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ぼけっとしていたら放送大学の面接授業の授業料を支払うことを忘れていました。ところで授業は開催できるのかな。宮城学習センターは建物にひびが入った程度で大丈夫なようです。ただ、DVDなどの教材が落ちてしまって片づけるのに大変なようで31日まで休館するようです。明日直接電話をして開催されるのか問い合わせをしてみようと思います。こんなことでせっかく湧いた学習意欲を邪魔されたくないですよね。 気分転換になるかもしれないし頑張りたい。
2011.03.29
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同僚が「毎日おにぎりばっかりで飽きてしまった。」と話していました。また停電になったら大変とおにぎりを大量に作り冷凍していたそうです。それを毎日食べているとか。私も贅沢な話ですが、毎日梅干しのおにぎりだけの昼食は飽きてきました。朝は先日ようやく手に入れた牛乳。それと比較的手に入りやすいバナナ。昼は梅干しおにぎり夜は・・・「何を食べようか」と考えながら帰宅しています。家に着く途中のローソンが開いていたので中に入ってみると商品棚はスカスカ状態。でもパンなどが残っていました。あんぱんを2つ手に取りレジに並ぶと揚げたチキンが販売されていたので会計の時に「Lチキ二個ください」と頼むと「すみません、おひとり様1個だけです」言われてしまいました。「・・・・・1個だけならいいです。」1個だけ買って行ってもしかたないもの。旦那と二人分ほしい。2個ぐらい売ってくれてもいいのになぁ。お腹がすいたしチキンが買えなかったことで一気に疲れを感じと足取りがトボトボとなりました。家の和室で着替えをしているとき「から揚げなんてしばらく食べてないな」と思いました。「体にはいいのかもしれないけれど、こんな生活いつまで続くのかな」震災後今日で19日たつのにコンビニのチキンがさえ満足に買うことが出来ない現状を考えていたら、いまだ連絡が取れない沿岸部の方々の安否も気がなってきて重い気持ちになりました。ローソンのチキンが買えなかっただけで・・・・・気持ちがくじけて泣いてしまった。。。。なんとも涙ちょちょぎれる話です。(注:ローソンは悪くないんですよ。感謝すべきことはたくさんあります。) でもいいことがありました。夫が職場からお土産をもらって帰ってきたのですが、卓球の福原愛ちゃんからの差し入れの品でクッキー系のエネルギーバーでした。患者さん用に確保していたそうなのですが、きちんと給食が出せるようになったので職員に1個ずつ配給されたようです。福原愛ちゃん、ありがとう。心が温かくなりました。感動したよ~!もともと好きだったけどさらに好きになりました。 千葉県からは医薬品が、九州からはカイロなど他県から様々な支援物資が届いたようです。患者さんが硬くて食べられないような品物は煮炊きが不自由な職員の昼食になったようです。たくさんの方々の支援で成り立っているんだなぁ。心が温かくなります。本当にありがたいです。 ・・・気持ちが落ち着いた後に夫の顔を見たら「なにもLチキではなく、から揚げくんを買えば二人で分けられたのではないか?」とハタと気が付きました。時すでに遅し。・・・ですね。 でも、「これほしいな」・・・・「1個だけです。」は手に入るだけ贅沢だけどもういいなと思いました。気持ちがくじける。特に嗜好品的な食べ物だとね。悲しくなるよね。
2011.03.29
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先日夫が病院の近くのコンビニでパンを買うことが出来たと山崎のコッペパンを持って帰ってきました。今日それをお昼用に持って行ったのですが、私一人だけパンを食べていて申し訳ない気がしました。そのくらいパンが買えないのです。今や貴重品です。みんなお昼にふりかけをまぶしたおにぎり、または白いご飯にふりかけをかけて食べている。先週、夫のお弁当に苦労して手に入れたお肉やプチトマトをおかずとして持たせてやったら「みんなおにぎりだけ食べているからおかずはいらない。」と言われました。物資が増えてきましたが、スーパーの営業時間は午後の2時とか3時までなので働いている人は食材を買うことが出来ないのです。働いている人の食卓は粗末なものになっています。ヤマザキのコッペパンの中にアン&マーガリンやピーナッツクリームが塗られているパンが今や貴重品なのだから2週間前には想像も出来ない世界に変わってしまいました。乳製品の入手も難しく牛乳がなかなか手に入りません。ヨーグルトも食べたいけど見つからない。私は肉や魚が買える環境にありますが、実家の母のところには肉・魚は販売されていないようです。いまだ断水状態で山から水を汲んできて使用しています。放射能が心配だから飲むなと言いましたが給水車が来ないからそんなことは言ってられないと話しています。仙台は物資の購入には恵まれているのでいろいろ購入して嫁ぎ先と母の所に持っていきたいのですが届けるためのガソリンがありません。このような生活はまだまだ続くのかな?原発の問題があるから今の生活の方がまだ幸せな状態なのかもしれないです。レベル7になったらもっと困窮することになるでしょう。腹をくくっていますが、大変なことになっています。これが本当に日本なのか。日本は安全で安心な国ではなかったのか? 東北では5月から田植えが始まります。今後の原発の推移では稲作も困難になるかもしれないです。日本の経済発展を根底で支えてきたのは豊富で美しい水と農業でした。異常が起きた早期の段階で原発を廃炉にしてしまえば良かったのに産業を優先して美しい水田と水を崩壊させる危険にさらしてしまった。みんな水と食べ物と寝起きが出来る安全な住まいを得るために頑張って働いていたのだと今更ながら気が付きました。豊かな国とはパンや米を毎日食べることが出来て、安全な水をみな等しく飲むことが出来る国のことをいうんだな。それを忘れていました。
2011.03.26
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仙台駅・・・・修理中です。宮城県沖地震が起きたら駅前のペジストリアンデッキが落ちたり、ビルの窓ガラスが割れ降ってくるのかなと思っていましたが、そのようなこともなく思っていたよりかなり被害が少ないですね。地震が30年間隔でやってくることは想定されていたので耐震構造がきちんとなされていたのだと思います。よくガラスが割れなかったな。ガラスは強度などの研究がなされ精度がよくなっていたのだろうとビルを見上げながら思いました。明日からは駅のエスパルの地下1階のお店が営業しますよ。比較的仙台は食材が手に入りやすくなりました。数量限定ですがロールケーキなどの贅沢品も販売されていたりします。昨日はピザも買えたし。街中ではお弁当があちらこちらで販売されています。牛タン弁当は比較的買いやすいかな。傾いています・・・・ 非常に車が少なく活気がない仙台。人はそれなりにいますがお店がほとんど閉まっているのでさみしい人出です。まず、若者が少ない。ギャル系は姿を消しています。つけまつげとマスカラを盛って目の周りを黒くしている人もいない。都市ガスが使えないのでメイクもヘアも控え目になっているのだと思います。もう清潔であればいいという感じ。それなりにブーツを履いたりしておしゃれしている人も出てきましたが、スニーカー系が多いかな。今だ帽子・マスク・パンツスタイル・ヒールなしの靴の防災ファッションが主流です。私も仕事は普段着に病院用のエプロンという姿で仕事をしています。いつでも逃げられるようにです。営業で回っている薬屋さんも私服です。ちなみに原発がチェルノブイリ並みのレベル7になったら出勤しなくていいと言われました。こちらの人は結構腹をくくっていますよ。だって逃げるところがないもん。 ガソリンが手に入らないので自転車通勤する人が増えています。なんか中国のようだと笑っていた人がいました。 これまでエネルギーを無駄遣いしし過ぎていたよね。復興まで何年かかるのかしら?生活の改善をしながら頑張らなくちゃね、
2011.03.24
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夫が仕事から帰ってくるなり「認知症のばあちゃんもついに歌いだしたぞ。」と言いました。 「・・・こんにちは・・・ありがとう・・・・楽しい仲間が...ぽぽぽぽ~ん・・・・」 仕方ないよね~。刷り込まれるよ。 将来このJCのCMが流れたとき「あの時は大変だったね」と懐かしく思える日がやってくるのだろう。早くそうなりたいね、と夫に言いました。
2011.03.23
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夫の勤務先の病院ではお昼に職員に炊き出しが出るようになったようです。おにぎりと味噌汁がいただけるそうです。ありがたいです、助かります。<(_ _)>私もおにぎり1個とお茶をもって通勤しています。震災前はダイエット・ダイエットと変な物を購入していましたが、なんと贅沢なことだったか。地震の後に何か食べ物がないかと部屋を探したらゼロカロリーのコーラーやゼロカロリーのゼリーが出てきました。震災後のカロリーゼロのバカらしさ・・・ これから体重がなんぼ減るんだか楽しみだねッ!
2011.03.23
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ガソリンの供給不足と自宅待機が解除された企業が増えたせいか今週に入ってから地下鉄の込み具合が半端じゃないです。どうやら電車の本数も減っているらしい。満員具合は東京よりすごいと思う。地震の時なみに命の危険を感じるよ。もう詰め込まれ過ぎて隙間なんてほとんどないのに次の駅に着くたんびに無理に入いろうとする人たちが当たり前のようにいる。ついに我慢できず「無理です!次のに乗ってください!」と言ってしまった。騒いでいるのは私だけだ。みんな黙っている。私は背が高いから余裕があるのだけれど、背が低い女性は苦しそうだ。私の手は自分と他人の体に挟まれてシビレてきていたし。しびれが出るくらいの満員具合は異常だよ。明日もあの地下鉄に乗って通勤するのかと思うと・・・気が重いです。新しい職場の仕事の内容も・・・県立病院のストレスと比べたら10分の一だけど・・・・・・・これでいいのかと思いながら仕事をしています。不潔清潔が怪しいの。。。。。。働くところ間違ったような気がする。
2011.03.22
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震災から一週間が過ぎ、失ったものの甚大さ、復興への道すじさえ見えない被災地のことを考えると頭も気も重くなる毎日です。一筋の光が見えるのであれば、それは子供たちの笑顔であり、店先に徐々に増えてきた品物であり、子供の朗らかさと物流の復帰は私たちの土台を固めてくれる支えとなっております。健康体で物質的に失ったものなどない私も被災地にいるだけで被災者という位置づけにあり申し訳ない限りです。そこで私に出来ることは何かと考え看護師の仕事復帰をいたしました。 世間一般には絶好のタイミングであり、私個人的には悪いタイミングでもあり、とにかくもがきながらも自分が今出来ることを実行するのみです。 今日は被害地に住んでいる私が思うことを書いてみようかと思います。テレビを見ていて思ったのですが、人に印象付ける悲しい映像を何度も再放映して流している無神経な放送局があります。放送された当人がこの映像を見ていたらなんて思うか。悲しみが増してしまうでことしょう。そっとしてあげてほしいと思います。流されてしまった家から思い出の品をと探している中学生の兄弟に向かっていい大人だろう取材クルーが「復興まで何年かかると思いますか?」「またここに住みたいですか?」と質問。無神経すぎます。 赤ちゃんが生まれた姿は希望があり目頭が熱くなりますが、生まれたという画像を車で1時間30分もかかる実家の両親に届けて見せる必要はがあるのか。電話で連絡できるのに。多分嬉し涙を流す両親の画像を収めて放送したかったのだと思いますが、薄っぺらい魂胆が見え見えです。被災地の「現実」を撮影しているつもりが「絵」を撮ってしまっている。その1時間半分のガソリンがあるのなら、亡くなった家族の遺体が安置されている体育館へ行けず困っている方々を連れて行ってほしい。ガソリンがなくて家族が安置されているかもしれない施設に行けず、対面もできぬまま土葬されてしまうおそれのある人々がたくさんいます。1リットルでいいガソリンがほしいと泣いていたおじさんがいました。優先的に入れてもらえるガソリンを入れた車で被災地を訪れるのなら困っている人の手助けもしていただけたらありがたいです。手助けしてくれている報道の方々はいると期待しています。よろしくお願いしたいです。
2011.03.21
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さっちゃんさん、大丈夫ですか?無事であることを祈っています。
2011.03.20
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雪が積もっていてとても寒いです。食べ物がなく、仙台市民は長い列を作って連日買い出しを行っています。今日は生協に5時間並びました。途中から雪が降り始め「この雪は放射能大丈夫なのかな?」と思いながら、でも仕方がないのでそのまま降ったりやんだりする雪にため息をつきながら並びました。手に入れたのはミカン6個、肉1パック、ガスコンロ用のガス2本、小麦粉1袋、カットバン、ポン酢、小さいラップ、水1本。食べ物がないです。販売は会議室にあるような長いテーブルの上に置かれている商品を一人10個まで購入できるという方法でした。食べ物がないのでみんな仕方がないから缶ジュースとかミカン(ミカンは3個で1つとカウント)を買っていました。ポン酢より他の食べ物がほしいのですがなかったので何かに使えるかもと思い購入しました。こんな日がくるとは思わなかったな。私はまだ恵まれた方ですから我慢しましょう。 高齢者が心配です。マンションには一人暮らしをしている方が多いらしいです。なにかしてあげたいけれど自分の家族の分で精いっぱいだと列に並んでいた女性が話していました。高齢者はこのような寒さの中で5時間も並んでいることはできないと思います。生協の販売では途中から妊婦さん、乳幼児~4歳のお子さんを連れた方は先に店に入れるようになりましたが高齢者は対象ではありませんでした。買い物を終え私が帰宅するときに最後列に並ぼうとした白髪頭のおじいさんが「販売終了」という札をもった職員の方から断られていました。私は「高齢者なんだら販売してあげたら」と声をかけましたがおじいさんは帰されていました。もう一度「高齢者ですよ!」と大きな声で言いましたがスルーされました。おじいさんは自転車をひいて戻っていきました。少ししてから気になって、おじいさんにミカンをあげようと後から探したのですが見つかりませんでした、後悔です。「このままじゃダメだ」店に戻り夫は表にいた店員さんに、私は裏口の店員さんに「高齢者も乳幼児や妊婦と同様に扱ってほしい」と頼みました。「70代はまだ若いけど、80歳代と思われる方には融通を利かしてほしい、先ほど白髪頭に高齢者の方が入店を断られていた、助けてやってください」こんな偉そうなことを言ってとっさにミカンをあげなかった自分の小ささ。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、泣けるね。
2011.03.17
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静岡でも震度6強なのでみなさんも注意してください。各県でもいろいろ防災グッズが不足しているようです。いつもお釜にご飯があるようにしておきましょう。お湯を沸かし、水もためておきましょう。お風呂のお湯も捨てないで。携帯に入っている大切な人の覚えていない番号はメモして手元に持っていましょう。勤務中もポケットにメモ、携帯、自宅のカギを入れておきましょう。絶対ロッカーに入れっぱなしにしておかないこと。地震が起きた場合にロッカーが転倒し取り出せなくなる可能性があります。家族と落ち合う場所を確認しておきましょう。いざという時に探しやすいです。ラジオも用意しておきましょう。緊急地震予測信号がチェックできるので助かります。いちいち小さな揺れが起きるたびに驚いて玄関まで走るという回数が減らせます。大きい地震が起きそうなときは「ピンポン、ピンポン」と警告速報が放送されますので便利です。枕元に着替えと懐中電灯を用意して寝ましょう。玄関に逃げやすい靴を用意しておきましょう。 なんか変ですから・・・不安をあおるわけではないですが、用意しておくにこしたことはないです。
2011.03.15
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メッセージをいただきありがとうございます。後日個別に挨拶させていただきます。私は家族ともども無事です。震度6強の揺れでしたが自宅も現在の住まいも大丈夫です。(水漏れで床が大変なことになっていますが・・・)ただ福島原発の放射能漏れが心配です。今後の状態を見守っていますが、最悪なことが起きても私達には逃げることろがありません。住む家もなくなります。祈るばかりです。 私の親友は津波の被害の大きかった「荒浜」に住んでいましたが無事が確認できました。実家に身を寄せている彼女に会いに行き、姿を見たらお互いにホッとしてうれしくて抱き合って泣きました。生きていてよかった。こんな日がくるなんて思わなかったです。 1月まで住んでいた岩手県宮古市ですが、私が住んでいた家まで津波が到達したようです。宮古の方々と連絡がとれません。停電しているので携帯メールが使えないのだと思います。私のひとつ隣の家にに住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんは無事なのか、野良ネコのペコは隣の家の縁の下によくいたので逃げられたのかとても心配です。あのまま住んでいたら私はどうなっていたのか・・・。津波は25分後に来たらしいです。「この家まで津波が来たら宮古は全壊するよ」そう言われていましたから・・・冷静な対応ができたが自分でも自信がないです。 ・・・・現在は原発が怖いです。津波からは逃れられましたが今度はメルトダウンの危険性にさらされています。腹はくくっていますが、東京方面で使う電気を東北で作りこんな目にあうなんて納得がいかない。もっと普段から節電してほしいです。宮城県には30年ごとに大きな地震がくるとわかっているになんで福島と宮城に原発があるのでしょうか。ニュースでは関東方面の放射能測定値が放送されていますが、福島の隣の宮城県や福島県内の30キロ以上離れた町の測定値が公開されていません。なぜ公開しないの?重要な情報でしょう。隠ぺいしているの?公開してください。不安です。 石原知事は「津波は天罰だ」と言ったそうですが自然と共に生活をしている東北の方々が天罰にあうなんておかしいです。漁をして、稲作をして自然と共に生活をしている人たちが何の罪を犯しているのでしょうか。言葉には気を付けてほしいものです。心がとても痛いです。
2011.03.15
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