古代のロマンをたずねて part.3

古代のロマンをたずねて part.3

恭仁京



恭仁京(くにきょう、くにのみや)は、奈良時代の一時期、都が置かれた山背国相楽郡の地。
現在の京都府木津川市にあります。



天平十二年(740年)聖武天皇は「恭仁京に幸す」と宣言して平城京から遷都してきました。



聖武天皇が恭仁京に遷都した理由は明らかではありません。
恭仁京はわずか5年余りの短命な都でしたが、大極殿を始め金堂部は後に山城国分寺として再利用されました。






山背国分寺跡






横には祠が建てられてありました。





祠




なぜか『恭仁京大極殿』と書かれた碑が倒れたままです。


恭仁京大極殿






大極殿や金堂の跡地の東側は七重塔跡の礎石もありました。






国分寺跡




当時は相当広い範囲内が恭仁京の敷地内だったのでしょうね。
それにしても、なぜ聖武天皇は平城京、恭仁京、難波宮、信楽宮と逃避行のような遷都を繰り返したのでしょうか。


それにしても、天皇の気まぐれのような遷都に付き合わされた周りの人たちも相当大変だったに違いありません。


また、その費用は民衆の税金が使われたのだと思うと何とも言えない気持にもなります。


当時のことを考えながら加茂駅まで歩いたのでした。



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: