古代のロマンをたずねて part.3

古代のロマンをたずねて part.3

赤穂大石神社


駅の観光案内所で電動自転車を借りての快適な自転車旅です。
まずは、花岳寺です。


花岳寺



そして、赤穂城跡


赤穂城跡


そして、赤穂大石神社と赤穂浪士達です。


赤穂大石神社



中国の兵馬俑を作る技術者を招き作られているのだそうです。



赤穂浪士





本当のことを言えば、私は赤穂浪士のお話はそんなに好きではありません。
そもそも赤穂浪士とは、どんなお話なのでしょうか。



【赤穂浪士】
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して江戸城殿中において刃傷に及ぶ。浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹となり赤穂藩は改易となった。遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(四十七士)が翌15年12月14日(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介を家人や警護の者もろとも殺害した。この一連の事件を指す。



う~ん、私には何だかよく分かりません。
もう少し最初のところを詳しく考えてみましょう。


事件の発端は1年半前、元禄14年3月14日午前11時頃のことです。
赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が、江戸城・松の廊下で吉良上野介
(きらこうづけのすけ)義央に斬りかかる事件がありました。


浅野内匠頭は皇室の使者を迎える準備に携わっていたのですが、そのおり、要領がわからずに吉良上野介の不興を買って馬鹿にされたため、発作的にこのような愚行に及んだと言われています。


つまり、仕事の要領がわからず馬鹿にされて、発作的に愚行に及んだということなのでしょうか。


なんだか、今の社会のどの会社でもありそうな話です。
意地悪な上司や、お局さんはどこにいて本当に頭にきます。
しかし、暴力はいけません。


確かに、裁きの末に切腹とは悲しすぎますがそもそもこの時代であれば当然のことだったのかもしれません。
本人も納得の上での切腹でしょう。


それを、主君の仇打ちだと言って多くの人が討ち入りをして、その人たちも切腹してしまう。
しかも、その切腹は本人達も承知の上のことなのです。
私には、何が良いのかさっぱり分かりません。



それに、吉良上野介の子孫の方も気の毒です。
その事件からもう、何百年もたっているのにいまだに悪役の子孫なのです。
もう、いい加減に忘れてあげても良いのではないでしょうか。
こんな考えは私だけなのでしょうか。



さて、前置きが長くなりましたが、古寺名刹巡拝の旅完全制覇に向けてやはり避けることが出来なかったので、赤穂大石神社へ行ってきました。
(ちなみにあと2社、神峯寺と伏見稲荷の2社を残すのみです。)



実は、一週間ほど前に三田村邦彦さんがテレビ大阪で赤穂の町を紹介されていました。
そこで見た、塩ネギ蕎麦があまりにも美味しそうだったので、それも食べて来ました。
赤穂の塩水で育てられたネギがいっぱいはいった蕎麦やうどんなのです。
私はうどんの方を食べましたが、甘みがあるおいしいネギでした。


その番組で、ちょっと興味深い神社が紹介されていました。
伊和都比売神社です。
実際に行ってみると、本当に素晴らしい神社でした。
本当に赤穂まで行った甲斐があったというものです。
宝物を見つけたような感動でした。
次回は、その伊和都比売神社をUPします。


最後になりましたが、赤穂浪士ファンの皆様、勝手な意見を述べてしまいました。
詳しいことはよく知らないのです、済みませんです。
深い考えがあってのことではございません、どうぞお許しください。


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