らぶぴか

らぶぴか

天国へ旅立った息子の話2



食事をしてなければ部分麻酔だったんです

部分麻酔だと吐く危険があるので全身麻酔になりました

このとき30週と6日

時間は夜7時52分でした。

体重は956グラム

このときは、小さいながらも健康な赤ちゃんでした。

出産から2日後の11月7日。

子供に会いに行きました。

あまりの小ささに悲しくなってきました。

具体的な大きさは、頭がりんごで、体回り、大きさがティッシュペイパー(薄型)なのです

でも、健康であれば・・・という気持ちでいっぱいでした。

そして、7日の夕方6時に0.3グラム(一滴ぐらい)の母乳開始と報告を受けました

しかし、ここから一転します

7日、一滴しか飲んでないはずなのに、母乳を吐いたそうです

8日に子供に会いに行くと先生にお腹にガスがたまっているようです。ミルクは中止にしますと

そして、12日のお昼、小児科の先生から呼び出しがありました。

内容は、

お腹の腸がねじれていて、それがそのままねじれた状態でくっつきあっています。
このままだと良くないので、これから緊急手術をします と

旦那さんに電話して改めて2人で説明を受けました。

手術の執刀をしてくれる先生に説明を受けましたが、

手術の成功率は50%。

なにより体力のない赤ちゃんなので覚悟はしてください

といわれました。さらに追い討ちをかけるように

緊急手術がこの時間に入っていたのですが、それをどけていれたと・・・

症状の悪さがよくわかります。また一刻の猶予もないということも・・・

14時過ぎに手術開始。17時45分手術終了しました。

手術の成功と、手術の説明を受けました。

そして、19時半ごろ面会を許されました。

白い包帯に巻かれていた息子を見ると涙があふれました
見ているだけで、痛々しいのです



13日になって子供の面会時間に会いに行きました。

尿が出てきてくれないので厳しいといわれました。

14日。パパと一緒に説明を受ける。

800グラムぐらいしか体重がないのに新生児と変わらない大きさになってる。

出産時ティッシュペーパー(薄型)ぐらいだった。

浮腫みが酷く、股などの皮膚が触れ合う部分では出血している。

窒素かなにかが足りないらしくて、血液循環が悪い

手足に酸素が十分に行き渡らないため、どす黒く色が変わってきている。

心臓は十分動いてくれているのでまだ心強いが、見ているだけで涙があふれてくる。

先生が、日本で最高の技術で面倒をみますといってくれた。



手術をしてから13日前後に旦那さんの両親が面会に来てくれた。

そのとき、義父が言った一言目が

「手術費用はあるのか?足りなかったら言え」だった

私は悲鳴をあげたかった
いや、心の中では悲鳴をあげていた

怒りで我を忘れそうだった

子供が・・・手術したばっかりで生きるか死ぬかまだわからないときなのに・・・

大丈夫か?の言葉よりも先にお金の話をされてショックだった

確かにお金は必要だ

でも、いまはそんなことはどうでもいい

正直、手術中、旦那さんとお金の話もした。

でも、でも・・・・

許せない。許せるものでもなかった。

何度か深呼吸して感情を押し込め、なんとか返答をした

「国や市が医療費を負担してくれます。心配は無用です」と

言葉とは裏腹に、数千万、何億かかっても、あなたにお金の申し込みはしない

したくない。決して頭を下げない。と強く思った。

私が旦那さんの両親が嫌いから大嫌いに変わった瞬間だった。



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