小説版・ココロノヤミ・14

嵐が丘どのくらいそうしていたのだろう。大石のマンションの前で佇んでいた私は、いきなり肩を叩かれて、驚いて声をあげてしまった。「やっぱりチサトだ。いつ来たんだい、びっくりしたなぁ」寒そうな大石の笑顔がそこにあった。私は結局何も言えず大石に飛びついて泣いていた。大石は全く変わっていなかった。大石の胸は暖かく、笑顔は優しくて、私は今までこだわっていた事などすっかりどうでもよくなって、いつまでも大石に抱きついたまま泣いていた。母親に怒られて泣いていた私を慰めてくれた子供の頃のように、大石は何も聞かず私の頭を撫でていた。「このまま朝までこうしてるか?二人して氷の像になっちゃうぞ」そう言いながら大石は私の背中を押して部屋に連れて入った。大石の部屋はそう広くはなかったが、予想どおり綺麗に片付けられていた。オイルヒーターをつけながら「来てくれて嬉しいよ」と言う大石に私はまた涙が止まらなくなっていた。やはり私には大石しかいない。自分でも呆れるほど繰り返した思いが、身体の芯が暖まってくるにしたがって、また私を支配しようとしていた。

大石のマンションの1階にあるカフェレストランで、遅い夕食をとりながら、私達はずーっと喋っていた。大石が自分はゲイだと告白してから、私達は一度もこんな風に、思っている事、考えている事をストレートに話し合った事はなかった。いや、中学生になったあたりから私達はちゃんと話し合った事などなかったのだ。私達は近過ぎたがゆえに、お互いにお互いの事はわかっている気でいた。そしてまた、自分の事もわかってくれているとお互い思い込んでいた。一番話さなければいけない事に自尊心で蓋をして、それがどんどん大きくなって自分達でどうしようもなくなっていた。今までの事、自分の事を話しながら、私は次第に心の中の靄がすーっと晴れていくのを感じていた。気がつくと、私ははっきりと大石に告げていた。「私はずーっとずーっとさーくんが好きだったの。あちこち寄り道したり、色々考えて諦めようとも思ったけど、それでもやっぱり私はさーくんが大好きなのよ。だから、抱いてくれなくてもいい。恋人になんてならなくってもいいから、ずーっと私のそばにいて」

言ってしまってすっきりしている私とは反対に、大石は黙り込んだ。「俺もチサトの事は大好きだよ。ずーっと付き合っていきたいし、一番そばにいてほしい。だから日本を発つ時プロポーズした。けど...チサトから返事はないし、こっち来てから色々考えたよ。どうするのがいちばんいいのか、ってさ。俺は男だし一生一人でいたっていい。何て言われたって自分の事だから別にいいさ。でも、それにチサトを巻き込むのはやっぱり良くないと思うんだ」反論しようとする私を制して大石は続けた。「チサトんとこのおじさんやおばさんの顔が真っ先に浮かんだよ。いくら俺とチサトが幼馴染だからって、そりゃ親としてはそれとこれとは別だって思うだろう。友達としてずーっと付き合っていくってのは、言葉で言うのは簡単だけど、周囲にはなかなか理解してもらえないと思うよ。いくらチサトも俺も構わない、って言ってもさ。だから、どうだろう、お互いの気持ちはわかったんだし、一致してるんだから周囲には内緒にしとくってのは。ま、付き合ってるったってちょっと違うわけだからヘンなもんだけどさ」

周囲に内緒にはしても、どんな事があろうと絶対離れないでいようね、と、私達は約束した。人に何と言われようと、そしてどんな障害に遭おうと、ずーっと死ぬまで一緒にいよう、と約束した。その夜、大石のベッドで、私達は二匹の仔猫のようにしっかりと抱き合って丸くなって眠った。私には久し振りに訪れた安眠だった。思えば、大石がボストンに発ってから今まで、私は熟睡できないでいた。村上の存在に慰められはしても、夜になってベッドに入ると、思うのは大石の事だった。大石の髪が私の鼻をくすぐって目が覚めた。私は見た夢を思い出していた。大石と私が湖のほとりを歩いている。大石がふと立ち止まり湖に小石を投げた。湖面に広がる波紋を私達はずーっと見つめていた。ただそれだけの他愛ない夢だったが、私はとても満ち足りた気分だった。その日の夕方、私は、大石の買ってくれたチケットで日本に帰った。私はやっと居場所を見つけた自分に安堵していた。幸せな気分で家に帰り着いた私を待っていたのは、大量のお見合い写真だった。

急に休暇がとれたから、大石の所へ遊びに行ってくる、と私は両親に告げて家を出てきていた。が私がいない間に私の母親と大石の母親の間でどんな会話がもたれたかは、容易に想像できた。大石はゲイなのだ。そして、私とは結婚する気はない。いくら幼馴染とは言え、そんな大石を追いかけてボストンくんだりまで行ってしまう一人娘を、うちの両親が放っておくわけはないのだった。大石の言ったとおりの展開に私は思わず笑ってしまったが、現実には笑ってなどいられない状況だった。私は、大石と私はいつまでたっても兄と妹のような関係なのだ、私が大石を追いかけているわけではない、と説明したが、ならばお見合いしても構わないだろう、と言われた。一人でいるから大石と離れられないのだ、好きな人でもいるのなら別だが、そうでないならお見合いでもしていい人を見つけなさい、と尤もな意見をされて、私は従うしかなかった。頑なに拒んだところで勝ち目はないのだし、大石との事をまた疑われるのはもっと困るのだ。お見合いならば、会うだけ会って、断れば良いのだから、と私はたかを括っていた。



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: