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201系:中央快速線(末期)中央快速線の201系については過去ログで何回かアップしていますが、今回はE233系との交代が始まった頃の末期の写真を集めました。この時代はデジカメの導入と重なったこともあり、それまで殆ど撮影することのなかった通勤型の写真もそこそろ撮影するようになりました。平成18年5月3日 編成番号不明平成18年5月3日 クハ200-48平成18年5月3日 クハ200-6いずれも交通博物館の閉館間際に訪問した際に撮影したものです。上の2枚は交通博物館屋上から撮影したもの。DD51+24系は記念展示されたものです。もうこのような光景をセッティングすることさえ不可能となりました。平成18年5月3日 信濃町駅にて 13編成同日、なんでここに寄り道したのか記憶がありません。平成18年6月7日 T113編成平成18年6月7日 25編成後期の201系は、T100番編成のパンタグラフがシングルアーム式に換装されました。平成18年6月7日 西国分寺駅にて 24編成201系同士がすれ違い、さらに隣の国分寺駅にも後続の201系が停車しており、1枚の写真に3編成が収まりました。当該24編成は「湖池屋Pinky」のラッピングをしていました。デジカメの性能を理解していない時期であり、画素を減らして撮影してしまい勿体ないことをしました。平成18年6月7日 西国分寺駅にて 19編成 「青梅特快」平成19年3月14日 西国分寺駅にて 10編成 「中央特快」平成19年3月14日 西国分寺駅にて T113編成 「青梅特快」平成19年8月10日 T115編成 「中央特快」E233系の導入は既に始まっていましたが、まだまだ201系との遭遇率が高く慌てる感じではありませんでした。しかし、「中央特快」「青梅特快」といったヘッドマーク付きの写真を殆ど撮っていなかったので、最後の頃は特快ばかり撮影していたようです。現在のE233系は別付ヘッドマークがなくなってしまったので、ここでも国鉄時代の名残が完全に消えてしまったように思います。
2025.02.28
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24系25形寝台客車:寝台特急「あさかぜ」昭和52年から53年2月に掛け、それまで頑なに20系客車を使用していた「あさかぜ」も客車の老朽化には勝てず、いよいよ24系25形化されることになります。これは、それまで需要のあった個室寝台を留保しておきたかったという思惑があったものと考えられますが、一足先に25形化された「はやぶさ」「富士」「出雲」にもオロネ25形個室寝台が登場したことにより、懸念が解消されたと考えて良いと思います。昭和53年頃 田町駅にて カニ24100番台まだイラスト化される前の「あさかぜ」です。25形の増備により、電源車も順次製造されるようになりましたが、最終増備は貫通路を設けた100番台が登場しています。昭和55年8月 東京駅にて カニ24100番台こちらはブレてしまってますが、イラスト化後のテールマークとなった「あさかぜ」です。さらにはグレードアップした金帯車、電源車をロビーカーに設けたスハ25など、特徴のある客車が誕生していますが、それらはまったく撮る機会がありませんでした。また、昭和50年3月の改正までは、1往復の14系編成が存在しましたが、残念ながらその記録もありません。20系寝台客車:寝台特急「あさかぜ」EF65牽引:寝台特急「あさかぜ」
2025.02.27
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ED76500番台牽引:旧型客車列車札幌圏の電化以降の普通列車の事情ですが、函館本線山線や札沼線、夕張線への乗り入れ列車を除き、711系による電車運転が一般的で、3~9両編成が組まれていたようです。しかし、朝夕の通勤通学時間帯に関しては、本州地方都市と同様に客車列車による比較的長い編成を使用した普通列車が運転されていました。長距離の普通列車に関しては、荷物列車を併結(というより、荷物列車に客車を連結)するケースとなりますが、都市の通勤通学輸送に徹した普通列車では、荷物列車を併結していないスタイルが一般的です。さらに、これらの列車は電化区間のみの運用であったため、ED76500番台が牽引に充てられていました。ED75501の試験結果を反映した量産車としてED76500番台。ED76基本番台とは性能が大きく異なり、本来は別形式となっても良い仕様でしたが、大人の事情で500番台を名乗っての誕生となっています。そんなED76500番台が牽引する客車列車を初めて見たのは昭和55年3月に初めて渡道した時ですが、その時はそんな列車に目をくれることもなく、写真に収めたのは翌年の2回目の渡道でした。※撮影は、昭和56年3月11日です。厚別~大麻間にて ED76508牽引 下り普通列車白石~厚別間にて ED76503牽引 下り普通列車この時代、内地では既に50系客車による旧型客車の置換えが進んでいましたが、北海道仕様の50系51形客車の製造はやや遅れていたのか、岩見沢駅構内で停車中の同車を見掛けたものの、札幌圏の普通列車は旧型客車ばかりだったように記憶しています。その後、札幌圏を訪れたのが平成にずれ込むことになり、客車列車は存続していたものの、すべて51系客車に置き換わってしまいました。そのため、このような組み合わせの写真を収めることができたのはこの時だけとなってしまいました。
2025.02.26
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西武鉄道 3000系:快速急行 西武秩父行き古くから秩父への観光輸送を担っている西武鉄道。西武秩父線の開業に伴い、秩父鉄道への乗り入れによる直通運転を開始。その運行形態は今でも続いていますが、かつては池袋から直通運転をしていたものの、近年では当たり前の系統分割が実施されてしまい、西武秩父行きの直通特急を除き、料金不要の車両による池袋から直通運転は消滅してしまいました。我が家から秩父へはクルマ移動ばかりで、鉄道に乗って行った記憶は小学生の時くらいですか。そのため西武秩父線の写真を撮った記憶もありません。そんな中、秩父鉄道への乗り入れではない、3000系による西武秩父行きの列車の写真が1枚だけありました。※撮影は、平成21年11月8日、小手指駅にて。3005編成 快速急行 西武秩父行きこの日は娘の水泳大会の遠征があり、早朝の武蔵野線から秋津乗り換え、さらに小手指から先への乗り継ぎの際にやってきたのがこの西武秩父行き快速急行でした。目的地の武蔵藤沢には停まらないため、ただの見送りだったと思いますが、西武秩父行きという珍しい列車に反応し、撮影したと記憶しています。この秩父鉄道に乗り入れしない直通列車ですが、あまり情報に行き当たりませんでした。やっとそれらしいサイトに行き当たり拝見したところ、2013年3月ダイヤ改正で副都心線と乗り入れに際し、快速急行を飯能で系統分割したことにより消滅したとのことです。上りは片道1本のみ存続していたらしいですが、これも2022年もなくなってしまったのことです。
2025.02.25
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東急バス(東急トランセ):三菱エアロスターMP217バスコレでファンになってしまった三菱ふそうエアロスターのMP218/618系ですが、都バスで最後となった残党を渋谷駅に捕獲に行った際、なんと、都バスよりも先に東急バス(東急トランセ)のエアロスターを見つけてしまいました。※撮影は、平成19年1月7日、渋谷駅西口にて。品川22 か55-25品川22 か54-81運良く2台の写真が撮れました。その後も足を運んだ際はチェックしてみましたが、都バスと同じくらいに運用を外れてしまったか、再び同車を見ることは無く、最初で最後の記録となってしまいました。
2025.02.24
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小田急電鉄 多摩急行:小田急 4000形平成30年3月17日は、小田急電鉄の複々線化完成などを含めたダイヤ改正となります。この改正により、常磐緩行線から直通し、小田急多摩線へ直通する「多摩急行」の種別が消滅しました。過去ログ『小田急電鉄 多摩急行:東京メトロ6000系』及び『小田急電鉄 多摩急行:東京メトロ16000系』で先行してご紹介しておりましたが、今回は小田急車両による多摩急行をご紹介したいと思います。※撮影は、平成30年2月17日、代々木上原駅にて。小田急4590 多摩急行 唐木田行き到着から発車直前まで手前の上り電車にカブられていたので、短い時間での撮影でした。4000形は正面ガラスが曲面で、肝心な「多摩急行」の表示があるところに光が反射してしまい、不鮮明になってしまいました。そこで撮っておいたのが横サボです。その後の撮影でも遭遇できるかと思ったのですが、東京メトロ車ばかりで、結局小田急車で撮影できた多摩急行はこの1列車のみでした。
2025.02.23
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小田急電鉄 多摩急行:東京メトロ16000系前記事の続きで、やはり多摩急行になりますが、使用車両は東京メトロの16000系になります。たった1日限りの撮影で、運行時間にも限りがあるためにあまり撮れなかったのですが、遭遇した多摩急行は16000系が圧倒的に多かったようです。※撮影は、平成30年2月17日です。16032 多摩急行 我孫子行き 梅ヶ丘駅にてまだ16000系が出たばかりの頃は、多摩急行が目の前に居たとしても撮影したことが無かったようで、東京メトロ車は6000系の多摩急行ばかりでした。6000系が小田急線内から完全に撤退し、新しい16000系が運用されるようになりましたが、前面サボや側面サボも変換表示される関係で、特に走行写真ではシャッターを押すタイミングによってどちらが表示されるか賭けになります。その賭けに負けた写真が最初の写真です。16029 多摩急行 我孫子行き 豪徳寺駅にて駅を移動して豪徳寺駅へ。後方から追ってくる下り午前中ラストの多摩急行を忘れて撮り損ない、この写真は確か上り多摩急行の午前中のラストだったと思います。賭けに成功した唯一の写真となりました。過去の経験から多摩急行は6000系ばかりというイメージがありましたが、車両改造により各社の車両が3社直通をできるようになり、また6000系は小田急線内から撤退となっており、いつの間にか主役たちが代わっていました。そんなことを知らなかったので、廃止告知があってから期間があったものの、結局は1回だけの記録となってしまいました。
2025.02.22
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小田急電鉄 多摩急行:東京メトロ6000系平成30年3月の小田急電鉄ダイヤ改正からの話題です。このダイヤ改正で、多摩線にも快速急行が新たに設定されることにに伴い、運行中の「多摩急行」の種別が廃止になるということが載っていました。過去データを拾ってみると、ほんのわずかですが、「多摩急行」の表示のある列車が確認できましたので、アーカイブしてみました。平成20年1月5日 和泉多摩川駅にて 6004編成 多摩急行 唐木田行き 表示がクリアでなかったため「急行」として整理していたのですが、画像を加工して解析したところ「多摩急行」と表示されていることが確認できました。平成23年10月29日 喜多見駅にて 6013編成 多摩急行 唐木田行きこちらは半逆光で正面に陽が回っていないのですが、その分、表示が大変クリアになって判別しやすく写りました。平成20年1月5日 代々木上原駅にて 6034編成 多摩急行 唐木田行き撮影日が前後しますが、LSE撮影の帰りに乗り継ぎの代々木上原駅に停車中の6000系を撮影したものです。たまたま字幕車だったので喜んで撮影したものの、帰ってから確認したらブレてしまっていたためボツになっていたものです。前回の公開時に画像を確認していましたら、「多摩急行」でしかも字幕車であるということもあり、復活してアーカイブすることにしました。字幕車であるために非常にクリアな行先表示であるにもかかわらず、ブレてしまって本当に勿体ないことをしました。平成20年9月22日 松戸駅にて 東京メトロ6034 唐木田行き常磐線松戸駅にて撮影した唐木田行きの6000系です。偶然にも字幕車であったため、方向幕がきっちり写っていました。おそらくはこの列車も多摩急行だと思われますが、常磐緩行線→千代田線内は全線で各駅停車となるため、混乱を防止する上で敢えて「多摩急行」を表示しないものと思われます。
2025.02.21
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富士急行線1200形:富士急標準色※本記事は、2020-09-26に投稿したもので、当時の表現になっています。先般、富士急行線1200形:1202編成(旧標準色)で記事にいたしました富士急1000形1202編成の引退イベントですが、台風襲来のため延期になったようです。富士急行 河口湖駅 1000系撮影会今回のイベントの関係で着目するまで全然気が付きませんでしたが、ついこの間まで主力であったと思っていた1000形・1200形は、京王時代のリバイバルカラー編成と「富士登山電車」の2編成しか残っていないんですね。知らぬ間に本来の富士急標準カラーの編成が廃車になっていました。普通列車はついででしか撮影しておらず、特にリバイバル塗装車ばかり着目しがちのため、標準色は少ししか写っていませんでした。※撮影は、平成21年3月28日、大月駅にて。1208編成4両編成の河口湖行き普通列車。残りは京王カラーのみとなり、4連を組むことは出来なくなってしまいました。1207編成大月駅へ到着する普通列車。こちらは2両編成で往復していました。1207編成同じ編成で、折り返しは途中の三つ峠行きになっています。JRホームに115系普通列車が入って来たので、記念写真として撮影しておきました。こんな光景はもう二度と撮ることはできません。最後に訪問したのは平成26年。元205系の6000形が導入されたばかりで、主力は1000・1200形でしたが、いつの間にか絶滅危惧形式になってしまったんですね。今後の推移が気になりますが、残りもそれほど長くないように思います。
2025.02.20
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JR貨物:さよなら北王子線※本記事は、2014-03-19に投稿したもので、当時の表現になっています。昭和2年から長きにわたって製紙輸送を担ってきたJR貨物の第一種路線である北王子線が、平成26年3月14日をもって運行を終了しました。王子貨物駅(現在の北とぴあ)が存在したころからその存在を知っており、かつて王子駅に勤務していた時も、通勤ラッシュが始まる頃にワムを連ねてゆっくりとDEが通る姿を毎朝見ながら過ごしたものです。しかし、既に59・2ダイヤ改正後であったため、パワムしかない貨物列車に興味がなくなってしまい、まったく訪問するどころか、写真の1枚すら撮ったことはありませんでした。今となっては非常に贅沢な話ではありますが・・・。昔から馴染みはあった路線ですので、廃止前に記録せねば・・・と、やっと何度か訪れました。路線が短く、良いポイントがなかなか見出せない路線ですが、撮ったものを並べてみます。入11入12北王子駅入13入14 以上、平成25年12月23日この日は原色のDE101566が牽引しました。初めての訪問ですが、金町のHさんにご案内いただき、スムーズに撮影できました。入13入14 以上、平成26年1月13日この日は更新色のDE101662。朝に出遅れたため1往復のみ、王子駅付近での撮影。訪問者もかなり増えてきました。平成26年2月11日3度目の訪問。まだ残雪があり、大変良い雰囲気だったのですが、なんと運休となってしまいました。諦めて帰宅したのですが、午後便は動いたようで、誠にもって残念でした。入13入14 以上、平成26年3月14日もう訪問することはないと思っていましたが、ダイヤ改正の前日に休暇が取れましたので、最後の挑戦で北王子線へ。最後の3日間はヘッドマーク付きということだったので、是非とも行ってみたくなりました。沿線は最終日の北王子線を記録しようということで、平日にもかかわらず大勢のファンが訪れ、別れを惜しみました。最も身近にあった貨物専用線でありながら、付き合いが疎かになってしまった北王子線。もっと早くに思い立ち、せめてワムがある頃にでも訪問しておけばと後悔しています。長い間お疲れ様でした。さよなら・・・北王子線。※北王子支線は、平成26年7月1日廃止予定として認可申請中ということです。
2025.02.19
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西武鉄道:3000系西武鉄道3000系は、昭和58~62年に掛けて製造された3ドア通勤車です。101系・301系の増備が終わり、混雑緩和のために4ドア車2000系も誕生していましたが、当時は池袋線の車両が3ドア車であったため、3ドアのままの省エネ車として誕生しています。製造数は、8連×9編成の72両でした。混雑緩和の必要性から、同系の製造終了後はすべて4ドア車となり、多摩湖線や多摩川線といった支線を除き3ドア車が淘汰され、省エネ車として101系・301系後発の3000系も平成26年12月をもってすべて運用から外れることになりました。平成21年11月8日 稲荷山公園~武蔵藤沢間にて 3005編成 回送平成22年1月1日 下井草~鷺ノ宮間にて 3017編成平成22年6月16日 清瀬駅にて 3011編成 銀河鉄道ラッピング平成22年7月14日 練馬駅にて 3011編成 銀河鉄道ラッピング平成22年7月14日 池袋駅にて 3011編成 銀河鉄道ラッピング平成22年7月14日 練馬駅にて 3011編成 銀河鉄道ラッピング平成26年12月20日の横瀬イベントをもって廃車・解体となった。平成22年7月14日 大泉学園~石神井公園 3015編成 ライオンズカラー ライオンズカラーラッピングは、平成25年12月5日に運行終了。結構撮っていたように思ったのですが、ラッピング車が多くて黄色い奴は少なかったです。数年前は101系や301系もありましたので、分けてしまうと少なめでした。『西武鉄道:新101系・301系』※3009編成が6両になって戻されたようですが、全廃である告知がされており謎となっています。復活ではなく、譲渡改造でも実施されるのでしょうか?
2025.02.18
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JRバス関東:いすゞキュービック(国鉄色)前記事の続きになります。2台並んでいたJRバスですが、前記事のブルーリボンが発車したため、その横に居たいすゞキュービックが撮りやすくなりました。※撮影は、平成16年5月2日、真岡鉄道茂木駅にて。いすゞ キュービック M531-92309 92年式こちらはちょっと古い車体でしたね。既に10年を超えています。大好きなキュービック、さらに国鉄色、そして地元では見られない前後ドアです。惜しむらくは、サイドにラッピング広告が入ってしまっているところですね。この車両も前面行先がLED化されておりますが、サイドには表示類が見当たりません。運転席窓内には宇都宮経由の表示がありますので、やはり作新か東武宇都宮駅行きだと思われます。
2025.02.17
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JR東日本 キハ48形:リクライニング車キハ48形リクライニングと言っても、この記事を書いている私自身がピンと来ない車両です。JR東日本において、東北新幹線八戸開業の際、八戸線観光用の気動車編成ということで、「うみねこ」の愛称で運転を開始しました。キハ48555+キハ481549の座席を回転式リクライニングシート化した2両編成で、塗装もかなり派手な色となっていました。こうした観光列車も殆ど乗ることはないので、まったく縁のない車両ですが、特急「日本海」の最後を撮影に行った際、寄り道した青森車両センターで偶然見掛けました。平成24年3月13日 青森車両センターにてなんか変な色の車両が停まっていると思ったのですが、なんとなくこんな車両を雑誌で見た覚えがありました。調べてもなかなかHITしなかったのですが、この編成が旧「うみねこ」であることが判りました。平成22年11月に「き・ら・き・らみちのく」が引退し、改装して「リゾートうみねこ」として平成23年のGWから八戸線に運用されるようになりました。活躍の場を奪われた旧「うみねこ」ですが、姿そのままに他線区における臨時列車などにちょくちょく使用されるようになりました。晩年は使用されずに青森車両センターに留置されていたようですが、平成29年11月29日、DE&ED75に牽引されて秋田工場へ送られた模様です。同編成との遭遇はこの時1回きりであり、記録に残せるような写真とは言えないものですが、一応記録としてアーカイブしておきます。国鉄 マニ30:現金輸送車以前、マニ30の幌がない!と悔やんでいたマイクロエースから、国鉄時代の幌撤去前のマニ30が発売になるということで、早速ポチ!しました。A1495 マニ30-2010 ホロ付[マイクロエース]《07月予約》A1495 マイクロエース マニ30-2010 ホロ付 Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A1495 マニ30-2010 ホロ付
2025.02.16
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国鉄 クモル145+クル144:配給電車その昔、首都圏の各車両工場と電車区を結ぶ配給電車が運転されていました。それらはいずれも戦前に製造された17m級旧型国電を改造したもので、クモル23、クモル24、クル29などで構成されていました。昭和50年代になると、吊り掛け式の旧型国電が急速に淘汰されるようになり、事業用である荷物電車や配給電車は首都圏でも最後の旧型国電となっていました。昭和55年、京浜東北線と山手線にATCが導入されることになり、戦前型の旧型国電ではこれに対応することが出来なくなるため、ATCを搭載したクモヤ143やクモル145といった新性能事業用車が誕生することとなります。完全な新製であるクモヤの143系に対し、101系からの主要部品を流用した車両は145系を名乗ることになり、クモルについては145系となっています。ちなみに、クモル145系の製造はATC化されるまえの昭和54年から改造が始まっており、クモヤ143と同時期となっています。つまり、クモヤ145のよりもクモル145の方が早く登場しています。クモル145は101系からの改造名義となっていますが、ボディーを持たない車体の強度の関係から17mとなっており、台枠を厚くして新製したことが他の145系と異なります。昭和55年5月頃 クモル145-10 下十条電車区にて新幹線工事などまだ始まっていない下十条電車区。1番線に一番近いところにクモルが停まってました。首都圏のクモルは工場を要する直近の電車区の配置となっており、下十条区には配置はありません。したがって、新製して間もない時期であることを考えると、訓練運転のための留置と思われます。昭和55年7月頃 クモル145-5? 蕨~西川口間にて番号がちょっと不鮮明なんですが、-5か或いは-6かもしれません。新製配置から間もない頃で、字幕が「試運転」となっていることから、試運転或いは訓練運転ではないかと思われます。昭和56年1月頃 蕨~西川口間にて地元で雪が降ったのでたまたま撮りに行ったときの写真。貨物線を走っていますので、おそらくは小山電車区か新前橋電車区から大井工場へ向けた配給電車ではないかと思われます。字幕もしっかりと「配給」になっていますので、やっと本格的に旧型国電と置き替わったようです。クモル145はクル144と固定編成を組む1M方式でありますが、クル144も制御車でありながらパンタグラフを搭載しています。これはクエのような作業用電源の集電ではなく、架線のない庫内へ少しでも奥へ入っていけるように、走行用集電を確保するためのもです。首都圏の部品配給は、JR貨物を除きかなり以前から自動車輸送に切り替わっており、平成20年6月を最後に姿を消しております。最後まで残存していたJR西日本の1編成も、令和3年11月19日付で廃車になってしまったそうです。
2025.02.15
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ED75牽引 50系客車:磐越西線 普通列車磐越西線に2往復が存置されていた50系客車使用の普通列車。磐越西線電化時から同線のみで活躍していたED77は平成5年度に整理廃車となり、軌道強化により入線が可能となったED75にバトンタッチすることになりました。平成7年2月4日 中山宿~磐梯熱海間にて ED75牽引 50系普通列車D51498撮影の合間に来た上り郡山行き普通列車。この年は峠下まで積雪があり、完全な雪景色になりました。まだ中山宿駅のスイッチバックも残っていた頃。50系客車による普通列車は、この年の12月改正で消滅してしまったため、ED75牽引の客車普通列車が見られたのはわずか2年強。ED77が全廃となって興味は失せ、ED75牽引の列車には特に着目もしておらず、当時の記録を見てもたった1枚きりのシチュエーションとなってしまいました。ED77牽引 50系客車:磐越西線 普通列車
2025.02.14
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高松琴平電気鉄道:600形(サンクスラッピング)今回は、高松琴平電気鉄道志度線に運用されている元名古屋市の600形です。車両や路線そのものではなく、ラッピング広告に関するもので、鉄道趣味とはちょっと趣向が異なります。平成22年7月24日 志度線 原~琴電志度間にて写真は、元名古屋市営地下鉄からやって来た600形で、広告ラッピング施工車です。車体は全身が鮮やかなレッドとなり、コンビニエンスストアの「サンクス(Thanks)」のラッピングが施工されています。もう既に懐かしい感のある「サンクス」は、長崎屋の出資で昭和55年に誕生したコンビニエンスストアです。平成16年9月に「サークルK」と合併しますが、店舗名称はそれぞれのものが引き続き使用されていました。さらに平成28年、「サークルKサンクス」は「ファミリーマート」と合併し、平成30年11月30日をもって、「サークルK」「サンクス」とも屋号消滅になりました。地元蕨駅前にも「サンクス」があったのですが、「ファミリーマート」に変わっていました。駅前に無い「ファミリーマート」のトラックが「サンクス」の前に停まっているので不思議に思っていたのですが、そういうことだったんですね。以前、コンビニに関係する仕事もあり、各社の本社にも訪問したことがあり、その中には「サンクス」も勿論含まれていました。そんなこともあってコンビニへの思い入れもあり、看板を記録していなくてガッカリしてしまいましたが、全然違ったところでこの写真のような記録があったので少しホッとしました。
2025.02.13
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JRバス関東:日野ブルーリボン前記事に関連し、同じく真岡鉄道に行った際に撮影したJRバスです。※撮影は、平成16年5月2日、真岡鉄道茂木駅にて。M537-94303 日野 ブルーリボンHU 94年式この頃は既にバスコレにハマっており、趣味的にバスの観察をするようになりました。特に好きな形式でもあった日野ブルーリボンです。都心では前中ドアばかりなので、地方の後ろ乗りに合わせた前後ドアを珍しく感じていました。塗装は新色に変わっており、並んで停車中のキュービックと共に好対照の組み合わせでした。前部表示がLED化されており行き先が判らず、側面は大型の行き先サボが取り付けられておりますが、不鮮明でちょっと判りませんでした。フィルムスキャンすればもうちょっと良く見えるのかもしれません。
2025.02.12
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485系1500番台:特急「つばさ」一貫して上野~秋田間を守り続けてきた、由緒ある東北特急「つばさ」。昭和50年11月のダイヤ改正で奥羽本線が全線電化開業となり、485系による運転が開始されます。前回は、1000番台をご紹介いたしましたが、今回は1500番台の写真が枚だけありましたのでご紹介したいと思います。平成2年2月18日 大沢~峠間にて写真は、峠駅近くの鉄橋を行く1500番台を先頭とする福島行き「つばさ」。東北新幹線開業後は、青森運転所に集中配置されていた485系1500番台が秋田・上沼垂に散っていったため、「つばさ」でも活躍するシーンが見られるようになりました。写真の列車は9両編成なので上野行きと思われますが、この時代になると地元では殆ど写真を撮った記憶がありませんので、上野口での記録が残せなかったのが残念です。485系1000番台:特急「つばさ」(イラストマーク時代)485系1000番台:特急「つばさ」(文字マーク時代)400系:新幹線「つばさ」E3系1000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」
2025.02.11
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485系1000番台:特急「つばさ」(イラストマーク時代)キハ80系特急「やまびこ」から独立して誕生した「つばさ」は、キハ181系化、そして485系電車化と様々に使用車両が変化した特急ですが、東北新幹線の開業まで長きにわたり、一貫して上野~秋田間を守り続けてきた、由緒ある東北特急のひとつです。昭和50年11月のダイヤ改正で奥羽本線が全線電化開業となり、485系による運転が開始されます。「つばさ」の電車化当初は、1000番台の製造が間に合わず、青森運転所の485系一般型(貫通・非貫通)が使用されていましたが、1000番台の製造完了とともに順次秋田区に配置され置き換えられて行きました。今日ご紹介いたしますのは、「つばさ」がイラストマークとなった昭和53年10月改正以降で、板谷峠の改軌前の時代のものです。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて 「つばさ1号」雪の中を行く12両編成時代に撮影した「つばさ」は、この1枚が唯一のものとなります。昭和57年 蕨~南浦和間にて 「つばさ」&「やまばと」東北新幹線の開業前、まだこの区間が特急街道だった頃です。秋田運転所の485系1000番台同士のすれ違い。昭和60年6月19日 板谷~大沢間?にて峠の赤い機関車を撮影するために、友人と3人で初めて板谷峠を訪れました。普通列車は既に50系化されていましたが、客車列車の撮影を目的としていました。しかし、普通列車の本数は想像以上に少なく、東北新幹線開業により大増発された「つばさ」が一番多かったですね。せっかくの撮影なのですが、梅雨時でもあり、天気が悪いのは致し方ないところでしょう。山間に淀む霧は、雲海のように幻想的な雰囲気を醸し出していました。昭和60年6月19日 板谷~大沢間?にて上の写真と同じ日ですが、段々天気が回復してきてフツーに撮れるようになりました。東北新幹線の開業後、6両編成の「つばさ」は格が落ちたように見えてしまいました。平成2年2月18日 峠駅通過線にて峠駅のスノーシェッドを抜けて下り込むシーンです。降雪量の多い板谷駅・峠駅は、複雑な複線スイッチバックのポイントを雪害から守るため、巨大な家屋のような屋根に覆われています。平成2年2月18日 板谷駅通過線にてこちらは場面が変わって板谷駅です。峠駅と同様、巨大なスノーシェッドで覆われています。スイッチバックは廃止された現在は、シェッドの中に申し訳程度のホームが設けられ、ここを新幹線400系が何事もなかったように俊足で通過していきます。板谷峠に撮影に来る3日前に東京を出て、大糸線のシュプール号の撮影に行っていましたが、友人の先輩から「板谷峠にいるから来い」との指令がかかり、1日早く撮影を切り上げて、糸魚川~新潟~米坂線経由で板谷峠まで行きました。今では絶対に考えられない行動です。平成2年6月30日 大沢~板谷間にてこの年は既に一部区間で改軌工事が始まっていました。写真では3本のレールが見えますが、これは改軌工事とは関係ありません。平成2年6月30日 赤岩~庭坂間にて庭坂の大カーブを行く6両編成の「つばさ」。この区間においては、既に下り線の改軌工事がほぼ終わっており、単線による運転が行われていました。改軌工事が両線で行われるようになると、「つばさ」は仙山線経由で迂回運転されるようになります。そして、山形新幹線の運転が開始されると同時に、485系「つばさ」は終焉を迎えることになります。485系1500番台:特急「つばさ」485系1000番台:特急「つばさ」(文字マーク時代)400系:新幹線「つばさ」E3系1000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」
2025.02.10
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JR東日本 DE101202先日アップいたしました『JR東日本 越中島支線:DE10牽引 チキ5500×4』で牽引に当たっていたDE101202。国鉄時代は弘前機関区に長く籍を置き、国鉄時代末期から民営化後の平成9年3月までは新庄機関区に配置されており、山形新幹線改軌工事により陸羽東線経由となった寝台特急「あけぼの」の牽引にも当たっていたようです。その後、宇都宮機関区に配置換えとなり、主に田端~房総方面の工臨や臨時列車等の牽引に使用されていました。平成24年9月28日 越中島支線にて DE101202牽引 チキ工臨JRになってから房総方面では殆ど見たことのなかったDE10。たまたま撮影したのが1202号機でした。この写真を撮った1年後の平成25年9月に廃車になったしまったようです。しかし、ネットで検索を掛けてみると、その後、岡山や九州で撮られた写真が見受けられます。調べてみると、JR東日本で廃車になって早々、JR貨物が買い上げたようで、遠く離れた岡山機関区へ配置され、主に米子地区などで活躍していたよう。さらに、翌平成27年5月には門司機関区へ転属となり3年弱程活躍、平成30年頃まで活躍していたそうです。北国生まれの1202号機は、廃車の難を逃れて長生きし、最終的には南国九州で活躍した異色のカマのようです。
2025.02.09
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国鉄貨車 トキ25000:トキ28413(配給車代用)トキ25000は、それまで使用されてきた大型のボギー無蓋車トキ15000の後継として昭和41年から導入された無蓋車です。トキ15000よりも1t多い荷重が積載可能となり、「オ」を冠しオトキ25000と表記されます。昭和59年1月29日 大宮操車場にて オトキ28413 配給車代用大宮操車場ハンプ廃止間際に撮影されたトキ25000配給車代用の写真です。昭和58年初頭くらいまでは、いわゆる黒屋根貨車であるトキ15000が配給車代用で使用されてきましたが、ワ12000などの旧型貨車と共に比較的新しいワム80000やトキ25000を使用した配給車代用に更新されました。トキ25000は前・後期で大きな形態差があり、外観上の大きな違いは台車で、前期型が板バネ式枕バネのTR209→TR209A、後期型がコイルバネ式枕バネのTR213となっています。写真のオトキ28413は昭和42年度予算で製造された若松車輛製で、分類では前期型となります。
2025.02.08
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DD51牽引:貨物列車(根室本線)DD51シリーズ、今回は国鉄時代に根室本線で撮影した貨物列車を2枚ほど。※撮影は、昭和56年3月13日、新得~落合間にて。DD51632牽引 上り貨物列車初期の重連型である622号機。狩勝峠越えの序章である新得側の築堤を上り始める貨物列車。比較的身軽な編成ですが、距離の長い上り坂は、相当な燃料を消費したことでしょう。後に続くホキ2200も全廃になって久しい。国鉄時代は数多く添乗する機会がありましたが、こうしたバラ積み輸送が一切無くなるとは夢にも思いませんでした。DD51635牽引 下り貨物列車ネガを見ていてあまりにインパクトの無い構図に見えたので、プリントアウトもせずに眠っていた写真。しかし、思い立ってスキャンしてみれば、今までアップしたどの貨物列車よりも『北海道らしい』編成でした。後に続くはホキ6000形でしょうか?純粋な石炭車で本州では山口県を除いて逢うことができない車両です。多分、待機中に急に来たため、なんの捻りも無い構図で撮ったと思います。しかし、風景と車両から1発で『北海道』と判る写真に仕上がっていました。
2025.02.07
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ED75牽引:12系団体列車(磐越西線)今でこそ動態保存車となった12系客車ですが、東北新幹線が開業してもしばらくの間はまだ第一線で活躍していたんですね。今回はそんな1枚です。平成7年2月5日 磐越西線 更科信号場~磐梯町間にて私も昔はこんな写真を撮っていたんです。仲間内では信じていない人も結構いますがwED77が、そして客車列車も撤退して魅力が無くなってしまった磐越西線でしたが、D51が走る毎年2月だけは大盛況でした。会津まつりが催行されるためか、このD51が走る時はこのような団臨を見ることがありました。
2025.02.06
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国鉄 オハ60系客車:オハニ6221(釧路)過去ログ『国鉄 スハ32系客車:スハ32233(釧路)』と同じく留置されていた3両のうち、札幌寄りに連結されていた荷物合造車のオハニ62をご紹介いたします。戦前の木造車の台枠を延長の上、20m級として鋼体化した客車が60系を名乗り、初期3連小窓のオハ60、広窓に改良されたオハ61、広窓で北海道仕様となったオハ62などに分類されます。昭和50年代後半くらいでは、旧型客車の置き換え用として50系客車が台頭してきましたが、まだ全国的に旧型客車は存在しており、珍しいものではありませんでした。しかし、その中でもアコモ的に見劣りする60系客車の淘汰が早くに進んだため、昭和50年代半ばにはかなり少なくなっていたように記憶しています。昭和56年3月 釧路駅にて オハニ6221釧路駅の側線に留置されていた荷物合造客車のスハニ62。ローカル線ではまだ重用されていた合造車で、特に北海道では合造気動車キハユニの配置が少なかったため、ローカル運用に良く用いられていたようです。当時としてはそれほど珍しく思っていなかったのですが、北海道仕様の特定形式の珍しさもあって、パスせずに記録していたようです。内地でもオハニ(スハニ)を見ることはありましたが、客車自体の形式写真を撮るようなことをしていなかった時代でもあるため、結果的には貴重な記録となってしまいました。国鉄 オハ60系客車:オハフ6044(釧路)
2025.02.05
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JRバス関東(国鉄色):富士重工5Eボディまだバスに興味が無かった頃、不思議なもので、バスの写真を撮っていることも何度かありました。知らぬうちに興味と言うのは育っているもんなんでしょうね。これはまだ娘も生まれる前ですか、真岡鉄道へ撮影に行った際に茂木駅で撮影したものと記憶しています。※撮影は、平成7年11月3日 真岡鉄道 茂木駅前?にて都心部では見ることのできないJRバス(国鉄バス)のため、記録したことのなかった懐かしい国鉄色のバスを見て、思わずシャッターを切ったものと記憶しています。表記類を拡大してみると、茂木駅から道場宿を経由し、作新学院の正門前まで行く、結構距離の長い路線のようです。運転席の窓にはJR宇都宮駅を経由する掛札も下がっています。車番は、M531-85280となっています。駅前には2台の同型が並んでおり、1枚目の写真は向かって右側の車両で、左側の車両は道場宿経由の東武駅前行きとなっています。やはりJR宇都宮駅経由となっていることから、おおらく東武宇都宮駅まで行く路線と思われます。車番は、1枚目の写真にしっかりと写っており、M531-84279となっています。いずれも富士重工5Eボディで、もうかなり前に都市圏では見られなくなった車両です。この頃ではメジャーな形式であったと思われ、写真からもまだまだ真新しく見えます。良き時代の光景ですね。
2025.02.04
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485系1000番台:特急「つばさ」(文字マーク時代)キハ80系特急「やまびこ」から独立して誕生した「つばさ」は、キハ181系化、そして485系電車化と様々に使用車両が変化した特急ですが、東北新幹線の開業まで長きにわたり、一貫して上野~秋田間を守り続けてきた、由緒ある東北特急のひとつです。昭和50年11月のダイヤ改正で奥羽本線が全線電化開業となり、485系による運転が開始されます。「つばさ」の電車化当初は、1000番台の製造が間に合わず、青森運転所の485系一般型(貫通・非貫通)が使用されていましたが、1000番台の製造完了とともに順次秋田区に配置され置き換えられて行きました。今日ご紹介いたしますのは、1000番台誕生間もない頃で、「つばさ」がまだ文字マークの時代のものです。中学生の時でカメラもろくなものではなかったため、ブレたり劣化によるカラーバランスの崩れなど、非常に出来の悪い画像であることをご了承下さい。昭和51年頃 赤羽駅にて昭和51年頃 赤羽駅にて昭和51年頃 尾久駅にて昭和52年頃 上野駅にて昭和52年頃 上野駅にてキハ181系が好きだった私にとって、「つばさ」の電車化は非常にショックでした。しかし、今振り返れば485系が最も活躍していた頃であり、文字マークで特急列車を主張していた良い時代であったと思います。惜しむらくは、登場当初に200番台(貫通型)の「つばさ」が走っていたのですが、キハ181系が駆逐されてしまったショックからか、全く撮っていなかったことです。お断り:昭和51年頃に撮影した写真については、場合によると300番台非貫通型の可能性もあります。また、「つばさ」は暫くの間食堂車(サシ481)を連結していましたが、食堂車の営業休止が既に始まっていた頃だったので、食堂車のみ一般型を連結していました。従って、サシ481に1000番台は実在していません。
2025.02.03
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JR東日本 チキ5200:チキ5237+チキ5219JR東日本では、チキによるレール輸送がキヤに移行されることにより、すべてのチキが運用から外れてしまうことになりました。レール輸送には数種類の平板貨車は使用されていましたが、今回はこのうちのチキ5200形の写真が1枚だけ見つかりましたのでアーカイブしておきたいと思います。チキ5200は、国鉄時代の昭和54~56年に改造により誕生した貨車で、レール輸送に使用することを目的に製造されました。当時、車両性能の関係で余剰となっていたコキ10000の車体とコキフ50000の台車を利用して改造したゲテモノ車で、定尺レール輸送に車体長を合わせるため切り詰めを行っており、一見するとコキ10000からの改造車と想像するのは難しい車両です。誕生した時代からすれば大宮操車場勤務時代に添乗した可能性も無くはないのですが、この車両に乗った印象がありません。平成24年4月19日 八王子駅にて チキ5237+チキ5219現場回りへ行く際に見付けた東急5000系の写真を撮った際、手前にあった言わば邪魔していた車両がチキ5200形2両でした。こうした車両は保守基地に停まっているところは良く目撃するものの、大概はホームなどの至近距離から撮影できないことが多いため、レールを積載した状態で記録できたのは良かったです。他にも探してみましたが、この1枚しか見つかりませんでした。
2025.02.02
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旧型国電 :80系(その4)飯田線の80系です。前回のアップから非常に時間が空いてしまいましたが、『旧型国電 飯田線:80系(その3)」』に続いて第4回目。今回は冬編の続き、最終章です。昭和58年2月9日 駒ヶ根?前後で異なる顔。80系も終焉を迎えます。昭和58年2月9日 大沢信号所にて飯田線のCTC化による自動閉塞信号の導入が決まり、合理化も目前に迫ってきました。この大沢信号場も有人でしたが、無人化が既に決定。同信号場を訪れた際、信号場の風景の写真を運転主任さんに頼まれました。次に訪れた時に偶然にも同運転主任さんがおられて、無事に写真パネルを渡すことが出来ました。何の連絡もせずに訪れたのですが、逢うことができて良かった。お礼と言って私にくれたタブレットキャリア(使い古し)は今でも宝物として残っています。昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて昭和58年4月16日 豊川駅構内にて運用から全面撤退した80系電車。既に浜松工場送りになった車両もいましたが、しばらく豊川駅に残っていたものがありました。その中にはモハ80300(全金車のトップナンバー)もおり、写真に収めることができました。長距離旅客電車の始祖であった80系電車も、これを以って終焉を迎えることとなりました。
2025.02.01
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