




「こんにちは~。この講師を務めさせて頂く琥珀と申します。よろしくお願いしますね~」

「適材適所ですよ、涼子さん。他に相応しそうな人ってのも、なかなか見あたりませんし。ここは一つ私が引き受けましょうと思ったわけです」

「はい。僭越ながらこの琥珀が講義を始めさせて頂きます」
「やっぱり世界史コンテンツということなので、大砲の起源から時代を追って近世くらいまでを説明する形式がいいと思っていますけど、どうですか?」
「それでは、いきなりですが質問をしちゃいます。火薬が発明されたのはどこでしょう?」
「アルクさん正解アル。中国4000年の歴史が生み出した世界三大発明の1つアル」

「まぁ、ゆとり教育は置いておいて…。確かな資料が残っていないため、正確には分かりませんが、中国で生まれたのは火薬だけではなく 大砲も中国が起源
であり、13世紀頃、大砲等と共にシルクロードを介して伝わったのではないかと考えられているのですよ」
「大砲と言っても、壺みたいな容器から鉄の矢を打ち出すという 実用性皆無のオモチャ
みたいなものなんですけどね」
「中国人は花火とか平和的な火薬の用途もいろいろと伝えたアルが、 欧州では専ら銃砲に関する部分を学んだ
みたいアル。欧州人は中国人と違って好戦的アルね」
「アルクェイドさん!そういう政治的発言はいけないと思います」
「・・・で、では続けますね。火薬の知識を最初に明らかにした欧州人は 『ロジャー・ベーコン』
です。彼の『芸術と自然の知識の業についての手紙』には、 黒色火薬の処方
が記されていました」
「そうなんですけれど…結局、大砲が発展するのは欧州においてなので、中国に関する記述はやらないことにしました」

「皆さん、なかなかお詳しいじゃないですか。中国で発達した火薬兵器は、まったく実用性皆無というわけでもないのですが、後世に与えた影響では欧州の大砲に適わないと考えまして、今回は講義内容から除外したのですよ」
「私が思うに 火薬文化の違い
ではないでしょうか?先ほども言いましたけど、中国では戦争以外でもいろいろと火薬を利用していました。それには、硝酸含有率が高いものから低いものまで様々です」
「ご明察。それに、当時のロケットなんてどこに飛んでいくか分からないような兵器で非効率的ですから。当初は高価だった火薬をそんな無駄なことに使おうと思うはずもなかったのではないですかね」
「さて、話を戻しますよ。 『ロジャー・ベーコン』
は火薬を危険なものとして一般に知られないように、本に火薬のことを書くときに暗号使ったりして、欧州に火薬が広まらないようにしたそうですが、全く無駄でした。中国から様々なルートで入ってくるのだからどうしようもなかったでしょう。というかその火薬の製法の写本は 偽書
とも言われており、この説はちょっと怪しかったりもするんですけど」
「さすがに正確な年代までは不明ですが、少なくとも 1320年代には一般的な兵器になりつつあった
ようです。フィレンツェには『金属の大砲』の調達を命じる1326年2月11日付けの書類が残っているそうですよ」
「え~と…今回は具体的な運用についてはパスしちゃいます。とりあえず、当初は野戦ではあまり役に立たず、 専ら攻城戦で運用された
と憶えておいてくださいな」

「いいですか。大砲そのものについての説明もしますが、大砲を語るにはまず火薬、そう 黒色火薬
について理解を深めておく必要があります。この黒色火薬が大砲という兵器を生んだのですから基本として押さえておくべきでしょう」
「黒色火薬は、可燃物として木炭と硫黄、酸化剤として硝酸カリウムの三成分の混合物で色は黒く、吸湿性がある。発火温度は粉火薬で290℃、粒状薬で300℃で炎・摩擦・静電気・衝撃に対して敏感で発火しやすい。燃焼速度は数cm/s~400/sであり爆轟はしない。木炭は酸化して熱と炭酸ガスを発生し、衝撃感度を鈍化させる効果を有する。硫黄は着火温度を下げガス発生量を増し炎を大きくし衝撃感度を高めると共に爆発生成物中の一酸化炭素と青酸の発生を抑制する。爆発すると、固体物質が約55%、気体が約45%発生する。爆発熱は約700~750kcal/kgである。比較的安定で長年貯蔵してもほとんど変質せず直射日光にさらされてもほとんど変化しない…」

「現代の爆薬と黒色火薬を比べないでください!そんなこと言うなら octanitrocubane
の爆速は9898m/sですよ」
「はい。それでは続けますね。当初、 黒色火薬は欧州で非常に貴重品
でした。それは黒色火薬の原料となる硝石が欧州では産出されないため輸入に頼らざるを得なかったからです」
「中国南部と南アジア一帯、特にインドのガンジス川峡谷あたりで質の良い硝石が産出されました。それを輸入していたわけですね」
「火薬の値段も問題でしたが、もう1つ大きな問題がありました。それは 大砲の強度の問題
です」
「はい。14世紀初め頃の大砲は 鍛鉄砲
、すなわち鍛冶屋さんが鉄の輪をいくつも並べて溶接して、最後にタガをはめて作る大砲が主流なんですが、この溶接が不完全で頻繁に暴発したのですよ」

「ですから、 初期の大砲は比較的小型なものが多かった
ようです。しかし、やがてその状況に変化が訪れることになりました。なんだと思いますか?」
「それはもうちょっと後の話ですね~」
「はい。欧州でも 醸成場で硝石を生産できるようになりました
。その為、値段がどんどん下がっていったのですよ」
「そうですね。14世紀末から値段が下がり始めたのですけれども、値段の下落が終わる 15世紀末には1380年代の2割以下
になってました」
「 石造りの穴蔵と動物の糞尿さえあれば硝石を生産できる
のですから、典型的な農民の産業となって広く普及したわけです。輸入品に加えて豊富な欧州産硝石が出回った訳ですから、需要と供給の関係で、そりゃもうお安くなりますよ」
「14世紀末から15世紀半ば頃までに 鍛鉄砲の値段も2/3
くらいになっていますね。技術的にも、より大きな砲が作れるようになっていったようです」
「そうですね~有名どころではエディンバラ城にある 『モンス・メグ』
ですかね。ブルゴーニュのフィリップ善良公のためにフランドル地方で鋳造された大砲で、後にジェームズ2世に贈られたものですが、スペックは口径19.5インチで549ポンドの石弾を打ち出せたみたいですよ」

「もっと大きいのもありますよ~。 『ドゥレ・グリート』
という鍛鉄砲は、口径25インチで750ポンドの石弾を打ち出す化け物です」

「ところが、そういう訳でもないのです。これらの大きな大砲は強力ではありましたが、圧倒的な火力と言うほどの威力はありませんでした。なぜならば、脆弱な砲身を暴発の危険から守るために、装薬につかう火薬の量を制限していたからです。また砲身の内壁と石弾の隙間も意図的に大きくしてあったのですが、これも 弾道学的特性よりも安全性を重視した結果
でした」
「逆に言うと、初速が低い石弾しか打ち出せないという技術的制約の範囲内で、石弾に十分な運動エネルギーを与える最良の方法が、 大砲の口径を大きくすること
だった、ということですね」
「いえいえ、大砲が大きくなれば、その分砲身を肉厚にすることによって安全性を確保するわけですから、大きい大砲だから暴発しやすいというわけではありません。とは言っても暴発したら悲惨なことになってしまいますけど。『モンス・メグ』なんか攻城戦の指揮を執る ジェームズ2世を暴発事故でミンチ
にしちゃってます」
「他にもいろいろ問題があったんですよ~。それで、このような初期の巨砲はやがて廃れていくのです訳なんですけどね。『モンス・メグ』は総重量5トンにも達し、 水路を利用しない限り移動が極めて困難
で、実際に運用するのは大変だったようです」
「そうですね~。『モンス・メグ』なんて出陣したときに エディンバラ城の外に出たとたんに砲架が壊れて出発が3日遅れた
とか、お莫迦なこともありましたし。古代ローマの時代と違って道もよく整備されていないから重量物を運搬するのはとても大変でした」
「 そうですよ
。手間が掛かる割には役に立ちませんでした。少なくとも黎明期の大砲は」
「それがそうでもないんですよ~。初期の大砲は音と煙で威嚇効果は凄かったんですけどね。従来から使われていた 投石機の方がよほど役に立つ場合も多かった
ようです。木製で軽く、分解して運搬でき、現地で修理が可能。そして射程・命中率・投射質量どれをとっても当時の大砲と同等以上の性能でしたから」

「15世紀に入れば大砲もそれなりに使えるようになってくるのですけどね~。投石機という必要十分な能力を持った兵器があるにもかかわらず、14世紀の大砲黎明期に、なぜ少なくないリソースが大砲に投入されのかは難しい問題です」

「正直分からない部分が多いですから。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。私は 木工ギルドに対する金属工ギルドの経済闘争
が影響しているという説を押しますけど」
「そうは言っても、確かに初期の大砲は手間が掛かる割には役に立たたないんですが、まったくの役立たずという訳でもないのです。大砲がやってきただけでびっくりして、城を明け渡したなんていう例もありますし、費用の掛かる攻城戦を短縮させることに貢献できる場合が多かったみたいですよ。主に 心理的因子
なんですけどね」
「 心理的因子
は意外に重要なんですよ!」

「別にそればかりではないんですけどね~。それに 攻城戦には大きな資金が必要
ですし、 野戦軍が長期間釘付け
になります。そのリスクを少しでも低減させる手管があるならば、何だってやろうと思いますよ」
「そうですね~。14世紀末から火薬は安くなっていったけど、装薬を増やすと暴発し易くなるし、仕方ないから口径を大きくすると重くなって動かすのが大変になってしまいます。ちなみに、この問題を改善するにはどうしたら良いと思いますか?」


「 マホメット2世
」
「貴方が聞いたのですよ。 『そんなこと誰がやるというのだ?』
って」
「いえ 事実
ですよ~。運搬が困難であるならば、現地で作ってしまえばよい…圧倒的な国力を持つ当時のオスマン・トルコだからこそ可能だった荒技ですけどね」
「無茶ではありますが、不合理ではありません。そこまでしなければコンスタンチィノープルの三重防壁は破れなかったということでしょう。歴史に残る偉人はスケールが違いますね~」



「このエピソードは、実はトルコと欧州のその後の明暗を分ける重要な示唆を含んでいるんですけどね。 軍事技術の方向性というか考え方の違いが如実に表れちゃってます
」
「トルコは 単純に大きな大砲
を作ることによって、威力を増大させ、大砲を攻城砲として進化させていきました。それに比べて欧州では逆になるべく小さくコンパクトにする替わりに初速の速い大砲を開発して、 野戦・攻城戦どちらにも対応できる柔軟性の高い大砲
に進化させていきました。これがやがて軍事力の差となって現れてくるのですが…そろそろ終わりの時間になってしまいました」
「はい、承りました。次回は巨砲から機動力のある軽量化された大砲へと進化していく過程と野戦での運用についての講義とします。どうぞお楽しみに~」
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