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西行(さいぎょう)冬枯れのすさまじげなる山里に 月のすむこそあはれなりけれ玉葉和歌集寒々と冬枯れの見るからに荒涼とした山里に月だけがくっきりと澄みわたっているのがかなしいくらいに胸に沁みるなあ。
2013年02月27日
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坂本野原 除夜老木の欅けやきに棲める雉鳩きじばとのおだやかに鳴くはつふゆの朝太陽と小麦畑を約つづめたるパンをちぎりてスープにひたすかくれんぼ今や死語らしこの国はもう一度だけ貧しくなれよ失敗を重ねてはつか会得せり君と仲よくできる要諦「そんなもんうまいか」と問う孫に言う「酔う、ただ酔う」と大滝秀治 *1こんなもの短歌じゃないときっぱりと言いし歌人を心配しおりかなづかい今月どっち 海野雪を自分の歌の次に探しぬオリオンとシリウスすばる教えつつ除夜の鐘撞く順番を待つ満ち潮のうねるがごとく梵鐘の声は宇内を覆いてゆけり仏教はそれも煩悩なりといういたく寂しき教えならずやいま中田ヤスタカがこの国の王 Perfume そしてきゃりーぱみゅぱみゅファッションと短歌の無縁なるまじくファッションモンスターの塚本風なんか吹いてないので美しき嘘だと「風が吹いている」聴く「天皇を中心とした神の国」テーゼが息を吹き返す明日 *2*1 映画「瀬戸内少年野球団」(篠田正浩監督、昭和59年・1984)。終戦直後の淡路島で、主人公の少年(原作者・阿久悠の分身)とその祖父の駐在巡査が会話を交わすしみじみとした場面。祖父はエチルアルコールをお湯割りで飲んでいる。*2 森喜朗首相(当時)の「神の国発言」(平成12年・2000年5月)。当時、一部のマス・メディアから、鬼の首を取ったように激しく批判され、直後の衆院選での自民党の惨敗と森氏の失脚に至ったことは記憶に新しい。当時、産経新聞が明確に擁護し、NHK政治部も善後策などで密かに政権に水面下の助け舟を出したとされ、読売新聞も好意的・容認の論調であったことなどは、銘記するに価する事実である。筆者自身も、この発言に対して好意的である。というより、そもそも何が悪かったのか、今なお十分に腑に落ちないでいるのが正直な気持ちである。この程度のナショナリスティックな言説は、特に保守に限らずどの国の政治家も国民もするのであって、言論・表現の自由の想定する範囲内である。批判者は言論の自由を不当に圧殺している疑いがある。内心そのように思っている国民は少なくないと思う。言論パンドラのインターネットが普及した現在では、メディアに対して「返り討ち」「つるし上げ」的な全く異なる状況となることも想像される。2013年1月上旬作。新仮名遣い。著作権を有します。(c) 2013 Nohara Sakamoto Daddy Bear All rights reserved.
2013年02月27日
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坂本野原 「短歌人」3月号掲載作品老木の欅に棲める雉鳩のおだやかに鳴くはつふゆの朝太陽と小麦畑を約めたるパンをちぎりてスープにひたすかくれんぼ今や死語らしこの国はもう一度だけ貧しくなれよ *「そんなもんうまいか」と問う孫に言う「酔う、ただ酔う」と大滝秀治オリオンとシリウスすばる教えつつ除夜の鐘撞く順番を待つ仏教はそれも煩悩なりといういたく寂しき教えならずや風なんか吹いてないので美しき嘘だと「風が吹いている」聴く* 「短歌人」誌上で「死後」とあるのは、誤植です。2013年1月上旬作。新仮名遣い。著作権を有します。(c) 2013 Nohara Sakamoto Daddy Bear All rights reserved.
2013年02月27日
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小倉百人一首 五十九赤染衛門(あかぞめえもん)やすらはで寝なましものを 小夜さよ更けてかたぶくまでの月を見しかな後拾遺ごしゅうい和歌集 680 (あなたがお見えにならないと分かっていれば)ためらわずに寝てしまえばよかったものを(来ないあなたを待ちわびながら とうとう)夜が更けて西に傾くまでの月を見てしまったのよ。註やすらふ:躊躇する。ぐずぐずする。で:打消しの接続助詞。~しないで。寝なまし:寝てしまえばよかった。動詞「寝(ぬ)」の連用形「寝(ね)」+完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+仮想・適当(~すればよかった)の助動詞「まし」の連体形。ものを:形式名詞「もの」に、接続助詞とも終助詞とも解し得る「を」がついた連語で、活用語の連体形に接続し、上の句を体言化して悔恨、愛惜、不満などの気持ちを表わす。このまま現代語でも用いる。
2013年02月26日
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○ 映画(活動写真)「伊豆の踊子」(昭和8年・1933、初映画化) 全篇五所平之助監督 田中絹代主演 川端康成原作インターネットで、初めて見た。この動画、著作権は大丈夫なのだろうか?・・・いや、厳密にいえばやっぱり著作権法第51条(著作権者の死後50年間の無断引用の禁止)に触れている疑いがあると思うが、戦前の作品でもあり、まあ事実上大丈夫だろうと思う。「伊豆の踊子」の映画化は、リアルタイムには山口百恵ヴァージョンで初めて見た世代だが、「歴代踊子」の伝説は十分に耳にしてきた。とりわけ、この第一作は、日本映画史(日本近代文化史)に燦然と輝く傑作であると、信頼しうる年輩者・物故者の誰もがそういっている(いた)。いま全篇を見てみて、感涙に咽(むせ)びつつ、その通り、間違いないと確認した。吉永小百合版や内藤洋子版も見たが、やはりこの第一作は味わい一入(ひとしお)である。引き立て役の芸者の飯田蝶子も、若くて達者だなあ。伊豆・下田港のラストシーンなど、もうほとんど神々しい。ここには巷間いわれる「淡い純愛物語」ではすまされない、人生の機微が表現されている。これが本物の「伊豆の踊子」だ。ラストで、田中絹代が全力疾走して転ぶのは、演出ではなくリアルNGショットをそのまま生かしたもので、あざだらけの熱演だったと伝えられている。当時、田中絹代はすでに人気絶頂の「スタア」、五所監督も巨匠だったが、のちに近代日本文学の最高傑作「雪国」をものするノーベル文学賞作家の原作者・川端康成は、この時は無名の新人で、この映画化で初めて名前を知られたといわれる。・・・いい女の第一人称代名詞は「あたし」に限る。
2013年02月26日
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事実上の小沢グループ機関紙「日刊ゲンダイ」が、「古巣」の民主党について、もともと左傾的な同じ根っ子ならではの鋭い現状分析と近親憎悪的な批判をしている。なかなか興味深いので、リンクしておきたい。■ 民主党3分裂 消滅のカウントダウン【日刊ゲンダイ 23日付夕刊】 解体まっしぐらだ。22日、民主党の植松恵美子参院議員と川崎稔参院議員が離党届を提出。2人とも今夏の改選だから、選挙を意識しての離党なのは間違いない。民主党から出馬しても勝てないことが確実だからだ。 「2人の離党は、参院の勢力図に大きな影響を与えます。これまで、補正予算案などの重要法案が、参院では1~2票差で否決される可能性があった。ところが、この2人が与党案に賛成するとなると、状況は一転する。日銀総裁の人事案も、民主党とみんなの党が反対しても通ってしまいます。これ以上、参院から離党者が出れば、第1党の座も危うくなってくる」(民主党関係者) 参院でも存在感を示せないとなると、民主党にとどまるメリットは何もない。衆院の代議士も生き残りを図って動き始める。民主党の大臣経験者の秘書が「わが党はもうオシマイ」と、嘆息まじりにこう言った。 「おそらく民主党は労組系、松下政経塾系、それ以外に3分裂します。労組系は、存続の危機同士で社民党と一緒になるかもしれない。政経塾系の前原・野田グループは、右寄りの政策を前面に出して自民や維新と連携しようと考えている。その他の議員は維新やみんなの党に移ろうと画策したり、市長選や知事選などへの転身を考えるんじゃないですか」 崩壊へのカウントダウンが始まったのだ。政治評論家の有馬晴海氏もこう言う。「民主党は、もはや政党の体をなしていません。離党を食い止める求心力になるのは、党本部のカネだけ。今も衆院落選組に月50万円を支給していますが、これだって、どこまで歯止めになるか。もらえるものはもらっておくけど、さて、次の選挙はどの党から出るべきかと考えている人は少なくないと思います。現職議員にしても、党にとどまるメリットがなければ、離党者が今後も出てくるでしょうね」 それもこれも、「政権交代」に託した国民の期待を裏切った自業自得。24日の党大会も、お寒いものになりそうだ。
2013年02月26日
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小倉百人一首 五十八藤原賢子(ふじわらのかたいこ・けんし、第弐三位・だいにのさんみ)有馬山ありまやま猪名ゐなの篠原ささはら風吹けば いでそよ人を忘れやはする後拾遺ごしゅうい和歌集 709有馬山のふもとの猪名のように私が「否いな」(だめ)と言っているとでもおっしゃるのですか。その猪名の笹原に春風が吹くようにあなたから暖かいそよ風が吹きさえすればほら そうなのですよどうして私があなたを忘れることなどあるでしょうか。註藤原賢子:紫式部と藤原宣孝の一人娘。推定される訓読は「かたいこ」(「賢かたき(かしこい)子」の音便)。有職(ゆうそく)読み(尊敬を込めた音読み)で「けんし」とも読む。母子揃って第一級の文人だった。後拾遺集の詞書きに「かれがれなるをとこの、おぼつかなくなどいひたりけるによめる」・・・「疎遠になっている男が『(私は無骨者なので)あなたのお気持ちがどうもよく理解できなくて』などと(言いわけがましく)言ってきたので、詠んで返した歌」とある。「かれがれなり」は、古語動詞「離(か)る」(離れる)を形容動詞の形にした語。難解さで悪名高い(?)51番と並んで、きわめて技巧的な作品だが、こちらは爽やかでややユーモラスな雰囲気すら醸し出している一首。ウィキペディアに載っている訳文「もう俺たちって終わったのかなあ」「あなたに来る気があるなら私は今でも」には笑える。これはこれでニュアンスを伝えており、意訳としては悪くない。上三句「有馬山猪名ゐなの篠原ささはら風吹けば」までが「そよ」を導く序詞(じょことば)ともいえるが、上記訳文のごとく実質的な隠喩のニュアンスもある。小倉百人一首は、撰者・藤原定家がどこまで意識していたかはさておき、調べ(言葉の響き・音楽性、韻律の調子)が美しい歌が多いが、この歌はその点が特に見事であると古来いわれている。明るいア段で畳み掛ける上の句から、イ段を交えつつ、沈着重厚なウ段に着地させている。有馬山ありまやま:摂津国有馬郡(現・神戸市北区)有馬町にある山。猪名ゐなの篠原ささはら:摂津国川辺郡(現・兵庫県尼崎市、伊丹市、川西市付近)の神崎川上流・猪名川両岸に広がっていた笹原。「有馬山(から吹きおろすそよ風)」を男に、「猪名野(の風に揺れる笹原)」を女(作者)に見立てた隠喩という解釈もある。ややうがちすぎかなとも思うが、なかなか捨てがたい説である。いで:ふと思い立った時や、人を誘い促す時などに言う感動詞。さあ。いざ。いやもう。実に。・・・私見では、現代口語の「ほら」や、英語の「well」「look」などに相当か。そよ:そうよ。それですよ。そうなのだなあ。「そ」は「それ、そう」の意味の代名詞。「よ」は感動・詠嘆を表わす助詞。詞書きの「おぼつかなくなどいひたりける」(「君の気持ちがあやふやで煮え切らないように思えて」などと言った)を受けていると解される。擬音語「そよそよ」「風がそよ吹く、そよ風」などの「そよ」と掛けている。なお、「そよそよ」は「さやさや」と母音交替の語で、同じニュアンス。当時「サ行」は「ツァ、チ、ツ、ツェ、ツォ」と発音した。「笹」の語源も類似の擬音語と見られている。やは:反語を表わす疑問形。反語(または疑問)の係助詞「や」に、強調の係助詞「は」が付いた形。その後に動詞を接続する。~だろうか(いや、そんなことはない)。* 宝塚歌劇団出身の大女優・有馬稲子さんの芸名は、この歌から取ったという。
2013年02月25日
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紀貫之(きのつらゆき)雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける古今和歌集 323雪が降ると冬籠りしている草にも木にも春には見たこともない真っ白の花が咲くのだなあ。
2013年02月23日
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事実上の小沢一郎グループ機関紙で、反日・反自民・反米左翼の「日刊ゲンダイ」が、案の定、子供だましのアベノミクス誹謗中傷キャンペーンを始めた。■ アベノミクス 値上げ地獄が始まった来月上旬ガソリンはリッター160円になる【日刊ゲンダイ 20日付夕刊】中学生並みのくだらない作文でゴチャゴチャ書いているが、要するにアベノミクスが想定通り順調に作動している証拠ばかりだ。インフレーション・ターゲット(平たくいえば「値上げ目標」)を掲げているのだから、当面、物価が一定程度上がるのは当たり前だ。その先にある、安倍政権の大いなる成長戦略、産業構造改革・国際競争力の強化策などに全く触れず、あえて目を閉じたふりをしている、典型的な扇動・情報操作の論法である。やや冷酷な言い方になるが、アベノミクスの成否は、極言すれば、いわゆる「100円ショップ」などが何軒つぶれるかで測られ、それがメルクマールとなる。彼らこそデフレーション経済の象徴であり、円高差益に巣食った徒花であり、癌細胞である。僕たちが若い頃体験した、あのバブル時代の再来はあり得ないし、あるべきでもないとしても、子供たちには、少しはウキウキした時代の空気を味わわせてやりたい。もちろん、100円の買い物を楽しむこと自体が悪いなどとは言わないが、みんながみんなそうなってしまっては、デフレーション・スパイラル(経済収縮の螺旋状降下)まっしぐら、ひいては国の滅びへ一途の道にほかならないと、改めて言うまでもないだろう。「日刊ゲンダイ」なんて三流タブロイド夕刊紙を誰が読んでいるのか知らないが、こんなのに引っかかるとしたら、よっぽどおめでたい読者だろう。こんな記事に浮かれて、小沢グループ「生活の党」を支持しようものなら、バカを見る。
2013年02月23日
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たらの芽価格:556円(税込、送料別)春を告げる人気の山菜です。私は数日前に(促成栽培物と思いますが)天ぷらでいただきました。独特の爽やかな香りとほのかな甘み・苦みが絶妙で、大変おいしかったです。漢方薬で知られるオタネニンジン(朝鮮人参、高麗人参)、ウコギ(五加皮)やウドなどと同じセリ目ウコギ科に属する落葉低木タラノキの春の新芽で、サポニンの一種エレウテロシドなどの成分を含み、滋養強壮・免疫力強化・抗ストレスなどの薬効があるといわれています。天然 たらの芽価格:890円(税込、送料別)
2013年02月22日
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SEKAI NO OWARI 眠り姫【送料無料選択可】価格:1,260円(税込、送料別)ユニークな世界観を追及している異能のユニット「SEKAI NO OWARI(せかいのおわり)」のメジャー・サードシングル。繊細なセンシティヴさと壮大さを兼ね合わせたファンタスティックなラブソング。音楽を聴く愉悦とワクワク感をもたらしてくれる。発想や歌詞の語彙にはアニメ世代特有のものも感じさせつつ、志こころざしはかなり高いと見て間違いないだろう。尖鋭な現代詩的表現と、ポップなエンタテインメント性の融合に成功している。[収録曲目]1) 眠り姫2) 生物学的幻想曲3) インスタントラジオ 2011.11.22 at 日本武道館ライヴ
2013年02月22日
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小倉百人一首 五十七紫式部(むらさきしきぶ)めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半よはの月かな新古今和歌集 1499めぐり逢って見たのかどうかも分からない間に叢雲むらぐもに隠れてしまった夜更けの月だなあ。(久しぶりに邂逅してお逢いしたのかどうかも分からないうちに消えてしまったあなた。)註新古今集の結句は「夜半の月かげ」(月光)。
2013年02月21日
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小倉百人一首 五十六和泉式部(いずみしきぶ)あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびのあふこともがな後拾遺ごしゅうい和歌集 763もういられないであろうこの世の外の思い出(のよすが)にもう一度だけあなたとお逢いすることがあればなあ。註後拾遺集に「心地(ここち)例ならず侍りけるころ人のもとにつかはしける」(具合が悪い時に、人のもとに遣わしたという歌)の詞書(ことばがき)がある。重病の床に臥した作者が、長年の恋仲であった敦道(あつみち)親王に宛てた情感溢れる玉梓(たまずさ)。なお、この時の病はのちに治癒した。あらざらむ:「(もうこれ以上この世に)いないだろう」。文法的には、動詞「あり」の未然形「あら」に、打消しの助動詞「ず」の未然形の一つ「ざら」と推量の助動詞「む」が付いたもの。と同時に、語源論的には「あらずあらむ」が約まったものといえる。普通、この「む」を終止形と見て初句切れとする解釈が多いが、連体形と見て、「この世」にかかっていると見ることも可能と思う。前者は、「あらざらむ」だけで「生きていないだろう」の意味に解するが、やや無理があるように思う。この世のほか:現世の外。あの世。もがな:詠嘆を込めた切望を表わす終助詞。「~だったらなあ」。万葉集など上古の形は「もがも」。
2013年02月19日
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いわゆる「体内時計」として知られる、細胞核内の特定の遺伝子が作り出す「BMAL1(ビーマルワン)」という蛋白質の一種が、(ヒト成長ホルモンHGHや酵素などの分泌を介して)消化吸収、ひいては皮下脂肪の合成(肥満)に深く関与していることが明らかになった。この物質の生成には日周変化(サーカディアン・リズム)があり、1日の中で(サインカーブ状の)増減を繰り返すという。日大薬学部の榛葉繁紀(しんば・しげき)教授(衛生化学)の研究によって明らかになった。先ほど榛葉教授が「ミヤネ屋」(読売テレビ系全国ネット)に出演して、「BMAL1」とダイエットの関係について詳しく語ったので、関連ウェブサイトの情報も参考にしながら、要点を簡単にメモしておきたい。・体内の「BMAL1」の量は、時間によって大きく増減する。・昼間、「BMAL1」は、ほとんど生成されない。・特に、午後3時頃(「ミヤネ屋」では「午後2時頃」)、「BMAL1」は最も少なくなる。・深夜になると、「BMAL1」は増加する。・特に、午後10時から午前2時ごろが一番多く、昼の約20倍もの量になる(「ミヤネ屋」では「午前2時がピーク」)。したがって、減量・ダイエットの観点で言えば、〔1〕美味しい物をガッツリ食べたい時は、午後2~3時頃がベスト(正午もまずまず)である。おやつ・スイーツもこの時間帯ならOKである。〔2〕深夜の脂肪・炭水化物(糖質)の多い食事(例えば、飲んだ後のいわゆる「シメのラーメン」とか)はもってのほかである。午後8時以降は危険域に入る。という結論になる。・・・特に〔2〕については、これまでも経験的・常識的に言われてきたことだが、改めて科学(生理学)的にも実証された形だ。榛葉教授自身が、この「食べる時間に注意するだけ」のダイエットで、食事の総量は減らさず、運動もせず、酒もやめずに15kgの減量に成功したという。先ほどの「ミヤネ屋」では、まるで別人のような証拠写真もオンエアされ、耳目を惹いた。○ 参考「ふくろう医者の診察室 夜ごとに脂肪はため込まれる」
2013年02月19日
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小倉百人一首 五十五藤原公任(ふじわらのきんとう)滝の音おとは絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ拾遺しゅうい和歌集 449 / 千載和歌集滝の流れる音は絶えて久しくなってしまったがその名声は流れて今も聞こえているのだなあ。註『和漢朗詠集』や『拾遺和歌集』の元となった『拾遺抄』などの撰者・編者。『和漢朗詠集』において、「君が代」の歌(初句)を『古今和歌集』の「わが君は」から現在の文言「君が代は」に確定した人物でもある。ちなみに、「公任(きんとう←きんたふ)」という名は、「公(きみ)」の音便と「任(た)ふ=堪ふ」の組み合わせである。現在でも「任に堪える」という。また、「松任谷(まつとうや)」という苗字は、「松林の堪える谷」というような意味か。初句「滝の音おと」は「滝の糸」とする異伝もある。この異伝の存在が、「ね」ではなく「おと」と読むことを補強しているともいえる。学者らしく、きわめて主知的・技巧的な作品で、「滝、音、絶え、流れ、聞え」という縁語を用いている。「成(な)りぬれど」も、「鳴り・濡れ」を掛けているとも見られる。五句の句頭に「た、た、な、な、な」の頭韻を踏んでいる。特に三句目からの「なりぬれど名こそながれてなほ」という「な」のオンパレードを面白いと見るか、くどいと見るかは、古来評価が分かれているところである。「絶えて久しい」という、現代語にも残る言い回しの元となった一首。この「滝」は、京・大覚寺境内にあったという。拾遺集の詞書きに「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに古き滝を詠みはべりける」(大覚寺にたくさんの人々がお参りする中に、半ば忘れ去られた古い滝を詠んでみた)とある。
2013年02月18日
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□ インフレ期待をめぐってリフレ派と批判派が真っ向対立【産経Biz コラム(板谷敏彦氏) 15日配信】
2013年02月17日
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○ 安倍首相「死んでも死にきれない」 【読売新聞 17日付朝刊】 安倍首相「この夏の参院選に勝利を収めなければ、私どもが目指すべき日本を構築していくための基本的な政策に進んでいくことはできない。(私は)参院選で6年前に大敗した時の責任者だ。何としても勝利を収めなければ、死んでも死にきれない」(東京都内での自民党会合で)
2013年02月17日
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式子内親王(しきしないしんのう)ひかずふる雪げにまさる炭竈すみがまの 煙けぶりもさむし大原の里新古今和歌集 690やまず降る雪の勢いにまさる炭焼き窯の煙も(しかしながら)寒々しい大原の里。註雪げ:雪の様子、降る勢い。炭竈すみがま:木材を蒸し焼きにして炭を作るかまど。○ 京都・大原観光保勝会ウェブサイト
2013年02月17日
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寒椿(かんつばき) 栃木・宇都宮市内で写す。 (下3枚は、画像をクリックすると拡大ポップアップします)
2013年02月17日
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小倉百人一首 五十四儀同三司母(ぎどうさんしのはは、高階貴子・たかしなのきし)わすれじの行末ゆくすゑまではかたければ けふをかぎりの命ともがな新古今和歌集 1149 「(あなたの事は決して)忘れはしないよ」(というあなたのうれしいお約束)の行く末までは頼み難がたいので(いっそ幸せな)今日を限りの命であってほしいのです。註貴子:高貴な平安女性の名は、慣例として有職(ゆうそく)読み(敬意を込めた音読み)にすることが多いが、当時は訓読みだったといわれる。「貴子」の場合も通例「きし」と読むが、実際には「たかこ」または「たかいこ」(「たかきこ」の音便)などであったと思われる。同様に、例えば式子内親王を「しきし、しょくし」と読むが、当時は「のりこ」と読んだと推測されている。新古今集の詞書ことばがきに「中関白なかのかんぱくかよひそめ侍るころ」(中関白が通いはじめられた頃)とある。中関白とは藤原道隆のこと。わすれじ:決して忘れずに気にかける。「じ」は打消しの意思の助動詞。ここでは、道隆が言った言葉の引用(現代文なら「 」の中に入るようなもの)。かたければ:形容詞「難(かた)し」の已然形に接続助詞「ば」が付いたもの。直訳すれば「(あなたの約束が末永く守られることは)ほとんどありえないので」という意味だろうが、やや情緒的に「~頼みがたいので、~信じがたいので」などと意訳することが多い。「難し」は「めったにない、ほとんど(ありえ)ない」「難しい」などの意味。英語の副詞「hard」(めったに~ない)に相当する。「Die hard(なかなか死なない奴)」。現代語でもこの意味で使われる。なお、「ありがたし」も元は同様の意味で、「めったにないほど尊い、優れている、立派だ」といったニュアンスから現在の意味になった。「ありがたきしあわせ」。(と)もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「と」は現代語と同じ格助詞。~と願っているのですよ。
2013年02月16日
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川崎八重(かわさき・やえ、のちの新島にいじま八重) *あすの夜は何国いづこの誰たれかながむらむ なれし御城に残す月かげ明治元年(1868)旧暦九月二十二日(新暦11月6日)夜明日の夜はどのお国のどなたが眺めるのだろうか。慣れ親しんだお城に(われらの思いを)残す月光。註川崎八重:作者がこの歌を詠んだ(会津藩降伏の)時点で、苗字は川崎姓だったとする説(NHK大河ドラマ『八重の桜』はこれを採用)と、夫・川崎尚之助との婚姻関係は(ドラマの潤色と異なり)動乱の中ですでに解消していたとする説があり、後者の場合旧姓の「山本」となるが、厳密にはいずれとも定めがたい。ここではひとまず通説に従っておく。作者は、戊辰の役の重大局面であった会津戦争で、男たちに交じってただひとり敢然と、最新式の七連発スペンサー銃を携えて戦い、新政府軍の現場指揮官の一人だった薩摩藩砲兵隊長・大山弥助(のちの陸軍元帥・大山巖公爵)の右太ももに貫通銃創を負わせたと伝えられる女傑で、のちに人呼んで「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」と称えられた。勇戦奮闘空しく会津藩が降伏した夜、下弦の月を眺めながら作者が若松城内の雑物蔵の外壁に簪かんざしで刻書したと伝えられる悲痛な一首で、一箇の和歌としても万感の思いの籠った絶唱といえる。作者は新島襄夫人となった明治時代には教育者・赤十字などの社会事業家として名士となり、多数の肖像写真が残されているが、この優しそうな女性のどこにこれほどの闘志が秘められていたのか、不可思議なほどである。御城:「みしろ」と読むか。会津藩・若松城(鶴ヶ城、現・福島県会津若松市)。「みそら(御空)」とする異伝もある。おそらく、口伝くでんのため異同が生じたものと思われる。→ ■ 会津戦争
2013年02月15日
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小倉百人一首 五十三右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)なげきつつひとり寝ぬる夜の明くる間まは いかに久しきものとかは知る拾遺しゅうい和歌集 912(ひたすらあなたを待って)嘆きながらひとり寝る夜の明けるまでの間がどれほど長いものかをあなたはご存じなのでしょうか(いいえ、ご存じではないのでしょうね)。註歌自体は分かりやすいし、わびさび(侘寂)の情感溢れるいい歌だとも思うが、背景の事情がなんとも重たくて、説明するのもやや気が重い寝ぬる:動詞「寝ぬ」の連体形。「寝ぬ」は、上古語「寝いぬ」が変化したもの。かは(知る):「かは」は反語の係助詞。動詞の連体形と係り結びで、「~だろうか(いや~ではない)」の意味を表わす。藤原道綱の母。本名不詳。「蜉蝣日記」の作者。本朝三美人の一人とされるほどの美貌の才女であったが、貴族社会では一夫多妻が普通だった当時としては珍しいほど悋気・嫉妬(ジェラシー)、独占欲が強い性格だったといわれる。今でいう、プライドが高くてヒステリックな「重い」女性だったのだろう・・・と言ってしまうと身も蓋もないけれども。その一方で、作用と反作用か、割れ鍋に綴じ蓋なのか(?)、夫・藤原兼家も、貴顕の身分でありながら、内親王(皇女)から京の「町の小路の女」まで手当たり次第に手をつける、現代の「二股男」なんぞは裸足で逃げ出す艶福家というか浮気者であり、どっちもどっちとしか言いようがないか。私には無縁の御仁である拾遺集の詞書(ことばがき)に「入道摂政まかりたるけるに門かどを遅くあけければ立ちわずらひぬといひ入れて侍りければ」すなわち、「(多くの愛人をはべらせている)夫・兼家が朝帰りでやっとご帰還したのだが、作者が門をなかなか開けなかったので『立ち疲れて病気になってしまったよ』と(冗談を)言いながら入ってきたので」(真顔で返した)とあり、これはかなりドロドロである。午後1時台の民放メロドラマの世界であろうか。作者の作品「蜉蝣日記」にもこの歌は登場し、それによるとこの歌を詠んだ顛末は、作者が道綱を生んで間もない20歳頃、夫・兼家が27歳の頃、「小路の女」(町娘?遊女?)という愛人を作り、その女の元から明け方に帰って門を叩いた兼家を、作者は頑なに拒んで家に入れず、「うつろひたる菊」(しぼんだ菊の花)を添えてこの歌を贈ったのだという。なかなか凄まじい話であるが、おそらくこちらが事実であり、拾遺集の詞書はやや小ぎれいに脚色してあると見るのが、ほぼ定説。上代の万葉集にはまずない、爛熟と頽廃の気配が垣間見える。
2013年02月14日
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○ ネット選挙幕開けへ 有権者SNSも解禁でどうなる?今年の夏から選挙が変わる【東洋経済オンライン 1月21日付 島大輔記者】
2013年02月13日
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「朝鮮」という国号は、「朝の(光の)鮮やかな国」という意味だと聞くが、それにしては、お天道さまに顔向けが出来ない愚行を飽きもせず続けており、まことに許しがたいと言わざるを得ない。・・・とはいうものの、わが国はもちろん、米・中・韓・露なども当面は有効な打つ手がほとんどないというのが正直な手の内だといわれる。情けないことではある。とりわけカギを握る米国オバマ政権は、緊迫する中東をはじめ南アジア、北アフリカ情勢などに忙殺され、こちら東アジアでは、国民を飢えさせつつ原水爆とミサイルを弄ぶ暴走国家・独裁政権に対して、すでに平和的な外交・対話による解決を半ば断念したという観測もあるようだ。ならず者の兄貴分の中国も、「仏(?)の顔も三度まで」ではないが、さすがに堪忍袋の緒が切れかかっているという見方もあるが、真意は不明である。われわれ国民としては、当分黙って成り行きを見守るほかに方法はないようである。■ 北朝鮮“地下核実験成功”と発表 【NHK 12日 15:32】北朝鮮は、先ほど国営の朝鮮中央通信を通じて「3回目の地下核実験が成功した。以前の実験よりも爆発力が大きいうえに小型化した核弾頭を使い、高い水準で安全に行われた」として、12日、核実験を行ったことを発表しました。北朝鮮国営の朝鮮中央テレビも、先ほど特別ニュースで「3回目の地下核実験が成功した」と伝えました。朝鮮中央テレビは「3回目の地下核実験が成功した。以前の実験よりも爆発力が大きいうえに小型化した核弾頭を使い、高い水準で安全に行われた」としています。■ 安倍首相 北朝鮮核実験に強く抗議 【NHK 12日 15:32】安倍首相は衆議院予算委員会で、北朝鮮が国営の朝鮮中央通信を通じて、12日に核実験を行ったと発表したことについて、「北朝鮮の朝鮮中央通信が、北部の地下核実験場で、3回目の核実験を成功裏に行ったと、14時39分に発表した。度重なる国連の安保理決議に反することで、誠に遺憾で強く抗議する」と述べました。
2013年02月12日
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小倉百人一首 五十二藤原道信(ふじわらのみちのぶ)明けぬれば暮るるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな後拾遺ごしゅうい和歌集 672夜が明けてしまえばまた日が暮れ(てあなたに逢え)るとは分かっているがそれでもやはり恨めしい早朝のほのめきだなあ。註後拾遺集の詞書(ことばが)きに、「女のもとより、雪降りはべる日、帰りてつかはしける」(女の許から、雪の降る朝に帰って遣わした)とあり、内容も合わせ考えると、ある程度親しくなった女性との逢瀬の後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。51番の難解な歌から一転して、きわめて平明で分かりやすい一首で、当時流行歌のように広く愛誦されたといわれる。(明け)ぬれば:完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」に接続助詞「ば」がついたもの。(明け)てしまうと。ながら:逆接の接続助詞。~であるが。現代語でも「しかしながら」などと使う。なほ:「それでもやはり」の意味の副詞。現代語でもこの意味で用いる。cf.)石川啄木「はたらけど/はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり/ぢつと手を見る」(歌集『一握の砂』明治43年・1910)
2013年02月11日
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小倉百人一首 五十一藤原実方(ふじわらのさねかた)かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを後拾遺ごしゅうい和歌集 612 せめて こんな有様なのだとだけでも私はあなたに言えるだろうか(いや、言えない)。伊吹山に生える指し艾草もぐさ(が表面に表わさずに燻くすぶりつづけるようにこの胸の奥に)燃え盛る情火をあなたはさほどのものとは知らないのだろうなあ。註後拾遺集の詞書(ことばがき)に「女にはじめてつかはしける」とあり、典型的な玉梓(たまずさ)の相聞歌(そうもんか、恋歌)である。まさに、好きな人に初めて出したラブレターである。百人一首の中でも指折りの技巧的な作品として知られる。凝縮され凝りに凝った表現は、解説がなければほとんど意味が分からないレベルと思うこれを受け取った女性も、何の註釈もなく意味が分かったのだとすれば、相当な教養の持ち主といえるだろう。同時代に生きた清少納言という説もあるが、根拠は薄弱・未詳ながら、なるほどそうかも知れないという気もする。かくとだに:直訳すれば「(せめて)こう(だ)とさえ」。こんなにも思いを募らせていることだけでも。だに:「せめて~とだけでも、~なりとも」の意味の副助詞。えやは:「~ことはできるか(いや、できない)」の意味の反語的疑問形。可能を表わす副詞「え」に、反語(または疑問)の係助詞「や」が付いた「えや」に、さらに強調の係助詞「は」が付いた形。その後に動詞を接続する。ちなみに、この「え」の用法と意味は、現在の関西弁の「(そんなこと)よう言うわ」(よく言えるなあ)、「よう言わんわ」(言えないよ)などの言い回しに継承されているように思う。いぶき:「言ふ」と「伊吹」を掛けている(当時、濁点表記はなく「いふき」と書いた)。伊吹山は、一般的には美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の国境(県境)の山をいうが、古来、この歌に限っては下野国(栃木県)の城山(じょうやま、栃木市吹上町)の別称とする伝承がある。作者がのちに陸奥守として奥州(東北地方)に下向し、そこで客死した(左遷説、およびその否定説がある)ことに絡んで生まれた伝説と思われる。いずれの伊吹山も、薬草や艾(もぐさ)の産地。さしも草:「指し艾(もぐさ)」の意。単に「艾」というに同じ。蓬(よもぎ)。当時、灸を据えることを「艾を指す」といったらしいことからいう。灸術や草餅に用いる。「さしも」(それほどとも、下記参照)に掛けている。灸をする際に、もぐさの表面には火が見えないが、内部で燃えているイメージを、恋い焦がれていることの比喩に用いている。さしも:(打消しの語や反語表現を伴って)「それほど、大して、さしたることとも」などの意味を表わす副詞。(知ら)じ:打消しの推量を表わす助動詞。~ないだろう。~(である)まい。ちなみに、意味的に「じ」は「む」(だろう)の打消し、「まじ」(打消しの当然)は「べし」(当然そうだろう)の打消しにそれぞれ相当するとされる。な:詠嘆の終助詞。・・・(だ)なあ。ねえ。
2013年02月08日
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■「おひとりさま」は最期まで幸せといえるか【プレジデント・オンライン 7日付配信】思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏が一昨年に「プレジデント」誌に掲載した論文が、「プレジデント・オンライン」にきょう7日付で転載・アップロードされており、すこぶる興味深い内容なので、リンクしてご紹介したい。タイトルからして、わが国フェミニズムと諸制度解体論の「教祖」である上野千鶴子・東大名誉教授のベストセラー『おひとりさまの老後』をもじった刺激的(挑発的)なもので、なかなか面白い。フェミニズムやジェンダー・フリーなどの「思想的破壊活動」は、すでに蹉跌し気息奄々といわれているが、それに最終的にとどめを刺すような内容である。健全な保守主義を基調とするわれわれ大多数の国民の意識を、力強く簡明に代弁してくれている好論文といえるだろう。
2013年02月07日
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○ 噫無情 佛國 ヰ゛クトル・ユーゴー先生 著日本 黒岩涙香 譯僕が世界で一番好きな小説は、19世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの傑作大河ロマン『レ・ミゼラブル』だと躊躇いなく言える。いろんな翻訳で何冊も持っている有様だが、元がいいのでどれもいい。みんなちがってみんないい。汲めども尽きぬ味わいだ。人間というものは、なかんずく男子と生まれた者ならば、多少なりともどこかにジャン・ヴァルジャンの魂を宿していなければならないのだと、かなり本気で信じている。その中でも、幻の翻訳(ほぼ本邦初訳の抄訳)だった大正時代の黒岩涙香(くろいわ・るいこう)版 『噫無情(あゝむじょう)』は垂涎の的で、ごく若い頃から夢にまで見ていたが、ほんの少し前には全く入手することが出来なかった。15年ぐらい前だったか、書店を経営する友人に相談してもダメだったのだから、そもそも市場に存在しなかったのだろう。・・・が、今ではかくのごとく、インターネット上で全文を無料で味読することができるようになったのである。ありがたや~。ネットの発明に感謝感激雨あられである。さて、肝心の本文。──『二十七歳から四十六まで、全く人間の盛りである、此の盛りを牢の中で過すとは、其れも大した罪の有る事か、麪(ぱん)一片(ひときれ)を盗み損じた罰だとは、眞に無慘の極である、爾して漸くに牢を出れば、家も無い、食も無い、 滿十九年の汗脂で稼ぎ溜た金が百法(ふらん)の餘は有ても、世間の人が相手にして呉れず犬猫よりも劣て居る。』・・・うう、美しすぎる。思わず知らず感涙した。この大時代なる文章に恍として見惚(みと)れた。眞に、日本語文語文の美しさの極(きわみ)である。皆さんにも、まずはご一読をお薦めしたい。
2013年02月06日
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大伴旅人(おおとものたびと)沫雪あはゆきのほどろほどろに降りしけば 平城ならの京みやこし思ほゆるかも万葉集 1639沫雪がところどころにうっすらと降り敷くと奈良の京が思い起こされるなあ。註大宰帥(だざいのそち・そつ、「太宰」とも表記)として筑紫の大宰府に赴任した作者が、温暖な九州では珍しい雪を見て、雪の多い故郷・奈良の平城京を思い出している。あっさりと単純(シンプル)で平明な内容ながら、深い余情を湛えた秀歌。なお、大宰帥は九州総督(行政長官)、西部方面総監などに相当。○ この歌の歌碑(奈良県奈良市、大和郡山市付近)〔けん家持さんのブログ「偐万葉田舎家持歌集」より〕ほどろほどろに:うっすらと、斑(まだら)に。はらはらと。「ほどろ」は古語形容動詞「はだら(斑)なり」の語幹や「はだれ」と同義語で、典型的な母音交替の例。「ほどろほどろに」と重ねたのは、作者の造語ともいわれる。降りしく(重く、敷く、頻く):降り続いて重なる。降り敷く。(京みやこ)し:強調・整調の助辞(副助詞)。特定の意味はない。思ほゆ:おのずと(自然に)思い出される。四段活用の動詞「思ふ」の未然形「思は」に自発の助動詞「ゆ」が付いた「思はゆ」が、上代に変化したもの。
2013年02月05日
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舎人娘子(とねりのおとめ)大口おほくちの真神まがみが原に降る雪は いたくな降りそ家もあらなくに万葉集 1636大口の真神が原に降る雪はひどく降らないでほしい。(宿りを乞う)家もないのだからなあ。註大口おほくちの:「真神まがみが原」に掛かる枕詞(まくらことば)。狼(ニホンオオカミ、明治時代に絶滅)を「大口おほくちの真神まがみ」と崇めたことからいう。真神まがみが原:大和国・飛鳥付近の別称。奈良盆地南部、飛鳥川の周辺。現・奈良県高市郡明日香村の飛鳥寺・法興寺跡一帯の地。安居院などがある。いたく:形容詞「甚(いた)し」(甚だしい、激しい、ひどい)の連用形。現代語でも用いられる。「いたく悲しむ」。な降りそ:降らないでくれ。降ってくれるな。副詞「な」+動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)+終助詞「そ」で、穏やかな制止・禁止(の懇願)を表わす。あらなくに:「あらぬに」を詠嘆のニュアンスにした言い回し。ただし、現代語「ないのに」という逆接の意味とは限らない。なくに:和歌に多く用いられ、否定の詠嘆を表わす。「~ないのだなあ」という詠嘆が基本だが、文脈によって「ないのになあ」(逆接)、「ないのだから」(順接)など種々のニュアンスを帯びる。活用語の未然形に接続する。「ず」の連体形「ぬ」に、上古に存在したと推定される形式名詞「あく」が付いて約(つづ)まったものとされる(「ク語法」の統一的説明)。「に」は格助詞。この説に従えば、この「く」は「いはく(曰く、言わく)」「のたまはく」や「思はく(「思惑」は当て字)」「老いらく(の恋)」などの造語成分と共通であると、統一的に説明できる。例えば「老いらく(老ゆらく)」は「老いる(老ゆる)+あく」である。なお、従来の文法的解釈では、打消しの助動詞「ず」の古い未然形「な」に、語を体言化する接尾語「く」と接続助詞「に」が付いたものとされていたが、現在では否定されている。→源融「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに」(百人一首 14番)→藤原興風「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(百人一首 34番)
2013年02月05日
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小倉百人一首 五十藤原義孝(ふじわらのよしたか)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな後拾遺ごしゅうい和歌集 669 あなたにお逢いするためなら捨てても惜しくないと思いつめたこの命でさえ(お逢いできた今では、少しでも)長くあってほしいなあと切に思っているのです。註後拾遺集の五句目は、完了または強調の助動詞「ぬ」を用いて「思ひぬるかな」(思ってしまったなあ)だった。百人一首撰者・藤原定家による改稿か。より客観的な掲出の形の方がいいかどうかは、微妙。後拾遺集の詞書ことばがきに、「女の許もとより帰りて遣つかはしける」とあり、思いを遂げたあとの、いわゆる後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。ロジック(論理、理屈)の歌だが、そのロジックが面白く、「言い草がいい」という感じだ。ある種のユーモアさえ感じとることもできるだろう。百人一首 43番の藤原敦忠の歌にモチーフがやや似ているが、こちらの方はよりストレートでおおらかな、青春の直情・真情を感じさせる。なお、作者は当時流行していた天然痘(疱瘡)に罹り、二十一歳の若さで夭折していることから、「命」に言及したこの歌をその事実と絡ませて(いわばチャイコフスキーの『悲愴』作曲の逸話のように)読まれがちだが、それとこれとに関係があるかどうかは未詳。どちらかといえば無関係(偶然)なのではないかと思う。君:現代語のニュアンスと異なり、相当な敬意を伴った第二人称代名詞。あなたさま。古代では女が男に用いることが多かったが、ここでは女性に用いている。(命さえ)長く:生き長らえて。少しでも(または、いつまでも)長く保って。もがな:詠嘆を込めた強い願望を表す終助詞。「~だったら(いいのに)なあ」「~であってほしいなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。
2013年02月04日
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「ラッキーパンチ」って言葉を、最近立て続けに目にし耳にした。なんとなくちょっとした流行語らしい。歌詠みなんてものは「言葉オタク」みたいなもんであるから、こういったことがおのずと気になってしまうのは習い性である。最初に目にしたのは、お堅い経済関係の論文で、「アベノミクスによる円安は、今のところラッキーパンチにすぎない」という文脈だった。まあ、言われてみれば確かに、安倍政権はまだほとんど何も政策を実行には移してないわけで、市場の期待が先行している面があり、そう言われても無理からぬところはあるかも知れない。勝負はこれからだ。語源はこれだろう。ラッキーパンチ 【lucky punch】 ボクシングで、偶然に命中した有効なパンチ。ある日の「ロンドンハーツ」で、カンニング竹山が言葉に詰まり、なにげに「ま~その~」と言ったのを、隣にいた有吉がすかさず「田中角栄っ!」と突っ込んでバカウケしたのだが、さらに畳みかけて有吉が「今のはラッキーパンチだろっ!」と揶揄した。さすが有吉、表現が的確であるそれに対して、竹山が即座に「ラッキーだろうが何だろうが、パンチが当たりゃ立派だっ!」と怒鳴り返したのも、なかなか見事なアドリブだった・・・そのほか、ラジオでも耳にしたが、晩酌で酔っていたので、内容はよく覚えていない
2013年02月04日
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小倉百人一首 四十九大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)御垣守みかきもり 衛士ゑじの焚たく火の夜は燃えて 昼は消えつつものをこそ思へ詞花集 225皇宮の門を守る兵士たちの焚く篝火かがりびのように(私の恋の情火は)夜は燃え盛り 昼は消え入るごとくに狂おしく思い悩んでいるばかりだ。註御垣守みかきもり:平安時代当時、皇居(現・京都御所)の門を守った警護の兵。「御垣」は、もと皇居の垣根の意味だったが、転じて御門の意味になった。枕詞(まくらことば)ではないが、ここでは「衛士ゑじ」に掛かる枕詞のように用いている。衛士ゑじ(えじ):御垣守みかきもりに同じ。衛視。夜は燃え昼は消えつつ:夜は恋の炎に身を焦がし、昼は沈淪して思い悩みつつ。
2013年02月03日
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けさ3日のNHK「日曜討論」に登場した高市早苗(たかいち・さなえ)自民党・政務調査会長(51、奈良選出衆院議員)は、群れなす野党の攻撃にも慌てず騒がず、柳に風といなして見せ、悠揚迫らぬ貫禄ある物腰と説得力ある発言で、保守政治家としての実力を見せつけた。今後の伸びしろも勘案すれば、日本で始めての女性総理大臣に一歩近づいたと、私は見ているもちろん、言うまでもなく、確かに、誰が見ても美人とはいえないが(・・・そんなに強調することはないか)、むしろそこがいいのである。微笑みを絶やさず愛嬌ある顔立ちは、万人に愛されるべき政治家として、完全にアドバンテージ(優位性)である。・・・安倍晋三首相が2~3期務めたあと、石破茂氏の次あたりの首相にどうだろうか。そしてそのあと、満を持して小泉進次郎首相という運びでお願いしま~す
2013年02月03日
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雪雪やこんこ 霰あられやこんこ 降っては降ってはずんずん積もる山も野原も綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ 霰やこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ犬は喜び庭駈かけまわり 猫は火燵で丸くなる文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」* 原文は旧かなづかい。
2013年02月02日
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きゃりーぱみゅぱみゅふりそでーしょんキミに100パーセント両A面シングルCD価格:1,200円(税込、送料別)前作「ファッションモンスター」に続く、きゃりーぱみゅぱみゅの両A面扱いのニューシングル。1月29日に二十歳の誕生日を迎えたばかりのきゃりーにふさわしい、弾むようなポップチューンになった。確かにいい。そこいらへんに転がっている「ひと山いくら」の凡百アイドルたち(・・・失礼)をひとりで向こうに回しているだけのことはある。ちょっとモノが違うかも。2曲とも、奇才・中田ヤスタカによって完全に咀嚼された本格的なテクノ・ポップ、例えば「電気グルーブ」などの系譜のサウンドで、僕ら中年世代にはある意味で懐かしさも感じさせてくれる。アップテンポでありながら緻密なサウンドが輝きを放ち、複雑に構成されたメロディラインをさりげなく完璧に唄いこなすきゃりーの歌唱力のスゴさは、「紅白」のステージでも証明された通りで、しびれる。彼女の声質は、コケティッシュな可愛らしさの中に、微かに大人のエロティシズムを秘めているようにも感じられるのが、意外に聴き逃せないポイントと思う。聴いていて、理屈ぬきにハイになる。「家族揃って楽しめる」という公式宣伝コピーはダテじゃないね。
2013年02月01日
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