中国は大きな国



言われてしまった。面接の沖縄県庁の人に「おまえはバッジを付けているけど会社の代表として行くのか、それとも個人としていくのか」だって。どっちでもいいのにね。私はそのとき、「はい、個人として行きます。行きたいです。」かっこいいね。でも内心思ったね「どっちでもいいじゃん」頭が堅いね。だって「自分のお金でいくのに会社もへったくれもないじゃないですか。あくまで個人です」と強い口調で言えるわけないよね。そのときは。でもうちの会社はわたしが参加したあとから会社負担でいけるようになったんです。それこそ、問題じゃないですかね。ぶつぶつ・・・。



中国は大きな国

上海に着いたとき、中国側の歓迎レセプションが上海港であり、盛大でしたね。上海をバスで観光したんだ。すごいたくさんの人、人、人だったね。歩道に入りきれないので車道まではみ出していた。中国は当時、今から、18年前は車優先だからクラクションは鳴らすけど、バスはいっこうに徐行する気配は見えない。人だまりの中をつっこんでいくといった感じ、なんか、バスに乗って、そんな運転されると悪いことをしに来た人たちと見られているんじゃないか、気になったね。上海では、中国のデパート(観光用)とサーカス(雑技団)に行きましたよ。当時の中国製品は最悪でしたね。買えるものは、漢方薬ぐらいしかありませんでしたよ。サーカスは楽しかったね。上海を後にして、乗ってきた船で揚子江を登って、蘇州に向かいました。揚子江は海のようだったね。向こう岸がぜんぜん見えないんだ。でも川の色は汚かったね。それから、蘇州では昔風の建物と露天で掛け軸を買ったのを覚えている。昔の建物は、沖縄の古い家とあまり、かわらなかった。沖縄と中国は近いのかもしれないね。道行く人(とくに女性)はきれいな人が多かった。蘇州美人というぐらいだからね。四面楚歌の物語を思い出しました。それから、天津に列車で向かったんだ。列車から見る景色は、平野がずっとずっと続くんだ。山なんかぜんぜん見えなかったね。天津では、沖縄の団員は「エイサー」を踊ったんだ。「エイサー」も行く前にいっぱいいっぱい練習したさあ。最高だったね。異国で踊る「エイサー」は。それから、最後の訪問地「北京」に天津からバスで向かった。中国は広いね。まだまだ続くよ。



あの事件のちょうど前だった

ぼくたちが北京を訪れたのはちょうどあの天安門事件の前で旅のしおりには中国のガイドを刺激する質問はしないようにと書かれていたが、そこはそこ、みんなバスのなかではきわどい質問が飛んだ。中国のガイドはみんな大学での国家公務員でエリートだ多少の日本語は流暢に話せるが、質問によっては無視された。そう無視してもいいのです。無視したからと言って笑わないよ。女性のガイドもいたけどいっしょだったね。愛想はよくなかった。これはホテルの受付でもいっしょだった。当時の中国はそんな国でした。観光でよかったのは、あの何千もの兵士の焼き物が実際に埋もれていた西安、あの場所に行った。それから、万里の長城の塀から眺める景色の中に湖があつたんだ。いまでも忘れないね。美しい景色だったよ。今は安くいけるし、対応もよくなっているし、まだ中国に行ったことがない方はぜひ行かれてください。お奨めです。北京から帰りは、来た船に乗って日本に帰りました。日本に着く前の晩にさよならパーティーが船の上であって、盛り上がったね。そして泣いた。特に沖縄県の団員はぼくをふくめて苦しかった思い出と楽しかった思い出を思い出してさ、みんなで泣いたよ。ああ青春の美しい1ページだったね。ぼくのお話しはここでおしまい。多少事実と異なるところがあったら、勘弁してね。なんせ18年前の記憶だから。最後にお世話になった班長さん、それから団員のみなさんお元気ですか、またいつか、集まりたいですね。それでは。また。



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