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DD51701ほか重連牽引:貨物列車(函館本線山線)DD51シリーズ、今回は国鉄時代に函館本線で撮影した貨物列車を1枚。山線ではその名のとおり、殆どが山間を結ぶ路線であり、小樽~手稲間の辺りのみ海沿いを走ります。風光明媚でありながらも撮影に適した足場がなく、非常に厄介な場所です。2度目に渡道した際、そんなことも知らずに撮影に訪れましたが、当時は積雪が多かったため、雪を頼りに崖を昇り降りするという常套手段により撮影することができました。※撮影は、昭和56年3月19日、銭函~張碓間にてDD51701ほか重連牽引 上り貨物列車ここでの撮影の目的は山線経由の特急「北海」でしたが、待機中に偶然撮ったのがこの写真です。山線経由の貨物列車らしく、2軸の黒屋根貨車ばかりで組成され、勾配に備えた重連仕業になっていたようです。この時代は有人各駅では貨物の取り扱いが残っていた場所も複数あり、当たり前のように貨物列車が走っていました。
2025.01.31
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JR貨物 EF200:EF200-14牽引 貨物列車国鉄民営化後、次世代の幹線電気機関車としてJR貨物が開発し、平成2年に製造されたEF200形電気機関車。901号機で2年ほどの試験を行い、平成4年から量産車が誕生し、20両が製造されました。満を持して製作された高性能電気機関車でしたが、発電所に掛かる負荷が大き過ぎることが判り、景気の後退と共に輸送量減が見え始めると地上設備強化に対する旅客鉄道側との折り合いが付かなくなり、已む無くEF66並みに出力を下げて運用することとなり、宝の持ち腐れ的な存在となってしまいました。その後、汎用の後継機EF210形へとシフトされることとなり、高性能が生かされることなく早いうちから廃車が進みました。そして令和元年3月をもって完全に運用から撤退し、このまま消滅形式となってしまうようです。東海道方面への撮影回数はそこそこあったのですが、東海道本線での運用は既に激減していたためか、このEF200に出会う機会は殆どなく、写真が見つかったのはたった2コマだけでした。平成21年8月23日 柏原~近江長岡間にて EF200-14牽引 下り貨物列車中京地区への編成の際、足を延ばして有名撮影地へ。この時に偶然撮影したEF200でしたが、当時はまだまだEF660番台が活躍していたこともあり、新鋭のEF200にはあまり興味を持っていませんでした。平成22年7月25日 岡山駅にて EF200-14牽引 上り貨物列車四国へ遠征の際、こちらも足を延ばして岡山へ。折り返し待ち時間での駅撮りで偶然に捉えたものです。上の写真から1年しか開いていませんが、この時は既に危機感を持っていたように記憶しており、やっと2枚目が撮れた感じがしました。早めに引退した901号機に続いてバタバタと倒れて行ったEF200。首都圏での撮影機会は皆無となってしまい、結局はこの2枚だけしか記録に残せませんでした。しかも、まさかの同じ14号機だけとは・・・縁のない形式だったようです。
2025.01.30
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JR東日本 EF65PF牽引:キヤE193系検測気動車JR東日本管内の非電化区間における軌道や信号機器などを検測する試験車キヤE193系。同車は秋田総合車両センター南秋田センターに所属しており、非電化区間の無い地元ではまず見ることのできない車両ですが、千葉県内には非電化区間が存在するため、武蔵野線を経由して回送されることもあります。ただし、検測しながら移動するわけではないため、電気機関車に牽引されることになります。これは移動区間途中に気動車運転士が居ない区間が存在するためと思われます。JR東日本では新規の機関車製造がなくなり、現在残っている機関車が廃車になるとそれ自体が消滅するすることになり、その未来もすぐそこまで迫っているようです。今回は、キヤE193系を回送する列車を1度だけキャッチできたことがありましたので、田端のEF651000番台の記録の一つとしてご紹介したいと思います。※撮影は、平成22年2月19日、与野駅付近にて。団体列車「美里 雪の夢列車」と合わせてもう1本のターゲットであったキヤE193系の送り込み回送。今まで何度と無く機会がありながらも逃してしまっていた同車を初めて見ることが出来ました。団体列車とタイトなダイヤの中で無理に撮りに行ったため、結局は大した写真にならずに終ってしまいました。休日に走ることが少ない試験車だけに、ちょっとね・・・という出来栄え。機関車牽引による回送ですが、エンジンはアイドリングしているのが分かりました。今後は例の電車で牽引するようになるのでしょうか?
2025.01.29
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ED75757牽引:12系お座敷客車「江戸」過去ログでも12系お座敷客車「江戸」をご紹介しておりますが、フィルムスキャンをしていなかった写真の中にもう1枚、ED75が牽引する12系「江戸」の写真がありました。画質は良くありませんが、あまり撮っていなかった「江戸」ですので、アーカイブしておきたいと思います。※撮影は、平成6年2月2日、中山宿~沼上(信)間にて。ED75757牽引 12系お座敷客車「江戸」磐越西線を行く下りの団体列車です。冬のD51として恒例になっていた1月末~2月初旬の磐越西線では、閑散期となるこの時期においても団体列車が必ずと言って良い程運転されました。この時もSLの待ち時間に下りの団体列車を捉えることが出来ました。35mmネガフィルムで撮影しており、大体はピンが甘くアップにすると不鮮明になってしまうのですが、この写真をアップにしたところ、牽引機がED75757であることがしっかりと読み取れました。ED75757号機は、語呂の良い番号が幸いしてか長く現役で稼働していましたが、令和6年10月に廃車となってしまいました。『EF6439牽引:12系お座敷客車「江戸」』『EF5861牽引12系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」』『ED75重連牽引:12系お座敷客車「江戸」』
2025.01.28
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JR東日本 チ1000永らくレール輸送に活躍していたチ1000形貨車。国鉄時代の昭和32年から37年に掛けて200両が改造により誕生しており、残存車は50年を超える長寿車両です。しかし、ここに来てJR東日本にもキヤが導入され、その活躍も終息となってしまいました。特に、チ1000形にはゾロ目のチ1111が存在し、何度か目撃したことがあるものの結局捕獲することができず、悔しい思いをしていました。しかし、ここに来て朗報というか、今回の廃車に当たり小湊鉄道へ譲渡されたという情報が入っています。いずれご対面できる日が来るかもしれません。チ1179チ1057いずれも平成22年2月20日、大宮操車場に留置されていたレール運搬車両の遊車を撮影したものです。チ1000形は主にレール運搬用の遊車としてチ+チキ+チで編成されることが多かったと思いますが、国鉄時代は工場配給車代用に指定されていたものもあり、車輪を載せた車両を良く見かけました。大宮操車場勤務時代は、配給車代用やチキとは関係なく単車の空車に良く添乗したことがありました。チキ同様、落とし込み式の手すりとなっているため体勢が厳しく、添乗するのには嫌な相手でした。あまりにも地味過ぎて、撮影する機会も殆どありませんでした。わき役としてNゲージでも揃えておきたい車両ですが、車体が薄っぺらだけにウエイトの処理も難しく、スケールモデルとしての製品化はちょっと厳しいでしょうかね。
2025.01.27
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JR東日本 DE10:越中島支線チキ工臨新小岩駅から総武線を並走し、越中島へと伸びる総武本線越中島支線。現在はレール輸送列車のためにあるような専用線となっていますが、かつては小名木川貨物駅があり、コンテナ輸送が行われていました。高校生の頃、小名木川駅近くにある江東区体育館に何度か足を運んだことがあり、小名木川の鉄橋を渡るDD51牽引の貨物列車も見たことがありましたが、当時はコンテナ専用列車など全く興味がなく、写真など1枚も撮ったことはありませんでした。それから30年が過ぎ、いつの間にか小名木川駅も無くなっており、ほぼ縁のない地域でしたが、たまたま現場回りの際に越中島支線を通るレール輸送列車の回送シーンを撮ることができました。※撮影は、平成24年9月28日、越中島支線にて。当時は貨物時刻表を手に入れており、おおよその時間は把握していましたが、運転されるかどうかは運次第。仕事現場からは南砂駅前まで15分くらいあったか、さらにそこから歩いたので、現場からは都合20分くらいの距離がありました。これで列車が来なかったらガッカリですが、予想よりちょっと遅く、午後の仕事までの限界以内になんとか来てくれたので非常にラッキーでした。牽引機はDE101202で、調べてみたらこのカマも実はレアモノ。それはまた別の機会に。牽引されていたのはチキ6000だとばかり思っていましたが、良く見ると車体の長いチキ5500でした。その名のとおり、コキ50000形の増備により余剰となったコキ5500を改造した車両で、すべてレール輸送を目的とした用途で誕生した長物車です。この形式はじっくり撮ったことが無く、記録も全然なかったのですが、運搬具を装備した状態の写真だけでも記録できて良かったです。※撮影場所となったこの跨線橋(新砂跨線橋?)。訪問時においてもちょっと劣化した様子でしたが、その後通行できなくなったそうです。この跨線橋は、元々株式会社IHIの所有物で、社員の通勤通行用に設置されたそうで、一般にも開放していたようですが、老朽化と社員用としての使命が終っているということで、この記事現在では既に撤去されてしまっているようです。
2025.01.26
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215系:「湘南ライナー」令和3年3月ダイヤ改正において運用から離脱した215系。しばらくは疎開留置されていましたが、廃車による配給輸送が行われました。185系により運転が始まった「湘南ライナー」ですが、直ぐに好評となり、15両編成でも売り切れになることが多かったため、座席定員を大幅に増やした215系電車が導入されることになります。平成4年のことでした。以来、「湘南ライナー」をメインに昼間の「快速アクティー」や多客の臨時列車にも使用されるようになりましたが、2ドアという特殊性から遅延を招くことが多くあったため、昼間の定期運用からは撤退してしまいました。通勤の関係で新宿駅に停車中の215系を目撃することは良くありましたが、列車としては「ホリデー快速ビューやまなし」以外に撮影したことがなかったため、やはり大手町勤務時代に数回だけ接する機会がありました。※撮影は、すべて東京駅です。平成29年4月26日 「湘南ライナー9号」平成29年5月11日 「湘南ライナー3号」平成29年9月26日 「湘南ライナー9号」平成31年1月4日 「湘南ライナー3号」平成31年1月22日 「湘南ライナー9号」3号は残業帰り、9号は飲み会帰りに当たっていたようですね。215系はサボが幕式なのですが、ヘッドマークがかなり小さいのが難点でした。185系「湘南ライナー」は車両の交代という意味で仕方のない廃止ですが、215系は普通列車用の車両であるためさすがに特急列車として続投することは出来ず、煽りを喰ってしまったような引退となってしまいます。特殊な車両のため、他線区での活用は難しく、廃車解体も時間の問題でしょう。215系:快速「ホリデー快速ビューやまなし」JR東日本 215系:こんなところで編215系の点検蓋
2025.01.25
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181系・489系:臨時特急「新雪」上越線へのスキー客の足として誕生した臨時特急「新雪」。時代は特急列車自体が高級なものでしたから、これに乗ってスキーにいけるというと、かなりお金持ちだったのではないでしょうか?庶民は急行列車が当たり前であり、冬季には数え切れないほどのスキー臨が設定されました。昭和48年1月 上野駅にて 181系「新雪」 ※金町のHさんより画像提供。「新雪」には波動用の車両が充てられており、181系が主たる使用列車。485系のピンチヒッターもあったような?その後、冬は暇となる幕張区の183系0番台が充てられるようになり、さらには183系1000番台、185系などもあったようです。クハ489 200番台貫通型「新雪」クハ489 0番台ボンネット型「新雪」クハ489 500番台ボンネット型「新雪」以上、昭和56年1月~2月に掛けての運転日 上野駅にて使用車両の中でも異色だったのが489系の充当。夕方に上野駅に到着する特急「白山」の間合使用で運用されました。17時少し前に到着した「白山」のヘッドマークを直ちに交換します。上野発着の特急は基本的に上野駅内でヘッドマークを交換することになっており、到着後直ちに変えるというのが一般的であったため、チャンスを狙っていた訳です。予想は当たり、ヘッドマークを持った作業員が現れたときは嬉しかったですね。しかも、181系時代のヘッドマークをそのまま使用していました。この頃は上野駅の現役アルバイト生だったので、経験が生かされました。こちらはボンネット型のヘッドマークのアップです。漢字の「新雪」の上半分は雪印が積もったデザインになっているんですね。これは感動モノでした。貫通型にはシールが貼られました。全てのトレインマークがイラスト化されて久しかったので、文字マークのローマ字表記入りお得感がありました。改めて時刻表を見返してみると、昭和57年2月まで「新雪」が設定されており、特に同月の運転日が結構あるんですよね。おそらく183系1000番台か、185系も充当されたのではないかと思われますが、1枚も撮っていなかったのはちょっと悔いが残ります。その後、「シュプール」号が広範囲で運転されることになり、発展的解消を以って「新雪」の名前は消えました。
2025.01.24
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国鉄 ディーゼル機関車:DD1620(大宮工場)※本記事は、2015-09-28に投稿したもので、当時の表現になっています。DD16型ディーゼル機関車は、亜幹線の無煙化に際し貨物列車用に導入された小型機関車です。昭和46年から49年までに65両が製造され、亜幹線貨物列車の無煙化に貢献しましたが、昭和50年代半ばにはローカル線の貨物扱いの廃止、さらには特定地方交通線も路線ごと廃止になり、用途が失われました。また、入換きに重宝しそうな機体でしたが、昭和59年の貨物大合理化や、客車列車の電車・気動車化によってDE10やDE11までが大量余剰となったため、入換機としての行き場もなく、わずか10年強程度の車齢で大多数が廃車となりました。民営化後も少数ながら引き継がれ、現時点においても2両が在籍していますが、これ以外にも工場の入換用として残存したものが数両いました。平成5年11月28日 大宮工場にて DD1620大宮工場にも20号機と36号機の2両が機械扱いとして場内入換にあたっていました。このうち、平成5年の大宮工場公開時、展示車両外ではありましたが、20号機が撮影できる位置に留置されていました。それもなんと北斗星色となっていたため、余りの珍しさにシャッターを切っており、手元に残っていました。私が高校生になって地方遠征をするようになった頃は、既に昭和50年代後半になっていましたので、地方交通線に行ってもまずDD16を捉える機会はありませんでした。よって、自身の記録の中でも数少ない形式の一つです。大宮総合車両センターの公開に行くようになったとき、既にED16の姿がなくなっていたので、もう廃車になってしまったと思っていたのですが、この20号機は台湾に渡り、新幹線の入換用機関車として今なお現役で働いているそうです。
2025.01.23
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EF65牽引 コキ10000系:「北海ライナー」今でこそスタイリッシュな機関車が長大編成を牽いて高速で走る貨物列車に魅力を感じるファンは多いと思いますが、私が小中学生の頃は貨物列車と言えば黒い地味な貨車を古い茶色の機関車がモタモタと牽いて走る印象しかなく、それほど興味の対象ではありませんでした。そんな時代においても、唯一憧れの存在であったのが、青いコキ10000系の貨車を長く連ねて高速で走る北海道行の高速貨物「北海ライナー」でした。特に、「北海ライナー」は特急列車の牽引に優先的に充てられていたEF65PFが限定運用されていたのも、格好良さを感じた大きな理由であったと思います。この「北海ライナー」、地元では午後の良い時間帯に上下列車が走っていたため、目撃することも良くありました。昭和52年頃 EF651001牽引 上り「北海ライナー」当時は牽引機の情報など全くありませんので、何か別のものを撮影中に偶然捉えたものだと思います。今のようにデジタルで確認することは出来ませんから、写真で仕上がって来るまで牽引機のナンバーを確認することは殆どできません。当時もさぞかし喜んでいたと思います。それにしても、大動脈の主要列車でありながらコンテナが1個も載っていないというのは奇跡的な光景であったと思います。昭和52年頃 EF651001牽引 下り「北海ライナー」一方、こちらは下り列車です。同じような空色なので、もしかしたら同日なのかもしれません。前の写真とは対照的で、コンテナがほぼ満載のように見えます。昭和54年頃 蕨~南浦和間にて EF651017牽引 下り「北海ライナー」1017号機が牽引する下り「北海ライナー」です。昭和57年頃 蕨~南浦和間にて EF651028牽引 下り「北海ライナー」もう1枚見つかったので追加します。(2025.03.25)見える範囲では満載ですね。コキ10000系では、空気バネ台車等の使用により多くのエアを供給する必要があることから、東北本線ではPF形やED751000番台による牽引が固定されていました。現在は貨物列車は殆どがコンテナ列車となり、100km/hを超えて走るのが当たり前ですが、当時はコキ10000系だからこその芸当であり、子供心にもその速さ・長さには特急列車にも負けないくらいの魅力を感じていました。それが当たり前となり、そんなスピード感のある貨物列車しか残らなくなってしまう時代が来るとは、50年前には想像もつきませんでした。
2025.01.22
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富士急行線1200形:1202編成(旧標準色)※本記事は、2020-09-26に投稿したもので、当時の表現になっています。富士急行線で使用されてきた元京王帝都電鉄5000系の1200形のうち、富士急旧標準色にリバイバル塗装されていた1202編成が、令和2年10月下旬をもって引退することになったそうです。富士急行線へは過去2回ほどの訪問記録がありますが、同カラーの編成を撮った記憶は完全に飛んでいました。探したら1枚だけ写っているものがありました。平成26年1月18日 河口湖駅留置線にて 1201編成及び1202編成平成6年7月に入線し、平成21年の開業80周年を記念してリバイバルカラーを施工されました。気が付いてみれば、1000形、1200形とも残り僅かになってしまいました。アーカイブをしていませんでしたが、向かって左側に並んでいる1201編成マッターホルン号も、既に平成31年2月に廃車されてしまったようです。
2025.01.21
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485系:特急「北越」昭和44年10月、大阪~新潟を結ぶ臨時列車として誕生した特急「北越」。翌昭和45年3月に定期列車に格上げ、昭和48年3月には2往復の増発が行われ、大阪~新潟間2往復及び金沢~新潟間1往復の3往復体制となります。昭和53年10月ダイヤ改正において、大阪~新潟間を結ぶ特急は「雷鳥」として存続し、「北越」は金沢~新潟間1往復のみとなります。ここで「北越」は大阪口から撤退することになります。昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業時において、関東~北陸圏への需要増から長岡を接続点とするアクセス特急としての役割も担うことになり、新潟~北陸の都市間アクセスの役割と合わせた全国でも珍しい存在の特急列車となります。以来、32年半もの長きにわたってその性格も車両も変わることなく運転され続けてきた特急「北越」も、北陸新幹線の開業によってその任を下りることになりました。平成27年1月23日 「北越3号」 黒部~生地間にて平成27年1月23日 「北越4号」 水橋駅にて平成27年1月23日 「北越3号」 福岡~石動間にて平成27年1月24日 「北越4号」 呉羽駅にて平成27年1月24日 「北越6号」 小杉~越中大門間にて平成27年1月25日 「北越2号」 水橋~東富山間にて平成27年1月25日 「北越3号」 東富山~水橋間にて最後に北陸特急を撮影するために訪れた際、出来る限り撮影をしてきましたが、3日間全てが3000番台で運用されており、国鉄色はおろかT編成すら撮ることができませんでした。帰って来てからT編成がすべて廃車になっていたことを知り、非常にガッカリしました。平成23年5月4日 R21編成 「北越1号」 米山~笠島間にて平成23年5月4日 T14編成 「北越2号」 潟町~土底浜間にて急行「きたぐに」が廃止になるために撮影に行った際のもので、なんとか1列車のみですがT編成を撮影していました。平成20年4月23日 「北越1号」 金沢駅にて485系特急「雷鳥」を撮影に行った際、金沢駅で撮影したもの。この回は、金沢以西での撮影であったため、「北越」に会ったのは金沢駅に到着したこの時のみ。隣に停車中の国鉄色は、上野からやってきた急行「能登」。昭和52年 上野駅にてこれはウソ写真になりますが、上野駅での幕回しの光景。489系は関西特急への運用を考慮して装備しているので、「つばめ」「雷鳥」「しおじ」「みどり」といった関東では見られない列車名を拝むことが出来ました。昭和49年8月 大阪駅にて私と「北越」の出会いはここからでした。当時は「きたこし」と読んでいたと思います。2回目に関西を訪れたのが昭和55年になりますので、既に「北越」は大阪口から撤退していました。その後、昭和の時代にも富山港線など数回訪れていますが、1日1往復と本数が少なかったためか、1度も出会っていなかったようです。この記事を編集するときに思ったのですが・・・昭和44年に誕生して以来、最後まで一貫して485系が使用されており、途中に489系が入っていたかもしれませんが、1系列を46年にもわたって使用してきた列車は無い筈で、直流電車も含めてこの記録を破ることが出来る列車は現れないような気がします。廃止当時ですと185系「踊り子」や381系「くろしお」「やくも」が追随していましたが、誕生に8~12年ほど差がありますので、世代交代の時期を考えるとこの記録に及ぶのは難しいように思います。「北越」という地域名を、運転開始当初から特急列車に使用した例も珍しい存在でした。全国の特急列車の中でも地味な存在でしたが、その役割は非常に大きいものであったと評価できると思います。
2025.01.20
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富士急行線2000形:パノラマエクスプレスアルプス復刻塗装(駅撮り編)※本記事は、2014-01-26に投稿したもので、当時の表現になっています。前記事では乗車編をご紹介いたしましたが、今回は駅撮り編として外から撮った写真を並べてみます。本来なら走行写真を撮りまくりたいところでしたが、そこは徒歩鉄のつらいところで、ほかの目的とタイミングが合わず、やむなく駅撮りが多くなってしまいました。※撮影は、平成26年1月18日です。大月駅にて大月に着いて走行写真はタイミング的に撮れないため、とりあえずその後のトラブル等も想定して、記念写真を撮っておきます。17年前にパノラマエクスプレスアルプスを目撃したのが最後、今の世になってこの塗装は停車しているだけでも存在感があります。大月駅発車わずかな時間を利用して、甲府方跨線橋から。奇しくも、13:08と5時間後の運用に入る予定の京王5000系復刻塗装車との並びを撮ることが出来ました。富士山駅にてここから2駅間だけ乗車します。河口湖駅にて電車本数がないため、折り返しも「フジサン特急」で富士山駅へ戻ります。かつての僚友と並ぶ姿は、当時を彷彿させますね。下吉田~月江寺間にて最後に撮った写真は目測を誤って大失敗。せっかくの走行写真だったのですが、意外と駅の近くは撮りづらいので、むしろ駅中から撮った方が良かったかもしれません。寿~三つ峠間にて結局は最初に撮影した走行写真しか良いのが撮れませんでした。しかし、この写真は踏切がなってからポジションに辿り着いたというギリギリの写真であり、駅でトイレに寄っていたら・・・途中に信号があったら・・・勘で曲がった路地が間違ってたら、歩くのが普通の人並みだったら・・・歩きながらレンズ交換をしていなかったら・・・どんな些細なことがあっても間に合わなかったものなのです。予報に反して良く晴れ、富士山が見えるというラッキーさ。ギリギリで苦しい思いで撮れた写真だからこそ、一生の思い出になるものとなりました。平成26年2月9日を最後に、この塗装も姿を消すことになります。保存でもされれば・・・心の隅に思いがあります。
2025.01.19
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富士急行線2000形:パノラマエクスプレスアルプス復刻塗装(乗車編)※本記事は、2014-01-20に投稿したもので、当時の表現になっています。JR初のロマンスカー型ジョイフルトレインとして昭和62年3月に誕生した165系「パノラマエクスプレスアルプス」。中央線の団体列車や臨時急行電車として活躍しましたが、同じ165系の電車と同様に老朽化には勝てず、平成13年8月をもって廃車となっています。廃車後は富士急行に売却されることになり、改造後の平成14年2月から「フジサン特急」として活躍を始めています。本来は6両編成ですが、中間のクモロの運転台も元々から生きているため、これを生かして3両編成×2で運用されました。富士急行では、登場時から(個人的にはどうしても好きになれない)富士山キャラクターの描かれた塗装となり、平成26年まで長きにわたって使用されてきましたが、小田急電鉄から購入したRSE20000形(元「あさぎり」用)と交代で引退することとなりました。これに伴い、2000形2編成のうち2002編成において、往年の「パノラマエクスプレスアルプス」時代の塗装へ復刻が行われ、話題となっています。この車両が登場した頃は全国でも多種多様なジョイフルトレインが乱発されていた頃で、一般車両の塗装変更も含め、個人的にも嫌気がしていました。そんなこともあって、現役時代に撮った写真も引退間際の頃に1枚だけという状況でした。そんなこともあり、今になってその懐かしさから撮影に行きたくなり、今回初めて「撮影目的」で富士急行線を訪問しました。列車本数が少ない同線において、特急や快速スジを外した移動はタイミングが難しく、走行写真を撮りたかった「フジサン特急」ですが、富士山駅~河口湖駅の往復移動で乗らなければならないことになってしまいました。使用したフリー乗車券では無料で乗ることができますし、このような機会でもないと乗ることもありませんので、短い区間ですが乗り鉄を楽しみました。※撮影は、平成26年1月18日です。モハ2102車内自由席である中間車に乗車しました。座席の半数以上が埋まっていたため、身軽な女性の隣に相席させてもらいました。車内には飲料自販機まで設置されており、缶類は110円でちょっと安めで良心的。シートピッチのあまりの間隔に驚きました。こんなに余裕があったんですね。身長180cmの私でも、前席に全く足が届きません。これでは足置きがあっても殆どの人は届かないでしょうね。また、座席部分は1弾高くなっており、窓も縦方向に拡大されているため、ホントに素晴らしいアコモデーションだったんだと改めて感心いたしました。クモハ2202元クモロ165の中間運転台車。塗装は完璧に復元され、しかも塗ったばかりなので本当に登場した時のようです。グリーンマークも再現されています。現役時代にはまず見ることができなかったクモロのヘッドマーク。ここにもマークがあったことは知りませんでした。今回の改装に当たって大変貴重な機会を作ってくれました。モハ2102各車の形式番号表記もすべて現役時代に戻して塗装されていました。徹底しています。クハ2002ここだけはさすがに復刻していませんでした。それにしても電動車でない制御車で40tって重たいですね。現在のM車よりも重たいです。クハ2002車内モハ2101車内クモハ2202 車内各車の車内の写真も。さすがに展望室の写真は着席券を買っていないので撮っていません。だれも居なければよかったのですが、既にうっとうしいガキ共お子様連れに占領されていました。各車内には液晶表示があり、合わせて日本語、英語、中国語、韓国語の案内が流れます。一時は隣国の厚かましい態度の観光客で賑わったようですが、このような情勢になると案内が流れるだけでも気分が悪くなってきました。中間のモハ車には6人まで使える個室も有り、帰り掛けに撮ろうかと思いましたら「予約済み」の表示がありました。そしたら、テツらしき男性が1人で乗車してました。1室1000円で乗車できるらしいので、現役時代にはまず乗ることが叶わなかった設備に、1時間弱とは言え占領して楽しむことができるのであれば、1000円でも安いかもしれませんね。復刻塗装の2002編成は平成26年2月16日が最後の運転となるようです。入れ替わりに、現在検査中の2001編成が使用されるようですが、それもRSE車の改造が終了して入線するまでとのこと。残された時間はそれほどありません。さすがに40年選手の車両ですからバネはくたびれている印象・乗り心地でしたが、古き良き時代を味わえる豪華車両ですから、機会があったら是非乗ってみてはいかがでしょうか?
2025.01.18
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国鉄 スハ32系客車:スハ32233(釧路)スハ32系は、昭和4年から製造が開始された戦前型の客車群で、その分類は多岐に渡っています。他用途への改造、車体更新、戦災復旧や進駐軍の接収など、多難な生涯を歩んだ車両が多く存在しました。戦後になって新形式の客車が誕生し、電車や気動車も製造されるようになりましたが、輸送需要の増大と相まって、昭和50年代末期の旧型客車の全面撤退まで50年余り、スハ32系が活躍していました。地元では急行列車で活躍している例は殆ど見た記憶はありませんが、東北本線の客車列車では当たり前に連結されており、田舎が東北地方であったため、乗車する機会も多くありました。ガラスの高価だった時代に製造された客車のため、長い車体に小さい窓がずらりと並ぶ特徴のある姿が大好きでした。昭和56年3月 釧路駅にて スハ32 233私の所有する写真で唯一の北海道車。列車写真として写っているものはありますが、形式的に撮ったのはこの1枚のみです。構造は内地向けスハ32と基本的に同一ですが、北海道仕様では二重窓になっていること、車軸発電機がベルト式ではなくギア式になっていることなどが異なります。通常、客車では北海道仕様として500番代を名乗ることが一般的ですが、戦前型客車では500番台に区別されていないことが多かったようです。北海道では電気暖房仕様の機関車が存在しなかったため、当該車両も番号は基本番代となっています。この釧路駅に留置されていた車両はいずれも既に運用から外れているようであり、このまま廃車解体されてしまったものと思われます。
2025.01.17
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JR東日本 DD16303牽引:チキ工臨DD16300番台は、大糸線及び飯山線の低規格路線に対応したラッセル車で、0番台から4両が改造され誕生しました。それまでのラッセルヘッドでは軸重が過大となって入線出来なくなってしまうため、旧来のキ100のようなラッセルヘッドを新製し、前後にヘッドを取り付けた長さは36mにまで達してしまうのが外観の特徴でした。改造は昭和54年から58年に掛けて行われ、平成21年まで活躍しましたが、その後平成21年から22年までに301~303が廃車となり、最後に残った304号機が平成27年度に除籍されたことで、全ての300番台が区分消滅となりました。平成6年11月4日 豊野~牟礼間にて DD16牽引 チキ工臨冬期以外は通常の用途として使用されており、写真の様に工臨にも充当されていたようです。残念ながらラッセルヘッドを取り付けたシーンを捉えることはできませんでしたが、SL撮影の際、偶然にも工臨を牽く姿を記録することができました。写真の303号機は平成21年に廃車となったものの、八戸臨海鉄道へ払下げとなり、現在も活躍しているようです。
2025.01.16
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JR東日本:EF81牽引 ホキ配給前回のホキ配給の続きで、今回はEF81牽引の写真をご紹介したいと思います。平成27年4月29日 EF8180牽引 8936レ平成27年6月10日 EF8197牽引 8937レ令和2年10月14日 EF8195牽引 8936レ走行区間が直流区間のみの為、EF65PFの牽引がメインであり、EF81の登板頻度は少なかったと思います。コマ数もたった3枚しか見つかりませんでした。田端のPFもほぼ運用が無くなってしまったようですし、このようにコンテナ以外の貨車を牽く機関車はもう見られなくなってしまいます。
2025.01.15
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JR東日本:EF65PF牽引 ホキ配給砕石輸送の中心軸を担っていたホキ800形。昭和32年から49年に製造されたということで、その昔は一般貨物列車に当たり前に連結されて走っていました。私が大宮操車場で連結担当をしていたときも、ハンプ入換で見ない日は無いくらいの頻度で登場し、乗った回数も数えられないくらいでした。いわゆる黒屋根貨車が大量廃車となった59・2ダイヤ改正以降も、バラスト輸送の要としてホキ800は殆ど廃車なく残留となり、民営化後も各旅客鉄道会社へ継承されました。旅客輸送とは異なる限定的な運用であるために走行距離が少ないこともあり、50年を超える活躍をしていましたが、ここ数年においては老朽化と共に機関車の一掃という社会情勢も相俟って、特にJR東日本では後継事業用車の誕生により完全撤退となってしまいました。今回は、地元を通っていたいわゆる「ホキ配給」のうち、EF65PF牽引の記録をまとめておこうと思います。平成23年9月14日 EF651106牽引 8936レ平成23年9月14日 EF651107牽引 8937レ平成24年8月8日 EF651102牽引 8936レ平成24年8月8日 EF651115牽引 8937レ平成25年3月20日 EF651107牽引 8936レ平成25年3月20日 EF651118牽引 8937レ平成26年2月19日 EF651115牽引 8936レ平成26年8月20日 EF651104牽引 8936レ平成26年9月17日 EF651103牽引 8936レ平成27年2月11日 EF651115牽引 8936レ平成27年2月11日 EF651102牽引 8937レ平成27年4月29日 EF651103牽引 8937レ平成27年9月23日 EF651103牽引 8936レこうして並べてみるとそれなりのコマ数を撮っていますが、数年掛かっていることを考えるとあまり多いとは言えません。隔週水曜日のみの運転のみであることから、日付を追ってみると祝日に撮っていることが多いようで、せっかく休暇を取ったのに運転ダイヤの乱れにより撮り損なったり、カブられた記憶もありますので、満足か?と言えばそうとは言えないかもしれません。
2025.01.14
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国鉄・JR東日本:EF641001高崎車両センターで動態保存的に永らく活躍してきたカマ達が一斉に終焉を迎えてしまったよう。現役車は老朽化によりとっくに引退してしまったことを考えれば、良くここまで維持できたと拍手を送りたい気持ちです。今回は、このうちEF641001の写真を拾ってみました。臨時快速以外では殆ど撮影機会がなかったため、記事末に過去にご紹介済みの記事のリンクを貼っておきます。平成22年11月21日 EF641001牽引 12系返却回送常磐線で訓練に使われていた12系を高崎へ戻すための回送だったようです。平成23年9月2日 蕨駅にて EF641001+12系 9743レ所用があって家を出るのが遅くなった日、ホームにテツがやたら居るので、電車を見送ってちょっと待っていると、コイツがやってきました。名もない列車の写真はこれだけでした。臨時快速や団体列車以外は機会が少なかったですね。EF641001牽引 24系寝台客車:団体列車 総武線120周年EF641001牽引24系寝台客車:団体列車「越後」EF551+EF641001(原色)牽引:12系臨時列車EF65501&EF641001牽引:臨時快速「レトロ横濱」EF65501ほか牽引:快速「EL&SL奥利根」EF551牽引:快速「EL奥利根」EF551牽引:快速「さよならEF55碓氷」
2025.01.13
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西武鉄道 10000系 ニューレッドアローCLASSIC:特急「小江戸」※本記事は、2021-05-30に投稿したもので、当時の表現になっています。令和2年3月、西武池袋線・秩父線の運用から撤退した10000系レッドアロー。余剰車が廃車となる中、5000系を模した塗装のレッドアロークラッシックの編成については、活躍の場を新宿線に移し、特急「小江戸」として運用されていました。しかし、あれから1年、突然の引退が発表され、令和3年4月29日をもって定期営業運転を終了することになりました。なお、臨時列車として5月29日までの運転が予定されています。→西武鉄道PDFさらに、6月5日「西武・電車フェスタ2021 in 武蔵丘車両検修場」への直通ツアー列車及び撮影会への充当をもって最終となるそうです。令和3年3月29日 西武新宿駅にて 特急「小江戸41号」昨年のダイヤ改正時点では既にコロナ禍となっており、1年間撮影する機会はありませんでした。プレス発表以降、時間的には撮影機会はないと諦めていましたが、運用が増える夕刻以降、残業帰りに見ることができそうだったので、乗車経路を変更して西武新宿駅に寄り道してみました。撮影には不向きな駅ですが、夜だけに仕方ないですね。令和3年4月26日 西武新宿駅にて 特急「小江戸46号」終焉2週間くらい前になって「LAST RUN」のステッカーが貼付されました。緊急事態宣言が発せられ、益々撮影に不向きとなった世の中。仕事も超繁忙となって休日に出掛ける気持ちも完全に折れていましたが、残業帰りにまた時間が合いそうだったので寄り道しました。告知から1か月間、土休における充当が少なく、撮影に出掛ける機会もありませんでした。条件は良くないですが、最後の活躍をなんとか記録出来て良かったと思います。
2025.01.12
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DD51ユーロ色牽引:臨時急行「奥飛騨」高山本線では、客車急行で「奥飛騨」号が設定されていました。ユーロライナー(12系欧風客車)を使用して「ユーロ奥飛騨」として運転されていた頃もあったようですが、ユーロライナーも分割して様々な臨時に使うようなケースが生じていましたので、晩年は14系客車化されてしまったようです。平成3年2月11日 高山本線 下油井~白川口間にてDD51ユーロ色が牽引する臨時急行の下り「奥飛騨」号です。鉄橋の通路柵が無い側から撮影したのが、完全逆光で仇になってしまった写真。でも、大変急峻な場所ですので、反対側に回るにしても足場が無かったかもしれません。今でしたらせっかくのユーロ色でヘッドマークまで付けているのですから、列車主体の記録用アングルで撮影していたのでしょうが、SLフリーク真っ盛りの時代でしたので、ほとんどこんな景色優先の構図にしていました。やはり、被写体によって使い分けるということも大事なんだなぁと痛感します。これだと、カマが何号機かも判らないですもんね。私が撮ったユーロ塗装のDD51は最初で最後となってしまい、列車写真としては貴重だと分かっているのですが・・・見ているとどうしても残念だと思ってしまう1枚です。
2025.01.11
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国鉄 キハ22:興浜北線興浜北線は、天北線の浜頓別駅から分岐するローカル線。訪れた昭和56年当時、1日6往復の単行列車が走っていました。天北線浜頓別駅と名寄本線興部をオホーツク海沿いに結ぶ路線として計画されましたが、工事が進まないうちに凍結され、興浜北線北見枝幸駅と興浜南線線雄武駅の間が分断されたままになっていました。※撮影は、全て昭和56年3月14日です。浜頓別駅にて天北線を降りると、標準色のキハ2268がお出迎えです。乗り継ぎの合間の記念写真。駅名板を入れて撮るのはセオリーでしょうか(笑)。興浜北線のサボ北海道地区で見られた標準的なサボです。青地に白抜きですが、旧いサボと違い、白い縁取りがあるのが特徴です。北見枝幸駅にて起点の浜頓別駅から30.4km。終点の北見枝幸です。所要時間は交換なしの45分前後。間の駅はたった4つだけでした。当時は『カニ族』という言葉が流行りました。身体に似合わないような大きなリュックを背負って、北海道内を流浪している大学生。ローカル線や夜行急行には、こういった輩が沢山乗っていましたね。正直、邪魔くさかったです。夜はうるさいし・・・。ちなみに、私は高校2年生でした。北見枝幸駅にて駅名板を入れた写真がありました。ちょうど改札が始まった直後なのでしょうか、地元の方ばかりが写っているようです。旅行客ばかり写っていても、ローカルシーンとしては興ざめしてしまいますね。こうしたシーンを見ると、『ちゃんと地元の人に利用されているんだ』という実感が湧いてきます。北見枝幸駅にてDE10かDE15か判りませんが、終点の北見枝幸では貨物扱いも行われていたようです。今のようにクルマで撮影に行くことができれば、走行写真なんかも撮れたんでしょうけれど、当時はどこも道路事情が悪く、まして高校生ですから叶わぬ夢。赤字ローカル線の走行写真を撮るなんて真似は、間違っても出来なかったと思います。興浜北線は、第1次特定地方交通線として承認され、全通という夢半ばにおいて昭和60年6月末日を以って廃止となりました。
2025.01.10
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711系試作車:クモハ711-901+クハ711-901711系型電車は、北海道初の電化区間開業に合わせて製造された、国鉄初の交流専用型電車です。また、それまでMM’のユニットで製造されていた新性能電車群の中で、初めて1M方式を採用したのも711系になります。北海道における過酷な寒冷地での使用に当たり、徹底した寒冷地対策が施され、その成果は後に誕生する781系型特急電車以降の車両にも生かされています。711系は、量産に当たってTcMTcの3両編成となって製造・運用されましたが、昭和42年に誕生した試作車については、McTcの2両を1ユニットとし、2タイプの2編成で落成しました。量産車の登場後においても、試作編成は2両編成のまま使用されたようですが、3次車(100・200番代)誕生時において新製車を連結し、TcMcTcの3両編成で運用されるようになっています。昭和56年3月19日 恵庭~島松間にて2度目に渡道した際、運良く901編成を撮影することが出来ました。ただし、移動中に偶然出会ったもので、構図を選ぶ間はありませんでした。試作車は901編成がユニット窓の2段昇降式であり、165系や455系といった急行型に非常に良く似ていました。ただし、登場時は客扉が4枚折り戸となっており、157系に次ぐ奇異なスタイルでした。その後引き戸に改造させて大きな個性を失ってしまいますが、2段昇降式の窓によって遠目にも901編成と識別することは容易でした。平成元年7月2日 小樽駅にて「C62ニセコ」の撮影後、小樽から札幌へ向かう際に、偶然ですが発車した列車の窓に映った901編成を発見しました。手元にあったコンパクトカメラで咄嗟に撮りましたので、写りが良くなかったのが残念です。それでも、新色になってから901編成を撮影したのはこの時のみであり、自分としては貴重な資料となっています。昭和56年3月 旭川駅にて 急行「かむい」2回目の渡道の際、旭川駅で偶然にも2度目の出逢いがありました。ヘッドマークはありませんが、まだまだ急行列車が幅を利かせていた時代であり、「急行」表示も誇らしく見えます。901編成については、すべて偶然ですが3回も撮影することが出来ました。一方、902編成は量産型との区別が付きづらいため、もしかしたら出逢っていたかもしれませんが、残念ながら記録に残すことはできませんでした。平成27年3月、最後の711系が運用を離脱し、北海道電化に大きな功績を残した電車が、その歴史に幕を下ろすことになりました。711系交流電車:函館本線(オリジナル塗装時代)711系:急行「かむい」
2025.01.09
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キハ402000番台:烏山線東北本線の宝積寺から分岐して烏山までを結ぶ烏山線。未だに非電化で、私がEF57目当てで宇都宮へ訪れていた頃はキハ10系が配置されていましたが、昭和54年頃から交代したキハ40系が40年近く運用されています。烏山線で運用されたキハ401000番台は改造車であり、元々のキハ40としては存在しなかった番台区分で、登場時はキハ402000番台でした。昭和54年7月22日 宝積寺駅にて 烏山線 普通列車昭和54年、「銀河鉄道999」が走った日。新製配置されて間もないキハ40の写真を撮っていました。昭和61年、便所の撤去により1000番台に改番、さらにロングシート化、ワンマン化と、かなり手が加えられてしまい、誕生時の形態といえば外観のみといったところでしょうか。オリジナル・・・生まれたばかりの、何の手も付けられていない、そのまんまのキハ402000番台でした。『ミステリー列車:銀河鉄道999(初代)』『DD51842:快速「烏山山あげ祭り」』
2025.01.08
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185系:「湘南ライナー」東海道本線のホームライナーとして誕生した「湘南ライナー」。東北・高崎線や総武本線よりやや遅れ、昭和61年11月から設定されました。他では文字によるマークのみの掲示となっていましたが、この列車のみは公募によるデザインの専用ヘッドマークが用意されたのが大きな特徴です。183系や189系なども動員されていたようですが、住まいからは全くの反対方向であるため、過去に写真を撮る機会は殆どありませんでした。令和3年3月のダイヤ改正において、他路線と同様に特急化されることになり、車両の刷新を含めその歴史に幕を下ろすことになりました。平成20年1月5日 川崎~蒲田間にて 上り「湘南ライナー」平成20年3月9日 戸塚~保土ヶ谷間にて C3編成ほか 上り「湘南ライナー」初めて同列車を撮影したのは「富士・はやぶさ」を撮影に行ったときでした。ダイヤが近接しているため偶然に撮影できたもので、平日が前提の通勤列車だった「湘南ライナー」も、当時はわずかながら休日も運転されていたことによるものです。平成29年4月14日 東京駅にて C1編成 「湘南ライナー5号」大手町勤務となり、普段は神田駅から歩いていましたが、残業の際に「湘南ライナー」を撮れることを知り、寄り道してみました。ホワイトバランスのモードを間違ってしまったようなので、モノクロにしてみました。平成29年4月17日 東京駅にて C1編成 「湘南ライナー5号」前回失敗してしまったので後日リベンジ。時間がギリギリになってしまったので、付属編成のみ撮影。同列車は15両編成のため、中間連結部にもヘッドマークが表示されており、他では例のない光景が見られました。平成29年4月18日 東京駅にて A6編成 「湘南ライナー1号」翌日は少し早く残業が終ったため、1号を撮影。その後も飲み会の帰りに寄り道したことがありましたが、215系ばかり当たることになり、短期間集中でしか撮影できませんでした。ホームライナーでは、朝の上りと夕方の下りで方向を示す名称を名乗る列車が殆どですが、「湘南ライナー」では上下列車とも同名称となっており、首都圏では珍しい存在でした。185系:「ホームライナー小田原」
2025.01.07
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JR東日本 E501系:常磐線(上野口)JR東日本E501系電車は、常磐線上野口における403系などの旧型車を置き換える目的で平成7年に登場した交直流通勤型電車です。それまでの交直流型電車は普通列車用としては近郊型の3ドア車となっていましたが、通勤時の混雑に対応させるため、209系を基本とした全国初の4ドア交直流型となりました。E501系により交流区間での通勤型運転が可能となりましたが、209系のコンセプトがベースとなったためにトイレを設けていませんでした。そのため長距離運転には無理があり、直通運転は上野~土浦間のみとなっていました。当初は、415系はおろか103系までを置き換える計画だったようですが、トイレやオールロングシート化による座席定員減といった問題があって、結局は10両編成と5両編成がそれぞれ4本ずつで製造が打ち切られています。E501系の誕生から10年後、新鋭の4扉近郊型E531系で上野口の普通列車がグリーン車の連結とともに統一化されることになり、E501系は土浦以北の水戸線を含む交流区間封じ込めの運用となってしまいます。平成19年1月12日 藤代~取手間にて E501系 15連 上野行き415系やE501系が上野口から撤退とのアナウンスがあり、鹿島鉄道の撮影の帰り道に立ち寄って撮影した1枚です。まだ経年が浅く、現在も活躍しているのはご承知のとおりですが、それまで1枚も撮影したことが無かったため、「上野」の表示くらいは押さえておこうと記念撮影的に撮っておきました。こうした通勤型の写真は撮り逃したものが過去に多くあり、自分では記録の脱落に要注意な分野の車両です。
2025.01.06
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DE1091牽引:12系団体列車(上野駅)成田線は総武線側と常磐線側の2系統が存在する路線ですが、総武線側の電化完成が昭和49年、常磐線側の電化は昭和48年と、関東の幹線では比較的遅い方でした。そんなこともあって、旅客車は電化開業と同時にほぼ電車化されましたが、貨物列車は電化完成後もDD51やDE10が運用され、成田臨などで入線する客車列車も比較的に遅くまでディーゼル機関車が牽引する姿を見ることができました。昭和53年1月年頃? 上野駅にて DE1091牽引 12系団体列車上野駅の今は無き19番線での写真です。撮影時期が不明ですが、おそらく私が一眼レフを買って初期の頃、昭和53年初頭ではないかと思われます。周辺に乗客が映っていないのですが、機関士が制服の上着を着ているので、いわゆる初詣の成田臨と推測します。この時点では成田線は全線電化されていますが、佐倉機関区では電気機関車の配置がなかったので、臨時運用ではDE10かDD51のいずれかが牽引し、写真のように上野駅にも顔を出していたようです。右側に停まっている455系のグリーン車も帯が健在の頃であり、また20番線の115系300番台はピカピカでDE10の側面が写っており、懐かしさが詰まった写真です。
2025.01.05
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E3系0番台:「こまち」「やまびこ」「なすの」平成9年、秋田新幹線用として誕生したミニ新幹線車両のE3系は、平成25年度より運転を開始したE6系と交代、平成26年3月のダイヤ改正で「こまち」運用から撤退することになりました。イベント列車用に改造された0番台以外は全廃になると思われましたが、改正後も引き続き「なすの」「やまびこ」として2運用が残るようです。過去にもちょっとだけ撮った写真がありますので、この機会に一旦アーカイブしておきたいと思います。R7 「やまびこ204号」「こまち3号」「やまびこ205号」「やまびこ208号」「こまち7号」R16 「こまち9号」以上、平成20年8月2日、小山駅にて。E5系の誕生前であり、併結の相手方はE2系onlyでした。400系「つばさ」の撮影が目的であり、特にE3系を意識した訳ではありませんでしたが、「こまち」以外にも運用が多くあり、あまり東北新幹線を撮ったことがなかったのでショックを受けたものです。平成24年8月25日 大宮駅にて 「はやて19号」+「こまち19号」久し振りの東北新幹線撮影。とは言っても目的はE1系Maxや200系であり、やはりE3系を意識したものではありませんでした。しかし、既にE6系のデビューも予告されており、いずれはと思って撮影しておきました。平成25年12月23日 西日暮里にて 「やまびこ207号」E3系の撤退のアナウンスがあり、既に廃車が始まっていました。こまちロゴの場所に「ありがとう」ステッカーが貼られました。平成26年2月11日 東十条にて 「やまびこ207号」なかなか新幹線の撮影に行く機会に恵まれず、しかしこのような光景に出会うことがあり、なんとか近くで記録しておきたいな、と思ってました。平成26年3月9日 武蔵浦和駅にて 「こまち28号」最後に残った1運用を撮影すると決心したのは、改正の1週間前でした。大宮への出撃が電車の都合で間に合わなくなり、方向を変えて武蔵浦和へ。しかし、こんなピンポイントのタイミングで4番線の北行快速にブロックされ、こんな遠くまで行ってしまいました。写真はかなりの大きさにトリミングしています。平成26年3月9日 大宮駅にて R20 「なすの259号」最後の撮影は無理に進入写真とせず、確実なホーム撮りとしました。この時点ではE3系自体が廃車だと思ってましたので、とにかく記録で来て良かったと思っていました。
2025.01.04
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JR東海 371系:小田急線直通特急「あさぎり」371系は、平成3年に相互乗り入れ列車の「あさぎり」が特急化されるのに際し、JR東海が小田急電鉄と協定の上製造した、特急「あさぎり」専用の車両です。RSE車とはデザインなどまったく異なりますが、性能や座席定員などの共通化が図られてます。SSE車使用の急行「あさぎり」が消滅し、これまでまったく撮ることのなかった371系ですが、いざ引退となると記録しないわけにもいかず、慌て撮り収めをしているような状況です。平成23年10月29日 「あさぎり2号」 登戸駅にて平成23年10月29日 「あさぎり3号」 喜多見駅にて平成23年12月27日 「あさぎり2号」 参宮橋~南新宿間にて平成23年12月27日 「あさぎり3号」 南新宿~参宮橋間にて平成24年1月26日 「あさぎり2号」 南新宿~新宿間にて平成24年1月26日 「あさぎり3号」 新宿~南新宿間にて平成24年2月19日 「あさぎり2号」 東山北~松田間にて最期に近づき、やっと富士山との組み合わせが実現しました。理想には遠いながらも、タイトなスケジュールな中でこの組み合わせが撮れて良かったです。平成24年2月19日 「あさぎり3号」 新松田~渋沢間にて立ち位置が無くて困った果ての苦肉のアングル。でも、なんとかまとめられてホッとしました。定期列車でも1編成しかない、ある意味希少な車両。JR東海らしい新幹線的なデザインの車両として誕生したこのような異色の形式が消えるのは、大変さびしいものです。ただし、車両自体は廃車にはならず、ジョイトレ化されるような感じで臨時列車等に継続使用されました。さすがにJR東海からは引退となってしまいましたが、その後、一部の車両がフジサン特急として活躍しているのは周知のとおりです。小田急電鉄 3000形SSE:急行「あさぎり」小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり」小田急電鉄 60000形MSE:特急「あさぎり/えのしま」小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」
2025.01.03
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EF651000番台牽引:寝台特急「富士」「富士」は日本初の特急列車で、明治の終わりに東京~下関を結ぶ客車特急として誕生しています。『EF65500番台牽引:寝台特急「富士」』の続きで、今回は、昭和53年から置換えの始まったEF651000番台による寝台特急「富士」をご紹介したいと思います。昭和53年8月 東京駅にて EF651105牽引 上り特急「富士」12番線に到着した「富士」。中学生の頃はこの到着シーンに胸をときめかせたものです。ちょうど新鋭PFに交代が始まった頃で、ほぼ半数が置き換わっており、、非常に複雑な気持ちでした。昭和55年8月 東京駅にて EF651107 「富士」夜発の寝台特急「富士」。当時、東京発の殆どのブルトレは東京駅で機回しを行っており、10番線と12番線の間にあった11番線という機回し線を使用して前後の付け替えを行っていました。写真で見ると、操車係(誘導する人)は前に添乗していますが、機関士は推進のままですね。昭和56年2月1日 根府川~早川間にて 上り「富士」EF651096に牽かれ東京へ向けてラストスパートをかける上り「富士」。初めて使ったクロススクリーンのフィルター。余りにも創作感が出過ぎてしまい、これ以降はほとんど使わなくなりました。平成21年5月23日 大宮車両所にて「おおみや鉄道ふれあいフェア2009」での場面です。EF651116に「富士」のヘッドマークを掲げていました。平成26年11月15日 尾久車両センターにて「2014ふれあい鉄道フェスティバル」でEF651115に丸形ヘッドマークが掲げられました。私の年代にはこの丸形の方がしっくり来ます。
2025.01.02
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183系OM車6+6=12連:団体列車 鎌倉初詣臨地元の在来線特急列車の廃止と共に、波動用として残った183系1000番台。元は新前橋に配置されていましたが、その後大宮総合車両センター配置となり、東大宮常駐となっていました。これらの車両は一般臨時列車や団体列車として頻繁に活用されましたが、手頃な6両編成のまま使用されることが殆どでした。しかし、集約臨のように定員を多くする必要のある設定も少なからずあり、それらは田町に所属する8両編成や10両編成の183系・189系のいわゆるチタ車を使用するのが定番でした。そんな中、晩年にはその需要に応えるため、6+6の12連で運転された列車が数回見られました。今回は、鎌倉方面へ運転された初詣列車をご紹介いたします。平成21年1月17日 大宮駅にて 団体 鎌倉初詣臨他の臨時列車の撮影のついでに大宮駅で撮影したもの。この日は多くの目玉列車があったためかホームは大変な混雑で、せっかくの12連ながら良いアングルで撮影することはできませんでした。右端に辛うじて連結部が写っています。平成22年1月16日 鎌倉初詣臨こちらは地元で撮影したもの。せっかくの機会でありながら、保線基地にお邪魔虫が居て邪魔されてしまいました。初詣臨は平日に集客されることが多いため、なかなか撮影する機会に恵まれず。ほかにも6連単独による初詣臨も設定されましたが、殆どは成田方面で武蔵野線経由でしたので、せっかくの専用ヘッドマークが用意されていながらも、初詣ヘッドマークが記録できたのはこの2コマだけでした。
2025.01.01
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