「2001.9.11」


    あまりの状況に言葉を失っています。胸が痛いです。
    激突した飛行機に乗っていた人々、ビルにいた人々、
    救助のために自分の命を顧みずに現場にいた人々、
    失われた命のあまりの多さと深い悲しみに絶句するばかり。
    人の命を人の命を奪うための道具と利用するなんてなんて恐ろしい…。
    失われた命のご冥福とこれ以上犠牲者が出ないことを
    ただただ祈りたいです。

    なぜこの世から争いや暴力がなくならないのでしょう…。
    人を救うはずの宗教までが争いのもとになっている…。
    テレビを見て驚いている子供達になにをどう説明すればいいのか困りました。
    可能な限り分りやすく説明したつもりだけれど
    どれだけのことを理解できたのか分りません。

    人のために自分が犠牲になる必要はないけれど
    せめてお腹がすいたとき、たった一つのパンでも分け合える、
    自分が困っている時でも思いやりをわすれない、
    そういう人間になって欲しい、そう思います。

    アメリカとしても悔しいでしょうが暴力に暴力で報復する、
    それだけは避けて欲しいと切に願っています。
    無駄な祈りかもしれませんが…。
    戦争なんて事になったら戦争を起こした当事者は一番安全なところにいて
    罪もない人々がまたもや犠牲になってしまう。
    そして当の本人はのうのうと生き延びる。

    しかしやがて報復が始まる…。

    新聞でこんなミニコラムを見つけました。
    「車窓からの景色に癒されながらアフガニスタンの人たちのことを思った。
    岩山と砂漠。古い白黒写真みたいなセピア色の景色の中で暮らす。
    樹木の緑とか花はそれこそ“太平洋に目薬”ほどにしか存在しない。
    夏は60度、冬は-40度。その過酷さの中で貧しさに耐えているのだ。
    それに比べて日本のこの穏やかで恵まれた環境はどうだ。
    生まれ育った環境はその人の人生観や世界観の形成に大きく響く。
    宗教だって違って当然だ。食欲の秋、食べ過ぎに注意とか、
    ダイエットとかぜいたく言っている先進国のモノサシでは彼らを計れない」

    またニュースでは名古屋に住んでいるアフガニスタンの方が
    「市民が犠牲になるのは今に始まったことではない。
    20数年も前から(ソ連のアフガン侵攻)続いていること。
    もしこれで春が来るのなら、朝起きた時に聞こえるのが
    爆弾の音ではなくて音楽なら、幸せかもしれない。」
    と泣きながら話していました。
    お腹がすけばご飯を食べ、病気になれば病院に行く。
    テレビを見たり音楽を聴いたり、
    私たちにとって当たり前のことと思っていることが
    当たり前でない人々のほうがこの世の中には多いのかも知れません。

    テロは絶対に許されないことだけど、罪もない人々を死に追いやったり
    傷つけたりするのはテロに等しいことではないのでしょうか?
    テロは許されないけど空爆は戦争は正義!? そんな馬鹿な!!

    アフガニスタンは国民の30%が飢餓状態にあり60%が栄養失調だとか。
    今の日本には考えられないことです。
    日本の戦後の復興は多くの人々の努力のおかげ。
    プロジェクトXを見ているとしみじみ感じます。
    気候の厳しさ、干ばつ、ソ連の侵攻etc. 考えただけでも絶望しそう。
    タリバンは日本でいう過激派。
    アフガニスタンの人々全てが悪いわけではないはず。
    生活水準が上がれば状況はもっと変わると思います。
    日本はアメリカに追随した派兵ではなく難民への援助、
    復興への手助けをすべきだと私は思うのです。

    湾岸戦争の時の原油を持ったクウェートと違って
    なんの資源ももたなかったアフガニスタン。
    それ故に世界から知らん顔されてしまったのでしょうか…。
    復興会議が行われカルザイ議長の話は心に深く刻まれました。
    いまあの国は新しい一歩を踏み出す。
    女性や子供が教育を受け「医者になりたい」
    遠慮がちに語った女性の夢も叶うはず。


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