ルゥちゃんくぅ~ん♪

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しちょ~どのの艦内生活♪(2002年)


インド洋で展開中の護衛艦の自衛官は、航海中は哨戒配備で休みはなく三勤交代当直。楽しみは食べる事。海外では現地の食料を補給する。私が遠洋航海に行ったときは、米軍基地でビーフとロブスターを補給。週に何回かステーキとロブスター料理。インド洋では本場のカレーとセイロン茶がよく出ているかも・・・(笑)それと給料がすごい!!遠隔地での任務であるため、遠隔地手当て。そして危険手当もつく。給料は二倍以上になると思う。「亭主、任務で給料がいい。」(亭主、元気で留守がいい。とかけてみました。)でも三ヶ月以上の洋上任務は辛い・・・。

(11/25)
続編。
夜もふけて未だにびしょ濡れで国道を歩き続ける。酔いはすっかり覚めひた歩く。途中警察署にお金を借りに行ったが相手にされず、とにかく歩く。腹が減り、駅で買ったプリッツをほうばり、飢えをしのぐ。夜が明けようとした頃、近くの駅に行き公衆電話でタクシーを呼んだ。もう手持ちのお金で足りると思い、タクシーで一気に我が船へ。タクシーに乗り込んだがいいが服はびちょ濡れでシートが濡れるので空気椅子で乗っていた。(そんなことはできません・・・。笑)という事でなんとか船についたのである。船に入ろうとしたとき、同じく戻ってきた乗員はデレデレの酔っ払い状態・・・。ああ、羨ましい~~~~!!

(11/12)船の航海中、港に停泊する事がある。食料補給や広報活動とかをするため近郊の港に寄ることがある。ある北陸の港に停泊したお話をしよう。港に停泊し仕事を終え、夜は上陸で自由な時間。私と同僚二人で夜の大きな繁華街めざし電車で大都市へ。さすがに繁華街はおおにぎわいで酒を飲むにはいいところであった。夜遅くまで飲んでいた頃、最終電車が発車をしていたとはその時は思いもしなかった。気がついたときには遅く、駅にいったが電車はなかった。明日の朝一番に船は出港・・・。港までは、電車で一時間。距離は60キロ。手持ちのお金は3000円。途方にくれた。しかし、船に帰らなければ、脱走兵になってしまう?時間は後10時間。とにかく港方向に線路を歩いた。夜遅いので電車はこないだろうと思って歩いた。途中大きな橋があり、橋を渡っていたらなんと夜行列車が渡ってきてしまった。橋の端にしゃがみこみ、なんとか回避できた。今思えばなんと怖い事をしたことか・・・。その後、線路を歩くのを止めて国道をひた歩き。夜中雨になり体はびしょ濡れ。もうサイヤク・・・。しかし我が船に戻ろうと必死であった・・・。(果たして無事に戻れたであろうか?・・・つづく)

(9/15)横須賀基地の隣には、米軍の海軍基地がある。そこには、空母が停泊していて今はキティホークが停泊している。たまに横須賀基地が停泊できない時があり米軍の基地の岸壁につくことがある。そのとき、3時の休憩の時に米軍にある移動販売車来る。日本より食べ物が安い!でもハンバーガーは大味でケチャップ、マスタードがいっぱい!でも100円ぐらいで食えるから買って食べていた。お菓子類も安いが甘すぎて食べないものもあった。今では、マックでハンバーガーが65円で食べられる。酒も今は日本のほうが安い。でも俺的には欧米の食が好きかな?

(8/14)排水量5000トン以上ある船を人の力で動かせる事ができるのであろうか?答えはイエスである。「そんなことあるわけない。」と思えるが実際やったことある。それも竹棒を使って・・。ひとりでは無理だが10人ぐらいで接岸中の船を竹棒を使って岸壁から2~3メートル離すことができた。その時は「できるのかな?」と思ったが竹棒だけで動かすことができたのである。まあいくら大きな船でも海の上では浮かんでいるだけなので、横に動かすだけなら人力で動くものである事をその時実感したものであった。人間の力はすごいものである???

でもなんでそんなことをしたのは、 仕事でです。
遊びや興味本位でそんなことは自衛隊ではしません。あしからず。

(7/16)台風6.7号と頻繁に来たが、護衛艦にとっては、大変なものである。基地に停泊中の護衛艦は、強風によって船が岸壁にぶつかるため、湾外の広い港に錨を降ろして避難する。台風のたびに上陸中の隊員は、非常呼集をかけられ船に帰還し出航。そして外洋の港に避難し、船の警戒監視をする。平日ならいいが、休日の時にかぎって、台風がきたときがよくあり船乗りの宿命であった。夏は休みに休めない時期であった。また、外洋の港に避難するため、波と強風がもろに船に受ける。風速は30~40メートル。船は揺れまくりで、落ち着かない。サイヤクな状態である。
台風のたびに思う今日この頃であった。

(6/28)巷では、ボーナスの時期。自衛隊は、なんとボーナスは、年三回ある。春、夏、冬とあり、月給料から春は、0.5倍。夏は、2.0倍。冬は2.5倍と言う感じであった。私がいた当時は、バブルの全盛期で、ボーナスの比率が良かった。今は悲惨極まりない。今思えば、春のボーナスは、ありがたいものである。まあ、今はもらえるだけでもありがたいが、今の自衛隊も公務員扱いなので景気の比例で下がっていると思う。民間みたく、なくならないことはないが。

(5/28)自衛艦「ひえい」に乗艦してた頃、HSSという対潜哨戒へりが三機搭載されており、訓練中、乗せてもらったことがあった。乗り心地であるが、とにかく、うるさい!耳栓がないと乗れない状態。おまけにエアコンがないのでとにかく暑い。冬場はちょうどいいかな?高度を上げて船のほうを見ると、プラモデルの船が海に浮かんでいる状態。コックピットを見ると、なにやら機器がいっぱい。GPS見たいなのがあり、それを見て操縦している。後ろのハッチは、すぐに開けられバンド一本のみ固定してあるだけで、すぐにでもスカイダイビングできる状態。おお~こわ~!自衛隊の乗り物は危険がいっぱい!!

(5/5)航海中、小笠原諸島に錨舶(港内に錨を下ろして泊ることで接岸はしない。)する事があった。父島というところでいちよう東京都である。さすがに海は透き通っていてキレイ♪港内で小学校の生徒が水泳をしていたほど。しかし、さすが島ッ子!おとなでも足が立たないほど(水深2~3メートル)の深いところで泳いでいる。私も酔っ払いながら潜ったが、海底にはさんご礁がポツポツとあったことを薄っすらと思い出す。酒を結構飲んでいたので死にそうに泳いでいたあのころ・・・

それと父島ではカメの刺身があるらしく、それを食べた幹部がいて、その後の航海は、波が高く大時化となり「カメの祟り」と恐れられていたとか・・・。(ほんとかな?)

(4/8)航海中の配備で、色々の段階の配備がある。通常の航海配備。これは、ただ航海する時の配備で四交代。哨戒配備は、戦闘部署に常時就くもので三交代の三配備。ニ交代のニ配備がある。護衛艦は哨戒三配備から始まる。(特務艦は、通常航海から。)それから警戒区域(戦闘の恐れがある海域)に入るとニ配備になり、敵の出現、ミサイル攻撃でアラーム発動、総員戦闘配備となる。対空、対潜も同じ配備で、潜水艦からのミサイル攻撃に備えて、防空配備もする。私の配備は、艦橋の上の方位盤という装置の射手で移動距離が長く、階段で登るという、体力勝負の配置であった。

(4/2)航海中、外に出るハッチ(ドア)は、全部閉鎖する。開けて外に出ることができるが、夜の場合は、光を外に漏らさないために二重ドアになっているところがある。内部の部屋間のハッチは、開けっ放し。しかーし、総員戦闘配置の時は、全部のハッチが完全閉鎖となる。訓練中は、不意にこの戦闘配置がある。アラームと言う鐘が鳴り、戦闘配置になるが、ちょうど風呂に入っている時に鳴ってしまい、石鹸がついている状態で自分の配置についたことがある。もちろん、ハッチが閉鎖しているので、1つずつ開けては閉めて状態。自分の配置につくまで、5.6個のハッチを開け閉めして、ついた時には大汗状態。風呂に入ったのが、無駄になったことは言うまでもないことに。まあ、自衛隊では良くあることですが・・・。

(3/24)退艦する直前、他の艦から乗員が艦から落ちたとの連絡で、急きょ捜索に移った。艦からおちる話は、よく聞いたが実際に起きるとは思わなかった。昼間なら、見つかる可能性があるが、夜になると見つかる可能性は、ゼロに等しい。レーダーにも映らないので、目で見る捜索。おまけに波があると波の谷間に隠れて、更に見つけるのが困難。そのときも、結局見つからなかったらしい。夜間で落ちてたまたま、照射灯があたって見つかった人がいたが、これは奇跡に近いものである。船、ヘリから海を見ると人というものは小さくわからないもの。あえて実感したことである。

(3/13)潜水艦の魚雷はどこから入れるのであろうか?発射管入口から。ここは、海中なので入れられない。停泊中に魚雷の搭載を見たことあるが、なんと中央のハッチから斜めにして入れていた。一本ずつレールに通しながら。中部に魚雷が搭載されているが、ベットもある。魚雷と一緒に乗員も寝ているのである。怖い様だが、どこに寝ても爆発すれば、生きていられない潜水艦。水上艦では、ちゃんと区画されている。やはり狭いので、空いているところは有効利用。食堂の椅子の下には、ジャガイモが置いているし。テレビの横には、たまねぎがぶら下がっているし。

(3/6)航海中の潜水艦は、当直勤務以外は、寝るかイヤホンしながらビデオを見るか。とにかく音を立てずに過ごすしかない。クツも音がしないスニーカー。音が出ると探知されるからである。娯楽が少ないが、寝るのが好きな人は、良いかもしれない。一日の半分以上は寝てればいいのだから。食べて寝る。やはり太る。

(3/3)潜水艦の体験乗艦で、たまたま昼食になったので、ご馳走になったが、いきなりマグロの刺身。それも取れ放題。お腹がいっぱいになりました。潜水艦は、1日5回の食事があり、水上艦(食事は1日4回)より食費が高い。潜水艦の乗員に「刺身は、普通に出るよ。」とのこと。水上艦では、めったに出ないのに・・・。
食事だけが唯一の楽しみなのだろう。でも狭い中に体が動かす事無く、食べてばかりだと太るだろう。

(2/26)潜水艦のお話。今の潜水艦は、昔のUボート型ではなく、ティアドロップ型という、涙のしずくを横にした形。水中では揺れがないが、浮上して水上航行のときが・・・。特に荒れているときはドンブラコードンブラコーと揺れまくり。見てるほうが気分が悪くなる。日本のはディーゼル艦なので速度が遅い。米原子力潜水艦は水上でも護衛艦ほどの速度が出すことができる。パワーの塊である。おまけに真水と空気を海水から作ることができる。日本のは、作ることが出来ない。節水で風呂は週に一回・・・。臭い環境である。

(2/20)長崎の佐世保基地への航海で、瀬戸内からのコース。海は海でも狭い。おまけに海流が速いところもあって、航海保安という甲板に出て見張りをする配置がある。ほとんど外に出っぱなし状態。そのとき瀬戸大橋の下を通過しようとする時、「船のマストが橋に引っかかるんじゃないか?」と一乗員。それから「竹ざおを持ってこようか?」の声が・・・。冗談言いながら、見張りをする俺たちであった。
(あほな連中が多い?)

(2/16)航海中、訓練海域で射撃や対潜訓練をするが、その海域は一般の船が近寄らないところで波が高く、荒れている海面である。もちろん船は横揺れ縦揺れがひどく、20度ぐらい傾く。ヘリ搭載艦は、スタビライザーという揺れを少なくする装置がついている。しかし1000トンクラスの護衛艦(ちくご型DE護衛艦)は、小さい割に大きな武器を搭載しているので揺れがすごい!なんと45度も揺れる。通路の側面(壁)に足跡がついている。おまけにジェットコースターのような落差・・・。船酔いの俺には乗りたくない船だ。乗らなくて良かった。良かった。配属になっていたら辞めていたと思う。そんなに揺れない大きな船に乗っているのに船酔いしていた俺・・・。

(2/12)船の舷門(門番)当番という仕事がある。船の警備員みたいなもので、艦内マイクでの号令もする。4直交代で昼は4時間。深夜は2時間の勤務。朝の8時と日没は艦旗の掲揚、降下。といったものである。力仕事がないので体力的には楽である。甲板掃除がないのが、私的には嬉しかった。しかし、冬場の深夜は寒くて、二時間が長く感じたことが今でも思う。でも航海中の見張りが凍えるような思いをしたのは、今でも忘れない。

(2/8)小型艇(自衛隊では内火艇と呼ぶ。)のことで、思い出が。下っ端の時には艇員として乗り、艇の艇首(前部側)に乗っかり前方の洋上監視と接岸、接舷(艦の横付け)の時は、艇をロープや引っかき棒で寄せて固定する作業があった。乗員が20人以上いると接岸の時、寄せきれずに海に落ちることがある。私は落ちたことはないが、つまずいてこけた事が会った。階級も上がり、艇長をやるようになった。艇長は小型艇の操縦をまかされ、指揮を取る。船舶法に則り運航するのである。自分に任される仕事であり、いい気分であった。夜間の運行は、特に気をくばらなければならない。前が何も見えないからである。船の灯、港の夜灯だけである。港に入るときは港囲いが見えないこともあり、ぶつかりそうになったこともある。でも、艇を任された時はうれしかった。

(2/4)停泊中の1分隊の仕事は、甲板、外舷の整備。要するに錆び落としで、その後はペンキ塗り。塗装業者みたいな物である。はけ塗り、はけ塗り・・。後当直は門番もあるし、小型艇の運転。これは、オイシイ仕事なので先輩が担当。でも雨が降るとサイヤク。ズブヌレ。雨にかぎって廻ってくる。

(2/2)1分隊の仕事は、大砲などの武器の操作。後、船の甲板作業である。運用はその甲板作業の道具の管理、修理を行ない、甲板上の作業の第一人者となる。射撃は大砲の整備、操作。射管は、射撃管制といって、大砲、ミサイルの目標管制を行う。魚雷は魚雷の整備、操作。水測はソナーによる潜水艦の探知を行う。大まかであるがこんな仕事である。

(1/28)船では各分隊に分かれており1分隊から4分隊まで(ヘリ搭載艦は5分隊)。1分隊は、運用、攻撃。2分隊は、航海、船務。3分隊は、機関。4分隊は、庶務、飯炊き。5分隊は、航空整備。というように分けられている。私は、1分隊に配属。運用、射撃、射管、魚雷、水測があり、射管員になった。

(1/23)船でのお風呂はシャワーがほとんどで、浴槽もあるが船が揺れるとこぼれるので半分ぐらいしか入っていない。航海中、洗濯は洗濯機は使えず、お風呂で洗濯板を使って手洗濯。毎日ならいいが真水管制という水道の水が使えない日がある。で手洗濯無しのシャワーだけとなる。船によって違いがあり、海水から真水を作れる船と作れない船があり、作れない方はほとんど航海中は真水管制である。それと海水から作られた真水は、純水なので飲めないが、シャワー洗濯などには使え、あまり真水管制はされない。船によっては、天国と地獄である。

(1/21)船での食事は幹部は前部側の士官室で。先任海曹(曹長)は、CPO室。海曹、海士は、中部の広い食堂で食事する。広いところではあるが椅子は人数分はなく、最初下っ端の時は、場所が開いたとしても早飯をして席を開けなければならない。席がいっぱいで立ちながら食べた時もあった。ゆっくりと食べられない。外で外食していた時、食べるのが早くてすぐ食べ終わって驚かれたことがあった。今でもその名残がある。「海軍は早飯早グソ当たり前!」こりゃ―早く死ぬわな・・・。みんなゆっくり食べましょう!

(1/19)航海中、色々な訓練がある。防火防水訓練等・・・。その中に溺者救助訓練と言うものがある。海上に溺れている人を艦の上から救助すると言うもので私は要救助者をカゴに引き上げる要員になった。甲板からカゴに乗って海面に降り訓練なので溺者人形をカゴの中に入れるのだか、もうびちょぬれ。太平洋の真ん中でプカプカ浮かんでいる状態。艦の上では鮫を警戒して小銃を構えているし、乗組員がみんな見ていて、なんか注目の的。春か秋頃だったが海の中は暖かい。透き通ったマリンブルー。なんか優越感に浸ったあの頃であった。

(1/14)今日は成人式。私の成人式は自衛隊時代で横須賀基地の大講堂で式をした。基地の偉いお方のお言葉が延々と。それから船にもどって昼ご飯は艦長と式に参加した人との艦長室での祝膳。いつもの鉄板の上にのっかってる飯ではなく、幹部が使っている食器で食べた。やはり同じモノでも美味しい。艦長からのありがたいお話で成人の日は幕が下りるのであった。次の日から鉄板の飯。船の生活は食器ひとつでも幸せを感じるものである。

(1/11)艦の居住区は船の甲板から下に二段に降りて前部側と後部側に別れる。前部側は大砲の下になるので居住区の下に弾薬庫がある。今思えば怖いが、戦闘態勢になれば居住区に誰もいないのでとりあえず安全?である。船の前部側は波が高いと揺れがひどい。横揺れもさることながら上下の揺れがひどくこれがまた胃腸から込みあげてくるものが・・・。またトイレがさらに前にあるのでつらい。おまけにトイレ掃除が担当になったときは地獄ものである。後部居住区は、天国そのもの。発電機の音が無ければの話だが・・・。

(1/6)横須賀基地での正月は、午前0時になると面白い。これはぜひ見に行くべきである。停泊中の艦からライトが夜空に向けて照射し、汽笛が鳴り響く。調子がいい艦は艦内マイクでおおはしゃぎ。基地の前の公園から見るといい光景である。横須賀の町は、この汽笛の音で眠れないであろう。それほど凄いものである。日ごろのうっぷんがこの元旦0時ににはじける。その日は実に爽快な気分になった。実に懐かしいかぎりである。当直勤務でよかった。よかった!



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