
想像してみてください。
目の前に広がる大海、浮かぶ氷山
そこは、どんな風が流れて、どのような音が聞こえて他に何が見えるのでしょうか
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見える氷山は、普段のあなたの心です。
その氷山の下にも、あなたの心が見えないけど確かにそこにはあります。
普段のあなたは、見える氷山の部分「意識できている自分」で行動して
フッとしたときに現れる態度や行動は、見えない氷山の部分「無意識の自分」に由来。
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「意識」と「無意識」のギャップに気付きが深くなるとき
大海の波が氷山を揺らして浮き沈みをするかのごとくバランスは不安定になる
見たくなかった部分も認識を促される状態になので
結構しんどいく感じるかもしれない。
しかし、
無意識の部分を気づきや素晴らしさとして学び、
起こる出来事にも抗わずに、ありのまま受容できると、
氷山という自分自身の器が一回り成長するかのごとく、
今までの沈んでいた氷山が顔を出して、今まで見えていた部分と一体となる
見えている部分が大きくなってゆくときには、
新たに見えない部分も作られるが
氷山自体が大きくなるので、今までのような波立ちではビクともしない自分になる。
逆に受容せずに器を成長させないでいれば
この自分という氷山の大きさは小さいままなので
成長を促すため、この同じ状況という波は形を変えて何度もやってくるだろう
受け入れる準備が出来ているか、もしくは必要に迫られているときだから
不安定さに対して気付きがあるともいえる
どの選択をいつ、あなたはしてゆくのだろうか・・・
無意識の部分の見えない氷山は、
まだ見ぬ無限の可能性を秘めている自分の一部である。
自他共に沢山の生命との関わりを持ち
互いに関わりを持ちながら成長や達成に向けて
影響しあえる大切な、かけがえのない存在である。


