ルゥちゃんくぅ~ん♪

ルゥちゃんくぅ~ん♪

ナカジィのパンドラの箱 

いやぁ~ん
いやぁ~~ん♪ 見ないで~~♪ …とくにアソコは。



封印していたバイク関係のお話をば。開けてはいけない箱を君はひらいた!?触れては いけないことを妻の一言で書いてしまうとはトホホ・・・。

たそがれのルゥ
風を切りたいお年頃。ドライブ、ドライブ♪ フン~♪ フン~♪


≪其十九≫:神奈川のある米兵オフロードライダーのお話。とある河川敷で、米兵ライダーが仲間で走っていた。河川敷の堰のところでその仲間の一人が「堰でジャンプができるぜ!2メートルの高さがあるからよく飛ぶよ。堰の向こうは砂地になってるから大丈夫!」といい、もう一人が「いいねー。俺が先に飛ぶよ!」と早速スピードを出して堰をジャンプ!高く飛んだのはいいが、実は堰の向こうは堰き止められた川でジャッポン!・・・。バイクごと沈んだと思いきや、バイクを引っ張りながら川からバイクごとあがってきて、怒って仲間をボコボコにしたらしい。米兵の超人な体力もさることながら、ジャンプの先がどうなっているのか確認せずにとにかく飛んでいくお調子者米兵のすごいお話である。

≪其十八≫:レースのたび、その前夜は、宴になる。俺はジョッキを持ってきてビヤガーデン状態。大騒ぎ。「アウトドアっていいなあ」と思うのはこのときである。夜中3時まで飲んで、次の日の6時ごろ起きてレースの準備。モチロン二日酔い状態。気持ち悪く吐いてその後、レースをしたのは、言うまでもない。でもこれにこりず、次また次に前夜、宴をする日々であった。「でも宴をしないと、調子が出なかったんだなぁ~このころは・・・。」

≪其十七≫:横須賀に住んでた時、千葉のオフロードレースに参戦した時のお話。その時は、バイクを積む車が無かったので自走でレース場へ。その時は運悪く、雨・・・。保安部品を外し、いざレース。しかし、タイヤが雨天用で無いためコケまくり、泥まみれで何とかゴール。結果は散々。そのあと泥だらけでレース場を後にして雨の高速をひた走り、自然洗浄でバイクはある程度キレイになったが、泥のついた服はびちょ濡れでさぶい状態。サービスエリアでコーヒーを飲みたかったがこのびしょぬれの状態では、入る勇気が無く、外で缶コーヒーを買って、すばやくサービスエリアを後にする俺であった。でもホントにさぶい思いをしたレースであった。

≪其十六≫:愛知に居た時、バイク仲間と近くでツーリングしたときのこと。山の奥えと突き進む。すると広い空き地についた。それも走り応えのある所。迷わず突き進む。しかし、その周りの状況がいつもと違う??なんかハエが多いなぁ~?!!と、一緒に来た仲間が「牛糞の山だぁ~~!!」なんと牛糞の中に入った俺であった。何故気付かないかは、その時、風邪で鼻が詰まっていたから。しかしその後、すぐに洗車場に行き、キレイにしたが、牛糞のにおいが立ち込め、ダイヒンシュク。バイクは、いつまでも牛糞の匂いが消えず、牛糞野郎と呼ばれる始末・・・。

≪其十五≫:長野と岐阜の県境に池の平ワンダーランドというオフロードコースがある。牧場跡地で山二つ分の広さのコースである。そこで練習やレースがあるが、その時にそこに住む犬がいる。黒い毛の大型犬でゴンと呼ばれている。人懐こく石を投げると取りにいく。またバイクに乗って走ると前輪を噛みにいく習性があり、コースを走ると追っかけまわす。ついてこれなくなると、回り道して待っている賢い犬である。そのコースでは名物犬である。でも今はいない。今年の2月に死んでしまった。多分老衰であろう。なんかさびしい限りである。いつもいるところにいないというのはさびしい。最近はバイクに乗れないのであまりいっていないが、墓があるので供養に行きたいものである。

≪其十四≫:ボランティア話その2 ある避難場所の学校で避難生活から仮設住宅に移動するおばあちゃんの引越しの手伝いでの出来事。各教室には避難生活している人が布団を敷いて、いっぱいの状態。プライバシ―なんかない空間での生活。そこに仮設住宅へ行くおばあちゃんへの周りの視線が鋭いこと。みんながみんな仮設住宅へ行けない状況なため、うらやましい視線が・・・。避難生活でストレスが弾って冷ややかな視線が突き刺す思いであった。自分がこんな状態なったら、こうなるのかと思うと、居たたまれない気持ちであった。映像に出てこない現の避難現場の人間模様であった。「事件はテレビの中でおきているんじゃない!現場で起きているんだ!」ある映画の言っている(自分でアレンジしました)事がシミジミ納得する。

≪其十三≫:バイクの話ではないが、阪神淡路大震災でのボランティア活動で感じたことを。ボランティアのためにその本部へ行ったが、人の多さに驚いた。そのため、色々な仕事があったが、すぐなくなる始末。人があふれるぐらいであった。さすがに専門的な仕事は、専門化がやっていた。もちろん奉仕である。重機を持ち込んで作業をしていた人もいた。一般な人は、雑用な仕事。でも危ない仕事もあった。半壊の家からの衣類などの持ち出し。今にも倒れそうな家に入って運び出すのである。今になって考えると怖い話である。でも他の人は、どう見ても専門家でもないのに、「自分はプロだから任してください。」と言って作業していた。いくらボランティアでも危ない仕事は、避けるべきと思う。ボランティアで怪我をしてでは迷惑この上ないと思う。「自分のできることの範囲でボランティア作業。」これに尽きる。

≪其十二≫:初めてのオフロードレースは神奈川県相模川の河川敷コース。三時間耐久で、砂地。スタートからコースアウト・・・。無鉄砲とは、よく言ったものだ。そしてカーブではコケまくり・・・。二時間たったところで、クラッチが滑って走らなくなって、そのままリタイヤとなりました。めでたしめでたし~♪ってなわけないだろ!半クラッチの使いすぎで終わりました。こうして初陣は撃沈してしまった。

≪其十一≫:東北方面へのツーリングでのお話。青森の竜飛岬まで長いダート林道があった。夏の休暇に行ったのだが、ちょうど台風の通った後であれあれ状態。しかしオフローダーにとっては、ウキウキもの。ひた走る。ちょうど東北の真ん中ごろ。なんと道路がない!崩れ落ちていた。10メートル下に・・・。ここから引き返すと約百キロ引き返すことに。どうりで車がこないわけだ。と陥没した道路の脇に遊歩道があった。そこ走ってしばらくすると吊り橋が・・・。人が通っただけで揺れている。木の棒と縄でできた簡単な物。両側の柵は縄だけ。後戻りは出来ないので、バイクで渡ってしまった。横揺れしないようにすかさず走りかける。でも俺の心は、ウキウキ状態。いい体験できた。今やると怒られるだろうなー。

≪其十≫:オフロードバイクを乗って1年。その年の12月末、富士の林道に一人でアタックツーリング。それも朝早く。霧の立ち込めるころ、林道をひた走る。富士山を周回するようなフラットなダート。80キロ近いスピードで飛ばす。(これでも控えた方。)と前方の道が、なんだかキラキラと光っている。水溜りと思い、そのまま走る。水しぶきがしない?とその瞬間!バイクが横にすべり、すっころび!そのとき頭から落ち、頭の周りを初めて星が廻った。一時的脳震盪。「私はだれ?ここはどこ?」状態。自分が何処から来たのかもそのとき、わからなかった。あごは血だらけ。そのときキラキラしていたのがわかった。路面凍結である。立っても滑りやすいほどである。あの状態でよく車の方へ帰ったものである。そのあと血だらけで、温泉にいった私・・・。

≪其九≫:自衛隊の教育で、広島の江田島に住んでいた時、バイクを借りてツーリングに行った話であるが、これも今考えればぞっとする話である。NSR250というオンロードバイクを乗ってある島に行く時、大橋がある。そこをスピードをだして渡ろうとした時、橋の次目でハンドルが取られ左右に暴れまわった。その状態で橋を半分ぐらい渡った。そのときの自分の心境は「橋から落ちたらどの体制で飛び込もう・・・。」時間が長く感じられた。船が通るぐらいの高い橋である。でも何もなくて良かった。まじに考えた出来事である・・・。

≪其八≫:そういえば昔、バイクとは関係ないが小学生の頃かな?自転車で道路脇ががけになっていたところに落ちて木と木の間に逆さになって引っかかっていたことを思い出した。自転車がうえで頭が地面すれすれで打たなかった。その頃から運がいいのが多い。今考えるとぞっとするそうなことが多いが、今まで生きている。人生ってそんなものかな?守護霊が強いのかな?でもたまたま運がいいのでは。これからは気を付けて生きよう。皆さんも自己防衛精神で。

≪其七≫:ナカジィというニックネームは、自衛隊の上司から”なかじ”と呼ばれたことから始まる。その前は学生時代の名前の音読みでチュウトウと呼ばれ、それから自然(しぜん)をしでんとよんでいたことからデンと呼ばれていた。ナカジィはバイク仲間に「昔なかじと呼ばれていた」ことを話したことからオフロードジャージに「NAKAZY」と書かれていたことからナカジィとなった。名前の由来とは、面白いものである。

≪其六≫:バイクをトランポ(軽トラック)初めて積んで、いざコースへ練習に。途中の右回りの登り交差点で信号が赤になろうとしたのでスピードを出して右折したら、後ろの方からドカーンの音。後ろを見るとなんとバイクが無い!!降りてみたらバイクが道路に横たわっていた。幸い後ろに車はなく。事故にはならなかったが、バイクの損傷が・・・。急きょ家に帰り、修理。ハンドル、タンク、カバー類を直し、練習に行ったが修理に力が入りまともな練習にならなかった。急ぐと余計に時間を食う。これ教訓・・。

≪其五≫:オフロードをやってツーリングに行くがやはり山。山間の林道である。舗装路は安全速度に対し、ダートになると危険速度に突入!特に富士山の林道は沢山の林道がありそれと結構荒れている。ガレ場が多い。走るのが難しいがチャレンジ精神に火が点く。そこから私のガレ場王への道が開かれたのである。これはもう病気?普通こんな所行かないとこがおれにとって行かねばならない道。と考えるようになったのである。ばかじゃん!

≪其四≫:10年前、元旦の初日の出にバイクで静岡のある海岸を走りに行ったことがある。実に爽快である。砂浜を走ることは、実に面白い。なかなか難しいからである。とにかく全開にアクセルを開かなければ前に走らない。曲がる時もそうで、閉じるとすぐに倒れてこけてしまう。でもこけても砂だから痛くない。でもスピードが出てるときに吹っ飛ぶとさすがに痛い。前から引っかかって一回転しながら吹っ飛ばされた時には体が動けなかった。でもこれが道路だったら重症か死んでいたかもしれない。でも面白かった!やはりここからボロボロの人生が始まったっかっ?!!

≪其三≫:最初のオフロードバイクは、スズキのRH250。その時の市販車では、馬力が一番だったっということで買った。オフロードレースにはまり、すぐにレーサー仕様にしてすぐボロボロ状態・・・。その後は、中古でXLR-BAJAを買い、林道ツーリング用として、夜のツーリングでも対処できるようにライトのデカイのを買ったが、これもまたレース用となり結局ボロボロ・・。そしてこれが俺のボロボロ人生の始まりであった・・・。ってか!?

≪其二≫:二輪の免許は、一ヶ月かけて習得した。その前に自動車免許は取ってあったのだが何か納得いかない。自動車免許は二週間で取れたのに二輪はそれ以上。予約が取れなかったのもあるのかな。いよいよ、バイク購入。オンロードの中古(スズキGSX400-FW)を買い、あっちこっち走り回った。しかしよくコケル。そのたびにミラーを壊し、ブロークンハート。このままではいかん。そこで考え、オフロードバイクならこけても大丈夫だろうと。そこからが、パンドラの始まりであった・・・。

≪其一≫:バイクを始めたのは、自衛隊時代の船勤務の上司からの二輪免許習得の誘いからであった。
そして今に至る・・・・。お話終了!ちゃんちゃん!


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