小説版・ココロノヤミ・7

パリのホテル翌日、私と森岡は何事もなかったかのようにモンマルトルを歩き、似顔絵描きの画学生をひやかしたり、クレープの食べ歩きをしたり、私設の小さな美術館に入ったりした。私は何となく、どうって事なかったような顔をしている方が大人って感じだわ、と考え、また、この期に及んでまだ森岡の関心を惹きたいと思い、そうしていたが、たぶん森岡は本当に別に大した事ではないと思っていた、いや、そんな風にも考えてもいなかったのだろう。一日私の大好きなモンマルトルで遊び、ホテルに帰り二人でめかしこんで、最後の晩餐だからと張り込んだ「ロヴュション」に向かった。素晴しい料理とサービス。私はもうすっかり昨日の事など忘れていた。上等なシャンパンと料理に酔って、帰りの車の中で「オー・シャンゼリゼ」を口ずさむ私に、森岡はまた信じられない事を告げたのだった。

「さあ、これでパリもおしまいだ、どうだい、堪能したかい?」と聞く森岡に私はふざけて答えた。「もう何もかもお腹いっぱい。これ以上パリは入りませーん!」すると森岡は悪戯っ子のような顔で言った。「まぁだあるんだなぁ、これが。とっておきのパリがさ」と。私の頭をちらっと不安が掠めたが、パリでの、二人だけの甘い最後の夜のことを言っていると解釈した私は「あーら、何かしら?楽しみだわー」と応じると「お、余裕ですなぁ。よし、それじゃ早速行くとするかい」とタクシーの運転手に早口で何か指示していた。少しずつ嫌な予感が膨らんでいったが、いくら何でもまさかね、と私は一生懸命打ち消していた。「あれ、不安になってきた?大丈夫、昨日みたいな所じゃないから」と言う森岡に、私は微笑んで見せたつもりだったが、その笑顔が引きつっているのが自分でもわかった。私はもう確信していた。きっと、また森岡は私で楽しむつもりに違いない、と。そして、森岡が私の事など少しも愛していないという事を。

着いた所は普通のクラブのようだった。案内された奥のVIPルームに落ち着いて、周囲を眺めると、そこはまるで日本のホストクラブのようだった。ただし、当り前だが、そこにいる男は全てが多分フランス人であり、また卑しくも安っぽくもなかった。森岡は、私の男の趣味をもう充分見抜いており、私の周囲に傅いた5人の男は、どれをとっても私好みだった。そしてそれはそのまま大石の顔にたどり着くのだった。ワインを差し出され、フルーツを捧げられ、そうでなくてもかなり酔いのまわっていた私は、本当に頭がぼーっとしていた。そのうち一人の男に手を引かれ、フロアに下りた私は生まれて初めてチークダンスを経験した。が、私は踊っていると言うよりは、男に軽く抱き上げられてふわふわと回っているだけのような感触しかなかった。私はかろうじて働いている頭の隅で「これがパリでの最後のお楽しみだったのね、なーんだ」と思っていた。音楽がスローバラードから軽快なジャズに変わったのを機に、私と男はフロアを離れたが、私の手を引いたまま男が向かったのは、さっきのVIPルームではなかった。

「森岡はどこ?」と聞く私に男は微笑んで「こちらにいらっしゃいます」と簡単なフランス語で答えた。重厚なドアから出ると、ホテルの廊下のようになっており、ひとつの部屋の前で男は立ち止まり、私に軽く会釈をしてドアを開け、私をエスコートした。森岡はソファに腰掛けて先程の男達と談笑していた。私に気付くと「や、どうだい?パリの最後の夜を楽しんでるかい?」と聞いてきた。「うーん、何だか夢みたいだけど、私、ちょっと疲れてきちゃったかも」と言う私に「じゃ、ちょっとマッサージでもしてもらうといいよ」と森岡が言ったか言わないかのうちに、私は先程の男に傍らのベッドに運ばれ、脚をマッサージされていた。だんだん薄れていく意識の中で、私は多分全裸になり、5人の男から愛撫を受けて恍惚となっていた。向こうのソファから森岡がこちらを見つめていた。私はいったい何をしているの?こんなところで?と思いながら脳裏にちらつくのは、明らかに大石の涼しい笑顔だった。私は大きな何かに完全に負けていた。

その翌日は帰国日だった。私はただもう早く帰りたくて仕方がなかった。「さーくんに会いたい。さーくんに会いたい」ただそればかりを考えていた。そんな私に、森岡は相変わらず普段と変わらぬ態度で優しく接してきた。シャルル・ド・ゴール空港は私の心を見透かしたかのように久し振りの雨だった。機内に落ち着き、飲み物がまわったところで、森岡は話し出した。「君はずーっと例の大石君とやらの事を想っているね。4年間の授業の間も、僕はそれが不思議でならなかった。この旅行で僕は、君の中から大石君の影を消してやろうと思っていた。少々荒療治だったが、ま、それに多分に僕の趣味が入ってたことも否定はしないがね。しかし、これなら君も彼の事を忘れるだろうと思った。だが、よく分かったよ、僕の方が甘かった。君はどんな時でも結局、大石君の事を考えてるんだ。僕は、会ったこともないその大石君に完全に負けたわけだ」私はそれを、どこかで聞いたようなセリフだわ、と思いながらぼーっと聞いていた。


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