::手作りDays::

::1度目の流産(進行流産)::



2004年3月。

私と今の旦那ビーちゃんが付き合いだして数ヶ月が経った頃。

なぜか急に大好きなコーヒーが飲めなくなり食欲も減って
サラダばかり食べていたのを覚えています。

その頃は私のほうが仕事が忙しくて、比較的時間に余裕のあった彼が
毎晩夕食(サラダばかり)を作って待っていてくれたっけ。

生理が遅れ、まさか妊娠?

当時同じ職場で働いていた私たちは深夜わざわざ遠くの薬局まで
車を走らせて妊娠検査薬を買いにいきました。

結果は陽性。

結婚なんてまだ全然考えてなかった私達はかなり戸惑いました。
仕事命!だった私が妊娠なんて・・・。
彼は彼でまだ若いし、日本語を勉強するために来たというのもあり
何度も話し合いました。

けど、「産まない」という選択だけはしたくなかった私。
それは彼も同じで、話し合いの内容は

いつ、どのタイミングで親や上司に話すか・・ばかりでした。

数日後私と彼は一緒に産婦人科へ行きました。

「おめでとうございます♪」と看護師に笑顔で言われ、
内診が終わってふと目の前に映った私の顔が
満面の笑みだったのを今でもはっきり思い出す。

その頃につけていた交換日記には

「私達、一緒に自分の子供に英語を教えられるね~!」

なんて書いてあったり・・。


だけど・・・忘れもしないあの日。

私は新しく開講するクラスの模擬レッスンの打ち合わせを
していました。
休憩時間にトイレに行くと少量の出血。

不安に思った私は上司にそのことを告げると、

「あんまり心配したら返って悪いから気にしないように」

といわれそのままレッスンの打ち合わせを続けたのです。

夕食も外で摂ったものの下腹部の痛みが心配でたまらなかったのを
覚えています。

***

何であの時もっと妊娠初期のことについて調べていなかったんだろう。
今考えると出血しながらそのまま仕事を続けるなんて有り得ないのに。

その晩、だんだんひどくなる出血と下腹部の激痛に苦しみながら
産婦人科へ電話すると

「塊みたいなものは出ましたか?」と聞かれ、
その言葉に私はとても嫌な予感を覚えました。

本当に私はバカで、大量に出血しているにもかかわらず
心配してメールしてくる彼に「いい、大丈夫」とひたすら
家に来るのを拒んでいたんです。

翌朝すぐに病院へ。

内診の結果、流産だと言われました。

初めての検診で見たあの小さな帯嚢はすっかり姿を消していました。

全くといっていいほど妊娠に関して無知だった私はその意味さえも
分からず、どうしていいのか判断も出来なくなっていたのか、
やっぱりなぜか、仕事中の彼には言えずにいたのです。

でも看護師から、処置をするには家族の同意が要ると言われ
泣きながら姉に電話をして同意して貰ったのでした。

処置前は号泣しながら看護師さんに
「また赤ちゃん産めますよね?」と何度も聞きました。
看護師さんは「もちろんよ!」と答えてくれたのが心の支えでした。

術後は麻酔が切れかけ朦朧とした中で、
「痛い!!お腹が痛い!!!」と叫ぶ(叫んでいたと思う)私の声が
遠くのほうから聞こえていました。

***

出血しながらも仕事を続けたこと、
彼に言わずに処置をしてしまったこと、
お腹の子にちゃんとさよならも言わずにお別れしてしまったこと。

このことは今でも私の中で大きな後悔となって残っています。

仕事から帰って初めてこの日のことを聞かされた彼の心情は
どんなに辛くて悔しかったことだろう。

彼の大きな目に涙があっという間に溜まり、ポロポロこぼれてました。


***

けれどこれがきっかけで結婚はもっと先だと考えていた私達は
もっと早く一緒に暮らしたいと思い始め、3ヵ月後の6月に入籍したのです。


→二度目の流産


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