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多賀宮
多賀宮は階段を結構登らないといけない、元はここへ降り立ったのかもしれません。『古事記』や『日本書紀』には、トヨウケ大神に関して、その経歴やいつごろ伊勢神宮の外宮に祀られていたのかということは詳しく書かれていません。唯一の手がかりになるのが、『止由気宮儀式帳』(とゆけのみやぎしきちょう 804年) という本にある話です。
それによると、第二十一代雄略天皇の夢に現われたアマテラス大神は、「私一人ではさびしいし、食事も心やすらかにとれないから、トヨウケ大神を御饌の神としてそばに呼んでほしい」と宣託したそうです。そこで雄略天皇は、丹波国(京都府・兵庫県)からトヨウケ大神を迎えて伊勢の地に祀ったということです。
丹後国がトヨウケ大神の出身地として出て来る事に関して、一説には、そもそもトヨウケ大神はアマテラス大神の御饌神として祀られたもので、丹後国にはあと降れる奈具社(現在、京都府竹野郡弥栄街大字舟木に豊宇賀能売神を祀る奈具社がある)のような穀物の女神を祀る社が多かったことから、由来譚として結び付けられたものと考えられます。
奈具社のトヨウカの神に関する伝承に、『丹後国風土記』逸文にある天女の話がある。それによると、昔、天女が丹波の泉で水浴びをしていて衣を隠され、天に帰れなくなって老夫婦の家に身を寄せる。そので天女は霊酒の醸造を教え、夫婦をたちまち金持ちにするが、成金におごり狂った老夫婦に邪魔され追い出されてしまう。泣く泣く放浪の旅に出た天女は、やがて奈具の村に安住の地を見つけ、のちに死ぬと奈具社の神として祀られたました。
もともと丹後国で祀られていた、同じ穀物の女神トヨウカノメ神と結びつけられて天の羽衣伝説の天女ともいわれています。(「日本の神様」がよくわかる本より。)
丹後国風土記の天女伝説、酷い話ですね、利用していらなくなったら追い出す、どこのブラック企業でしょうか?スタジオジブリ作品『かぐや姫の物語』の先に行った天女の話はこの話を基にしていると思いますが、それだけに大いに人間不信に陥りそうだ。
農民の信仰する素朴な穀物の女神
奈具社の神は、穀物女神のトヨウカノメ神といい、人々の信仰が厚い有力な神だった。この神が伊勢に迎えられてトヨウケ大神として祀られるようになったという説は、なかなか興味深い。
おそらくトヨウケ大神の原像というのは、奈具社に祀られた穀物女神のトヨウカメ神のような農民が信奉する地方神だったのでしょう。それがアマテラス大神に仕えるという立場を得ることによって、伊勢信仰の広がりととに広く祀られるようになり、その結果、稲荷神と並ぶほどに有力な神として発展したと考えるのが自然でしょう。
京都府宮津市の籠神社には、アマテラス大神もトヨウケ大神の当社の奥宮の吉佐宮から伊勢に鎮座したという伝説があり、そこから元伊勢籠神社とも呼ばれています。
神徳は、食物をつかさどる女神として農業や漁業の守護をはじめ衣食住に関わる諸産業の守り神として広く信仰されるほか、開運招福、災難厄除けなどあります。(「日本の神様」がよくわかる本より。)
実は豊受大神は壬申の乱の前か後かという事で調べていたら、そこもどうも曖昧らしく、 ”『止由気宮儀式帳』に雄略天皇(432年-479年)の夢に天照大神が現れ「等由気大神(豊受大神)を御饌都神(みけつかみ)として連れて参れ」と云われたので、478年に雄略天皇は伊勢国に外宮を建てた”
といいます、よく分かりません。ちなみに伊勢に天照大御神がお祀りされたのがその約500年前と言われています。
壬申の乱は天照大御神が皇室のご祭神になるきっかけになりました、正、この時は天照大御神という名でなく、ただの太陽神でしたが。壬申の乱は皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発したクーデター、そもそも、この争いは大海人皇子側が事前に入念な準備をしていましたが。それでも神懸かり的力が欲しいかったのか、兄である天智天皇の影響を失くしたかったのか、当時の日本の国際的な立場を高めたかったのは定かではありません。最終決戦はなんと関ケ原で行われていたとは、この時も天下分け目、敗れた大友皇子は実は天皇だったという説も、それは勝ったものが歴史を書くため皇太子のままでも仕方がありませんが、明治の後に弘文天皇(こうぶんてんのう)を贈られ歴代天皇に列せらましたが。
それでまでは三輪山の大物主大神が皇室のご祭神で、壬申の乱後は大海人皇子は天武天皇に、40年以上かけて古事記と日本書紀を字編纂し、天照大御神が皇室のご祭神に代わりました。
ちなみに、 ちょっとふざけているのでなんなのですが
、壬申の乱を詳しく解説しています。
それに外宮と内宮屋根が違う事は有名な話、外宮は「外削ぎ」で「鰹木」が9本、外削ぎで鰹木が9本の為実は男性神が祀られているのではないかよく考察されてます、ただ、外削ぎでも女神が祀られていたり、逆に内削ぎでも男神が祀られている神社もあるので、そこはそういうものだと最近は思っています。それから、外削ぎや内削ぎ、鰹木等は明治以降の神社にみられる傾向でそれ以前に建立された神社には見当たません。もしかすると、宮大工の個性かもしれませんが。伊勢神宮の場合はあえて分けるためにそうしていると言われています。
”籠神社奥宮の真名井神社の背後にある磐座の石碑には「塩土老翁(しおつちのおじ)、大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神」とあるので、豊受大神は女神ではなく男神となるが…
籠神社の説明によると、「豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います」とあるので、豊受大神は男神であるが、顕現する姿は女神になっていると云う。
伊勢神宮内宮は天照大御神を祀るので正殿は女神仕様で、千木は内削、鰹木は10本の偶数、豊受大神を祀る外宮の正殿は男神仕様で、千木は外削、鰹木は9本の奇数になっている。
外宮の禰宜を世襲で務めてきた度会氏は天牟良雲命(あめのむらくものみこと)の末裔。天牟良雲命(170年頃出生)の孫が天日別命(あめのひわけのみこと)で、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の12世孫と云われており、年代は合うが…(古代史訪問より)”
マジか、正、考察では色々言われてます。前に神道と仏教について中田敦彦さんが解説していましたが、調べれば調べる程分らなくなる、その曖昧なところが日本の宗教だとおっしゃられていました。あと、フリーメイソンの回で日本人は陰謀論が好きとも、日本人は宗教が曖昧なためか陰謀論と考察も好きとの事。
最後に、豊受大神とは素盞嗚尊を暗に示した可能性も、これも考察ですが、出雲との関わりがあるなど、国津神の性質を色濃く持つ素盞嗚尊を外宮へ大々的に明記するわけにはいかなかったから、あえて豊受大御神という豊穣の神、いわゆる地球や大地そのものの国津神の象徴したもの、もし仮に素戔嗚尊だとすると、丹後籠神社から来た神、という設定は合うとか。ただ、素戔嗚尊は何処かの本でははっきりと天津神と明記してます。もしかしたら、丹後国風土記の天女伝説も蘇民将来も結びつくのでは。
後、月読命と豊受大神が同一とされる書物もあります、まあ、それは違う思いますが、月読命を豊受としてわざわざ隠す必要は無いし、豊受大神宮(別名 月読宮)と書くはず、知り合いの方もそう語っておりました、月読命はちゃんと内宮 別宮と外宮 別宮にお祀りされておりわざわざ隠す必要もないといこと、豊受大神と月読命は非常に重要な神様にも関わらず同じくらい描かれている事が非常に少なく同一視されやすい、どちらも謎が多いし。あと、夜の国と黄泉の国が同じと言う方も、それは今の解釈、当時の大和ことば今よりも英語の様に発音中心の言葉で、発音を短縮した為に全く違う意味で同じ発音が続出、この二つの言葉も過去はもしかしたら全く発音が違った可能性も、これは個人的な解釈でお粗末でしたがこれで失礼します。
今回は以上になります、 ”「日本の神様」がよくわかる本”、”いま行く!伊勢神宮”、”神宮”、”ウィキペディア”、”古代史訪問”、”ロマンだけでは古代史は読み解けない” 他
から抜粋、ご参考させていただきました。
第7回 豊受大神について
でした。
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