古代のロマンをたずねて part.3

古代のロマンをたずねて part.3

花山院





本当は、バス停から歩いて登ってくればよかったのかもしれませんが、良心も一緒だったので急な坂道を山門まで車で駆けのぼりました。



花山院・山門




山門をくぐり、階段を上っていくと本堂があります。
何とも気持ちの良いお寺だと思ったら、御住職が一日に何度もお掃除をするのだそうです。
どこもかしこも、箒の跡が美しく踏むのがもったいないくらいです。




本堂



三角の美しい山が近江富士です。
大阪湾まで良く見渡せます。



景色



ところで、花山法皇と言えば皆様は何を思い出されるでしょうか。



私にはどうしても、平安華やかなりしころ、浮名を流しまくりスキャンダラス発覚しまくりのまさに、『平安の好色一代男』というイメージが強いのです。


伯父にあたる第64代円融天皇が即位していた時に、わずか生後10カ月で皇太子に任命され、その円融天皇の退位を受けて第65代花山天皇として即位したのが17歳の時でした。


しかも、なんとその即位の最中にかいがいしく式典の準備をこなす下級女官に一目ぼれ、そのまま高御座(たかみくら)の中に引っ張り込んで…、は有名な話です。


肝心の即位式では、「冠が重たい」と言って怒ったり、狭い清涼殿の庭で馬を乗り回して周囲を困らせたりの奇行が目立ったりもしました。


また、即位と同時に入内した皇后、よしこを愛しラブラブ状態ながら翌年、彼女がお腹に赤ちゃんを宿したまま亡くなってしまうと、突然行方不明となり、即日出家という一大事を起こしてしまいます。


母方の叔母に手を出したかと思えば、すぐ飽きて弟へ譲り、乳母子の中務をを妊娠させている間に、その娘も妊娠…。


とうとう、内大臣・藤原伊周(これちか)と弟の隆家に、衣の袖を矢で射られるという殺人未遂され事件まで起こしてしまいます。


実は、伊周さんの愛してやまない藤原為光の娘にまで手を出してしまったからなのです。


しかし、これは伊周さんの勘違い…、花山法皇が狙っていたのは同じ屋敷に住む妹の方でした。


でも、今までの所業故勘違いされても仕方がないですよね。


しかし、この事件が公になり伊周さんと弟の隆家の二人は流罪となってしまいました。


…で、その即位から2年後のことです。
愛するよしこさんを亡くして落ち込む花山天皇に、兼家の三男道兼が囁きかけます。
「お気の毒に…、悲しいでしょう。私が一緒に出家しますので、どもにお寺に行きませんか?」


傷心の花山天皇は優しくしてくれた道兼にすっかり心を許し、天皇の証である三種の神器を皇太子に預けて、即日出家してしまいます。


しかし、花山天皇の出家を見届けた道兼は自分は出家せずに姿をくらませてしまいます。
やっと気付いた花山天皇でしたが後の祭り…、してやられたりです。
次期天皇は一条天皇、兼家の孫です。



それにしても、波乱万丈の花山天皇ですが、多くのことを学ばせてくれます。
人は努力して手に入れたものは大切にしますが、何の努力もなく与えらたものはその値打ちに気がつかないものなのかもしれません。
過保護のお母様方、子供には与え過ぎては良くないのかもしれませんね。



そして、その藤原氏との政争に完全に敗れ退位した御剃髪し法皇となります。
やがて、弘法大師が巡ったという西国各地の寺院を巡拝したことが西国観音霊場の始まりと伝えられています。



隠棲生活を送った花山院は札所の特別番外とされ、今も参拝者の後が立ちません。



山麓の集落尼寺には、都より法皇を追ってこの地へ来た弘微殿女御と女官たちが、女人禁制の山中に入れず、草庵を結び暮らしたと伝えられています。




12人の妃




山中で修行する法皇に聞かせたいと登り口の坂でことを弾いたことから、参道の坂を琴弾き坂と呼ばれています。




坂




中央の五輪の塔はこきでん女御のもので周囲の十一基の石と合わせて十二妃の墓と呼ぶのだそうです。





十二妃




スキャンダラスで女好きな花山法皇ではありますが、この方が弘法大師さんが波乱万丈の人生を送りその終焉に巡ったお寺を回ったのが西国三十三ヵ所の始まりで、今の私達がそのあとに続いて巡っているのです。
花山法皇さんがいなければ西国巡りもなかったのかと思うと、人は何かしらお役目をもって生まれてくるのだと思ったりもしたのでした。




さて、十二妃達もどんな思いで琴を弾いていたのでしょうか。
色々なことを考えさせら得る参拝でありました。




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