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直江兼続(なおえ・かねつぐ)織女惜別しょくじょせきべつ 二星何恨隔年逢今夜連床散鬱胸私語未終先酒涙合歓枕下五更鐘二星何なんぞ恨みん隔年に逢うを今夜床とこを連ねて鬱胸を散ず私語未だ終わらざるに先ず涙を酒そそぐ合歓枕下ごうかんちんか 五更ごこうの鐘牽牛・織女の二星は、年を隔ててしか逢えないことをどうして恨めしくなど思うだろう。今夜は床を連ねて、胸に鬱屈した痞(つか)えを晴らした。密かな細言(ささめごと)をまだ言い尽くしていないのに早くも涙が溢れ出た。歓びを交わした枕元に五更の鐘が響いてきてつれなくも別れの刻(とき)を知らせるのだ。註七夕伝説の、織女(織姫、棚機津女・たなばたつめ、琴座ベガ)と牽牛(彦星、鷲座アルタイル)にこと寄せて、男女の切ない愛を詠った漢詩。漢詩の技巧に詳しくはないが、「逢(ほう)」「胸(きょう)」「鐘(しょう)」は、たぶん脚韻を踏んでいる。これほど見事な漢詩を作れる戦国武将が、当時そうそういたとは思われない。直江兼続公が、今なお語り継がれるわけがよく分かる名編。この詩は、NHK大河ドラマ「天地人」第25回「天下人の誘惑」冒頭、前田利家の京屋敷で直江兼続が披講するシーンに登場した。合歓枕下ごうかんちんか:「合歓の枕の下」と読んでもいい。五更:午前4時頃。早暁。
2009年06月30日
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直江兼続(なおえ・かねつぐ)逢恋ほうれん風花雪月不関情邂逅相逢慰此生 私語今宵別無事 共修河誓又山盟 風花雪月ふうかせつげつ 情なさけに関せず邂逅かいこうし相逢おうて此の生を慰む私語して今宵別れて事無し共に河誓又山盟を修す 風花雪月の風情も、人の情愛には関わりがない。めぐり合い、逢瀬を重ねて、この人生を慰め合う。密かに語らって、今宵のうちに別れ、何事もない。永遠の河に誓い、また山に盟し、ともに約束し合ったのだ。
2009年06月29日
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直江兼続(なおえ・かねつぐ)春雁似吾吾似雁洛陽城裏背花帰春雁しゅんがん吾われに似て吾雁に似たり洛陽城裏花に背そむきて帰る常山紀談北へ渡って行く春の雁(かり)が私に似ているのか、それとも、私が雁に似ているというべきか。華やかな都のちまたで、美しい花に背(そびら)を向けて、私は私のあるべき場所に帰ろう。註全体に短いのは、前半の起承句が散逸消失して、後半・転結句のみの残闕(ざんけつ)であるせいだと思われるが、残された2行からでも、NHK大河ドラマにも垣間見られる、義に聡く情に厚い武将の俤(おもかげ)が偲ばれる、爽やかな名詩。和歌で「雁(かり)」に掛かる枕詞(まくらことば)に「遠(とお)つ人(遠い人)」があり、この意味を言外に響かせているという解釈も出来る。
2009年06月29日
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斎藤史(さいとう・ふみ)みじか夜を美くはしといひて惜しみつつやがて眠りにゆくばかりなる歌集「朱天」(昭和19年・1944)短い夜が過ぎて行くのを 短いなりにぎっしりと稠密で美しい時間なのだと言って惜しみながらやがて眠りに入ってゆくばかりなのである。註くはし:現代語「詳しい」の語源だが、もと精緻で繊細な美しさを言った。アジサイの花を「くわし」と表現した用例がどこかにあったような気がするので、そういったイメージを重ねているかも知れない。
2009年06月29日
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近所で、昨夕写す。
2009年06月28日
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くまんパパ 「短歌人」7月号掲載作品月暈の潤める光降りそそぎ二十日大根ラディッシュの葉のうららけき宵 *1山手線見下ろす土手の叢に寝し夜もあり赤人のごと *2クレパスでわが似顔絵を描きくれし三人みたりの娘三位恩寵スリーグレイセス宇都宮と書いてGINZAと読ませたきU字工事の悲願よろしき花水木咲く日曜の川べりに謎の女人ら集ひ祈れり枕辺にジョージ・ハリソン来立ち言ふすべてのものは過ぎ去るなりと *3*1 皇太子徳仁親王殿下「降りそそぐ月の光に照らされて雪の原野の木むら浮かびく」(平成19年歌会始の儀)*2 山部赤人「春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみひと夜寝にける」(万葉集 1424)*3 「オール・シングス・マスト・パス」【自註】1首目:これは、僕としてはごく素直な写生。5月はじめに月暈(読み方は「げつうん」「つきがさ」、どちらでもいいです)を見た。眼下のプランターには、ラデッシュの青々とした若葉がすくすくと育っていた。かけまくもかしこき皇太子殿下の御歌を本歌取りさせて戴いた。・・・なお、細かいところだが、「降りそそぎ」がいいか「降りそそぐ」がいいか、最後まで迷い、掲載後の今でさえ迷っている。ちょっとニュアンスが変わるような気がするのだ。「降りそそぎ」は、より客観的で、それを見ている僕がいる感じ。「降りそそぐ」は「ラディッシュ」の主体性(主語性)が強まり、僕が消える感じ。・・・う~む、どちらも捨て難い。2首目:「草なぎ剛くん事件」に事寄せて、僕だって二十代の頃は酒飲んでけっこう無茶なことしてたよな~、と思い出した。山手線を見下ろす土手の叢(当時の国鉄構内)で寝たのは事実(・・・もう時効だよね)万葉集の山部赤人の名歌から、本歌取りの技巧をちょっと組み合わせてみた。3首目:これまた写実。近所のスーパーの「父の日似顔絵大会」で子供たちが書いてくれた。絵と引き換えに、縄跳びの縄をもらってきた「スリーグレイセス」は「魔法使いサリー」のテーマソングでお馴染みの、当時抜群にポップだった3人組女性ヴォーカル・ユニット。このように訳してみた。今でいう Perfume みたいなものか(・・・全然違うかな?)。4首目:テレビでU字工事が言っていた。宇都宮市民としては、もちろん同感である。ゴメンネゴメンネ~5首目:これまた写実。日曜の朝の実景。たぶん、キリスト教系のサークルか。若いママさんたちが子供連れで、もろびとこぞりて祈っていた。ちょっと不思議な光景だった。6首目:これは頭の中で組み立てた、いうなれば主知的な構成の歌。アルバム「オール・シングス・マスト・パス」(1970)は、ちょっと冗長感はあるが、今なお時々無性に聴きたくなる不朽の名盤。特にサウンドやアレンジ面で、その後のポップ・ミュージックに与えた影響は絶大だと思う。・・・きわめて信頼している短歌の友人(歌トモ)から、あなたの歌は「破天荒短歌」ですね~なんて言われて悦に入っているが、今回は、その意味ではちょっとおとなし目だったかな~?著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年06月27日
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くまんパパ 春闌たけぬ月暈の潤める光降りそそぐ二十日大根ラディッシュの葉のうららけき宵山手線見下ろす土手の叢に寝し夜もあり赤人のごと *1百菜の大王ならむカリフラワー茹でて炒めてあんぐりと食む長調メージャーと短調マイナーがあり陽と陰どちらがいいといふこともなし母であり女でもあり妻である専業主婦の復権である葡萄酒とパンの晩餐精神の冒険前にふさはしからむ春闌けてやたらにパンを買ひ来し日家族もぐもぐ我ももぐもぐクレパスでわが似顔絵を描きくれし三人みたりの娘三位恩寵スリーグレイセスおしやまとは猫と芸者のことなると吾子に教ふる日もあらめやも心身に必須の微量栄養素ヴィタミンTの短歌と言はな宇都宮と書いてGINZAと読ませたきU字工事の悲願よろしき亀渕昭信かめちやんがNHKでDJし我も中学生に戻りぬ我が妻も旧姓ゆゑに亀ちやんと呼ばれをりけり亀は万年花水木咲く日曜の川べりに謎の女人ら集ひ祈れり枕辺にジョージ・ハリソン来立ち言ふすべてのものは過ぎ去るなりと *2*1 山部赤人「春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみひと夜寝にける」(万葉集 1424)*2 「オール・シングス・マスト・パス」著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年06月26日
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良寛(りょうかん)五月雨さみだれの晴れ間に出でて眺むれば 青田涼しく風わたるなり良寛禅師歌集
2009年06月24日
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藤原良経(ふじわらのよしつね)うちしめりあやめぞかをる時鳥ほととぎす鳴くや五月さつきの雨のゆふぐれ新古今和歌集 220しっとりと湿って軒に挿したアヤメが妙なる香りを放つ(・・・ホトトギスが鳴いているのか)五月の雨の夕暮れ。註五月さつき:ほぼ現在の6月。梅雨。
2009年06月23日
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後醍醐天皇(ごだいごてんのう)都だにさびしかりしを雲晴れぬ吉野の奥の五月雨さみだれのころ新葉和歌集都にいる時でさえ寂しかったものを、雲も晴れない吉野の奥の五月雨の降る頃(は、なお寂しい)。
2009年06月22日
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源経信(みなもとのつねのぶ)よろづ代にかはらぬものは 五月雨さみだれのしづくにかをる菖蒲あやめなりけり金葉和歌集 128いつの世にも変わらないものは梅雨の雫に香る菖蒲の風情だなあ。註五月雨さみだれ:梅雨。陰暦の五月さつき(皐月、ほぼ現在の6月中旬~7月上旬)頃に降る雨。菖蒲あやめ:今いうショウブのこと。サトイモの近縁種(サトイモ目ショウブ科)。現在よく混同されがちなアヤメやハナショウブ(アヤメ科)とは全く別種。旧暦五月五日の重陽(端午)の節句には、男の子の成長の祝いに用いる。 パブリック・ドメイン ショウブの花撮影・著作権者:Llez 氏 画像クリックで拡大ポップアップ
2009年06月21日
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紀貫之(きのつらゆき)五月雨さみだれの空もとどろに郭公ほととぎすなにを憂うしとか夜ただ鳴くらむ古今和歌集 160五月雨の空にとどろくほどに、ホトトギスは何を思い悩んで夜ひたすら鳴いているのだろうか。註郭公:ホトトギス。今はこの文字で「カッコウ」を指すが、平安期ごろは混同されていたらしく、この表記が多い。
2009年06月20日
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ古今和歌集 153五月雨に物思いに耽っているとホトトギスが夜更けに鳴いていったいどこへ行くのだろう。註五月雨さみだれ:陰暦五月(ほぼ現在の6月)に降る雨。梅雨。夜深く:形容詞「深し」と動詞「更く(更ける)、耽る」は、明らかに語源的に同源であろう。そういった感覚を呼び起こさせる表現だと思う。
2009年06月19日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)五月さつきかぜ朝野をわたる軟やわらかうけむらひ高きけやきの新芽五月の湿り気のある風が朝野を渡る。軟らかく霞がけむるように茫漠と高い欅の梢の新芽。歌集「鶯」(昭和6年・1931)註五月さつき:陰暦五月。ほぼ現在の6月に当たる。梅雨(時)。
2009年06月19日
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伊藤一彦(いとう・かずひこ)ころさるるひびきとおもう梅雨闇のなか大きなる静寂あれば歌集「月語抄」(昭和52年・1977)何かが殺される響きだと思った。この梅雨の闇の中、大いなる太古の静けさはあって。註大きなる:形容動詞「大きなり」の連体形。現代語「大いなる」は、その音便。
2009年06月19日
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いつも愛読している読売新聞ウェブサイトの「発言小町」に「38年間生きてきて知りませんでした(駄)」と題する、笑えるトピック(スレッド)が立っている。生まれてこのかた「ピスタチオ・ナッツを殻ごと食べてきた」という“笑撃”の告白である(笑)この手の無知による失敗談は、誰でも一つや二つ、はたまた三つや四つ、直ちに思いつくだろう。レスポンス(コメント)欄も、自虐ネタで盛り上がっている。・・・閑話休題、実を言うとタイムリーなことに、最近僕にもそういったことが起こってしまった。所属する歌誌「短歌人」6月号の小池光氏の「作品月評」欄を読んでいて、思わず顔面蒼白、丸太ん棒でアタマぶん殴られて失神寸前になるような衝撃を受けた。論評されていたある短歌作品に使われていた文字「煌く」は、「きらめく」とは読めないというお叱りである。思わず、おっとり刀で幾つかの漢和辞典を引いてみると、確かに「かがやく」「あきらか」という訓しかない。天下の藤堂明保編「大漢和辞典」にも、この二つの訓みしか載っていない。ウソ~っ!!!人間も長くやっていると、ちょっとした物事で驚愕するなんてことはめったになくなるのが世の常である。どんどん図々しくなってくる。かくいう僕も、最近これほどの衝撃を感じたことはなかった。実に久しぶりである。宝石屋のチラシかなんかでよく見かけるけどね~、「煌くダイヤモンド・リング」とか。だいたい、この記事の「煌」の字自体、「きらめく」と入力して出してるぐらいだ。一発変換される。・・・それが、それが、みんなウソ偽りの誤りだったとは~いや、それだけならさほど大した問題ではない。以後改めればいいだけの話なのだが、実は、僕がこれほどショックを受けてるのには、それなりの理由があるのです~。上記の「短歌人」6月号が送られてくるのと時を前後して(行き違い気味のタイミングで)送付した8月号短歌原稿の栄えある1首目に、僕は自信満々で「煌く」という言葉、および表記を用いてしまったのだ。しかも下の句(4句目)冒頭という、短歌表現の要の位置にである。さらにそれは、我が直接の師匠である歌人・藤原龍一郎氏へのオマージュ(賛辞)・リスペクト(尊敬)の意を込めた堂々の自信作である。だからこそ「きらめく」などという、ちょっと非日常的な言葉を使ってしまったともいえる次第である。出て来るは溜め息ばかりなりにけり。・・・繰り言にしかならないな~──結社内業務連絡。宇田川さん、生沼さん、もしこれをお読みでしたら、校正段階で「煌く」を「きらめく」に直していただけませんでしょうか?・・・無理だろうな(笑)しかし、改めて考えてみると、こういう「ウソ字」というか「ウソ読み」というのは、けっこう世の中に流布しているから、なかなか油断ならないと、自分を戒めたい。小さいサークルの会報だの、地域老人会の文集とかならともかく、ある程度ちゃんとした活字になるような文章表現では、気をつけないと未来永劫恥をかくよね。・・・スーパーの店頭で「醤油」を「正油」と書いてあるなんてのはご愛嬌だけど。×「翔く」と書いて「はばたく」と読ませたい人もいるようだが、完全にアウト。○「はばたく」は「羽撃く・羽搏く」である。「翔」は「かける」「かけめぐる」としか読めない。○「宙」と書いて「そら」「おおぞら」は、漢和辞典によれば、意外にもOK。その他、無数に誤用例はあるだろうが、今ちょっと思い浮かばないので、後で加筆しときます~・・・なんか、まとまりのない文章ですいません
2009年06月19日
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斎藤史(さいとう・ふみ)血紅の木の実踏まれて土に沁む ちぬられし昭和また終るべし出典:調査中。註血紅:「けっこう」と読むのだろう。昭和維新の朝二・二六事件と軍師 齋藤瀏
2009年06月18日
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斎藤史(さいとう・ふみ)大き樹に来る老無惨 草なればこととしもなしたかが雑草出典:未詳、調査中(内容から見て、昭和末期の作品であろう)。あの御方に訪れる、老いの無惨。われわれは民草だから、事も無いのだ。・・・たかが雑草。註斎藤史:歌人。結社誌「短歌人」の創刊に関わったが、のちに脱退、「原型」を創刊。三島由紀夫の代表作「豊饒の海」の登場人物、歌人・鬼頭槇子のモデル。ちなみに、父は歌人でもあった斎藤瀏(さいとう・りゅう)陸軍少将で、二・二六事件に連座後、佐佐木信綱主宰の結社誌「心の花」から独立して昭和14年(1939)に「短歌人」を創刊。「短歌人」は、本年4月に創刊70周年を迎えた。こととしもなし:「こともなし」の強調表現。
2009年06月17日
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斎藤史(さいとう・ふみ)暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた歌集「魚歌」(昭和11年・1936)
2009年06月16日
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くまんパパ父の日のおくりものにと子が描きしわが似顔絵をよもすがら見る© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年06月15日
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一青窈(ひとと・よう)すれちがうリュックサックのおじさんの消毒臭がツンと菊坂角川「短歌」6月号註短歌雑誌上で、人気シンガー&ソングライターの一青窈さんが、歌人・俵万智さんに短歌の作り方を実地に教わる、実作レッスンの人気シリーズ「万窈(まんよう)のとびら」。今月号は、連載1周年特別企画として、何とあの鬼才(・・・というか、「奇人変人怪人歌人」?)の穂村弘氏をゲストに迎え、東京・本郷を歩く吟行会(?)を堂々の敢行。上記の歌は、天下の俵・穂村両氏の、直接のありがた~い添削指導を受けて成った1首(・・・その指導、僕も受けてみたい)なお、推敲前は「リュックの男、前髪と病の香り残して菊坂過ぎる」。もちろん、もともとかなり筋はいい。・・・だがしかし、う~むなるほど、確かに、直されて格段に良くなった~(・・・ま、当然といえば当然か)考える短歌
2009年06月15日
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小池光(こいけ・ひかる)河野裕子が永田和宏を叱るこゑゆめの渚のあけぼののころ歌集「草の庭」(平成7年・1995)註永田和宏氏と河野裕子氏は(天才)歌人夫妻。結社「塔」主宰。
2009年06月13日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状歌集『波瀾』(昭和64年・1989)註周防内侍「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」(小倉百人一首 67、千載和歌集 964)の本歌取り。間接的に藤原定家「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」(新古今和歌集 38)も踏まえる。あかねさす:「赤」や「紫」にかかる枕詞(まくらことば)。召集令状:通称「赤紙」。
2009年06月13日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)歌人おほかた虚空にあそぶ青葉どきたのみの綱の佐佐木幸綱歌集「波瀾」(昭和64年・1989)
2009年06月13日
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河野裕子(かわの・ゆうこ)ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり第一歌集「森のやうに獣のやうに」(昭和57年・1972)
2009年06月12日
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)草花と子は漢字もて書きをれり草がんむりの文字ふたつよき歌集「積日」(昭和22年・1947)
2009年06月12日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)こころみにわかき唇ふれて見れば冷やかなるよ しら蓮の露歌集「みだれ髪」(明治34年・1901)
2009年06月12日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)春の木は水気すゐきゆたかに鉈なた切れのよしといふなり春の木を伐る歌集「みなかみ」(大正2年・1913)
2009年06月12日
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前登志夫(まえ・としお)黄緑わうりよくの靄ある山の斜面なりかへりなむいざ歌の無頼に歌集「縄文記」(昭和52年・1977)註「無頼」は、巨匠のキーワードの一つであると言われている。その言葉が堂々と使われた作品。斜面:普通には「しゃめん」と読むのであろうが、古語として「なだり」と読むのかも知れない。油断ならない。
2009年06月12日
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穂村弘(ほむら・ひろし)巻き上げよ、この素晴らしきスパゲティ(キャバクラ嬢の休日風)を舌出したまま直滑降でゆくあれは不二家の冬のペコちゃん歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」(平成13年・2001)註何か書かないと、著作権法第32条の無断引用に当たると見なされる惧れがあるので、やむなくちょっと書くことにするさて、いったいこれが短歌なのか?・・・という素朴な疑問を突きつけられれば、もちろん然り、現代短歌であると答えざるを得ない。今や穂村氏の存在を無視できる歌詠みはいないだろう。確かに、ここには一種のクールでポップでドライな抒情と、パズル的な言葉の再構築(・・・もしくは脱構築)の面白さがあることは認知できる。相当な力量があることは一目瞭然、誰も否定できない。・・・が、言ってみれば、ほとんどこういった感じの歌で埋め尽くされている歌集を眼前にして、急速に途方にくれ出すのも事実だ。2首目なんか、字足らず破調だし~。何か、非常に洗練されてはいるが、オチのない4コマ漫画を延々と読んでるような気分だ。あるいは、売り出し中の非常にシャープなお笑い芸人の一発ギャグを、2時間スペシャルで延々見せつけられてるみたいな。虚しいのだ。あんまりオレの人生と関係ないな~、という感じである。もしかするとその空虚感こそが穂村氏の「リアル(リアリティ)」なのだろうか。・・・なるほど、そうかもしれない。うん、それでいいや。面倒くさいから、そういうことにしとこうまあ、人気歌人の穂村氏については、ひとたびネット上で検索していただければ、たちどころに厖大な論及を読むことが出来るから、僕などが屋上屋を架す必要はないだろう。おしまい
2009年06月11日
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沙弥(さみ)あしひきの山霍公鳥やまほととぎす汝なが鳴けば家なる妹いもし常に偲しのはゆ万葉集 1469足を引きずって行く深山に棲むホトトギスよ。お前が鳴くと、家にいる妻がいつも思い出されるよ。註あしひきの:「山」「峰」に掛かる枕詞。普通は訳さないが、訳出しても可と思う。
2009年06月11日
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作者未詳霍公鳥ほととぎす来鳴く五月さつきの短夜みじかよも独りし寝ぬれば明しかねつも万葉集 1981ホトトギスが来て鳴く五月の短い夜も、独りで寝たのでは寂しくて明かしかねたなあ。註五月:旧暦の五月は、新暦のほぼ6月に当たる。したがって、古文でいう「五月雨(さみだれ)」は「梅雨」のこと。「五月晴れ」は「梅雨の晴れ間」のこと。
2009年06月10日
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歌誌「短歌人」8月号の短歌原稿締切りが迫り、アタマから火~噴いてますので、ブログはちょっとお休みしますだ~。ご了承下さいませ~
2009年06月09日
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近所で、きのう写す。
2009年06月08日
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宮柊二(みや・しゅうじ)歌止めてゆくをとどめしこと無くて一人二人を常に偲べり歌集「多く夜の歌」(昭和36年・1961)去るものは追わず、歌をやめてゆく人を引き止めたことは無くて、しかしながら、やめていった一人二人のことを惜しいことをしたものだと、いつも偲んでいるのだ。註1980年代頃までの短歌結社・歌壇内部の相互批評は、いずかたも辛辣・苛烈を極め、テンション民族・日本人の悪い国民性なのかも知れないが、批判は時に全人格の否定にまで及んだ。それで短歌をやめていった人はたくさんいたと、当時を知る多くの先達が証言しており、僕もいろいろな本で読んでその空気を知っている。アララギ系(現「塔」などに継承)などは、特に凄かったらしい。僕の祖父母が携わっていた田舎の歌壇ですらそうだったようで、地元出版社の出した本に厳しい実例が載っている。もっとも、平安時代の「歌合せ(歌合戦)」なども、教養ある貴族たちのプライドを賭けた、文字通り命がけの真剣勝負で、あわれ敗れし者の発狂、憤死、事実上の自殺なども枚挙に遑がなく、死屍累々の阿鼻叫喚。・・・考えてみれば、これは一種の悪しき伝統かも知れない。現在でもその伝統は完全に滅んだとは言えず、激甚な批評を受けて鬱病・ノイローゼになって入院したりする人さえいると聞く。そこまでいかずとも、憤然とやめてしまう人は少なくないと承知している。最近でもいろいろ実例を見聞きする。歌詠みの一部には、繊細な神経を持つ人も多いから、なおさらこれはお気の毒と言うほかはないだろう。・・・とはいうものの、何があっても、やめちゃいかんだろ~やめちゃ~とは、やはり思うんだよね。それじゃ、元も子もないだろ~。そういえば、昨年暮れの「短歌人」誌上で、ある大先生に公然とコテンパンに貶され、挙句には僕ごときまでが尻馬に乗り、このブログでちょこっと言及してしまったSさん、本当にすみませんでした~ちょっと調子に乗ってしまいました~改めまして、この場を借りて深くお詫び申し上げます~。ところでSさん、最近スゴくいいんじゃないですかね。ナニクソ~ってのが感じられて一首一首が生き生きと面白くなった。一皮向けたって感じ。批判と、それに対する落とし前をつけるという形のコミュニケーションは、かくありたきものですね。皆さんも、Sさんや僕みたいに、少々のことを言われても左の耳から右の耳へと馬耳東風、厚顔無恥の図太い神経を持ってもらいたいものだな~と、衷心から思ったりするのである宮柊二:有力短歌結社「コスモス」創立者・主宰者。北原白秋に師事。温厚な人柄ながら、戦後短歌の総帥として君臨した。止めてゆくを:連体形の準体言(見なし体言)用法。「(止めてゆく)人を」または「ことを」などが省略された形。文語文では当たり前に用いられる。
2009年06月08日
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大伴旅人(おおとものたびと)隼人はやひとの瀬戸の磐いはほも年魚あゆ走る吉野の滝になほ及しかずけり万葉集 960隼人の瀬戸の大岩の奇観も、鮎の泳ぎ跳ねる吉野の激流の景色にはやはり及ばないなあ。註隼人の瀬戸:現・鹿児島県阿久根市と長島の間にある黒の瀬戸。大伴旅人は養老4年(720)に征隼人持節大将軍としてこの地に赴任した。
2009年06月07日
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石川郎女(いしかわのいらつめ)吾あを待つと君が濡れけむあしびきの山の雫にならましものを万葉集 108私を待ってあなたが濡れたのでしょう山の雫になりたいものですわ。註郎女(いらつめ):「女郎」とも記す。古代貴人女性の敬称。
2009年06月07日
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大津皇子(おおつのみこ)あしひきの山の雫しづくに妹いも待つとわれ立ち濡れぬ山の雫に万葉集 107足を曳いて行くほどの深山みやまの雫に、愛しいそなたを待っていると私は立ち濡れてしまった、山の雫に。
2009年06月07日
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築地正子(ついじ・まさこ)一茎の荒地野菊が一行の詩句とぞなりて瞳にそよぐかな歌集「みどりなりけり」(平成8年・1997)註難解な詩句で解釈に悩まされることが多い作者にしては、割とストレートで分かりやすい作品か。
2009年06月07日
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近所で、けさ写す。
2009年06月06日
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近所で、けさ写す。築地正子(ついじ・まさこ)紫陽花の紫の裡けむりつつ心見せねばわれも見ざらむ歌集「菜切川」(昭和60年・1985)あじさいの紫のうちに韜晦カムフラージュしてあなたが心を見せないのなら、あたしもあえて見ないであろう。
2009年06月06日
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築地正子(ついじ・まさこ)一本の木よりも繊く佇ちゐれば月は光の軽羅を賜ふ歌集「みどりなりけり」(平成8年・1997)一本の裸木よりもかぼそく弱く立ち尽くしていたら、月は光の羅紗をわたしに纏わせた。註孤高の歌人と称えられた作者の持ち味がよく出ている。この歌に即して言えば、解釈はいろいろ可能だろうが、ひと言で言えば、エロス(生・性衝動)/タナトス(死衝動)+アニミズム(精霊崇拝)および離人症的孤独感/対人障壁感などの渾然一体となった妖しい世界、といったところだろうか。なお、原文にルビ(振り仮名)は一切振られていない。読み手側が解読するしかない。繊く:「ほそく」と読むのだろう。佇ち:「たち」と読む。軽羅:けいら。透けて見えるような羅(うすもの)。絽(ろ)や紗(しゃ)などの上品な単衣(ひとえ)。
2009年06月05日
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築地正子(ついじ・まさこ)蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶歌集「みどりなりけり」(平成8年・1997)蝶の眼に見えてわたしの眼には見えないものがある。この世に存在して神秘の闇に入ってゆく蝶。註古代ギリシャ語「プシューケー Psyche Ψυχη」は、霊魂の意味であり、同時にその象徴である蝶を意味する。また男神エロースに愛された美少女の女神の名でもある。さらに、英語を含む欧米語の「心理学 psychology」の語幹になっている。作者は、たぶんその辺を踏まえて詠んでいるのだろう。瞳:この場合は「め」と読ませるのだろう。
2009年06月05日
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築地正子(ついじ・まさこ)水のみが見たりし月もありぬべし朝素甕の水くつがへす歌集「菜切川」(昭和60年・1985)夜の間、水だけが見ていた月もあったのだろうなあ。朝、素甕の水を覆す。註「朝素甕の」は「あした、すがめの」と読めばいいのであろうか。ある種、怖いような研ぎ澄まされた感性である。作者が所属した「心の花」の主宰・佐佐木幸綱氏の評言によれば、これは「アニミズム(精霊崇拝)といってもいい」ような世界である。・・・僕なんか、逆立ちしても詠めないわ
2009年06月05日
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近所で、けさ写す。和泉式部(いずみしきぶ)岩つつじ折りもてぞ見る 背子せこが着しくれなゐ染めの色に似たれば後拾遺和歌集 150岩躑躅を折り、持って見る。恋しいあなたが着ていた紅染めの色に似ていたので。
2009年06月04日
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サルビア(シソ科)と黄色い花(たぶんキク科)シソ科の紫の花(踊子草?)近所で、けさ写す(強風のため、ブレています)。
2009年06月04日
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春日老(かすがのおゆ)河上かはのへのつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢こせの春野は万葉集 56川のほとりのつらつら椿をつくづくしみじみと見ても飽きない、巨勢の春野は。註河上かはのへ:「かわかみ(上流)」ではなく、「川のほとり」の意。つらつら椿:未詳だが、椿の花が連なって咲いているさまかという。「つらつらに」を導く序詞(じょことば)にもなっている。なお、椿の語源は、「つばら木(精緻な美しさの木)」説が有力。つらつらに:つくづくと、じっくりと。巨勢こせ:現・奈良県御所(ごせ)市古瀬(こせ)。
2009年06月03日
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自宅で、けさ撮影。一時は、アオムシ・毛虫にやられて葉っぱズタボロの危機に陥っていたラディッシュ(二十日大根、アブラナ科)たちでしたが、決意一発、阿修羅のごとき憤怒の形相で薬剤を散布しましたところ、虫害はピタリと収まりました~その後はどんどん新芽も出てきて、続々根っこも出来てます~以前に、茹でて食べた感じは蕪(かぶ)っぽいと書きましたが、今日は生で齧ってみたら、名前の通りダイコンそのものでした。隣に伸びてきてるのは、イタリアン・パセリです。枝も栄えて葉も茂る~・・・こいつは秋まで楽しめそうだ~
2009年06月02日
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リアル仏像フィギュア 阿修羅会津八一(あいづ・やいち)阿修羅の像にゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらしけふもまたいくたりたちてなげきけむ あじゆらがまゆのあさきひかげに歌集「山光集」(昭和18年・1943)突然の激しい物思いに掲げた腕さえ空に忘れて立っているらしい。今日もまた、幾人が立って溜め息を吐いているのだろう、阿修羅の眉の浅い日蔭を見て。註奈良・興福寺で阿修羅像(現在、国宝)を見て詠んだ。1首目の文意、何やら謎めいていて難しいが、素直に読めばこんなところだろうか。また、「かかげ」「わすれたつ」の主語は、阿修羅像か(・・・もしかすると、そこに感情移入した作者のことでもある?)。2首目によれば、むかしは「アジュラ」と呼んだか。■国宝 阿修羅展オフィシャルウェブサイト■東京国立博物館オフィシャルウェブサイト阿修羅のジュエリー
2009年06月02日
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土屋文明(つちや・ぶんめい)この三朝みあさあさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず歌集「ふゆくさ」(大正14年・1925)この三日間、朝ごとに装った睡蓮の花がけさは開かない。註一見淡々とした客観写生の中に、深い余情を滲ませた名歌。「三朝みあさあさなあさな」をはじめとする言葉の響き・調べも美しい。なお、初出は明治42年の歌誌「アララギ」。
2009年06月01日
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