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仁徳天皇陵
仁徳天皇陵です。
仁徳天皇は大変素晴らしい政治をしたといわれています。
あるとき、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除しました。
そして、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという話が、記紀の逸話に見られます。
そのため、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来するのだそうです。
ただ一方で、記紀には好色として描かれてあります
特に、皇后の嫉妬に苛まれる人間臭い一面も伝わっていることは興味深いものがあります。
御陵の周りは歩いて一周できます。
3キロちょっとでいい散歩コースです。
正面から見て左側に5分くらい歩いたところに仁徳天皇の皇后、磐之媛の歌碑があります。
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
君が行き 日け長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
かくばかり 恋つつあらずは 高山の 磐根し枕まきて 死なましものを
秋の田の 穂の上へに霧きらふ 朝霞 何処辺いづへの方に わが恋ひ止まむ
磐之媛はこのような激しい恋の歌を歌っています。
自分から心が離れそうな夫に、待っていますよ、待っているのですよと訴えています。
『古事記』や『日本書紀』には大変嫉妬深い人であったと書かれています。
と、いっても辛抱できないのが男で仁徳天皇は、吉備の黒姫が美人だと聞いて愛したのです。
しかし、黒姫は皇后の嫉妬に恐れをなして吉備に帰ってしまいました。
天皇は高台たかどのに登り、黒姫の船が海に浮かんでいるのを望み見て
沖方おきへには 小船をぶね連つららく くろざやの まさづ子吾妹わぎも 国へ下らす
とお歌いになられました。
これを聞いた皇后(磐之媛)は、大変怒って、
人を港に遣わして黒姫を追い下おろして、歩いて帰らせました。
こうなるとますます恋しくなるのが男、天皇は『おれは天皇だから国見しなければならない、淡路島を見てくる』と出かけられたのです。
そして、島伝いにとうとう吉備の国に黒姫に逢いに行ってしまわれました。
黒姫は喜んで天皇に食事を差し上げました。
黒姫が野菜を取るところに出かけて天皇は
山がたに 蒔まける 青菜も 吉備人と 共にし採つめば 楽しくもあるか
(仁徳天皇も共にし採つめば 楽しいなんてうまいこと言いますよね。)
と歌い、天皇が帰る時、黒姫は別れを惜しんで歌を奉りました。
倭方やまとへに 西風にし吹き上げて 雲離れ 退そき居をりとも 我忘れめや…。
この後、皇后が祭祀のため御綱柏みつなかしわを採りに紀の国に出かけられた留守に、天皇は八田若郎女・やたのわきいらつめを宮中に入れました。
(吉備の黒姫だけで飽き足らず、紀の国の八田若郎女にまで手をだしたのです。)
これが「天皇は、八田若郎女を召して昼夜戯れておられる、皇后はご存知ないが・・・」と皇后の耳に入ったからたまらない。
磐姫皇后は船に乗せた御綱柏をすべて海に投げ込み、淀川を遡り、山背やましろの筒木つつ゛きの韓人からひと、奴理能美ぬりのみの家に入り、天皇からのお使いが何度遣わされても、天皇自ら迎えにいっても、難波の高津の宮に帰らず、とうとうそこで亡くなってしまった。
つまり、嫉妬に狂った磐之媛は仁徳天皇の元には帰らなかったということですね。そして、天皇が自ら迎えに行っても気持は揺るがないで、ついにそこで亡くなってしまったというのです。
さて、これら万葉集や古事記の記載からどんなことが読みとれるでしょうか。
まず第一には、古代にあって結婚は『通い婚』であったということですね。
そして、庶民の生活は農業が中心で、農業は無から有を生む仕事であり、生む能力のある女性が働く、女性は生産力、経済力の源であり、神秘な力を持つと考えられたのだそうです。
したがって娘は貴重な財産であり変な“ムシ”が付いたら困るので母親が厳重に娘を見張る。
しかし、男は娘のところに通ってくる。
天皇でも誰でも通うのであす。
男が女のところに夜通ってくるわけだから、女の人は男を待ちに待ちます。
待つといっても家の中で待つのではなく、外にでて夜露に濡れるのも霜が降りるのもかまわず立って待つのである。だから、万葉集には女性の『待つ』歌が多いのですね。
この磐姫の4首の歌も、ごくフツーの女がしばらく通ってこない男を待ちかねている歌、だれでも歌っていた民謡のような歌だと考えれば良いのかもしれません。
つまり、磐之媛一人の歌ではなくその当時の女性の気持ちを代弁していると考えることもできるのかも知れませんね。
次に、当時は一夫多妻で、権力者は多くの妻を持っていました。
仁徳天皇の頃は、河内王朝とも呼ばれ、天皇(もちろんこの頃天皇の呼称はまだなく、大王とよばれていたのですが、)の王権はかなり強くなっており、仁徳天皇が吉備の黒姫を召したというのも、吉備の豪族を服属させていた、ということを物語化したと解すべきなのでしょう。
つまり、天皇が好色で何人もの女性に手を出した光源氏のような存在というよりも、王朝同士の力関係と考えることもできるのです。
磐姫は有名な武内宿禰の孫にあたり、父は葛城襲津彦かつ゛らきのそつひこの娘です。
葛城氏は現代の金剛・葛城連峰の麓を本拠地として4世紀末から5世紀にかけて栄えた豪族で、天皇家と婚姻関係を重ねたが、後、天皇家と対立し衰えたと考えられています。
天皇の浮気は、強大な天皇家と没落しつつある葛城氏との関係の投影と言うように解釈することもできるのでは…。
さて、磐姫の陵とされる古墳は平城京の北、水上池のほとりにあります。
私はまだ行ったことがないのですが、是非一度訪れてみたいところの一つです。
犬養先生は『御陵の掘のところでクツクツクツとして水の泡が浮かんでくるのを見ていると、今もうらんで、堺の仁徳天皇陵の方を睨んでいらっしゃる』とおっしゃっていられたそうです。
『仁徳陵』の堀の西側に犬養先生の歌碑があります。
磐姫皇后の『ありつつも 君をば待たむ・・・』の歌で、1600年の年を経てご夫婦の邂逅がなされたのでしょうか。
仁徳天皇陵の前に大仙公園があります。
私はちょっと歩き足りないのでそちらの方も散歩することにしました。
とても綺麗な公園です。
歩くと気持ちがいいものです。
千利休の銅像もありました。
堺は、仁徳天皇、千利休、与謝野晶子など有名人がたくさんいますが、時代はバラバラです。
太古の昔から現在までいつも大阪人にとって大変ゆかりの深い場所です。
堺という土地そのものが大阪人だけではなく日本の宝ですね。
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