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いわゆる「木村花さん問題」が議論を呼んでいます。今までにもSNSによるいじめが原因で、子供が自殺するなどの問題はありましたが、有名人の事件になったことで、いっそう顕在化した印象です。◇ただし、今の議論は、「表現の自由」の規制へ向かっているように見える。政府がその方向に動くとしたら、それは間違いです。問題の所在を取り違えています。ここで問題にすべきなのは、「意見表明」と「誹謗中傷」との新たな線引きではないし、「批判」と「ヘイト」との新たな線引きでもありません。たんに従来どおり、「脅迫」「プライバシー侵害」「名誉毀損」「業務妨害」などを違法とすれば十分です。◇では、問題は何なのか。それはもっぱらSNSの設計上の問題です。掲示板やTwitterのように、他人の尻馬に乗るような有象無象の書き込みによって、いわゆる「炎上」を増幅させるようなSNSのシステムこそが元凶です。自分の持ち場では何も言えない人間にかぎって、群衆に紛れるような場ではワイワイと騒ぎ立てるものです。公園を荒らしたり落書したりするのと同様の心理であり、自分の姿が見えない場所でのみ暴力性が解き放たれてしまう。そういう群集心理を煽るようなSNSの設計こそが問題です。◇わたしも匿名でこのブログをやっています。しかし、ブログ内で「意見表明」や「批判」をしている限り、それが不特定多数の人々に無闇に増幅されることはありません。ところが、Twitterなどに連動してしまえば、その限りではなくなる。さらに、このブログではコメント欄を「書き込み不可」にしていますが、これをいったん「書き込み可」にしてしまうと、やはり他人の尻馬に乗るような有象無象が集まって炎上が始まります。「炎上」というのは、同一の空気だけが覆い尽くすような排他的な空間なので、むしろ「批判」や「批評」が機能しなくなってしまうのです。つまり、それは究極の付和雷同であり、そこにこそ最大の危険がある。これは、多分にシステムの問題であり、SNSの設計上の問題です。おそらく、子供のいじめのケースも考え合わせると、LINEなどにも排他的な集団性を形成させる側面があるはずです。IT企業は、サービスを開始する前に、それが「炎上」を生み出すシステムであるか否かを、あらかじめシミュレーションしておく社会的責任があります。◇しかし、これはメディアに限った話ではありません。たとえば、学校の教室やクラブ活動の中にも、同様の構造はあるはずなのだし、もちろん会社組織の中にも、そういう構造があるはずです。ヴァーチャルな世界にも、リアルな世界にも、同様の構造があると考えるべきです。排他的な集団性を形成させるシステムとはいったい何なのか。それをしっかりと研究したうえで、社会から除去していくべきなのだし、「批判」や「批評」がまともに機能する空間を取り戻さねばなりません。コロナ渦に置かれているこの機会に、いっそのこと社会全体を設計し直していくべきなのです。
2020.05.30
ハンガリーの諺。逃げるは恥だが役に立つ。何よりも、自分の人生を生きることのほうが大事ですよね。◇日本の社会には、いまだに「逃げることは恥である」という価値観が残存してます。日本人にとって、「逃げる」のもネガティブなことだし、「恥」ってのは、もっとネガティブなことです。すなわち「世間様に顔向けできない」ってやつですね。きっと、一億玉砕が叫ばれた戦時中にも、「逃げることは恥である」と言われていたはずです。そういう精神構造は、いまでも変わっていない。常識からはみ出るのは「恥」である。人並みに出来なきゃ「恥」である。他人様と同じでなきゃ「恥」である。これは、日本人がたがいに同調圧力をかけていくときの常套句です。◇そんななかで、なぜいま「逃げること」がこんなにも支持されるのでしょう?おそらく、日本の制度とか、常識とか、空気といったものが、のっぴきならぬところまで個人の人生を抑圧しているからです。そのことで多くの人が苦しんでいる。だから、もう、たとえそれが「恥」であっても、逃げたほうがいい。いちいち世間の規範に適応したり、むやみに立ち向かっていくくらいなら、いっそのこと、さっさと逃げてしまったほうがいい。世間のために無駄なエネルギーを消耗して、自分の人生をすり減らしてしまうくらいなら、逃げてしまうほうが、かえって有意義である。同調圧力くそくらえ!ハンガリー最高っ!むしろ、みんなで逃げれば社会が変わるかも(笑)。それが「役に立つ」ということの意味です。自分の人生にも役に立つし、結果的には、社会のためにも役に立つかもしれない。だから、みんなで逃げろ、勝手に逃げろ/人生!ってことですね。日本において、「逃げる」という言葉と「恥」という言葉を、はじめてポジティブな意味で使った大事なエピソードでした。みんなが既存の仕組みや空気にいちいち適応していたら、いつまでたっても社会は変わらないのだし、個々人はいつまでたっても抑圧されっぱなしですよね!◇そういえば、皆川玲奈アナ、「恋つづ」見てはキャーキャー言ってたのに、「逃げ恥」には、ちゃっかり出演してたんですね。(~~)
2020.05.27
神奈川や北海道の感染がまだ十分に収束していないのに、なぜ緊急事態の解除を急いだのかといえば、それは政権側が検察スキャンダルや支持率低下に焦っているからです。矢継ぎ早に疑似ニュースを投下する必要に迫られている。NHKの岩田明子を中心とする報道部もこれに同調して、経済活動の再開ムードをやたらと盛り上げているようです。これでもし感染の第2波が来てしまったら、政権とNHKはどうやって責任を取るのかと言いたいところだけど、じつは、そこにこそ政権側の安易な思惑があるのであって、むしろ感染第2波と再度の自粛騒動が起これば、それによって政権スキャンダルと支持率低下がリセットされる。彼らにとっては、そのほうが好都合だというわけです。そのためなら年寄りが死んだって構わない。そういうところまで、政権はなりふり構わぬ姿勢を見せてきている。ある意味では、トランプ政権が「悪しき模範」になっているのですね。しかし、これはやはり根本的に断末魔なのだと言わなければなりません。日米ともに、バカげた「その場しのぎ」が崩壊する時期はすぐそこまで迫っています。いまや権力を維持する目的が本末転倒になっていることを、彼ら自身がいちばんよく分かっているはずです。
2020.05.26
今回の検察スキャンダルは、森友の自殺問題を継続的に報じてきた文春の、長期的なプランにもとづくスクープだったのか、それとも、たまたま拾っただけのスクープだったのか。まだまだよく見えません。文春は、この先の展開を用意しているのでしょうか?◇現在の報道を見るかぎり、黒川氏の行動は、あまりにもバカすぎて、かえって不可解なのですよねえ。いくらマスコミを飼い慣らすためだとはいえ、自分も一緒になって違法行為に興じるのでは、自殺行為にもほどがあるわけだし、産経の記者と昵懇なのはともかくとして、朝日の記者まで一緒だったらしいし、しかも、それが、自分自身が定年延長問題の渦中にある最中であり、さらに全国民が自粛している最中の「三密マージャン」であり、もっと細かい話でいうならば、IR汚職事件を追っていた張本人の賭博だったというのだから、もはや「ギャグなんじゃないの?」とさえ勘繰ってしまう。自分のスキャンダルを気前よく提供してるとしか思えない。かりに朝日がスクープしなくても、朝日の記者が別メディアにリークする危険だってあるわけでしょう。◇ただ、実際のところは、朝日じゃなくて、産経のほうから情報が漏れたようですが、それもまた不可解です。わたしたちは、産経が「右」で、朝日が「左」だと思い込んでいるし、たしかに会社としてはそうなのだろうけど、じつは、それぞれの記者は「個人」として動いているのかもしれません。産経の記者も、自社で掲載できない記事を文春あたりに売ってるのかもしれないし、朝日の記者も、自社のイデオロギーとは裏腹に、ネタを得るためなら政権とズブズブになるのかもしれない。◇政権をチェックするのが検察の役割です。では、検察をチェックするのはどこなのか?まあ、ひとつはマスコミですよね。しかし、安倍政権の「お友達ネットワーク」は、検察からマスコミまでを広く押さえていたのだと思います。実際、今回の検察スキャンダルでも、NHKなどは、まだまだ政権側への配慮を見せていて、この問題のニュースバリューを引き下げることに協力しています。たとえば昨夜のNHKの7時のニュースでは、この問題を4番目くらいの話題として10分ほど報じただけです。いまや民放各社が大々的に報じているのだから、もはやどうしようもないのだけど、NHKはいまだに、この問題が国民の目に触れにくいように配慮しています。もちろん文春だってタイミングを計っているのだから、政権の側だって負けじとタイミングを計りつつ、不都合なニュースをかき消すための話題を投下してくるわけだし、NHKもそれに同調したりするわけですけど、それは、もっぱら政権の「保身」のためであって、そこでは国民の利益はないがしろにされています。◇ただし、あらゆる分野の隅々にまで広がってしまった、いわゆる安倍政権の「お友達ネットワーク」が、いよいよ崩壊しつつある雰囲気も感じられるのですよね。いわゆる「お友達ネットワーク」というのは、自分の仲間うちにだけ分け前を配るマフィア的な構造のことですが、そうやって分け前に群らがってくる連中というのは、ひとたび分け前が見込めないと見た途端、平然と裏切って去っていくような連中でもあるわけです。そういうことが起こりはじめてるのかもしれません。そして、この「お友達ネットワーク」が瓦解した先には、いよいよ森友や加計などの問題が明らかになるのでしょうか?◇わたしは、安倍政権と森友の癒着が、昭恵さんの単独プレーによるものだったなどという説を、まったく信じていません。日本会議のメンバーである籠池氏の学校のことを、安倍晋三や麻生太郎が知らないわけはないのですから、昭恵さんは、たんに指示されて動いていただけでしょう。だからこそ、昭恵さんがホントのこと喋りはじめるのが、彼らにとっては非常に都合が悪いわけですよね。ここには、安倍家のプライベートな問題もふくめて、いろんな利害が絡み合ってるだろうけど、こと森友問題にかんして言えば、やはり「人がひとり死んでいる」ということの重みは大きいと思う。もしも、これを放置し続けるようなら、日本はほんとうに無法なマフィア社会に堕ちていってしまうのですね。ですから、いずれこれは明らかにしなければならない問題なのだし、安倍家の人たちが墓場まで持って行けるような話ではない。そして、それが明らかになるということは、必然的に、安倍政権と、その「お友達ネットワーク」の全体が終了することを意味するのです。
2020.05.22
台湾との共同制作ドラマ。なんだか脚本が青臭くて下手っぴいですね。まるで新人脚本家の秀作を見てるみたいです。プロデューサーや演出家が適当に手直しできなかったのでしょうか?主人公の恋と、家庭の問題を抱えた上司の苦悩と、台湾生まれの老人の歴史と、台中部の田舎の青年の物語を交錯させる構成は間違ってないと思うけど、それぞれの描写がいかにも安易で薄っぺらな感じがする。上司の家庭問題は不必要かもしれないなあ。まあ、そこらへんは原作の問題かもしれないけど。…って、クレジットを見たら、脚本を書いてるのは田淵久美子なんですね。こんなものかなァ。それとも、演出に問題があるのでしょうか?実際、演出のテンポも非常に悪いです。台湾映画のゆったりした雰囲気を狙ってるのかもしれませんが、もたもたして冗長なだけで、あまり上手くいっていない。何よりもセリフのやり取りに生き生きとしたものが感じられません。つまらないセリフを喋らされている俳優が痛々しく見えます。興味深い題材の作品なのに、ドラマとしての魅力には乏しい。次週以降も見続ける自信はありません。
2020.05.22
「美食探偵」はしばらく中断ということですが、ここまで見てきたところ、かなり評価が難しい。面白いところはあるけれど、優れたドラマだとは言いがたい。とにかく、第1話に問題がありすぎたのですね。映像は奇妙だったし、展開は唐突だったし、何がなんだかよく分からなかった。苺が明智に惹かれる理由もよく分からないけど、明智がマリアに惹かれる理由もよく分からない。そのことが引っかかったまま、後々のストーリーにまで影響しています。いまさら言うのもなんだけど、苺が助手になるまでの経緯や、マリアが崖から落ちて姿を消してしまった出来事は、せめて2回分くらいを費やして、もっと丁寧に描いてほしかった。もしくは、探偵と助手との関係は最初からデフォルトにして、宿敵マリアの存在も最初からデフォルトにして、第1話の内容は、まるまる「回想」として処理してもよかったのです。つまり、苺が助手になるまでの経緯も、マリアが崖から落ちて姿を消してしまった出来事も、すべてを「謎めいた過去」として回想すれば、だいぶスッキリしたと思う。◇ちなみに、このあいだの第6話の内容は、なかなか面白かったのですね。燃えさかる炎の中でのディープキスはなかなか衝撃的だったし、それを見て呆然と立ち尽くす苺の姿も美しくて魅力的だった。ただし、犯罪の「美学」うんぬんの話はよく分からない。今回の事件には「美学」がなかったというのだけど、はたして前回までの事件に「美学」があったのでしょうか?まったくもって違いが分かりません。他人の殺人願望を実現してやるのが「美学」だというのなら、明智一族に従属させられた中年男の殺人願望を叶えてやることも、同じ程度に「美学」なのではないでしょうか?それとも殺し方のテクニックになにか美学的な差でもあったのでしょうか?◇ところで、第6話のラストシーンでは、演出についての妙なテロップが表示されました。物語の最中に、わざわざ演出方法についての解説を表示する必要がありますか?とりたてて演出方法が斬新なわけでもないし、いったい何のために、ああいうことをするのか疑問です。たんなる演出家の自己満足だとしか思えません。さも「意味ありげなこと」をやっているように見せたいのでしょうが、そのような発想と姿勢じたいが何ともいえず幼稚だというほかない。自分のやっていることの「意味」を視聴者に丸投げするよりも、まずは自分が何をやっているのかを自分自身で明確に理解すべきです。もし何がしかのメッセージがあるのなら、それを物語や映像のなかで明瞭に示せばいいのです。あんなものがちょくちょくドラマの中で表示されるようになったら興覚めです。
2020.05.21
あらためて見直してみると、みくりは最初から津崎のことが好きなんだな、ということが分かる。津崎のほうは、つとめてドライに考えようとしてますけどね。◇初見のときは、「契約結婚なんてドラマの中のお話でしょ」と思ったけど、いまになって考えてみると、意外に「アリ」かもしれないなあ、という気がしてます。通常は、結婚するにせよ、同棲するにせよ、お互いの「気持ち」を確認しないと始められないものだけど、労働契約というものを介在させることで、面倒な「気持ち」の確認作業を後回し・先送りにしたまま、とりあえず同棲生活を始められるのですよね。おそらく知的な人であればあるほど、「気持ち」という不確かなものに怖気づいてしまって、それを確認することの困難さを途方もなく感じるのです。だから、まずは労働契約のもとに同棲生活を始めてしまう。それでうまくいかなければ、後腐れなく契約を解消すればいいのだし、うまくいったら、タイミングを計りながら、徐々に気持ちを確認していけばいい。◇じつは「逃げ恥」の場合もそうですけど、いちばん難しいのは、気持ちを確認し合った後なのですよね。やはり「気持ち」というのは、どんどん変わってしまうものだし、愛情は、そもそも等価で交換できるようなものではない。それを等価で交換しようとすればするほど、なんだか自分だけ搾取されているような感覚に陥ると思う。それはけっして数値化できないからです。むしろ、愛情は贈与だと考えたほうがいい。そうしてみると、いつまでも契約を介在させたまま、そのワンクッションを残しておくほうが、かえって安定的な関係を維持していける気がします。◇結婚というのは、古来から、一種の契約ではあったはずだけど、けっして対等な契約とはいえませんでした。とりわけ家どうしの結婚では、本人の意思がないがしろにされていたし、そこでは女性が物品のように交換されていた。つまり、人権無視の不当契約だったのです。おそらく「逃げ恥」が描いているのは、結婚という契約をいかにして対等なものにしていくか、という一つの試みなのですね。
2020.05.20
朝ドラは、大河とはちがって、実在の人物名や団体名は使わないものだと思ってました。実際、今回の朝ドラでも、古関裕而は「古山裕一」だし、山田耕筰は「小山田耕三」だし、古賀政男は「木枯正人」だしコロンビアレコードは「コロンブスレコード」だったわけです。ところが、先週の放送を見ていたら、木枯の作品は明らかに「酒は涙か溜息か」だった。そして、今日になって、「酒は涙か溜息か」と「丘を越えて」の曲名も明示されました。さらには、早稲田や慶応といった実在の大学が登場して、西条八十や住治男といった実在の人物名まで登場して、具体的な年号にもとづいた史実にも言及しはじめた。まさに実名のオンパレードになっています。朝ドラが大河みたいになっている。今日の内容からすると、早稲田の応援歌「紺碧の空」は、作詞が住治男で、作曲が古山裕一という、虚実入り混じった奇妙なことになっているのです。フィクションであるかぎり、史実を作り変えた物語を作っても問題ないと思いますが、どっちつかずの情報は視聴者を混乱させてフェイクを増幅させかねない。脚本家が変わったことで、根本的な設定まで狂っているのでしょうか?プロデューサーはちゃんと機能していますか?一般の視聴者にとっては細かいことかもしれないけれど、曲がりなりにも公共放送であるNHKが、虚実の入り混じった情報を国民に垂れ流すのはいかがなものかと思います。
2020.05.18
「美食探偵」はやっぱり変なドラマです。第1話では、まるで昔の新東宝の無国籍映画みたいな、かなり奇天烈な変てこムードを醸し出していました。第2話以降は、だいぶ正常化してきたけれど、それでも、いろんな部分でピントが外れている。意図的にピントを外してるのかもしれないけど、それが何を狙ってるのかも、よく分からない…。◇中村倫也のキャラについていうと、そもそもイケメン設定なのかダサメン設定なのかが不明瞭。最初は「上の下」と言われてたはずなのに、いつのまにかモテモテ設定になってたりして、見ている側は困惑してしまいます。彼のキャラ設定が分かりにくいので、おのずと小芝風花との関係性も焦点がぼやけてくる。◇コメディドラマとして見ると、これはもう、完全なくらいにスベっている。笑えるギャグはほとんど無いに等しい。唯一、笑えたところがあったとすれば、「トリコロール」を「トルコ料理」と言ったことぐらいかな。50年ぐらい前の映画なら、バイクの「空ぶかし」でもギャグとして成立したでしょうけど、今の時代にそのネタでいちいち笑えと要求されても無理です。そこらへんもピントが外れている。◇探偵ドラマとして見るならば、「人々の隠れた殺人願望をリモートで実現する」という発想は、たしかに現代的な側面に触れていて面白いと思うけど、肝心の犯罪トリックはだいぶ漫画じみたものだし、およそ完全犯罪になりそうなものではない。トリックの巧妙さを楽しめるような作品ではありません。いまのところ悪玉マリアの所業は、単独犯罪なのか、組織犯罪なのか分からないけど、ホームズに出てくるモリアーティとは違って、あまりにも「姿が見えすぎるんじゃないか」って気もします。あんなに姿を見せてたら、警察にすぐマークされるのでは?彼女の犯罪が、毎度毎度、明智と結びつくのも、はたして偶然なのか必然なのか、そこらへんの設定もよく分かりません。たんなるご都合主義にも見えてしまう。◇前回の第4話は、とつぜん猟奇的な内容になりました。このドラマに猟奇性を求めてた視聴者はいないと思うけど、期待されてないわりに、かなりハイレベルな猟奇性を見せてきた(笑)。なかなかスゴイとは思いつつも、正直、困惑せざるを得ません。美食をテーマにした作品なので「あわや」とは思ったけど、人肉食に至らなかったのが、せめてもの救いです。物語は、DV夫を断罪する展開になるのかと思いきや、むしろDV夫のほうが「主人公の親友」という設定で、最後は、DV夫を殺した妻のほうが悲劇的な最期を迎えてしまう。この後味の悪い結末にも、視聴者としては受け止め方に苦慮します。◇そんなわけで、意図的にピントを外してるのか、はからずもピントが外れちゃってるのか分かりませんが、かなり変なドラマになっていくのは間違いない。
2020.05.07
子供のときに『まんが世界昔ばなし』のアニメで、先日亡くなった宮城まり子の「ああ無情」を見て以来、いろんなバージョンのレミゼを見てきたけれど、見るたびに「こういう物語だったのね…」と思い知る。それもこれも、ちゃんと原作を読んでないからですけどね。(その昔、ものの数分で読むのを挫折した)◇今回のBBC版ドラマが、どのくらい原作に忠実だったか分かりませんが、前半部分にはかなりの迫力があったし、最終回には、すごく重要なメッセージが込められていました。わたしは「レミゼ」の原作を読んでないかわりに、同じユゴーの「死刑囚最後の日」を読んでるのだけど、あの小説に込められていたのと同じユゴーの理念が、今回のBBC版の最終回に感じることができました。ユゴーは、「許さないこと」を信念にしたジャベールの人生を断罪して、「許すこと」を信念にしたジャンバルジャンの人生を救います。最終回では、ジャンバルジャンだけでなく、テナルディエにまで救いがあるのですが、それ以上に、いちばん大きな救いだと思えるのは、マリウスとコゼットに「許すことの意義」が伝わっていくことです。ややもすると、マリウスとコゼットは、たんなるお坊ちゃんお嬢ちゃんに見えてしまうのですが、最後に父=バルジャンが徒刑囚だったと知ることで、それまで目を背けてきた底辺の人々の生に目を向け、彼らに「許し」を与えていくことの重要性を知っていく。そこが、物語にとって最大の救いになっています。つまり「許し」の連鎖が次世代に受け継がれている。◇じつは今回のドラマを見ていて、第7話にちょっと物足りなさを感じていました。ミュージカル版にくらべて盛り上がりに欠けたからです。ミュージカル版では、バリケードの場面にこそ最大のクライマックスがある。「on my own」ではエポニーヌの悲恋が歌われるし、「people's song」では自由の闘いが高らかに歌い上げられる。しかし、ドラマ版の第7話では、戦いの悲惨さが淡々と描写されるだけで、ほとんどドラマティックな盛り上がりはありません。エポニーヌは突然やってきて殺される。ガブローシュも虚しく死んでしまう。若者たちの戦いは無残に挫折して終わる。ただ屍だけがゴロゴロと積み重なっていくのです。でも、それが原作に近いのかもしれません。すくなくとも、このドラマ版の最大のメッセージは、第7話ではなく、最終回の第8話にあったと思います。エポニーヌの悲恋や、若者たちの自由への賛歌を、あえて淡白に描いているのは、描くべきテーマがそこにはなかったからですね。「許し」を描くことに焦点を絞ったドラマだったと感じました。
2020.05.06
日テレの「野ブタ」とならんで、再放送が注目を集めたTBSの「JIN-仁-」。緊迫した医療現場の最前線。江戸時代なのにみんなマスクしてる。そして感染症「コロリ菌」の蔓延。タイムリーにもほどがある…。ドラマ自体が10年前の過去から未来へ投げかけられた、ちょっと予言的な作品のように思えてくる。驚くほど状況的な意義を感じさせる再放送でした。◇まったく古さを感じさせないし、やっぱり名作ですね。考えてみたら、綾瀬はるかとMISIAの組み合わせって、「ぎぼむす」が最初じゃなくて、このドラマからだったのね。当時から「白夜行」も「JIN-仁-」も夢中で見てましたけど、あらためて、00年代以降のドラマ史にとって、綾瀬はるかと森下佳子の出会いは大きかったなあと再認識です。◇武田鉄矢も「白夜行」と「JIN-仁-」でいい仕事をしてました。今回の再放送を見て、もっとも胸に迫ったセリフは、緒方洪庵(武田鉄矢)が南方(大沢たかお)に問いかけた「未来は平らな世でございますか」の一言。…涙が止まらなかった。過去から現代にむけて、一点の曇りもない眼差しで投げかけられた悲痛な問いでした。
2020.05.05
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