あかねさす 紫の 「蒲生野」


車で八日市インターで降り、憧れの地「蒲生野」を目指します。

「蒲生野」は万葉集に出てくる額田王(ヌカタノオオキミ)と大海人皇子(オオアマノオミコ)の歌で有名です。

  あかねさす 紫の行き 標野ゆき
  野守は見ずや 君が袖振る

  紫の にほへる妹を 憎くあらば
  人妻ゆえに 我恋ひめやも

時は天智天皇7年近江平野に燃えた恋の一幕である。
額田王と大海人皇子(後の天武天皇)はかつて結ばれ、十市皇女(トオチノヒメミコ)という娘までなした。
彼女もこの年22歳で、すでに天智の息子、大友皇子の妃になっている。
ただし、天智天皇即位後、額田王は大海人から、天智のもとへ移っていたらしい。

663年都は大津に移されていた。
「遊狩(ミカリ)は5月5日の薬狩りのこと。
男は鹿狩(鹿は若さを取り戻す薬とされていた。)をし、女は薬草摘みをするのだそうだ。

薬草摘み、狩の最中に人目のないところで偶然出くわした二人、

「草摘みに紫野を、標野(しるしをした土地)を私はやってきた。ああ、あなたが馬の上から袖を振っている。すてきだわ、でも番人が見ていたらどうしましょう。」

「紫が匂うように美しいあなたを憎くなければ、人妻と知りながらどうして恋しようか」

と歌い交わしたというのだが、じつは…。

狩猟の後の宴会をした場所が蒲生野というところなのだが、それが私が今日行ったこの辺りなのだそうだ。

車は舟岡山の麓阿賀神社の前に着いた。

阿賀神社

そとからみると、そんなに大きな神社のようには見えないが、中へ入ると神社の横に山へ登る小道がある。
その道を登っていくと舟岡山の頂上に着いた。
頂上は近江平野が一望できる。
そして、そこには先ほどの歌が刻み込まれた万葉歌碑があった。

船岡山

今日は近くの小学生がたくさん来ていた。

「こんにちは」とみんな声を掛けてくれる。
私たちも「こんにちは、どこから来たの?」と聞くと、

「小学校から4キロ歩いて来てんで、おばちゃんたちはどこから来たの?」
と聞いてきた。
「4キロ、よく頑張ったね。おばちゃんは大阪からやで。」と答えると、
「へ~え、遠いところからきてんね。」と可愛い声が返ってきた。

「壁画を探してるねんけど、知らない?」と聞くと、
「知ってるで、この下の広場やで。」と教えてくれた。

さっそく、お礼をいって広場へ降りて行った。

すると、あった、あった。
多分、女性は額田王と鏡王、そして、男性は天智天皇と大海人皇子ではないだろうか。

壁画

次は、額田王が幼少期を過ごした真照寺と鏡神社と御上神社を目指します。
そのお話は明日の日記で詳しく書かせていただきますね。





© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: