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昨日はなぜだか1日中眠くて眠くて、隙あらば居眠りをしていた気がする。休日なのに・・例えば配偶者(仮)とランチに行く車の中。例えばウエディングドレス試着の待ち時間。夕食をオーダーして運ばれてくるまでの間。わたしは船を漕ぎまくっていた。帰宅後もそのまま眠さは持ち越されていて、メールチェックをして昨日の分の日記にいただいてたコメントへの返事を書いたら限界だった。もう一歩も動けない。それでも虫歯が怖いので歯磨きだけはして、あとはお風呂にはいるまもなく床に倒れて寝てしまった。今朝4時ごろに目が覚めてお風呂に入って着替える。湯船の中で何度か居眠りした。沈没しなくて良かった。そんなに疲れた覚えはないのに、あの眠さは何だったんだろう。眠さと一緒に寒さも感じた。どれだけストーブに当たっても寒くて、膝上・・太ももの辺りがどんどん冷えてゆく。体温調節が上手くできない(自律神経失調症なので)わたしは、そうなると、冬のトカゲなみに動けなくなる。そんなこんなで昨日は行き倒れの夜だった。今も眠い。果たして会社で起きていられるんだろうか。それだけが心配だ。こうしている今も眠くて眠くて。キータッチもままならないぐらいだ。***寝なかった。居眠りゼロだった・・それもそのはずである。朝行ったらとたんにトラブル対応に巻きこまれ、一日中ヒヤヒヤした挙句に、今日中に終わらせなければならないシステムテストを19時からやっていた。眠る隙もなかった。金曜日に休んでしまったしわ寄せが来た感じだ。それにしても、忙しければ寝ないものなんだなと実感した。それはきっと、まだまだ大丈夫ってことだろう。本当にやばいときは、忙しかろうが何だろうが寝てしまう気がするから。起きていられる間は大丈夫。今日も昨日に引き続き、寒かった。いったいいつからこんなに寒がりになったのだか、今日はものすごく着膨れていたのに、それでも尚寒かった。学生時代。ありえない築年数の寮で、水場は水しか出なかった。給湯器? 何それ?だから毎朝水で顔を洗っていた。奈良の真冬でも。今から思うと信じられないけれど。この寒がりぶりが、単に歳をとったせいなのか、はたまた自律神経のせいなのか、悩みどころではある。***メロンパンの思い出。配偶者(仮)と出会ったばかりのとき、わたしがメロンパンについて力説していたのが印象的だったそうだ。曰く、メロンパンはメロン味だからメロンパンじゃないのよ!網目の模様がメロンみたいだからメロンパンなのよ!したがってメロン味のメロンパンは邪道なのよ!・・邪道まで言い切るか、わたし。そういえば学生時代にも同じことがあった。2回生になったばかりのころ、たまたま同じ授業を取っていた子にメロンパンのことを熱く語ったらしく、その後彼女と同じゼミになったとき「あ、メロンパンの子だ」と思われたらしい。後から思えばどうでもいいことでも、何か思ったら熱っぽく語らずにはいられない、そういうキャラだったんだ、わたしは。もうだいぶ昔になるけれど。今は何かを熱く語るということがない。いや、正確には「口に出して語ることが」ない。文章にならいくらだって書けるのに。何が違うんだろう?
2005/01/31
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昨日は日記といいながら全編「恨み節」だった。昨日何があったかは全く書いていない。ので、今日書こう。(ああまた長くなる・・気をつけてるのに。過食ならぬ過書は止められない)昨日は通院日で、昨日の日記に書いたのとほぼ同様の内容を心理士さんにも話す。心理士さんは「うん、うん」といって聞いてくれて、「それまだ、その出来事に対する『喪の儀式』が心の中で済んでないからかもしれない」と話してくれた。詳しくは省くけれども、「喪の儀式」。わたしはその方法を模索して、あの男の思い出を空へ還そうと思う。すぐじゃなくても、いつか、必ず。ドクターの診断の方では「鬱傾向が強くなってますね、やっぱり」と言われ、今までの薬に加えてルジオミールを処方された。むむむ・・。自分はほぼ回復同然と勝手に思い込んでいただけに、前回の「診断書を書くから会社を休んでは」という助言と併せて、なんだか心外だ。不安でもある。配偶者(仮)とようやくまともに話ができた。問題の発言(わたしが「鬱について少し勉強してみて」と言ったら「やだ」と即答したこと)についてはとりあえず話すつもりはなかったのだけど、結局流れに乗ってその話もした。結論。「やだ」発言の真意はいまいち腑に落ちないけれど、彼はちゃんとわたしの病気を考えてくれている。昨日もしきりに「無理させちゃったのかなあ」「早く元気になってね・・あ、でも心の方はのんびりでいいから、身体は早くね」などなどと言っていた。うん・・疑ってごめんね。あなたはあなたなりに考えてくれていたんだよね・・冷静なときはわかってるんだよ。でもお互い意地っ張りだから。言葉が足りなくて行き違ってしまうこともあるんだ。ごめんね。ひ弱な人間で。でもわたしはいつか必ず、あなたと出会った頃の自分を取り戻す。いや、同じじゃない。いろんな傷を負って痛みを知った分、バージョンアップしたわたしになって、今度はあなたの支えになれるようになるから。もう少し待っててね。そして、わたしが道を踏み誤りそうなときはちゃんと受け止めてほしいんだ。そうやって必ずゴールにたどり着くから。それがどんなに遠い先にあったとしても。***今日はこれから、ウエディングドレスの試着会に行ってくる。こんな時間からだけど、どうもお日柄の良い4・5・6月を目前にして、お店は混んでいるらしく。こんな時間でも予約ができただけラッキーだったかもしれない。ウエディングドレス。よもや自分の人生で、何かの衣装以外でそれを着ることがあるなんて。1年前には考えてもいなかった。半年前にも、戸惑っていた。でも今はそれが現実だ。良いドレスを発見できるといいな!
2005/01/30
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今日は記念日。・・・あの男と始まってしまった記念日。そんなことを何年も執念深く記憶している自分の脳髄が嫌になる。配偶者(仮)と付き合い始めた日はあっさり忘れてしまったっていうのに。こんな記憶全部捨ててしまえばずいぶんと楽になれるんだろうな。4年前の今日、あの男と飲みに行った。それが全ての始まりだった。あの時飲みになんて行かなければ? そうしたら、何かが変わっていたのだろうか?時々、そんなことを考える。時々。弱ってる時だけ。でもわたしは知っている。たぶんあの日飲みに行かなくても、時を経ずして同じ結果になっていたのに違いないんだ。あの男はわたしを好きだと言った。ずっと好きだったと言った。あの男の中にその気持ちがあった以上、機会はいずれ訪れて、わたしたちは始まってしまったのに違いない。あの男は優しかった。あの男の言葉に、笑顔に、その暖かい手に、何度も救われた。鬱発症こそしていなかったけれど、わたしは14歳のとき以来、何かどこか不安定な人間だった。拒食や過食、人間関係の破綻、そういうのを繰り返して生きてきた。そんなわたしを救いたいとあの男は言った。その言葉をわたしは信じた。でもそれは幻なんだ。一過性のものなんだ。頼っちゃいけない。この人は本当は、今ある自分の世界から一歩もはみ出す気はないんだから。それは百も承知だったけど。それでもわたしの不安定な心はあの男に縛られてしまった。でも、わたしたちが壊れるのに時間はかからなかった。幸せだった期間がどのぐらいだったのか、もうあまり思い出せない。救いになるはずだったあの男は、あっという間に、わたしを最も脅かす存在に変わり果てた。いろいろ酷いことを言われた。酷い扱いも受けた。その分、わたしも酷いことをした。身を削るようにしてあの男に罵言を投げた。刺し殺そうと思ったことが何度もある。あの男の目の前で死んでやろうと思ったことは更に数多い。自分の残りの人生を全て費やしてでも、あの男に復讐がしたかった。わたしは鬱を発症し、リストカットとODを繰り返した。一度、飛び降り自殺を試みた。次にODで死のうとした。どちらも達成しなかった。それで、わたしは今ここにいる。あの男が会社を辞め、わたしの前から姿をくらまして、もう2年以上になる。あれっきり会っていない。たまに噂を聞く限りでは幸せに暮らしているらしい。愛する妻と、愛する息子と。その事実はもちろんわたしを動揺させる。何よりも鋭く心に突き刺さる。例えばあの男の住む場所をわたしは知っている。訪ねていけば、あの男はそこにいる。刃物を持って、地下鉄に乗って。もちろんそんなことはしないんだけど、・・・その可能性をわたしは常にこの手の上に弄んでいる。自殺志願者が青酸カリを持ち歩くような気持ちで。あの男が言った。俺がおまえを踏み躙ったんじゃない、おまえが踏み躙らせたんだ、と。その意味はあの時全く理解できなくて、わたしはただあの男を責めた。でも今なら少しだけ、その意味がわかる気がする。ほんの少しだけ。わたしは今、幸せだ。仕事があり、趣味もあり、家族があり、ともだちがいて、恋人との結婚を控えている。こうして書き出してみれば一点の曇りもない。わたしは今、幸せだ。その幸せをあの男はもう覆せない。わたしがもうあの男を害せないのと同じに。それでもわたしは囚われている。あの男に? 違う。だってあの男はたぶんもう、わたしとの経緯を忘れ果てているだろうから。ではわたしを掴んで放さないその冷たい手は何者のものだろう?答えはいつだってわかっているんだけど。わたしは気付かないふりをして、今日も一日を終わらせる。大丈夫。今年もこの日が過ぎていく。この季節が、あの男を思い出さずにいられないうす寒い季節が、今年も何事もなく過ぎていく。ほら、日付が変わった。何も起こらなかった。わたしは鬱にも負けなかった。あの男は幸せに生きる。わたしはそれ以上に幸せに生きる。それが、わたしがあの男にできる最初で最後の恩返しであり、・・・・復讐でもある。
2005/01/29
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迷い中である。何を迷っているかと言うと、今日会社へ行くかどうかである。行きたくない行きたくない行きたくない。あの超音波声も聴きたくないし、客とさっぱり要領を得ない話をするのももういや。眠気やめまいと戦うのも疲れた・・昨日は久々に腕を切った。傷は浅くて目立ちもしない。どうせ週末は結婚式準備で忙しくて眠れないし。来週からは土日出勤の連続で休みがないし。休みたい。寝みたい。でももちろんそんなのただの甘えなんだ。配偶者(仮)だって、毎日しぬほど働いているのに。わたしだけ逃げてなんていられないんだ。今、迷っている。休むかどうか・・・***決断。休んでしまった・・・ごめんなさい、配偶者(仮)。こんなひ弱な人間でごめんね。ひさしぶりに「やってしまった」という気がする。昔はしょっちゅうやっていた、突然休み。もちろん鬱にやられて。でももう、鬱もだいぶ後退して、わたしは普通に働いていたはずなのに・・・不安になる。これは兆し? またぶり返してくるぞっていう兆候?・・・こういうくらい考え方自体、鬱の兆候かもしれない。まあでも休んでしまったんだ。ゆっくり眠ろう。眠って、睡眠不足をとりかえそう。***昼寝をしたら、いくらでも眠れてしまった。眠剤もナシで。夜は眠れないのに、不思議なことにお昼寝となると昏々と眠れた。だいぶ軽くなったような気がする。心も身体も。良いことだ!配偶者(仮)とようやく連絡がついた。想像通り、仕事がヒートアップしていたらしい。ほんとうにお疲れさま・・。でもタフな彼は明日スキーに行くという。慢性疲労で怪我しないように気をつけてね・・ていうか、わたしは? 構ってくれないのかよ!ま、いいや。日曜日は式準備関係でおでかけだし。そのとき、問題の「ヤダ」発言についても軽く話し合ってみよう。こういうのって微妙だなぁ。もちろん話し合いはしたいけれども、疲れてるときに、しかも久々に会ったのに(何日ぶり、って程度なんだけど、毎朝同じ電車で通ってたから。それを思えば久しぶり)ことによると喧嘩になっちゃう話を振るのはためらわれる。今、母が台所で騒いでいる。小エビのかき揚を作るのだそうで、「わっ、まだ生きてる! ほら、見においでよ!」という声が聞こえる。うう・・わたしは魚介類の大半が苦手なので、まだ生きているほど活きの良いエビ、というものに魅力は感じないんだってば、お母さん・・***明日は通院日だなぁ。晴れるといいけど、ちょっと怪しい。通院日にわたしはウオーキングをする。病院から地下鉄5駅分歩くのだ。時間にして50分強。1時間弱。いい運動になる。雨が降るとさすがにやる気がなくなるから、晴れるといいな。
2005/01/28
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結局、昨日のうちに配偶者(仮)殿から連絡はナシ。もしかしたらまた徹夜していたのだろうか。連日それでは身体がもたないよ・・大丈夫かな?昨日の日記にたくさんの方から励ましやアドバイスをいただき、ちょっと前向きな気持ちになれた。(感謝いたします。みなさん、ほんとにありがとうございます)人を信じるということ。人を思いやるということ。誰かに助けられること。誰かに愛されること。誰かを助けること。誰かを愛すること。表裏一体なんだな。彼は鬱のことを勉強するのを「ヤダ」と言った。単純に嫌だったのかもしれないし、深い思惑があっての言葉かもしれないし。そこはわからない。けど、確かなことは、彼はわたしを愛してくれるということと、自分も彼を愛しているということ。そこに鬱がどう絡むのか。それは、これから乗り越えていくべきことで、今わたしがヒートアップした頭で考えてどうにかなることじゃない。それでいいや。わたしには、他にも悩むべきことが山ほどあるんだから。今は、彼を信じていよう。困るのは、不安定な気持ちの隙をついて、・・・あの男のことを思い出すこと。もう何年も前に姿を消したはずなのに。別れたときからなら、更に長い時が経っているのに。どうしてあの男の存在が今更わたしを苦しめる?***今日はなぜだか主任さんの超音波声が絶好調だった・・テンパればテンパるほど、彼女の声のトーンはアップする。落ち着いてください! 誰もあなたの成果物にケチをつけやしませんから!なんて言えるはずもなければ言いたくもなく。向かいの席の毒舌な先輩と、こっそりメールで会話して気を紛らわす。大変申し訳ないのだけれど、主任さんの超音波声を聞くと、心拍数があがる。はっきりとあがる。先輩にそのことを話したら、「さすが空飛ぶ哺乳類」という返事。空飛ぶ? なんですか、それ??「だって超音波といえばコウモリじゃん」。なるほど・・入社以来ずっとご指導いただいている、恩も義理も山ほどある人のことではあるけれど。コウモリには笑った。思えば久しぶりに事務席で笑った気がする。愛想笑い以外で。主任さんに対して、本当を言うと、微妙な感情を持っている。彼女は入社以来ずっとわたしの直上司。つまり、あの男と出会う以前の、多少エキセントリックだけどイノセントに能天気だったわたしを知っている。そしてもちろん、あの男との怒涛の日々も知っている。わたしがバラしたから、わたしたちの「関係」まで知っている。彼女は今、それをどう思っているのかな?もう何年も経つし、そんなことは忘れてしまっているのかな?でもわたしはあれ以来明らかに変わったし、扱いにくくなったはずだ。そんなわたしをどう思いますか。訊いてみたいけど・・絶対に訊けない。
2005/01/27
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最近、ちょっと夢を見るようになった。その内容はというと、1:研修だっていう事を忘れて普段の事務席で仕事をして、定時ごろに気づいて慌てる2:某アーティストのライブチケットが送られてこない。ライブは明日なのに!3:お客との会議中に寝てしまって焦ったが目覚めたら出席者全員居眠り中なんて現実に即した夢なんだ!悪夢じゃない分いいけれど。夢も希望もあったもんじゃない。ちなみに、夢を見る場所はもっぱら朝の湯船の中である。数分の転寝タイムにそんな夢を見る。今朝のは上述3番だ。今朝も4時半起きだった・・なぜかロヒプノールもアモバンもパキシルも眠りを誘発してくれず、1時過ぎまで寝られなかったのだ。おかげで今、眠い眠いの「ねむた祭」最高潮である。いつまで続くか睡眠不足・・・***今日のお昼ごろ、配偶者(仮)と電話で話すことがあった。で、何の流れか、わたしは彼に「鬱について少し勉強してみてよ」と言っていた。彼はもちろん、わたしの鬱を知っている。でも他に鬱の人と接したことはなく。しかもわたしは一番酷かったとき彼とあまり会っていないし、もちろん彼といるときは元気だから、思えばあんまり「鬱状態」の人間を見たことがないはずだ。それで、そんな言葉が出てきた。勉強してみて、って。が!「やだ」と即答されてしまった。・・・・。言葉を失って、まもなく電話も切ってしまった。ん? 何て言った? 「やだ」?・・何の意図があっての発言だ?「やだ」って。それは理解したくないということ?考えがごちゃごちゃで纏まらない。落ち着け、自分。とりあえず今は、その発言の意図を事情徴収すべく、電話を待っている。待ちながら、携帯が鳴るのを恐れている。携帯が酷く忌まわしいものに見える。・・・あの男からのメールを待っていたときと同じ感覚だ。いや、やめよう。今はあの男の話は関係ないんだ。配偶者(仮)。わたしの現在の恋人。結婚する予定の相手。ねえ、それは本当に間違った選択じゃないんだよね?あなたはわたしの何を見て、結婚に値すると思ったの?鬱を理解することはできないの?全てはこれから。話し合わなければ。でも、電話なんて永遠に鳴らなければいいのにと思う気持ちが何度振り払っても湧いてくる。
2005/01/26
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今日も結局4時半に目が覚めた。仕方ないのでまたお風呂に入る。それでも4時間近くは寝た計算になるからまあよしとしよう・・今日も研修だ。今日は講義がほとんどなく、ディベートの試合が大半。考えただけでどっと疲労する。だったら頑張らなきゃいいのに、って自分でも思うのだけど、そこで手が抜けない。真面目といえば聞こえはいいけど。その裏にあるものは?チームメイトにいい顔がしたいのかもしれないし、自分に対する評価が高すぎるのかもしれない。頑張れば頑張るほどなんとなく後ろめたい気がする。でも、それでも手が抜けない。頭痛がするまで真剣にやってしまうんだ。この性格をどうにかできないものか・・・***今日も研修はしんどかった。頭の付け根の、延髄の辺りがずきずきと痛い。しかし今日もわたしのテンションは高く、研修を見に来ていた人事部の先輩に「すごい迫力だね、なかなかいいよ」とディベートの様子をほめられた。ほめられた時には、出番が終わった後で、完全に虚脱状態だったんだけど・・後ろめたい気持ちでいっぱいになりながらも、それでもほめられたんだから良しとしよう、と自分に言い聞かせる。理論武装がなければしゃべれない?素の自分を出すとなるととたんに弱くなる?まあいいじゃないか。理論武装してもしゃべれないよりは。そう思おう・・・ところで今日は全社をあげての新年会という非常識な集いがあった。ヒルトンホテルで、芸能人まで呼んで。どこにそんな経済力が!?と思いながらも、享受できる部分は享受すればいいじゃん、と考えていたけれど。いざとなったらやっぱり逃げ出してしまった。出席と返事をしてあったのに、直前で行くのをやめて帰ってきた。人の集まる場所に行きたくなかった。不思議だな。ディベートはほめられるのに、新年会には行けないなんて。人として何かが決定的に間違っているのじゃないの?自分の中から出てきたはずの問いが、わたしを激しく憂鬱にする。***夜。もう研修は終わり、明日は普通の業務だ!と思ったらほっとするのかな?・・・とんでもなかった。普通の業務。いつもの事務席。超音波声の主任さんに、横綱課長。そっちの方がストレスフルだ・・そうか、元凶は「仕事」じゃない、「会社」でもない。今の部署なんだな。異動とか休職とか、いろんな言葉が思い浮かぶ。もちろん今すぐ決断することじゃないし、自分だけの都合で決められることでもない。でも、考え始めた方がいいかもしれない。真剣に。
2005/01/25
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早朝覚醒どころか徹夜してしまった!!今日は講義形式の研修があるので、眠り込んでは大変とばかりに、眠剤を加減して飲んだ。おまけに提出期限の通信教育をカリカリやっていたら、気づいたら4時半になっていた。いつも目が覚める時間じゃん・・今更寝たら絶対起きられない。と言う自信があったので、そのまま起き出し、数時間前にも入ったなあと思いながら、お風呂に入る。・・・眠いし。眠剤加減した意味がないっ。しかしもう行かなければ。今日は、研修の後、情報処理試験対策夜間セミナーまであるのに・・起きていられるのか、自分!?***研修&情報処理試験対策セミナー終了し、帰宅。今日は一日研修室で過ごした。いつもの事務席にはほとんど座っていない。研修の内容は、なんと「ディベート」。いつそんなもの申し込んだんだろう・・・。ディベート。このわたしが? 普通のコミュニケーションさえできぬというのに??しかし徹夜明けにも関わらず、午前中ずっと講義の研修で眠り込まなかった。奇跡だ。しかも午後のディベート実習では、自分の出番直前までプレッシャーと緊張で吐き気がしそうになっていたくせに、いざとなるとスラスラとしゃべる、自分。我ながら芝居がかってると思いながら、論敵方の発言者を視線で威嚇するということまでやった。講師の人にも好評だった。・・が、やはりというかなんというか。定時の17時半に研修が終わって情報処理試験セミナーが始まるまでの1時間、更衣室で頭痛に悶絶する羽目になった。「ディベートの試合」というシチュエイションがあれば流暢にしゃべるわたし。逆に言うと、そういう役割ナシの素の状態では、会話も弾ませられないということか。そして必要以上に消耗して転げまわる・・何なんだ。わたしは。それでも情報処理試験セミナーに行く。受験勉強を思い出す、予備校みたいな雰囲気の中、2時間半ほど講義を受けたり問題を解いたりする。結構その雰囲気は嫌いじゃない。そして更に奇跡的なことに、ここでも居眠りしなかった。どうしたんだ、自分!?帰宅したらさすがに気が抜けて、疲れた・・と思うようになった。研修は明日までだ。明日もまたあのプレッシャーと緊迫感とハイテンションと自己嫌悪に耐えなければならないのか。眩暈がしそうだけれど、それはそれで充実していないこともない。・・・連日そうやって過ごしたいとは思えないけど。***配偶者(仮)にその話をしたら、「ふうん」で流された。いっぺんに不幸な気分になる。まあ仕方ない仕方ない。疲れてるんだ。配偶者(仮)くんも徹夜だったらしいし。
2005/01/24
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夜中にミカンを食べたらしい。三つ分の皮がゴミ箱の中に収まっていた。記憶は全くない。早朝覚醒して、日記は書かなかったけど、ミカン食いに走ったのか・・わたしは皮膚が黄色い。黄色人種だから黄色くていいんだけど、それにしても黄色い。掌や足の裏は自分でもたまにぎょっとするほど黄色い。幼い頃からだから、まさか肝臓の病気ってこともないだろうと思っていた。でも最近また黄色さがアップしたような気がするので、さすがに不安になって、先週通院したときにいつものメンタルクリニックで訴えてみた。先生「そうですか。掌見せてください。(見せる)・・あっ、ほんとだ。黄色い!」わたし「・・・」先生「ちょっと目を見せてくれますか?(見せる)あ、白目は黄疸出てませんね。じゃあたぶん大丈夫ですけど、一応血液検査をしましょうか」わたし「お願いします・・(ほっ)」先生「掌や足の裏が黄色くなるのは、カロチン摂り過ぎのせいもあるんですけど・・ミカン食べ過ぎましたか?」わたし「ふ、ふつうです!!」あの時は1日せいぜい2個ぐらいしか食べてないし、と思って「ふつうです」と答えたけれど。もしかして深夜ミカンはもう長いこと続いてるんだろうか・・掌の黄色さを眺めながら自分に問いかけるけど、もちろん記憶はありゃあしない。***今日は5時からブライダルフェアなるものに行く予定・・式の会場となるレストランでフェアがあるので、のぞきに行こうかと。思っているのに、配偶者(仮)からは音信が途絶えっぱなしである。昨日の朝短い会話をしたっきり、そのときも「疲れた。寝る」で切られてしまった。そして今日も何時集合とか、予定は全然立っていない。決めなくていいんですか?と、重ねて訊く元気が、今日はない。天気が悪いせいもあるかな。なんとなく面倒くさくて、いよいよになれば向こうから連絡があるさ、と思いながらだらだらしている。眠い。明日は月曜・・かと思うとテンションも下がる。さっき配偶者(仮)から連絡が。彼もテンションが低い。それでますます出かける気が失せてゆく。どうしよう・・と言っても、フェアには予約を入れてしまったので、行かざるを得ないんだけど。今日は喧嘩にならないといいなあ。彼は疲れてるので労わりたいんだけど、自分も今不安定下降傾向なので、心に余裕がない。あの男のこと思い出したりしたせいだ。・・いかん。「あの男」ってキーワード自体、封じておかなければ。1月29日が近い。忌まわしい記念日が。眠剤、ODしたら・・記憶は飛んでくれないのかな。忘れたい部分を忘れられるなら、ODでもなんでもするのに。***ブライダルフェア終了。式場見学から業者さんとの打ち合わせ、試食会まであった。わたしはナマモノ・フォアグラ・ローズマリー・シナモン等々、フレンチ素材が駄目な超絶偏食人間で・・苦労した。(だったらフレンチレストランで式をするなよ)行くまでは気が重かったけど。行ってみたら・・・やはり憂鬱だった。だいたい、配偶者(仮)といきなり口論だ。久し振りで会ったのに。駄目だ・・。どうしてこうなんだろう。彼のことはちゃんと好きだし、感謝しているのに。こんなわたしを愛してくれれるのに。わたしは彼にふさわしくないんだろうか?
2005/01/23
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またまた4時起きだったが、今日は日記を書いたりせずに、がんばって(?)再度就寝。なんとか6時までは眠れた。昨日寝たのが1時半だから、まあまあ。ここ数日よりは長い睡眠だろう。早朝覚醒にも慣れてしまった。何にしろ今日はテニススクールだ。先週いけなかった分、今日は張り切っている。金曜の夜や土曜の朝はととても心が安らかだ。会社に行かなくていいんだもん。最近、それほど苦痛じゃなかったはずの会社が、日々わたしを蝕んでいる気がしてきた。考えすぎかもしれないけれど。そういえば結局昨日の夜も配偶者(仮)から連絡はなかった。働いているの? 倒れてないよね?わたしからメールを送ることがなぜかできずにいる。返事がないのが怖いからかもしれない。***テニススクール終了。今日も気持ちよく走れた。嫌な思いもラケットを握っていれば少し遠のく。午後からは親友の家に、去年末に生まれたばかりの赤ちゃんに会いに行く。だんなさんが「クマさん」という愛称だから、赤ちゃんは「こぐまちゃん」。女の子だ。小さな子供を見ていると、あの男、・・及びそれにまつわる思い出してはいけないこと・・そして忘れてもいけないこと、わたしが背負っていくべきこと・・それを、どうしても、考えてしまうので。苦手なんだ。本当は。でも親友の赤ちゃんだから。きっと大丈夫。嫌な思い出はよりつかない。親友の幸せの具現みたいな赤ちゃんを前に、そんな暗いものを背負って出るわけにいかないし。大丈夫。動揺しないし鬱にもやられない。きっと大丈夫。***ごくまちゃんに会ってきた。当然だけど、小さかった。小さくてもちゃんと命・・。そしてその母であるということ。コミュニケーションもままならない小さな命と1対1で向かい合うこと。全てがわたしにはまだ未知の世界だ。考えがまとまらないなぁ。考えることじゃないのかも、ただ感じることなのかも?
2005/01/22
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4時起きだ。誰かわたしに安眠をください。夢見も悪かった。辛い。正直、辛い。ああ、今日は覚えている。上の日記を書いたこと。どちらかというと忘れてしまいたい内容みたいだが・・覚えてる。なぜだか。夢見は最悪だった。超音波声の主任と、会社の古い書類や資料を捨てる捨てないでもめて、騒いでいたら横綱体型の課長やってきて、一喝していった。会社の夢なんか見たくはない。眠りの中間であの人たちに侵食されたくない。眠りはわたしものであってほしいのに。めったに見ない夢の中で、出会った人があの人たちだなんて悲しすぎる。配偶者(仮)でも、前の彼でも、クレイジーさんでも、・・・・あの男でもいい。その方がまだ「わたし」であるという気がする。***またやってしまった。今回もまたミーティングから逃げてしまった。定時後に、課の全員で仕出しのお弁当を食べながらあれこれ話し合うという、迷惑なミーティングが月に一度開催される。昔・・鬱発症する前、あの男とどうにかなる前。当時そのお弁当の手配当番を一手に引き受けていたわたしは、ありきたりの仕出し屋さんじゃなくて、ちょっと目新しいお弁当を手配するのを楽しんでいた。あの男も喜んでくれたから。そんなのもう記憶もなくなり果てるほど昔の話。今、わたしはそのミーティングに出ない。強制じゃないから欠席は自由だ。ただし、奇異の目で見られるのは避けられない。でもそんなの関係ないんだ。もう2年ぐらい出ていない。今日もそのミーティングがあった。何を血迷ったか、出欠を取るときは出席で返事をしてしまった。そろそろ社会性を回復させたいと思ったのかもしれない。小さなことから。でもいざとなったらどうしても嫌で、嫌で嫌で仕方なくて、結局逃げるように帰ってきてしまった。わたしはまだ鬱にとり憑かれている。わたしはまだあの男の影に怯えている。それにしてもどうしてあの男のことを思い出すんだろう、今日は。思い出したいわけじゃない。いい思い出ではありえない。なのに、どうして?昨日の朝以来配偶者(仮)から連絡が途絶えている。毎朝一緒に通勤しているのだけど、今朝は彼は来なかった。忙しいのだ。不夜城のような職場で、終電どころか2時3時まで働いているときもある。けど、そのせいで不安定になっているわけじゃない。情緒不安定が先にあり、更に彼がいない、という感じだ。不安定なのはあの男を思い出すからなのか、不安定だからあの男を思い出すのか。いずれにしろ業腹なことだ。あの男は、うそつきで頑固で短気でわがままだった。顔だって十人並み以下だった。でも、まっすぐで、とても楽しそうに笑った。今となってはそんな長所も良く思い出せないけれど。もしも今、あの男に偶然出会うことがあったら?それを考えただけで気持ちが落ち着かなくなる。あの男を刺し殺す場面を何度も想像した。逆に、目の前で自分が死んでやる場面も想像した。どちらの光景もあまりに馴染み深くて、想像なのだか記憶なのだかわからなくなるぐらいだ。わたしはまだあの男の影に捕らえられている・・
2005/01/21
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珍しく5時起きではなかった。・・・4時起きだった。昨夜寝たのは何時だ。1時半・・だったじゃないか。日に日に短くなってやしないか?そして起き抜けの記憶だけは、毎日なくなるんだ。それはなんとなく、死に近づいてるのと同義な気がする。****はい。記憶消滅。ああ・・今日は普通に出勤だ。苦しい。配偶者(仮)は一昨日から昨日にかけて徹夜だったと言っていた。忙しいんだ。なのにわたしはたった1日帰りが10時になったぐらいで疲れたと言い、飲み会の幹事だったといっては疲れたと言い・・(彼は宴会部長もやっている。わたしの20倍ぐらい働いている)泣き言は言ってられないのだよ、自分。願わくはこの部分の記憶はなくなりませんように。夜見てびっくり、ということがありませんように。***よかった、朝2度目の日記は記憶にあった。朝ごはんも覚えているし、始業から帰宅まで記憶はちゃんと途切れずにある。・・・そんなことをいちいち確認しなければならないこと自体、何かが間違っている。同じ課に同期はいないし、お昼ご飯や休憩時間には孤独であることを選んでしまったため、敢えて計画しなければ「ともだち」と言える人とは会わずに一日終わってしまう。そんな中、向かいの席の先輩がしゃべり相手になってくれるので少し救われている。しゃべり相手になってくれる・・というか、相手をさせられるというか。その人自身、しゃべり相手を求めているようなので、持ちつ持たれつというところだろう(と勝手に思っている)ちょっとエキセントリックで毒舌だけれど、頭のしっかりしたまっとうな人だ。(「まっとう」というのはわたしの中ですごく価値の高い言葉だ。誰の形容にも使うわけじゃない)その人とはもう2年ぐらい一緒に仕事をしているけれど、話すようになったのは最近だ。あるきっかけから、お互いの身の上話をうちあけ合って、それ以来会話が増えた。ともだちと呼べる人、それから病院関係者以外の人にあの男の話をしたのは初めてだった。実を言えば配偶者(仮)にさえ詳しくは話していないし、家族にも何も言っていない。先輩の方も重い記憶を抱えていて、不眠のため通院していると言っていた。でも同情しあうわけでなく、わたしも先輩も、ただ淡々と自分の身の上を語って納得した。お互いの傷に着いて話し合うことはほとんどないけれど、相手が自分の傷を知り、かつ同じようなものを背負っているのをお互いに了解しているということが、緊張感を誘うと共になんとなく安らかな気持ちにさせてくれる。***目の奥が重たい感じで、頭痛がする。会社でもPC、家でもPCの毎日で、視神経が悲鳴をあげているのかも。しかも眠りは足りていないし・・今日は寝よう。日付が変わる前に寝よう。ODしてでも、明日6時まで絶対目覚めないで寝よう。でも明日はお客さんとこへ行かなきゃならない。ODやっちゃうと辛いんだ。ああジレンマ。
2005/01/20
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お約束の5時前起き。今日は年休なのだよ、自分。わかってるのかい?でもともかくも今日は会社に行かなくていい。あの席に座ってなくていいし、電話も取らなくていい。主任の超音波声も聞かなくていいし、横綱課長のツッパリから逃げ回る必要もない。そりゃまたなんて心が穏やかなことでしょう。***で。案の定上のを書いた記憶は消滅。わたしはそんなに会社に行きたくないのか。ちょっと驚き。それに結局8時には本格的に目を覚ましている。ああ貧乏性。朝っぱらからなぜかタバコほしいな~っと思った。禁煙(決意したわけじゃなく自然に吸わなくなった)して1年以上。滅多にそんなこと思わないんだけど。かつてのお気に入り、ラッキーの青いヤツは今も売っているかしら。でもお肌に悪いからタバコはやめておこう。配偶者(仮)もタバコは嫌いだといっていたし。***なんと昼ごはんを作った。わたしは料理をしない。大学の前半2年、寮には食事がついていたけど食べなかったし、後半2年はそもそも食事がなかった。それでもほとんど自炊はしなかった。実を言うと料理は嫌いじゃない。お菓子作りは趣味だし自信がある。パンを粉から練ったりも好きだ。でもそれでもわたしは日々の料理をしない。キャベツの千切りもできるし、だしのとり方も知っている。卵焼きをふんわりさせる方法も、調味料を入れる順序とその理由も知っている。でもわたしは食事を作らない。それはもう信念に近い。が、今日は昼ごはんを作った(けっこう安い信念である)チルド食品のワンタンがあったから、それをスープがわりにする。ご飯を炊いて野菜炒めを作る。トマトスライスにたまねぎのみじん切りとゆで卵のみじん切りを散らしてミモザサラダも作った。満足したけど・・・疲れた。夜の飲み会に行く気がどんどん失せる・・***行く気がないと言いながら、結局終電まで飲んできた。正確には、食べてきた。今日は乾杯のビールさえ断ってしまった・・会計係は最後までいなければ話にならないわけで、酔いつぶれた連中が撤収するのを見届けて、お会計を済ませて、領収書をもらって、というのを全部終わらせてようやく開放されたのが11時過ぎ。疲れた。年休だったのに、疲れた。明日も休んだろか・・
2005/01/19
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また5時起きだっ。アモバンとノクスタール、頑張ってよね・・しかし今日も眠い。果てしなく眠い・・やる気もない。腰が痛くて、身体も動かない。会社・・いけるかな。行ってもまた居眠り放題だよなあ。休んじゃおっかな・・でも今日は結構大事な処理あるしなあ・・でもしんどいなあ・・***朝の記憶がない・・。朝の日記を書いた記憶も、朝ごはんを食べた記憶もない。会社に着いて就業時間になったころからようやく思い出せるかどうかだ。薬は規定量しか飲んでいないのに。心外だ。それに怖い。この日記を書いていることは配偶者(仮)には話していない。もしも彼がこれを見ることがあったら、と思うと少し恐ろしい。昼間そんなことをともだちと話していたのだけど、さっき、更に恐ろしい可能性に思い至ってしまった。もしもこの日記をあの男が見たら?もしかして、聞いたような話に目を留めてしまったら?プロフィールを見ればわたしが何者なのか、解ってしまうだろう。あの男は何か反論するだろうか?・・・それともこんなにも執念深く覚えているのはわたしだけで、あの男はもう全く忘れてしまっているのだろうか?***明日は休みを取っている。久々の平日休み。皮膚科に行って、銀行や郵便局にも行って、そうだ手芸洋品店にも行きたい。・・と、夢は膨らむのだけど、なかなか上手く行かないもので、どういうわけだか明日は飲み会だ。会社の、というわけではないけど、個人的なものでもない飲み会。なぜか自分が会計係なので行かないわけにいかないのだ。飲み会なんていつ以来だろう?部や課という公の主催でないというだけで、集まるメンツは所詮会社の人間。休みを取ったのに・・彼らの顔を見るなんて。そのへんの対処用にエネルギーを残しておかないといけないので、日中はだらだらしていた方が良さそうだ。出かけるのは銀行だけにしておこう。もしも余力があったら皮膚科。顔がかゆくてヒリヒリするし。アトピーくん、お願いだからおとなしくしていてよ。
2005/01/18
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今日であれから10年が経つ。あの震災から。あれから人が生きる死ぬということに関わるような大きな事件をいくつも見た。それでもやっぱりわたしの中であの震災は特別だ。今日は通信教育の提出日。情報処理試験対策講座である。はっきり言って受かる自信はない。が、ノルマとして毎年受けている。やる気を見せるために受講した通信教育だったが、予想以上に難しくて困っている。最近、なんだか頭も鈍くなった気がするのに。物事が覚えられない。文を読んでも理解ができない。それでも提出日には間に合わせるべく、昨夜は3時までコリコリやっていた。眠い。今日は会社では居眠り街道まっしぐらだな・・・***案の定今日は丸一日、居眠りばかりしていた。どんなに頑張っても起きていられなかった。おまけにアトピーが顔を出して、全身痒くて仕方ない。外はお天気が良くて、お散歩日和で、空気に冬の匂いがした。なんとなく古い歌を思い出した。心細くなって、それがどんどん膨らんで、耐えられなくなったので配偶者(仮)にメールを送ってしまった。彼はすぐ返事をくれた。超多忙なのに。彼は優しい。涙が出そうだ。わたしはどんどんダメになっていく気がする。もう回復期で、鬱の残した残滓を片付けさえすれば、元に戻れるような気がしていたけれど。そうはいかないらしい。わたしはどんどんダメになっていく気がする。どうにか転落を止めなければ。***昔々。わたしには親友たちがいた。毎日一緒に遊んでた。みんなで同じテレビを見て、同じ本を読んで、同じ歌手が好きで、同じものを楽しいと思い、同じものを美しいと思った。あんまりいつも一緒いにたから、それが当然だと思っていた。そこに欺瞞はなかったか?本当にわたしはそのテレビを、本を、面白いと思っていたのか?彼女たちはわたしよりも敏感にそれに気づいて、だんだんと離れていった。あるとき遊ぶ約束をした。その日の朝、電話がかかってくるはずだった。何時にどこに集合、それを一人の子が決めて、伝えてくれるはずだった。わたしは着替えて髪をとかしてリボンを結わえて電話を待った。携帯電話も普及してなくて、子機もコードレスじゃなかった時代だ。わたしは電話の前に張り付いて待っていた。電話はかかってこなかった。夜になって、彼女たちの一人から電話があった。彼女たちはわたし抜きで一日遊んでいたらしい。今から帰るとこ、電話はそう言っていた。そのときに怒ればよかった。どうして誘ってくれなかったの? 約束したのに。言えなかった言葉は心の底にわだかまって、やがてわたしたちは壊れた。15年も昔の話。わたしがほんの子供だったころ。それ以来、人生が転落気味な気がしている。15年かけてのゆっくりとした転落。
2005/01/17
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効かないのかな?寝る前は、アモバン、パキシル、ノクスタール。それでも5時前に目覚めてしまう習性は悲しいものがある。上の日記をいつ書いたのか。記憶がない。起きちゃったならまた寝ればいいのに。最近、この日記中毒状態になっているかもしれない。そうそう思い出した。フリーページを作ってみよう、と思ってあれこれやってたから、それを早朝覚醒してもやっていたのかも。記憶がないっていうのは怖いことだと思う。***わたしはもともとお酒が飲めない体質で、薬を飲むようになってからは更に飲む機会は減った。おかげで、配偶者(仮)は物足りなく思っているらしい。彼は結構なノミスケくんなのだ。でも飲めないんだから仕方ないじゃないか。飲める人には、飲めない人間が飲んだときの辛さはわからないらしく、彼はよく「練習してみれば飲めるよ」「今まで飲んだことないから慣れてないだけだよ」と言う。違うんだってば。若いころは無理して飲んでた。高校生~大学生のときは、粋がって飲んでたんだけど、飲めば一口で真っ赤になる。その赤さときたらただごとじゃなく、目から腕から頭皮まで赤い。で、心拍数が2倍ぐらいになり、それを越えるとひたすら気持ち悪くなる。ほろ酔い気分でいい感じ、というのがないんだ。それはもう体質であって、若いころ、いくら練習しても酒量は増えなかった。そう説明してるのに、配偶者(仮)くんはわかってくれないみたいだ。大丈夫よ。お酒が飲めない代わりに、酒なんぞ飲まずとも酔っ払いについていけるテンションを、わたしは学んできたから。会社の連中のオヤジジョークや下ネタを素面で受けて立つ、わたしのその雄姿を見せてあげたいものだ。(もっともここ数年は会社の飲み会なんて行ってないんだけど)***今日は配偶者(仮)とジュエリーショップに行ってきた。婚約指輪の打ち合わせのためである。アクセサリー好きなので単純に嬉しい。しかも、めったにお目にかかれないサイズのダイヤなども、お店の人は気前よく見せてくれる。ちょっと興奮してその間は腹痛も忘れていた(しつこく腹痛が居座っているのだ。長いなあ、今月は)そのごごはんを食べに行く。お寺をモチーフにした飲み屋さん。わたしはお酒を飲まないけれど、居酒屋メニューは大好きなので異存はない。彼は芋焼酎を3杯飲んで気分良く赤くなっていた。そういえば朝、お酒のことを日記に書いたなあ。と思いながらご機嫌の彼を観察していたら、彼がふと言った。「トルコでもいいよ」最初は本気で意味がわからず、聞き間違いかと思って頭の中でいろいろ変換してみた。が、すぐに思い出す。そうだ新婚旅行。わたしが行きたいと言ったトルコを彼が強硬に拒んだ件で、ちょっと鬱入ってたんだ、数日前。え?「行きたいんでしょ。トルコ。いいよ、せっかくだから、あなたの行きたいとこに行こう」・・・。「そのかわりツアーからはみ出しちゃ駄目だよ。危ないから。ツアーどおりに動こうね。あなたに死んでもらっちゃ困るんだよ」わたしは、彼に感謝するとともに、激しく自分を恥じた。人を疑うことしかできないの? わたしは。彼は本当に、身の危険のためだけに、反対していたのに。しかも酔っ払いながらこんなことが言えるぐらい本気で、わたしの身を心配してくれているのに。なのにわたしは彼のことを疑ってばかりいた。自己嫌悪。それにほら、そんなこと言ってもらったのに、素直にありがとうもごめんねも言えやしない。偉そうなこと考えてるふりをしてても、結局わたしはただのわがままな子供なんだな。自己嫌悪・・
2005/01/16
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今日は通院日。それにしてもお腹が痛い・・・。こんなに痛みが持続したのは久しぶり。いつもなら痛くない時間と交互にやってくるのに。不安にさせないでほしいな。内膜症って言われるのはもうたくさんだ!!***それでも、通院から買い物(ともだちと、昨年末に出産した子へのお祝いを買いに行ったのだ)に及ぶお出かけを済ませて帰ってきた。バーゲンのせいで街は混んでいた。けど、雨がどうとか人ごみがどうとかよりも、何よりお腹が痛い!我慢できないぐらい激しい痛みではないものの、チリチリと神経に障る感じで、ずっと痛い。電池の並列つなぎみたいだ。病院ではいろいろ話してきた。年末を挟んだため1ヶ月ぶりぐらいの通院だった。心理士さんは女性で、きさくな人だ。話を引き出すために質問攻めにしないところや、わりとドライなところが気に入っている。今日は久しぶりにあの男の話をした。どんなに我慢しようと思っても、あの男の話をすると泣いてしまう。いや、あの男の話でなくても、自分の性格のこととか、過食のこととか・・中学生のときの「挫折」のこととか・・・とにかく心理士さん相手に自分の内面を語るとき、なぜだか必ず泣いてしまう。洟をすすりながらわたしは話す。心理士さんは笑顔じゃないけど穏やかな表情で聞いてくれている。その後先生の方の診察を受ける。これまたいろいろ話したら、薬が変わった・・・アモバンとノクスタール。これ、前にも飲んでたなぁ。そして、「会社行けますか? お休みするなら、診断書を書きますよ」と言われた。んん? そんなに切羽詰ってないつもりなんだけど・・今日はついでに血液検査もした。ちいさい採血容器に3本ほど。注射は平気なので、針をさすところから血液採取の間中、しげしげ眺めてしまった。そういえば今、月例大量出血注なのに。採血までしたら貧血になるんじゃ・・。今日は配偶者(仮)は土曜出勤。本来出勤日じゃない土曜まで出なきゃならないほど忙しいらしい。そしてまだまだ帰ってこない・・・。お腹が痛いよ。昨日の夜からずっと痛いんだ。こんなに長いなんて。怖いし、心細いよ。でももちろんそんなことで彼を煩わせられない。疲れてるんだ。彼は。わたしは今は労わる側でなければならない。
2005/01/15
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配偶者(仮)との思い出。悪い・・というか、よくわからない方のやつ。ある秋の日、彼が突然、電話で浮気の告白をした。わたしは毛ほども疑っていなかったので、本当に青天の霹靂だった。その日彼は電話をかけてきて、何か言いたそうに30分ほど言いよどんだ挙句、「実は・・」と言い出したのだった。話の骨子はこんなふう。彼はしばらくの期間、他の女性と二人で会っていた。その女性はわたしの存在を知っていた(わたしたちがあまり上手くいってないことも)そしてあるとき彼女は言い出した。「彼女とはもうだめよ、わたしと結婚してよ」彼は内心、いつかそう言われるかもしれない、そしてそれはそれでいいかもしれない、と思っていた。が、いざ言われてみると、やっぱり違うと思ってしまった。この女性じゃない、自分が本当に好きなのはわたしだ、そう思ったのだそうだ。そこで彼はその女性とは終わりにして、わたしにそれを告白することにした。その電話で彼は「これからは結婚を前提にしてつきあってほしい」とも言った。わたしはその瞬間には、悲しいとも嬉しいとも思えなかった。ひたすら驚いていた。それでも、応えた言葉は「前向きに考えます」だった。そして後日改めて頷いた。そのとき我々は上手く行ってなかったのだけれど。そして、浮気っていう言葉にもちろんあの男を思い出し、辛い思いもしたのだけれど。それでもわたしは頷いたのだし、その選択を後悔していない。少しも。今、誰がどんなに優しくても尚不安になることがあるのは、決してこの思い出のせいじゃない。それはただ自分の問題だ。***今日も眠かった。会社では、午前中はまだ半分夢の中だ。それにしても今日はとりわけ眠かった。10時ぐらいまで記憶がない。でもこっぴどく怒られた様子もないので、とりあえず居眠りも常識の範囲内だったのだろう。眠気と戦っていると、ときどきもう何もかもどうでもいいから存分に眠らせて!!と思う。眠いときに好きなだけ居眠りができたら、それに勝る幸せは無いとまで思う。そんなことで手に入るなら幸せも安いものだ。***ふと左腕を見る。・・・傷が増えてる。待って! 昨日の夜はなかったはずだよね?もしや、会社で切ってる? 記憶のない朝方に?まさかね、まさか。でも、そういえば、左の袖のあたりがごわごわするような。内側に血がついて乾いてる、ってことか。・・・切ってる? 確かに、・・わたしはカミソリを持ち歩いている。でもそれはお守りみたいなものであって、持ってるだけで満足するという性質のものだったのに。家の外では使ったことなかったのに。
2005/01/14
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思い出話をひとつ。配偶者(仮)の、一番いい思い出。数年前のある夏の日、わたしは車にはねられた。飲んで終電で帰った道の途中、実家から歩いて数分の交差点だった。夜の道路は車がほとんどいなくって、それでも終電効果か人の姿はちらほらあった。そんな中、信号無視の直進車にわたしははね飛ばされた。道路に倒れこみながら、結構冷静に「今度は死んだかな」と考えていた。(高校生のときにもはねられたことがあり、そのときはほぼ無傷だった)そのとき携帯が鳴った。配偶者(仮)からだった。普段なら出ないその電話に、わたしはごく普通に出た。混乱していたのだろう。「今ね、車にはねられて倒れてる最中なの。あとでかけ直す。ごめんね」それをだけを言って切った。その後わたしは救急車で搬送された。かなり後から聞いた。・・・配偶者(仮)と一旦別れるときに。彼はその電話を酔っ払いのたわごとと思わず(普通はそう思うだろう。誰でも)、場所も言わなかったわたしの言葉を信じて、深夜に自転車に乗って、駅から私の家までの道を捜し回ってくれたらしい。そこで、ちょうど出て行く救急車を見た。野次馬さんたちに話を聞くと、若い女性だったと言う。彼は直感した。あれがわたしだ。救急車だなんて。わたしの命はないかもしれない。そう思った。そしてまだそのへんで呆然としていた加害者殿を殴ろうかどうしようか迷ったという。そのとき、困ったように語る彼と今まさに別れようとしている事を、わたしは初めて後悔した。***夜が来て、気温が下がる。気温と一緒にテンションも下がる。PCの置いてある部屋には暖房器具がない。5分もすれば相当冷える。それと一緒に、気分が落ちていくのがわかる。最近切れ気味だった薬が完全に切れてしまったせい?そんなことない。だってわたしは、回復してたんだ。今日は大事っていう日の前にはむしろ眠剤や強い抗鬱剤薬を飲まないようにしていたぐらいだ。眠りすぎるのが怖かったから。なのに1日や2日、薬が切れたぐらいで・・・違う違う。そうだ、だいたい昼過ぎからおかしかったんだ。何がって言えないけれど、頭の中がぐるぐる回って、何もかも間違ってるような気がしてたんだ。間違ってるけど、それで仕方ない。仕方ないけど、いつか破綻するんだろうな・・大破綻。ハイクラスの破綻。そんな気がしてた。そこへ飛んできた、ともだちからのメール。「突然恐怖を感じることってない?」やはり心の傷を癒し中で、とても気持ちのやわらかい、大好きなともだちから。あるよ、恐怖。わたしは今あなたの言葉が怖い。そう思った。見透かすようにすごいタイミングでもたらされた、あなたの言葉が怖い。あなたも今、恐怖を感じていたことが怖いんだ。ふたりの人間が同じような時に意味不明の恐怖を感じる。それが大破綻の前兆じゃないなんて、誰に言える?・・・考えすぎだよね?考えすぎだ。誰かにそう認めてほしかったけど、誰もいなかった。彼はまだ帰ってこない。忙しいのだ。毎日死ぬほど働いてるのに、早く帰ってなんていえない。わたしを助けるために帰って来てよなんて言えないんだ。
2005/01/13
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とてもとても嫌な夢を見た。夢を見ること自体久しぶりだった。夢の内容は目を開けた瞬間に忘れてしまったけど、嫌な夢だったことだけ覚えている。初夢も見なかったのに、何だっていうんだろ?そういえば初夢を見ていない。正夢になるはずの初夢がナシということは・・今年も自分の人生は暗中模索ということかな?なんて後ろ向きな考えが頭を掠める。さあ今日は忘れずに武装をしよう。弱気になっている日はろくなことが起こらないんだ。不安材料は少しでも減らしておかなくちゃ。いつもよりしっかりお化粧をして、ピアスもひとつ多くつけよう。自分と世間のギャップを見ない振りするためのおまじないだ。***今日は「全社で残業をやめて定時で帰ろう」の日で、わたしも漏れなく定時で帰宅。帰りにいきつけのドラッグストアでビタミン剤を買った。肌荒れに効くビタミンB群。最近、年甲斐もないニキビで悩んでいるのだ。化粧品や健康食品を見ていると飽きない。どれだけでも時間が潰せる。待ち合わせにはとても便利。待ち合わせはドラッグストアに限る。ところで今日は2週間に1度の同期ランチデーだった。けど、キャンセルしてしまった。わたしはおおむね普通に生活していて、ともすれば鬱完治?とさえ思うのだけど、こういうことがあるたびに「やっぱりまだまだ鬱から逃げ切れてないなあ」と思い知らされる。それでなくても、過食と自傷は止められないんだし。眠りも不安定で、薬に頼っているんだし。それなのにどうして「完治」なんて思えるのかな。まだまだ完治からは遠いんだから油断しちゃいけないんだ。そこで突然不安になる。そうやって、治ってないんだと繰り返すことで、自分の中の鬱傾向を奮い立たそうとしているのじゃないの?わたしは病んでいるのではなく、病んでいたいだけなのじゃないの?病んでいることに自分のアイデンティティーを求めているんじゃないの・・・?それは常に心にある問いだけど、答えを聞くのが恐ろしすぎて、直視できずに放ってある。***類は類を持って集まる。これはどうやら本当みたいだ。わたしには、鬱をわずらう友人がたくさんいる。軽い睡眠障害などの人も入れると、両手が足りないほどになる。共通しているのは誰も彼も「真摯である」こと。真摯に生きることは諸刃の剣のように自分を傷つけるんだろうか。学生時代のともだちに、結構重度の子がいる。妙な言い方だけど、わたしは鬱を彼女から学んだ。鬱の人との付き合い方も。自分が鬱と向き合うときの見の処し方も。彼女は両腕に傷を抱えてた。皮膚が紫色になるぐらい、切っていた。ニコニコと笑顔でアムカについて語る彼女は、痛ましいと言うより神々しかった。初めて傷を見せてもらったとき、わたしは泣いた。彼女が今すぐ消えてしまうような気がした。言葉は出なかった。ただ、泣いた。でも彼女は消えず、今も鬱と戦いながらちゃんと生きている。彼女が頑張っていることが、わたしの支えにもなっている。遠い大阪の地で。
2005/01/12
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深夜にアーモンドチョコ大量摂取・・糖分の取りすぎは美容にも健康にも精神衛生にも悪そうだ。肝臓も膵臓も真皮も表皮も脳細胞も悲鳴を上げているんだろうな。アーモンドチョコのゴミが山になってる前にて呆然とすること、5分。意外に短い。ただいま血糖値は急高騰中だろうなぁ。そしてここ数日しまいっぱなしだった剃刀を出す。今切ったら、出てくる血は甘いんだろうか?素朴な疑問。試したけれど甘くなかった。安心しながらも、ちょっとつまらない。***今日は指輪も時計も忘れて出てしまった。服を着替えて、化粧をして、時計とアクセサリーを身につける。それが朝の、ある種の儀式だったのに。今朝は時間がなくて慌てていたので忘れてしまった。一日落ち着かなかった。右手の小指と右手の薬指。それから右手首。武装を忘れた場所から、何かが忍び込んでくるような気がした。もちろん被害妄想だ。何も忍び込んできやしないんだ。指輪は配偶者(仮)がくれたものである。何年か前のクリスマスに。彼がわたしを守っている? そういう気持ちになれたなら、どんなにか心安らかだろうにね・・指輪は指輪だ。何でも構わない。彼がくれたものじゃなくても。先週末に上手くいかなかった仕事が積み残っている。今日はその対応に追われた。でもやっぱり進まなかった。何なんだ。もともと鋭くもない思考能力が、更に鈍っている気がする。ヨコヅナ体型の課長と、超音波声の主任が呆れているのがわかる。怒ってくれたらまだマシだったんだけど。まあいいさ。わたしは「要らない子」でいい。こんな会社の中では。それにしても今日は心が穏やかだ。冬は左の腕を隠せるから気楽。もういい歳なので、傷跡は全治しない。たいがいは気にしないけど、たまには外聞が悪いなあと思うときだってあるのだ。頑張ってよね、わたしの新陳代謝。気持ちの新陳代謝と比例して鈍らなくていいんだってば。***今日は鏡開きだ。その昔は我が家でも「餅つき機」でついたお餅を丸めて、鏡餅を自作していた。最近は専ら真空パックだ。しかも、切り餅が入っているやつ。風情がないなぁ。真空パックでもいいからせめて鏡餅の形をしててくれればいいのに。けど、鏡餅型の真空パックは実際問題開けにくいし、お餅は切りにくい。切り餅が入っているタイプはあれでなかなか便利にできている。風情を失って利便性を得る。その考えが嫌いじゃない。風情も大切だ。情緒は必要だ。それでも敢えて選ぶ実用性。その潔さに憧れないこともない。兄が結婚して出て行く前、我が家では結構そういうイベントが大切にされていた。鏡開きにはぜんざいを作ったし、年越し蕎麦とか柚子湯とか、豆まきとか、お盆の迎え火・送り火とか、ごくごく普通にやっていた。ひな祭りもこどもの日もクリスマスも、ちゃんとあった。今ではそういうイベントが半減している。家族の人数が減ったから。すると5月、わたしが出て行った後には、更に減ってしまうんだろうか?そんな寂しい暮らしの中に、母を置いていってしまうのだろうか?
2005/01/11
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昨日、配偶者(仮)と言い争いになってしまった。内容は、新婚旅行。だから「犬も食わない」の類であると言えば言えるのかもしれない。何がきっかけかというと、わたしが旅行先としてトルコを一押ししていたことである。彼は「危険注意国だからよそう」と言う。それは頷けないこともないのだけれど、彼がトルコを嫌がるのには、単に自分が行きたくないからという理由もあるのだと知っている。彼はハワイでゴルフ、か、アメリカでメジャーリーグ観戦、がいいのだ。それに反してわたしは「南の島には興味がない」「アメリカ合衆国には興味がない」のである。できればインドやネパールに行きたいし、でなければエジプト・ギリシア・トルコあたりに行ってみたい。百歩譲ってヨーロッパならイタリアかスペインかイギリス。ことごとく意見が合わない。しかし、結婚式をするしないの件でも我々はもめていて、そのとき彼は「結婚式をやってくれるなら、その他のこと、旅行とかは全部あなたの好きでいいから」と言ったのである。わたしは結婚式をやりたくなくて(大勢の前で、見も知らない相手の上司やご友人から祝辞を受けたり、ケーキカットだのキャンドルサービスだので愛想を振りまいたり、親戚のおじさん、などが出てきて詩吟だのカラオケだのを披露したり・・・考えただけで気分が悪くなる。せっかくの2人の記念日になぜお金をかけてまで辛い思いをしなければならないのか、わたしには理解できない)自分の病気のことや性格のことを一生懸命話してみたけれど、結局彼の要望を容れて結婚式はやることになったのである。だからせめて、旅行ぐらいはわたしの意見を通したかった。それは、彼が本当にわたしの病気や性格を理解して、思いやってくれているかどうかのバロメーターにもなる気がしていた。だからトルコを強硬に主張したのだけれど。どうやら却下されそうである。まあ仕方ない。命は大事だものね。そうやって自分を納得させる。でも、トルコが危険注意国でなかったら? どうなっていたんだろう?それは知るべくもないけれど。・・・知りたくもないけれど。***今日もテニスに行ってきた。今度はスクールではなく有志の仲間で。仲間といっても、わたしはまだ日の浅いビジターなので、「集う楽しみ」はない。ひたすらテニスがしたいだけである。(それでなくても「集う楽しみ」というものは、ここ数年の自分の中には乏しいんだけど)買い物や過食ではなく、自分の心の「空気抜き」をできるものがあるとすれば、テニスだなぁと思う。そう思えるものがあるのは幸せなことなんだろう。・・もちろん、テニスを始めたきっかけがあの男にあることは、どうしても忘れられないけど。とにかくまあ、ラケットを持って走っている間はそれで頭をいっぱいにできる。心がひとつの思いで満たされるのは楽なことだ。あれかこれかと思い煩うのはしんどいから。あの男を心底恨みながら、でも本当に、悪いのはあの男なの? 今となっては自分の方がよっぽどおかしいんじゃないの?なんていう気持ちに横槍を入れられるのは辛かった。心がひとつの思いで満たされるのは、幸せなことだと思う。あの男をきれいさっぱり忘れ果てて、配偶者(仮)で心をいっぱいにできたら・・そうできたら幸せなんだろうな。きっと。***上のように思っていた矢先に、配偶者(仮)とまたまた嫌な雰囲気になってしまった。今度のネタは、「病気」。長くなるので端折るけれども、彼の後輩くんが彼女さんのことで悩んでいるらしい。で、そのエピソードをきくにつけ、その彼女さんは心を病んでいて、でも誰もそれに気づいてあげてないんだなあ、と思えて仕方がない。そこで、そのように意見して、「彼女さんは病気だと思う。そして誰かがその彼女さんを救うべきだと思う。後輩くんが救えればそれが一番だけど、とにかく一度通院をお勧めしたら?」と言ってみた。彼はそれが気に食わなかったらしい。彼女さんという人は、確かに行動だけ取ってみれば、とんでもない浮気者に見えるかもしれない人のようだ。でもわたしには、彼女自身も苦しんでいるように思えた。もちろん実際に会ったことはないけれども。でも、彼はその彼女さんの行動を肯定するようなわたしの発言(その彼女さんがしたことは、確かに、許されないことかもしれない。だけどたぶん、彼女は病んでいるんだと思う。そんな行動に駆り立てているのは病気かもしれないんだよ。誰かが気づいてあげなくちゃ、彼女は回復しないまま、一生終わっちゃうかもしれないんだよ?)が気に入らなかったらしい・・・そして不安になる。配偶者(仮)。ねえ、わたしが病気ってこと、話したよね?わたしだって病気がまた重くなったら、どんな行動をするかわからないんだよ?そのときあなたは、病気のことは一切抜きにして、その行動だけでわたしを判断するの?あなたは病気も含めて「わたし」を受け入れてくれるのではなかったの?・・・それはわたしの思い上がりだったのか?***それでも先程、配偶者(仮)から再度の電話が入る。電話に出るわたしは、こんな思いは少しも表さない。ただ声に笑顔を乗っけて送る。その笑顔が心からのものかどうかなんて、電話では伝わらない。いや、伝わるのかもしれない。本当に気持ちが通じ合っている関係なら。嫌な雰囲気を感じていたのはわたしだけのようで、彼は単にわたしと意見がぶつかった、という認識しか持っていないらしい。普通に用事を言って、また明日ね、と言って切った。それで安心する自分と、更に不安が募る自分。2分する思いに引き裂かれたくはないんだけどなぁ。疲れてるんだ。もう。
2005/01/10
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またもや早朝覚醒にはまる。3時に起きて、寝ればいいのに日記を書いたが、サーバメンテのため飛んでしまった。で、再度目覚めた6時半に書き直し。今日は配偶者(仮)と街へお買い物に出る。いつも郊外のショッピングモールなどで遊んでいたから、久しぶりだ。けど、気分が乗らない。原因は不明。肩こりが痛くて一昨日から痛み止めのお世話になっている。背中の肩甲骨の下と首根っこのあたりが、羽根でも生えてくるのかと思うほど、痛い。じっとしてても涙が出そうで、仕方がないのでロキソニンを飲む。余分な薬は増やしたくないんだけどなぁ。***陽が昇る。今日もいい天気だ。街歩きにはちょうど良い。・・・けど依然気分は乗らない。べつに彼に会うのが嫌なわけではないんだけど。街に行くのも嫌じゃないんだけど。なんだろう。何がいけないんだろう。ばんやりしていると、不意に思い出される風景がある。ええと、これは・・、中田島砂丘だ。静岡県。去年配偶者(仮)と一緒に行った。たぶん、そこだ。わたしは他に砂丘を知らないし。なんでそれを思いだすんだろう? やっぱり原因は不明だ。単純に中田島砂丘に行きたいだけ・・・?***ずるずるやってたけれど、とうとうお出かけの時間になった。もうすぐ配偶者(仮)が呼びにくる。行きたくない・・とは今更言えない。とりあえず化粧をしよう。そうすれば、気持ちが切り替えられる気がする。中学生の頃学校に行きたくなくて腹痛を起こしながらも、無理矢理制服を着たら、そこで観念したように。着替えて、化粧をして、アクセサリーを身につけよう。それはある意味「武装」のようなものかもしれない。世間と折り合いをつけるための武装。
2005/01/09
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早朝覚醒・・・どうせ土曜は6時起きなんだけど、4時に目が覚めちゃ、再度寝ても2時間じゃないかッ。と己に突っ込みを入れながらPCに向かっている。パキシルは一晩の睡眠を約束してくれないもよう。そして早朝覚醒仲間のともだちからのメールに返事を書く。お互いツライね・・今日は週に1度のテニススクール。朝8時から張り切っている。不思議と土曜日だけは眠くないし、身体も動く。今日は、3週間ぶりだったのにもかかわらず、なかなか好調だった。スクール後、皮膚科に通う。アトピーもちなのだ。食品アレルギーなどはないし、皮膚症状もそれほど酷くはないので、本当に症状の重い方から見れば「そのぐらいで文句を言うな」というところなのだけれど。まあ一応、20年来の苦労ではある。それにしても病院尽くしの人生だなあと改めて実感・・。多いときなんて、皮膚科とメンタルクリニックのほかに、産婦人科と眼科にも通っていたもんなぁ。***午後から法事に行ってきた。檀那寺の「般若会」である。10人ほどのお坊さんが居並んで、朗々と響く御読経と共に、何十巻という経典を手にとる。手に経典を持って、それを読みあげる代わりに最初から最後までパラパラと勢いよく頁を繰っていく。蛇腹に折られた経典を、高く上げた片手からもう片方の手へ、滝のように流す。荘厳な光景である。ふと、巨大な木魚をたたいている若いお坊さんをよく見てみると、小学校の同級生だった。すっかり忘れていたけれど。檀那寺の次男坊が小学校の同級生だったのだ。そういえば。なんとなく不思議な感じがした。***夜が来る。なぜだかずっと躁が続いている。夕方、買い物に行く母にくっついて近所のスーパーに行ったときも、道を歩きながら歌など歌っていた。珍しく家族3人そろって(欠けるのは専らわたしである)の夕食は鍋で、調子に乗って飲めないお酒を飲んでもみた。おかげで現在心拍数は1.5倍に跳ね上がり、眩暈もする。そういえばお正月からこっち、多少の波はありながらも慢性的に躁状態だ。鬱に揺り返すかなと思ったときもあったが、予想に反して揺り返しは来なかった。昨日仕事の行き詰まりでヘコみかけたときも、すぐに浮上した。というより結局ヘコまなかった。これはいい兆候か悪い兆候か?悪い気分ではないけれど、揺り返しが恐ろしい。
2005/01/08
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早くも新年1週間が過ぎた。(って言ってもまだ7日目は始まったばかりなんだけど)この1週間何をしたっけ。お・・大掃除。年末にし損ねた大掃除を、やりかけて途中で投げ出してある。今もパソコンの横には化粧品の山が鎮座ましましている・・自分で断言するのもどうかと思うけれども、わたしはコスメ中毒である。顔はひとつしかないって言うのに、化粧水やら乳液やら洗顔料やら、更にはファンデーションにアイシャドウにチークにマスカラ、そんなものが文字通り山ほどあるのである。何に効くんだったか忘れてしまった謎のクリーム。いつ買ったか思い出せない化粧水。明らかに自分に似合わない色の口紅。このへんのものを片付けなければならない。期限は半年。これ全部持って嫁に行ったら、配偶者(仮)はあきれ返ることだろう。今日は仕事の上手くいかない日だった。プログラムを直して、直った!とよろこんでいたら、バグ発見。いくらやってもそのバグが潰せない。だんだん頭が痛くなり、左目だけ妙に疲れて涙がだくだく出て、しまいには右手にふるえが来たので、さすがに断念した。幸い期限はまだまだ先なので、何食わぬ顔で帰る。帰る道々、後悔に追いかけられる気分だった。時間的にはまだ全然早かったのに。残業らしい残業もしてないのに、なんでこんな軟弱なんだろ?でもまあ、深く考えないことにして(だって明日から連休。連休の道連れが後悔ではつまらない)すたすた歩く。歩く歩く。歩くのは気持ちよい。家に帰ると気分も回復していた。逆に、軽い躁状態になっていて、母に笑われた。「躁はいいけど、反動に注意してね」母は笑って言ったけど、こんなこと、笑っていえるようになったのも最近だ。昔はわたしの病気の話となると、緊迫感なしには語れなかったもんなぁ。PCを触っていたら突然WORDがフリーズして、一瞬自分も凍りつく。幸い被害は少なかったが、それで思い出した。今朝会社でPCを立ち上げたら、フリーズどころか、なぜか勝手に落ちまくり、電源さえも切れまくり。こんな現象初めてだ。すわウイルスか!?と青くなったけど、何のことはない。電源プラグが抜けかけていただけだった・・(足元に本体を置いているため、コード部分を蹴っ飛ばしたらしい)恐るべしゆるゆるプラグ。
2005/01/07
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日記を書き連ねていくうちに、だんだん恨み節というか、自意識過剰な感じの独白になり過ぎたなと反省。なので、日常にあったことを普通の日記のように書いてみることにする。その方が自分のささくれ立った気持ちを宥められる気がする。昨日は5の付く日ということで、会社帰りに行きつけのドラッグストアに寄ってあれこれ買い込んだ。5の付く日はポイント2倍デーなのである。買い物を済ませてレジうってもらったら、そこで思いがけず2500円分の商品券をもらった。100ポイント溜まっていたらしい。なんだか嬉しい。その後、車で迎えに来てくれた配偶者(仮)と一緒に帰る。彼は29歳にちなんで29枚、年末ジャンボを買っていたのだが、それが3000円当たったと言う。来年はちょうど30枚買って3億円当たるよ、と豪語していた。信じるものは救われる? じゃあわたしも信じてみようかな。夜、お風呂に入る前に力尽きて行き倒れる。(そのへんで倒れたまま寝てしまうことを我が家でこう呼んでいる)今日は本当に、躓いて倒れたような格好のまま眠りこけていたため、意識が戻ったら腕が痺れきっていた。しばしばしでかすことなので、家族はもう驚かない。それでもなんとか目を覚ましてお風呂に入り、正しく寝る体制に入る。夜中に1度目が覚めるが無理矢理にも再度眠り、次に目を開けたら5時だった。まあよし。再びお風呂に行き朝風呂に入る。冬の朝のお風呂はまさに快楽だと思う。しかし、お風呂で眠って沈没、というのは避けたい。***残業を終えて帰宅。日記を読み返してみると、時系列がバラバラだ。思い出しながら書いている「昨日のこと」と、「今日のこと」を同列に書いてしまっているせいだと思う。中途覚醒や早朝覚醒のために、夜から翌朝にかけての時間の感覚が妙にずれている。今日のお昼、いつものように更衣室に隠れてひとりのランチタイムと決め込んでいたら、同じ課の後輩の子がコートを取りにやってきて、発見されてしまった。慌てて「眠いから寝に来たんだ」と言い訳しながら、そういえば更衣室は近々廃止されると聞いたのを思い出した。更衣室を廃止されてしまったら、どこでお昼を食べたらいいんだろ?みんなが食べてる休憩室、そこには入れない。ともだちとお昼を食べなくなってからもう2年ぐらい経つんじゃないだろうか。人と食べるのが闇雲に嫌なわけじゃなく、それが証拠に、2週間に1度の同期ランチ会にはたまに行っている。ひとりでも、そうやって外へ食べに出ればいいのだろうけど、経済状況が許さない。となると持参食料を社内で食べなきゃいけなくて、そして休憩室に入れないわたしは、更衣室にたどり着いたのである。人目が一切ない場所。その更衣室がなくなるのか。今更休憩室に復帰するのは一苦労だしなぁ・・今日気づいてしまった、目下の悩みである。
2005/01/06
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本州の果てに帰省中だった配偶者(仮)が、昨日、帰ってきた。今から帰るよという連絡のひとつもなく、いい加減新幹線も目的地に着こうかという頃、「もうすぐ着きます」と一言。それでも、迎えに行った。仕事始めを定時で抜け出して。罪のない顔で配偶者(仮)はお土産をくれた。夏みかんの砂糖漬け。ドライフルーツの好きなわたしのために選んだのだという。そこでようやく「おかえり」の言葉が言えた。境界性人格障害。この病気を癒すためには、浴びるほどの愛情が必要だと、あの男がくれた資料に書いてあった。昨日の日記に書いた憎むべき医者も、「結局最後は愛だね」と言っていた。あの医者の言うことを信じる気持ちにはなれないし、いわゆる「ものの本」には、読む側の解釈によってどうとでも取れる書き方がしてある場合が多いと思う。その気になって読めば、ボーダーの特長は全部自分にあてはまるし、逆もまた然りだ。それでもその件は当たっているような気がする。境界性人格障害を癒すのは、溢れるほどの愛情だけ。わたしを癒せるのは、こんな人間を心底愛せる、奇特な人だけ。配偶者(仮)はそんな奇特な人だろうか?彼には自分が鬱を宣告されたことは話してあるが、ボーダーのことはうちあけていない。自分がボーダーかどうかはまだ判らないから、・・・そして、それをうちあけたら彼が離れていくような気がするから。あの男のように。***眠れない夜を過ごしてしまった。今日も出勤なのに。変なことを思い出したせい?ひいてはあの男とあの医者のせい?責任転嫁し切れない自分がおかしくてその考えは取り下げる。今日も会社で居眠りか。クビになる日も近いかもしれない。***今日は日中何かと忙しかったわりに、定時後まで残る作業は少なかった。ちょうどいい、帰って寝よう。そう思っていたら携帯にメールが入った。今日まで休みの配偶者(仮)からだった。わたしの職場の近くまで車で来たから、もうすぐ帰れるなら乗っていかないか、とのこと。本当に、心底嬉しかったのに。なのに素直に喜べない自分がいた。それでも彼が待っていてくれたので、拾ってもらって一緒に帰る。街の大通りはクリスマスから続くイルミネーションできらきらしている。街路樹も街灯も全部、目が痛いほどきらきらだ。このきらきらを4年前は恨めしい目で睨みつけていた。それに比べて、今はこんなに幸せだ。不満も不足もないはずだ。なのに・・・、ものすごく悲しくなって、そんな自分が情けなくなって、わたしは思わず顔を背けた。配偶者(仮)は気づかないのか気づかない振りなのか、何も言わずに送ってくれた。
2005/01/05
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わたしは境界性人格障害であるらしい。ずっと昔、自分の主治医でもない医者にそう言われた。そのあたりの経緯は本当に腹立たしく、憂鬱で、思い出せば今でも目が眩むほどの怒りが甦る。その医者はあの男の主治医だった。主治医といっても、あの男が何回その病院に通ったかは知らない。とにかくあの男はその医者から、わたしがボーダーであるという情報を仕入れてきて、わたしに告げた。わたしがあの男に書き送った罵りのメールを見せたらしい。そうしたらその医者は、「この子は間違いなく境界性人格障害だね」と言ったのだそうである。あの男はそれを信じて、ボーダーについての資料をいろいろ集めて、わたしにくれた。お前はこの病だ、勉強しろ、と。非常識な親切心。デリカシーのない善意。その紙束は今でも部屋の片隅で埃を被っている。良くないと知りながら、あの男には秘密でその病院に行ってみた。そして、あの男の揉め事の相手が自分であること、境界性人格障害の件を伝え聞いたことを言った。わたしは本当に境界性人格障害なのか知りたい、私自身を見て判断してほしい、と。そうしたらその医者は言った。「ああ、あんたがあの人の恋人か」その一言が、信じられないぐらいの衝撃だった。あの男の恋人。その言葉は今でもわたしを傷つける。その医者はこうも言った。「守秘義務があるから、自分がここであの人に何と言ったかは答えられない」「両方ともを診療することはできないから、あんたは診られない」これは筋が通っているので、わたしも文句なく受け入れた。半ば予想していた答えだった。しかし、医者は更に言った。「最低3ヶ月は診察しないと、本当に境界性人格障害かどうかは断言できない。だからここでは言えないし、あんたを診療できない以上自分には答えられない」・・・嘘つき! メールを見ただけで「間違いない」とまで言ったくせに!あの男は卑怯で頑固で我侭な偽善者だったけど、そんな風に嘘はつかない。それがわかるぐらいには付き合っていたんだ。だからこの医者がそれを―少なくともそういう内容のことを言ったのは事実なんだ。わたしは怒りのあまり言葉を失って病院を辞した。その後、あの男から聞いた。あの医者は、「実際に見てみて、これはもう決定だと思った。あれは境界性人格障害に間違いない。あんたも不運だが、そういう人間を怒らせてしまった責任は取らなければならないよ」と言ったそうである。そういう人間? 最低3ヶ月の診断が必要? 笑わせる。つまるところ、あの医者も単なる嘘つきだったわけだ。その場を逃れるために正論を打ち上げただけなんだ。あの医者を、わたしはあの男よりも激しく憎んだ。今でも憎んでいる。もしも念じることで人を害せるのなら、あの男より先にあの医者をどうにかしてやりたいと思う。****埃を被っていた紙束を、粉々に引き裂いて捨ててきた。破る瞬間、なぜかぞっとするような感覚があった。でも、紙束がすっかり紙屑になった後では、不思議な爽快感を感じた。後押ししてくれた言葉に感謝を捧げます。自分が真実境界性人格障害であるかどうか。それと、あの医者やあの男の思い出を切り離して考えられれば、それでノープロブレムだ。
2005/01/04
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正月休み最終日。31日から4日間の連休だった。明日から出勤だと思うと、気が重い。気が重いけれどもその気の重さに慣れてしまったというか、まあ仕方ないんじゃない、という諦めもある。諦められるのはたぶん、今現在、会社に行くことがそれほど苦痛ではないからだろう。と前向きに解釈することにする。だって4年前のあの日々は、朝目覚めても身体が動かず丸1日眠ってしまったり、ただもう会社に行くのが嫌で嫌で、意思の力で熱を出したりしていたものね。それがないのは、あの当時よりよっぽど楽になったからだと思いたい。今日は友人とテニスの予定。運動は好きではなかったわたしが、3年ぐらい前からテニスを始めた。スクールにも通ってまめに練習している。何かに集中するのは楽しい。余分なことを考えなくて済むから。配偶者(仮)からはまだほとんど連絡がない。深夜、2時ぐらいに着信履歴があったが・・そのころはパキシル+メデポリンで夢の中・・いや、夢も見ないほどの眠りの中だ。当然電話には出られなかった。配偶者(仮)のことは忘れて今日はテニスで発散しよう。思ったより寒い空気の中、3時間ばかりテニスに励んできた。年末からスクールも休みだったから、2週間ぶりか3週間ぶりぐらいにラケットを握ったことになる。正月休みで鈍った身体(しかも睡眠不足)には結構しんどかった。でも肉体の疲労は久々だ。心の疲労に比べて、なんて心地よいものだろう。それに、テニスをしている間は、電話も待たないでいられる。でもテニスには落とし穴もある。テニスを始めたきっかけ、それを思い出してはいけない。さんざんわたしを馬鹿にしたあの男を見返してやりたかったから。・・・少しでも、あの男とつながりを持っていたかったから。冬は陽が落ちるのが早い。空気にはちゃんと匂いがあって、冬の夜は冬の夜の、春の朝は春の朝の匂いがする。子供のころから持っていたそういう感覚を、それを感じる心の余裕を、4年前のあの日々ですっかり磨り減らしてしまった。冬の空気を通して見上げる星空が一番きれいだっていうことも、忘れそうになっていた。半年後から始める新しい生活で、そういうものを取り戻せるんだろうか?
2005/01/03
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朝から父と母がもめている。去年の6月、急なウイルス性脳炎に倒れた父は、生還したとき何かのバランスを失っていた。記憶力が弱くなり、判断力が鈍り、世間の常識さえもたまに忘れてしまうらしい。他者のことが考えられず、こどものようにわがままを言う。本人は鬱状態に陥ることはないのは幸いだけれど、そのしわ寄せは全て母にいく。母は相当ストレスが溜まっているようだ。些細なことでも父と口論になってしまっている。父は今年定年を向かえ、ずっと家にいるようになる。この父と母を2人にして、自分は半年後には家を出るのだと、今頃実感がわいた。自分の結婚のことで、不安と恐怖ともちろん幸せとで気持ちがいっぱいで、そこまで考えが及ばなかった。兄は既に結婚で家を出て、ここにはいない。この上わたしまで家を出たら、母は大丈夫だろうか?不安になる。激しく不安になる。それでも今日は母方の親戚へ挨拶回りに行ってきた。ドライバーはわたし。隣の県まで車を走らせる。ペーパードライバーでこそないけれど、月1・2回の運転がせいぜいだから、結構緊張した。山道を通るのでカーブが多い。カーブになるたび、自動車学校で習った言葉を復唱する。スローインファストアウト。素早く出る・・ふと、それが「家を出る」ということと重なってしまって、動揺した。家を出る。学生時代だって家を出て、遠方に行っていたけれど。それとはやはり状況が違うんだ。家を出る。いいんだろうか? ほんとうに?親戚回り中、新年のご挨拶に婚約報告を織り交ぜてきたっていうのに、配偶者(仮)が本州の果てに帰省して3日目、連絡は途絶えっぱなし。去年の夏に帰省したときも同様の状態で、曰く、実家にいるとメールや電話はしにくいんだよ、とのこと。それはわからないでもないけれど。いや、寧ろ同じ意見だけれども。わたしは電話を待つのが嫌いだ。携帯が鳴る。誰からなのか、メールか着信か、最初の1音でわかるほど細かく設定していた着音。昔、ある曲をある人からの着信音にしていた。メールと着信の2曲。同じアーティストの曲を使い分けた。死ぬほどその曲を待ちながら、それが鳴るたびに眩暈がした。心拍数が跳ね上がり、頭に血が上って、掌に汗をかいた。今でもその曲を聴くと一瞬呼吸が止まる。そして誰かからの電話を待っていると、そのときの気持ちが蘇るような気がする。だからわたしは電話待ちが嫌いだ。電話待ちをしている間、携帯はなにか忌まわしいもののように感じられる。・・あの男の携帯番号は今も携帯のメモリに残してある。その番号は死んでいて繋がらないのを承知の上で。二度と再び、永遠に、かけることはないっていうのに。
2005/01/02
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あけまして、おめでとうございます。まだ誰にもその言葉を言っていないなあ。ぼんやりしていたら年が明け、お風呂に入って薬を飲んで眠りについて、次に目覚めたのは4時何分だか。またか・・と思いながら、再度眠る。お正月に特別な思い入れがないとはいえ、「新年早々」中途覚醒に悩まされるのも業腹だ。でも次に目覚めたら6時何分かで、2時間しか寝ていない。そこで諦める。手持ち無沙汰に任せてメールチェックをする。ともだちから、カードが送られていた。こんな職に就いているけど(わたしは一応、システムエンジニアである)実は家にPCを持ったのも2004年からなので、メールにカード、ということが初めてだった。嬉しかった。リアリティ世界のともだちからの年賀状一番乗り。まだ返事をしてないな。あとで、メールを書こう。午後から、一昨年結婚して家を出た兄夫婦がやってくる。それがどういう質のものであれ、兄というものに強い感情を持つことをブラザー・コンプレックスと呼ぶならば、わたしは立派なブラザー・コンプレックスであると言える。幼いころから兄が怖かった。勉強ができて、努力家で、自信もあって、社交性もある・・そんな兄はわたしの劣等感を眩しく照らしたものだ。でも例えば兄が大学に入って家を出たとき、結婚して本当に家を出たとき、そこに寂しさは感じなかった。寧ろ開放された気分だった。ただ、ひとつの時代―自分がこどもで、無条件に世の中に庇護されていた時代―が終わったな、という寂しさだけは感じたような気がする。自分も大人にならなければならないんだ。そう思うと、なんだか理不尽に自分が糾弾されているようで不安になった。家族なのに、そんな屈折した見方しかできない自分が、ちょっと嫌になった。おにいちゃん。そう呼んで、喧嘩しながらも普通に兄弟をやっていたのは、もう遥か昔の話だ。22時ごろ、兄夫婦を含めた親戚たちが帰る。結婚の報告をした。相手は何者でどこで知り合って新居はどこで・・・お定まりの報告も、面映いと言うより心苦しい。親戚たちのいる間、軽い躁状態でしゃべりまくっていたら、喉が渇いた。しゃべりすぎで疲れるなんて、しょうもないな・・冷静にそう思ったら、とたんに躁状態が解けた。躁状態の揺り返しは、鬱だ。こんなとき支えになってくれるはずの配偶者(仮)は、遠く本州の果てに帰省中で電話にも出てくれない。彼は本当に、わたしの躁鬱状態を理解してくれているのかな?不安になる。不安になると、よくないことばかり思い出す。思い出に捕まらないように、腕を切る自分を想像する。想像はたぶん的中するだろう。人事のようにそう思う。思って、更に苦しくなる。助けてください。その言葉が言えない。配偶者(仮)にさえも。
2005/01/01
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