ルゥちゃんくぅ~ん♪

ルゥちゃんくぅ~ん♪

病ジィの院内生活。(2001年版)

アメリカでの事故でむこうの病院に担ぎ込まれた。その時は、英語が分からなく「ペイン」と医者が体を指して言っていたがわけがわからなく「イエス、イエス」と言っていた。ところどころの体を指して言っていたのでみんな「イエス」と言っていたら、体中慌てて検査をしていた。後で分かったことだが、「ペイン」とは「ここが痛いのか?」と言う意味だった。なんでも「イエス、イエス」と言うものでもないらしい。
次は病院食について、お話を。


向こうの病院食は、はっきりいって「体が動かないのにこんなにたべれるか~!」って感じに量が多い。それに「病人にこんなに調味料出していいんかい!」って言うような調味料の多さ。炭酸飲料は出すわ、デザートが二つあるわ、二種類チョイスできる夕食。ホントに病院なのかと疑ってしまった。日本に帰っての病院食の味気なさが、心地よかった!

アメリカでの怪我の状況は、胸椎脊髄損傷。腹部から下が動かなかったです。ただ触った感触があるだけ。ベットに寝たきりの生活で体全部固定です。起き上がることも出来ません。体の温度調節ができず暑く汗だらけで背中の痒いところもかけず、まさに生き地獄。下の世話までしてもらう始末・・・。おまけに英語が分からず、言いたい事が言えない。今思い出してもあんな思いはしたくないですね。でもいい経験でもしたと、今は思っている今日この頃・・・。

アメリカのドクターは、一週間以内に脚が動かなかったら完全麻痺で脚が動くことが無いと言っていた。それでもう必死に動かしてみた。もう、おお汗もの。三日目で脚が自分の意志で50%の確立でピクピクと動くようになってきた。これを見たドクターは、「大丈夫。歩けるようになるよ。」と言った。希望が持てた。でもこれが日本に帰って日本の医者に「どうなるのですか?」と聞いた時に別の見解が出た。これは間接的に聞いた話で、医者のほうからは聞くことが無かったが「車椅子生活を余儀なくされますね。」言っていたらしい。アメリカのドクターと逆のことを言っていた。日米の医学の見解がこんなに違うことを痛感した。私はドクターの方を信じました。「やはりいい方が良いんでは。」

アメリカの病院のナースは、ローテーション制なので同じナースを見ることが無い。でもみんな同じに見える?でも新米の黒人のナースにはいい印象がある。他の白人系、アジア系は流れで仕事しているが、その人は、新米でもあったが色々気がついてやって欲しいことをしてくれた。髭剃りをしてくれたことはうれしかった!
他の人は誰もしてくれなかった。その人だけ。言葉がしゃべれないのに献身的にしてくれた姿に真のナースを見た!


体の固定状態から10日、ようやくコルセットができ車椅子で移動出来るようになった。でもほとんど寝てる状態。そこで病院の中を散策することにした。とはいっても一人では廻れないので友達の付き添いで廻ったが、同じ部屋が多くて自分が何処にいるかわからん。と思ったら向こうのほうから人の叫び声が・・・。ひきりなしに叫び声が聞こえる。こ、怖い・・・・。「なんなんだ?ここは。」って感じ。

ここの検査で一番きつかったのがMRIが悲惨だった。夜中に起こされ病院の外の検査室に行かされ、そこでMRIに入れられた。キチキチの筒の中に入れられて一時間蒸し風呂状態で息ができず、また音がうるさく地獄だった。たぶん子供用だと思う。俺のガタイでいっぱいいっぱい。

日本に帰国の時、看護婦の付き添いで飛行機の乗り継ぎで帰国することとなった。コルセットをつけた状態のあご固定で。前が見えん・・・。でも機内食でビールを飲めたことがラッキーだった。看護婦がアメリカ人で日本のビールを頼んで英語のところを隠しておいたのだ。泡が出たのが怪しかったかな・・。

日本の病院では、ベットで寝たきり状態で、飯を食べるのも寝た状態で胸に食事をおいて上の鏡を見ながら口に運んで食べていた。なんと器用な・・・。でもベットがべとべとになって食べてたなぁ~。

病院の朝は早い。朝食の後の病院の待合のコーヒータイムが日課。リハビリの後の安らぎタイム。昼食の後の昼寝。暇な時は、読書とゆとりの生活を送っていたと思う。身体ごと、仕事、金銭的なものが色々とつらいことがあったが、今思うといい時間だった。みんなも半年の入院、してみては。といっても半年はなかなか出来ないもの。

そういえば、ふと思い出したが、寝たきり状態から、車椅子に移る時、体の状態が起きるので頭から血が下がり貧血を起こしていた。血圧も100を切り顔が青くなる始末、慣れるまで三週間かかっていた。リハビリ室で斜面台というベットが90度近く起きるようになっていて、訓練していた。徐々に角度を上げていき、30秒一分と時間を保持していた。早く慣れるため、早く角度を上げ我慢してがんばったが、気を失しなってしまった。気を失う気分はなんかいい気分でドラックをしているみたい。(いっときますけどドラックはしてません。)あの快感は忘れないねー。いっちゃてる私。

リハビリで病棟の外回りをよく歩いていた。外の景色も見たかったが病棟の裏には看護学校と看護婦の寮があり、リハビリしているフリをしてよく観察してた。ストーカーではない。ただ興味があるだけ・・・。(これストーカーかな?)でもがんばってリハビリしてました。外回りのリハビリがワクワクしてがんばっていた私でした・・・。

入院中、看護学校から病棟に研修にきた。二週間程度で昼間は、つきっきり。私のところにも来た。19歳の可愛い子が来た。イヤー良かったね。体のマッサージなんかもやってくれて、いたれりつくせり。さすがに風呂は一緒に入ってくれなかった。体洗ってほしかったのにー。隣のベットに同じ年の人にもマッサージしていた時に彼女のお尻が私のほうに向いてて、パンツが透けて見え。絶景かな~!絶景かな!ピンクでした。やはり病院生活は。いいね~~。

担当の研修生の研修が終わって、その後もぞくぞくと研修生が来たが私の担当になる人はいませんでした。婦長の目に触れたみたい。でも看護学生は初々しいね~♪可愛い子も結構多い。でもこれが4,5年たつと気の強い看護婦になるんだよなぁ。そうだこれからは看護師になるだよね。俺的にはナースがいいなぁー。(いやらしい目になりつつあるボク。)

看護士の人がいた病院に入院したことがあるが看護婦より丁寧だと言う。職業的なことがないからである。確かに優しかった。が、やっぱし、若い看護婦だな。一年目がいいね。一生懸命やっているところがいいし・・。やはり初々しさかな。

なんか、看護婦ネタになってしまった。いかん、元に戻したいけど、ふと気が付いたがナースと言う言葉は、看護婦、看護士全部入るのかな?
話は変わって・・・。内科病棟のところへいってたが、寝たきりの患者がいたり、元気でホントに病人なのかと言うヒトがいたり、さまざま。亡くなったヒトも多く、看護婦も大変だと思う。(また看護婦ネタ、、、)シーツの包んだベットをよく見た。行くところは霊安室。五ヶ月もいればみかける。救急車も日きり無しにくるし・・。病院の現実を見た。でも月日が流れる。

病院食で唯一の楽しみが選択食。なんと二種類の食事を選べるもの。それと朝のパン食。週に二回出る。パン好きな私にはありがたいもの。二ヶ月に一度のカレーライスも捨てがたい。外に出ればいくらでも食べられるが、やはり病院は病院食を満喫しなければ。健康になるし、体重が保たれる。太る体質の私にはありがたいものだった。

私の朝の楽しみは待合室の自販機のカップコーヒーであるが、それと起きてすぐの甘いお菓子。同じ病室の人から貰ったお菓子や自分で買った物を朝食べる。それは単純に夜食べると太るから・・・。太る体質なモンで。でもこれで明日の朝が待ち遠しくすぐ寝れたものである。体重も維持できたし、めでたしめでたし。ホント単純な俺。



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