近江・大津宮


少し歩いて、近江神宮に着きました。

近江神社1

近江神宮の御祭神は天智天皇です。
天智天皇は今から1350年ほど前に大化の改新を行いました。
また、667年都を近江大津に定められました。

大津内裏には漏刻(水時計)を設置、時報を定め告知されました。
日本で始めての時計です。
6月10日「時の記念日」は、天智10年4月25日「始めて候時(とき)を打ち鐘鼓を動かす。始めて漏刻を用ふ」と日本書紀に記録される日を太陽暦に換算したものだそうです。

水時計

近江神社に漏刻の模型がありました。
また、時計博物館があったのでちょっと覗いてみました。
珍しい時計とかたくさんあって面白かったですよ。

近江神宮門

この日はお宮参りの赤ちゃんが何人かいたり、車のお払いをしていただいている人たちもいました。

桜がとても綺麗でした。
近江神宮を出て近江神宮駅に向かう途中に「近江大津宮錦織遺跡」がありました。

大津京跡

大津宮は、天智6年(677)に、中大兄皇子が飛鳥より遷都した宮です。
遷都は663年の「白村江の戦い」での敗戦によって、国内外情勢が揺れ動く中での皇子の断行でした。
そして、皇子没後の672年、実弟大海人皇子と実子大友皇子との間に起こった「壬申の乱」によって、わずか5年5が月で廃されました。

大津宮は『日本書紀』に「浜台」「大蔵」「宮門」「漏刻台」「内裏仏殿」などの建築物に関する記述がある程度で、その正確な位置や実態は長らく謎に包まれていました。

しかし、昭和49年に大津錦織で行われた発掘調査によって、ついに大津宮に関する遺構が発見され、その後進められた調査の結果ここが宮の跡地であると推定されました。

長い間謎に包まれていたために実はその上に住宅が建ち、本当にここに宮があったのかしらと思われるほどの住宅地になってしまっています。
たまたま、引っ越されたのか発掘できる状態に一区画とか二区画とか開いた土地を発掘したあとがありました。
今は公園のようになっています。

大津京跡2

私が小学校や中学の歴史の時間には大津宮はまだ発掘されていなかったのか習った記憶がありません。
今、このようにして研究が進み本当に、天智天皇がここで大津宮を開いておられたのかと思うと、その現実の歴史の上に立っているのかと思えば感慨深いものがありました。

この後、弘文天皇(大友皇子)陵、大津歴史博物館、三井寺、天智天皇陵へとまだまだ続くのですが、それは次回のお話とさせていただきます。

久々に書いたのに訪ねてきてくださった方がいてとても嬉しく思いました。
覚えていてくださったのですね。
忙しくてなかなかPCのまえに座ることが出来ず忘れられたのではないかと、ひやひやしていました。
ありがとうございます。









© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: