颯HAYATE★我儘のべる

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欲望と愛情の間で  6



たった数ヶ月離れていただけの地は、すでに自分を拒んでいる気がする。

俺の居場所はここじゃない―――。

司は決意を固めてここに再び降り立った。つくしをこの手に取り戻すために。





NYのマンションは日本に向かったときと何も変わっていなかった。

使用人が完璧な掃除を心がけているらしい。

「おかえりなさいませ」

マンションには日本人の使用人しかいない。それは道明寺と妻の実家から連れてきた者たちばかり。

つまり俺の雑用をこなすのは道明寺から連れてきた者。妻は自分の実家から連れてきた者を使うのだ。

結婚して同居しているにもかかわらず、このマンションの中には二つの世界があった。

今、挨拶をしてきたのは俺の使用人。つまり道明寺に雇われた人物。

「ああ。あの女はいるのか?」

「奥様ですか?奥様は自室にいらっしゃいます。」

俺たち夫婦は結婚したときから一緒の部屋に寝たことがない。義務的にベッドをともにし、行為が終わるとお互いの部屋に戻る。

だから不思議なことにこの家には客間は別としてベッドが3つあるのだ。

夫婦が別々に寝室を持ち、そして露骨な表現をすれば子作りのみに使う寝室。

義務的に何度か体を重ねたものの、相性が悪いのか子供はできなかった。

それだけはホッとしていた。義務とはいえ、本心では牧野以外に俺の子供を産んでほしくなかった。

妻の部屋の前で俺は大きく深呼吸をし、ドアをノックした。

「どうぞ、早く持ってきてちょうだい。」

使用人に何か頼んでいたのだろうか、返事は俺に対するものではなかった。

声もいま目覚めたかのような間延びした声だ。

ドアを勢いよく開け、部屋に入っていくと・・・

妻のベッドには見知らぬ男と妻が裸で横たわっていた。いや・・・知らない男じゃない。

この男は知っている。妻の愛人だ。

俺の存在に気がついた男は真っ青になり、大慌てでベッドから立ち上がるが、その拍子にまとわりついていたシーツが落ち、無様な姿を俺にさらけ出した。

「―――日本に行ったんじゃなかったの?」

妻は悪びれた様子もなく、苛立った声で問うてきた。

「行ったさ、行って一時的にこっちに来ただけだ。」

「そう・・・で、何か用なの?」

青ざめてオロオロしている男を尻目に俺たちは淡々と会話していた。

「―――まあな。だが・・・どうする?この男にも関係あるかもしれないが、ここで話すか?」

「この人に・・・? 何?」

「いいのか?」

俺が問うと、妻は一瞬思案したが頷いた。

「―――離婚してくれ」

妻は一瞬目を見開き、男は呆然としていた。

「あ・・・あの、俺が・・・」

男がオロオロと何かを口にする。たぶん、俺が原因かと聞いているのだろう。

「違う。アンタが原因じゃない。それに・・・アンタとのことは結婚したときから知っている。問題はない。」

この男は妻の愛人・・・だが、恋人でもある。結婚前から付き合いがあったのだ。

ただ、使用人で結婚を認められることがなく・・・そうこうしているうちに俺との結婚が強引に決まってしまった。

一応、女は泣いて嫌がったが、両親は家の状況を考慮して強引に娘の結婚を押し通した。

その当時、俺は牧野と付き合っていた、それを断ちたい俺の母親も早めに良家の令嬢との結婚を勧めたかった。

だからこの女の実家と手を結んだ―――。

道明寺にないものを補い、相手には経営を補う金を与える。

完全なる政略結婚。妻の実家は道明寺にない石油事業を持ちながら、経営が悪化していた。

この縁組は両家にとって、恋人と別れさせることと事業、一石二鳥の縁組だったのだ。

「ま・・・アンタがしっかりしていれば、こんな結婚はなかったとは思うがな。」

この男が女を連れて逃げるだけの甲斐性があれば、この縁組は消えていただろう。

だが、この男も女もそれを実行することはなかった。男は職を無くすことを恐れ、女は今の生活レベルを失うことを恐れた。

「それはあなたも同じでしょう? 結局は私との結婚を選んだんですもの。」

女の言葉に俺はグッと息を飲んだ。同じじゃない・・・俺は牧野を守るためにしたんだ。

だが牧野にとってはどうだろう。俺がどう言い訳しようと、牧野にとっては捨てられたと同じことではないのか?

あの時、類は俺のやり方では牧野を守ることにならないというようなことを言わなかったか?

牧野を幸せにすることこそが、アイツを守るということだと・・・言わなかったか?

俺は心の中で自問自答した。遅いかもしれない――― 一瞬だけそう思った。

だが、アイツを取り戻すことができなくても自分に嘘をつく必要はなくなる。

だからこそ―――俺は離婚し、すべてを元に戻すべきなんだ。

「そうかもしれないな。だが今こそ、それを正したい。離婚しよう。」

「―――離婚することに反対はしないけど・・・でも、離婚することによって実家が潰れるのは困るわ。」

どこまでも自分勝手な女だ。愛する男と実家、両親を秤にかけて両方とも得ようとする欲深さに呆れるしかない。

「今は持ち直している。道明寺から経営再生のために幹部を数名入れたからな。ソイツらに任しておけば大丈夫だろう。

慰謝料は・・・いくら欲しいんだ? 言い値ってのは無理かもしれんが善処しよう。」

「―――あのヒトと一緒になりたいの?」

「あのひと?」

「名前・・・なんだったかしら。えっと・・・ああ、牧野さん、牧野つくしさん?」

まさか名前まで知っているとは思っても見なかった。お互いに惚れた相手がいることは結婚前に話していた。

だが俺は名前までは言っていない。

「―――そんな驚いた顔しなくても。あなたと牧野さんのことは有名だったわよ。天草家の御曹司と奪い合いしたでしょ。

それに藤堂静さんのパーティにもいらしていたし。私もいたのよね、知らなかったでしょうけど。」

この女の言う静のパーティは覚えている。牧野が行った藤堂家のパーティは一つしかないからだ。

俺とアイツが初めてキスをした・・・・あのときだ。

「お前がいたのは知らないが・・・そうだ、俺は牧野をこの手に取り戻したい。」

「―――はっきり言うのね。取り戻せるの?」

「さあな。だが、努力するためには・・・お前と別れないと話にならんだろ。」

「そうね。」

「で?」

「―――いいわよ。私もそろそろ赤ちゃん欲しいしね。」

女の言葉に俺は眉根を寄せた。

「私、ピル飲んでいたの。・・・いくら私が欲深くても政略結婚で、しかも愛情のない人の子供は産めないわ。」

「―――そうか」

俺はそう言うしかなかった。それは俺にとっても有難いことだし、感謝すべきことかもしれない。

「私の両親も政略結婚で愛情がなかった。ハッキリ言って家の中は冷たかった。

父は仕事ばかりで、母は社交に忙しい。子供の相手は乳母にまかせっきりだった。

幸いにも乳母が私たちに愛情をもって接してくれたから良かったけどね。

だからこそ、自分の子供は両親からの愛情を惜しみなく与えたい・・・おかしい?」

「―――いいや。俺も同じようなモンだからな。俺の場合、姉貴と少し離れてるからよぉ、俺に愛情を与えてくれたのは姉貴だ。」

「そう。じゃ・・・わかってくれるわよね。・・・ゴメンなさい、約束と違うかもしれないけど子供をつくることはできなかった。」

「いや・・・俺も・・・悪いな、お前との子供は考えられねぇ。子供は惚れた女と作りたい。」

「そうね。私たちは今度こそ幸せになるべきよね。」

女はそう言うと、横で呆然と立ち尽くしているマヌケな男に視線を送った。

「―――慰謝料はいらないわよ。お互いさまだからね、いくら私でもそこまで欲深くはないわよ。

実家が大丈夫なら、私たちも生活できるでしょう。それに今度は両親にも文句は言わせないからね。

バツイチの娘なら使用人と結婚しても文句はないでしょ。それに・・・私を犠牲にして会社を立て直したんだから・・・

その事実を脅迫材料にするわ。・・・あなたも頑張ってね。牧野さんの心を取り戻せるように祈っているから。」

女はそう言って微笑んだが・・・・ベッドの上で丸裸の状態、しかも横には丸裸の男が立ち尽くしている。

なんとも格好悪い状態だった。だが、そんなことはどうでもいい。

まさか、この女がこんなに簡単に別れてくれるとは思っても見なかったし、こんなに色々考えているとは知らなかった。

俺たちの結婚生活は決して長くはないが、夫婦だったにもかかわらず、俺たちはお互いを理解しようとはしていなかった。

「ああ、ありがとう。お前らも幸せになれよ。・・・本当にこの男でいいのか?」

「―――情けない人だと思うけどねぇ・・・惚れたんだから仕方ないんじゃない?」

「惚れたのか・・・じゃあ仕方ねぇな。」

俺たちは見つめあい、そして笑った。結婚してから二人で笑ったのは初めてのことかもしれない。





二人が離婚を決意しても、ことは簡単には運ばなかった。

この結婚は政略結婚で両家の思惑が働いていたからだ。

まず俺がお袋に報告すると当然のごとく叱責が飛んだ。偶然にも居合わせた姉は喜んでいたが・・・。

「何を考えているのっ!! 道明寺家の後継者ともあろう者が離婚ですって?」

「道明寺だから離婚しちゃいけねぇって法律でもあるのか?」

俺は穏やかな口調ながら、苛立ちながら自分の母親を見据えた。

「この結婚が道明寺に与える利益を考えたことがあるの? あなたたちの離婚で迷惑する人たちのことを考えたことがあるの?」

「―――迷惑するのは・・・てめぇだけじゃねぇのか? 俺は道明寺で働く社員を信じているぜ。

あの女の実家の力など、もう必要ねぇってな。アンタの念願だった石油事業への参入は果たせた。

もう道明寺はその世界である程度の名を知らしめた。別にあの家の力は必要ねぇ。

俺たちはもう話し合った。慰謝料はいらねぇそうだ。ただ、今後も道明寺はあの家にプロを派遣したままにする。

ようするに今、あっちに出向しているヤツらをそのままにするというのが、一種の慰謝料だ。」

「―――そんなことを勝手に・・・!!」

「離婚は当事者の問題だ。俺とアイツが離婚を決めた。―――それに、結局てめぇは息子の幸せよりも道明寺のことなんだな。

道明寺という組織のために息子がどんなに惨めな生活を送ろうと関係ないんだな。呆れたもんだ。」

俺がそういうとババアの頬が硬直した。拳を握り締め、何か言いたそうな顔をしたが何も言わない。

「反論はねぇのか?」

「―――子供の幸せを考えない親はいないわ。」

俺はその言葉にカットした。じゃ、なぜ牧野との結婚を反対した!? あんなやり方で俺たちを引き裂いた?

「てめぇの口から・・・そんな言葉がでるとはな・・・」

「当たり前のことでしょう?」

「ふ・・・ざけんなっ!!! 姉貴を無理やり恋人と別れさせて、別の男と結婚させる。

俺は・・・牧野と脅迫まがいのことを言われて別れた。それが愛情だと・・・!?」

俺は怒りで目の前が真っ赤になった。

「司・・・そこまで・・・私のことはもう昔のことよ。今は幸せだわ・・・」

見るに見かねたのか姉貴が横から言ったが、それで納得できるはずがない。

「確かに今は幸せだろう。結果としてそうなったが・・・あの時は嫌がる姉貴を無理やりに結婚させたのは事実だ。

お見合いして・・・徐々に相手を知ってからでも遅くなかったはずだ。だが恋人と完全に決別させるためとはいえ急な結婚だ。

それが親の愛情なのか? 結局は道明寺の発展しか考えていないだけだろう!?」

「―――もうそこまでにしなさい。」

俺が興奮し、大声を上げていると横から冷静な声が割って入ってきた。

驚いてドアの方を見ると・・・いつのまに来たのか、親父が立っていた。





「親父・・・」

「親子喧嘩はそこまでだ。職場でするようなことじゃない。」

親父の言い分はもっともだ。だが、俺としては中途半端で終わるわけにはいかなかった。

変な話だが、実の親子でありながら両親と会う機会が殆どないのだ。

「家で会うこともないのに、どこで話せばいいんだ?」

俺がヤケになって言うと、父親は苦笑した。

「家で話せばいいんだが・・・確かにお前がそう言いたくなる気持ちもわかるな。」

「あなた・・・! そんな悠長にしている場合じゃないわっ! 司が離婚するなんて・・・」

「―――楓、確かに離婚は当事者の問題だ。愛情の欠片もない、信頼関係もない、そんな関係がうまくいくか?

それにお前は子供ができないことを不思議に思ったことはないのか?」

親父の言葉に俺は驚いた。まさか、あの女がピルを飲み、避妊していたことを知っているのか?

「それは、そのうち・・・」

「いや、この結婚が続く限りは永遠にできないだろうね。」

「どういう意味です?」

「彼女は婚約したときからずっとピルを飲んでいるんだよ。つまり避妊しているんだ。子供などできるはずがない。」

お袋の顔から、どんどん血の気が引いていく。彼女は政略結婚とはいえ、孫の誕生を楽しみにしていた。

それが根本から覆されたのだ。今、怒りと戸惑いが彼女を襲っているのがわかる。

「避妊・・・?」

「そうだ、彼女は結婚前から交際している男性がいる。司も同じだが、彼女も半分は親の手で結婚を強要されたのだろうね。」

「私は・・・強要なんて・・・司の幸せを思って・・・」

「わかっている。私もこの結婚に反対しなかったのは、結局は椿のように司も幸せになれると思ったからだ。

だが、実際はどうだね? 彼女も司も結婚前の恋人を忘れることができない。すれ違いの生活を永遠に続けるわけにはいかないだろう?

司も彼女に対して、誠実ではないのは君も気がついているだろう? 彼女も恋人といまだに続き、司を裏切り続けている。」

「なんですって!? 司が・・・女性と遊んでいるのは気がついていたわ。でも、彼女まで?」

お袋にとって彼女は「深窓の令嬢」だったのだろう。夫を裏切るようなマネをするとは到底考えられないのだ。

彼女はきっと俺を裏切ったとは思っていないだろう。俺も裏切られたとは思っていない。

お互いに愛情などない、政略結婚なのだ。信頼関係もなかったのだから裏切りも存在しない。

「アイツにとっては遊びじゃないさ。そっちが本命なんだからな。つまり恋人と今も繋がっているのさ。

俺は・・・牧野と別れた。だが、アイツは別れていなかっただけのことだ。」

俺にとってはどうでもよいことだったので、本当に「それだけのこと」だった。

「そんなっ! それこそ、道明寺が騙されたってことでしょう!?」

「別に誰も騙していないだろうが。俺は確かに牧野と別れた、いや・・・別れさせられた。

だけどな、忘れることはできなかった。どんなに他の女と遊んでも俺の心に住んでいるのは牧野だけだ。

アイツにとってもそれは同じだったってことだろう?」

「司の言うとおりだ。騙し騙されという問題じゃないな。これは俺たち親が子供たちの人生に口を出しすぎたんだよ。

楓・・・もう司を解放しなさい。こんな牢獄のような結婚は終わらせた方がいい。

私たちは間違えたんだよ。椿が幸せになったからといって、司が私たちの決めた結婚で幸せになれるとは限らない。

椿と司は違うんだからね。司にとっては牧野さんが唯一無二の女性なんだろう。」

まさか親父が離婚に賛成してくれるとは思ってもみなかったが、俺はホッとした。

親父がこう言ってくれるならお袋も了承することは間違いないからだ。

「楓、君もさっき言っただろう。子供の幸せを考えない親はいないと。司にとってこの結婚は幸せではないんだよ。」

「―――わかりました。でも・・・牧野さんとの結婚は認められないわっ!」

「―――俺は牧野を傷つけた。俺が結婚したくても、アイツが同意するわけねぇだろうが。

だが、俺の横に立つべき女は牧野だけだ。俺はこれからどんなことをしても牧野をこの手に取り戻す。

牧野が手に入らないなら、どんな女だって同じだからな。俺は一生独身でいるし、後継者は姉貴の子供に期待しろ。

俺の子を産む女は牧野だけだ。お袋がたとえ認めなくても・・・俺の女は牧野だけだ。」







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