花火


ここから私は本当に彼女ら、特に叶恭子のすごさを実感してしまうのだ。

「ショーのおかげで大好きな人をデートに誘うことができました。ありがとう叶姉妹」
男性のメッセージである。
司会者は「差し支えなければ、これを書いた方、手を挙げてください」という。
でも手は上がらない。
司会者は重ねて挙手を促す。手は挙がらず、会場に気まずい雰囲気が漂う。
そこで叶恭子がすかさず
「あらー、男性カップルかも知れないでしょう~!」と「口を挟む」。
司会者はあっと気づいて「私の見識が狭かった」と次に進む。

ここがびっくりだったのだ。
だから少し自分の考えを書いておこう。

男性のメッセージは、普通の人にはなかなか言えるものではない。
そのような人が「俺でーす、俺・俺!」と手を挙げるわけはない。
それにカップル全員がそのメッセージ通りであっていいのだ。
一方、司会者は始めに「差し支えがないなら」といってしまっている。
差し支えるなら手を挙げなくてもいいのだ。

カップル全員が挙手をすれば完璧な盛り上がりになるが、現実的ではない。
私が代わりに手を挙げてたとしても、会場をまとめる力はない。
司会者は挙手がなかった時のこと考えておくべきで、それなくしては会場に甘えていると言うことになるのだ。


とはいえ挙手があれば当座盛り上がるから、司会者ではない叶恭子は黙ってにこにこしているのだ。

会場にとまどいが広がった時、叶恭子はそっと口添えするのではなく
「口を挟ん」だ。
男性カップルである可能性を指摘し、日本ではまだ市民権を得ていないことを確認し、
挙手をうながすことをやめさせた。
彼女は会場に男性カップルがいないことを素早く察知している。
まず会場外の固定観念に責任を渡して司会者と客を守ったのだ。

それを叶恭子以外の人が言ったらどうだろう。
きっと「え~またまた~」と奇抜な発言ととられ、
「で、誰、誰?メッセージ書いたの?」と振り出しに戻る。

叶恭子だからこそ客の頭を切り変えることができる。
それぞれの叶恭子観から「恭子様の言うことなら絶対だ」
「まねできないが彼女のいうことも一理ある」
「やっぱり不思議な人は言うことも不思議だ」
などなど・・・。
叶恭子は自身が直接口に出すことで、全体の責任を自分に持って帰っているのだ。
叶恭子は強烈な個性を分かって表現しているし、
メディアを通してどうとらえられているかも知っているのだろうから
それを生かして一見奇抜な「男性カップル説」を打ち上げて会場を救ったのだ。

自分のキャラもはっきりしない、受け取られ方もはっきりしない、
時と場合によって都合よくふらふらしている私には危険すぎて打ち上げられない花火である。





© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: