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2024年07月13日
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第44回 龍神様について、​
今回は第44回 龍神様についてついて紹介しますが、
2日後の
7月15日は海の日ですね、「海の日」は、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日です。平成7年2月に国民の祝日に関する法律の一部改正が行われ、平成8年から7月20日が国民の祝日「海の日」として制定されました。
それはさておき、今回はシンプルに龍神様についてです、謎多き神様 龍神様、自然現象が元でしょうが、世界各地に存在します、そのため幅広いため何処からどうすればよいか分かりません、基本的な事と、スピリチュアル的ことも混ざっていると思います。龍神様と言えばスピリチュアル的事が強い…龍とは何か??基本的な事は分からないまま、考えてみれば辰年から半年以上、今更紹介しても、私個人は正月は正月で寝込んでましたし。しかし、今年しかないとも思う。
前回​ 第42回は 東方 洩矢諏訪子のモデル神、ミシャグジさまについて ​​​紹介しました、 東方=神様 でパッと思ったのがミシャグジさまでした、他にも記紀のモデルのだけでなく、民間信仰の神のモデルも東方キャラは沢山いますが。最近再び『東方Project』の特に旧作が気になって、気が付くと同人アニメ『幻想万華鏡』まで視聴していました。マジでクオリティがマジで半端なく、これが2次創作の同人かとおもってしまいました。原作者のZUNさんが難色を示しているのでアニメ化あるかどうかは分かりませんがけれども…。
なお、諏訪子の建御名方神はだいぶ前に紹介しました​ 第25回 お諏訪さま 建御名方神(タケミナカタノカミ)について ​でご確認ください。



「ファンタ学園 超人先生」CM舞台裏ショット ジャカジャカジャン♪ジャカジャカジャン♪ #呪術廻戦 #ファンタ学園(呪術廻戦【公式】より、)
↑↑たかが漫画のCMにここまで、作中のネタを…いや、色々とやってますわ、、、


『天穂のサクナヒメ』のアニメも話題ですが、こちらは超話題。『逃げ上手の若君』連載が始まった時から話題でしたが、​アニメ1話が放送されましたが、大河ドラマ『太平記』を見ている様で凄かったとか(見てませんでした💦)、南北朝時代が漫画になること自体が珍しいが、更に…北条時行が主人公になるというのが、歴史研究家や歴史学者、歴史マニア全て”はあ???”…と思うくらい困惑したらしい。史実もほとんど残っていない人物、ましてや鎌倉幕府が滅んだ時は子供(一説には5~6歳ぐらい)、残党が主人公になるとは、原作1話目から鎌倉幕府があっさり滅んでいるしね、、、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で1年かけて鎌倉初期のお家騒動を書いたのに…
元々は原作者の松井優征さんが足利尊氏を史実通りのイカした(イカれた)彼を描きたかったらしく、どうしても主人公補正がかかるのを嫌だったとか、結局<主人公兼ラスボスなのだが、まあ、『魔人探偵脳噛ネウロ』や『暗殺教室』の作者だからね、、、、歴史の専門家曰く、足利尊氏は史実では何とも形容し難く、よく分かりませんケド…とか、その”よく分かりませんケド…”をこれまでの歴史小説や大河ドラマよりも表してるのが本作だったりします。後、メンヘラとか、某葦毛の様に気分屋とか、ちいかわとか、弟大好きマン…とか、…よく分からないすね(困惑💦)。まあ、史実を見てもよく分からないとも…なお、自分はもともと歴史全然得意じゃないし、この時代はやたら人間関係がごちゃごちゃしすぎてるから分かりませんが、尊氏はその時の情勢によって考えを変えていたと思うし、臨機応変過ぎたのかも。様は ​気分屋 メンヘラ バーサーカー​ イカレぽんち …って言う事でしょうか???一言でいえばボボボーボ・ボーボボ…後はクスリやってるロックスターとか、だから、ラスボスに限らず人気キャラ、史実ではいまだに研究者の間でその実態に論争が絶えないとか、

足利尊氏 がまるで白いアイツみたいだけど、、、

​まあ、後醍醐天皇がブラック企業の社長の様でやりがい搾取だから、足利尊氏はストレスが溜まって情緒不安定になるよね、元々やりがい搾取していたのが北条氏だったらね、だから武士達がブチキレてたのに…​
まあ、足利尊氏が情緒不安定の原因は他にもあるのだか、主な原因が後醍醐天皇、、切腹未遂してるなら相当だぞ、本当かどうかは別にして『太平記』で記されたのはどれもこれも気性難だらけやし、後醍醐天皇も立派な気性難、、誰かが、” カリスマと行動力に全振りしてるから、内政や戦争能力はクソという奔る台風 ”とか、ひろゆきじゃないか。まあ、そんな尊氏も同様ですが、たとえ情緒不安定でもやたらカリスマ性あって大人気、源氏の子孫も加味してるが…戦前は反逆者みたいになってるけど、後醍醐天皇をみたら、うん、分かるよ、やりたくて反発してないし、最推しやし、戦前の人は何処を見てそれを言っていたのだろうか???、令和の現代人ですら理解できない位だから、当時の人は余計に理解できなかっただけかも、尊氏を推した政治家が引きずり降ろされる事件もあった。なお、楠木正成は完璧で究極のアイドル。しかし、よくよく考えたら足利尊氏大きな意味でとらえて鎌倉武士の端くれだったりしますね。
鎌倉武士の気性難、強いてはバーサーカーぶりは元寇(蒙古襲来)の時に遺憾なく発揮され、最初は劣勢だったが相手の戦略を覚えて、ゲリラ戦、夜襲(奇襲)かけて撤退させた、2度目は万全の準備を整えて倒している。世間では神風と言われているけれども、元寇が”鎌倉武士ヤベー”とガクブルしながら援軍を待っていた時に台風シーズンに入り巻き込まれた船が沈んだのが事実だったりします、まあ、元寇が日本人捕虜を盾にしながら突撃しても、一切の躊躇なく仲間ごと弓で射った話は有名やし、そりゃまあ。元々気性難馬を好んだのもこいつらやし、元は品種改良したサラブレッドより2回り位小さい野馬なので気性は…代表的なのは、この時代より前になるけど生食(いけづき)はまあ、ウィンディちゃんみたいやし、、よくぞ鎌倉幕府は滅亡した……か???
鎌倉武士 「馬は臆病な動物だから、軍用にするとしたら乗り手を振り飛ばすような暴れ馬じゃないと務まらない。」 日本が湿度が高かった為去勢出来なかったとも、いやー鎌倉武士湿度高いすね、
いや、おかしいぞ、次も、しかも、次の室町幕府の歴代将軍全員頭おか、、尊氏から続く気性難一族かな?だから皆湿度高いで、政治的にダメと言うけれども、南北朝や戦国の間で努力しようとしていたのでは?
※余談ですが、今は無き『一血卍傑』ですが、タケミカヅチは七支刀↑↑↑↑を使っている、まあ、石上神宮には武甕槌と経津主二神による葦原中国平定の際に布都御魂剣(七支刀)が使われたエピソードがあるからですね。

​なお、北条時行の仲間もたとえ残党でも例外なく鎌倉武士バーサーカーだったりしますし、例えば、結城宗広は一見、人畜無害のモブ顔でありながら人を56が趣味とか、どのレベルがというと息をする様に56す(史実)…マジのサイコパスじゃないか、彼は七支刀を使うが、そういう使い方するのかよ、だいぶ昔に 七支刀は殺傷能力が低い戦意喪失させる武器 と書きましたが、それを逆手にそうする (ギコギコ…) のかよ(戦慄💦)…戦乱の世では殺傷能力が高い方が実は優しい。殺傷能力は低いが56せないとは書いてない、息子はいい加減嫌気が指していたし(でも父と同じサイコパス)、味方サイドが善人とは限らないからね、 むしろ敵の方が一周回ってまともというバクが起こっているし、魅力的でもある。 ただ、まあ、敵は倒さないとこっちがタヒぬからね、子孫が相楽総三(赤報隊隊長)、中畑清(元プロ野球選手、監督)だったりします。ただ、『太平記』には他にももっとヤバいのがゴロゴロ居るから…なお、彼は結城神社に祀られてます。
後、渋くて厳つい武将が30歳まで童貞だと修羅になるとも言ってますし…魔法使いとどう違うのでしょうか?

あと、主人公サイドで諏訪頼重、こいつも十分狂ってるね、滅亡時に家臣である諏訪頼重が信濃の諏訪に匿っている、なお、同名の戦国期の諏訪頼重の方が有名ですが…こちらは南北朝時代の諏訪頼重の方ね、諏訪頼重は信濃の諏訪上社 大祝(おおはふり 神職)でちなみに、戦国武将の諏訪頼重も諏訪大祝(同じ)…その辺がややこしい、どうも、建御名方神の子孫で生き神様とか、後光が隠せないキャラになるのか…やっぱりイカレぽんちで主人公に詐欺師扱いされていたけれども、実はネタバレになるけれども、史実では、最初に鎌倉を奪還し、20日後に瓦解したが、自ら囮となって息子の諏訪時継と共に43人ら共に自刃、その際、誰か分からないように全員自ら顔の皮を剥ぐというクレージー事をしている…この時代の人はよう、、、怖すぎだろガクブル💦。なお、息子の諏訪時継で、親の威光に隠れて影がうすーいが、それ利用して暗躍する設定がある、史実でも彼は影が薄く資料がほぼ無いと研究家が口々に言っていますし。
別作品になりますが、『東方Project』の東風谷早苗が謙遜しながら好戦的なのはそう、、、「この幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!」、、モデルは第78代神長官守矢早苗氏やし、諏訪頼重の子孫やし、まじの​ 建御名方神の子孫 ​かも。
なお、『逃げ上手の若君』でも​ ミシャグジさま ​らしき方も登場している、見た目は幼女のところも似てますしね。


「竜」と「龍」はどちらが正しいの?
質問

坂本竜馬と坂本龍馬,芥川竜之介と芥川龍之介は,どちらが正しいのでしょうか?
解答
坂本龍馬・芥川龍之介自身は,「龍」の字を用いていました。
「龍」を簡単にした字が「竜」です。現在,「龍」は人名用漢字で,「竜」は常用漢字です。歴史人物の表記については,統一のルールがあるわけではありません。複雑で難しい字ではなく,できるだけ常用漢字を使うべきだという考えと,本人が使った字を使うべきだという考えの両方があります。日本史の辞書などでは,多くが「竜馬」「竜之介」を採用しています。「国史大辞典」「日本史広辞典」「日本史総合年表」などがそうです。新聞社も常用漢字を使うことを基本としていますが,書籍やテレビにおいて人名用漢字で表記されることが多い坂本龍馬・芥川龍之介は,「龍」の字を採用する傾向にあります。各社の中学生用の歴史教科書を見ると,2000年初頭は「竜馬」「竜之介」の表記が多く見られましたが,現在(2023年)は「龍馬」「龍之介」が主流となっています。(浜島書店より、)


Q&Aで紐解く「龍とは一体何か」謎多き日本の“龍文化”の実像とその不思議
2023.12.21

〔特集〕開運招福社寺と伝説を巡る 龍神絶景を行く 開運・招福につながる、龍ゆかりの寺社や聖地巡りが今ブームです。中国由来の霊獣、“龍”とは、日本人にとって、一体何なのか。龍神パワーが獲得できる“龍脈”や“龍穴”はどこにあるのか。そもそも日本の龍神信仰とは何なのか。2024年の干支、辰(龍)にゆかりの聖地を訪ね、謎多き日本の“龍文化”の実像とその不思議を紐解き、併せて2024年の開運を祈願します。
【徹底研究】龍とは一体何か
“龍”の博物学Q&A

干支の中で唯一、架空の生き物であり、伝説上の存在である「龍」。それにもかかわらず日本人が龍を好み、信仰するのはなぜでしょうか。今回取材にご協力いただいた3名の先生の回答や参考文献をもとに、起源から日本で吉祥のシンボルになった理由までを紐解きます。
〔答えてくださったかた〕
・御堂龍児(地理風水師)
・平藤喜久子(神話学者)
・津田章彦(妙心寺 僧侶)
信仰の対象から国の権威まで進化した中国の龍

龍の発祥は中国で、現代にいたるまで中国文化の象徴とされています。中国において最初に龍らしきものが現れたのは新石器時代(紀元前6000年~)で、陶器の文様や像らしきものが見つかっています。青銅器時代(紀元前1600年~)に入ると、祭礼用の青銅器に描かれるようになりました。これは、人々が、自然が持つ巨大なエネルギーを、人間にはない動物の神秘的な能力と考えたからだろうとされています。いくつかの動物たちのパワーをさまざまに組み合わせることで空想的な生き物が生まれ、その一つが龍となったのです。空想上の存在であるため、その頃の龍の姿はさまざま。今、多くの人が思い描く姿になったのは、龍が中国皇帝の権威の象徴とみなされるようになった漢代(紀元前206年~)になってからです。後漢の思想家であった王符による『九似説』には、「角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、腹は蜃(みずち/蜃気楼を起こす大きなハマグリ)、眼は鬼(兎の説も)、耳は牛、項(うなじ)は蛇、鱗は鯉、爪は鷹、手は虎に似ている」と記されています。さらに、口の横には長い髭があり、鱗は81枚あって喉の下の1枚だけが逆さに生えており、手には宝珠を持っているとあります。さらに、宋の羅願曾による『三停説』にある「龍は、首、胴、尾の3つの部分が等分」と結びつき、「三停九似説」が龍の姿として伝えられるようになりました。
中国、インドのイメージが融合して確立された日本の龍
日本では、すでに弥生時代に中国の龍のイメージが持ち込まれていたとも考えられています。弥生土器に龍のような図案が描かれたものが見つかっています。倭鏡の装飾にも見られます。6世紀後半の古墳時代になると、古墳の壁画に龍の姿が描かれるようになりました。有名なのは奈良県にある 高松塚古墳 で、被葬者を守る四神(東西南北の四方を守る神)の一つとして青龍が描かれています。しかし、現在ある日本の龍神信仰につながるのは仏教の伝来による影響が大きいといえるでしょう。仏教で信仰され、仏法の守護神とされている龍は、実はインドの神話に登場する「ナーガ」です。蛇の精霊の一種とされ、モデルはコブラ。神格化されて聖獣とされ、半人半蛇、四肢や髭、角もなく、7つの頭を持つ姿で描かれることもあり、中国の龍とは異なります。それが、後漢時代に中国に仏教が伝来し翻訳された際に、ナーガが「龍」と訳されたことから中国の龍と同じものと考えられるようになりました。『法華経』に釈迦の説法を聞いた八尊の龍王(八大龍王)が登場しますが、龍王の名称も中国で生まれたものだといわれています。中国の龍にしても、インドのナーガにしても共通するのは、蛇がもとになっており、雨を恵む水の神であったことです。この性質が、もともと日本の自然信仰にあった水神や蛇神と結びつき、独自の龍神信仰が生まれました。古くから日本では、川や池、沼など水のあるところには主(ぬし)がいると考え、水を支配する神の化身や神の使いが蛇だと考えられてきました。やがて、龍神は雨を降らす神から稲作の豊穣神や天候を司る神として信仰されていくようになります。五穀豊穣をもたらすことから、金運や仕事運を上げる御利益にもつながりました。加えて、龍は水中に棲み、天に昇るイメージから運気を上げる縁起のよいイメージが出来上がっていったのです。龍神様と出会うには、神社仏閣を訪ねることはもちろん、自然の中に出かけることもおすすめします。龍は、古来、自然のエネルギーや気そのものであると考えられてきたからです。風水では、その気が大地の中を流れ、盛り上がった山脈を「龍脈」、気が留まり表に顔を出しているポイントを「龍穴」と呼びます。どちらにも龍神様はいらっしゃるとされています。今回、全国にある龍脈や龍穴にある絶景ポイントや龍神伝説とゆかりの神社仏閣を厳選してご紹介しています。その中で気になる場所を訪ねて、ぜひ辰年に龍神様のお力を感じて、実り多き一年をお過ごしください。
【参考文献】 『龍神パワー探訪』(戸部民夫著・ビイング・ネット・プレス) 『龍の棲む日本』(黒田日出男著・岩波新書) 『龍の起源』(荒川 紘著・角川ソフィア文庫) 『龍と人の文化史百科』(池上正治著・原書房)
Q. 龍神信仰とは、どのような信仰でしょうか?
A. 今の形の神社や寺が建立される前から、あちこちの土地にいた自然神として手を合わせていたのが龍神様。今のように電気も灯りもない時代にあっては明日の天気さえ大きな問題でしたから。自然を敬う信仰です。なぜか奈良地方では龍神様を祀る祠や神社が多いのですが、高龗神(たかおがみ)、闇龗神(くらおがみ)として龍神様をお祀りしています。山での雨や水を司る神が高龗神で、谷での雨や水を司る神が闇龗神です。(御堂)
Q. よく五色の龍が登場しますが、どうして五色なのでしょうか?
A. 風水の五行である、木・火・土・金・水にちなんだ色です。それぞれ説明すると、木にあたるのが青龍。万物を成長させ、発展させる力が強い。火にあたるのが赤龍。大地の力そのままであり、火山などと結びつきがあります。土にあたるのが金龍。自然界の調和を司っています。金にあたるのが白龍。自然界と人との間を取り持ち、人と自然界を通した調和を司っています。水にあたるのが黒龍。水には知恵やアイディア、それから縁という意味があるため、才能開花を手伝い、金運を上げると考えられています。(御堂)
Q. 龍が吉祥の印とされるのは、なぜでしょうか?
A. 昇り龍や雲龍など、よいイメージで描かれてきたからではないでしょうか。古代中国では、皇帝を守るシンボルでもあることや、立身出世と結びついていることも関係しているのかもしれません。昔から四方の海をそれぞれの龍が守っていると考えられてきたのも影響している気がします。地域や人々の願いが時代によって変化していくことで、同じ吉祥の意味でも多様化している感じを受けます。(平藤)
Q. 龍の爪には、3~5本がありますが、その違いは?
A. 中国の龍は5本爪で、朝鮮に渡って4本爪になり、日本に伝来して3本爪になったようです。(津田)
Q. 龍神様に出会えるタイミングや、龍雲が見やすい場所、時間はありますか?
A. お姿を見せる一番のタイミングは、満月が煌々と輝く夜でしょう。龍神様は水と不即不離の関係にあるので、やはり満月の夜にお力を出されるのでしょうか。ただ、夜に山の中に入っていくことは難しいですね。龍神様の影ともいえる龍雲は、気が上がっている午前中の方が見やすいかもしれません。いずれにしても、見える見えないではなく、そういう場所の風を感じてみてください。リラックスした気分で出かけ、景色を愛で、できるなら川や水に触れたり、その土地の空気を感じているうちに、気配を感じて啓示を受け取れるかもしれません。(御堂)
Q. よい龍(吉祥)とは反対に悪い龍もいるのでしょうか?
A. 西洋では、龍はドラゴンと呼ばれ、退治される存在、悪龍として知られています。日本では、九頭龍伝説にあるように、悪い龍が改心して守り神、善龍になった話があります。(平藤)
Q. 龍神様に読むお経や真言はあるのでしょうか?
A. 八大龍王の名前を順番に唱えるというお経があります。
「難陀竜王(なんだーりゅうおう) 跋難陀(ばつなんだー)竜王 娑羯羅(しゃーかーらー)竜王 和修吉(わーしゅうきつ)竜王 徳叉迦(とくしゃか)竜王 阿那婆達多(あーなばだったー)竜王 摩那斯(まーなーしー)竜王 優鉢羅(うーはーらー)竜王」 というものです。
八大龍王とは、法華経に登場する龍族の八王で、仏法の守護神とされています。(津田)
Q. 龍脈、龍穴とは一体何なのでしょうか?
A. 大きな生命体である地球の中から湧き出した力=気の流れが大地を巡り、それに沿って地面が盛り上がった山脈が「龍脈」です。血管や葉脈のように、東西南北に曲がりくねっている様が龍が這って進む姿のようなので、龍脈と呼ばれます。なかでも日本列島では、富士山が大地の気の生まれる大元であり、祖山といわれます。龍穴は、龍脈となって流れ出た大地の気の流れが留まり、その霊力で満ちる場所のこと。人の顔にたとえると、鼻の下の溝ができている「人中」というツボにあたるところが龍穴で、鼻梁が龍脈となります。(御堂)(家庭画報.comより、)


『東方Project』でも龍は直接登場しては無いものの、最強である事は伺えます、 今回の『鬼滅の刃 柱稽古編』で最後、お館様(耀哉)が「君はね無惨 何度も何度も虎の尾を踏み龍の逆鱗に触れている 本来ならば一生眠っていたはずの虎や龍を君は起こした 彼らはずっと君を睨んでいるよ 絶対に逃すまいと」おっしゃられていたことがきっかけで今回龍をテーマにしました。どの記事をみても龍とはなんともしがたい、よく分かってはないよう、これだけ有名な幻獣なのに。何かがモデルかも知れませんが。


意外と知らない龍(竜)のこと、爪の数
梅若 基徳 2024年1月16日
意外と知らない龍(竜)のこと、爪の数
そもそも龍(竜)とは、中国などの東アジア地域の古代神話で登場する神の化身であり瑞祥の象徴です。その歴史は紀元前5千年まで遡ります。中国の龍は権力を表し皇帝の服飾品や器物にしばしば用いられました。龍の体は9つの動物からできており、角は鹿、耳は牛、頭は駱駝、目は兎、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、腹は蜃(みずち)、うなじは蛇と言われています。蜃とは、蜃気楼を作り出すといわれる伝説の生物。古代の中国と日本で伝承されており、竜の類とする説とその傍らに巨大なハマグリとする説があるそうです。日本人は龍または竜と書きますが、中国語では龙です。龙は龍を簡略化した文字で、たいていの中国人は龍と書いても理解してくれます。一方、竜という字は、古代中国語であり現代の中国人は使いません。台湾、香港、マカオや東南アジア諸国の華僑地域では、龙ではなく龍の字を使います。日本語には「龍」と「竜」の二つの漢字がありますが、ネットで検索すると中国が龍で、西洋のドラゴンは竜と書くという説明がありますが、根拠となる文献は見つかりませんでした。広辞苑ではへびの形を描いた象形文字。「竜」は、その省略形と解説されていますので、「龍」と「竜」は同じ生き物であると言えそうです。ちなみに古代中国では雄のりゅうを「龍」、雌のりゅうを「竜」として分けていたとの話もあります。中国の龍と似た生き物として、西洋にはドラゴンがいます。どちらも外見は似ていますが、ドラゴンと龍はまったく異なります。西洋のドラゴンは、翼を持ち火を吐く悪魔の化身でありキリスト教では悪と罪の象徴です。一方、中国の龍は、邪気を追い払い災害を避け、縁起の良い力をもった幸運をよぶ生き物であり、中国皇帝にとっては権威の象徴です。ちなみに英語では、西洋のドラゴンと区別するため、中国の龍をチャイニーズドラゴン(Chinese dragon)と呼びます。皆さんは龍の爪(指)は何本あるかご存知ですか?龍の爪なんてどうでも良いと思うかもしれませんが、昔の中国人にとって爪の本数はとても重要な意味を持っていました。実は古代の中国では龍の爪数について明確に定まってなく唐・宋の時代までは三本爪が基本でした。たまに前足が三本爪、後足が四本爪の場合もあります。元の時代に入ると、五本の爪をもち、頭に二本の角をはやした「五爪二角」だけが本当の龍であると定義され、五爪二角の龍文が皇帝専用の文様となります。以降中国では皇帝以外の者が五本爪の龍を使用することが禁止されます。明・清の時代になると爪の本数が所有者の地位を意味するようになり、階級によって三本爪、四本爪、五本爪を明確に分けるようになりました。
五本爪の龍
最高位の王を表していました。五本爪が使えるのは皇帝だけであり、もし他の人が間違えて使うと政治犯として罰せらました。龍の爪数の決まりは、服飾以外の芸術品にも適用されています。現存する明・清時代の芸術作品はほとんどが四本爪の龍です。皇帝に捧げた五本爪の龍は非常に希少であり博物館などでしか見れません。現在でも暦の十二支の龍の絵柄の多くは四本爪です。五本爪の龍が皇帝専用となった元・明・清の時代において朝鮮(韓国)や琉球(沖縄)など周辺諸国の王は中国への配慮から四本爪の龍しか使いませんでした。龍は皇帝、天皇を意味し、中国五本は五行思想から出ていると思われます。日本では五行思想の五より三の方が縁起がいいとされ(日本は天、地、海の三界が大きな意味を持つ)、三本龍の方が好まれました。中国でも三本指の龍は普通に描かれており、この時は天地人を支配するという意味もこめられるため、五本、三本に格上格下はなくそれぞれが別な意味を持っていたと思われます。それぞれの時代の王朝が掲げる宗教的な意味合いがつよいです。
朝鮮半島では皇帝、天皇もいません。龍など描こうものなら、中国からきついお叱りを受けますので宮廷に龍はいません…。苦肉の策として爪を四本にして、中国の監視から逃れたようです。ごく少数の韓国人は「韓国は四本爪の龍だが、日本のは三本爪なので格下である。」と言って優越感を抱いているとの話があります。しかし、朝鮮人は爪の意味合いでなく、この発想の延長上で日本の三本龍は格下という妄想を抱きます。五本、三本があるのでのこった四本という意味のない数です。日本が中国から最も影響を受けたのは、王朝と緊密な交流をしていた隋や唐の時代であり、その当時の中国では三本爪の龍が基本でした。日本には遣隋使や遣唐使らによって伝わった昔の三本爪の龍が今でも残っていると考えられます。「天・地・海」「天・地・人」を表す爪の意味とその数これが日本の龍ですね♪Miracles can happen.(note proより、)


龍の爪ですか、天竜寺の雲龍図は5本やもんね、こちらの雲龍図は平成になってから書かれたものでしたが、実在した生き物と考えどうも5本指でしょう、それ以外なら、鹿や馬と言っ生き物、指の一部が極端に大きくなっているだけだけど。



竜の正体は?――「辰」との関係から考えた
辰(たつ)年の「辰」には本来、竜を示す意味はありません。ではなぜ、辰にちなむ動物として竜が選ばれたのでしょう。想像ですが、誰もが知っている「あれ」が媒介になったのではないでしょうか。
遅ればせながら2024年のえと「辰(たつ)」について。十二支中、唯一の架空の存在である竜が当てられたのはなぜでしょう。校閲の仕事をきっかけに調べ、定説がないようなので自分で考えてみました。
目次
「辰」は「振」に通じる
直接関係ないので「竜年」とは書かない
「震」はなぜ雨かんむり?
「辰」と竜をつなぐのは「震」かも
雷光に竜の片りんを見たのでは?

「辰」は「振」に通じる
えとの「辰」の字は「振」が由来――ある原稿にこんな部分があり、同僚が疑問を示しました。「それに近い記述もネットにはありますが、信頼性が確認できず、手元の漢和辞典にもそんなことは書かれていません」でも、漢字の由来には諸説あるのが常。原稿の筆者が見た辞書類にはたまたま「振」が由来と書いてあったのかもしれません。念のため、職場にある漢和辞典で少なくとも7冊あたってみましたが、「振→辰」説を記す記述は見つかりませんでした。しかし、振と全く関係がないわけではなく、ある漢和辞典には「意味を共有する」とありました。冒頭の文は「『振』に通じる」という直しを同僚が提案し、その通りに直りました。さて、十二支の辰に当てられる動物は竜(龍はいわゆる旧字体なのでここでは用いません)。つまり辰という字がまずあり、それに竜という概念が当てはめられたわけですが、なぜ竜が選ばれたのでしょうか。
直接関係ないので「竜年」とは書かない
十二支とそれにちなむ動物の関係は、大漢和辞典の諸橋轍次も「十二支物語」(大修館書店)で
なぜ、多くの動物の中から鼠や蛇などを選んだかは、さっぱりわかりません。
と、さじを投げています。それぞれ十二支に当時の音が近い動物が選ばれているという話もあるようですが、それにしても意味上の関連はないとされています。だから一般的に「竜年」とは書きません。あくまでも、2024年は「辰年」です。ただ、全く関係のないものが任意に選ばれるのも不自然なので、現代人にはうかがい知れない何らかの関連があるのかもしれません。多くの漢和辞典は「辰」は二枚貝が足を出して動く形の象形文字としています。辰は蜃(しん)の字に変化し大ハマグリを表すようになりました。蜃気楼はこの貝の息といわれました。「後西遊記」にその伝説をもとにした妖怪が登場します。
一方、蜃は竜の一種との説もあります。この説に従うと
「辰」→「蜃」∈竜
というつながりが見いだせます。
「震」はなぜ雨かんむり?
ちなみに、辰の字は「振」と似た意味の「震」も構成します。中国最古の字書「説文解字(せつもんかいじ)」には、辰は「震也(なり)」とあるそうです。大地が振動したら「地震」。二枚貝も一見動かないものに見えますが動くときは意外に活発ですよね。本来動かない大地が動くという地震とイメージが似ていると思います。でも、なんで「雨かんむり」なのでしょう。その疑問は円満字二郎さんが「雨かんむり漢字読本」(草思社)でときあかしてくれます。円満字さんはまず「辰」について、「『辰』を含む漢字には、“揺れ動く”という意味を含むものが多い。『振動』とは、“細かく動く”ことだ」と書きます。やはり「辰は振に通じる」とした直しは適切だったと改めて思います。その上で「二枚貝は、足を細かく揺れ動かす。それで、『辰』に“揺れ動く”という意味があるのだ」という通説を紹介します。で、雨かんむりで「震」となったのはなぜ?
「震」とは、もともとは“カミナリが落ちる”ことを意味する漢字なのだ。カミナリは、多くの場合雨を伴い、そうでなくても雲から落ちてくる。「震」という漢字に「雨かんむり」が付いているのは、そのためなのである。ただ、『史記』や『春秋』には、「地震」という熟語も何度も登場する。つまり、当時から、「震」は現在と同じ意味でも用いられていたのだ。それは、カミナリが当たったときの衝撃から、意味が転化していったものなのだろう。
「辰」と竜をつなぐのは「震」かも
と、いうことは――。私は雷に打たれようにひらめきました(おおげさ)。辰の字と竜には、蜃というえたいの知れないものを仲立ちにするより、もっと目に見えるものが関係しているんじゃないか? 雷の光跡はまるで竜のように見えますよね。雷が「震」だとすると、その字を媒介に
「辰」→「震」→雷→竜
というリンクが成立するのではないでしょうか。調べると、中国の後漢時代の「論衡」という著書では、「雷竜同類」という文言があります。これは「雲竜」の間違いだともいわれますが、それにしても雷が起こると竜が天に昇るという伝説が(批判的にですが)書かれていますので、雷と竜には密接な関係があったようです。また、日本の「今昔物語」にも少なくとも2話、竜が出てくる話で雷が発生します。中国の影響かもしれませんが、海を越えてもやはり竜と雷がセットというのは面白いですね。
雷光に竜の片りんを見たのでは?
ところで、またある原稿の話ですが、竜は恐竜の化石から実在が信じられたという趣旨の文があり、本当かなあと思いました。確かにある種の恐竜や首長竜には竜に似たところはあるし、中国は恐竜化石の大国なので、一理はあります。でも、化石が完全な原形をとどめて出てくるなんてめったにはないだろうし、仮にあったとしても、そこから生まれた竜のイメージが、化石に縁のない地方まで共有されていたというのも、ちょっと信じがたい気がします。疑問を呈して、一つの可能性という感じの控えめな文に変えてもらいました。ただ、どこからイメージされたかは別として、竜の実在が信じられていたというのはいかにもありそうです。「龍の世界」(池上正治著、講談社学術文庫)によると現代でも実在説を唱える人がいるそうなので、いわんや古代においてをや。それにしても、十二支に配された動物はほとんど中国人にとって身近なもので、実在か架空かはともかく竜は異質です。しかし、その片りんを大昔の人は雷光に見いだしていたのかもしれません。それなら十二支に選ばれるのも無理はないかも――もとよりそんな証拠はないのですが。専門家でも何でもない一介の校閲者の空想とお笑いください。ただ、新聞記事としては、大昔の証明できないことを事実のように伝えるのは気をつけなければならないなと思います。一見納得できそうな説でも、別の可能性を追求することを妨げてしまいますから。竜頭蛇尾の文章でした。【岩佐義樹】(毎日ことば より、)


まあ、元々十二支は時刻だったから、だいたいは天候に関する事だったのでしょうね、そのうち擬人化するようになった、首長竜よりは ​『和漢三才図会』では『本草綱目』の引用で「頭は駝に似、眼は兎に似、耳は牛に似、項は蛇に似、腹は蜃に似、鱗は鯉に似、爪は鷹に似、掌は虎に似ている」としている(これに角は鹿に似るが入れば、いわゆる龍の九似説である)。​ のでしょう、所謂、いろいろな動物を組み合わせたキメラの様なもの、ただ、西洋の龍の方が首長竜に近いのでそれはどうなんでししょうか???


日本の竜
日本の竜(にほんのりゅう)では日本における竜について記述する。竜(旧字体:龍󠄂、呉音: りゅう、漢音: りょう、訓読み: たつ)は古代中国に発する想像上の動物であり、その観念や造形は日本にも伝播した。
日本文化の竜
中国から弥生時代には現在の竜のモチーフが日本にもたらされており、和泉市にある紀元一世紀頃の池上曽根遺跡から、胴をくねらせ三角の無数の突起を持つ動物が描かれた壺が出土している。こうした弥生竜の図柄を持った遺物は日本全国で30点あまり発見されている。この時代の日本人は竜の確固たるイメージを持っていなかったため、中国の竜の正確な模倣はできなかった。一方では、最初の弥生人は江南地域の龍蛇信仰を持つ海神族の流れであるとする説があり、大陸から竜と共に渡ってきたとされる(『魏志倭人伝』に、越人が入れ墨をして蛟竜を避ける風習に似て、倭人も入れ墨で大魚水禽の難を避けると記述される)。日本神話は、海神族を龍宮の八尋和邇などとしており、天孫の地神五代と八尋和邇の玉依姫との間に初代天皇である神武天皇を設け、また、日本海を中心とした高志(後に越)の八岐大蛇に自然崇拝を現して、日本神話を語っている。そして、国津神に属する大国主神、大物主神、建御名方神などが蛇体・龍神として描かれた。天皇の権威の象徴は、日本では龍の剣として表している。科学史家の荒川紘は、五爪の竜は、中国では皇帝の象徴であるから、日本では天皇の権威の象徴として用いられることはなかったと述べ、その背景には中国をただ模倣するのではなく日本の天皇の中国に対する独自性を宣揚しようとの意図があったのではないかとみている。また、日本の竜は、蛇、魚の群れや魚との区別があいまいで多種多様な姿形と性格を呈しており、それは江南の龍蛇信仰と混淆して更に外来文化の竜が接木された結果であろうと推察している。平安時代になり、『法華経』や密教が浸透するにつれて日本の竜は明確に独自性を帯びてくる。9世紀には室生寺に「竜穴」の記録が現れ、雨乞い信仰が行われるようになった。竜穴はその後も日本各地の寺社に現れ、中世には竜穴同士は地下で繋がっており、竜もしくは蛇竜が行き来しているという観念が生まれた。戦では、戦勝と守り神に竜を象る剣や兜が用いられた。中世末になると、戦国大名の里見義頼は竜が描かれた印判を使用するようになる。
日本神話
神武天皇(初代天皇の彦火火出見尊)は、海神の龍宮に住む八尋和邇の豊玉姫や玉依姫などの女系子孫の龍であり、神話では妃に龍を迎え入れる構図をとって龍が中国の支配者である皇帝を表すのとは対照的な思想である。また、出雲など日本海を中心に渡って高志(後に越)の八岐大蛇に、海、川、山などの自然崇拝を比喩して語っており、天孫から降りてた海の神を司る国津神の素戔男尊が八岐大蛇を裂いて取り出した剣は、日本の天皇が表す龍の化身として天皇の証とした。天皇がこの龍の剣を用い、龍の剣は守り神とされて祭られている。海の神の素戔男尊に係り、また、国譲りなどにともなう大国主神、大物主神、建御名方神など等は、海神の竜の姿とされた。
自然
海、川、山、炎、風、雲など、自然の姿や力を竜に擬え信仰の対象としてきた。また、龍神の住む海の宮を竜宮とするなど、龍とつく名や言葉も、裏にする名や言葉も多く深い信仰を表している。蜃気楼には蛟龍などの竜宮・霊亀の蓬莱山が現れて吉祥とされている。鯉の滝登りなど蛟龍を表す。
竜神
竜神は竜王、竜宮の神、竜宮様とも呼ばれ、水を司る水神として日本各地で祀られる。竜神が棲むとされる沼や淵で行われる雨乞いは全国的にみられる。漁村では海神とされ、豊漁を祈願する竜神祭が行われる。場所によっては竜宮から魚がもたらされるという言い伝えもある。ホタルイカは竜宮の使いと云われる。一般に、蛟など日本の竜神信仰の基層には蛇神信仰があると想定されている。また、「竜神が鐘を好む」という伝説も日本各地に残る。例えば尾上神社(兵庫県加古川市)の鐘については次のような話が伝わる。応仁の乱の頃、この寺の鐘が海賊に盗まれた。鐘を載せた船が足摺岬沖にさしかかると、穏やかだった海が突如、大荒れになった。乗組員たちは海底の竜神が鐘を欲しがっているためと考え、泣く泣く鐘を海中へ投じた。すると海は途端に凪いだ。その後、鐘は近隣の漁師に引き揚げられて、高野山へ奉納された。しかし、鐘が「おのえへ、去(い)のぉ(帰ろう)」とひとりでに鳴り出すので元の持ち主が分かり、ほどなく尾上神社へ戻されたという。
五龍
五行思想『書経』古代中国に端を発する自然哲学の思想から、四神・五獣、五龍が置かれた。高松塚古墳などに描かれた紫微垣をまもる四獣の壁画に青竜の姿が現れる。高句麗様式の影響をうけている。日本各地に、青竜、赤竜、黄竜、白竜、黒竜、五龍の伝承へと広まりをみせ現在に至る。
仏教
仏教では竜は八大竜王なども含めて仏法を守護する天竜八部衆のひとつとされ、恵みの雨をもたらす水神のような存在でもある。仏教の竜は本来インドのナーガであって、中国の竜とは形態の異なるものであるが、中国では竜と漢訳され、中国古来の竜と混同ないし同一視されるようになり、中国風の竜のイメージに変容した。日本にも飛鳥時代以降、中国文化の影響を受けた仏教の竜が伝わっている。例えば、北の高志の八岐大蛇は、玄武と繋がり、また、八頭八尾だが岐が八つだから九頭とも謂れて、八大竜王の九頭竜と同化した結果、越国や信州の黒竜伝承、九頭竜伝承に置き換えられた。

不動明王が手にする炎の剣は、俱利伽羅龍の化身とされる。剣を生んだ高志の八岐大蛇の腹に流れる赤い血は炎とされ、作刀鍛冶の火と考えられた。火の川の謂れとなって野たたら製鉄が行われた。越国では後に宇多刀、則重や義弘などの名のある作刀が行われ、特に、古来より出雲の斐伊川、日野川など付近の野たたら製鉄は有名で、吉備などに発展して大きな作刀の拠点となって栄えている。剣は炎の龍とされて中世には俱利伽羅龍が刻まれた剣は多く、兜にも竜を象り戦に臨んでいる。竈門の炎としても知られて、悪鬼退散などのご利益を与える。また、山々などの姿にも用いられ、劔・立山連峰などは龍山と読み替えられる。
浮世絵
尾形月耕の浮世絵『龍昇天』(月耕随筆)。富士山を背景に、雲の中を龍が昇ってゆくのを描いたもの。枠外左下に書いてある文字は以下の通り。明治卅年十一月一日印刷同月五日発行印刷兼発行日本橋区吉川町二番地松木平吉。明治30年11月1日に印刷、同月5日に発行。松木平吉(日本橋区吉川町二番地)が印刷し、発行した。
民話
江の島の伝説にある鎌倉の湖に棲む五頭竜は、悪事を行っていたが心を入れ替えて民の守護者となる。「黒姫伝説」の黒竜は、大名の姫君に恋慕するも阻まれて逆上し、嵐を呼んで人里をのみ込もうとする。「三湖伝説」の八郎太郎は、害をなした竜でありながら調伏されない。「泉小太郎伝説」の犀竜は人間の味方となる。「印旛沼の竜伝承」では、竜は人間を守ったがゆえに竜王に罰せられて殺される。上記の三湖伝説での辰子姫のように、人間が竜になる説話もある。蛇や鯉など鱗を持つ生き物が竜になるという伝承の他、キツネや馬等が変化するという昔話等も存在する。
各地の竜と神社仏閣
九頭竜伝承 - 九頭竜は日本各地に祀られている。ヴァースキの項も参照のこと。
八大竜王 - 和泉葛城山八大竜王神社。
五頭竜 - 鎌倉、龍口明神社。
青竜 - 清瀧権現。秩父神社(つなぎの竜)。
赤竜 - 七面天女(紅竜の姿を顕したという)、山梨県七面山敬慎院。
伊豆山神社 - 伝承では伊豆山神社が竜の頭で、芦ノ湖・箱根神社が竜の尻尾とも言われている。
白竜 - 箱根神社。
白竜・九頭竜神社 - 箱根神社からさらに西へ入ったところにある。徒歩、船等で行く。
白龍神社 - 名古屋にある。
彦瀧大明神(ひこたき) - 女性特有の病や安産の神として知られ、御神体は白蛇。
弁財天白龍王大権現 - 福井県永平寺にある弁財天と白蛇の神社(権現)。
黒竜 - 和泉葛城山など。北陸地方にも多数ある。
黄竜 - 黄龍寺(愛知県名古屋市南区)。毎年1月4日黄龍天満宮として、菅原道真公御真筆が開帳され、厄災消除・家内繁栄・入試合格など行っている。
金竜 - 浅草寺。浅草寺の山号は「金龍山」。お守りも黄色い袋に金の刺繍で竜。磐船神社も金竜を祀っている。
紫竜 - 三重県菰野にある福王山神社に「紫龍」の文字のみを掘り込んだ石碑がある。
諏訪大明神 - 『諏訪大明神絵詞』によれば、諏訪大明神は龍体・蛇体をとって国難の際に現れたという。
沖縄文化の竜
かつて琉球王国があった沖縄では、中国の竜とほぼ同じような中国的な竜が一般的である[要出典]。首里城には竜の装飾が数多くみられる。沖縄では竜宮信仰が根強く残っており、竜宮の神は豊穣信仰と深く結びついている。沖縄の竜伝承は中国大陸に起源をもつものが多いが、地元の民間伝承として定着している。丸山顯德は以下のような沖縄の竜の民話を紹介している。人に見られることなく千年間生きて竜に成ろうとするところを人に見られてしまう蛇の話。それを見た人は、内緒にしてくれたら裕福にしてやると蛇に言われ、黙っていると約束する。はたして男は金持になったが、うっかり約束を破ってしまい、元の貧乏人に戻る。天をだまして雨を降らせ、後で竜神から懲罰を受ける話。 美女をさらう七つ頭の蛇を退治すべく、七つの樽に芋酒を入れ、樽酒に美女が映るようにして泥酔させてから切り殺したという話 (津堅島の行事「マータンコー」の由来)。竜の眼病を治した医者の波乱万丈の物語。
その他
寺院

日本国内の3箇所の寺院、京都府の相国寺、栃木県の日光東照宮の薬師堂、長野県の妙見寺には、「鳴竜」などと呼ばれる仕掛がある。これは、堂宇の天井に描かれた大きな竜の絵の真下で拍子木を打ったり拍手をすると、定在波によりパァァーンと響き、それが竜が鳴いているように聞こえるというものである。かつて青森県の竜泉寺にもこの鳴竜があったが、焼失している。
将棋
将棋で竜とは飛車が成った駒である竜王の略称。ちなみに角行の成ったものは竜馬(りゅうま)であるが、こちらの略称は馬(うま)。
現代文化
日本列島はその形状から竜と称されることがあり、例えば「日本沈没」(小松左京)では物語終盤の日本が沈没する節に竜の死というタイトルが付けられている。同じく小松左京による短編小説「日本漂流」では、日本列島の下には本当に竜がいて、それをうっかり突いたために、日本が世界中を泳ぎ回る。同作では Archultragigantonamasaurus nipponicus という名が与えられていた。『龍の子太郎』は松谷みよ子の児童文学作品である
名前の一部に竜を含む生物
竜(りゅう、たつ)の名を持つ生物を挙げる。特にタツノオトシゴはその形があまりにも魚らしくなく、顔立ちが竜に似るとして、辰年の干支の絵柄としても使われることが多い。
タツノオトシゴ、タツノイトコ、リュウノヒゲモ、リュウゼツラン、タツノツメガヤ、リュウグウノツカイ(ウイキペディアより、)

八岐大蛇を龍なのか、蛇なのか、論争はあると思いますが、ここでは龍としておきましょう、『ドラえもん』でのび太は「ヤマタノオロチ」の名前から、頭が八つなら、マタは七つであり、ナナマタノオロチではないかと疑問にもちますが、これがラストまで引きずる謎に、ただ、「二股の交差点」という言い方の場合、道が二つに分かれる様を表現しており、「ヒト股の交差点」という言い方ではないと分かっています。つまり、八俣は八本で間違いない。大化の改新、あるいは飛鳥時代までは八進数という考えがあったらしく、”八”とは沢山という意味だったとされていますが、だから実際は九頭竜みたいなもの、或いはそれ以上では???ともされていますが、十進数は少なくとも弥生時代からあったとされます、福岡県春日市の須玖遺跡で分銅が発見され、どうも、10進法が使われた証拠が発見されたよう、まあ、そもそも、規格どおり寺院や五重の塔を建てるにはそれなりに計算式が必要不可欠であったと考える方が普通ですが…まあ、記紀の独自の考え方なのかもしれませんが。
まあ他にも、九頭竜をはじめ、五頭龍は鎌倉最古の神社の江島神社の弁財天で語られていますが、意外と首が多い龍は多くて、八岐大蛇だけではないのかもしれません、鎌倉武士は五頭龍のパワーを受けてるのか⁈それだったら最強だ。最強だが、どうも頭の方(政治力)は弱いらしい…鎌倉期末期は皆お飾りで政治ともいえず、弱体化しており、何時どうかなってもおかしくなかったとか、お粗末でした。

第44回 龍神様について でした。





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最終更新日  2024年08月13日 13時26分04秒
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