小説版・ココロノヤミ・6

サクレクール寺院内心、私は森岡を見直していた。よく考えてみれば、私は大学にいる時の森岡しか知らなかった。大学にいる時の森岡は、膝の出たコーデュロイのズボンに毛玉が出来ているようなセーターを平気で着ていた。よーく見るとバーバリーであったりするのだが、それを指摘しても「あぁそう。貰いもんだからね」とよくわからないようだった。レディスのブランドにもやたら詳しいような男子学生にウンザリしていた私は、森岡のそういう所もとても好もしく思えた。ところが、成田空港の待ち合わせ場所に現れた森岡は、まるで有能なビジネスマンのような出で立ちだった。ただ、ビジネスマンと違っていたのは、引いていたトランクがゼロハリではなく、かなり使い込まれたヴィトンだった事と、羽織っていたのがバーバリーではなく、当時はまだとても珍しかったディオール・オムのコートだった事だろうか。そして、パリに滞在中、森岡はずーっと紳士だったのだ、あの夜までは...。

シャンゼリゼ、凱旋門、ルーブル、セーヌ河、ヴェルサイユ、エッフェル塔、モン・サン・ミッシェル、ブルゴーニュ、モンマルトル。主だった観光地を時間をかけてまわり、帰国を3日後にした私達は、その夜、ホテル近くのカジュアルなレストランで軽く夕食を済ませ「ポン・ヌフの恋人」ごっこなどをしてふざけながらホテルに着いた。落ち着く間もなく森岡が「タクシーを呼んであるから」と私を急かす。夕食の時にあまり飲まなかったので、ワインの美味しい店にでも行くのかと思いながら私は、車がどんどん郊外に向かっているのに気付いていた。到着したのは郊外に多いプチシャトーだった。「ここは?」と聞く私の背中を軽く押しながら、慣れた様子で森岡はどんどん進んでいく。建物の中に入ると思ったより明るく、正面にフロントのようなところがあった。私をソファに座らせ、フロントで何かしら話している森岡の背中を見ながら私は「日本のラブホテルみたいな所なのかしら」と思っていた。

森岡に手を引かれて曲がりくねった廊下をかなり行ったところに石造りのドアがあった。森岡が、鍵も付いていないそのドアを開けて中が見えた時、私はギョッとした。どう見てもその部屋は牢獄であり、そしてもっと驚いたのは部屋の中央に金髪の若い男の子が全裸で宙吊りにされていた事だった。「な、何?」としか聞けない私に森岡は優しく囁いた。「ほら、もうすぐ帰らなくちゃならないだろ?お譲さんがまた、帰りたくない、なんてわがままを言わないようにちょっと趣向をこらしてみたのさ、気に入らないかい?」「これの何が趣向なの?」「そこにあるものに着替えて、あそこのボクを君が好きなだけいたぶっていいんだよ」私は思考が停止していた。「私にはそういう趣味はないわ」かろうじて抵抗する私に森岡は軽く笑いながら言った。「そういう趣味があるかないか、やってみればわかるよ。人間は多かれ少なかれサドかマゾなんだぜ、それに...パリにいる間は僕の言う事を絶対聞く約束だよ」と。

私は突っ立ったまま、しばらく考えていたが、一人ではホテルまでも帰る事は出来ないし、だんだん落ち着いてきた頭の中に、好奇心が湧いてきたというのも事実だった。どうせ日本じゃないんだし、私が痛い思いをするわけじゃないし...そう考えた私は「わかったわ」と答え、置いてあったものに着替えた。それは想像していたものとは違い、黒いシフォンシルクのガウンだったが、足元はやはり黒のファーのついた、10cmはあろうかというピンヒールだった。「お、案外早く決断したね、それに...思った通りだ、よく似合うよ。さ、始めて」森岡はまるで芝居の演出家のように言い、私は男の子に近付いた。そばで見ると本当にまだ若く10代のようだった。その苦しそうに喘ぐ端整な顔が一瞬、大石に見えた。私は彼を下ろし、とりあえず四つん這いになるように指図した。そして、その背中をピンヒールで思い切り踏み付けた。両手両足を縛られたまま痛みに耐え切れず叫び声を上げる彼を見ながら、私は自分が遠くなっていくのを感じていた。その後の事はよく覚えていない。いや、思い出したくないのだ。たぶん私は狂ったように彼を痛めつけ、最後は交わったのだと思う。

気がつくと私はタクシーの中にいた。来た時の格好で森岡にもたれて眠っていた。目が覚めた時、しばらく何も思い出せなかったが、段々思い出して危うく叫びそうになった。森岡はそんな私を優しく抱き「君は僕が思った通り、いい女だったよ。最高だったよ」と囁いた。「どうしてこんな事...」と呟く私に森岡は「君に僕の全てを教えたかったのさ。君は僕の大事な生徒だからね。それに、まだまだ君は人生の入り口に立ってる。これからもっととんでもない事にも出くわすさ。そんな時には今夜の事を思い出すといい」と答えた。パリの市街に入り、森岡は「何か飲んでいこうか」と言ったが、私はとにかく早く、ゆっくりと眠りたかった。ホテルに帰り着き、シャワーを浴びてベッドに入った私は、朦朧としながらも数時間前の出来事を反芻していた。忘れてしまいたいのに、何故か甘美な感情と共に思い出していた。そしてようやく眠りに落ちた私は、あの男の子に抱かれている夢を見た。しかも、彼の顔は途中から大石の顔になっていた。





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