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このブログも開設してから、今月末で間もなく1年になります。書きはじめてから何を思ったのか、230あまりの日記となりました。最近では、もともとの知人の中にもこのブログを見つける者も居て、結構毎日でも読んで下さる方もいるようです。「いやぁ~なかなか面白いですねぇ。毎日楽しみにしてますよ。『メートル・ド・テルとぜんそう』」…「とぜんそう」やなくて、、、「つ・れ・づ・れ・ぐ・さ」!ですから!(^^;)まぁ、なんとなく始めたブログですから、最初はあんまり考えずに表題をつけちゃった訳です。「徒然草」…む~、ダサいかなぁ。もうちょっと、キャッチ-で、ナウなヤングに受けそうな、それでいて粋で賢そうな題名に変えようかなぁ、、、…と、思いながら、この「徒然草」とは、そもそも日本三大随筆のひとつ、吉田兼好の手によるもの。学生の時分に皆さんも勉強されたと思うのですが、私自身はこういう、兼好法師みたいな「バカボンド(=放浪者)」になんだか憧れを抱いてしまうんですよねぇ。学生のころに勉強した「徒然草」の中に忘れられない一節があります。ちょっと長いですが引用します。●第八十五段: 人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむは尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽りかざりて名をたてんとす」とそしる。おのれが心に違えるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性うつるべからず、偽りて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。 狂人の真似とて大路を走らば、すなはち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。まあ、人によって捉えかたはいろいろとあるのですが、私のような「サービス」を生業とする者としての解釈は、サーヴィスとは、「心」である。これは大儀であるにせよ、その方法論は様々で、お客様に伝わるのはやはり「行い」であると考えています。 ならば、それが「形」だけであろうと「このように決まっているから」といって「悪いサーヴィス」を行ってしまえばそれはすなわち「悪いサーヴィス」であって、「誰それの真似だ。」としても「心地よいサーヴィス」はすなわちお客様にとっても「良いサーヴィス」であると思うのです。ソムリエの資格を取ろうとする。サービスの検定を受ける。他の素敵なサーヴィスマンの真似をする、、、私は「形から入る」という事は、決して悪いことだとは考えていません。むしろ「形から入ろうとする」気持ちこそが「サーヴィスの心」であると思います。
Jun 3, 2006
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20000アクセスを突破しました~~。思えば、1年を経たずに20000アクセスに到達したんですねぇ~(^^)Vブログを開設した当初はアクセス数も少なくて、目標は1年目くらいで20000に到達すればいいかなぁ。と、思っていたのですが、何日か早くなりました。最近は徐々にですが、日々のアクセス数もアップしております。なんだかやたら文章が長くてマニアックなページなのですが、、、皆様!ありがとうございます! m(__)mさて、20000アクセス目を踏んだ方はどなたか?と、「最新訪問者」ページを開いてみると、、、、「※※※search.com」…ありゃりゃぁ、検索エンジンのロボットサーチの巡回ですやん(**;)嬉しいんだか、なんだか、、、いっぱいプレゼントも用意していたのになぁ(←ウソ)さて、今日の本題はサービスの勉強会、「全日本メートル・ド・テル連盟」の次回セミナーの紹介をします。今回は、毎年セミナー活動の一環として、年1、2回開催しております、「食材探究旅行」の案内です。今回のテーマは、●特別会「初夏の食材探求旅行」~大阪湾の魚介と堺の刃物探訪~2006年06月19日(月) です。私も何回か参加しているのですが、直接生産者の方や、現地の方とお話できると、思わぬウラ事情が聞けることもあって、毎回仕入れた「ネタ」をレストランで使ったリもしています。ご興味のある方はご覧頂けると嬉しいです。全日本メートル・ド・テル連盟 関西本部 ホームページhttp://maitres.hp.infoseek.co.jp/home.html「初夏の食材探究旅行」案内http://maitres.hp.infoseek.co.jp/News.html
May 30, 2006
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もうすぐ、20000アクセス目を迎えられそうです。明日かな~?明後日くらいかな~? どうぞ20000アクセス目の方はコメントを残して行って下さいね。何かプレゼントなど… 考えていませんが。今のところ。。。 さて、5月24日の日記の続きから、再び、「紅茶」の話へと戻ります。 そもそも、現代では嗜好品の範疇に入る「茶」ですが、歴史上に登場する際、また神話として伝えられてきた由縁は「茶」が「薬」としての役割を果たして来たからなのです。 その成分のひとつは、覚醒効果を促す「カフェイン」です。 ちなみに「カフェイン」を多く含む食物としてはもちろん「コーヒー」が良く知られています。が、「コーヒー」と「紅茶」においていづれの方が「カフェイン」をより多く含んでいるのでしょうか? 正解は、乾物としてとらえるならば、茶葉の方がコーヒー豆よりも多くの「カフェイン」を含みます。しかし、液体として抽出した時には、紅茶よりもコーヒーの方が、より多くの「カフェイン」を含有しているのです。数値で表すと、乾燥状態なら 茶葉 2.7% コーヒー豆 1.3%液体として(100ccあたり) 紅茶 40~45ml コーヒー 85mlとなるのです。 さて、もう一方の成分として重要なのが「カテキン」です。「カテキン」は殺菌作用があり、身体の代謝を促す成分として昨今、特に注目を集めています。 このことは、近年において、ある研究機関が「お茶の中では菌が増殖しない」という説を発表してから以降にとされています。そのため、風邪の予防に「お茶を用いてうがい」をするといった行為に効果が表れているといった研究結果もあるそうです。 しかし、「お茶の中では菌が増殖しない」という事については、古い中国に表れる神様、「神農」が自らの身体をもって、お茶の葉を用いて解毒していた、という神話が生まれているように、何千年も前から人々の意識の中に、その経験は根付いていたとも言えるのです。 この2大成分、「カテキン」と「カフェイン」はそれぞれ、「カテキン=渋味成分」「カフェイン=苦味成分」を呈します。この両成分が相互に結合しあった時に「旨味成分」となるのです。 それぞれの成分は、すべからく「お湯」という媒介を経て抽出する事が出来るわけですが、成分によって抽出される温度と時間が違ってきます。カテキン→98℃で10分カフェイン→80℃で2分という温度と時間で乾燥成分からほぼ100%の「カテキン」と「カフェイン」が抽出されるのです。また、この「カテキン」と「カフェイン」が結合しあって、「まろみ」が生まれた時に「本当に美味しい紅茶」が抽出できた、と言うことになるのです。、、、ならば、ここでいよいよ、「本当に美味しい紅茶の上手な淹れ方」を知ることになりました。英国で紅茶の作法として、「ゴールデン・ルール」と呼ばれるものがありますが、必ずしも日本の風土と合わない部分のあるのです、、、(続く)
May 26, 2006
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(昨日からの続き…) さて、私がワインを扱い始めた当初は、仕入価格に一律いくらかの金額を掛けていました。一律3000円として、1000円で入荷したものは4000円で販売するが、10000円で入荷したものでも13000円で販売すると言った方式です。 この、「一律いくらか」には人件費も含まれます。また、グラスの洗浄代、長い目で見ればグラスも消耗するので、破損に対する経費。何千分の一にしてもセラーを置いている場所の家賃、電気代水道代などなどの「経費」が載っています。 良心的なお店だと、例えばワインの持ち込みをお願いした時に、この「手数料」的なものを、「抜栓料」として売上られるところもあります。そのため、ワインの持ち込みが可能なお店では、どんなワインも一律1本あたり○○円としている所が多いように見受けられます。 この方式であれば、どんなワインでも1本売れれば3000円、10本売れれば30000円の粗利益が計上できることになります。この場合、「原価率」という数字はほとんど無視です。 ところがこの方式だと、高単価のワインが売れるようになってくると再び若干の問題が生じてきます。 ひとつには、ワインの銘柄によってはお酒屋さん、つまり小売店で買い求めるよりも安くなってしまうこと。もうひとつは高級、高単価のワインに対して、傷んでいた場合などのフォローの問題と、扱いに対するソムリエとしての技術が求められることの差異が計上出来なくなってしまうことになります。 通常レストランの仕入価格とは、酒販店店頭における希望小売価格の大体1割から3割引きで入荷されています。 そのため一旦、希望小売価格、あるいは流通している価格に近づけるために、原価×1,3~1,7の数値を掛ける事にしました。そうして現れた数値に、+2000円~+3500円の「手数料・抜栓料」を加えるといった方法です。『オレ流』ワインの原価率の数式;ワインの仕入値 × 1,3~1,7 + 2000円~3500円 = ワインの販売価格 この方法で例を挙げると、例えば料理のみの客単価が平均5000円のお店があったとします。人数やお店のグレードなど様々な要因はあるにせよ、1本あたり同程度、5000円くらいののワインが売れるようにしたいと望むなら、ワインの原価×1.5倍+2500円=ワインの売価くらいの数式が妥当では無いかと思われます。1000円のワインと10000円の仕入れ値のワインがあったとして、それぞれに1,5倍の数値と、2500円を均等に掛けたとすると、1000円→4000円10000円→17500円となります。それぞれの原価率と粗利益をみると、1000円のワインの原価率は25%となり、10000円のワインは57%となります。粗利は1000円のワインは3000円しかありませんが、10000円のワインは7500円となります。と、言うことはこのお店のワインの一番売れ筋で価格帯の膨らみが一番大きいところは、原価率が30パーセントになるくらいの所、という事ですから、1500円で仕入れたワインを4750円で販売するということになります。 という事は、ワインリストを構成する時において、もちろん安価なワインも必要ですが、いざというときに機会損失せぬよう、高級ワインもいくつか用意する必要があると言えます。 販売するワインの分布において、一番お店がの自信を持って薦められる価格帯のワインを量、質ともに充実させる必要があると言えるのです。
May 26, 2006
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料理やワインや飲んで楽しむだけならともかく、レストランを運営していくとなると、とかく「収支」が気に掛かるところです。 その中でも「原価」、つまり仕入値と販売価格の兼ね合いにどこのお店でも苦慮することとなります。 さて、今日お話したいのは「ワインの原価と販売価格」についてのお話です。と言ってもここからはいわゆる同業者の方向けですので、「お客様」にとっては、しごく退屈なお話しになるかも知れません。…と、言うか、まぁ、あんまり知られたくないお話ですが(^^;) さて、「原価」つまり「材料費」と言うもの、「レストラン」全体で考えるとすれば、健全な運営をしていくにあたっては総売上の30%から35%というところが妥当と言われています。 しかし、料理においては、原価の設定をする際に高単価の商品は原価が低く押さえられ、単価の安い商品は原価率も高くなってしまいます。あるお店が1000円のランチと、10000円のディナーを提供しているとします。 このお店で、1000円のランチなら、材料費は500円以上掛かってしまうかも知れません。また、10000円のディナーなら、逆に原価は3000円程度と言うところでしょうか。ならば、全部値段設定を10000円以上にすれば良いじゃ無いか、ということになりがちですが、実のところ3000円の材料を10000円で売るためにはそれ相当の雰囲気と料理人の腕が必要になってきます。もちろん、お客様の絶対数があっての事ですが。 一方、ドリンク、ビバレージに関して言うと、ワインなどはその傾向は顕著なのですが、1000円で仕入れた商品を3000円で販売することは出来ても、10000円で仕入れた商品を30000円で売ることは不可能です。 なぜこの逆転現象、違いが生じてくるのでしょうか? それは、料理は「製造業」であるのに対して、ワインを提供するという事は「流通業」であるからです。「製造業」と「流通業」が混在するところに「レストラン」という空間の面白さもあるのですが、その反面、厄介な事象が多いのも確かなのです。 さて、ひと昔前なら、多くのホテル・レストランにおいて、ワインでもなんでも 一律何%という原価設定がなされていました。 なんでも3倍掛けてしまうというのは現代においては非常に乱暴な方法と見て取れます。仕入値1000円のワインは3000円になるのですが、10000円で仕入れたワインは30000円になってしまいます。確かに全て原価率は33%なのですが、当然高い商品は売れなくなってしまいます。また、少なくとも都市部において、 昨今では小売店での金額が広く知れ渡ってしまってますから、「暴利」と捉えられても致し方ないとも言えます。 原価の「率」ばかりに気を取られてしまうと、料理との金額のバランスがくずれてしまう。また、よく売れる価格帯が定まらない。金額で選ぶようになってしまう。などなどの弊害が生じてきます。(明日へ続く…)
May 25, 2006
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(昨日からの続き、、、) それから、時を経ること800年後、西暦1600年代に入ってから「茶」はヨーロッパへと伝わります。 この時、インド洋を舟で渡る際、「緑茶」は海の湿気と赤道近くの熱さで自然に醗酵し、ヨーロッパへ付く頃には「紅茶」ヘと変化していた。と、言う伝説がありますが、これはあくまでも「伝説」で実のところは、もともと意図的に醗酵させていたと言うのが事実です。 ヨーロッパの人々が「茶」を欲したのは、その「茶」における覚醒効果と殺菌効果でした。 覚醒効果とは「茶」に含まれる、「カフェイン」がもたらすものであり、殺菌効果とは「カテキン」によるものです。 この「カフェイン」と「カテキン」を持ち帰ることができるのであれば、あらかじめ醗酵させておいた方が、インド洋を渡っても酸化・腐敗を伴わないと言うのがその理由です。 乾燥状態で変質をさせないことを望むのならば、水分量を3~4%に保ちつづけばなりません。この水分量を保持しているのが、日本や中国における「緑茶」のスタイルです。 緑茶は酸化酵素の働きを利用せず、活性を抑えて造った「不醗酵茶」であり、中国緑茶は生茶を釜で煎り、日本緑茶は生茶に水蒸気の熱を当てることによって活性を抑えます。 また、そもそも東洋とヨーロッパでは、お茶をいれる為の水の違いも影響しました。日本や中国における水は硬度の低い「軟水」であり、ヨーロッパの水はミネラル分の高い「硬水」であったからです。 硬水においては未醗酵の「緑茶」よりも、完全醗酵の「紅茶」の方が相性が良かった、という理由があったのです。 現代において「紅茶」と言えば、「イングランド・ティー」が代名詞となっていますが、このイギリスに初めて「茶」中国から直接もたらされたのは1637年と言われています。 当時、ヨーロッパは大航海時代。海外進出の勢力を握っていたのは、「スペイン」と、それに続く「ポルトガル」でした。 しかし、ヨーロッパ各国の繁栄に変化が見られ、徐々にオランダが勢力を増してきます。 ポルトガルは勢力を維持・拡大する政治的戦略を持って、王女「キャサリン」をイギリス王子「チャールズ2世」に嫁がせました。この時、1662年。この時代から、英国における「紅茶」の文化が確立されていくのです。 政治的な結婚戦略に用いられた王女キャサリンは当時の持参金にあたる様々な高価な品々をポルトガルからイギリスに持ち込みました。東洋の「陶磁器」、その当時は高価なものであった「砂糖」、そして東洋の神秘「お茶」です。 イギリス宮廷内で孤独を感じたキャサリンは、気分の安定を図る目的もあったのか、宮廷内でしばしば「お茶」を嗜むようになりました。さらには貴族婦人を招いての「お茶会」を開催。 もともと、東洋のお茶の文化が入ってきたのですから、そもそも「茶」には砂糖を入れずに嗜んでいたキャサリンですが、他の貴族婦人を招くにあたっては飲みやすいように「砂糖」を加えるようになりました。 砂糖を加える、と言う事にはもう一面の意味合いもありました。当時、砂糖は大変高価な食材であったからです。現代では何気なく使用される「砂糖」ですが、当時は国際的な貴金属として用いられていた「銀」と同等の値打があるとされ、王女キャサリンは持参金の一部として、一隻の舟に満載した砂糖をイギリスへ持ち込んだのです。 珍しい「磁器」のティーセットでもてなし、東洋からはるばる来た「茶」をすすめ、惜しみ無く「砂糖」を加えるその行いは、非常に高貴なステイタスシンボルとしてイギリスの貴族階級の眼に映ったのです。 ここにイギリスにおける「お茶会」の歴史が始まりました。 紅茶は薬から嗜好品になり、現代に至る「イングランド・ティー(英国式紅茶)」の文化が確立されていったのです。
May 24, 2006
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さて、昨日は「メートル・ド・テル連盟関西」のセミナーに参加してまいりました。 普段、メートル・ド・テル連盟のセミナーは、「座学講習」「実技講習」「懇親会」の3部構成なのですが、今回は「紅茶」がテーマと言うこともあり、座学講習と実技講習の2本立てです。 今回は外部から講師として、兵庫県の紅茶専門店「アリエル」のオーナーである渡辺一典先生に足を運んで頂いて講習を伺う事となりました。 私どももレストランにおいて、食後のお茶にコーヒーや紅茶を扱っているはいます。しかし今回、紅茶専門店のご主人にいろいろとお話をお伺いすることが出来て、諸々の疑問や気が付かずにいたこと、等々いろいろと勉強になることがありました。 で、早速ではありますが、私自身が忘れてしまわないように、という意味もあって「紅茶」にまつわるお話などを、、、今日の日記は「紅茶の歴史」です。 さて、この「紅茶」というもの。英国紅茶の名でブランドを確立しているように、イギリス式のティーサーヴィスが広く知られているように思われます。 しかし、英国における「紅茶」の歴史の始まりは、大航海時代と呼ばれる1600年代。そもそもの始まりはやはり中国発祥の「お茶」であり、「緑茶」であったと言えます。 「茶」の始まりは紀元前2737年、現代から約5000年近く前に遡ります。といっても、これは中国に伝わる神話の話。その昔、農業における神様、「神農」が人々に病の万能薬として、1本の木を人々に与えたのが始まりであるとか。 その木こそ「茶」であり、そもそも漢方薬、つまり「薬」の一つとして人々が手に入れた時から歴史が始まると言うものです。 「茶」が薬として効果を求められたのは、その眠くならない作用、つまり茶の成分「カフェイン」がもたらす覚醒効果を期待されての事でした。 「だるまさん」の俗称で呼ばれる、中国の高僧「達磨大師」この達磨大師こそが「茶」の効果を発見し、用いた最初の人物と見なされています。 仏教における「修行」において、早朝より行が始まった上で、長々とお経を唱えたりするわけですから、常に眠気をもよおしてしまいます。そのため、カフェインを多く含んだ「茶」を口にすることによって、眠気を払い、頭をスッキリさせようとの目的を内在したものでした。 そのため、日本へは仏教の渡来とともに、お茶の木が日本に渡来するようになったのです。西暦800年代に入って、中国へ仏教の教えを学びに赴いていた、最澄、空海などが帰日。この際にお茶の木を持ち帰った事は史実にも記されています。明日へ続く、、、
May 23, 2006
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(先回のお話「オカン」な威力-6-) 午前11時に手術室へ入ってから、手術が終了したのは午後3時です。約4時間、長かったのか、短かったのか分かりません。ただ、腹部を開いてから、長時間閉じないというのは、逆に危険を招かないとも限らないそうです。何でも、空気に触れ続けると、内臓というのは、臓器どおしが癒着する危険性があるからだという、、、手術が終わった午後3時過ぎ、私と父は手術室の隣にある接見室にて手術の担当医から説明を受けました。母は集中治療室へ移動しており、直接会えるのはもう少し経過を見てから、午後6時くらいからになると言うこと。医師は重く口を開きました。「残念ですが、やはり悪性の腫瘍でした。」ほぼ、想像はしていました。医療の進んだこの現代ですので、あれだけ検査をして他の病名を告げられることの方が奇跡だと感じられていました。「開腹の手術そのものは成功と言えるでしょう。そして、ガンのそもそもの発生箇所は卵巣からです。」医師から一枚のポラロイド写真を手渡されました。お腹を開いた時の、内臓が写っているものです。「…そして、急遽、医師どおしの判断として卵巣と子宮を摘出しました。こちらに、、、」 大豆の形をした銀色の容器。布にくるまれた中にところどころ黒くすすけた、内臓の塊がありました。 その病院からの方針か、どこもそうなのか、家族にちゃんと見せるんですねぇ。今ドキの病院は。 正直言って、自らの母の体内にあった臓器を見るのは少々気が引けます。口には出しませんでしたが、ふと心の中で思いました。(俺、こん中に入っとったんやなぁ…) あれから一年を過ぎて、断続的に抗癌剤治療を行っています。4ヶ月の在宅療養の期間を経て、先回までは、一月に一回、1週間のペースだったのですが、次回からは3週間に一度のサイクルになるそうです。 今後、3週間に一度が2週に一度になり、週一回になり、いづれ毎日になるのでしょうか? そして、その後は、、、少しだけ、不安な気持ちになります。
May 22, 2006
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いよいよ本日から公開されましたね。全世界同時公開ですって、「ダ・ヴインチ・コード」ブログ検索を掛けると、とんでもない数が現われます。ずいぶん話題になってるんですね。映画の批評は様々で、不評な声もありますが、、、私は原作を読みました。昨年の末で、クリスマスを控えた非常に忙しい時期にも関わらず、一気に読み通してしまいました。原作はけっこう軽快で、なかなか面白かったです。 さて、そんなことに興味を持ったのも、実は「フランス料理」というものは、その歴史から現代に至るまで非常に政治や宗教と関わりが深くて、キリスト教カトリックの所作や、ローマ帝国の歴史、中世騎士団の習わしなどの忘れ去られた様々な「暗号(=コード)」が隠されているのです。…ホンマですって!(^^;) 例えば、「テーブル・マナー」における「レディー・ファースト」。これは、中世における「騎士道精神」から成るものとされていますが、中世と言えば、現代から見ると暗黒の時代と言われ、魔女狩りなどが横行した時代でもあります。 女性を男女2つしかないの「性」の中で蔑むものとされた、カトリック教会の意図がそこに隠されている。と、いうのが小説「ダ・ヴィンチ・コード」の中で著されているテーマのひとつでもあったのですが、女性を「エスコート」すると言うのは、その反面「男性の所有物として女性を仕切る」行為でもあったのです。 また、フランス料理が現代のスタイルを確立するにあたっては、16世紀半ばカトリーヌ・ド・メディシス(カテリーナ・ディ・メディチ)がフランス王アンリ2世に嫁いだことにより、フォークなどの什器や、洗練された食器がフランス料理界にもたらされたいきさつもあります。 このカテリーナが生まれる以前、イタリアで共に関わりの深かった一族が「ボルジア家」ローマ教皇を輩出した一族でもあり、またその中で後にマキャベリの「君主論」で評価の高い「チェーザレ・ボルジア」なる人物は一時、天才「レオナルド・ダ.ヴィンチ」を軍事顧問として雇用していた経緯もあるのです。参照:フランス料理と毒薬 私のソムリエとしての知識を用いるならば、「ダ・ヴィンチ・コード」に登場する「シオン修道会」に関しても発見があります。シオン修道会の総長に名を列ねる人物、その一人が「レオナルド・ダ・ヴィンチ」であるのですが、その他の総長である「ボッティチェリ」と「ジャン・コクトー」にも「シャトー・ムートン・ロートシルト」のワインのラベルから秘められた共通点を見い出したのです。参照:小説「フレンチ・コード 2」 (ちなみに、ボッティチェッリの「春」の一番左端の人物と、「シャトー ムートン・ロートシルト1947年」ラベルに描かれた人物がどうも同一人物であるように思えるのです。ボッティチェッリの「春」ジャン・コクトーの「シャトー ムートン・ロートシルト1947年」ラベル) さらには、赤ワインの最高峰とされる「ロマネ・コンティ」。「ロマネ・コンティ」の「コンティ」とは人物の名称でありその人物とは、この「ロマネ」の畑を「ポンパドール婦人」と血眼の争いの末勝ち取った「コンティ王子」です。 フランスにおいて「シャンパーニュ」と「ブルゴーニュ」は現代においてはワインの名醸地の名前でもありますが、また、キリスト教圏においては多くの修道院が存在する特別な地域ととらえられています。 当時の取引価格で1級から5級を制定したボルドーとは異なり、ブルゴーニュ地域の「特級」「1級」畑の格付けはそもそもが「修道院主導」によるものです。もちろん、出来上がって来るワインの質によって地図を作成したというのが、広く流布されている説でもあるのですが、また、宗教的な価値もそこにあったことは間違いありません。 何故に、「コンティ王子」と「ポンパドール夫人」この大貴族である2人の人物が争うだけの価値がその「ロマネ」の畑にあったのか? 何故、フランスの片田舎、ブルゴーニュの一区画の畑に「ローマ帝国」あるいはキリスト教の「首都」となった「ローマ」の名を冠する畑が生まれたのか?…謎は深まるばかりです。(続く)
May 21, 2006
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(先回のお話「オカンな威力-5-」)先週の日曜は皆さんご存知、「母の日」でした。 母の日だからと言って、「親の心子知らず。歯が痛い親知らず。」な私は、例年より母に何か贈り物をしたり、食事に誘ってみたりするようなタイプではありません。このドラ息子ぶりには過去より近所で評判でもありました。 しかし、そんな私でも今年くらいは、、、な気持ちもあったのです。 ところが、今年の「母の日」うちのお母チャンは病院でその日を過ごす羽目になってしまいまいした。 抗癌剤治療のためです。 思えば、ウチのお母チャンが手術を行なったのが、ちょうど1年前。昨年も「母の日」の前後でした。そもそもガンらしきものが発覚したのが60歳の誕生日を迎えたその翌週ですから、なかなかツイてない母だとつくづく思います。 さて、手術に至るその日まで、さんざんと検査が行なわれました。腫瘍マーカー、CT、MR検査などなど、、、おそらく悪性腫瘍、ガンであることは間違いなさそうです。 問題は、いづれの場所から派生したもので、いかなる治療法を持ってあたるかと言う事でした。 多少の危険はあっても、開腹、つまりお腹を切って病院の先生の目で確認してもらわねば、次の手段へ運べません。また、開腹した上で一番危険な場所であったなら、手術をすることが無意味で終わる可能性もあります。 お母チャンは何もしないで「死」を迎えるよりも、何が根拠か分からなくても手術を行ない、延命治療を施せる方を望みました。 家族である我々も同じ思いです。 手術当日、移動寝台の上に寝かされている母を手術室へと見送りに来ました。こういう場合、男と言うのは頼り無いもので、お父チャンも私もただ、オロオロとするばかりです。手術室の入り口はいつかTVで見たよりもずっと明るく、そしてずっと冷たい空気があふれています。 お母チャンは既に、麻酔の初期の段階に入っていて、眠っているようです。ベッドごと病室から移動し、手術室へと運搬されるその風景は、さながら、兵士が発射口に弾を込める風景に似ています。 手術室の中では少なくとも、3人の医師がいてくれるはずです。循環器科、婦人科、内科、、、開腹した時点で、いづれから発生したガンなのかを確かめる為です。ガンは体のいづれに転移していようとも、最初の発生源がどの部位であるかによって、その治療法が変わってくるからです。 手術室へ母を見送ったあと、お父チャンと私は話す言葉も少なかったのです。と、いうよりも、会話の最後にはいつも、「……だったら、どうしよう?」の言葉が続いてしまうのです。(続く)
May 20, 2006
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心理学における用語で「熟知性の原則」と言うものがあるようです。 例えば、よくある社内恋愛がいい例で、頻繁に顔を合わせている相手とは恋に落ちやすいと言います。これは繰り返し会う人とは無意識のうちに好感度が高まっていくという感情から来るものです。 さて、レストラン・サーヴィスにおいてもこの「熟知性の原則」は大いに活用できそうです。例えばソムリエがワインをお勧めしたい、と考えるならまずお客様が席に着かれた際にアペリティフ(食前酒)を伺いにいく。よしんばアペリティフが出なかったとしても、長い時間をかけて「交渉」を行うことよりも、同じスタッフが回数を重ねて接客にあたる方が、この原則を用いるならば、後々にお客様の信頼を得る率は高くなるといえます。 また、心理学という学問からの見地から、・一度誰かからの頼みごとを断ると、次にお願いをされた時は気が引けて受け入れてしまう。・小さなお願いごとを一度受け入れると、次に頼まれた時にもその依頼を受け入れてしまう。という心理が働くそうです。 この2点、前者を「ローボール・テクニック」と言い、後者を「フット・イン・ザ・ドア テクニック」と名付けられているそうで、多くの企業の営業テクニックには知らず知らずに用いられています。が、ちょっとお客様には大きな声では言えませんので、また詳しくはあらためてお話したいと思います。 さて、ソムリエの方々、またソムリエで無くてもレストランサーヴィスの方々がワインやおすすめの料理を販売してアップセールを図る時にも「心理学」的な要素は様々に応用できます。 例えば、自分が売りたいワイン(もちろん料理との兼ね合いもよく、自らもお値打ちと感じる商品であることが大前提なのですが。)があるとします。 仮に「どのワインがおすすめですか?」とお客様に質問されて、すぐさま「こちらなどいかがでしょう、、、」と1種類だけの商品を答えたとします。すると、お客様にとってはその商品、ワインに対する判断は「いい」か「悪い」かの判断をするかだけになってしまいます。 しかし、候補が複数存在するならば、どれが良いか選択するという判断が生じることになります。いくつかを比較しているうちに自らがお薦めしたい本命のワインに対してのメリット、デメリットが浮き彫りにされて自ずとそちらに傾くということもあります。 選択肢は多すぎても、お客様にとってはストレスとなりがちです。よく失敗しがちなのが、「どれが美味しいの?」と尋ねられて。「ウチのお店はどれもおすすめです。」というような受け答えをしてしまうケース。 この場合には例えいづれの商品も良いものであっても、お客様のサポートにはなっていないからです。 再びワインを例にとって挙げるなら、A)非常に高価だが、味も抜群に美味しいもの B)予算も味わいも標準的なもの C)Bよりはややリーズナブルでも味わいはちょっとハズしたもの。 この場合、本命はBですが、AとCについても考慮せねばならないのは、「捨て駒」でありながら、もし仮にA、Cが選ばれても適当な着地点であることと、Bを引き立てるための要素を持ち合わせていなければならないことです。 様々な可能性を予見するには、サーヴィスマンとしての経験と、深く考慮する姿勢が必要です。しかし、この「具体的に選択できる。」ということがお客様にとってサーヴィスと成り得ます。 以上のような観点から、レストラン・サーヴィスにおいて、1)アペリティフに始まり、お客様にこまめに接することは続いての眼に見えない信頼関係に繋がること。2)例えば、ワインリストに回転率の悪いワインがあったとしても、お薦めしたい商品の有効な「捨て駒」に成りうること。などが考察できるのではないでしょうか?…みなさんのお店ではいかがですか?
May 19, 2006
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昨夜はブログで知り合ったmusignyさんとの「食事とワインの2人会」そもそもmusignyさんはブログを通じての中だったのですが、寄寓ないきさつで同じ企業で勤めることなり、今回ゆっくりお話もさせて頂くことも出来ました。 musignyさんとは今までに同じ職場で関わったことは無かったのですが、大阪、神戸には共通の知人も多く、話がはずみ、また、お世話になったレストラン「レ・ザムルーズ」さんも非常に心地よく、豊かな時間を過ごせました。 さて、料理の内容やワインについてはmusignyさんのブログに詳しく記載されていますので、こちらを拝見して頂くとして、私の方はmusignyさんにワインをご相伴に預かっていることもあり、代わりに「シガー」など持参することにしました。・モンテクリストNo.3・ロメオ・イ・フリエタ エクスビションNo.4の2本を用意し、musignyさんがモンテクリスト、私がロメオをふかすことになりました。それぞれのシガーの特徴は、・モンテクリストNo.3長さ142mm×太さ16.67mmの「コロナ」サイズ、喫味は軟らかくピュアに煙りが入って来る感じでしょうか。・ロメオ・イ・フリエタ エクスビションNo.4長さ127mm×太さ19.05mm 上記モンテクリストとはわずか2ミリ太いだけなのですが、喫煙の際の煙の量が大きく違ってきます。燃焼の具合も良かったのか、豊かなフレーバーです。 エディション・リミターダ、つまりヴィンテージ入りのダブルリングでこちらは2001年でした。ただ、シガーのダブルリングについては要・不要と、シガー愛好家にとっては賛否両論のようです。 ちなみに、この「ロメオ・イ・フリエタ エクスビションNo.4」は一般的なサイズ分けをすると「ロブスト」と呼ばれるサイズの葉巻の範疇に納まります。 「ロブスト」は近年になって生まれたサイズでした。最初にこのサイズの葉巻を製作させたのは、あの/「ロスチャイルド(ロートシルト)家」ワインの業界では、「ムートン~」「ラフィット~」でお馴染みの一族ですが、このロスチャイルド家が、自社のブランデーをアメリカ国内において販売するにあたり、「喫味が豊かなリングサイズ(太さ)を持ち、ブランデーを飲む時間に合わせて吸い切ることの出来る長さ」のシガーを特別注文したのが始まりと言われています。 そのため、シガーのサイズ「ロブスト」は「クラシック・ロスチャイルド」の別名もあるのです。(↓画像は「ロメオ・イ・フリエタ エクスビションNo.4」です。)
May 18, 2006
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フランス料理の「コース」メニューの中には、しばしば「スープ」が含まれます。 昨今では、各々のシェフの意向もあって、「お腹が膨れてしまうから」という理由でスープをコースに含まないメニューも多くあります。こういった場合はそこそこ一品一品のボリュームが多いお店に見られるようです。また、ヌ-ベル・キュイジーヌの流れを踏襲して、品数が多く一品一品の量は控えめな「ムニュ・デギュスタシオン」のスタイルでは、バリエーションの幅を持たせる意味もあって、コースの中に「液体状」の料理、すなわち「スープ」が含まれることが多いように見うけられます。 ところで、現代では、特に日本においては、この「スープ」、とろっとしたとろみがあって、澄んでいないものを「ポタージュ・スープ」、澄んで透明なものを「コンソメ・スープ」と呼び分けているようです。 言葉は世に連れ変化するものですから、あながち間違いとは言えません。でも、本国フランスでは澄んでいないスープを「ポタージュ・リエ Potage lier(つなぎのあるポタージュ)」澄んだスープを「ポタージュ・クレール Potage Clair(透明なポタージュ)」と呼び、いずれも「ポタージュPotage」なのです。 18世紀半ばに至るまでは、液状の料理はすべて「スープ Soupe」でした。で、そもそも「スープ Soupe」とは「スーペ Souper」から派生した言葉と考えられます。「スーペ Souper」とは当時の「夜食」の意味の事。夜食ではパンの薄切りに液状の料理やブイヨン、だけでなく、ワインなどをかけて食していました。そのため、「スーペ Souper」における料理とは、もともとシチューに見られるようなドロドロの液体状であったと考えられます。 18世紀半ば~と書いたのは、この当時から次第にこの液状の料理を「ポタージュ」と呼ぶようになり、一旦「スープ」と呼ぶのは下品で野蛮な呼び名であると見なされたからです。 「ポタージュ」は仏語表記で、Potage。Pot-ageとあり、「ポ」とは鍋の事を指して言う、すなわち「ポット」です。ポット=鍋、のなかで作られる料理がポタージュであるという事です。 同じくに「鍋=ポット」の言葉が含まれる料理が「ポ・ト・フ」。ポ・ト・フはPot-au-feu。主に牛肉を野菜と一緒に茹で汁で煮た料理なのですが、「au-feu」は「火を入れる」という言葉に他なりませんから、そのまま「鍋で火を入れた」料理、と名付けられているということです。 一方、澄んだスープの代表「コンソメ Conssomme」を本で調べると、「=ブイヨン」のこととあります。手間ひまと高級材料を惜しみなく使うことこそ、コンソメがブイヨンの中の代表であるということでしょうか。 となると「ブイヨン Bouillon」とは? 英語にボイル Boilという言葉がありますが、同意義の語で「ブイヨン」に含まれる「ブイイ Bouil」は「煮る・茹でる・沸騰する」といっ行為を指しています。つまりブイヨンを直訳すれば「煮たもの、茹でたもの、沸騰したもの」ということですから、実は何でもかんでも「ブイヨン」であるとも言えます。 そこから連想するのが、「ブイヤベース」。ブイヤベースにもBouillabaisseのごとく「ブイイ Bouil」の文字があるように、実はBouill_abaisse(ブイイ・アベッス)のふたつの単語が合わさって生まれた単語です。ちなみに、アベッスは「下げる」という意味がありますので、沸騰した鍋の中に魚介類の材料を次々放り込む、落していく様子から来たものでは無いかと思われているようです。
May 17, 2006
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…今月に入ってわずか2件しか日記を記入していませんでした。いやぁ~、特に体調が悪いとか、仕事が忙しいとかでは無かったんですけどね(^^;)なんとなく気分がダレてしまってました。反省。何らかの形で手を付けていないと、ダラダラとなってしまうものです。 さてさて、心機一転、今日は私の携わる「全日本メートル・ド・テル連盟 関西本部」のサーヴィス基礎セミナーの紹介です。(前回、第32回サーヴィス基礎セミナーの模様はこちら) メートル・ド・テル連盟のセミナーは、毎回、役員が講師を勤めているのですが、今回は外部から講師をお招きしての開催となっています。 テーマは「紅茶」 レストランを運営していく上でサーヴィスマンが身につける素養には様々なものがありますが、食後のお茶、そのなかでも「紅茶」に絞ってお話を講習して頂きます。 ちょっとしたことでも、お客様との会話の糸口になったり、また「食後のお茶」というアイテムはとりもなおさず、一番最後に供される物ですのでレストラン利用のお客様に好印象を残せる、有効な商品となりうるのでは無いでしょうか。何分、開催が来週と、すっかり紹介するのが遅くなってしまったのですが、、、スイマセン m(ーー)m 全日本メートル・ド・テル連盟ホームページ第33回サーヴィス基礎セミナーのご案内
May 16, 2006
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あちこちのレストランでは「グラスワイン」が提供されています。 昨今では赤、白、それぞれ何種類かづつ取り揃えているのも普通に見られるようになってきました。 さて、グラスワインなどで一杯づつを提供していると、開栓してから時間の経ったものなど、味わいが下り坂に差し掛かかってきます。もともと、それまではグラス売りをしていますので、ワインに欠陥があった訳ではありません。また、何時間かで急に腰の弱るタイプもあれば、何日間かに渡ってフレッシュさを維持するものもありますので一様に「何時間を経過したものは処分」というものでもありません。 私でも実際に少々判断に迷う時などがあります。体調が優れなかったり、お昼に食べた賄いが異常にスパイシーであったり、などの要因はあるのですが。 さて、まず「赤ワイン」に限っての事ですが、そんな時は、ほんの少量、「塩」をなめてから、ワインを口に含んでみると言うのもひとつの方法をとっています。 ある日の営業中のこと、「T君(仮名)、このグラスワインで使った赤ワイン、もうそろそろ落ちてきてるからキッチンに回してよ。でも、ちょっと自分の勉強の為にもテイスティングしてみたら?」T君(仮名)は若いスタッフのひとりですが、今年のソムリエ試験に挑戦するそうで、今はソムリエの勉強中です。「…うーん、、、これってだめなんですかぁ?ボクはまだ美味しいと思うんですけども、、、」 ワインは1種類を単発で飲んでも、経験が無いと良し悪しは比較しにくいものです。多くのソムリエ職の方々がワインの良し悪しを判断するのに頼るのはとりもなおさず、自らの記憶であり、記憶を貯えるための経験なのです。「分かりにくい?じゃあ、調理場からちょっと塩を貰ってきてみ。それをひとなめしてからワインを口に含む。」「…そう言われると、なんだかエグ味を感じますねぇ、、、」「じゃあ、こっちの開栓したばかりのワインは?ちょっと甘く感じない?」特別大サービスで、「健全な」ワインもテイスティングさせてみました。「ホンマですねぇ!甘いッスよ!おどろきですねぇ~」これが、可愛い女のコのスタッフだったら、もう少し親身になって教えてあげるのですが、ここは彼の為にもこの辺りでレクチャーは終わりです。 生理学的な話はさておき、実際に食物に塩を加えると、塩辛さでは無くて「甘味」が引き立つ場合があります。 代表的なものに、スイカに振る「塩」塩の味が、水っぽさを打ち消して、甘味が増すように感じます。また、ぜんざいやお汁粉など、あんこを使った甘味菓子にも隠し味として最後にひとつまみの塩を加えることがあります。「塩」が「油脂分」と相性がよいことは、よく知られています。唐揚げにアクセントとして用いられるのが山椒の粉を混ぜた「山椒塩」だったり、お店で提供した生ハムの余った「脂」に塩を振るとちょっとしたワインのアテになることあります。 フランス料理で使われる調味料は基本的に「塩・胡椒」ですので、「味」のベースは「塩」であるとも言えます。特に「肉に相性がいい」とされる赤ワインは塩を口に含んで、テイスティングを行うと料理とのマリア-ジュとの関連付けができると思います。 日本語には非常に適当な言葉があって、塩によって味が引き立つことを指して「よい塩梅(あんばい)で。」といわれるようです。
May 8, 2006
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ゴールデンウィーク真っ盛りですね。 昨日から5月に入って、急に暑く感じれれるようになってきました。すっかり、初夏の香りです。キィ~!昨日は、キィ~!、朝から、キィ~!、気温も上がり、キィ~!、キィ~!…「なんやねん。その『キィ~!』っちゅうのは?」…それは「初夏」じゃなくて「ショッカー!」 と、言うような前フリはさておき、4月から新たな職場に勤めるようになって、周りの環境や生活のリズムが変わってしまいましたので、このブログも飛び飛びになってしまっています。今回もちょっと間が空いてしまいました。 そんな中、4月の28日にとある方面からのお話があって「ヘルプ」に行ってまいりました。 我々の業界で言う、「ヘルプ」とは、「助けて-」の意味では無くて、まあ、急に人手の足りないところや、イベントなどのお手伝いに行くことです。 ちなみにイントネーションも「ヘルプ」では無く、どっちかというと「ヘルプ」と、関西弁訛りになります。 さて、今回は大阪府柏原市にての催しでした。柏原市の生駒山中腹にあるワイナリーがあるのですが、そちらの中のクラブハウスにてK内家菊水丸さんのディナーショーです。フランス料理の食事をした後、河内音頭で一足早い盆踊りという企画でした。 料理のシェフを勤められるのが、大阪福島区でお店を経営されている、N谷シェフ。N谷シェフは大阪における街場のシェフの大御所で、今回初めてゆっくりお話をさせて頂いたのですが、非常にエネルギッシュに活躍されています。 当ワイナリー内のレストランをプロデュースされていることもあっての依頼だったそうですが、何分、当日に人手が足りないと言うことで、私他に声が掛かったのです。 お手伝いの内容は、いたってシンプルです。40名様あまりのお客様が2回公演にてのご来店です。お客様がご来店されてフランス料理のコース料理を召し上がって頂き、その後会場を移動されて菊水丸さんの河内音頭を聞いて盛り上がると言うものです。 柏原市は「河内音頭」のご当地でもあり、非常な盛り上がりを見せています。私もサインでも貰おうかと思って前日から色紙を用意していたのですが、うまく貰えるチャンスが出来ませんでした(^^;) なにはともあれ、無事にお手伝い出来たようです。普段訪れない場所でお仕事をするのも、イベントなどに参加するのも新鮮で楽しかったですね。
May 2, 2006
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レストランに勤めていると、お客様から料理を誉めて頂くことももちろんあります。また、おすすめしたワインなどが口に合って喜ばれる時もあります。「あっさりしてて、美味しかったわ~」「さっぱりしてて、美味しいわね」 はて!? ご提供した料理は必ずしも「あっさり・さっぱり」したものではありませんでした。それに合わせたワインも決して薄味のワインじゃ無くて、結構コクのあるもの、、、 そもそもフランス料理においては、だしの取り方に始まって、様々な調理法も「抽出と濃縮」に重きをおいている面があります。良い食材と言われるものは、得てして他の同じ食材と比較して濃いものですし、昨今のワインも「美味しい」と評価されるものは主張のはっきりした濃度を備えています。 ひとつの味に慣れて来ると、さらなる刺激を求めようとしますので、「美味しい」と言われれば言われるものほど、その味は濃くなっていくケースが多いのです。 しかし、よくよく考えてみると気付くのですが、日本語でいう「あっさり・さっぱり」は後に続く「おいしい」を強調するための修飾的な意味合いで使われていることが多いのです。 美味しい→しっかり食べられる→食べられることができるのは、あっさりしてるからだ。という3段論法に辿り着くのではないでしょうか? これが、フランス語だったりすると、やはり食文化の違いでしっかりと味の乗った料理を指して、「上あごが大喜びするほど美味しかった!」と言うような言い回しがあるそうです。 では、そもそも「美味しい」とはどういうことか?私はとにかく「味のバランスが良い」ということだと考えています。 美味しい塩もあります。美味しい野菜もあります。美味しいと言われる水さえあります。 でも、肉や魚に調味をせずに食すことはありません。どんなに美味しくても、塩だけを料理とは言いません。 料理として人の手が加わった時にそれぞれがバランスを取り合いながら、「美しい形」を形成する所に、料理としての「美味しさ」が生まれて来るのです。 脂のうま味に対しては、良質の塩味を加えることによってバランスがとれます。塩味に対しては乳脂肪分の甘味がまろやかさを生み出します。 それがチャーミングであれ、ダイナミックであれ、いづれにしてもバランスが悪いと美味しくはなり得ないと言えます。 しばしばシェフやキッチンの料理人から「お客様が今日の料理についての感想を聞いて欲しい。」と、言われることがあります。 お客様はプロではありませんし、ソムリエや料理評論家のようなコメントが述べられるものではありませんし、そんな事を求めようとすれば本来の「レストランの楽しさ」から逸脱してしまいます。 サービスマンとして、例えお客様から「あっさりしてて…」と言われたとしても、適切なニュアンスを噛み砕いてシェフなりキュイジニエに伝える技量が必要なのです。 お客様の言われる、「あっさり・さっぱり」は非常に「バランス」がよくて美味しかったと同義語であると私は考えています。
Apr 26, 2006
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現在、私の手許には60本程の葉巻があります。 巨大なものでは、「モンテクリストA」(長さ235mm、太さ18.65mm)から、普段使いに愛煙している「モンテクリストNo3」「パルタガス・チコ」などの銘柄が様々です。 さて、現在では葉巻を保管しておくのに、そこそこのユミドール(シガーケース)も購入しましたのでそちらで保管しています。2年ほど前から使用しているのですが、そちらを手に入れる前はユミドールを自作していました。 葉巻の保管には少々気を使います。しかし、これはワインと同様です。適度な湿度と温度があり、また、安定していることが望ましいのです。 ワインにおいては温度12~18度、湿度65~80%がワインセラーとしては望ましいのでしょうか。葉巻においてもほぼ同様の条件ですが、温度に関しては湿度をあげるためにもう少し高い温度でも構わないのかも知れません。自作ユミドールに必要なもの、、、●密閉式の大型プラスチックケース●ケースに納まる木箱、気の材質は「杉」が適当です。●温湿度計●保湿器、または花材のオアシス●精製水などです。 まず、木箱は霧吹きで内部から湿らせておきます。霧吹きに加える水も精製水の方が安心できます。精製水はコンタクトレンズに使用されるものですので、薬局で200円くらいで販売されています。 木箱はこの当時は、印章入れを代用しました。葉巻の購入時にシガーショップで、葉巻の20本入りに木箱の空き箱だけを貰って来ると言うのもひとつの手です。 霧吹きであらかじめ湿らせておくのは、最初に葉巻を内部に保管した際に、木箱が乾いていると葉巻の水分が奪われてしまうからです。 密閉式のプラスチックケースの上部には温湿度計を取り付けます。木箱そのものの乾燥を防ぐ目的で、プラスチックのケースの中に先の木箱を納めて出来上がりです。 花屋さんで貰ったオアシスは3cm×3cmの大きさで充分保湿できます。こちらを2つ分用意しておきます。 木箱の内部に精製水で湿らせておいたオアシスを受け皿に入れて置き、プラスチックケースの内部、木箱の外側にもオアシスを置いて保湿するようにします。 あとは、時々湿度を確認しながら、4~5日に1回の割合いで保湿器やオアシスに水を補充します。また、温度差の少ない冷暗所(温度が低すぎると湿度は上がりませんので、冷蔵庫はあまりおすすめではありません。)、例えば押し入れなどで保管しておきます。
Apr 24, 2006
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同じ職場のW氏。最近、葉巻に興味を持ちはじめたということなので、いろいろと話をする機会が増えました。 と、言っても滋賀県の大津近辺ではなかなかちゃんとしたシガーを販売しているところは少ないものです。 私自身は大阪、神戸で勤めた経験が長いので、京都でもあまりシガーを扱っているところは知りません。大阪だったら、ハービスの中にある「シガークラブ」さんか、難波の「司光」さんの2軒か、神戸ではやはり「杉本酒販」さんがちゃんとシガーを取り扱ってくれていると思います。で、W氏が休みを利用して大阪に行くことがあるので、葉巻を買ってきたいとのこと。さて、初めて購入するのならば、私の知っている限りで何種類かピックアップして、おすすめしてみました。○モンテクリスト No.3○ロメオ・イ・フリエタ セドロス・デラックスNo.4○パンチ パンチ・パンチなどでしょうか。いづれも比較的優しい喫味です。コイーバの銘柄は有名ですが、少々濃すぎる感があるので、やはり「特別の日」用に思います。価格は大体、1000円から1600円くらいまで、最も重要なのがサイズで、せっかく「葉巻」を購入するのですから、少々「喫いごたえ」のある方が良いかと思ってコロナサイズが良いのでは無いかと思います。さて、「コロナ」とは、葉巻のサイズの一種です。葉巻、シガーは各製造所、ブランドによって少しづつサイズの変化はあるのですが、大別していくつかの「型」に分けられます。 太さは、喫煙時に吸い込む煙りの量を左右します。太いサイズのものは、強い風味のように見えますが、一時に多く吸われる分、煙りは逆にマイルドと言えます。 また、長さは喫煙の時間の目安となるもので、コロナサイズで約1時間、長ければ長時間シガースモーキングが可能です。以下に代表的なサイズの名称と、サイズを記載しておきます。(名称:長さ×直径)●ダブルコロナ(DOUBLE CORONA) 194mm×19.45mm●グランパナテラ(GRAN PANATERA) 192mm×15.08mm●チャーチル(CHURCHILL) 178mm×18.65mm●ロンズデール(LONSDALES) 165mm×16.67mm●パルフェクト(PARFECTO) 158mm×18.65mm ※吸い口と着火口の両端がすぼまった細長いラグビーボール状●トルペド(TORPEDO) 156mm×20.64mm ※吸い口一方がすぼまった砲弾型●パナテラ(PANATELA) 152mm×15.08mm●グラン・コロナ(GRAN CORONA) 143mm×18.26mm●コロナ(CORONA) 142mm×16.67mm●プティ・コロナ(PTIT CORONA) 129mm×16.67mm●ロブスト(ROBUSTO) 124mm×19.84mm上記のようなサイズにて、いくつかのシガーブランドがそれぞれの個性を持った味わいとして生産しています。(続く)
Apr 22, 2006
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今週、ウチの母は治療のため入院をしています。 抗ガン剤治療と呼ばれるもので、先週検査を行なった際にCT、MRの検査機器では悪性腫瘍の影は見あたらなかったものの、「腫瘍マーカー」の数値が高い為、抗ガン剤の投与を行なうというものでした。 この抗ガン剤、効果の表れ方はかなり個人差があるようですが、わりとウチのお母チャンには効果があるようです。と、いってもなかなか投与した翌日はさすがに痛みが来るらしく、本人曰く、「体内で爆竹が破裂しているよう」、、、らしいです。ガン細胞が破壊されているのだろうと思えるからこそ辛抱もできるのだとか。さて、先回からのお話の続きですが、、、 処置室には、医師と私と父母の4人。「先回、腹水を採取して調べた中には、悪性腫瘍の細胞はみつかりませんでした。しかし…こういった症状が画像に表れる場合、まず悪性のものであることが考えられます。そうでない、という可能性もありますが、、、ただ、悪性のものであった場合には、進行の状態はかなり末期に近い症状と言わざると得ません。」医師の言葉は慎重に、そして重々しく発せられました。その口調から、あと何ヶ月か、半年か、、、 病院によって本人に告知するかどうか、という判断は多少方針によって差異はあるそうです。しかし、今回のケースの場合、末期であると考えられることから、検査後よりすぐに告知の方向で検討されたようです。 開腹手術を行なって、直に腫瘍を確認してみないと、確かなことは言えないと言うような内容でした。また、開腹手術を行なうにあたっては、腹水が溜まっていることもあって、少々危険が伴うことも考えられます。 ガンという病気は悪性の腫瘍が最初に発生した場所によって有効な治療法が異なります。また、臓器によって研究の進み具合が違うため、担当にあたる専門医も手術の後に判断することになるであろうとのことでした。 ガンを患う症状の多くが、見つかった時点でかなり悪化が進んでいることもあります。人間の体にくまなく「痛み」を感じる神経が通っているわけでは無い所に由来します。例えば、胆管。胆嚢から続く管には神経が走っていませんので、発見が遅れることが多いのだそうです。 …過去の想い出が、とか、幼少の頃の記憶が、、、といったものではありませんでしたが、私自身に動揺と混乱と不安が襲います。 父も同様に、さめざめと涙を流しています。 ぐずぐずと泣き濡れる、男衆ふたりを前に、お母ちゃんは、「いややわぁ~。メソメソしてぇ。そんな簡単には死なへんで。まだまだ、やりたいことがあんねん。」私は、 「そやかて、、、ほな、やりたいこと、って、何がしたいねん?」と尋ねました。「新しいギターを買うたから、練習せんならん。」「はぁ!?ギター!?、、、そんなん、この期に及んで練習やてぇ!?」 ウチのお母チャンは、ギター教室の教師でも、ギターを聞かせる事を生業としているのでもありません。そんな「無駄」なことじゃ無くて他にもっと、有意義なことがあるんじゃ無いの、と、考えてはみたものの。。。んー、じゃあ、「無駄」ってなんでしょうか?人生を「無駄無く」生きるとはどう言うことを指して言うのでしょうか、、、ふと、自分自身の頭にも疑問がよぎります。 その行為を「文化」と呼ぶのか、「教養」と呼ぶのか適当な言葉が思い付きませんか、いづれにしろ、人とは自らの成長のために生命を使わねば意味が無いのです。残りの人生が見えていようがいまいが、「無駄」にしてしまうかどうかは、他ならぬ自分自身であると言うこと。 考えてみると、「文化」と呼ばれるものは往々にして必ずしも必要なものではありません。美術、音楽、料理、サービス、、、ある意味、「無駄な事」と思える事にこそ、人は心を満たされるのかも知れません。 「無駄に見える事」が後々の世に残った時に、それを「文化」と呼ぶのでは無いでしょうか。と、言うわけで、ウチのお母チャンは最近は「ロト6」に熱心です。ギターは何処へ行ったのやら(^^:)しかし、ホンマに大金が当たったらどうするんでしょうかね~?
Apr 21, 2006
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先日の4月17日は「全日本メートル・ド・テル連盟 関西本部」による、サーヴィスの講習会が開催されました。 私も役員の一人なのですが、しばらく仕事の都合でここ半年あまり顔を出していませんでしたので、久しぶりの参加です。 しばらくぶりに会った知人の中には、何処から見つけてきたのか、このブログをご存知の方もいらっしゃって、少々恥ずかしい気にもなりましたが、、、ははっ(^^;) また、どうかご同業の方もこちらを見られたら、コメントに足跡でも残していって下さいまし。 さて、講習会の模様は近日中に「全日本メートル・ド・テル連盟関西本部」ホームページにて、公開されることになると思いますので、また、あらためてそちらをご覧下さい。 メートル・ド・テル連盟のセミナーは座学、実技、懇親会の3部構成になっています。 座学講習の今回のテーマは、「レストランサーヴィスの概念と、そのカテゴリー」についてだったのですが、その中でカール・アルブレヒトによる「顧客の価値の4段階」についての引用がありました。 カール・アルブレヒトはアメリカ合衆国における経営コンサルタントの第一人者です。国際的にも数多くの企業向けにサービス・マネジメント・プログラム開発のコンサルティングを手掛け、代表的な著書に「サービスマネジメント革命(HBJ出版局)」や「逆さまのピラミッド(日本能率協会)」などが邦訳されています。さて、カール・アルブレヒトの提唱する「価値の4段階」とは、?基本価値?期待価値?願望価値?予想外価値と、名付けられ、基本価値→期待価値→願望価値→予想外価値の段階を追って、顧客に与えられる感動の大きさが増大していくといったものです。 まず、「?基本価値」とは当然求められる各々のお店についての価値です。 例えば、ファスト・フードにおいてはファスト、つまり「fast=早い」ことがそのお店を選ぶ顧客の第一の動機ですので、料理の提供時間が早いことがごく当然の価値であるといえます。また、専門料理の高級店などにおいては、高単価である以上、「美味しい料理」「心地よいサーヴィス」はあって当然、なのが「基本」的な価値であると言えます。 第2に「期待価値」です。 期待価値以上のものが「付加価値」とも言えるものです。同じ金額を商品に支払った際に、差別化することができるのは、価格以上の何らかのプラスアルファに拠るところが大きいのです。デザイン性に優れた商品であるとか、料理で言うならば、流行の先端を捕らえている、話題の食材を用いると言うのも「期待価値」に含まれるでしょう。 そして「願望価値」と名付けられた価値。 お客様が「こうだったらいいなぁ」と想像することを、具体化出来る能力の価値です。例えば、高級レストランを利用する場合においては、誕生日であるとか、結婚記念日であるとかの「大事に思われる日」のために利用されることもままあります。 予約の際にも「連れが誕生日なんですけども、、、」とのお申し出があることも多いのですが、この「誕生日なんですけれども、、、」の言葉の後には「何か素敵なイベントはありますか?」などの「お客様の願望」が隠されているのです。この「願望」を具体的なプレゼンテーションに還ることによって、価値=お客様の満足度は高まります。 「予想外価値」とは、潜在的に持っていた「願望」では無く、想像していなかったサーヴィスを提供することによって「サプライズ・驚き」をもたらす価値であるといえます。 先の「記念日」のレストランにおけるプレゼンテーションを、お客様からの申し出が無かったとしても提供出来るのか、と、いった感覚です。 例えば、お客様どおしの会話を小耳に挟んだ中から当日が何らかの「記念日」であることを察知したり、雰囲気から読み取った上で、お店からのプレゼントを用意したり、といった「サーヴィスのテクニック」です。 お客様は「言わなかったのに、なぜ分かったの?」という感覚に陥ります。これが「驚き」であり、感情を揺さぶられることは長く記憶に残ることになります。 感情に働きかけること、つまりこの行為が「感動を生み出す」という行為でもあります。「感動を生み出す」事は、その感動が大きければ大きいほど、記憶から忘れられにくくなります。この、記憶から忘れられにくくなる時間の長さこそ「価値の4段階」に設けられた意味であるとも言えるのです。 モノが豊かになった現代社会において顧客の購入の動機はなかんずく「衝動買い」に走る傾向があるといえます。衝動、つまり感情に働きかけねば商品の購入を促す動機になり得ないということが言われるようになりました。 感情、エモーションに働きかけるというのは、実は「記憶に長く残る経験があった」と言うことで、お店に対するリピーターのお客様とは、それが先週のことであれ、10年前のことであれ「過去の記憶」によって生まれるものと言えるかも知れません。と、言うことは、感情を揺り動かす手法とは、「サーヴィス」を駆使することに他ならないのです。
Apr 20, 2006
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(さらに昨日からの続きです、、、) さて、鯛などの魚介類を絞めた後に、飲食業でいう「いかってる」状態、つまり死後硬直を迎えます。 死後硬直というのは、死後直後に起きる現象で、一旦魚肉が堅くなることをいいます。これは筋肉中にあるグリコーゲンが解糖作用を受けることにより、乳酸に変わる事に起因し、また様々な化学変化が重なり合って起きるものです。 硬直の速度については即殺したものが遅く、苦悶死させたものは速くなります。そして硬直がゆっくり進む方が品質的には高いと言えます。 背骨の中心部を通る脊髄を鉤状の道具で抜くという"延髄刺殺"、(=イケジメ)は後に起こる死後硬直を緩やかに進めるために有効で、輸送の時間を計算に入れた方法と言えます。また、反対に苦悶死させたものは死後硬直が早く進み、品質劣化が早くなることになります。 死後硬直へのアプローチが悪いと、どうしても後々の魚の味わいに影響を及ぼします。 死後硬直の間は肉の酸性値が高く腐敗菌等の薇生物はとりつきにくい状態になっており、腐敗する事は起こりにくく、新鮮ではあるのですがこの時点ではまだ旨味成分に欠けるといえます。 死後硬直の後、肉の内部ではタンパク質の分解が始ります。熟成、または自己消化と呼ばれる作用で、タンパク質の分解によって生まれる成分が「アミノ酸」です。アミノ酸は食物に旨味をもたらす呈味成分として知られていますが、アミノ酸とはこれらの成分の総称で、グルタミン酸、イノシン酸など幾種類もあります。 もちろん、人間が感じる旨味については、魚の種類によっても基準変わってきます。しかし、こと真鯛などの旨味はそのイノシン酸が中心になるため、最も旨味が増すのは、水揚げから18~24時間生けすで泳がせ、絞める際は出きるだけ苦痛を与えないように行い、死後硬直から6~9時間を経過して自己消化がすすんだ時点といえるでしょう。 古くから使い続けられてきた「腐っても鯛」という言葉は腐った鯛ではなくて、時間の経過を経て、充分に旨味の乗った鯛のことを差していたのかもしれません
Apr 16, 2006
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昨日に引き続き「桜鯛」の話です。そもそも、こういった「鯛」に付いての話は、かれこれ3年以上も前になるのですが、兵庫県淡路島の鳴門漁港にて、現場の漁師さんから直接伺ったお話をまとめたものです。 桜、紅葉の名が冠せられるように、鯛はその鮮やかな紅色が特徴です。 これはアスキタンチン酸と呼ばれる色素が体表に表れるからです。このアスタキチン酸とは、海老や蟹に含まれる色素です。海老、蟹類を茹でると鮮やかな赤色になりますがこの成分なのです。 「海老で鯛を釣る」とは、些細な投資で大きな利を得ることの例えとして使われる諺でもありますが、鯛の鮮やかな桜色こそは海老をたくさん食した証拠でもあります。 海老は昨今では値段が高くなって、どうしても養殖の鯛などは、餌として使用しにくくなっています。 また、海の浅いところで養殖するため、日に焼けてちょっと黒味がかってるところが、天然の鯛と養殖の鯛を見分ける目安ともなりそうです。 さて、神戸の近海ではやはり「明石の真鯛」がなんといっても有名です。日本でも最も美味しいと言われる鯛が毎日水揚げされています。 では、明石の鯛がなぜ美味しいと言われるのか?それは、鳴門の渦潮とも関係があるそうです。日本各地で鯛の名産地と言われるところ、例えば静岡の駿河湾、また、真鯛の数は少ないのですが、長崎県の五島列島なども往々にして潮流の荒い海域でもあります。 瀬戸内海、特に淡路島の周辺は小島が多く海底の地形も複雑だそうです。この地形が複雑な潮の流れを生み、勢い鯛などの回遊魚は多くの運動量で泳ぐこととなります。 人間でもそうなのですが、運動すると疲れます。この疲れるということ、ちょっと専門的に言うと筋肉の中に乳酸が発生するのですが、実はこの乳酸が落ち着くとアミノ酸が生成され、旨味成分の素になるのです。 そういう意味から、魚にストレスをかけないという観点から、絞めるということ、つまり屠殺は速やかに、また、魚になるべく苦痛を与えないように行われることが望ましいのです。 真鯛であれば頭のすぐ後ろ、背骨が始る部分に深く包丁を入れ、血液が抜けやすいよう尾びれの付け根にも切りこみを加えます。(続く)
Apr 15, 2006
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先週の週末が全国的にお花見のシーズンとしてはピークだったのでしょうか。私の住まいのある滋賀県の大津市界隈は、若干近畿圏内の各地より開花が遅れた模様でそろそろと花が散りはじめている頃です。 さて、この季節、桜の開花に合わせて「真鯛」が旬を迎えています。この季節に出荷されるものが「桜鯛」の通称で呼ばれています。 鯛、の名が付く魚は、黒鯛、金目鯛、イトヨリダイ、ムエタイなど様々ですが、「桜鯛」に関しては「真鯛」と同一の品種です。 よく旬、旬と言いますがどういった場合が旬というのかご存知ですか? 食材となる生き物が美味しくなる季節?それはそうなのですが、どうしてその「旬」を迎えると美味しくなるのでしょうか? それは1年のサイクルの中で、その生き物が次の世代を生むために体に栄養を蓄える時期と重なることが多いようです。鯛に関していえば、人間の暦でいうところのゴールデンウィーク明け位から卵を生み始めますので、その前の春の時期には沢山餌をとります。そうして身が肥えてきますので、この時期が美味しくなってくる時期なのです。 春の出産の時期をはさんで、その前の冬はもうすぐ肥えてくるのにという理由で、また夏は出産後名ので少々身がやせるともいわれ、旬とは呼ばれないようです。卵を産んでちょうど半年目くらいの秋は産卵から時間がたって、「裏旬」とも呼ばれ、秋に捕えられるものをまた「紅葉鯛」と呼んで重宝する向きもあるようです。 さて、桜鯛の出荷で有名なのが兵庫県明石市。 明石漁港では「明石の昼網」として名を馳せていますが、早朝に出港した漁船がちょうどお昼過ぎに港に戻り、その場で競りに掛けられています。 漁船から次々と水揚げされる様子は圧巻で、何匹もの鯛やスズキが各々の料亭やお魚屋さんへと競り落とされてされていきます。 お昼に水揚げされた「鯛」はそのまま夕食時には食卓へ並びそうなのですが、実は案外そうではありません。 天然の真鯛など、海から釣り上げられた状態のものは、非常にストレスがかかっています。また、網が上げられる際に非常に抵抗することによっても体力が落ちています。 ストレスがかかっている状態というのは、味に対しても非常に影響があり、網に掛かっても、生き延びようともがくことは体内のエネルギーを急激に消耗していまうことになるのです。 実はこの、体内に残された「疲労の成分」が後に旨味となるのです。 昼に港に上げられた鯛は速やかに販売される訳ではなく、24時間程度生け簀で飼われます。海から引き上げる時に消費された体力を回復させ、また、内臓をきれいにする目的があるのです。 ただ、野生味が失われないよう、2~3日と必要以上に生け簀で飼うことは避けられているのです。(続く…)
Apr 14, 2006
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…友人に紹介された「トンデモ映画」、、、その名は、、、いかレスラー!HPを開くと、♪いかいかいかいかいかレスラ~いかしてるいかレスラ~の歌が!私はまだ見てません。が、ストーリーは「超日本プロレスIMGP王座決定戦のリングにこつ然と現れた“いかレスラー”!チャンピオン田口を簡単にマットに沈める。翌日のスポーツ誌は“いかレスラー”一色。超日本プロレスの意向とは裏腹に、再びプロレスに目が向けられる。やがて田口VSいかレスラーのリターンマッチが組まれるが、田口は勝機を見出せずにいた。そこへ謎の男・千山が田口に近付く。試合当日、姿を現した田口は“たこレスラー”に変貌していた!壮絶な闘いを制した“いかレスラー”は、人気、実力ともにナンバー1となったが、今度は新たな強敵“しゃこボクサー”が 襲い掛かる!」だそうです。。。(^^;)まぁ、2004年の製作なので、あちこちで随分話題に登ったようですが。前フリが長くなりましたが、この季節、レストランでの季節の食材と言えば「ホタルイカ!」♪ホタルで会ってホタルで別れるぅ~小さな恋の… (唄;山川豊)違~うっ!ホ・タ・ル・イ・カ!ホタルイカはこの季節、富山県の海岸に群れで現われ、食卓を賑わします。もちろん、季節の食材としてレストランでも用いられます。 ホタルイカはその名の通り、体内に発光器を持つのが特徴で、他の生き物に触れると光ることから、防御の目的で発光するのでは無いかと言われています。さて、このホタルイカ、我々も何気に喰っておりますが、実は、、、特別天然記念物です!日本で特別に保護するべき、または特産品として認められているものが、「天然記念物」です。天然記念物は国の文化財保護法によって保護されています。天然記念物のうち、特に重要なものとして特別に指定されたものを特別天然記念物という。動物では、天然記念物191件のうち、21件が特別天然記念物に指定されています。せっかくですから、「特別天然記念物の一覧」を表記しておきます。* アマミノクロウサギ* 八代のツルおよびその渡来地 : 山口県* 鹿児島県のツルおよびその渡来地 : 鹿児島県* 小湊のハクチョウおよびその渡来地 : 青森県* 鯛の浦タイ生息地 : 千葉県* ホタルイカ群遊海面 : 富山県* ライチョウ* 土佐のオナガドリ : 高知県* カモシカ* トキ* タンチョウ* 高知市のミカドアゲハおよびその生息地 : 高知県* 長岡のゲンジボタルおよびその発生地 : 滋賀県* オオサンショウウオ* コウノトリ* アホウドリ* カワウソ* メグロ* ノグチゲラ* イリオモテヤマネコ* カンムリワシ(参照;ウィキペディア)「ホタルイカ群遊海面」とありますので、富山県の海上一帯が指定されています。そのため、「鯛の浦タイ生息地」と同じく、正確には「ホタルイカ」そのものでは無いのかも知れませんが、他の動物は食す事は出来ませんので、やはりホタルイカは「唯一、普通に食べられる特別天然記念物」と言うことになるのでは無いでしょうか。
Apr 13, 2006
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さて、先日の日曜日、9日の夜の事。関西フランス料理サーヴィス業界における私の先輩(?)のK支配人のの歓送会が行われました。 K支配人は大阪のとあるホテルの料飲支配人を長らく勤めていらっしゃったのですが、この春の異動でもともとの勤務先であった東京の本社に戻られるとの事になり、我々メートル・ド・テル連盟関西本部一同が集まっての一席です。 K支配人は本来が関東圏の出身の方なのですが、連盟発足当初から役員として参加して頂き、活動を通じて私もいろいろな事を教わりました。 私自身は、20年近くこの業界に身をおいていますが、フランスには旅行で行ったものの、どちらかに勤めたり、住んだりという経験はありませんでしたのでK支配人の経験談は非常に興味深いものでした。 また、あくまでも私の眼から見た感想なのですが、K支配人の雰囲気はまさに「江戸っ子」という感じでそのサーヴィススタイルは私がベタベタなのに対しては非常に「スマート」であったことを覚えています。 この辺りは過去の日記「江戸歌舞伎」と「上方歌舞伎」にて私の見解があります。(註:大阪の吉本興業では「ベタ」の対義語は「シュ-ル」と定義されています。) さて、その席上での出来事、、、「いやぁ~そういえば、最近書いてるブログ見ましたよぉ。なかなか面白いですね~。」「え゛!? (^^;)」すっかり見つかってしまいました。「いやいやぁ、、、あれは、テキストにしようかと、△×□○、、、」しどろもどろになる私。「ははっ。なかなか、シャレも効いてていいじゃあないですか。これからも頑張って下さいね。」と、お誉め(?)のお言葉。そうなんですか~~~!?と、いうわけで、今日も日記を書き続けております。(^^)また東京でもご覧頂いているのでしょうか?是非々々今後とも宜しくお願いします。出来れば近いうちに東京にも行きたいですね~。乱筆乱文お許し下さいませ。
Apr 12, 2006
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先日は「春の魚」についてお話しました。今日は「春野菜」ネタでも紹介しようかと思います。とは言っても、昨今では一年を通して野菜も果物も供給されていますので、「季節の旬」とはいえなかなかピンと来ないと言うのが現状のようです。 しかし、レストランにおいて、使われている食材など、シェフはその時々の食材に季節を意識します。プレゼンテーションの際にこちらからアピールするポイントに上手に持っていくこと、つまりは「何を持って旬とするか。季節感」を言葉で表現することがサーヴィスマンの役目と言えるかも知れません。 さて、ヨーロッパで春を告げる野菜は「アスパラガス(Asperge)」フランスでば春の宝石゙ベルギーでば貴婦人゙に例えられアスパラガス専用の食器や道具がある程特別扱いの野菜。もともと地中海東部が原産地で、これはユリ科の植物です。 300種ほどがあるのですが、食用にするのはそのうちの20数種、食用以外は成長すると蔓状の茎に細かい杉のような葉が生えますので観賞用にもなります。お花屋さんに行けばまず置いてありますし、繁殖力が割と強いので、ちょっとしたお庭にも生えていることがあります。 主に食用になるものとして、グリーンアスパラガス(Asperge vert)、ホワイトアスパラガス(Asperge blanche)、日本ではまだポピュラーでは無いですが紫アスパラガス(Asperge violet)。野生のアスパラガスという意味のアスペルジュ・ソヴァ-ジュ(Asperge sauvage、またはAsperge de bois)などがあります。 グリーンアスパラガスとホワイトアスパラガスは品種でいうと同じ種類です。アスパラガスが成長していくたびに周りの土を盛り上げて掛けていくと、太陽の光にあたりませんから色白のアスパラガスが出来あがります。 春キャベツ、芽キャベツも春野菜の代表です。フランス人気質は割と野菜などを分類するのが好きなのか、様々なキャベツ類が市場に並んでしました。キャベツ(Chou cabus)シュ-・ブラン(Chou blanc)、春に出回るのは春キャベツ(Chou pomme de primtemps)新キャベツはシュ-・フレ(Chou frais)ちりめんキャベツ(Chou de milan)、カリフラワー(Chou-fleur)もキャベツの一種でしょうか。 芽キャベツはキャベツの小さいのが地上からポコポコ生えているのかというとそうではなく、ひまわりのような太い茎を持った「菜の花」の、花が咲く前の状態。直径2センチ程の太い茎に鈴なりに小さなキャベツが生えてきます。 キャベツとレタスはよく似ていますが、キャベツはアブラナ科、レタスはキク科の植物です。レタスは近年に掛けて様々に品種改良されて来ました。「レタス」の名で呼ばれる丸い形状のものをカールレタス系、サニーレタスのように葉先が縮れたものをプリーツレタス系と分類するようです。 ちなみにこの「サニーレタス」、実は日本で30年あまり前に開発された品種で、よく売れるように当時一番売れていた車の名前をその名に付けました。サニーレタスのサニーは、日産サニーのサニーから着けられたのです。カローラが一番売れていたなら、カローラレタスになっていたのかもしれません。…ホンマですって! 蛇足ながらレタスは日本名では乳草と呼ぼれていました。「乳」とはレタスの茎を折ると白い乳液状の液体が出たことから。最近のレタスは改良される過程でそのような事は無くなってしまったようですが。レタスという語はそもそもフランス語のレシュー(レチュー)に由来しています。フランス語表記でLaituesこちらも「乳」の意味を残しており、Laituesには「牛乳」の意味の「レ(Lait)」から派生しています。
Apr 7, 2006
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どんな商売でもそうなのでしょうが、「売上」はお店の運営にとっても非常に大事なものです。もちろん、お客様抜きにしては「売上」は考えられませんから、料理の品質の向上や、サーヴィスのスキルアップなども抜きにしては語れません。 どちらか一方を重視して良いというものでは無いとも思います。車の左右両輪のような関係で、どちらか一方が回転していても、1箇所でぐるぐる同じところを回転するだけですので、バランスよく両輪を同じ速度で回転させて初めてまっすぐ進むと言えるのです。 さて、どんな事業においても適切な収支比率と言うのがあります。これは他業種の小売業やサービス業においてもそうです。フランス料理はおおむねにして、高い単価をお客様に求めますし、リーズナブルな飲食店では低い単価でお客様の来店数を増やすことで利益を上げているのが普通です。 だから利益が上がる、上がらないという観点においては、高級店だから潤っている、沢山お客さんが入っているから儲かっている、ということにはならないケースも多いのです。 収支比率とは、大雑把にいって売上の内訳です。私が身をおくフランス料理業界のモデルケースと言えば、下記のようになります。○売上を100%とします。 原価25~35%(お店のスタイルによって異なります。材料重視のレストランか、サーヴィス重視のレストランコンセプトかによって変わってきます。また、ワインなどを含むドリンクは加工部分が少ない分、原価率は自ずと上がって来ます。そのため、料理部門とドリンク部門の原価率には違いが出て来ます。)人件費30~35%(社員、およびアルバイトの給料です。売上の3分の位1が目安とされています。)家賃8~15(売上の10%が目安とされています。また、2営業日分の売上で家賃が賄えれば安定していると言われています。家賃は固定費ですので、営業を全くしなくても発生して来ます。そのため、売上の20%を越える家賃は危険であると言われています。)初期投資の回収、または借入金の返済 5~7%(考え方は経営者によってまちまちなのですが、借入で店鋪を開店する場合はあらかじめ返済額を固定費としてとらえる方法が主流になりつつあります。初期投資が少なく、借入が無いにこしたことはありませんが、おおむねにして、お客様の客単価を決定する要素になります。)その他経費、雑費 10%~15%(レストランはガスや電気を使用する量はかなり多くなりますので、光熱費だけで5%くらいは掛かってしまうのが普通です。その他はパンフレットなどの宣伝広告費、消耗品の補充に掛かる経費などがあります。)以上が経費です。原価償却費は含んでいません。となると、利益の率は、、、利益0~10%となります。0%というのは極端ですが、多くの飲食店ではあり得ない数字でもありません。が、大体、健全経営のフランス料理店では6~8%くらいでは無いでしょうか。飲食業は技術を持った人材、良い食材に掛ける原価など、割合いを多く占める経費がありますので、決して利益率は良いとはいえません。 飲食業界において日本で最も売上の大きいのが「日本○クドナルド」なのですが、こちらにおいては利益率は0.5%。つまり1000万円の売上があっても、純利益は50000円と言われています。(続く)
Apr 6, 2006
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最近は何かと天気の移り変わりが激しいのですが、昨日今日と随分暖かくなって来て、春らしくなって来ています。 西洋料理であるフランス料理店でも、やはり四季のはっきりした日本では特に、春夏秋冬の季節感は大事にされていますので、使用される材料も春の食材に移り変わりを見せています。 野菜だと、キャベツ、菜の花、竹の子なども出回ってきました。キノコではモリ-ユなども使用しています。魚介類ならば筆頭は桜鯛、マトダイ、ハマグリ、イサキ。イサキは時季で言うとちょっと「走り」くらいですね。 さて、魚介類の2番目に紹介した「マトダイ」 日本においてこの魚はマトダイ、またはマトウダイと呼ばれています。東北地方では「的鯛」関東地方から以西では「馬頭鯛」の文字が当てはめられるようです。 と、言うのもマトダイの体側に見られる模様は、他の魚を威嚇するため、もっと大きな魚の眼を模した擬態と考えられているのですが、釣り上げて時間が経つと消えてしまいます。昔の流通事情を鑑みると、海から揚げられてすぐの状態のマトダイを見る地域では、その形から弓矢の的に見たてて「的鯛・マトダイ」、江戸に運ばれた時にはすでに模様は消えていて、その顔立ちから、馬面の鯛、すなわち「馬頭鯛・マトウダイ」と呼ばれたようです。 フランス本国においては割合、高級魚として扱われる魚です。サン・ピエール(St-Pierre)という名前で呼ばれています。 サン・ピエール(St-Pierre)とはキリストの12使徒のひとり、聖人ペテロのことを指します。ペテロはイエス=キリストによって付けられた名前で、ヘブライ語で「岩」という意味。キリストの「岩の上に教会を建てよ」の言葉どおり、ペテロは2000年の歴史を持つローマ教会の最初の法皇として知られています。St-PierreのPierreとはフランス語で「石、礎石」の意です。 全く余談ですが、日本のフランス料理店やパティスリーの名前に「ピエール・なんとか」だとか「~・ピエール」との名前がついていることがありますが、これはオーナーシェフなどが「石○」さんだったり、「×岩」さんだったりするところから名付けられたお店があります。 聖人ペテロはもともと一介の漁師であったのを、イエス=キリストが教えによってを導いたことからその弟子に加わります。サン・ピエール(St-Pierre)に見られる黒い斑点模様がペテロが掴んだ時に残った親指の跡であるとの伝説が残っています しかし、サン・ピエール(St-Pierre)は海水魚で、ペテロはガラリヤ湖(現イスラエル内)で漁を営んでいました。当時捕えていたのはやはり淡水魚であると考えられます。実は名を同じくするセント・ピーターズ・フィッシュと呼ばれる淡水魚がおり、現代でもこの魚を丸ごとフライにした料理がイスラエルで食すことが出来ます。 聖人ペテロは殉教の後、天に召されて天国の入り口の鍵を預かる門番となりました。ペテロの名を冠するワインがボルドー地域のポムロールの代表的なワインCh.Petrusシャトー・ペトリュスです。Ch.Petrusシャトー・ペトリュスはボルドーでも最も高価なワインとしてまたその名を知られていますが、このワインのラベルに描かれている人物こそ聖ペテロであり、その手に握られているのが「天国への扉の鍵」です。
Apr 4, 2006
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(昨日の日記の続き)「プレゼンテーション」とは、自社の商品、あるいは自分自身ををいかに魅力的に提供できるか、と言うことであり、「コミュニケーション」とは人と人との間をいかに取り持つかということです。 多くの社会人の方がこの2点において、社会に出たときに衝突する壁であるといえます。 商品が売れないのは、「プレゼンテーション」が他社より優れていない為であり、社内の人間関係がうまく調和を図れないのは「コミュニケ-ション」の能力に欠ける部分があるのかもしれません。 日常的に「プレゼンテーション」技術と「コミュニケーション」能力が問われるのは、他ならぬサービス産業であり、「接客業」であるといえるのです。 飲食店も旅館も、ひと昔まえはいづれも「水商売」と呼ばれていました。 「水商売」の最たる、「銀座のクラブのホステス」さんや、「新宿のホスト」と呼ばれる商売に至っては以前は皆、テレビなどに登場することは無く、また、素顔はモザイクなどを掛けての出演が多くあったように思います。 しかし、ここ最近ではホスト稼業の方々も堂々とテレビに登場し、銀座のクラブのママの手記がビジネス書として読まれるように成ってきました。 サービス業、接客業への世間の見方が変わってきたと言えるのではないでしょうか。 事実、ホテル・レストランの現場を長年勤めた方々が、とある大企業にヘッドハンティングされているという話もよく耳にします。 とある企業とは、この3月期において日本で最も売上高の多かったと言われる「ト○タ自動車」という企業です。この「ト○タ自動車」、最近高級車の販売店舗を「セル塩」という名前(仮名)に名称変更しました。当の大企業は販売店舗のハード、つまり内装などの高級化と合わせて、ソフトの部分、つまり「接客」にも重きを置いたのです。 高級車を購入しようという意識のある人々はとりもなおさず、高額所得者であることはもちろんです。では、高額所得者に対する「接客」に一日の長があったのは、ホテルのサーヴィスマンであり、また高級レストランの現場のサーヴィスマンであったのです。 今後、この傾向は強くなると私は予想します。お客様の目はバブル崩壊の時代を経て、「値段に見あった手頃な商品」か、あるいは「値段以上の付加価値を持ちうる高額商品」の2極に分化すると思われます。 景気は「元に戻った」のでしょうか?あるいは、「新しい形に変化した」のでしょうか?「新しい形に変化した」のであれば、今後、消費者が求めるものは商品への付加価値であり、それはとりもなおさず、「サーヴィス」と「接客」の向上に他なりません。…昨日、今日とオチがないなぁ、、、
Apr 2, 2006
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4月に入ると、ニュース番組では今年度の様々な企業の入社式の模様が画面に映し出されています。今年は、昨年来の不況感からの脱却が見られることもあり、多くの企業で新卒者の採用が盛んな様です。 私くらいの年代になると、ちょうど社会に出る頃がバブル真っ盛り、そしてバブル崩壊、長く続いた不況間感など、ここ20年近い経済の移り変わりの激しさをまさに体感している世代といえるのではないでしょうか。 とはいえ、飲食業界は慢性的に人手不足は否めないようです。諸々の要因はあるのですが、他業種が回復してきて人事採用が盛んになり、少子化が進むと、今後さらに、絶対数が少なくなるのも無理からぬことです。 しかし、接客業という点に限って言うと、これは産業として充分に将来伸びる可能性を秘めています。 これはあくまでも私の持論なのですが、「モノ」が充分飽和した現代、新しい分野とは「モノ」を作る事よりも「モノ」にいかに付加価値を付けることによって、差別化するかという点に重きが置かれるように社会が変化するからです。 景気は「元に戻った」のでしょうか?あるいは、「新しい形に変化した」のでしょうか?景気が「元に戻った」のであれば、さて、バブル崩壊以前のような分野・商品がまた売れるようになるのでしょうか? 生産される商品はすべからく性能の差異は見出しにくくなっています。自動車、電化製品、IT産業と一様に性能は人間が扱える範囲において更なる開発の余地はどんどん少なくなって行くでしょう。 では、それが自動車であれ、一皿の料理であれ、商品ごとの優位性を持たせる要素とは、「プレゼンテーションとコミュニケーション」このふたつにあるといえます。(明日の日記に続く、、、)
Apr 1, 2006
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200本目の日記です。 それは昨年の6月のことでした。何を思い立ったったのか、ブログを始めてみたのですが既に10ヶ月続いております。 三日坊主を恐れてはいたのですが、「1日分が長すぎる!」との声にもめげずに続けてまいりました。始めてからの日記記入率は今のところ、70%をキープしております。昨夜のこと「人気ブログランキング」を久方ぶりに確認してみたところ、107位! (飲食・レストランRanking 600件中)皆様ありがとうございます。これからもご遠慮なく、ポチッと押してやって下さいまし。 さて、私事で恐縮ですが、去る3月20日で約3年ほど勤めた神戸のお店を退職しております。 ブログを通じて、私の勤めるお店の方に行ってみたい、とお声を掛けて頂いていた、大勢のお客様にはご案内が遅れて大変申し訳ありませんでした。 実はそもそも、こちらのお店に入った当時から、自分自身独立して店舗を構える意向があり、去る2月に手頃な物件が見つかったので着々と準備を進めて来たのです。…しかし、訳あって破談してしまいました。 残念です。。。理想的な店舗だっただけに、、、諸々の事情があったのはあったのですが。 当該物件が破断して以来、勤めていたお店を辞める時期も決まっておりましたので、あせって別の物件を探す気持ちはあったのですが、立地や家賃、およびそれに掛かる「初期投資」というのはやはり1度きりですので、営業を始めてから動かせるものではありません。 正直に言って、自らも気持ちが萎縮してしまった部分もありました。 むしろ、何よりも「時間」の問題もありました。「レストラン」を運営するとなると、自分一人で独立できる状態には成り得ませんでしたので、結局は他の人に迷惑を掛けてしまう結果に。 それで一旦、すべてを白紙に戻すことにしました。 期待して頂いていたお客様には非常に申し訳無く感じています。このひと月程、先輩も後輩も、いろいろな形で、声を掛けて下さる方がいて下さって、非常にありがたい事でした。「財力」も「個人の技術力」も財産ですが、「人の力」もかけがえの無い財産です。 いづれ、また自らが誰かの「力」になれればと思っています。 またこの場を借りて近況が報告できるかも知れません。あ、ブログの方は飽きない限り、この調子で続けて行きます。なにしろ、レストランで起こることは200件位では書ききれ無いほど「ネタ」に溢れてますから。私はレストランほど素敵な場所は無いと思っていますからねぇ~
Mar 31, 2006
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…さて、昨日の日記の続きから《メニューと説明の例》1、アミューズ・ブ-シェ 「生ハムとメロン」 「最初にお付だしとして、イタリア・パルマ産の生ハムにメロンを合わせました。さて、この生ハム、豚肉から作られているのですが、お肉のどこの部分か食べてお分かりになりますか?…答えは後ほどで、、、」2、オードブル 「様々な貝類を用いたサラダ」 「本日のオードブルは『貝のサラダ』です。ツブ貝、ミルガイ、ホタテガイ、、、そしてお皿には乗って無いのですが、もう1種類。。。私こそ、ナイスガイ!」3、魚料理 「明石の真鯛のポアレ」 「明石漁港で揚がったの鯛のシンプルなポアレです。皮目から香ばしくパリッと焼き上げることによって、皮と身の間に旨味を閉じ込めるような形で仕上げました。どうぞこの旨味を味わってみて下さい。」4、肉料理 「夏鹿のロースト」 「本来、狩猟獣は冬の猟期しか獲れませんから、夏の鹿は非常に珍しく、私どもでしか手に入りません。また、鹿肉は牛肉に比べて赤身が強いのですが、これは鉄分を多く含んでいるからで、日本でも古来から『鹿は女性におすすめ』と言われていますので、、、」《解説》1、アミューズ・ブ-シェ 「生ハムとメロン」 お客様がサービスマンと会話を交わす時、お客様が求めるものはレシピや作り方、原材料の学術名や、増してメニューに書かれた料理名ではありません。そこに「楽しみ」があるかが重要です。会話とは二人以上の人と人とのやり取りから生まれてくるもので、そのためにはお客様から言葉を発していただく必要があります。一方的なアナウンスは会話ではありません。お客様にとっての重要であることを念頭におけば、接待の席やお客様どうしで会話が盛り上がっている時は、アナウンスは不必要なケースが多くあるからです。2、オードブル 「様々な貝類を用いたサラダ」 楽しい時に人は笑います。ベタであるかどうかは目をつぶっていただいて、ユーモアのセンスは、サービスマンにとって非常に有用なアイテムになります。高級店においてはかしこまる雰囲気が強いのですが、ヨーロッパの一流店と言われる場所のサービスマンも多くの方はユーモアの演出には長けています。 なにかと堅苦しい印象のあるフランス料理なのですが、最後まで堅苦しいままだとレストランを本当に楽しんで頂くことが出来ないからです。お客様に面白がって頂くのも、気持ちをほぐして自らのレストランを受けいれてためにも必要であるからです。3、魚料理 「明石の真鯛のポアレ」 シンプルに、ごくシンプルに仕上げられた料理ほど素材と料理人の腕の如何を発揮します。もちろんお客様の感情に訴えかけることは出来うるのですが、あくまでも漠然とした「感情」です。さりげなく「なぜ美味しいのか」を伝えておくことによって心で受けとめた「感覚」は頭で記憶した「理解」になるのです。 この説明方法は一種の広告戦略であるともいえます。つまり、広告で最も有効であるといわれているのが、「口コミ」です。この口コミの過程で、お客様が他のお客様に伝える時に単に「美味しくて雰囲気が良かった」では無く、具体的に「××という料理を、こんな風に仕上げているので美味しかった。」と、具体性を持つ可能性が生まれてくるからです。 自分のお店のスタイルなり、情熱をさりげなく(あくまでもさりげなくですが)、プレゼンテーションできることは他の競合店に対する差別化を生みだす効果があります。4、肉料理 「夏鹿のロースト」 一皿の料理に対してのアピールポイントをサービスマンが充分に理解しておかなければなりません。「なぜ、希少な食材なのか」「なぜ、高価なのか」「食材の旬とは」といった事を理解して初めて「おすすめ」であることに自信が持てるのです。 料理のアピールポイントを的確に突くことは、とりもなおさず料理を「もっと美味しくする」効果があります。サーヴィスマンの言葉による付加価値とは、実はここにあるのです。 上記は、あくまでも例であって、ほんの、それもごく些少の例です。多様すぎるお客様に対して対応する術は100人のお客様がいれば100通りあるといってもいいくらいです。 しかし、100通りを覚えるのではなく、100通りに考えることが出来れば、組み合わせによって無限の「料理説明」の対応が可能です。 頭の中の引き出しは多く持てば持つほど有利です。しかし、引き出しの開け方を知らないことには中から飛びだしては来ないのです。
Mar 30, 2006
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さて、昨日に引き続き「月刊 専門料理 4月号」から、、、 「専門料理」はその名の通り、料理についての雑誌なのですが、サーヴィスマンが読んでも充分に勉強になります。 サーヴィスマン向けの連載もあって、今年の1月号から始まっているのが「アンケートで検証するサービスの疑問」というのがあります。東京、関西圏の何店かに協力を依頼してサービスに関する疑問にアンケート形式で解答してもらう、といった企画です。 で、今月号のテーマが「料理について、どう説明する?」と、いったもの。そういえば、フランス料理に関しては特に料理を提供した直後にその一皿の説明を求められることが多いのも確かです。さて、勝手に私がこのアンケートに解答するとすれば、「料理の説明」はある2点にポイントを絞って行なう様にしている事です。ひとつは、・そもそも「説明」なんてしないこと。お客様の興味を引き出し、本当にお客様が求める「情報」を提供すること。ふたつめは・お店の一スタッフとして、他店との差別化を図る為に自店の「パッション」を「感じる」だけでなく、それとなく「理解」していただくこと。の2点なのです。 上記の内容では「説明不足」で抽象的ですので、具体的にとある日のとあるレストランのメニューを例に、解説を用いて私の「料理説明」をするとすれば…(長くなりそうなので、明日に続く…)
Mar 29, 2006
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私どもの飲食業界では読まれている(と、思います)「月間専門料理(柴田書店刊)」今月4月号の特集は「フランス料理のニューベーシック」です。 「月間専門料理」は和・洋・中を網羅していますので、この本を毎月毎号買うわけではありませんが、こと特集が「フランス料理」であったりすると購入することが多いです。 で、「フランス料理のニューべーシック」の内容なのですが、フランス料理が一時期の確固としたイメージでとらわれることなく、多様化の様子を見せているということ。 料理を科学の視点でとらえるのか、フランス料理の王道とは、過去のエスコフィエなどとの乖離とは、、、などのテーマで日本各々のシェフの意見などで構成されています。 こう言った「ニューベーシック」「新しいフランス料理」。これは「フランス料理」という料理ジャンルに独特のことなのですが、フランス料理とは常に新しい「流行」を生みださないといけないといった要素があるのは確かです。 「常に新しい流行を構築し、広めないといけない」ということが中国料理であるとか、イタリア料理、ましてや日本料理と比較して、ことさらフランス料理に限って言われる命題であるような気がします。 「フランス料理」とはそもそも「フランス共和国」の本来地方料理であったものををベースにしているものの、正に地方料理を抜粋しているわけではありません。そこには、例えば「太陽のごと、くまなく世界を照らさないといけない」、といった自負心から来るものがあります。 しかし考えてみると、料理に限らず多くの芸術や文化はフランス、それもパリという街が発信の地であることが求められています。例えば、ファッションにおいても世界へ向けて「モード」、つまり流行が造られるのはやはりフランスであり、パリであることが、多くの人々の認知されるところでもあります このフランスが掲げている意識は時に、「ナポレオン幻想・ナポレオン神話」(←あらためて説明しようとも思いますが、興味のある方はネットなどで検索すると出てきます。)と呼ばれます。 さて、「ベーシック」という言葉が「普遍的」という意味合いを持つ以上、その時点ですでに「誰も見たことの無い新しいもの」では無くなっています。「新しい」と言われるものは、他の人々が追随して初めて、「アレが新しかった」という価値が見出される、ということです。 一方、「古いフランス料理」、古典的と呼ばれるまでに格上げされなかったとしても流行遅れの料理を「新しい=良い」「古い=悪い」と見なすのも見方を変えれば弊害があるともいえます。それはお客様からの視点としてです。 今年2006年のミシュランにおいてパリのトゥール・ダルジャンが一つ星に降格されたという話題がありました。 今回の一つ星降格には「料理が時代遅れになりつつある。」というのもミシュラン降格の一因であったとも噂されています。 私がこの業界に入った頃ですから、もう20年近く以前になりますが、当時、トゥール・ダルジャンのオーナー、クロード・テライユ氏が来日されていたこともあって、テライユ氏のコラムなど多く参考にしたことがあります。 だから、トゥール・ダルジャンを弁護するということではありませんが、お客様が「トゥール・ダルジャン」を訪れる際に期待する料理とはエル・ブリのような奇抜な料理ではなく、また、科学をふんだんに応用した料理でも無いということです。 お客様が「新しい料理」を期待するならば、パリ市内の他の店を訪れる方が賢明というものです。 しかし、このレストランを訪れるお客様の多くが期待するのは、やはり各界有名人が食した「キャナール・ア・プレス(鴨のロースト)」と同じ鴨料理であり、何年も前に見かけたパリのガイドブックに載っているような料理を期待するのでは無いでしょうか。 多分、一生に一度しか来店しないお客様なら尚更でしょうし、お客様の「期待」がどんなものであれ、お店の側は裏切れないのです。 フランス料理の今現代の変化は、人材不足とそれを補う機器および科学の発達がもたらした時代背景も大きく影響しているのでは無いかと思います。フランス料理は進化を続けていますが、生き物の進化がそうであったように環境に大きく影響されています。 古いものが必ずしも廃れていくとは限りませんし、新しいものが必ずしも将来のベーシックになり得るというものではありません。
Mar 28, 2006
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今日のお昼間に、とあるワイドショーを見ていると、「チーズと牛乳」についての話題が。 まず、牛乳について。昨今では某○印の事件があったから、かどうかは別として、消費者の牛乳離れが年々進んでおり製品そのものが過剰生産になってしまったため、今年で年間1000トンもの牛乳を廃棄処分にしたのだそうです。 一方、ナチュラルチーズ、プロセスチーズなどの値段は高騰するばかりです。理由のひとつとしては、急激に西洋化が進む中国への輸入の増大。なにしろ10億人の市場がありますから、ブームになると需要の規模は日本をはるかに上回ります。中国に限らずロシアでも輸入が伸び続けているのだとか。 国内で生産されているものに「プロセスチーズ」がありますが、このプロセスチーズの原料のうち80%を占めるのは、海外から輸入される「ナチュラルチーズ」。 ヨーロッパのみならず、南北アメリカ大陸産のものや、オーストラリア産のチーズが「輸入」され、一旦、蒸し機で加熱され溶かしたものを再び固めて作られたものが「プロセスチーズ」となります。 さて、輸入元のチーズの値段が上がっているので、日本の乳製品の製造会社も様々な手段を打って来ています。 ひとつは値上げによる対処なのですが、今のところ大っぴらには値上げはしていない模様です。 変わっての対処方が、容量を減らすという事。実は、昨年の同時期なら8枚入りだったパックが、7枚になっていたり、ポーションを少しづつ小さくして全体的な容量を減少させて同じ値段で販売するといった策がとられています。 国内で廃棄する牛乳をチーズの生産にまわせば良さそうなものなのですが、まず、国内には牛乳をチーズとして生産できる設備などが整っていない事。 また、牛乳に限らず日本の農畜産物には様々な規制が多く、生産者保護の観点から牛乳がたくさん出来たからといって、安い値段で販売することが許されないことにもあります。 そのため、すべて国産の牛乳からプロセスチーズを作るとなると、チーズの値段を現行の2倍から3倍に値上げしないとコストが見合わないといった状況に陥ってしまうことが原因です。 それで、国内で生産される牛乳を捨ててでも、諸外国から日本に輸入されているチーズを使用する方がコスト的には安いといった矛盾が起きるのです。 それでも、日本に輸入される「ナチュラルチーズ」の値上がりは実際にレストランにも影響を及ぼしていました。私の勤めていたレストランいおいても、この一年ほどで1割くらい値上がりしたかも知れません。 日本では「ナチュラルチーズ」を美味しく食べる事について、まだまだ未発達と言えると思います。 「ナチュラル」とは、その名の通り加工されていない事です。ナチュラルチーズは発酵と熟成の段階で様々な「微生物」が関わってきますので、時に独特な個性を持っています。 プロセスチーズは先に述べた通り、一旦加熱されています。そのため、微生物が影響を及ぼすことはありませんので、その味は均質です。 しかし、「ナチュラルチーズ」はそのものがそれぞれ個性を持ったひとつの「生き物」であるともいえます。この個性を育ててあげないと、提供するチーズは美味しくなりません。それは、一見難しそうに聞こえますが、その昔日本でも各々の家庭にお漬物用に糠床があったような感覚に近いものです。 チーズショップにおいて、また、レストランにおいて、「ナチュラルチーズ」を上手く「飼う・育てる」ことも可能なのです。その方法とは、あくまでも自己流なのですが…(つづく)
Mar 27, 2006
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このブログももうすぐ200回を迎えることが出来そうです。思えば、私の場合、言わないと気が済まない性分なのか、一回あたりの文章がやたら長いそうです。 友人に指摘されてしまいました。一日あたりの平均が2200文字くらい、200本書くと440000文字!原稿用紙1100枚分かぁ~! ホンマ、そのくらい「レストラン」っていろんなネタが詰まってるんです。しんどい事もあるけど、なによりも楽しいデスよ(^^;)さてさて、「サービス」について考える時、そもそも「サービスとは?」といった疑問が浮かびあがるのです。 大阪で「サービス」と言うと、「おニイちゃん、ちょっとサービスしといてぇな」と言われるように、「まける」の意味合いで使われている事が多いように思うのです。 ちょっと話は脱線しますが、大阪で言う「まける」とは、一般的に思われている以上に深い意味合いを含んでいます。 「まける」というのは単にディスカウントする、イヤラシク値引きする、と言ったネガティブな意味ばかりではありません。「まける」とは「負ける」の意味で、お店側がお客様に「負ける」事なのです。 では「負ける」に対して「勝った」のは誰かというと、これはもちろんお客様です。 あながち間違いなのが、「負ける」という事が、無益なディスカウント競争とはきちがえられてしまった事にあります。 お客様を「勝ち組」にして差し上げる。 そもそも、お客様が「勝った」という気持ちいい気分にさせることの方が大事なのです。「勝った=得をした」、とも言い換える事も出来ます。 商売のやり取りの中で、お客様が「得をした」と感じることは、金額を値引く事だけではありません。現在多くの場所で見られる「ポイント制」によるサービスもそのひとつであると言えます。 大阪に東京からの大型家電量販店が進出してきた際に、大阪の家電店においてはお客様は昔ながらの「値段の駆け引きを楽しむであろう」という事に期待を寄せていました。 価格を下げること無く、「付加価値」を高めることも「お客様が得をした。」という意味ではお店側が「負けた」ということになるのです。 値引きすることと、ポイントを付与することとは商売の売上如何に関する部分においては、同じ程度の競争になったはずですが、今のところ結果的にはこの「ポイント制」の店舗が勝利した模様です。 これは消費者の側に意識の変化があったのです。 「意識の変化」については、常に時代の中で起っている事ですから、我々のフランス料理の業界においても無縁ではありません。 フランス料理は現在でも少々「高級な食事」のイメージが付きまといますし、高いからわざわざ足を運ぶといった要素もあります。そこで、価値に見あう「美味しさ」があるのは当然のことで、価格の違う商品と比較して「こっちの方が美味しい」と言ってもお客様は得をした気分にはなりません。 フランス料理のお店が少なくて珍しかった時代には、「珍しい」という事が「付加価値」だったのですから。 いづれにしても、必要な事は「お客様の支払うお金の価値について考える」ということです。 お客様が「良い時間を過ごせた。」とか、「ここで食事をして得をした。」など思って頂ける。お客様に「勝った」と思っていただけるような「サーヴィス」が「負けてあげるサービス」なのです。「お客様に勝ってもらう」のです。…お客様にかってもらう…お客様に買ってもらう!…なるほどなぁ、、、我ながらなかなかいいオチやなぁ。
Mar 26, 2006
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来る4月17日、「全日本メートル・ド・テル連盟」主催による、「第32回サーヴィス基礎セミナー」が開催されます。 で、かいつまんでお話しますと、この「全日本メートル・ド・テル連盟」とは、フランス料理のサーヴィスに携わる有志が業界をなんとか盛り上げていこう、との主旨で始まりました。 99年に関西では設立されました。「全日本メートル・ド・テル連盟 関西本部」というのが正式名称なのですが、少々おカタい気もします。 諸々の事情もあって、この名称に決まったのですが、そもそも「国際メートル・ド・テル連盟」という組織がヨーロッパにあって、それが「Union International Maitre d’Hotel」。「Union~」ですから、これを「連盟」と訳したのですが、「Union~」には「~組合」としての意味合いもあります。 現行ではフランス料理のサーヴィスの同業者による運営で互助的に行われていますが、将来的にはフレンチのサーヴィスのノウハウを各種接客業においてもフィードバック出来ればとも考えています。 かく言う私も、設立時より参加しております幹部役員なのです。何らかの形でこういった「機会」を設けないとなかなか同業他社の考えや抱えている悩み等を知る事は難しい内情があるとも言えます。 セミナーは今回でもう32回を数え、ほぼ2ヶ月に1回の開催で行われています。 「セミナー」と名がつくとなんだかうさん臭く感じる部分もあるのですが、毎回主に3部構成で行われています。 ひとつ目は「座学講習」毎回事にテーマにそって講習を行っています。内容は、「サーヴィスの歴史」「ヨーロッパの文化」だとか、食材のアイテムを絞って「フロマージュ」だとか「什器(シルバー類)の変遷」だとか、、、実は私も何度か講師側に立った事もあるのですが、同業のプロの方を前にしてお話するわけですから、なかなか緊張するものです。 第2に、「実技講習」主に「デクパージュ」や「フランベ」などのテクニックや、「ワインのマリア-ジュ」といった類いのものです。正直に言って各々のお店で行えるものではありませんし、むしろそういった演出を行っているところの方が少ないとも思います。 当然、1、2回「やり方」を聞いただけで明日から「デクパージュ」が上手くなれるというものではありません。しかし、そういった「テクニックがある」という事を知ることによって、サーヴィスマンの自尊心がくすぐられる目的もありますし、何より参加者が「楽しい」のです。 3つ目は「懇親会」です。私自身はこの「懇親会」を最も重視しています。と言うのも、「食事が美味い!」…では無くて、この場で他社の同年代の方々と知り合いになって頂きたいのです。 日々、飲食業の方々と言うのは自店の仕事に追われがちになってしまいます。様々な困難や疑問も当然起こって来るのですが、「よその店ではどうだろう?」とか「もっといい方法はないかな?」とか考えることも大切なのです。 同じ業界に勤めているワケですから、隣人も形は違えど同じような思いがあるものです。そこで、様々な方と交流して頂いて、「自分はもっと頑張らなアカンなぁ」と考えたり、「よーし、俺はもっといいサーヴィスするぞ!」って刺激や競争心を感じていただければいいと思います。 同じ思いを共感出来る人を「友人」と呼ぶのかも知れません。「友人」は発展していける時も、困難に向かう時もかけがえの無いものです。 さて、私もここ1年ほど、この会には仕事の兼ね合いもあり出席出来ませんでした。今回はどぉかな…何分、大阪、神戸と関西が中心に開催しておりますので、遠方の方はお誘いにくいのですが、このような活動をしている人々もおりますので機会があれば覗きにも来てみて下さい。"「全日本メートル・ド・テル連盟 関西本部」ホームページhttp://maitres.hp.infoseek.co.jp/"「第32回サーヴィス基礎セミナー」のご案内http://maitres.hp.infoseek.co.jp/News.html
Mar 24, 2006
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(昨日の続きから…) 公爵(Duc)はもともとフランスと同盟を結ぶ公国の領主でした。フランスが「フランス」として統合される事になる前に歴史上に多く登場するのが「ブルゴーニュ公国」 現在でもモナコ公国の様に、公爵が元首という国もあります。英語訳するとデューク(Duke)です。しかし、デューク東郷(ゴルゴ13)やデューク更家(ウォーキング)などは正式に爵位を授かったのでは無いと私は推測しています。 侯爵(Marquis)は「辺境伯」と訳されることもあります。フランス周囲からの異なる民族の侵入を防ぐ意味で国境周辺に配置された軍団の長であったことがその始まりです。フランスが国として安定してくるとその領地を所有する領主としての性格を持つようになります。 この辺境伯、出自は異なるのですが、英国でのEarl(アール)と同格とされます。フレーバーティでよくその名をしられたEarl Grey(アール・グレイ)とは「グレイ伯爵」の意です。 コント(Comte)が伯爵です。当時の伯爵位は一つの自治領を治める権限を持っていました。コントが治める自治領は中世になって、現代の「州」に近い形態になります。現代に及んでも、コント(伯爵)が治めた州がカウンティ(County)、となってその名残りを残しています。「シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド」のコンテス(Comtesse)はコントの妻、つまり伯爵夫人の意で、爵位に対する男女の区分は単語によって表されています。 ヴィスコント(Viscomte)は子爵。Vis-comte(ヴィス・コント)と複合のひとつの単語でヴィス(Vis)は「副-」という訳が出来そうです。現代のアメリカにおける「副大統領」は「ヴァイス・プレジデント(Vice President)」ですから、伯爵に次ぐ者、補佐する者としての位置付けであったと思われます。 ヴィスコンティという名称については、私自身もワインや食に関しては思いつく用法がありません。 しかし、映画界では「家族の肖像」などを作成した映画監督の「ルキノ・ヴィスコンティ」の名が挙げられます。「ルキノ・ヴィスコンティ」はいわゆるペンネームで、正式名称を「ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ」西洋の人の名前で「ロバート・デ・ニーロ」だとか、「マルキ・ド・サド」だとか、名前の間に「~・デ・~」「~・ド・~」などの文字があった場合、多くは元貴族の系列である家系に生まれた人物であることが予想されます。 この「~・デ・~」「~・ド・~」の後に続く単語は地名であることが多く、過去においてその土地を治めていた、という経歴の表れで、この治めた地名のことを「シノン(Sinon)」と呼びます。この、「シノン」を持っているという事は、西洋でも非常に由緒正しい家柄の出身であることです。 そして5番目の爵位が「男爵(Baron)」です。このバロンという爵位は上位の爵位と違い、必ずしも戦場で功績のあった者、領土を治めた者と言うことでも無さそうです。商人として活躍した家系にも与えられていることからもその点は窺えます。我々のようなワインに携わる者どおしで最も有名な「男爵」と言えば、、、ジャガイモです。「メイクイン」と日本ではジャガイモの2大銘柄です。…え、違う!?そうですね。やはり「バロン・ド・ロートシルト」、シャトームートンロートシルトを筆頭とする名だたるシャトーの所有者でもあります。しかし、「バロン」ロートシルトは1970年代に亡くなっていますので、現在の当主は娘であったフィリピーヌの運営になっています。フィリピーヌはバロンの娘なので、コント、コンテスと同じく、「バロン・フィリピーヌ」では無く、正しくは「バロネス(Baronesse)・フィリピーヌ」となります。
Mar 21, 2006
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Marquis d'Aleme Becker(マルキ・ダレーム・ベケール)Clos de Marquis(クロ・ド・マルキ)Comte Lafon(コント・ラフォン)Chevalier Montrachet(シュバリエ・モンラッシェ)Comtesse de Lalande(コンテス・ド・ラランド)Volnay Clos des Duc(ヴォルネィ クロ・デ・デュック)Baron Mouton Rothschild(バロン・ムートン・ロートシルト) さて、問題です。上に掲げたのは、ワインの銘柄に使われている名称や生産者の名称です。これらに共通する、「ある共通の要素」とは何でしょうか? ワインの名前などに見られるマルキ、コント、バロン、シュバリエなど。これらは「爵位」と呼ばれるものです。爵位はフランスにおいてはそもそも、国王の軍の階級付けとして用いられたのがはじまりとされています。戦争で功績のあった者に爵位をあたえ、後々の貴族社会を形成する基盤となりました。上位の格の爵位から順に、Duc,(デュック=公爵)Marquis,(マルキ=侯爵)Comte,(コント=伯爵)Viscomte,(ヴィスコント=子爵)Baron,(バロン=男爵) ここまでの5階級を「五爵」と言い、シュバリエはその下の位です。シュバリエはその他の爵位が各々の「家」に与えられる世襲に対し、戦場で功績のあった個人に与えられるもので一代限りです。ちなみに英語圏ではシュバリエはナイトと同格とされているのです。日本語ではそれぞれ、公爵、伯爵、侯爵、子爵、男爵名どの文字があてられますが、「公、候、伯、子、男」の文字そのものは中国の階級からあてはめられたものです。(明日へ続く…)
Mar 20, 2006
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若いスタッフなどから時々受ける質問に「勉強するのにどんな本を読めばいいですか?」「どうすれば自分の役に立ちますか?」「無駄な経験は積みたく無いんですけれど、、、」と、いう類いの質問を浮ける時があります。私は「何でもいいやん。まぁ、なんにも考えへんよりはマシやね。」くらいにしか答えません。。。実も蓋も無いようですが。実際、料理の本、サービス関連の本も山ほどあります。辞典クラスになるとセットで10万くらいする物もありますので出費も大きいです。で、このウン10万円分の本が役に立つかというと、はっきり言って全く役に立ちません。 10万円の本を買ったところで1000ページのうち使うのはトータルすると2~3ページかもしれません。役に立つのは文字数にしてほんの何行かもしれません。と、いう事は、少々の投資をしたところで100ページ分の知識は得られません。1冊から2~3ページ分の有用な情報があるのなら、100ページ、200ページ分の知識は100冊、200冊の本から得られる事になります。 そもそも、本や情報は「道具」以上の何物でもありませんから、読む動機とは2つしか無いとも言えます。辞書や国語辞典のように、必要な時だから読む。という場合。この場合は始めから目的があるのですから、「何を読んだらいいか?」という質問には至りません。もうひとつは、自らの好奇心によって生み出される欲求によるもの。この場合も。自分の仕事に興味そのものがあれば、興味に関わる事項が記載されたものを手当りしだいにあたる、という方法しか無いのではないかと思うのです。 こと、サーヴィス業、接客業は多岐に渡る「人間」を相手にする職業ですから、様々な事柄に興味があればあるほど、好奇心・想像力が豊かである事が「他人の役に立つ」ということです。この、「他人の役に立つ」ことの方が、「自分の役に立つ」事よりもずっと大事でなのです。「知識」も「道具」と同じくです。本も知識を与える道具に過ぎません。道具というのは使う人の使い方によって全く意味が違ってくるのです。「野菜を、魚を、上手に切るにはどの包丁を買えばいいですか?」と、いうような質問がおかしい事にも気付くはずです。上手に使えた人がお店の、ひいてはお客様の役に立つのです。
Mar 17, 2006
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そもそも、母の病気が発覚したのは昨年の春のことです。 60歳の還暦を向えたばかりの母は急激に体重が減り始め、続いて腹部に違和感。そして腹水が溜まってきました。 やせ始めた当初はこれも毎夜のウォーキングの効果があったのかと喜んだお母チャンでしたが、あまりにも急激すぎたため少々不安にもなり、病院で検査をすることに、、、 検査の日から3日後、結果を告知するため、私と父と母の3人は処置室へ通されました。X線写真を前に説明を始める医師。「こちらが肝臓部分の画像です。」輪切りに見える肝臓の一部には黒い影があります。昔どこかのテレビで見たような写真でした。「先生、これがもしガンやったとしてこの部分だけを取り除くのは可能やないんですか。」「肝臓部分だけはそうなんですが、、、」医師は話を続けます。「こちらが腹部の縦方向からの断面です。」改めて見せられた一枚を見て愕然としました。胸の位置から下腹部に至る広い範囲にいくつもの斑点が見られます。黒い斑点がいくつも、、、巨人の桑田投手の顔のホクロを基準に100クワタという単位とすると、ざっと95クワタはあります。「腹水を採取した中からは悪性種用の細胞は見つかりませんでした、、、開腹による手術でないと明らかなことはいえませんが、、、もしかなり症状が進んでいるとすればかなり末期です。」医師の言葉も重々しい口調で響いてきます。 それからいくつかの説明を受けました。ガンは個人差が大きいこと。発症した内臓の器官によって治療法が違うこと。開腹手術を行なっても内臓を確認した時点で手術が不可能な可能性もあること、、、、 あらためて告知されました。検査結果はほぼ「クロ」です。レントゲン写真から見る腹部は明らかにガンの症状。しかも、写っている影がすべてガン細胞であれば、かなりの末期であること。。。(つづく)
Mar 16, 2006
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「全国フランス料理・サーヴィスコンクール(仮称)」代11回大会のあった東京から戻った私は少々落ち込んでおりました。 ホンマに「トロフィー」だけが欲しかったんです。4位の副賞にトロフィーがついていたらそれで充分満足だったのですが、、、そんな私に母が声を掛けてきました。「あんたぁ~、2、3日見いひんかったけど、ドコ行っとんたんやぁ?」「東京や。」「東京!?何しに?」「なんやぁ。ヨメから聞いとらんのかぁ。コンクールや。サーヴィスの。」「コンクール!?へぇ。ほんで、コンクールってどんなコトするん?」「ソムリエとかな、デクパージュっちゅうてな、鶏切ったり、英語やフランス語とかいろいろや!」いろいろと尋ねられるので、落ち込んでいることもあり少々ウザい気分になっていました。「ほんでぇ~どないやったん。結果は?」「アカン、、、4位やったわ。もしかしたら、もうちょっとで優勝出来てたかもしれん、、、、」すると、お母チャンは、まるで鬼の首でもとったかのごとく、、、「はおら、ごらん。中学、高校と暴走族みたいなコトして、遊んでばっかりおったからやんか!どうせ、英語とかで減点されたんちゃうの!今からでも遅ないわ。心を入れ替えてNHKのテレビでもみて勉強しなおし!釈ナントカちゅう女の子のほうがよ~っぽど頭エエで!」なんちゅう叱られようですか!?残念ながら、語学で減点されたのは図星でした。…しかしなぁ!オカン!それでも、この近所やったら一番上やぞ。狭い業界とはいえ、それこそ、100人そこそこが受験してる中で結構上位やんか!何ぬかしとんねん!優勝狙いに行っとんねんから、それこそ誉められこそすれ、なんで怒られんなアカンねん!!!と、心の中では叫びながら。 ショートコントのような散々な1日でしたが、今思えばこの時、既にお母チャンの体内では癌はゆっくり進行していたのです。(つづく)
Mar 15, 2006
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あらかじめ断っておきますが、ウチのお母チャンはまだ存命中です。 うかつなコトを話してしまうと、シバかれます。 私が子供の頃やたらとシバかれた記憶があるのです。私が長男ということもあって、やたらと期待を掛けられ、完璧を求める母でしたので何をやってもあまり誉められたことはありません。 大体、自分とお父ちゃんとの営みで生まれた我が子ですから、ふたりの能力を足して2で割った程度に考えるのが普通なのでしょう。お母チャンはそもそも、そういう意味では稀有な楽天家であったといえます。お母チャンのその性格は、私が30いくつになろうとそのあたりは変わることは無かったのです。私はこう見えても、一昨年度の「全国フランス料理・サーヴィスコンクール(仮称)」のファイナリストでした。今だから言えますが、一応、全国4位です。 年に1度行なわれるサーヴィスコンクール、全国からの受験者は例年約100人あまり。毎年チャレンジして、出場回数は6回を数えました。その前年度、ファイナルに進出。決勝進出者は5人でしたが、結果は5位。 今年こそは、と意気込んでの挑戦です。とは言っても、「優勝する!」なんてたいそれた事は申しません。もちろん、優勝賞品の「フランスへの航空券」も欲しいし、「サーヴィス用包丁6本セット」も欲しい。…しかし、何よりも欲しかったのは「トロフィー」でした。「トロフィー」、心くすぐる響きです。 何よりも、成果が形になるのがいいじゃないですか。持って帰れれば、玄関の人目に付く場所に置いておけるよう、金魚鉢も何気に動かしておいていたのです、、、しかし、、、結果は4位。3位以内の入賞までしかトロフィーはありません。思えば、お母チャンに見せつけてやりたかったのです。ドラ息子はドラ息子でもタダのドラ息子では無かった事を。♪ちゃらららっちゃら~ん ボク ドラ…むすこ~ (声;大山のぶよ)などと、自分を慰めている場合ではありません。(つづく)
Mar 14, 2006
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リリーフランキーさんの「東京タワー」売れてるらしいっすね~。私はまだ読んではないのですが、後半とか感動の涙が止まらないとのこと。…いや、なんでもですね、「リリー・フランキー」と「東京タワー」のキーワードはブログの検索ヒットの率をぐっと上げるんですってホンマかなァ(^ー^;) 私もね。書いてみようかと思ったんです。ウチの「オカン」のこと。いやいや、ウチは「オカン」と呼ぶより生粋の関西人ですからちゃんと「チャン」付けで呼んでおります。「お母チャン」と。そういえば、関西人と言うのはなんでも「チャン」付けですね。アメは「アメちゃん」お月様は「まんまんチャン」、ちいさなクロワッサンは「クロワッチャン」、だからめっちゃ高級なクロワッサンは「クロワッ様」…ウソです。 ネタ振りはさておき、というのもウチのお母チャンもガンと闘病しております。 卵巣癌のレベル?という診断でした…それでこのお話のテーマを東京タワーにちなんで、大阪の「通天閣」としようかとも思ったのですが、いかんせん私の住まいは滋賀県です。滋賀県と言えば「琵琶湖タワー!」あ、やばっ!「琵琶湖タワー」って、閉鎖されてもう無くなってるやんか!(つづく)
Mar 13, 2006
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昨日のニュースの出来事。「木村○八、日本刀所持で逮捕!」 む~ん、この方私と同い年だったんですね。 故やすし師匠の息子でもあり、ドラマ「毎度おさわがせしま~す」などは面白がってみていたのですが、なんで物騒なモノを持ち歩いてたんでしょうか? ところが、公に話してしまうと支障があるのかも知れませんが、 私もしょっちゅう、持ち歩いています!と、言ってももちろん日本刀ではありません。調理用の道具類としてです。 調理師学校に在籍していた頃も、何本もの包丁を通学の間持ち歩く事になります。在籍中は調理師免許がありませんので本来は違法になるのでしょうが、警察にもし職務質問されるような事があった時のために、学生証は常に携帯するように先生から口をすっぱくして言われてました。 上部に写真を掲載しましたが、私も10本あまりの包丁を持っています。それぞれ大小の道具がありますが、主に使用の目的は「デクパージュ」「デクパージュ」とはお客さまの目の前で行う演出の作業の事。フランス料理店のダイニングや、またゲリドンと呼ばれるワゴンを使って行われる、一種のデモンストレーションです。 本当のフランス語の意味から言うと、デクパージュは丸焼きにした鶏の関節等から切り分けて、お皿に盛り付ける事なので、切るだけなら「クパージュ」あるいは「トランシュール」、果物の皮をむく事は「プレ」だったりするのですが、このあたりはゴッチャになってて、お客様の目の前で料理を取り分けることが、「デクパージュ」として認知されているようです。 デクパージュは、歴史を遡ると本来の「フランス料理」の姿であったとも言えます。 肉でも魚でも、余すところ無く食しようと思う、また豪華さを競い出したりすると、「丸焼き」に行き着くわけです。丸ごと焼き上げると言うのがフランス宴席料理の規範であったとも言えます。 こういたものを食していたのは、身分の高い貴族やブルジョア達ですから当然誰かが切り分けて給仕してくれる役割の者が存在していたのです。 当時のこの役割が「トランシェ」と呼ばれるの役職名であったり、また、それらの役割分担を配置し宴席を「館の主に執り替わって仕切る」役職が「メートル・ドテル」であったのです。 メートル・ドテルはサーヴィススタッフの全体を取り仕切らねばなりませんから、この「トランシェ」もまたワイン担当である「ソムリエ」の技術ももちろん持って無ければならないのです。 現代に至って、こと日本においては「ソムリエ」の名称の方が多くの方に認知されていますので、ソムリエのブラインドテイスティングなどの技術に並ぶもの、差別化するものとしてメートル・ドテルにおいては「デクパージュ」の技術が取り沙汰されます。 フランス料理の多くのサーヴィスセミナーと称されるものにおいては、まずこの「デクパージュ」のテクニックの講習が何らかの形で導入される事が多いのです。 事実、パリのレストラン、「トゥール・ダルジャン」の「キャナール・ア・ロランジュ(仔鴨のロースト、オレンジ・ソース)」などは長年の伝統を誇り、またその演出を見たくてこのレストランを訪れる人々が世界からやって来ます。 しかし、まだまだ日本国内では「デクパージュ」を常日頃より行える規模、システムを持った店鋪はあまりありません。また、世界的な傾向から見てもヌーベルキュイジーヌの流行以降、ひと皿盛りが主流になり、こういった演出を提供出来るお店は少なくなっています。 しかし、そういった「デクパージュ」という演出、引き出しを持つ事によって、ひとつはお客様に提供できる料理の可能性が広がる、と言う事。 ふたつ目には、フランス料理、ヨーロッパの料理というものの意味合いを知るという事。 さらには、サーヴィスマンも「調理」に加わるという感覚が生まれ、キュイジニエ、サーヴィスという区別なく「レストランの職人たち=レストラトゥール」という意識で仕事に臨むことが養えるのではないでしょうか。
Mar 10, 2006
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(3月1日の日記からの続き) 一見無関係に見える事象をつなぎ合わせるためには、そこに「考える」という行為が必要になります。海外のことは良く分かりませんが、少なくとも日本の教育においてはこの「考える」という行為が欠如しているように思います。結果を早く求めるには時間を掛けて考えることより、成功例を「記憶する」方が手っ取り早いからです。 しかし、人間の、社会の営みとはそれぞれ、さして違いのあるモノではありません。 恋愛においても様々な事例があるように、レストランの営業においても様々な事例があります。この事は大勢にモテる=来客数が多い深く好かれる=客単価が高いモテない=お客さんが来ないと、置き換えることが出来ます。 例えば、なかなかお客さまの来店される頻度が少ない、平たく言うと、ヒマなお店があったとします。往々にして言いがちなのが、「客が俺の料理わからへんねん。」と、お客様のせいにしてしまう。こうなると末期症状です。閉店されるのもそう遠い将来では無さそうです。これを恋愛に置き換えると、「俺がこんなに好きになっているのに、なんで好きになってくれへんねん。」と、言っているのも同じこと。ひいては「モテる」人を逆恨みするようになってしまったりする。これでは、現代でいうストーカーですね。 世間には自らを好いてくれる人と、好いてくれない人とは同数であるとの意見がありました。おっしゃるとおりで、それでも好いてくれる絶対数が多ければ多いほど嬉しいのも確かです。 となると、やっぱりどんな人がモテるのかを充分なほど熟慮しなくてはならなくなります。 それでは、どうするのがてっとり早い方法かというと、「自分が多くの人を好きになってみる。」ではないかと思うのです。 他人に眼もくれない人が、モテモテになるというのはドラマチックなのですが、あまり現実的な話ではありません。よくよく考えてみると、他人に惚れっぽい人ほど、ホントはモテてるんじゃぁないでしょうか。 我々も食べ歩きだ勉強だと言って、よそのお店を訪れます。となると、さてその時に、いいお客さんになれるでしょうか?お店の人に好かれるようないいお客さんになれる人ならば、いいサービスマンになれるのではないでしょうか? 私はもう20年近くこの商売を続けて来ておりますが、最も多くの事柄を教わったのは先輩でもシェフでも無く、「お客さま」でした。 自分の店のサービスが良いか悪いか、料理が美味いか不美味いのか、本当の事を知っているのは他ならぬ不特定多数の「お客様さま」だったからです。 どんなふうにしたら、人から好かれるかを考えるより、人をどんなふうに好きになるか。そこに感性とかセンスとかいうものが現れるのかも知れません。どんな人が好きですか?真面目な人。一生懸命な人。教養のある人。優しい人。 人を「好きになる」という感性と、「こんな人から好かれたい」という感性は、ひとりの人間の中ではまるで同じものです。 だから、良いお客さまでいられない人は、良いサービスマンになり得ない。と、思うのです。
Mar 9, 2006
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例年3月初旬に出版されるフランスのグルメ案内書「ギッド・ミシュラン仏国内編」06年度版の内容が2月の22日に発表されました。 かつては三つ星の代名詞で、96年から二つ星に降格していたパリの有名店「トゥール・ダルジャン」もついに一つ星に。オーナーのクロード・テライユ氏は二つ星に降格した時も「フランスのフランス料理業界に嫌気が指した。」との理由で放浪の旅に出た経緯をお持ちの方で、今回もさすがに「もう、ミシュランには載せなくてもらわなくてよい!」との声明を発表したのだとか。 パリの著名なレストランでミシュランに載らないのが「マキシム・ド・パリ」マキシムは古くから、ミシュランを否定し、掲載される事を断り続けています。 折しも、私の同僚S氏が少し遅い冬休みを利用して旅行でパリへ赴いたその当日、ミシュランの格付けは発表されました。彼は日本から当の「トゥ-ル・ダルジャン」を予約していっていたのですが、食事をした感想は、「いや~。やっぱ美味しかったですよ。仕事も丁寧ですしね~」とのこと。 そうなんです。ミシュランが「トゥ-ル・ダルジャン」を一つ星に降格した理由というのが、ひとつには、あまりに有名になりすぎて客層に東洋人が増えすぎたということ。そして、もうひとつの理由が「今風」の料理では無いという事。 しかし、これはミシュラン自体が他のマスコミを意識しすぎた結果と言えます。1998年に編集長に英国人を抜擢して以来、改革を急進的に求めようとするあまり内部からの暴露や、ミシュランの審査に対する疑問などが持ち上がって来ましたから。 他で三つ星に昇格したのは、北西部カンカルの「メゾン・ド・ブリクール」だけ。「メゾン・ド・ブリクール」も非常に良いレストランなのですが、過去の基準では、内装や店の構えが三ツ星の資格を満たして無かったとも思えます。 また、05年の夏に「星返上」を宣言して全面改装した「サンドラス」(旧ルカ・カルトン)が三つ星から二つ星として掲載されるそうです。「今という時代に合わせた。」という点で評価されたのでしょうが、サンドランスにとっての気持ちはいかに、というところです。 また、日本人シェフとしては、吉野建シェフの経営するパリの「ステラ・マリス」が一つ星をついに獲得しました。また、松嶋啓介シェフのニース「ケイズ・パッション」も一つ星。日本人経営の星付き店はパリの「ヒラマツ」に続き3店もあることになります。(↓この辺りから試験に出ます。) さて、「ミシュラングルメガイド」が創刊されたのは1900年。今から106年前と、既に1世紀以上の歴史を誇ります。そもそも、「ミシュラングルメガイド」は、タイヤメーカーであるミシュラン社の営業における広告の意味合いがあったのが始まりです。 19世紀後半の食通家「グリモ・ド・ラ・レニエール」による著書「パリのレストラン」のスタイルを参考に当初パリを中心にフランスの主要都市で編纂されました。 信頼性のあるパリの美食家の意見を取り入れる目的もあり、クラブ・デ・サンClub des Cent(百人会)というパリ社交界のサークルの暗躍、後援も行われた模様です。実は当時のミシュラン社の社長もそのメンバーの一人でした。 1915年から1918年、第1次世界大戦の戦禍がヨーロッパを襲い、ミシュランは発刊の休止を余儀なくされます。1919年に1年復活するのですが、社内ではミシュランガイドブックの有料化が検討されます。この年までの期間ガイドブックは無料で配布されていた冊子であったのです。 1920年は有料化か否かが定まらずこの年は休刊されました。 1921年になって有料のガイドブックとしてあらためて発行されます。十二分に著名になっていた「ミシュラン・ガイドブック」は発行部数も大きく伸びて行きました。 この時代、ヨーロッパにおいてもモータリゼーションの発達と共に車はごく一部のお金持ちのものでは無くなりつつありました。 1923年よりレストランに星を付ける、いわゆる格付けが始まったのです。
Mar 8, 2006
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(さらに昨日の続き) 諸々の銘柄牛が品評会において金賞を受賞しています。しかし、この賞は別に主催者が全国を回って良質な肉牛を探してくるわけではなく、生産者側からのエントリーであることは間違いありません。 こういった賞を受賞すると言うことは、ブランド牛としての認知が高まるというメリットの反面、高値で取引される様にもなります。消費者側の需要に応じて値上がりした末、消費者が購入しなくなると言うリスクもはらんでいます。 また、ブランド和牛の産地と言うのは消費地になるべく近い方が望ましいと言えます。日本の経済のネックになっているのが流通であると言えるからです。 神戸牛、松坂牛、近江牛などその例といえるかも知れません。 生産量が多く無く、品質の高いブランド牛とは「プロトタイプ」つまり、現段階では試作品であると言うことです。 ブランド牛を新たに確立する過程において、まず、種牛となるオスの選別に始まります。これは、競走馬と同じくで、サンデーサイレンスや、トニービン(古っ!)産駒が活躍するよう、良い血統を受け継いだ牛は、良い食肉になる可能性があります。 そして他のブランドとは異なる、肥育方法を研究するワケです。出荷前に大量にビールを飲ませるという方法もそのひとつですし、丁寧なブラッシングを行うといった方法、また牛舎に音楽を流すといった試みも行われています。 高級料理と考えられている、フランス料理の著名なシェフに「世界一美味しい」とのお墨付きをもらえるのであれば少々安い値段で卸しても、「ブランド化」する戦略としてはよい広告宣伝になるでしょう。この点については、お互いに相乗効果が得られます。 好評を得て需要が高まれば、いづれブランド牛は同じ生産方法を用いて量産化されます。その時にコストに見あった高価格で取引されるためには、ブランド化が必要であったのです。 さて、話を「豚」に移すと、ここ最近各地で「銘柄豚」の生産も眼につくようになりました。海外からでは「イベリコ豚」、スペインからの豚ですが、「イベリコ豚」についてはいささか事情が違いました。 イベリコの豚は思わぬ「瓢箪から駒」状態で人気を博した経緯があります。 …このお話はまた近いうちに。
Mar 7, 2006
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(昨日の続き) 経済学において、価格は「需要と供給」の差で成り立っているといわれます。欲しがる人が多くて、生産される商品が少なければ自ずと値段は上がっていくのが原則です。 最近、食に関する様々な問題が露呈しているところから、和牛の値段は上がって来ています。 和牛の値段が上がると、さぞかし、生産農家は儲かっているだろう。と思っていても、実はそうではありません。和牛が「ブランド化」されて値段が上がって来ても、食品とはそもそもが「生き物」であることから事情は少々複雑です。 高級レストランやステーキハウス、鉄板焼のお店などで需要があるのは、「フィレ」「ロース」と言った部分になります。 牛一頭は500キロ程の体矩があるのですが、そのうちフィレは2本あり2つ合わせても10キロ程です。牛1頭が仮に100万円するとして、50分の1のフィレだけを残して、他のすべてを廃棄してしまっては、フィレ一本あたりが50万円になってしまいます。しかし、牛の他の部位、例えば、モモ肉だとか、ほほ肉、牛テールといった部位に買い手がつかないというのが現状です。 内臓に関しては、ホルモンとして焼肉店に卸せばよさそうな物ですが、和牛は穀物しか与えられずに成長させられていますので、草を食べて成長している牛と違って内臓は食用に向いていません。 残念なことに、牛からフィレだけを取り出す技術も、フィレ肉だけで出来た牛というのもありえないのです。 他の部位の売り先が確保できる予想が立って初めて屠殺出来ることが推測できます。 思いのほか、和牛というのは可食出来る部分の率は悪いのです。 牛をお肉に変えずに、つまり屠殺せずに成長させつづければ、その分飼料代もかかりますし、世話をする人間の人件費もコストとしてかかってきます。 コストとは土地・設備代、牛の飼料代,そして人件費。人件費には多分、獣医師なども含まれるはずです。 希少と言われる銘柄和牛の肉を牛1頭分購入するのも、フィレとロースの部分だけを購入するのも金額的には大差がないと推測しています。 高級な「もも肉」、高級な「ホホ肉」の購入先を探しておく必要を鑑みれば、どちらかの店鋪が1頭分を丸々買ってくれることは、ロスなくして販売出来る事から、生産者にとってはありがたい話です。 ソムリエとしての知識を活かすなら、これは「DRCアソートセット」と同じ販売方法です。本当に欲しいのは「ロマネ・コンティ」と「ラ・ターシュ」だけであったとしても、「ロマネ・サンヴィヴァン」も「エシェゾー」も一緒で無いと売ってくれない。というのに似ています。 実は、日本の和牛の流通ルートはそもそも2つあって、半頭分の「枝肉」(映画「ロッキー」でロッキーが、肉屋の冷蔵庫で練習用に叩いていた、首から下の肉全体の様子)と個々の部位、例えばロース、フィレ、イチボ(お尻)、バラ、、、などに解体した「部分肉」とは卸し元が違うのです。 こういった事情から各生産者においては「ブランド牛」戦略があります。(…続く)
Mar 6, 2006
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