人生楽ありゃ苦もあるさ

人生楽ありゃ苦もあるさ

Drマーティン ルーサー キング Jr



自由と平等への鐘をならしつずけたキング牧師
(http://www.labo-global.co.jp/spc-o-word/wordpro/king/king.htmlから
引用)

「わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢があるといいたい」黒人牧師の張りのあるバリトンが霊歌のような響きで、聴衆の心を強く、深くゆさぶった。

1963年8月28日、アメリカ、ワシントンDC。黒人公民権運動の行進に参加して25万人の人びとにむけて、リンカーン記念堂前で行われたマーティン、ルーサー キング Jr牧師による”I HAVE A DREAM”演説である。

1950年代。第二次世界大戦も終わり、自由と平等が実現されたはずのアメリカにも人種の不平等はあった。南部の州の多くが人種隔離制度をつずけていたのだ。施設やバスの席などは、白人用と、黒人用に分けられ、さらに黒人には選挙権もなかった。そんな制度をやめようと公民権運動に立ち上がったのがキング牧師だ。

1929年、ジョージア州アトランタの牧師の家に生まれた物静かで聡明な青年は25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になる。市バスでの差別に抗議した(注1)主婦(黒人)が逮捕されたのをきっかけに、公民権運動に加わったのは、26歳。以来、反対派や警察からなんども、暴行を受け投獄された。胸を刺されて命を落としかけたこともあった。家に爆弾をしかけられたりもしたが、キング牧師は「暴力には、魂の力で応えるのだ」と訴え、暴力をつかわない運動を指導。「白人に対する黒人の勝利ではなく、すべての人の自由と平等という勝利が、白人と黒人がともにみるアメリカの夢」と説きつずけた。そして、(注2)1964年、ついに公民権法が制定。キング牧師はノーベル平和賞を受賞する。しかし、非暴力に反対する力も台頭しはじめ、1968年4月、キング牧師はテネシー州メンフィスに黒人清掃作業員の運動にでかけたとき、銃で撃たれ亡くなる。(白人男性が撃った)
39歳の若さだった。

演説の内容
(同じサイトから引用)

私には、夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であったものたちの子孫と、かつての、奴隷主であった者たちの子孫が兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるという夢を。私には夢がある。いつの日にか、私の4人の幼い子供達が、肌のいろによって区別されず、人となりそのものによって評価されるときが来るという夢を。私の父が死んだ土地で、メイフラワーの清教徒達が誇りとした地で、すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら、これは実現されなければならない。ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から自由の鐘を鳴らそうではないか。ニューヨークのそうそうたる山やまから自由の鐘をならそうではないか。ペンシルバニアのアルゲニー高原から自由の鐘をならそうではないか。コロラドの雪を抱いたロッキー山脈から自由の鐘をならそうではないか。カリフォルニアの曲線の美しい丘から、自由の鐘をならそうではないか。それらばかりではない。ジョージアの石ころだらけの山、テネシーの望楼のような山、そして、ミシシッピの全ての丘から自由の鐘をならそうではないか!そして、私達が、自由の鐘をならすとき、すべての村、全ての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすそのとき、神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も新教徒もカソリック教徒も、皆互いに手をとって古くからの黒人霊歌を歌うことができる日がくるだろう。
「自由だ、ついに自由だ、全能の神よ、感謝します。ついに、われわれは自由になったのだと」

私の補足

注1)市バスで、働いて帰る途中の黒人主婦が、あまりに、つかれたため、
自分のすぐ、ちかくに、あった、白人専用の席に座り、バスの運転手から注意うけても、動かなかったため、逮捕された。
この女性の名前はローザ パークスといって、映画化もされた、”ロング ウォーク ホーム”が邦題。MIKKIMさん教えてくれてありがとう。タイトル。これで、すっきりしましたわー。

注2)キング牧師が、ノーベル平和賞を受賞した1964年その同じ年に、
アラバマのバーミンガムの黒人教会がKKK(白人至上主義集団)に爆弾で、吹き飛ばされ、、幼い子供達の命をうばった事件がおこった。




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