木) 【手術後3日目】 |
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| ご飯が五分粥になった。 今日の点滴は4本。朝夕2本ずつ。ガーゼ交換がある。 手術室で点滴針を入れた手の甲が腫れて痛くなってきたので、点滴の場所を変えてもらう。 背中のチューブを抜きに麻酔科の先生が来た。 痛くて大変だったと伝えると「なんで効かんかったかのう?モルヒネがはいっとったんじゃが」と首をかしげていた。 抜くときはバリッという感じであっという間だった。 起き上がるときやくしゃみをしたりすると傷が突っ張るような感じで痛い。 でも体は動かしたほうがいいらしいので、父の病室や売店まで行ったりした。 相変わらずトイレが近い。 先生に言って、膀胱炎の薬をもらった。 同室の人で同じ手術をしていた人が退院し、2人部屋になった。 夜中にお産の人の叫び声が聞こえる。 どうやら陣痛室がいっぱいで、普通の病室で待っていたらしい。 |
| 2004/8/13(金) 【手術後4日目】 |
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| ご飯が全粥になった。 お粥なんだけど、おかずに鮭の塩焼きがついている。ちょっと不思議。 今日で点滴は終わり。朝夕1本ずつ。ガーゼ交換がある。 朝の点滴中にふと点滴が落ちるのをながめていたら、袋に書いてある名前が隣のベッドの人の名前だった。 慌てて隣の人に、名前違ってると伝えナースコール。 看護婦さんが真っ青になって慌てて飛んできた。 幸い、全く同じ点滴だったのでよかったけど、違ってたら大変だよね。 頭が痒くて気が狂いそうだったので、看護婦さんにシャンプーをしてもらう。 病棟内はお盆で外泊する人が多く、患者さんが少なくなっている。 |
| 2004/8/14(土) 【手術後5日目】 |
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| ご飯が普通食になった。 まだトイレが近いので薬を出してもらう。 今日からは点滴はなく、ガーゼ交換だけ。 ずっと隣のベッドの人と、母校の大学のことやオリンピックの話で盛り上がる。 病棟内を散歩していると、 前回の入院時に同室だった人が入院していることに気付いた。 彼女は小学校の先生だけど、子宮体ガンで年3回抗がん剤での治療のために入院している。 彼女のお父さんも入院していて、ほとんどお父さんの病室へ看病に行っていた。 自分自身も辛いはずなのに、すごくがんばっていた。 |
| 2004/8/15(日) 【手術後6日目】 |
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| ガーゼ交換がある。 少し元気になると暇で仕方がない。 今日も隣の人とおしゃべり。 隣の部屋の人も加わって、オリンピックの話で盛り上がる。 |
| 2004/8/16(月) 【手術後7日目】 |
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| 父が退院した。 午後から処置室に呼ばれ、抜鈎(バッコウ)。 痛いんじゃないかとドキドキしていた。 実はまだ自分のお腹がどうなってるか見てなかった。 なんとなく怖くて見れなかったけど、処置室でガーゼを取ったときに見てみた。 ほんとにホチキスがほとんど隙間なく止まっていた。 20個くらいはあっただろうか。 抜くのはあまり痛くなかった。 今までは起き上がるときやくしゃみや咳をしたらお腹がつっぱった感じがして痛かったけど、抜鈎のあとは急激に楽になった。 傷は10センチくらいで、両端にホチキスの針のあとが転々と続いている。 テルモポアという絆創膏の大きなものを貼る。 入浴の許可が出たので、予約を取ってお風呂に入る。 13:30に予約をいれたのに、12:45に前の人が済んだと呼びにきた。 13:00から冬のソナタがあるらしく、みんな早めにお風呂から出てきたらしい。 お風呂から戻るとみんなベッドに戻って、テレビを見ている。 冬のソナタは見たことがなかったけど、みんなが見てるからどんなものかと見てみた。 でも次回が最終回らしいけど、全く見てないので話がさっぱりわからない。 自己血を採った日に一緒だった人が隣の部屋に入院してきた。 手術やその後のこととかの話をした。 |
| 2004/8/17(火) 【手術後8日目】 |
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| 新しい患者さんがくるらしく、またベッドが入れられて3人部屋になった。 出産直後の人だった。 普通はお産の人は個室にはいるのだが、お産の人が多くて部屋が足りないらしい。 自分では子供が産めなくなることは納得してたつもりだし、産みたいとも思わなかったけど、なんとなく隣に赤ちゃんがくるとすごく悲しかった。 なんで同じ部屋に・・・と少し落ち込んでいた。 今までのようにおしゃべりもできなくなり、急に退院したくなった。 看護婦さんに明日退院できないかどうか先生に聞いてもらい、退院許可をもらった。 夕方、先生から手術のことや退院後の生活について説明を受けた。 手術でとった子宮と卵巣の写真を見せてもらう。 子宮の大きさは160gだったらしい。 卵巣嚢腫は良性だった。 2週間かけて普通の生活に戻れるようにとの説明だった。 思ったより筋力と体力が衰えているので、重いものを持ったり、高いところの物を取ったりしないようにということだ。 1週間後に通院して、その後は半年後でいいらしい。 |
| 2004/8/18(水) 【退院日】 |
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| 朝の検温が終わって、体温計を返す。 妹が迎えに来れるのが昼ごろだったので、お昼を食べて帰ることにした。 午前中に計算書をもってきてくれたので、お金を払いにいく。 合計:217,820円 もっと高いかと思っていたのでちょっとほっとした。 お世話になった人に挨拶して実家に帰る。 9月から仕事に復帰する予定だが、しばらく実家でお世話になることにした。 |

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