小説版・ココロノヤミ・12

ライブ村上の話を聞いていて、私はわけもなく泣いてしまう事がよくあった。そういう時、村上は「後遺症、後遺症」と言って私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、決して深く聞こうとはしなかった。単にどろどろした話を聞きたくないだけだったのだろうが、私には救いだった。その頃では、村上のおかげで、もう死神からは復活していたが、一人になるとやはりまだ私は大石との事を考えていた。村上はバンドマンを目指していた。いつも派手なカバーに包まれたエレキギターを抱えて事務所に来ていた。村上の話すバンドの話、学校の話、自分がいかに貧乏な一人暮らしをしているかという話は、それがストレートにありのままなだけに切実だったが、村上の口からそれが語られると、私はどうしても笑いながら泣けてしまうのだった。私は村上と話すのがとても楽しみになっていた。考えた私は、花束のお礼と称して、毎日お昼を奢ってやっていた。スパゲッティやカツ丼をかっ込みながら話す村上を、私はずーっと眺めていたいと思っていた。

村上は私の事を、お昼を奢ってくれる親切な先輩、ぐらいにしか思っていなかったと思う。私の事をいいと思っていた、というのも嘘ではないだろうが、恋愛関係になるつもりは全くないようだった。私も村上の事は好きだったが、もう二度と苦しい恋愛などしたくないと思っていたので、私にとっても幸いだった。波長が合うというのかとても気があった。お互いにへんに恋愛感情を持たなかったのも良かったのか、二人でいるととても楽しかった。私は、こういうのもアリなんだなぁ、と今まで経験したことのない安堵感を覚えていた。その間にも大石から手紙や電話は来ていた。私も、かなり落ち着いて、自分の近況などをぼつぼつと手紙に書いて送ったりできるようになっていた。大石ともこんな風に付き合っていけばいいんだ、恋愛したり結婚したりしようとするからお互い無理が生じるんだ、と達観できるようになっていた矢先、私はまた奈落の底に落とされるのだった。

それは大石がボストンに発ってから1年が過ぎ、街にクリスマスソングが流れ始めた頃、大学の頃の仲間でクリスマスパーティーを開いた。ビアパブを貸し切って盛り上がったパーティーには、同窓生が呼んできた友人なども加わってかなりの人数になっていた。カラオケやゲームで大騒ぎになっている中で私は、森岡が亡くなった事など全く知らないゼミの仲間から、森岡との事を「本当は付き合ってたの?今なら話せるでしょ、え、どうなのよー、白状しなさいよー」などと追求されたりしていたのだが、その仲間の友人がいきなり私に聞いてきた。「タムラさんって、大石さんの知り合い?空港に見送りに来てたよねぇ?」森岡の事は聞けても、大石との事は私に聞けずにいる仲間達が、一瞬狼狽したのがわかった。場がしんとしてしまったので仕方なく「ええ、古い友人なので...」と私が答えると「大石さんって向こうで結婚するのぉ?ウチの課の女の子もみんな大石さんのファンでね、もうみんなして大ショックよー」私は頭から血が引いていくのが自分ではっきりわかった。

私は、自分でも気付かないうちに彼女の腕を掴んで「どういう事?誰と?さーくんが誰と結婚するっていうのよ?」と、彼女に迫っていた。友人達が、私を椅子に座らせ、飲み物を持ってきてくれたが、私は手が震えてグラスを握り締めたまま、口もつけずにいた。彼女は、大石の取引先の会社に勤めており、大石が営業で行く度に女の子達が大騒ぎだったらしい。大石から代わった新しい営業は、同年代の女の子だったらしく、彼女はその人から大石がボストンで結婚する、という噂を聞いた、という事だった。私は、自分でもどうしたらいいかわからない程、気が動転しており、友人達にタクシーに乗せられたまでは覚えているのだが、その後どうやって家に辿り着いたのかまったく覚えていなかった。頭の中では「さーくんが結婚する?誰と?」が渦巻いており、それと同時に、あー、これでまたみんなますます私に大石の事は聞けなくなったなー、とどうでもいいような事を考えていた。

私は家に着いた後、しばらく自分の部屋でぼーっとしていたが急に思い立って、夜中だという事も考えず大石の家に押しかけた。何度もチャイムを鳴らしていると、玄関が明るくなり大石の母親の「どなた?」という不審そうな声が聞こえた。「あ、私...チサトです」と答えるといきなりドアが開いてガウンを羽織った大石の母親の驚いた顔が現れた。「どうしたの、おうちに何かあったの?」と勢い込んで聞かれて、私の方がしどろもどろになっていた。「あ、あの、ごめんなさい、こんな時間に...えっと」大石の母親の顔を見て、初めて私は我にかえっていた。どうして大石の家になんか来てしまったんだろう。こんな事を大石の母親になんか聞けない、と思いながら私の口は勝手に動いていた。「おばさん、さーくんが結婚するって本当?」「...」私と大石の母親はしばらく無言で見つめあっていた。1分とも1時間とも思えた沈黙の後、大石の母親は「こんな時間だけど、チサトちゃんさえ構わなかったら上がってってくれない?一度ちゃんと話さなきゃとは思ってたんだけどね」と、薄く笑いながら私にスリッパを勧めた。



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