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日本一のせんべい消費量(事実です)を誇る宇都宮市民のひとりであるワタクシめが、自信を持ってお薦めします~当地・栃木のおせんべい栃木・宇都宮大通り 酒井商店(屋号:酒井干瓢店)宇都宮の餃子煎餅、餃子パイ、宇都宮焼餃子せんべいなどおやつに、ビールのつまみに、かなりイケます~味はけっこう強烈、餃子そのものです~。僕も大好きです~(ダイエット中なので、最近はちょっとご無沙汰ですが~)・・・実は、酒井干瓢店さんは僕の自宅のすぐ近くで、娘と散歩のついでによく寄ります当地・宇都宮を代表する「宮の橋」という橋のたもとの立派でキレイな店構えの老舗です~。明治40年(1907)の創業から101年。栃木・日光石田屋謹製歯ざわりの良い、軽い焼き上がりが人気フレッシュバター味 日光甚五郎煎餅16枚入り ¥800-日光甚五郎煎餅手作りセット ¥1,300-当地で贈答、進物といえば、まず「日光甚五郎煎餅」です。伝統と格式さえ漂わせる、堂々たる風格の逸品です。自信を持ってお薦めします~。たまり醤油を染み込ませた、しっとりしたぬれせん日光たまり漬け煎餅 9枚入り ¥450-ぬれせんの食感、僕もハマってます~栃木・那須烏山 こめの里本舗の人気商品大判ざらめ煎餅 12枚入りほんのり甘く口の中に栃の実の香りが広がる素朴なお煎餅とちの実せんべい(小) ¥640-ほんのり甘く口の中に栃の実の香りが広がる素朴なお煎餅とちの実せんべい(袋) ¥380-創業大正15年 栃木・宇都宮 大越米菓店宇都宮・餃子せんべい ¥300より各種こちらは酒井商店とは別の、正統派風味。
2008年06月30日
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昨夜28日は、ウォーキング・エクササイズの今季29回目。梅雨の一瞬の隙を突いて、1時間弱。相変わらず蒸し暑い。なお、おとといの測定で体重78.2kgを達成!91kgだった3月初めから見ると、約4ヶ月で12kg痩せた。1ヶ月につき3kgは、可及的にして速やかなる、理想的なペースかな~と思う。・・・すいません、どう控えめに書いても、自慢話になってしまうよね~このところ何だかんだと気ぜわしく、80kgの時からしばらく量っていなかった間に、2kg近くも減っていた~。ダイエットは着実に成功していたのだった。ところで、この辺でこれまでの途中経過と分析的なことなどを少し書こうと思っていたのですが、実は今、4歳の長女が39℃台の高熱を出してダウンしてしまいまして(・・・単なる風邪だとは思うんですけどね~)、それどころじゃない状況ですので、また改めて書きます~昨夜のデータは、実質54分(0.9時間)で7259歩。距離は、1歩75cmとして、7300×0.75=5475m平均時速は、5.5÷0.9≒6.1km/h現在の体重78kg。推定消費熱量は、「METS」を用いて、78(kg)×4(METS)×0.9(h)≒281kcalだった。* METSを用いる計算式については、こちら。体脂肪に換算すると、281÷7.2(kcal)≒39gに相当する
2008年06月29日
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当地、栃木・宇都宮の全国区の名物は、皆さまおなじみの餃子ぐらいしかないのかな~と思っていたら、何とせんべい(煎餅)の消費量でも日本一だと耳にした。ネットで検索してみたら、これはまぎれもなく事実だという。当地のスーパーマーケットのせんべい・あられの棚は、ずばぬけて広いらしく、他県の製菓業者が来ると驚くのだそうだ。・・・なるほど、言われてみれば確かに、って感じだ。1列ぐらい、平気でせんべいの棚になっているもんね今回改めて気が付くまでは、それが当たり前の光景だと思っていた。僕自身、このところは炭水化物ダイエットでぐっとこらえているのだが(・・・つらい)、もともと、あられ・おかきの類いには目がない。・・・日常生活でも、思い当たるフシは多々ある。とにかく当地の人間はせんべいをよく食べる。人が2~3人集まれば、とりあえずせんべいとお茶だとりわけ、女性がせんべいを好む。尋常ならず好むと言っても過言ではない。わが亡き母も、妻も、親戚縁者、あの人もかの人も、みんなせんべい好き。正確にいうと、当地では「せんべい」とはまず言わない。「おせんべ」である。わが幼い娘たちも、生まれてから発した言葉の2~3番目に、早くも「おしぇんべ」と言ったと思う(・・・「おしゃまんべ」ではない)・・・これ、作り話じゃないからおそろし~むろん、これは妻や僕(特に妻)が、日頃から言葉の端々に「おせんべ、おせんべ」と言っているから、自然と覚えてしまったわけである。何しろ、離乳食の次に「かっぱえびせん」って感じだった・・・塩分取りすぎを警戒して、さすがに量は抑えたけれど。家に帰れば、も~絶えず誰かしらバリバリボリボリパリパリポリポリカリカリコリコリやっているのが我が家であり、当地の家庭である。われわれ宇都宮市民(地元では「宮っ子」と言います)のせんべい好きは、骨がらみの病膏肓(やまいこうこう)であると言って間違いないと思う
2008年06月29日
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近所にて、けさ写す。・・・このお宅、いいセンスしてるよね~
2008年06月28日
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近所にて、けさ写す。マリーゴールド(きく科)は、除虫菊(蚊取り線香の原材料)と種類が近いので、花壇やプランターなどに植えておくと、虫が寄り付きにくいと、園芸研究家の方がテレビで言ってました。・・・わが愛する娘のそばにも、植えておきたい
2008年06月28日
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くまんパパ 「短歌人」7月号掲載作品表現は自由にあれば我叫ぶ静かに叫ぶ自由西蔵フリーチベットチベット旗自由を求め凛乎たり五星紅旗の血の海の中チベット旗踏み躙にじられて破られて打ち棄てられつ風強き日にチベットは身を捨つるべき祖国らし涙さしぐみ羨ともしかりけりにこやかに首脳同士は握手せりああ世はすべて事も無きかも思ひ出づかの「アクロス・ザ・ユニヴァース」歌ひしものはチベット仏教ちびてゆく石鹸を見て心より哀れむ吾子や愛めぐしかしこし*著作権を有しますが、このエントリーに限り、引用・転載は自由といたします。どうぞご自由にお使い下さい。© 2008 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved but I abandon it.
2008年06月27日
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サザン30周年ということで小文を書いていて思い出したが、そういえば歌人・俵万智さんはサザンが相当好きと見えて、作品の中で効果的に使われていると思った記憶があるので、彼女のメジャー・デビュー作(?)で、一世を風靡した名歌集「サラダ記念日」(1987)をけさ久しぶりに繰ってみたら、やはりと言うべきか、3首もあった。・・・以下、「研究目的」ということで、テキストの引用をお許しいただきたい。思い切りボリュームあげて聴くサザンどれもこれもが泣いてるような吾の好きなサザンオールスターズを弟も聴く年頃となる忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ「サラダ記念日」の中では、むしろ地味目な感じの3首であるが、どれもこれもが細心の神経が行き届いていて、平明でありつつ上手いなあと思う「どれもこれもが泣いてるような」と言うのは、桑田のヴォーカルの特徴をとらえて見事。2首目も「吾の」なんて万葉集みたいな上古語を唐突に使って、ある種の格調とメモリアル(記念碑)感を醸し出している。・・・いうなれば、和歌短歌は「そんじょそこらの散文とは違うのよ~、ツンツン♪」感でもある3首目の「ひねもす」も同工異曲な古語の使い方。歌集の中で、そのほかのJ-POPについては、けさざっと見た限りでは、松任谷由実の「ダウンタウン・ボーイ」への言及が一箇所あるだけだと思う。・・・なるほど、確かにこれもすごい名曲で的確な使い方だと、かつて片田舎のダウンタウン・ボーイであった僕も思った。「サラダ記念日」は、普通に庶民的な、当時の20代前半ぐらいの女の子のデレ~ッとした日常生活を詠みながら、ビミョ~なツンツン・タカビ~・シンデレラ系お嬢様感も漂わせている。今の言葉でいえば、その「ツンデレ」な感じが、絶妙と言えるかも知れない。こうして見ると、確かに当時、プロ歌人から一般読者にまで、あまねく衝撃を与えただけのことはある。ちなみに、当時から上野千鶴子東大教授を首魁とする、闘うジェンダーフリー過激派フェミニズム陣営からは、「女の敵」だの「タヌキ顔」呼ばわりだのされて、激しく敵視されているのは、まことにご迷惑さま・お気の毒さま~と言うほかはないそれはともかく、当時、僕もそのインパクトを、けっこうまともに受けとめた一人だ。そして、しばらく経ってからだったが、自分でも歌を詠む真似事をしはじめた。200万部以上売れ、短歌表現におけるポピュラリティ(大衆性)を代表する分かりやすい作品であるが、歌壇のプリンセスと呼ばれ、今なお別格扱いである俵さんは、やはり庶民の心(・・・というのも手垢にまみれた言い回しだが)と同時代性ということを、天賦の才で熟知している才女と言うべきであろう。・・・めちゃくちゃ尊敬している。というか、崇拝に近い
2008年06月27日
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若山牧水(わかやまぼくすい)いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや男なれば歳とし二十五のわかければあるほどのうれひみな来こよとおもふ君見れば獣のごとくさいなみぬこのかなしみをやるところなみくちつけをいなめる人はやゝとほくはなれて窓に初夏の雲見る恋といふつゆよりもいやはかなかるわが生よのなかの夢を見しかなみじか夜のころにはじめてそひねしてものゝあはれを知りそめしかな山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音歌集「独り歌へる」(明治43年、牧水25歳)註うれひ:憂い。憂鬱、憂愁。思い悩み。来こよ:古語動詞「来(く)」の命令形。「来い」。やるところなみ:遣るところ無み。捨てるところがないので。くちつけをいなめる人:接吻を拒んだ人。つゆよりもいやはかなかる:露よりも弥儚かる。露よりももっとはかない。若山牧水歌集
2008年06月25日
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サザンオールスターズが、1978年(昭和53年)6月25日に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューをしてから、きょうで30周年を迎えた。(詳しい評伝やディスコグラフィーは、リンク先のウィキぺディアやその他のブログなどをご覧下さい。)ご存知の通り、バンドとしては来年以降の無期限活動休止を発表したところである。この30年間、本当に心の底から楽しませてもらってきた。プロのミュージシャンとして、僕らには計り知れないものすごいプレッシャーを抱えながらであろうが、誰もが認めるトップランナーとして、30年もの間疾走し続けてきたわけだ。一口に30年というが、長いよね~本当にご苦労さまでした。ここいらで少し休んで充電するのも悪くないと思われる。彼らの圧倒的な魅力の源泉は、ほかのメンバーには悪いが、KUWATA BANDやソロ活動を含め、やはり桑田佳祐という一人の男の汲めども尽きぬパワーとオリジナリティに集約されるといっていいだろう。僕から見てちょっと上の、おっそろしく才能溢れた陽気なアニキである。そのド天才ぶりには、現代日本に顕現した奇蹟ではないかと、しばしば驚嘆してきた。尊敬している、などと僕ごときが言うのもおこがましい、太陽のような男である。ソロや妻の原由子ヴォーカル作品も含めて、僕が今直ちに思い浮かべることのできる曲だけでも、「TSUNAMI」「祭りのあと」「いとしのエリー」「真夏の果実」「Ya Ya(あの時代を忘れない)」「涙のキッス」「波乗りジョニー」「花咲く旅路」「想い出のリボン」など、枚挙にいとまがない。彼の紡ぎ出す音楽を聴き、歌詞など読んでいると、小難しい文法がど~たらこ~たら言っているのが、十分にバカらしくなってくる折しも、角川「短歌」6月号で、歌人の加藤治郎(かとうじろう)が、短歌表現について「ポピュラリティの行方」という論文を書いていて、注目を浴びている。その骨子は、歌人は歌壇という狭い領域に閉じこもっていないで、もっと読者を意識し、読者を獲得する努力をすべきだということである。非常に平たく言うと、“もっと売れる短歌を”ということだ。その最も顕著な例は、言うまでもなく俵万智である。・・・が、それは夙(つと)に、サザンの音楽を聴いていて十分に感じることであった。まさに彼らこそ、ポピュラリティの王者(チャンピオン)であり、日本ポピュラー音楽(J-POP)をリードし続けてきた、ちょいと与太ったコミカルさも併せ持つカリスマである。何しろ、桑田は「たかが歌詞じゃねえか、こんなもん」という、神をも恐れぬ豪胆なタイトルの著書を書いているぐらいの男である。・・・むろん、これは韜晦半分であり、自分の持っている強烈なロマンティストの資質と、たぶん自分でも持て余すほどの繊細な感受性への照れ隠しであることも透けて見えるが。彼の書く歌詞は、しばしば意図的に雑駁であり、文法的な誤謬・破綻はそこらじゅうにあり、しかもあの歌唱法であるから、何を言ってるのか、歌詞カードを見るまでよくワカランということもしょっちゅうである・・・にもかかわらず、我々は彼の作り出す歌に心から痺れ、感動し、銘記し続ける。すでに、彼らのきわめて多くの歌が、僕らの永遠のスタンダード・ナンバーになっていることは言うまでもない。現代の詩人や歌人・歌詠みが彼らから謙虚に学ぶべきことは、無尽蔵なほど多いというべきではなかろうか。この小文は、今直ちに何らかの結論を出そうというわけではないので、ここでひとまず擱筆することにするが、僕らがかりそめにも表現者の端くれである限り、彼らから深い示唆を受け続けることは、今後とも確かだと思われる。・・・まあそもそも、必ずしも桑田の歌詞と短歌表現をリンクさせて考える必要もないのだが、そこはそれ、同じ言語表現の範疇でもあるし、加藤氏の論文のおかげで、僕の中では強引につながってしまった感じなのだ(文中敬称略)
2008年06月25日
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昨夜は、ウォーキング&ジョギングの今季28回目正味30分(0.6時間)で、4731歩。もちろん、もっと走りたかったのだが、あいにく途中で大粒の雨が降ってきてビショ濡れになりかかったので、中断のやむなきに至った。・・・グヤジ~(・・・ってほどのことでもないけど)。全く、梅雨どきは処置なしである。雨が降らなくても、湿度が高くて汗だくツユだくだし~。何となく、井上陽水「傘がない」の情けない気分が分かった。その代わり、というわけでもないが、帰り道は、降り始めた雨の中をけっこう全力のランニング~けっこう走ったが、いつの間にか足腰の筋肉が出来上がっていて、全然平気だった。雨と汗でびっしょりの不快感を除けば、苦痛も全然なし。皆さんに異口同音に、「頑張ってますね~」とか「努力ですね~」と言われることに、むしろ当惑気味。全然そんなことはなくて、すごく楽しいですよ~んまあ、定期的・継続的に28回もやっていれば、自然と鍛えられるよね、そりゃ当然だ~。・・・月並みですが、継続は力なり、だよね~昨夜のデータ。距離は、1歩を75cmとして、4730×0.75≒3548m。平均時速は、3548÷0.5(h)≒7.1km/hやっぱり、かつてなく速かった。推定消費熱量は、METS数を6として、現在の体重80kgを代入して、80kg×6METS×0.5h=240kcal。* 生理学的係数METSを用いる計算式については、こちら。中性脂肪は1gが7.2kcalなので、240÷7.2≒33gの体脂肪に相当~
2008年06月25日
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後醍醐天皇都だにさびしかりしを雲晴れぬ吉野の奥の五月雨さみだれのころ新葉和歌集華やかな都にいてさえ寂しかったものを、雲の晴れぬこの吉野の山奥の梅雨のころ(は、まして)。註五月雨さみだれ:陰暦(旧暦)五月(ほぼ現在の六月)ごろの雨。梅雨。
2008年06月24日
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斎藤茂吉おしなべて人は知らじな衰ふるわれにせまりて啼なくほととぎす歌集「白き山」おおかたの人は知るまいな、衰えゆく私にひしひしと迫って来るほととぎすの啼き声。
2008年06月24日
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佐佐木信綱人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき歌集「常盤木」
2008年06月24日
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大伴家持(おおとものやかもち)卯うの花もいまだ咲かねば霍公鳥ほととぎす佐保の山辺に来鳴き響とよもす万葉集 1477卯の花もまだ咲かないのに、ホトトギスが佐保の山辺に来て鳴き騒いでいる。註この「ば」は、逆接条件を示す。万葉集など上古語に見られる。「・・・のに」、「・・・だが」。
2008年06月24日
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西園寺公宗(さいおんじきんむね)うすぐもる青葉の山の朝あけに降るとしもなき雨そそくなり風雅和歌集薄曇る青葉の山の朝明けに、ことさらに降るというほどでもない雨が降り注いでいる。
2008年06月24日
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額田王(ぬかたのおおきみ)古いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥ほととぎすけだしや鳴きし我が思もへるごと万葉集 112昔の人に恋するのであろう鳥は、ほととぎす。たぶん、今鳴いたのは、私がお慕いするようにだろうか。
2008年06月24日
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藤原俊成(ふじわらのとしなり、しゅんぜい)昔思ふ草のいほりの夜の雨に涙な添えそ山ほととぎす新古今和歌集 201帰らぬ昔を思う草庵に降る夜の雨に涙を添えないでくれ、山のほととぎす。註「な・・・そ」:動詞の連用形を挟んで、婉曲な制止を示す。「どうか・・・しないでくれ」。
2008年06月24日
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紀貫之(きのつらゆき)五月雨さみだれの空もとどろにほととぎす何を憂うしとか夜ただ鳴くらむ古今和歌集 160梅雨空に轟くほどに、ほととぎすは何を憂(うれ)いて夜ひたすらに鳴くのだろうか。註五月雨さみだれ:陰暦(旧暦)五月(ほぼ現在の六月)ごろの雨。梅雨。
2008年06月23日
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ古今和歌集 153五月雨に物思いに耽っていると、ほととぎすが夜更けに鳴いて、どこへ行こうとしているのだろう。註五月雨さみだれ:現在の梅雨のこと。
2008年06月23日
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良寛五月雨さみだれの晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり
2008年06月23日
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藤原良経(ふじわらのよしつね)うちしめりあやめぞかをる時鳥ほととぎす鳴くや五月さつきの雨のゆふぐれ新古今和歌集 220しっとりと湿ったあやめが香っている、ほととぎすが鳴く五月の雨の夕暮。註五月さつき:陰暦(旧暦)五月。ほぼ現在の六月。
2008年06月23日
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よみ人知らずほととぎす来鳴く五月さつきの短夜みじかよも独りし寝ぬれば明あかしかねつも万葉集 1981ほととぎすが来て鳴く五月の短い夜も、独りで寝るのでは、明かしかねたなあ。註五月さつき:陰暦(旧暦)五月。ほぼ現在の六月に当たる。「五月雨(さみだれ)」は、現在の梅雨のこと。「五月晴れ」は「梅雨の晴れ間」のこと。
2008年06月23日
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藤原清正(ふじわらのきよただ)みじか夜の残り少なく更けぬればかねてもの憂きあかつきの空新古今和歌集 1176短い夏の夜が残り少なく更けてしまったので、今から物憂い黎明の空。註夏の短い夜の逢瀬(あふせ・おうせ)の嘆き。一緒に寝たと思ったら、もう朝の衣々(きぬぎぬ)の別れ。雅なアンニュイと、「もののあはれ」が漂っている。
2008年06月23日
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昨夜は、ウォーキング&ジョギングの今季27回目~正味48分(0.8時間)で、6740歩。梅雨のわずかな隙を突いて走ったわけだが、どんよりと分厚く曇った空のもと、いや~、も~蒸し暑いの蒸し暑くないのって、体に熱がこもりまくり、発汗の天然空冷ラジエーターも追いつかず、最後はバテバテな感じになってしまった。最近では、昨夜が一番疲れたような気がする。また、汗で全身グショグショになり、運動着や下着がまとわりつき、股ずれっぽくなりそうなのも、いや~な感じだ。やっぱり、蒸し暑さがエクササイズの最大の敵だな~と、改めて思い知った。この不快感こそが、体が発している黄信号だとも思うしね。今のところ、まだ何とか体の許容限度内という気もするが、これからの季節、無理は禁物、鬼門だな~と思った。熱射病ってのもコワイらしいよね。最悪の場合、脳がやられるとも聞くし。4月頃の肌寒いぐらいの涼しさが、ひたすらなつかしい今日この頃なのでありんす~日本ほど春夏秋冬のバランスが良くてメリハリがはっきりしている国は、世界中探してもそんなにないということを昔からよく聞くし、世界を股にかけて活躍してきた数学者・藤原正彦さんの大ベストセラー名著「国家の品格」にも同様のことが書いてあった。・・・だから、これは贅沢なグチにすぎないのだが、この蒸し暑さ、なんとかしてくれいっ!ただ、脚の動き自体は快調で、体は至って軽い。体重は、このところちょっと計ってないが、80kg弱(79kg台)を維持していると思う。筋肉がついてきて、その分減量のペースは遅くなってると思うが、これはまあ、甘受すべきことであろう。近頃は、誰からも「痩せましたね~」と目を丸くされる。・・・下手すると、心配される昨夜のデータ。距離は、1歩を75cmとして、6740×0.75=5055m。平均時速は、5055÷0.8(h)≒6.3km/h推定消費熱量は、現在の体重80kgを代入して、80kg×4METS×0.8h=256kcal。* METSを用いる計算式については、こちら。中性脂肪は1gが7.2kcalなので、256÷7.2≒36gの体脂肪に相当する
2008年06月21日
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イギリスを代表する世界最古の新聞「ザ・タイムズ」が、日本の「モンスター・ペアレンツ」問題を報道した。・・・ついに、世界が注目する、というか、世界に恥をさらす問題になった、ということか~*なお、「ペアレント」とされることが多いが、英文法の上では、複数形の「ペアレンツ」の方がいいだろう。記事では、心理学者・諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)明大教授の発言が多数引用されているのがうれしい。諸富氏の著書は、現代日本人の心性を犀利に分析し、しかもその筆致はヴィヴィッドで楽しく読める。いわば面白くてためになる本である。僕はかなりの著書を読んでおり、このブログサイトでも触れたことがある大ファンである。さらに、「モンスター・ペアレンツ(怪物的な親たち)」という語彙・概念は、教育評論家・向山洋一(むこうやま・よういち)氏の造語とされる和製英語で、これまで本場ネイティヴ英語圏では通じないと言われていたが、カッコ付きながら、そのまま天下のタイムズの見出しと本文で使われたことも、きわめて注目される。・・・世界最高の権威を持つ辞書「オックスフォード英語辞典(OED)」に収録される日も近い!?以下、意訳してみた。原文と併せて掲載する。・・・が、さすがに本場英国知識人の、なかなか手ごわい英文ですので、誤りがありましたら、ご忌憚なくご指摘下さいませ~日本の「モンスター・ペアレンツ」、舞台中央に登場ザ・タイムズ2008年6月7日付レオ・ルイス記者(東京)ステージはセットされた。照明は暗転した。ある日本の郊外の小学校の学芸会では、みんなが「白雪姫と七人の小人」のお芝居が始まるのを、ワクワクして待っていた。ただ一つの瑕疵(かし)は、“配役のすべてが白雪姫である”ということだった。 脅迫的な母親と攻撃的な父親の聴衆のために、25人の白雪姫(スノー・ホワイト)がずらりと並ぶ光景が広がった。小人たちも、意地の悪い魔女も勝利者ではなかった。明らかな勝利を収めたのは、日本に現れた新しい階層「モンスター・ペアレンツ」であった。 彼らはシステム(組織戦術)を取り、勝ったのだ。罵詈雑言、強要、そして脅迫電話の容赦ない一大キャンペーンの果てに、モンスター・ペアレンツたちは教師を威圧し、屈服させたのだ。・・・たった一人の少女がタイトルロールの主人公を演じるのは「不正」だと、学校に認めさせた上で。 日本の教師たちは、礼儀正しい沈黙で知られてきた日本の親たちのキャラクターの、数十年後の驚くべき変化を報告している。彼らは今や、不平不満の超攻撃的(スーパー・アグレッシヴ)な軍隊になった。問題は、誰も、それが良いことか悪いことかを決定することが出来ないことにある。日本のマス・メディアは、それらを悪魔のように描くことを選択した。7月に始まるあるテレビドラマは、伝統と礼儀正しさに対するすべての敬意を失った社会の品格なき兆候として、モンスター・ペアレンツを、大盤振る舞いで提出するだろう。〔訳者註:ドラマ「モンスターペアレント」。関西テレビ製作・フジテレビ系全国ネット。米倉涼子主演。7月1日(火)夜10時スタート。〕 彼らは、(「基本的人権」ならぬ)“基本的消費者権”のチャンピオンであると任じている。その権利とは、おそらく日本社会が協調と秩序の名のもとに長い間蹂躙してきたものである。いずれにせよ、母親と父親が日本の堅い教育システムの忠実な支持者から、最も情熱的な攻撃者へシフトしたことは、今やほとんど否定できない。子供がトラブルに遭遇した時、以前ならば両親は進んで教師に謝ったが、今や彼らは教師をクビにしようとする。 かつて信頼されて、尊敬された学校は、今や組織的な実力行使(アクティヴィズム)のターゲットになった。何十人もの教師が、我が子に不利益であるように見えるものは何一つ許容しない両親の燃えたぎるような激怒に直面して、辞職のやむなきに至った。 こうした現象について、諸富祥彦・明治大学教授は新著で、何百件もの事件を具体的な実例を挙げて記している。我が子の教室に、ひそかに録音装置を仕掛けた両親がいる。また、運動会において、校庭における現実よりも、「自分たちの期待を反映するような」変更を要求した親もいる。ある例では、遊び場でケガをした子供の母親は、息子が回復するまでの間、偶然ケガの原因を作った子供の停学を要求した。彼女の坊やがいない間、彼は授業の利益を得ることが出来なかっただろう。諸富教授は、モンスター・ペアレンツのカテゴリーの中で、最も手ごわい脅威の存在を探り当て(アイデンティファイし)た。“ティーチャー・ハンター(教師狩人)”に分類されるこの親たちは、特定の教師の解雇を担保するために、小さなグループを組んで共謀する。しばしば彼らの行動は、校門であわれな犠牲者に物理的に群がって、辞表が即座にサインされるまで叫びわめき吊るし上げる行為を伴うと、教授は言う。 「“モンスターたち”は、母親たちがリラックスしておしゃべりするために一堂に会するファミリーレストランや喫茶店で“創造”されます」と諸富教授は言う。「シンプルなおしゃべりの渦巻きが、いつの間にか“緊急会議”になります。会話は、感情的で急進的になります、そして、単純な苦情として始まったことが、突然親たちの“モンスター軍団”を生み出します。」広く信じられていることは、こうした突然の激変が、多くが日本の深奥(ハート)における、より深い社会的軋轢の兆候であると示唆しているということである。そして、日本の1990年代の長い経済の失速とその影響に根ざした変動が、今火を噴いたに過ぎないということである。(拙訳)THE TIMES June 7, 2008Japan's 'monster' parents take centre stageby Leo Lewis in Tokyo The stage was set, the lights went down and in a suburban Japanese primary school everyone prepared to enjoy a performance of Snow White and the Seven Dwarfs. The only snag was that the entire cast was playing the part of Snow White. For the audience of menacing mothers and feisty fathers, though, the sight of 25 Snow Whites, no dwarfs and no wicked witch was a triumph: a clear victory for Japan's emerging new class of “Monster Parents”. For they had taken on the system and won. After a relentless campaign of bullying, hectoring and nuisance phone calls, the monster parents had cowed the teachers into submission, forcing the school to admit to the injustice of selecting just one girl to play the title role. Across Japan teachers are reporting an astonishing change in the character of parents, who, after decades of respectful silence, have become a super-aggressive army of complainers. The problem is that nobody can decide whether this is a good thing or not. Japan's mass media has opted to demonise them: a lavish television drama starting next month will present the monster parents as a vile symptom of a society that has lost all respect for its traditions and decorum. The parents believe that they are champions of basic consumer rights, rights that Japanese society has supposedly long trampled over in the name of conformity and order. Either way, few deny that mothers and fathers have shifted from being staunch supporters of Japan's rigid education system to its most ardent assailants. Previously, when a child was in trouble the parents apologised profusely to the teacher; nowadays, they try to have the teacher sacked. Where previously schools were trusted and respected, they are now the targets of concerted activism. Dozens of educators have been forced to resign in the face of the blazing fury of parents who no longer tolerate anything that appears to disadvantage their offspring. In a new book on the phenomenon, Yoshihiko Morotomi, of Meiji University, lists hundreds of incidents that illustrate it. There are parents who have secretly placed recording devices in their children's classrooms, and others who have demanded that the results of sports events be changed to reflect expectations rather than the reality on the field. In one case the mother of a child who was injured in the playground demanded that the child who accidentally caused the injury be suspended from school for as long as it took her son to recuperate - so that he would not benefit from the lessons her boy was missing. Within the category of monster parent Professor Morotomi identifies the most potent strain: the “teacher hunters”, who conspire in small groups to ensure that a particular teacher is dismissed. Occasionally, he said, this involves physically mobbing their victim at the school gates and screaming abuse until a letter of resignation is signed on the spot. “The monsters are created in family restaurants and coffee shops places where the mothers meet each other to talk and relax,” said Professor Morotomi.“Simple chats spiral into ‘emergency meetings'... the conversation becomes more emotional and radical and suddenly what began as a simple complaint becomes a monsterised army of parents.”The sudden switch marks what many believe is the symptom of deeper social troubles at the heart of Japan, a transformation that took root during Japan's long economic downturn of the 1990s and whose effects have only now erupted.
2008年06月21日
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先日、88888アクセスのゾロ目キリ番を迎えたばかりという気もしますが、今度は90000アクセスを超えました~。皆さま、いつもご愛読ありがとうございます~。狙っていただいたのかどうか、常連読者の皆さんが惜しいところに並びました~magadelanroseさん、いつもありがとうございます~。惜しかったですね~本気で狙うおつもりでしたら、ログアウトでカウンターを見ていて、キリ番のその瞬間にログインするといいのかも知れませんが、なにぶん僕もやったことがないので、可能かどうか分かりません90003 2008-06-19 18:27:13 *.infoweb.ne.jp 90002 2008-06-19 18:09:57 64.69.*.* 90001 2008-06-19 18:01:28 magadelanroseさん90000 2008-06-19 17:56:08 203.190.*.* 89999 2008-06-19 17:46:15 *.dion.ne.jp 89998 2008-06-19 17:36:09 119.63.*.* 89997 2008-06-19 17:27:08 HTNMさん89996 2008-06-19 17:22:52 魔法の木マスターさん89995 2008-06-19 17:17:37 元気10000倍さん89994 2008-06-19 17:17:09 朱音丸さん
2008年06月20日
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梅雨空が戻ってきたけさ、大輪のバラも咲いてました。・・・こうなると、漢字で「薔薇」って感じかな?近所にて、けさ写す。
2008年06月19日
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角川「短歌」6月号は、我が「短歌人」編集人の小池光先生の論文や、同じく「短歌人」の“インターネット事務総長兼コンプライアンス(法令遵守)憲兵総長”の生沼義朗先生の新作短歌をはじめ、そこかしこに存じ上げている名前があって、とっても楽しくて読み応えがあった。相変わらず爽やかで青臭くて、“これが青春だ”というか“スピッツ”みたいな(?)千葉聡さんの新作も、読んでていささか気恥ずかしいながらも、微笑ましく読めた。・・・大きな声では言えないが、けっこう隠れファンである。生沼義朗さんの新作の連作「塩キャラメル」は、本当にすばらしい出来。諧謔味、軽妙洒脱さと重厚さが同居した表現は、まさに圧倒的。我らが大師匠である小池光先生の歌風に近づいておられるのかな、とか正直思った。だいたい「塩キャラメル」というタイトルからして上手いよね。僕も最近くだんのシロモノをスーパーで見かけたのだが、甘いものに興味がないので、それっきりスルーしてしまった。もしかすると、ちょっとしたブームにでもなっているのかも知れないが、こういうところに着眼する注意力が凄いよね。・・・神がその爪の欠片(かけら)を爪切りから棄てたようなものが雹(ひょう)だという意味の一首は、その奇想天外さとともに、古事記か旧約聖書の重厚と、ラブレーのガルガンチュア物語を読んでいるかのような豪快な哄笑を惹起する。・・・同時多発的にいろんなブログで苺ジャムを煮ている景色を見ているという意味の歌は、早春の光景のワンショットであろうが、「同時多発(テロ)」という物騒なニュアンスを孕む用語との違和感、脱臼が面白さになっている。早春の屈折した名歌。また、広辞苑最新版が採用したことで話題になった「ブログ」という言葉が、短歌のメジャーな発表の場で使われた意義も大きい、というか、やられた~と思う(笑)実は僕も、コスモス所属で楽天ブロガー仲間のたまにゃん1203さんと、結社誌に「ブログ」という言葉をどちらが先に載せるか、ひそかに競争していたので、ちょっと悔しい。僕のはボツになった。たまにゃんさんのは、・・・載ったんだっけ?いずれにせよ、こんな風なウェルメイドな歌を、いつか僕も詠んでみたいものである。・・・いや、僕ももう若くないので、あんまり悠長なことを言ってられないのである。急がねば~さて、本誌の中で目を引くのは、何と言っても俵万智・一青窈(ひとと・よう)対談「短歌の作り方を教えてください」である。両者とも僕は大ファンなので、2大アイドルの競演という感じで、狂喜乱舞である。特に俵万智さんは、人生の大恩人であると認識している。僕もご多聞にもれず、思春期の10代前半ぐらいから短歌に興味はあったのだが、やはりあの歴史的傑作歌集「サラダ記念日」の表現革命の刺戟がなければ、なかなか自分で詠んでみようという気にはならなかったと思う。一青窈さんは、シンガー&ソングライターとして高く評価されており、大ファンであり、とりわけその作詞家としての実力は、J-POPアーティストたちの中でもピカ一といって間違いないだろう。ミュージシャンと言うよりは、たぶん詩人肌の資質である。このブログサイトでも折に触れて書いてきた。(以下、敬称略)その一青が、どういう風の吹き回しか分からないが、短歌を詠んでみたいのだという。そこで、実作者としてはもちろん誰もが認める天才的トップランナーであり、情理と節度をわきまえた歌壇の上品なスポークスマン的存在でもあり、何よりもプロフェッショナルな「教育者(高校国語教諭)」でもあった俵万智の教えを乞いにやって来た、という設定(?)らしい。来月号から「万窈(まんよう)のとびら」という連載記事が始まるという。その“番組宣伝”を兼ねた対談である。・・・う~む、これは今後とも買わずにはいられない。これは角川編集部の見事な企画であり、陰謀であり、戦略だ~・・・ただ、何となくこうなる脈絡は理解できるのだ。一青窈さんは、ご存知の通り、最近人気J-POPユニット My Little Lover(マイラバ)のAKKOから、夫で天才音楽プロデューサー・作詞作曲家の小林武史を略奪した(寝取った)わけだが、僕の見るところ、かねてから小林氏はサザンオールスターズとの活動などを通じて、明らかに和歌をよく勉強し摂取していると思う(アルバム「世に万葉の花が咲くなり」など以降)。マイラバの歌詞にも、濃厚に新古今和歌集的な「たおやめぶり」の感性の影響が見られたと思う。これも折に触れてこのブログサイトで書いてきた。一青窈自身の作品も、非常に濃密な詩世界と同時に現代詩的な難解ささえも湛えている。そこからもう一歩先に進もうとすれば、和歌・短歌1300年の分厚い伝統に入ってくるのも一つの有力な道筋ではある。さすが、クレヴァーな女性だな~と思う。名曲「ハナミズキ」や「もらい泣き」の完璧にして奥深い詞なんか見ていると、最高に筋のいい新人であることは間違いない。・・・とはいえ、先行きはなかなか平坦ではないようで、ひとごとながらハラハラしてしまう。対談は、「しろうと」の一青が「くろうと」の俵を質問攻めにする感じで進行した。「ありをりはべりいまそかり」に代表される古典文法が、全く分からないらしい。・・・「見つめていしに」の「いし」が謎の言葉だというのには、あ~、一青窈ともあろう者にしてそうなのか~と嘆息してしまった。「欲し」が「欲しい」ではなく「い」が省かれているのは、筆者の感覚ですか? という質問は、一瞬ギャグで言ってるのかな~と思った・・・一応、説明します?「いし」は「ゐし」で、「ゐ」は「居」、「し」は過去を示す助動詞「き」の連体形で、このあとの名詞か代名詞(「こと」など)が省略されているわけです。こういった省略は、古典文法ではしばしばある。したがって、「いしに」は、現代語でいえば「いた(ゐた)のに」ということだけどね~、やはりそこには、そこはかとなきニュアンスの違いがあるわけで。それも味わいってものです。「欲し」問題は、順序が逆で、古語「欲し」の連体形「欲しき」の音便が「欲しい」になったわけです。僕ら歌詠みの端くれから見れば、こういったことはイロハのイに属することであり、角川「短歌」の執筆陣、読者のほとんどにとってもそうであろう。いわばこの雑誌の中で「しろうと」は一青窈ひとりだけであって、その孤立感・違和感がなんともおかしく、またいろんな意味で勉強になった。芸能人なんて恥かいてナンボでもあるし、けっこう本人もおいしい思いをしているのではないかとも思うけどね。・・・それにしても、なるほど、薄々気づいてはいたが、短歌の世界って一般の人から見るとものすごくマニアックな伏魔殿みたいなものなんだね~と、彼女の言動を通じて思い知らされた。ちょっと言葉オタクになってるかな~、などと時々思わないでもなかったが。僕なんかも、「あらまほし」ぐらい当たり前に使うし、古事記・万葉集にしか出てこないような極め付きの古語(「かなしきろかも」とか「いはひもとほる」とか)を使ったり、いろいろとケムに巻いたり小細工を弄したりするのがけっこう嫌いな方ではないので、自戒を込めて受け取ったこれを企画した編集者は偉い。本当に面白いですよ~ん。次回以降も楽しみ~
2008年06月19日
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人生なんて一炊の夢。亀の甲より年の功で、この歳になってくると、美味珍味を含め、地球上の大概のものは、一度は口にしたことがあると思う。キャビア、トリュフ、フォアグラ、エスカルゴ、鮒鮨、くさや、蜂の子、このわた、イナゴ、豚足。どれをとっても、みんな旨かった。・・・この段落は、思い出し次第加筆しておく。僕の場合は、いわゆるゲテモノも平気というか、全く先入観がなく、むしろ好奇心すら湧く方なので、なおのこと残された秘境の領域は少ない。・・・ところが、きのうの昼下がり、NHK-BSを何となくみていたところ、まだ食べたことがない、しかもしっかりとした歴史と伝統を身にまとった料理を、初めて知った。イギリス・ロンドン下町の伝統料理だといううなぎパイ(イール・パイ)とうなぎゼリー(ジェリード・イール)、うなぎシチュー(スチュード・イール)である。上記リンク先のシチューの緑色は、大量のパセリの微塵切りを煮込んだもの。左下のベージュ色はマッシュ(マッシュド・ポテト)である。・・・メチャクチャうまそうである。イール・パイの歴史は古く、肉を用いる現代のいわゆるミートパイというのは、もとをただせばイール・パイの代用品だったという。もう一目見て、食べたくて食べたくてたまらなくなった。しょうがないので、スーパーに車を走らせてキュウリを大量に買い込んできて丸かじりした。・・・我ながら、ワケの分からない行動であった僕の女房に言わせれば、これはまぎれもなくゲテモノの領域に属し、僕が食べたいと思っていることを知ろうものなら、蛇蝎のごとく忌み嫌うことは必定と思われるが、僕は内心、そういった食の冒険が出来ない人をあわれだと思っている。もともとイギリスには憧れている。イングランド、ウェールズ、スコットランド、コーンウォルなど、もともと別々の国であった複雑な歴史を今なお漂わせる、それぞれの地方の佇まいもすばらしい。ケルト民族の国アイルランド(エール)は、特に別の国である。・・・が、ヨーロッパは何度か行ったことがあるが、イギリスにはまだ一度も行っていない。ぜひ一度は旅行したい。その確乎とした理由が見つかった。うなぎパイとうなぎゼリーを食べに行きたい
2008年06月19日
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近所にて、けさ撮影。ま~だやってんの~っ?て感じですが、ま~だやってるみたいです駐車場になることは間違いないと思うんですけどね、盛り土と、妙な形のコンクリートブロック(パネル?)が搬入されてきました。
2008年06月19日
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道端に、八重のツルバラの花がたくさん咲いてました~。ホワホワしてて小さくて、可憐ですね~。(近所でけさ写す)
2008年06月17日
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昨夜は、ウォーキング・エクササイズの今季26回目時折、軽いランニングを交えて、ジャスト60分。ちなみに、いつも時間のキリがいいのは、計算の便のため、ラストスパートでウチの周りをグルグル回って時間調整しているため。それにしても、いよいよ蒸し暑くなってきて、不快指数は満点な日々。いや~、運動には不向きな季節到来ざんすね~昨夜は、ジョギングの途中で、けっこう強い通り雨が突然音を立てて降り出したので、矢も盾もたまらず、アーケードのある地元商店街「オリオン通り」に待避。雨宿りをかねて、通りを行ったり来たりしているうちに雨は上がった。栃木・宇都宮 オリオン通りライブカメラ映像ちなみに、沖縄はきょう梅雨が明けたそうで、するってえと、もう夏ってことかい?・・・早っ!!1時間ちょうどで、8239歩。終わると汗でビッショリになった。なお、けさは脚に、やや筋肉痛あり実質1時間は、今の僕にはややハードなようである。距離は、1歩を75cmとして、8239×0.75≒6180m。平均時速も当然数字は同じで、約6.2km/hだった。消費熱量は、現在の体重80kgを代入して、80kg×4METS×1h≒320kcal。* METSを用いる計算式については、こちら。中性脂肪は1gが7.2kcalなので、320÷7.2≒44gの体脂肪に相当する
2008年06月17日
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くまんパパ うたのおけいこ つづき・・・すいません、推敲不足でワケ分かんないですおぢさんはおばさんとこそすべからくつきあふべけれ相互扶助論ユーラシア大陸の果てイギリスと日本とふ島吹き溜まりなり吹き溜まり日溜りなれば抹茶でもまあ飲みませう君は下戸ゆゑ生きるのに精一杯の先人にやや恥づかしき恋歌なんて僕の目に狂ひなかりし美少女は共白髪まで罪深きなり真実の愛を告ぐれば逃げてゆく男と女曰く不可解僕たちの汚れちまつたかなしみの花のひとひら季節はづれのはじめての恋人たるや父ならむはしやげる娘持て余しつつ著作権を有します。© 2008 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2008年06月17日
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昨夜、無聊しのぎにちょっと軽く何首かひねってみましたんで、一応アップロードします~・・・ほとんど短歌になってません。ほんの思いつき&筆慣らしですので、悪しからず~くまんパパ うたのおけいこ 雨季のうきうき 〔未推敲〕吾妹子の卵焼く香に目覚めたり梅雨の晴れ間の寝惚けまなこはあぢさゐが門かどごとに咲くわが町をつばらつばらに見る朝ぼらけ *1ダイエット中であります一行の短歌のごとく細ほそからまほし下ネタが機関銃のごと飛び交ひつシモネッタ家の明るい家族ものすごく頭が器用貧乏になつてるよ次女我が遺伝子も言葉もて笑かすことが生き甲斐の関西ならば吉本向きか丹念に白葡萄酒ヴァン・ブランにて二枚舌三枚舌を洗ひ清めき真木よう子けふも脱ぐ脱ぐ気魄なりあの過激さを学び取りたいされど言ふ友にするには良からずや福田内閣総理大臣ほとんどのことは解決するだらう時の語源は「解き」にあらずや彗星は十二の春にあらはれし君なればこそふたたび逢はめおぢさんはとりもなほさずおばさんと付き合ふべけれ同期シンクロニシティあたふたと死ぬことばかり考へてゐたころもあり思春期といふバルサミコ酢と醤油など足しにけりトマトジュースの冒険である心太ところてんおいしき夏になりにけりこれだよこれが夏のまほろば日本とふ奇蹟の国に生まれたる至福思ひつ 言葉にて言ふ木遣り歌谺こだまし時を超え聞こゆ木霊こだま鎮めのいとなみとして鳶木遣り木をたふとびてグレゴリオ聖歌のごとく広ごる正午 *2*1 つばらつばらに:はっきりと。つまびらかに。じっくりと。*2 現在、祭礼・祝賀などの場で鳶職人が歌うことが多い「木遣り歌」は、その淵源が先史時代に遡るという説もある。傾聴に価すると思う。近世以降は、変奏曲ともいうべき「伊勢音頭」などに見られる通り、卑猥・野卑な歌詞を含み、一般的に林業者の労働歌と解されている。それはその通りなのであろうが、私には直観的に、どうもそれだけではないのではないかと思われる。ある種の、自然崇拝的な原始宗教的情感が込められているように聞こえてならない。そういう風に解釈して詠んでみた。著作権を有します。© 2008 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2008年06月16日
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いささか唐突な話題で恐縮だが、ジョギングのたびごとに、当地の日本経済新聞支局の前を通りかかるので、そこに掲げられたポスターのイメージキャラクターを務める女の子が自然と目に入り、あれはいったい何者だ~?と、ず~っと気になっていた。清楚、清潔、清純、知的、明眸皓歯、そして、日本女性特有の恥じらい。それでいて、適度で健康な自己顕示欲も感じさせる。大人っぽい落ち着きがある(いい意味で、フケてる?)のも好感が持てる。まさに、日本経済新聞の主な購読層である、おぢさんキラー・中年殺しの爽やかな美貌である。僕なんかにも、も~ド真ん中ストレートの剛速球である。遠い青春時代や若葉の頃を懐古しつつ、胸がキュンキュンであるやや大時代な表現を弄すれば、「カルピスみたいな女の子」でもあろうか。いや、ヤクルトか、三ツ矢サイダーというべきか。・・・どうでもいいかいくつかのキーワードで検索して、彼女の名前は瞬時に判明。・・・インターネットとは、まことにありがたいものである長谷部瞳さん(23)という女優・モデル・タレントさんで、すでにテレビ、映画、雑誌などで大活躍中であることも判った。・・・まあ、名前が分かったからといって、とりたてて彼女をどうこうしようとかいうワケでないことはもちろんだが、とりあえずご紹介しておきますね~演技力とかは今のところよく知らないが、芸能人として有望株であることは間違いないだろうなお、いろいろなブログなどの記述を見たところ、実像はけっこう“天然”で、可愛らしい感じらしい。なお、ご本人のホームページとブログはこちら↓長谷部瞳さん オフィシャル・ウェブサイト長谷部瞳さん オフィシャル・ブログ
2008年06月14日
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この間、10日(火)と昨12日(木)、ジョギング&ウォーキングの今季24&25回目をやりました~10日は実質48分間(0.8時間)で6335歩、12日は54分間(0.9時間)で7183歩だった。どちらも、平均時速は約6km/h前後で一定。10日はかなり蒸し暑く、キツかった。昨夜は涼しくて風もあり、快適でした。9日、10日と連日続けてやってしまったので、10日は脚にやや筋肉痛を感じましたが、おおむね好調で“全力歩行”。11日(水)夕方には、体重79.6kgを記録し、悲願の80kgの大台割れに成功しました~!!!ニャハハ~ヽ(▽^〃ヽ)ヽ(〃^▽^〃)ノ(ノ〃^▽)ノ体も本当に軽やかですよ~ん炭水化物(糖質)ほぼ完全カット・ダイエットもあいまって、春先から3ヵ月半ですでに11kg以上落としましたが、さらにこの調子で、秋までに70kg前後を目指します~。十分可能だと思っています。もちろん、ここに書いていることは事実ですが、記事の信憑性の裏づけとして、恥を忍んでシェイプアップの使用前・使用後の“証拠写真”をお見せしなければならない時が、そろそろ近づいてきているのかも知れませんね~メタボリックおやじのむさ苦しい肖像写真なんて、決してお見せしたくはないんですけどね~
2008年06月13日
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元ちとせ 蛍星7月2日リリース。一聴して、思わず「ウソ~っ!」と、自分の耳を疑うほどの名曲。歌詞「ワダツミの木」というJ-POP史上屈指の傑作を放ちながら、その後ある種の芸術的テーマ主義に呪縛されてきたのか、ややパッとしなかったと言わざるを得ない、誰もが認める実力派の未完の大器・元ちとせが久々に放つ、ちょっと驚くほどの気迫と完成度のロック・バラード。常田真太郎(スキマスイッチのブ男の方)のプロデュースによって、彼女の端倪すべからざる才能が再び大輪の花を咲かせる時が訪れた。歌唱は、まさに完璧な奄美民謡唱法そのもので押しまくりつつ、緩急自在。ミディアムテンポの洗練されたロック調サウンドの、スケール感のある編曲を伴って、涙なくしては聴けないほどの仕上がりになっている。日本のポピュラー音楽で、久々に強い快い興奮を味わった。皆さんにも、ぜひオススメしたい。
2008年06月13日
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おかげさまで、累積アクセスが88888のゾロ目のキリ番を超えました~ぴったしキンコンカン賞は、元気10000倍さんでした~。何も出ませんが、ありがとうございました~。数あるゾロ目の中でも、特に縁起がいい感じがしますよね~。・・・ハハハハハ~って感じ?考えてみると、次のゾロ目は99999、そして111111ですが、そのあとは222222まで当分ないわけで、これはなかなか貴重な機会かも知れませんね~(?)なお、皆さまには、こんな文字ばっかりの(・・・しかも、かなり理屈っぽい?)地味目なブログを日頃からご愛読いただきまして、深く感謝しております。この場を借りまして、厚く御礼申し上げますこれからもよろしくね~88891 2008-06-10 18:06:04 *.infoweb.ne.jp 88890 2008-06-10 18:01:06 *.ocn.ne.jp 88889 2008-06-10 17:59:03 ***.websitewelcome.com 88888 2008-06-10 17:53:30 元気10000倍さん 88887 2008-06-10 17:52:21 ***.gmo-access.jp 88886 2008-06-10 17:40:46 202.248.*.* 88885 2008-06-10 17:38:37 208.66.*.*
2008年06月12日
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人間失格 人間失格 にごりえ にごりえ読むのはかなりつらいが、一度は必ず読むべき本である。折しも発生した秋葉原・通り魔無差別殺人事件の加藤智大容疑者(25)の心性を解明するためにも、彼の母校・青森高校の大先輩である太宰治の代表作で、近代日本文学史上最大の問題作である本書を、ぜひ読む必要があると思われる。世界文学の最高傑作の一つであるゲーテの「若きウェルテルの悩み」もそうだが、繊細すぎるほどの感受性と研ぎ澄まされた文体で、執拗な自己分析を繰り返しながら破滅に向って突き進んでゆく一人称の主人公のモノローグ(独白)が、文学というもののレゾン・デートル(存在意義)の一極北を示していることは疑いない。この世で一番コワイものは、げに人の心なりけり。自己の内面を含む、あらゆる偽善を把羅剔抉(はらてっけつ)してやまない筆致の、異常なまでに鋭い人間観察眼は、純粋というよりはむしろやや病的であり、かなり気持ち悪く、この主人公とも、こういうことを書く人とも決してお友達にはなりたくない読んでいて本当につらい本であり、僕なんか正直言って、どちらかと言えばむしろ嫌いな本に属する。・・・が、ぜひ一生に一度は(・・・なるべくなら思春期から青春期のうちに)、読んでおかなければならない本であると思う。なお、文章は明晰で読みやすく、決して難しくはない。サクサク読める。・・・あ、この主人公(および作者)は死ぬな、ということが途中ではっきり分かり、同時に納得させられる。読者は一定の時間、主人公の絶望と虚無を共有することを通じて、悲劇のもたらすある種のカタルシスのシャワーを浴びて、深い意味で救済される。ちなみに、青森高校の文芸部長だった歌人・寺山修司の歌風作風にしても、ある意味、かなり気持ち悪い。僕はあまり好きではない、というより、はっきり言って嫌いである。こういうのが天下の「青高」の伝統なのだろうか?・・・言いたい放題言ってすみません実を言うと僕も、もっともっと肺腑を抉るような、絶望的、破壊的、破滅的な短歌を詠みたいんだけどね~。小市民的常識と理性が邪魔をして、なかなか踏み切れないんだよね~。・・・女性ファンも逃げちゃうだろうし~ただ、少々下世話な言い方になるが、こういった破滅型の自暴自棄な青年にも、昔ならば、本書の登場人物のように“一緒に心中してくれる幸薄い銀座の女”とかがいたわけだが、今や女性も自立の力を持つに至り男性社会の中で男と伍して戦っており、そのような“優しい聖母のような”(?)女性は、鉦や太鼓で探しても、もうどこにもいないということか・・・な~んてこと、いっちゃいけないかな?そんな現代は、むろん大局的にはいい時代である。だが、確かに、多くの青年にとっては、つらい時代かもしれない。・・・というわけで、ご紹介する。以上のような斜に構えた観点を離れても、読んでおいて損はない傑作である。また、心中物というつながりで言えば、樋口一葉「にごりえ」も、すばらしいのひと言。筆者の愛読書である。ゲーテの名作と併せてご紹介する(・・・ただし、明治時代の擬古的な文体が駆使された情緒纏綿たる名文は、和歌的素養・興味がない方には、なかなか手ごわいかも知れない。念のため付記しておく)。若きウェルテルの悩み
2008年06月12日
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昨夜9日は、ウォーキング&ジョギングの今季23回目。特段に書くこともないのですが、忘れないうちにメモしておきます~当地では、夕方まで降っていた豪雨は上がったのですが、蒸し暑かった~ただ、スポーツ選手もよく言ってますが、筋肉は少し暑いぐらいの方がほぐれていいみたいで、体調は自分でもやや驚くぐらい絶好調。どこにも痛みはなく苦しさもなく、体、軽いです~ウォーキングが主ですが、けっこう15分間ぐらいは、ジョギング程度に走りました~正味54分(0.9時間)で、7084歩。データとしてはだいたいいつもの通りだが、ウォーキングがゆっくりだったので、総合的には、前回よりかえって遅かった
2008年06月10日
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くまんパパ 「短歌人」8月号 決定稿オペレッタ帰りのカフェの鶏尾酒カクテルのグラスのふちに薄羽蜉蝣うすばかげろふ梅の名を冠かがふる雨によく似合ふ愁ひの調べショパンなるらむ梅の名が薔薇だとしても梅は梅などてあなたはロミオなりける骨董アンティークランプの火屋に青梅や黄梅やうつる夕間暮かな *1キャサリンとヒースクリフは何者かそれにつけても君のやさしさ *2かのルーク・スカイウォーカー老人とジョニーウォーカー・ソーダを酌みぬ *3ことばとふもののはじめのあらはなるすがたをきいてゐるよもすがら降りてきたのかも知れないひたぶるに歌を詠みたき詠みたき朝けがれなきゑみもて我をあふぎ見る童わらべの面わ 我死なぬなり奈良漬の琥珀のごとく透き通る色と香浮ぶ無月の夜はも 父さんはオーヴァーオール似合ひけりおほき野原のちひさき家族 *4 (PUFFY亜美+光浦靖子)÷2がわたくしの妻であらうか時は今雨に打たるる天が下誰もが支配したがつてゐる *5たまに行く歯科の無口な看護婦とともにしづかに歳重ねをり踊子が木綿のハンカチーフ振る昭和は遠くなりにけるかも *6*1 正岡子規「青梅や黄梅やうつる軒らんぷ」*2 エミリー・ブロンテ「嵐が丘」*3 ジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」*4 ローラ・インガルス・ワイルダー「大きな森の小さな家」、「大草原の小さな家」*5 明智光秀「時は今天が下しる五月かな」*6 川端康成「伊豆の踊子」/松本隆「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)/中村草田男「降る雪や明治は遠くなりにけり」著作権を有します。© 2008 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2008年06月10日
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皆さんご存知の通り、日曜日の白昼の東京・秋葉原で、身の毛もよだつ凶悪事件が発生した。まずは、何の罪もなく犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げたい。何とも、あらゆる意味で救いがない、凄惨の極みの事件である。新聞やテレビを見ていて、どうにもやり切れないある種の絶望感、虚無感に感染していきそうになるのを覚えた。犯人は決して許されない。模倣犯の予防や一般予防の観点などからも、死刑以外にあり得ないことはいうまでもない。死刑廃止論者には、また大きな逆風となったと言えよう。・・・ただ、きのうからきょうあたりの新聞紙面やニュースで、犯人の「犯行声明文」や「実況中継」を見ていて、彼の異常なキャラクターに慄然としつつも、ある意味、その携帯サイトへの書き込みの文言にしたためられた彼のメッセージが、全く理解できないでもない共鳴現象に、自分ながら驚いた。言語表現に関心のあるものとして誤解を恐れず言えば、書き込まれた厖大な文言は、「絶望」の実感がこもっており、それなりにうまいと思う。完全に絶望し死を覚悟した人間の書いた文章特有の、氷柱のように研ぎ澄まされた冷静さが覆っている。今後、犯罪心理学の典型的なサンプルとして用いられるだろう。犯人の母校・青森高校の大先輩である太宰治の代表作で、近代日本文学史上最大の問題作「人間失格」の文体を髣髴とさせるものがあると思うのは僕だけだろうか、・・・などと言っては太宰ファンに叱られるだろうかそれにしても、25歳という若いみそらで、なぜこうもすさみ切ってしまったのかね~?一片の同情もできないにしろ、興味は湧く。小中学校では学年トップクラスの優等生、県内トップ高校に入ってみれば、十把一絡げ、ひと山いくらのその他大勢に埋没とは、オレのことかとゲーテ言い。不謹慎だが、僕としては苦笑を禁じえない。僕も20代の東京のぼろアパート暮しでは、女ニモテズ雨ニモマケズ毎晩飲んだくれていたし、それなりにすさんではいたが、何しろ自分で持て余すほどの若さで体力はビンビン、夜なんか寝ないでも平気なぐらい元気だったし、前途はそれなりにあると思っていたし、まとめてみればけっこう楽しかったな~という記憶しかない。普通、20代ってそんなもんだろうと、同感してくれる人は多いだろう。ただ、たぶん一つ言えることは、僕らの頃はともかく、現代の開放的な世相の中で20代半ばぐらいの青年がどうしても女にモテない(恋人がいない、見つけられない)ということは、かなりキツイだろうな~ということは理解できる。・・・そりゃ、ハタで思う以上に大問題かもしれない。虚無感、絶望感に直結しかねないとも思う。僕ら思い返してみても、10代20代の頃なんて、頭の中身の75%ぐらいは異性(女性)のことで占められていたのは確かだったと思う(・・・友人の中には、100%だったと断言するツワモノもいる)。実際、僕だって女にモテるために短歌などやってるわけだし、それはそこそこ叶えられているわけだし~・・・当たって砕けるには、プライドが強すぎたか、傷つくことへの過剰な恐怖があったか。現代青年に比較的強いとされる自己愛による過剰な自己防御か。いずれにしても、いかなる意味でもこのような凶悪な所業を正当化できるものではないことはもちろんである、念のため。一人の大人として、この事件や犯人像を巡っていろいろ意見はあるけれども、しろうとが軽々に下手なことを言うのは自制して、当面マスメディアや専門家の意見を注視してみたい。ここ数日、メディアや専門家・知識人が提出している論点としては、ごく単純に要約すれば、以下の3点ぐらいに大別されるだろうか。1. 所得格差や非正規雇用・派遣労働、若い世代の失業、閉塞状況などの政治・経済・社会的問題点。さらに公教育の問題。2. 秋葉原をはじめ治安や取り締まり強化、ナイフをはじめとする武器の規制など、警察行政にかかる問題。また刑罰の厳罰化という司法に関わる問題。3. 犯人の生い立ち、生育歴、犯罪に至った心理などの個別的な精神医学・心理学的解明。1.の観点は、新聞やテレビ、週刊誌などが得意とするアプローチで、分かりやすく俗耳に入りやすく、政治的問題でもあるから、野党などは「それ見たことか~」と、鬼の首でも取ったように自民党・保守政治の責任に帰着させようと論陣を張るだろう。確かに、犯人も不安定な派遣労働の待遇などに強い不満を持っていた事実はあるようである。ただ、その反面、そうかな~?と、・・・ここまでの自暴自棄な事件を起こした青年の動機や心理状態を説明するのに、こういう“新聞社会面”的論法がどこまで額面通り受け取れるかな~、そういったもろもろが社会世相として間接的な背景となり得ることは分かるが、事件と直接に強い関係があると言い切れるのかな~と、僕なんかはかなり懐疑的に見ている。一般論化しすぎ、話の風呂敷を広げすぎではないかな~?少なくとも、7人を殺害し10人に重軽傷を負わせた、稀に見る凶悪事件の説明としては、あまりにも隔靴掻痒であり、論理が迂遠であり、ツボにハマッていない気がする。あえて言うなら、後付けの理屈っぽく、牽強付会の疑いも漂う。2.は、当局や専門家の奮起を望むほかはなく、一般市民としてはなすすべもない。3.のアプローチが、やっぱり聴いていてもっとも腑に落ち、納得できる説明になっている感じがする。ある程度、文学とか心理学とか人間心理一般に興味があるものにとっては、けっこう分かり易くもある。・・・むしろ分かり易すぎのが難点といえば難点か。彼が、幼少期に教育ママの母親から虐待に近い躾を受けていたという情報もあるが、この真偽のほどは割と大きなポイントになると思う。また、母親も、酒乱の夫(犯人の父親)から日常的にドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)を受けていたという報道もある。さらに彼自身も、高校時代頃には母親を暴行していたとも言われる。ただ、報道によれば、引きこもりや退却神経症的な傾向はないようである。こういったあたり、どうなのか。この犯人にとって、暴力は「グレート・マザー」(意識下の強迫的な恐ろしい母)からの脱出行為なのか?それとも、「超自我」(意識の深層の圧迫的な父親のイメージ)の彼なりの克服の模索なのか?・・・まるで、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」だ。・・・まあ、それで殺されたのでは、被害者は死んでも死に切れないだろうが、心理学的には、たぶんこんなふうな言い方になるだろうと思われる。幸い(?)犯人は未成年者ではなく、マスコミは遠慮なく書き立ててもらいたい。心理学に興味がある方ならご存知だろうが、クレッチマーなどの性格論によると、「粘着性気質」のパーソナリティ(人格)は、日頃おとなしく温厚で真面目で文武両道の“優等生”が多いが、その一部は、きわめて稀にだが爆発的な興奮を示すと言われている。火山の噴火のように、溜め込んだ怒りの一気の大量放出である。学童・学生時代に、のちのちまで同級生の記憶に残るほどの激怒の発作を時々起こし、友人に恐れられていたという証言(卒業文集にも書かれたという)や、犯行の数日前の、勤務先工場での我を忘れるような激怒は、まさにこれに当てはまるようである。このブログは、マスメディアや大学などからのアクセスが多く、光栄に思っている。皆さんには、こういった観点からのさらなる解明を期待している。
2008年06月09日
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昨夜7日は、ウォーキング・エクササイズの今季22回目。愛する子供たちが小さいので、極力風邪を引きたくない。ひとたび風邪を引くと、次々とうつってひどいことになるのは、何度も経験済み。家の中の一巡はもちろん、下手すると二巡ぐらいする悲惨な状況になる。ゆえに、雨には絶対降られたくない。・・・というわけで、入梅してからは、宵頃の空模様とにらめっこなので、出来た日は楽しい。そういえば、僕は腹筋マシーンも持ってるのを、今不意に思い出した。ウォーキングが出来ない日は、あれをやることにしようかな~自分の腹筋をいたぶる感覚、慣れるとけっこう気持ちいいんですよ~。さて、梅雨に入り、昼間はだいぶ蒸し暑くなったが、夜は今のところまだ、まずまず涼しい。・・・とはいえ、湿度が高いので、運動すると遠慮会釈なく汗が吹き出てくる。少しずつ不快な季節になってきているのは否めないよね~この季節、僕は一年で一番嫌いだす。アジサイは好きだけど。同様の方は、少なくないと思う。昨夜もいつものペースで、人目のあるところでは見栄を張ってジョギング~、その他の場所ではウォーキング~このチェンジ・オブ・ペース(ペース配分)が、天然のインターバル・トレーニングみたいになって、結果的には僕にちょうど合っているようである実質54分(0.9時間)で7437歩。データ類は前回とほぼ同じ。距離は、1歩75cmとして、7400×0.75≒5550m平均時速は、5.55÷0.9≒6.2km/h現在の体重は80kg。推定消費熱量は、「METS」を用いて、80(kg)×4(METS)×0.9(h)≒288kcalだった。* METSを用いる計算式については、こちら。体脂肪に換算すると、288÷7.2(kcal)=40gに相当する
2008年06月08日
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昨夜4日は、ウォーキング・エクササイズの今季21回目実質54分(0.9時間)で7269歩。データ類は前回とほぼ同じなので、省略する。今のところ、これぐらいの運動量が僕の“適量”のようである。1時間を超えると、疲れが残るような気がする。心身ともに快調。晩酌がうまい。・・・ところで、サッポロビールが田村正和を使って大々的に宣伝している、“ビールと間違うばかりの発泡酒”の「麦とホップ」とかいうのを飲んでみたいのだが、僕の見た限り、当地、栃木・宇都宮のスーパー、ドラッグストアではまだ出回っておらず、入手できていない。僕は、グルメ趣味はほとんどないのだが、酒に関してはけっこううるさい、というか、好奇心が強い男である3月上旬からの糖質(炭水化物の中の食物繊維以外のもの)カットのダイエットは、現在まで厳しく実行中。ご飯、パン、麺類など、穀物由来の精製されたでんぷん質は、この3ヶ月間一切摂っていない。これらは、「エンプティ(空っぽの)カロリー食品」とも言われている。塩分、脂肪分も極力摂らない生活に慣れた。・・・いや、実を言うと、先日ふと誘惑に負けて、「出前一丁」を一袋だけ食べてしまったのだが、そのまずさにビックリ!インスタントラーメンって、こんなにマズいものだった?!?「出前一丁」は、乾麺の即席袋麺のジャンルでは、トップクラスの味だと思っていたが。そういえば、別の日に冷凍食品のハンバーグを食べたのだが、その脂っこさに閉口。やや気分が悪くなったぐらいである。ダイエットの効果がはっきり現われるにつれて、食べる量も自然と減っている。・・・と言っても、毎食3人前ぐらい食べていたのが異常だったのであるそれを人並みに戻したということである。ダイエットの“飢餓状態”に慣れたというか、味覚が明らかに変わっている。往年の、山本七平さんの日本軍戦記エッセイを思い出した(「私の中の日本軍」など)。そんなこんなで、けさ測定したところ、80.2kgを記録!!!91kgだった3月初めから見ると、3ヶ月余りで11kg減量した。ちなみに、9年前、妻と出合った頃の僕の体重は、72~73kgだったと記憶している。その後、体重のインフレーション(膨張)は緩やかに着実に進み、近年は妻に“詐欺師”呼ばわりされる屈従の日々であったが、ようやく今、軽蔑の視線を撥ね返し、高らかな哄笑とともに彼女を睥睨し見返してやる秋(とき)は近づいたのである「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ)のヒースクリフの心境か。おお、キャシー。・・・さてはよそに“側室”でも出来たのではないかと、口にこそ出さないまでも妻には訝(いぶか)しがられている今日この頃だが、僕にそんな甲斐性があるわけもなく、別になんでもないよ~んとか言葉を濁しつつ、さらに7~8kg減を目指します~・・・などと言っているうちに、所属している短歌結社「短歌人」8月号の原稿締め切りがいよいよ迫ってきてまして、緊迫感が走っております~出来不出来を別にすれば、腰折れ詠草の数はそこそこ詠めてるんだけど、どうも方向性が定まらなくってね~。モティーフというか。短歌は、1首1首が独立した詩ではあるんだけど、何首か並べる時には、やっぱりある種の統一感というか、有機的連関が多少なりとも必要だとも思うしね。これ、いつも苦しむところなんだよね~。結局いつも最後は、目を瞑ってエイヤっと、勢いで決めてるんだけどね~まあ、けっこう皆さんもそんなもんじゃないかと思ってるけどね~。結局僕は、“器用貧乏”な資質なんだろうね~。思えば、子供の頃から万事につけそうだった気もするしね~。三つ子の魂百までだよね~
2008年06月05日
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近所で、きのう撮影。どこにでもある駐車場が出現してきました。このシリーズもしぶとく(しつこく?)続けておりますが、ようやく先が見えてきたようですね。
2008年06月05日
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昨夜は、ウォーキング・エクササイズの今季20回目折しも入梅と台風接近で、深夜に強い雨が降り出したようなので、その前にやっておいて良かった。最初ちょっと、脚に軽い筋肉痛を感じたが、やっているうちにほぐれたのか、痛みは消えた。最近は割合気候もよく、夜の街をウォーキング、ジョギングしている人をよく見かける(きのうは天気が怪しかったので、さすがにほとんどいなかったが)。まあ男の方が多いと思うが、老若男女を問わないといってよい。夫婦らしいカップルも多い。すれ違う時は、お互いに多少照れる女性も多い。夜の街を独り黙々と女性が走っていれば、ちらりと一瞥 glimpse してしまうのは男の本能と言うか性(さが)であろうが、結論として言えることは、いい女が多いどこかに孤独感と密かな信念を漂わせたような、強靭でクールな感じの美女が多い。きわめて魅力的である。いい女が努力して、ますますいい女になっていくという感じである。あ~オレ、こ~いうこと書くから、舌禍事件になっちゃうんだよねさて、ブログを見返して見たら、今年ウォーキングを始めたのは4月11日だったので、この間約50日間で20回、つまり5日に2回、言い換えれば2~3日に1回というペースであり、結果的にちょうどいいぐらいだと思う。実を言うと、連日続けて運動したり、激しく行なったりすると、翌朝や翌々朝、起きるのがけっこうキツいことに、最近気が付いた。恥ずかしながら、ちょっと寝坊してしまった日もある若い頃と違って、一晩の睡眠で完全に疲労が取れず、蓄積してキャリーオーバー(繰越し)されていく感じなのだ。・・・体調がいいので、ついつい酒を飲みすぎることも相まっているけれども全く、年は取りたくないものだとしかいいようがないが、寄る年波は自然の摂理、ぼやいても仕方がないやね。まあ、あまり無理しないように注意するしかないだろう。さて、昨夜のデータは、54分(0.9時間)で、7224歩。距離は、1歩75cmとして、7200×0.75=5400m平均時速は、5.4÷0.9=6.0km/hかなりの速足だが、エクササイズ・ウォーキングとしてはごく普通のペースで、最近はきわめて一定している。推定消費熱量は、「METS」を用いて、81kg×4(METS)×0.9(h)≒292kcalだった。* METSを用いる計算式については、こちら。体脂肪に換算すると、292÷7.2(kcal)≒41gに相当する
2008年06月03日
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島木赤彦(しまき・あかひこ、1876-1926)いとどしく椿の花の明るみに面おもわ近づき来る童女はも月の下の光さびしみ踊り子の体くるりとまはりけるかも椿の蔭をんな音なく来きたりけり白き布団を乾しにけるかも寝られねば水甕みづがめにゆきて飲みにけりあな冷たよと夜半よはにいひつる俎まないたの魚いきいきと眼をあけり暮れ蒼みたる梅雨の厨くりやに歌集「切火」(大正4年・1915)
2008年06月02日
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昨夜は、ウォーキングの今季19回目。降りつづいた冷たい雨がやんだのを見計らって、「オリオン通り」という、なかなかいい雰囲気を出している知る人ぞ知る当地・宇都宮のアーケード街を中心に、土曜日の夜8時台の堕天使たちの群れの中をある種の優越感に浸りつつ、ウォーキングとしては全力で疾走。・・・まあ、彼らから見れば、単なる酔狂な物好きに過ぎないと思うが・・・走る阿呆に見る阿呆。50分(0.83時間)で、6683歩。距離は、6700×0.75(m)≒5000m平均時速は、5(km)÷0.83(h)=6.0km/hだった。推定消費熱量は、「METS」を用いて、81kg×4(METS)×0.8(h)≒260kcalだった。* METSを用いる計算式については、こちら。翌朝であるけさ、またウェストが縮まったと思う
2008年06月01日
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