助産婦メモルの日常~Happy Birthな毎日~

花火



花火

今年の夏もきっと思い出す。
全国の花火大会がニュースや雑誌に取り上げられるたびに。

メモルは看護学生だった。

6月、内科実習が始まった。
受け持った患者さん、Oさんは『胃ガン』で余命半年と言われていた。
転移が進んでいて、もう手術はできない状態。
本人には告知されていなかった。

Oさんは化学療法の副作用により、貧血症状が激しく、ベッドから起き上がることもできなかった。
それでも、毎朝メモルが実習に来るのを楽しみにしていた。
話をするのが、大好きな方だった。

Oさんには娘さんがいた。
その時、娘さんは妊娠8ヶ月、だいぶ大きくなったお腹で毎日面会に来られていた。

「孫の顔を見るまでは、がんばらななぁ。」
Oさんはいつも口ぐせのように言っていた。
告知こそされていなかったが、自分の命がそれほど長くないことは感じ取っていたに違いない。

「去年は、家内と娘とPLの花火を見たんや。あれはすごいで。絶対、見にいっておいでや。」
PLの花火大会、関西では一番打ち上げ数も多い。

「今年は行けへんかなぁ。」
少しさみしそうに言った。

2週間の実習期間を終え、最終日。

「車イスで散歩でも行こか。」
とOさんは、突然言い出した。

入院してから半年、化学療法が始まってから数カ月は、まったくベッドから起き上がっていない。
窓から外の景色を眺めるだけだった。

メモルは看護婦さんと相談し、車イスでの散歩を実行することにした。

数カ月、ベッドから起き上がっていない。足の筋力は低下し、ベッドから車イスに移動するだけに、3人の助けを要した。
貧血症状も強い。車イスに移動してからめまいが落ち着くのにまた時間を要した。

「おぉ、晴れとんなぁ。」
梅雨の中休みでその日は、快晴だった。
病院の中庭を車イスを押した。
あじさいが咲いていた。

駐車場を通りかかった時、Oさんは黙り込んだ。
Oさんの趣味は車だった。タクシーの運転手をしていたこともある。
でもきっと、もう2度と運転することはできない。
Oさんは泣いていた。
メモルは無言で車イスを押した。

15時、メモルの実習時間が終了する。
「Oさん、2週間ありがとうございました。」
「ありがとう。」Oさんは手を差し出した。
Oさんの手を握りながら、こらえきれなくなった。メモルは泣いた。
そして、Oさんも泣いた。

それから、3ヶ月後。
メモルは産婦人科実習に行っていた。
外来で、赤ちゃんを抱いたOさんの娘さんに会った。
1ヶ月健診だった。

「Oさんはお元気ですか?」と聞いた。

「亡くなりました。」

PLの花火大会のその日、Oさんは亡くなった。
そして、その前日に娘さんは出産していた。
しかし、Oさんは孫の顔を見ることはできなかった。

「ぎりぎり時間がかぶってるんですよ。大変だったんですよー、母があっち行ったりこっち行ったり。」
娘さんは笑った。
メモルもなぜか涙は出なかった。
おそらく1日にも満たない期間、それでも確かにOさんは孫と同じ時間を生きた。
Oさんはぎりぎりまで、頑張ったのかもしれない。

メモルは赤ちゃんを抱かせてもらった。
あたたかくて、少しミルクのにおいがする。

赤ちゃんはおじいちゃんの顔を知らない。
でもきっと、ぎりぎりまで頑張ったおじいちゃんの存在を後に知るだろう。

Oさんはそれだけでも十分幸せなのかもしれない。

今年の夏もきっと思い出す。

花火と一緒に生まれた命を。

そして、花火と一緒に逝った命を・・・。




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