IN MY ROOM

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英語との出会い



10月、わたしは2級英語検定試験を受ける予定で「思えば遠くへきたもんだ」
そんな心境で毎日を過ごしている。
1年前の春、中学3年生になった2番目の娘とひょんなことからはじめることに
なった「英語との出会い」であった。

 ♪痛恨のひとこと

娘はマイ・ペースで勉強にも身が入らず高校受験を控えて焦っていた。
もちろん親であるわたしも塾に行くことをすすめてみたり家庭教師を考えたりと
いろいろな手立てをしてみたけれど、娘は本気にならなかった。
最後の手段!とわたしは腹をくくっていった。
「じゃ、お母さんといっしょに勉強しよう」

それなら塾へ行く!というはずだったわたしの期待は見事に裏切られ、その日から
毎日なぜかわたしも勉強することになってしまった。
これが英語とかかわる事になった原点である。
最初は自分から言い出したものの、仕事を終えて夕食を作りその後2時間の
勉強は「毎日」という言葉の重さがどれだけしんどく、大変なものであったか
わたしは世界中の人々に叫びたい気持ちであった。

しかし教科書を読み進んでいくうちにわたしはいろんな発見をした。
「ニュークラウン」と呼ばれているこの教科書は、広島の原爆ドームの話、
黒人差別の解放に一生を捧げたキング牧師の話、落語の「まんじゅうこわい」
などおもしろい題材がたくさんあるではないですか~
単語を調べて物語のストーリーが判るころになるとネイテイブの発音が聞きたく
なりCDまで買ってきた。
キング牧師が実際に演説している生の声というのも入っていて、英語独特の
リズム感とかフィーリングに浸りながら少しづつ生活に英語が入り込んでいた毎日

  ♪いつのまにか日課に~

そして春、娘はめでたく高校生になった。
しかし、やっと勉強から解放されてほっとしているはずの自分はそこにはいなかった。洗い物をしながらビートルズの歌を聴き、お料理をしながら煮物を作りながら
待っている時間は「まんじゅうこわい」の音読を聞き、仕事から帰ると
カセットのスイッチを入れることが日課となってしまっていたから。
「おめでとう、これであなたも自由になれるね」とまわりの人はいったけど
英語はもうわたしの生活の一部になっていて、この次は外国人と話すことができる
ようになりたい!と願うようになっていた。
そして市が募集していた生涯大学の「初級英語」に申し込み入学することができた
ネイテイブの先生と週1回勉強できることははじめての経験だったが、緊張と楽しみと自分の言葉で届ける喜び。これは体験してみなければわからないことだろう。

どんどんステップアップしていく自分に少しばかりの自信がついて、初めて
文部省の英語検定試験を受けた。
誰もここまでわたしがはまってしまうとは想像もしなかったらしい。
この年になって試験を受けるとは考えもしなかったが力試しにと受けた試験に
なんと合格してしまう。このときのうれしかったこと!
人生はいつでも「今」という時間の始まりであると実感する。
もちろんこのあとは前へ前へ~と進んでいくのみである。
「学ぶ」とはなんてすてきな響きだろう。

人間は死ぬまで勉強と思うこと。
誰でも「学びたい」という気持ちはきっとあると思うこと。
誰にも運命の岐路というものがあるとすれば、わたしには娘との学習が
「運命の神さま」の招待状だったようにも思えたりする。
もっとも彼女が優等生であったなら、そんなチケットは頂けなかったかもしれない
娘にも感謝に日々である。
「運命の神さま」はどんな人の上にも降りてくる。

  その瞬間を見逃さないで!

               2002、2月   wrote



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