小説版・ココロノヤミ・11

ベロニカそれが何を意味するのか私にはしばらく理解できなかった。そして本当にどうすれば良いのかわからなかった。私は大石が好きだ。そして、大石も私を好きだと言ってくれている。けれど、大石は私を抱けない。大石はゲイなのだ。その大石のプロポーズを私は受けるのか。「俺はひょっとしたら一生お前を抱けないのかもしれない。だけど、一緒にいたい気持ちは本当なんだ。一生そばにいてほしいのはチサトしかいないんだよ。俺みたいなのとくっついててもチサトが幸せかどうかはわからない。だけど、お前がもし他の男と結婚するなんて事になったら、俺はどうなるか自分でも考えたくないんだ。勝手な言い分だけど、今の俺にはこんな事しか言えない。ずーっと考えてたけど、やっぱりボストンに行く前にはっきりさせておこうと思ったんだ。でも...チサトが嫌ならもちろん無理にとは言わない。俺がボストンに行ってから返事をくれてもいい。悪い返事だったらその方が落ち込まないかもしれないしな」そんなプロポーズの返事なんか、一生できるわけがない。そのシンプル極まりない答えが、私の本当の気持ちだった。

結局、私の返事を聞かずに大石は出発した。たくさんの見送りの人達に埋もれて私は大石を見つめていた。何故だかとても静かな気持ちだった。私は心のどこかで、大石が私の前から消えてしまうことに、安堵していたのかもしれない。私は疲れ切っていた。しばらく何も考えたくなかった。それからの私は、まるで気が狂ったかのように仕事に没頭した。誰よりも早く出社し、夜中までの残業もものともせず、残業のない日は映画か芝居かライブを見に行っていた。極力大石の事を考えないようにしていた。大石からの手紙も読まずに棄て、電話にも出なかった。このまま大石の残像が消えてしまえばいいと思っていた。だが、そんな事が、今まで付き合った誰にも成し得なかったように、私にもできるわけはなかった。結局私は、精神的にも肉体的にも疲れ果て、過労で倒れ入院する羽目になった。病院の固いベッドで考えるのは、やはり大石のことだけだった。

私が勤めていた会社は極めてクールな、人情味のない会社だったので、見舞いも、倒れた翌日に上司が顔を出しただけだった。私も、誰も来ない方が余計な事も聞かれずにすんでいいと思っていた。そんな私に、入院していた一週間、毎日花束が届いた。看護婦が「彼氏?いいわねぇ」と言いながら置いていく、カードもない花束に私は全く心当たりがなかった。事務所で笑いもせず、夜叉のようになって働いている私になど、誰も目もくれるはずもなかった。しかし、入院した事を知っているのは会社の人間だけだった。不思議に思いながら退院した翌々日、私は久し振りに出社した。溜まっていた仕事を片付け、私がやっていた雑用を全部やらされていたバイト君にお昼をご馳走しているとふいに彼が言った。「まさかもう出てこられるとは思ってませんでしたよ。死神みたいでしたもんね、タムラさん。でも、昨日の花束どうなったんだろうなぁ」「え?村上君だったの、あの花束?」「あれ?そういえば俺、花屋で名前言ってなかったかも。アホだー、オレー」と軽い調子で笑う彼に連られて、私は久し振りに声を出して笑っていた。

「いや、なんせ花なんて贈るの初めてだし、花屋もなんも聞かないしさ。そっかー、謎の花束だったんすねー。黙ってりゃ面白かったなー」「何言ってんのよ、何か不気味だったわよ、ホントに」「オレ、バイト来出した頃から、タムラさんって話し易いしいいなー、って思ってたっすよ。でもここ2~3ヶ月なーんかおかしくて、声もかけらんない雰囲気で...そしたら倒れちゃうし。オレ仕事で面会時間になんて行けないし、入院つったら花束かなー、って。で、何かあったんすか、なーんて聞いちゃいけないのか」私は全て話してしまいたい衝動にかられたが、三つ年下のこの軽い男に分かるわけもない、と「ちょっとね、失恋しちゃったのよ」と言った。「あーやっぱねー。んじゃま、オレとでも付き合ってぱーっとやりましょうよ、ぱーっと」いくらなんでものお手軽さに、思わず私は吹き出していた。「村上君はナニ?いつもそうやってナンパとかしてんだ?」笑いながら聞くと「いや、こう見えてもオレ、本気ですから」金髪の長い髪をかきあげながら言われても、全く本気には見えなかったが、私はこの金髪男にとても救われていた。

村上と私は結局一度も寝ないままに終わった。けれど、私は村上が好きだった。思った事をストレートに口にだすところ、駄々っ子みたいなところ、いい加減なようで仕事はちゃんとやるところ。村上は、誰が聞いても「あーあの落ちこぼれ学校ねー」と言う私立の三流大学に在学していたが、学校にはほとんど行かずバイトに明け暮れていた。「オレ、勉強キライだし、アホだから大学なんか行かねぇ、つったのに親父がとにかく大学だけは出ておけ、って聞かなくてさー、ウチの大学じゃ行ってるってだけでもうアウチだと思うんすけどねー。親父、学歴がコンプレックスなんすよ。自分が中卒でいまだに工員だから。親父、仕事好きなんだから別にいいじゃんよ、つったら、うるせぇ、ちゃんと学校行け、ってコレっすよー」と村上は、額の金髪を上げて青あざを見せた。私は下を向いて笑いながら聞いているふりをしていたが、本当は涙を堪えるのに必死だった。



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