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颯HAYATE★我儘のべる
雨が止まない 15
今まで、両親を弟を、そして友達を必死で守ってきた。 甘えることはできなかった。
だが、今はそれができる。 颯介の深い懐でぬくぬくを暮らしていけるのだ。
人に少しでも甘えることができる、弱さを見せることができることは幸せなことだった。
今までの色々な辛いことや苦労がすべて水に流されていった気がし、これからは幸せだけがあるのだと信じて疑わなかった。
「颯介さん、お医者さんがね、性別を聞きたいかって言ってるけど・・・どうする?」
「性別、ね。 どっちでもいいけどな。 楽しみにとっておくか?」
「うん! 私もそのほうがいいな!」
つくしは毎日が幸せで、他に何も見えていなかった。
いつもなら気がつく、些細な変化をつくしは見逃していた。
3ヶ月後、颯介が倒れた。 つくしは不安を押し隠して、病院へと駆けつけた。
「颯介さん?」
ベッドに横たわる颯介の顔は真っ青で生きているようには見えなかった。
鷹野財閥という大きな組織を継ぐべき彼にとって、その肩に背負うものは、とてつもなく大きい。
それなのに、家庭でも道明寺とのことでも彼に頼りきりになって負担をかけてしまった。
つくしは今、激しく後悔していた。
初めて頼れる人に出会ったことで、自分でも気がつかないうちに彼を追い詰めていたのかもしれない。
自然と涙が溢れ、声を殺して泣いた。
「奥様・・・」
声をかけてきたのは、颯介の秘書を務める男性で飯島だった。
一緒に救急車に乗り込み、つくしが来るまで付き添ってくれていた。
「飯島さん・・・ご迷惑を・・」
「いえ、私を一緒の時でしたので、すぐに救急車を呼ぶことができました。
最近は・・・顔色がとても悪く心配していたのですが・・・」
つくしは颯介の顔色の悪さなどぜんぜん気がついていなかった。 それだけに他人に指摘され、ショックをだった。
「私・・・自分のことで精一杯で、彼が具合悪いなんて全然気がつかなかった。
ひどい奥さんですよね・・・。子供ができて、嬉しくて・・・彼を気遣うよりも赤ちゃんのことばかり・・・」
「社長も子供のことは大変喜んでおられました。会社でもその話ばかりでした。
――――奥様が社長の身体のことに気づかれなかったのは、おそらく社長が隠していたからでしょう。
世間一般的に男性というのは、家族には心配かけまいと具合が悪くても言わないことが多いようです。
それに、大したことはないと自己診断をくだしてしまう方も多い。
この際ですから、徹底的に検査をしてもらってはいかがでしょうか?」
飯島の意見はもっともだった。 確かにその通りだろう。
ただの過労かもしれないが、倒れた原因はもちろん、身体の全てを徹底的に検査してもらおう。
つくしは飯島に感謝の笑みを向けた。
鷹野財閥の後継者、倒れる―――そのニュースはすぐに広まった。
隠すようなことでもないが、財閥トップが倒れると企業に不安が走る。
まだ一企業の社長にすぎない颯介が倒れても、鷹野財閥そのものには影響はない。
それでも色々な噂が飛び交うのは避けられない。それは大財閥に生まれた者の宿命なのかもしれない。
今回は一般庶民であるつくしとの結婚で両親との確執が、とか、馴染みきれないつくしを庇うことの心労とか
あることないことマスコミが騒ぎ立て、世間を煽っていく。
「―――世間ってのは暇なんだな・・・」
司は余りにもくだらない、信憑性の欠片もない噂に呆れていた。
鷹野颯介と牧野は愛情で結ばれていたし、鷹野の総裁夫婦は狭量な人間ではない。
「マスコミってのは、なぜ倒れた原因を知りたがるんだ?
まずは、倒れた者の容態を心配するのが人間ってモンだと思うがな。」
「―――司、成長したな」
からかうような総二郎の言葉に司は眉を顰めた。
「どういう意味だ?」
「お前が他人の心配をしているところなんて見たことないぞ。
だが、その心配をするとが当然と言い切る、颯介さんを気にかけているんだろ?
その根本は牧野の心配なんだろうが・・・それでも、人のことを考えるようになった。成長だろ?」
司はわざとらしく、大きなため息をついた。
「総二郎、お前は全然成長しないよな。―――確かに俺が心配しているのは牧野だ。
腹がでかいんだろ、それなのに颯介の心配もしなきゃならない。
それなのにマスコミには自分が原因みたいに書かれている、牧野の方が心労で倒れるじゃねぇか!
それに・・・せっかく幸せを掴んだんだ、そのまま幸せでいてほしい。」
正直な気持ちだ。 颯介に嫉妬もあるが、牧野には幸せでいてほしい。
「―――颯介さんの具合はどうなの? 司のことだから調べたんでしょ?」
類の言葉に顔を顰める。 検査結果は当然、他人に公表されない。
だが、医者を買収すれば情報を引き出すことも可能だ。 類はそれを知っているから聞いているのだ。
つまり、俺が不正をしたとわかっている。 嫌なヤツだ・・・
「もしかして、あまり良くないとか?」
「いや、知らない。 調べようとしたけどな、ある程度の検査を終えたら、病院を移されたみたいだな。
ま、当然だろ。 俺だって詳しく検査するなら、主治医の元へ行く。
鷹野家のかかりつけの病院に転院した。 京都に移ったようだ。
だが、意識は戻って、しっかりしてるそうだから・・・大丈夫だろ?」
「―――そう、だね。」
「牧野も当然、京都に行ったんだよな。 ・・・一人で大丈夫なのか?」
心配性のあきらは、身重の牧野を心配している。 大事な時期に看病に精を出すと牧野自身が過労で倒れる。
「心配だけど・・・今はどうしようもないでしょ。
牧野は絶対に俺たちの助けを断るだろうし、自分から求めることもしないでしょ。
だから、俺たちは見ているしかないんじゃない? そして、見つからないように手を貸す、とか?」
類のいうことは正しい。 牧野つくしという女はそういう女だ。
人になかなか頼ろうとしない。
俺たちはアイツを心配しながらも・・・何もできない。
嫌な予感は当たる――――
だからこそ、考えないようにしていたのに・・・結局、現実はつくしを打ちのめすのだ。
検査結果は誰にとっても酷く、悲しいものだった。
すべての結果が颯介が癌であることを示していた。 医者もはっきりとそう言ったのだから間違いようがない。
随分前から彼は具合が悪かったはずだ。 おそらく、それは・・・結婚前からだろう。
「颯介さん・・・?」
病院の白いベッドに横たわる、青白い顔の夫を見ていると涙が出てくる。
あと3ヶ月もてば・・・医者はそう言った。
3ヶ月? 3ヶ月で何ができるというのだろう。
なぜ、医者は「治ります」と言わないのだろう。 治せない医者など必要ないじゃないか。
つくしはどうしようもないとわかっていても、心の中で医者を責め続けていた。
「どうして・・・やっと、やっと幸せになれたのに。 これから子供だって・・・。」
つくしはただ、どうして、と繰り返すことしかできなかった。
現実を受け入れることができない。 3ヶ月? 子供が生まれるのはあと5ヶ月近く先なのだ。
彼は・・・子供の顔すら見ることができないの?
そう思うと、一層、胸の痛みが酷くなり、何も考えられなくなる。
ただ、涙を流し、静かに・・・時の流れゆくままに泣いていたい。
つくしは今更ながら、考えていた。
颯介さんと知り合う前は・・・両親や弟を支え、自分が頼られる存在だった。
だけど、颯介さんは自分が頼ることのできる初めての人だった。
だからこそ・・・私は頼りすぎ、颯介さんの負担を増やしてしまったのかもしれない。
道明寺と付き合っているときも、年齢が近かったせいなのか彼を頼ることはできなかった。
それなのに・・・颯介は自然と頼れるような状況をつくりだしてくれるのだ。
私はそれに甘えすぎたのかもしれない。
今こそ私は戻るべきなのだろう。 颯介さんを支え、彼の負担を減らす。
私は自分の幸せばかりを追求して、彼の幸せを考えたことがあっただろうか。
否・・・そう、私が幸せになることばかり考えていた。
――――彼は死なせない。
つくしは必死だった。 医者が3ヶ月というのなら、1年は生かせてみせる。
先のない命だというのなら、子供の顔は絶対に見せる。
彼は父親だ。子供の名前を決めてもらう。
私は絶対に性別を聞いたりしない。 生まれてからの楽しみだ。
だから、彼も生きなくてはならない。 自分の子が男か女か・・・それすら知らずに死ぬつもりなのだろうか。
そんなのは絶対に許さない! 颯介さんを少しでも長く・・・生かせてみせる。
颯介が目を開けるとそこは真っ白な世界だった。
――――天国?―――――
ああ、病院だ・・・。白いベッド、白い壁、白い天井。
白に埋めつくされた息苦しい空間に颯介は一人だった。
「―――つくし」
妻の名前を呼んでみたが、誰も答えなかった。
周りを見渡すと彼女のものらしき荷物がある。この病院内にいるということだろう。
―――――ついにきたんだな――――
颯介は目を閉じ、死期が来たことを悟った。
つくしには言っていないが、癌の診断を受けたのはプロポーズをする前だった。
もちろん、死ぬ気はなかったし、極秘裏に治療も受けていた。
癌を知っていながら、彼女に何も言わなかったのは、どうしても彼女が欲しかったからだ。
彼女のことは知っていた。 道明寺とのことで有名だった。
そんな彼女がホーク・ロードに就職したと知って興味を持った。
だからこそ、いつも彼女を見ていた。 そして・・・気がついた。
いつのまにか彼女を愛していたことに。
彼女がまだ道明寺を愛していることはわかったし、無理強いするつもりもなかった。
だが、自分が癌だと知った時、どうしてもこの先の人生を彼女と共に生きたかった。
そして彼女が共にいれば、どんな辛い治療でも耐えられる、もしかしたら完治するかもしれない、という我儘な願望もあった。
俺は自分の幸せを追求し、彼女の幸せを二の次にしていた。
俺は死ぬかもしれないのだと自分に言い訳をして、罪悪感を振り払った。
でも永遠に言わないつもりではなかった。
新婚旅行から戻れば、きちんと詫びて言うつもりだった。
彼女は俺を見捨てない。 そういう女だとわかっていたから―――
だが、予定外のことが起こった。
道明寺の記憶が戻ってしまった。
俺は・・・どうしても言えなかった。
道明寺に気持ちが残っている彼女に、真実を話せば彼女を失うと思った。
俺は―――酷い人間だ。
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